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このホームページの契約容量は10Mなんです。
それにオプションで5M追加しているのですが、すでに容量ぎりぎりです。
今度、ネット回線の契約コースを変更したのに伴いブログサービスも自動で付帯することになりました。
そちらの基本容量は300Mと、ホームページと比べようもない大容量となりました。
そんなことから、この日記への書き込みはブログにするようにします。
私はブログはほとんど使ったことはなく、他人のを見る程度なんです。
まあ不慣れですが、そちらもよろしくお願いします。
鉄道日記と称しております。
リンクは表紙ページにあります。 |
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東海道線の旅
所用で埼玉へ行った帰り、東京駅から熱海駅まで鈍行の旅をしました。
東京駅ホームにてスイカで熱海までのグリーン券を購入(グリーン券情報をチャージ)。
スイカなら何度降りてもグリーン車を乗り継げます。
乗車券は熱海のひとつ先の函南まできっぷを購入しています。
熱海までだと切符でも東京近郊区間内となり途中下車できません。
函南まででも運賃は同じです。
東京駅から、平塚でまず下車。
平塚駅ホームのキオスクには、サッポロビールが置いてありました。
ところがなんと、平塚駅ホームからキオスクは消えていました。
あらびっくり。いつなくなったのだろうか。2年前はたしかあったはずだけど。
ちなみに私が学生の頃には、階段下にラーメンのスタンドもあったのですが。
平塚では、踊り子号や快速アクティーを待避するために5分くらい停車することも多く、キオスクでビールを確保できたのに、それをあてにしていたことも多かったのに、これからは無理です。
平塚の次は、国府津で下車。
国府津は海まで徒歩5分くらい、というか目の前です。
駅から徒歩5分でこんなところへ。
平塚でビールが手に入らなかったので、駅前のコンビニで缶ビールを買って海を眺めながら飲みました。
国府津から次は根府川で下車。
ここはホームから海が見えます。
たしかこの駅名標、前回来たときは国鉄時代の木製の古いタイプだった気がしますが、記憶が定かではありません。
根府川から熱海はもうすぐ。
熱海では駅前商店街のいつもの店で干物を買ってみやげにしました。
そして駅構内で日本酒とつまみ類を、新幹線ホームでビールも買って、こだま号グリーン車に乗り込みました。
私は新幹線改札内の決まったお土産屋でつまみは買うことにしています。ちくわとかかまぼこがおいしいし、車内で食べるのにちょうど良いサイズが揃ってます。
来たこだま号は、JR西の編成の700系でした。
外観の違いは、車体の行き先表示がJR東海編成は幕なんですが、西編成は電光掲示なんです。だからひとめでわかります。
そして車内の色や、特にシートの色が濃い色なんです。
だから普通車でも暗く感じるのだけど、西のグリーン車は初めて乗ったのだけど、これがまたひときわ暗かったです。
照明が飲み屋のスナックかラウンジ、クラブ?みたいです。
こんな感じ。
私はビールに、そして日本酒を飲みながら、まさしくラウンジ新幹線を名古屋まで2時間楽しみました。
EX早割だと、こだま号なら普通車にプラス1000円程度でグリーン車に乗れます。
のぞみで東京から名古屋まで一直線に帰るよりも、酒につまみにみやげと、鈍行と新幹線乗り継ぎは、相当高くついています。
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9月は連休
9月は休みが多くていいです。
明日出勤したら、また休み。
新しいパソコンも好調です。
キーボードのタッチが良い。前のはひっかかっていました。
ワイアレスで、キーボードにもマウスにもコードがありません。
なんて使いやすいんだ。
日本語入力もATOKが付いていたので、とても使いやすいです。
今日は午後から急に涼しくなりました。
昨日までの猛暑がウソみたい。
鉄道ネタはありません。
そいえば名古屋の一部の地区は地価が上がったとか。
地下鉄桜通線の延伸が決まって開業間近のあたりです。
名古屋でも、鉄道が開通すると影響ん゛顕著に表れるのはうれしい限り。
だって、名古屋は車王国だから。
東京圏や大阪圏よりも、通勤などへの車依存率が高いから、地下鉄開業くらいで影響はないかなと思っていたから。
ちなみに今日は、私の誕生日です。
もう、目出度い年齢ではありません・・・
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金沢 金沢・・・
先週は金沢2往復。
移動日で、先週の日曜日と、今週の土曜日がつぶれたので、今日はお休み。
今週も1往復の予定。
金沢駅で、419系と青い475系が並びました。
この風景もあとわずかでしょうかね。
北陸は田んぼの稲刈りがピークのようです。
あちこちで稲刈機が大活躍していました。
英語表記でまた気になったことがありました。
ハイウェイバスの案内が、カタカナで「ハイウェイバス」と書いてあるけれど、英語表記は「Expressway bus」でした。
高速道路はハイウェイとは言わないのかな、和製英語?
