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北陸本線 牛ノ谷駅
旧型客車の一番後ろのから撮影したものです。
こんな展望も旧型客車ならでわです。

牛ノ谷駅も最近、新型電車対応でホームの嵩上げ工事が完了して、ホームに柵が新設されて、一変してしまいました。




さくら
金谷−菊川間




はやぶさ
金谷−菊川間




富士
金谷−菊川間




みずほ
金谷−菊川間




みずほ
朝の上り東京行き。揖斐川鉄橋にて。




さくら
東海道本線 列車番号1 寝台特急の代表列車(これは上りなので列車番号2です)
三島−函南間の有名撮影地にて




出雲
昭和54年頃かな?東京駅 EF65 1000番台牽引の頃の寝台特急出雲号。石破大臣がご愛用だったと週刊誌に書いてました。




富士
昭和55年の九州旅行で乗車した富士号、西鹿児島行きでした。東京駅を18時00分に発車し、西鹿児島駅到着は翌日の18時06分だったかな?。1日24時間以上かけて走る、日本一最長距離、最長時間走る列者でした。
たぶんこれは名古屋駅停車中です。この頃は5分くらい停車してました。荷物輸送をしていたからでしょう。末期の今は1分そこそこしか止まりません。




富士号 門司駅にて
昭和55年。この頃は九州内でのヘッドマーク取り付けはありませんでした。
ED76に機関車交換。車掌が機関士へ牽引客車のデータを渡しています。
連結両数、乗客数などにより、加速やブレーキ加減など運転条件が変わるから。




さくら号
大船駅にて。

高校生の頃は、大船駅までブルトレ撮影によく行ってました。
東海道線を往復するだけで旅気分でした。




はやぶさ号
神田方から東京駅へ入線する はやぶさ。
今、唯一1本だけ残るはやぶさ・富士が廃止になると騒がれています。
この頃は、さくら、はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ1号、あさかぜ3号、瀬戸、出雲1号、出雲3号紀伊号併結、急行銀河と、東京駅からは多数のブルトレが発車していました。




みずほ号
なんとなく地味だったみずほ号。
熊本・長崎行きでした。




旧型客車
奥羽本線鷹巣駅、ちょっとどころか相当昔です。1981年




荒川河川敷の川越線
私が中学生か高校生の頃の写真。10両編成の205系がうなりをあげて走っている今、うそみたいにのんびりしたものでした。




肥薩線 人吉−吉松間の客車列車


こんな旧客の貨物との混合列車が走っていました。昭和55年





肥薩線 真幸駅
肥薩線の真幸駅。この肥薩線はJR九州が観光地化を積極的に進めていて、いさぶろう、しんぺい号は、ただ列車に乗るためだけの観光客をたくさん運んでいます。写真は昭和55年、まだ貨車と客車の混合列車が走っていたこの頃は、観光客は皆無で、やはりごく少数の鉄道ファンと地元の客だけをひっそりと運んでました。




真幸駅
真幸駅は石敷きのホームに模様がつけられていたのが有名でした。乗降客が少ない(いない?)からこそできる技か。今は無人駅で、当然このようなことは行われてません。それに今は、大勢の観光客がホームに降り立つので、無理でしょう。現在は幸せの鐘なるものがホームの屋根に吊るされていて、観光客が喜んでたたいてます。




旧客車内
こんな列車が普通にたくさん走っていた時代の、鈍行旅行は楽しかった。




餘部駅と客車
餘部鉄橋は架け替えが決定されてから、たくさんの観光客が押しかけ、観光ツアーのコースにもなってます。写真は昭和59年頃か?この頃は鉄道マニアがたまに訪れる程度で、静かでした。




餘部鉄橋
大雪でした。12系お座敷客車が落ちる以前の写真。人の乗降のない駅に一人降り立ち、雪道を下っていきました。すべって新雪の中に転びました。




浜坂駅
カニがおいしい街、浜坂。この頃はカニには興味のない、ただの鉄道マニアだった私。




宗谷本線の旧客普通稚内行き
この列車にも何度か旭川から稚内まで乗りました。宗谷本線を今、鈍行だけで乗り通そうなんて、間違っても思いません。走っている車両もつまらんしね。