土曜日の金沢からの帰りは、米原からは例の15時30分発米原行117系8連に乗りました。
ちょうど18きっぷの使用期間が昨日までだったので、たいそう空いていました。
車内放送で、「これから車内へ参りますが、すべての車両はまわれない場合もありますのでご了承ください」と案内してました。
117系は4両固定の2編成で8両です。
117系の運転台は非貫通です。
前4両は絶対に行けないのに、「すべての車両へまわれない場合もある・・・」って、前4両は行けませんって、はっきり言えばいいのにと思いました。
米原で発車を待つ8連の117系大垣行。
土曜日のせいか、沿線では写真を撮っているマニアが結構いました。
117系もJR東海の鉄道博物館入りが決まっているし、もうあとわずかで全廃されるのでしょうか。
8両編成はやっぱり写真に撮っても絵になると思います。
パソコンを買い換えました。
今まで使っていたのが、Windows2000だったもんで。
データ類の移行はやっぱり大変でした。
このホームページの更新もうまくできているでしょうか。
とりあえず、新パソコンでの初めての更新です。
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いろいろ雑感
金沢出張がほぼ毎週となっています。
出張というよりも通勤状態。
週の3分の1は金沢に滞在しているみたいです。
毎週毎週、北陸本線に乗って列車の旅を楽しんでいます。
毎週、北陸トンネルを通過しているし、金沢周辺も楽しんでいます。
◎倶利伽羅トンネルと携帯
倶利伽羅トンネル内は携帯電話の電波が届いていました。
北陸トンネルはだめです。
東海道新幹線は携帯電波の中継局が全トンネル内にあるので携帯が使えます。
まさか倶利伽羅トンネル内に設置しているとは思えないので、たまたま中継局がトンネルの坑口付近にあるのでしょうか。
◎回送列車の英語表記
JRの表記です。現在は「Out of Service」です。
昔は「DeadHead」でした。私の記憶が確かならば。
いつ頃から変えたのだろうか?
調べたら、前者は英語、後者は米語みたいです。
後者は役立たず、能無しといった意味もあるようで・・・
たしかに回送列車は乗客にとっては「役立たず」か???
◎駅前食堂
最近はレトロな、と言うか、古びた駅前食堂をみかけなくなりましたが、北陸本線の粟津駅前にあります。
車窓から見えるので、以前から気になってました。
その名は「まる久食堂」
典型的な大衆食堂という店構えに、「中華そば」という看板があるのも典型的。
一度途中下車して、ビンビールを飲みながら、最後の締めに中華そばを食べてみたいです。
そば屋の中華そばはうまいという法則が私にはあります。
列車の窓越しに撮ったのでボケています。
◎車内放送
しらさぎ号の車内放送にて。
駅に着く度の「乗り換えのご案内です」が、
何度聞いても、その車掌の言い方は、
「飲み会のご案内です」
としか聞こえませんでした。
その車内で、私は缶ビールを飲んでました。
◎ホテルの窓から
金沢の常宿からの風景
トワイライトエクスプレスです。
EF81が釣り掛けモーターの爆音?を唸らせながら、フル加速で発車していきました。
機関車の音はいいな〜
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再び のと鉄道
2週続けて、能登半島の穴水へ出張となりました。
前泊で和倉温泉に泊まりました。
宿の窓から撮った景色。
和倉温泉で加賀屋は別格で、そのでかさで君臨していました。
私が泊まったのは小さい宿ですが、一人宿泊プランもあって、宿の人も気さくでいろいろと話を聞けて、いい宿でした。温泉も源泉混ぜ物なし。
部屋食の料理を前に、一人宴会を楽しみました。
温泉宿に一人で泊まって、まったりとくつろぐことを覚える歳になっちゃいました。
朝5時過ぎに自然に目が覚めたので、温泉に入ったあと宿の周りを浴衣姿で散歩しました。
港で釣りをする人がちらほらと。
海沿いに温泉旅館が並ぶ。
日の出の頃の散歩は、とても気持ちのいいものです。
ある旅館の玄関に昔の駅名標が。
宿の近くにはこんなレトロなおみやげ屋が。
時が止まったような風景です。
さて、のと鉄道に乗って穴水まで行って、仕事をこなしたあとは帰るだけ。
前回(一週間前)は能登鹿島駅で途中下車したけれど、今回は車窓からチェックしていた西岸駅で降りることに決めていました。
駅舎と駅前広場。
典型的ローカル線の駅舎と駅前広場です。
こんな駅は本当、JRからは消えているけれど、三セクやローカル私鉄は味わい深い駅が残っています。
ホーム側です。
穴水行きが到着。
中学生くらいの子たちが3人ほど降りていきました。
次の列車までの約50分はとても短い時間で、あっというまに時間は過ぎていきました。
しかし、この日も暑かった。
待合室にいても風がなかったので暑くて、ホームの木陰でたたずんでました。
和倉温泉駅で発車を待つサンダーバード号。
のと鉄道では運転体験イベントを定期的にやってます。
参加費は1万円。
一度やってみたいです。
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再び 富山港線
今年の5月に何十年ぶりかに行った、元富山港線、富山ライトレールにまた乗ってきました。
今回は岩瀬浜の町並みの観光が主目的。
終点2つ手前の東岩瀬で下車。
東岩瀬駅は、昔の富山港線のままの駅舎とホームが保存されていました。
これは終点の岩瀬浜よりも絶対よい駅です。
ホームの高さを比べてください。
左が現富山ライトレールのホーム。
右が旧富山港線時代のホームです。
東岩瀬から岩瀬浜までは街中を散歩していきました。
岩瀬浜のライトレールの車両です。
富山には前日に入って宿泊しました。
富山駅前に、昭和レトロ全開の飲み屋街を発見しました。
シネマ食堂街なる、よそ者には近寄りがたい、古く、汚い?っぽい、小さな店がいくつか集まったところです。
「昭和がここにある!」と一応それをアピールしていますが、本当にそのものです。
時間が昭和40年代で止まっています。
意図的に作ったレトロを追い求めた飲み屋街ではなくて、昔のまま残っています。
その点、とても自然です。
ためしに一軒入ってみました。
まだ17時過ぎだっため、あまり開店していなくて、
(もしかしたらつぶれている店も多いのかもしれない)
開いているところへ入りました。
中は初老のおばさん店主と、60代くらいのおじさんの客が一人いました。
カウンターに椅子が10席程度の店です。
おしゃれな店とは180度違う、古く、こ汚い店です。
間違っても若い娘は、いや女性は入らない店です。
左の助六です。
先客は熱燗を飲んでいました。
店主に「熱燗でいい?」と聞かれたので、それでと頼みました。
つまみも先客が頼んだものを、ついでに同じのを頂戴と頼みました。
適当に過ごしているうちに慣れてきて、先客と店のおばちゃんとも話しをしました。
私が生まれる以前、昭和36年から、ずっとここで営業しているとのこと。
きっと、店内もなにもかも、昭和36年から何も変っていないのでしょう。
そんな店でした。
私、こういうところ、お店の人、そして客、こういう雰囲気大好きです
ひとりコップ酒をあおって、ちょっとだけ過ごして帰る、うーむ、いい飲み方だ。
おばちゃんとも、もう一人の客とも、しゃべり過ぎず、でもだまっているだけでもなく、とてもよい時間が過ぎていきました。
おばちゃん店主が、夜遅くなると若いサラリーマン集団が二次会の流れみたいにやってくるのが迷惑だみたいなことを言っていました。
こういう店では、一人で、少なくとも男二人までで、静かにそして短時間で飲むのが礼儀だと思います。
この店に女子は似合わぬ。
男の、オヤジの聖地です。
コップ酒2杯と、つまみ1品で、支払いは900円でした。
1000円札を出して、「お釣りはいいです。」とガラにもなく、普段は絶対言わないセリフを吐いて、店を出ました。
そんな気になる店でした。
この日午前中は穴水へ行ってました。
のと鉄道は、旧国鉄時代のままの施設が残っています。
仕事までは時間があるので、途中下車しました。