関西本線 加太駅
山間のよい雰囲気。キハ58が似合ってます。現在走っている、キハいくつかは知らないけれど、銀色の新車ではいまいちですな。




訂正 ここは青海駅
大雪でも、北陸本線は定時運転。
このあと、機関車が飛ばす雪煙を思いっきり浴びました。

この駅は糸魚川とばっかり思っていましたが、2011年3月に直江津まで行ったときに、この写真を撮ったのは青海駅ではないかと気がついたのでした。 。




北陸本線を行く20系ブルトレ
いつのまにか20系客車もなくなってしまったのかな。




折尾駅の立ち売りさん
最近結構有名みたいで、この人、旅の雑誌などでよく紹介されています。




折尾駅のかしわめし
私が選ぶ日本一の弁当。上の写真のおじさんから買いました。
最近やっと、この折尾駅のかしわめしもちょっと有名になってきました。
でもデパートの駅弁大会などではなかなかお目にかかれない品です。




50系客車列車
客車列車は格別の雰囲気でしたが、もう観光用を除いて、鈍行列車としては走ってません。




奥羽本線 旧客列車
昭和56年、碇ヶ関駅付近




奥羽本線 旧客
なんか模型みたい




ED75との連結部分
昔の旧客は開放的。こんな写真も自由に撮れたし、風を受けて、また、機関車の迫力あるモーターや各種機械の音を存分に聞くこともできました。
停車前の列車から飛び降りることもできました(とてもあぶない行為!)。




窓の開く列車
こういう風景を見ることも不可能になってきました。
水上駅で発車を待つ急行。




敦賀駅で発車を待つ小浜線の普通気動車
結構思い入れのある列車です。
初めて本格的な一人旅をした、高校1年の冬(昭和55年2月)でした。
入試のため平日に学校が休みになるということで、平日に旅行できるという貴重な機会でした。
あの頃は、初めて行く所ばかりで、期待と不安のある新鮮な旅でした。
今となっては、世界中のどこへ行っても、あの期待感は持てないような気が。




ブルトレブーム
昭和51年から55年頃までブルトレブームでした。
ホームではたくさんの写真を撮る子供たちが。(マニアの大人たちも・・・)




うちのテレビです。
こんな写真を見っけ。。
私が高校生の頃まで、うちのテレビはこれでした。




ここはどこ??
昭和53年頃かな。
東海道線 茅ヶ崎駅で発車を待つ、相模線です。
こんな古い気動車が走っていたのです。
今じゃ純粋通勤路線。とてもこれでは輸送力が・・・。




昭和
どこの駅でしょう。
案内表示、人、みんなレトロな雰囲気。




急行銀河
品川駅へ入線してくる上り銀河。
この頃はゴハチ(EF58)が牽引機でした。




あさかぜ
20系あさかぜです。
いったいいつだと思いました。昭和55年です。
たぶん臨時あさかぜでしょう。
定期あさかぜは24系だったはず。




うわ〜
こんな古い電気機関車が都内を走っていた、昭和55年。
EF57?わからん




0系
今や素人でも「なに系」と呼ぶ新幹線。
ただ流し撮りの練習をしただけでしてた。
浜松町駅にて。




九州の電機
ED76とED72。
結構貴重な写真かも。
肥前山口駅にて。




肥薩線
DD51の重連で旧客と貨物の混合列車を牽いてました。




配給電車
鉄道の部品とかを専用に輸送していた列車でした。
新橋駅でブルトレの撮影の合間に通過していきました。
昭和53年、中学生のときの写真です。




秋ヶ瀬取水堰
番外
昭和57年の水害時、荒川の秋ヶ瀬取水堰付近です。
普段の河川敷は完全に水没。
ここを知っている人はすごいと思ってくれるかな。




水害時の川越線荒川鉄橋
水のあるところは普段はゴルフ場。
前の秋ヶ瀬と同じ日です。




北陸本線
旧客の一番後ろから撮影した急行立山号




スイッチバック
豊肥本線 立野駅のスイッチバック





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