能登鹿島駅という、穴水のひとつ手前の駅です。
ここで約1時間過ごしました。
目の前は海、背後は山という自然に囲まれた駅です。
春の桜が有名なようです。
駅舎は新築だったので、少しがっかりです。
手前の西岸駅舎は、車窓から見ても国鉄そのものでした。
今度はそこで降りて行ってみたいです。
富山で泊まったホテルの部屋からの景色です。
富山は路面電車先進県です。
公共交通をとても大切にしているので、好感度アップです。
路面電車の古い車両から聞こえるつり掛けモーターの音が、時折部屋まで聞こえるナイスな部屋でした。
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中日ビルビアガーデン
中日ビルのビアガーデンへ行ってきました。
毎年恒例です。
私は、名古屋ではここが一番好きです。
食べ物がここが一番おいしいと思います。
ビールもキリンラガーで◎
2時間で調子良いと、ジョッキ9杯はいけます。
でもここ、営業期間が6月下旬から8月末までと短いので、しかも雨天中止なんで、行きそびれることがあります。
家にいると冷房の部屋にこもっているけれど、外の風を受けていると心地よく、ビールもとてもおいしいです。
この日は広小路祭りをやっていて、広小路通りが一部歩行者天国になっていました。
ライブ演奏に出店と、たっぷりビールを飲んだあとの散歩は楽しいです。
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再び 倶利伽羅駅
金沢出張で時間が空いたので、1年ぶりに倶利伽羅駅へ行ってきました。
仕事は朝いちに終わり、明日までフリーとなったのです。
駅を出て、前回とは反対の金沢寄りへ線路沿いに歩きました。
ちょうど写真を撮るのにいい感じのカーブがあるからです。
そこで1時間以上、炎天下写真を撮りました。
久しぶりの鉄道写真撮りでした。
学生の頃はしょっちゅう、線路際でこうしてがんばったものです。
こんなところで、ネクタイこそしていないものの、出張スタイルなんで、怪しいといえば怪しいです。
コンパクトデジカメ、LumixのFX66で撮りました。
最近のデジカメは軽くて携帯性いいし、便利なもんです。
でも、こうして線路際にいると、昔の血が騒ぎ出して、一眼レフが欲しくなりました。
私、一眼のデジカメ持っていないのです。
EOS−5くらいほしいものです。
でも、コンデジの性能も、10倍ズームくらいあるし、なんら不便はないんです。
連写性能が落ちるくらい。昔の手巻き時代を思えば、シャッターチャンスは一枚だけと割り切って撮ればよいし。
サンダーバード、しらさぎ、北越、はくたかと、10分も待たないくらいで続々と特急が通るので、飽きませんでした。
駅のホームに木造の待合室があり、そこでも1時間半くらい過ごしました。
さすがに炎天下、外では1時間以上は耐えられません。
この待合室で休みながら、列車が来るたびにいろいろと写真を撮りました。
待っている待合室は、山の空気が気持ちよく入ってきて、とても風が心地良かったです。
こういうところにいれば、冷房なんかいらないし、自然の空気はなんてさわやかなんだろうと感じます。
外の蝉時雨を聞きながらボーとしているのが、とても贅沢な時間でした。
列車がきたら写真を撮りに立ち上がる、それ以外は本当にぼーとしていました。
昔、小学生の頃、両親の田舎の家で過ごした空気感を感じました。
そのあと、倶利伽羅駅から金沢へ戻るために大聖寺行きに乗りました。
金沢で降りるつもりでしたが、なんとなくそのまま乗っていたくなって、前から気になっていた動橋駅まで行くことにしました。
ちょっとした鈍行旅行になってきました。
電車は最近みかける青い475系です。
まるで客車の12系みたいな色です。
最初は12系かと勘違いしたくらいです。
これです。
12系みたいでしょう。
さて、動橋へ到着。
動橋の駅舎はたいしたものではありません。
もっと古い貫禄のある駅舎を想像していました。
でもホームや跨線橋やホームは、幹線の堂々としたものでした。
こういう駅には旧型客車がとても似合います。
屋根の柱には、1927年製のレールが使われていました。
動橋駅前は、郵便局以外なんにもなくて、少し歩くと商店街らしきものはあったけれど、開いている店もほとんどなく、コンビニも皆無で、帰りの電車で飲むビールを求めていたのだけど、手に入りませんでした。
一軒、古びた酒屋があったのだけど、冷蔵ショーケースの中はほとんどカラで、スーパードライの缶が4本くらいしかなくて、それに店の人もいなかったのであきらめました。
小さいスーパーもあったけれど、アルコール類は置いてませんでした。
造り酒屋があって、そこに資料館が併設されていたので、そこに入ってみました。
中で冷えたワンカップを買って、電車の中で飲みました。
帰りの電車、小松駅から浅田真央のコピーみたいな顔と髪型がそっくりな小学生女子集団が親?先生?に引率されて乗ってきました。本当にみんな同じ髪型でした。想像してください。
この日は、なかなか良い旅の一日でした。
そういえば、最近、ここ10年以上、ひとり旅をしていないなあと思いました。
20代の頃までは、一人で全国歩き回っていたのに、いつのまにか、時間がないのか、やる気がないのか、本当に行動力がなくなりました。
土曜日は出かけることはあっても、日曜日には絶対に家でゆっくりしたいと思うし。
日曜日の夜遅く帰宅して、翌日仕事なんて絶対ありえないというところです。
昔は平気だったのになあ。
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お盆休み
休みです。
のんびりしています。
三枚セットで980円と安かったので、小津安二郎の映画のDVDを買いました。
東京物語を久しぶりに見ました。
お盆休みに見るには、内容といい時期的にちょうどいい感じです。
笠智衆が映画の中で、台東区を「だいとうく」と言っていました。
そうです。昔、私が東京に住んでいた小学生だった頃までは、「たいとうく」ではなく「だいとうく」と「た」ではなくて「だ」と、世間一般には発音していました。
私も「だいとうく」と言っていました。
それがいつのまにか「たいとうく」が正式になってしまったのです。
パソコンの漢字変換も「たいとうく」と入力すると「台東区」と変換されるけれど、「だいとうく」と入力すると「大と浮く」と変換されました。
いつ頃から正式にこうなったのでしょうか。
こういう映画の価値がわかってきたのは、40を過ぎた頃からです。
映画を観たあと、親に電話でもするかという気分になりました。
そういえば、東京の山手線も、昔は「やまてせん」と一般には言っていました。
それが「やまのてせん」と「の」が入るようになったのです。
国鉄、そしてJRの正式線名呼称も「やまのてせん」です。
これはうろ覚えなんだけど、昭和40年代までは「やまてせん」と世間一般に呼んでいたけれど、東京の地域名での「山手」は「やまのて」なんで、線名も「やまのて」とすると、当時の国鉄が宣言したような気がします。
昭和50年頃かなあ。
東京物語では、まだ電化されていない尾道付近の山陽本線が登場します。
架線のない複線の幹線鉄道に蒸気機関車牽引の客車が走る白黒の風景は新鮮に見えます。
山陽本線、当時の山陽鉄道は建設時に、特に尾道付近は建設当時の明治時代から家屋が密集していたので、後の複線化時の用地買収の困難さを予測して、当初から複線分の用地を確保していたとか。
尾道は海岸線から山の中腹まで、家がびっしりとありますもんね。
当時から線路を敷くのに適した農地や空き地はまったくなかったのでしょう。
そんなことを書いていたら、原田知世の「時をかける少女」が観たくなりました。
あの映画、バックに流れる音楽、構成、尾道を舞台の画作りが大好きです。
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餘部 付替コンクリート橋梁 本日開通
ニュースを見ていたら、今日、餘部の新橋が開通したとのこと。
半月前、鉄橋の最終を迎えてから、付替工事をしてました。
私は今年の1月、最後の鉄橋を見るために、餘部の下にある民宿に宿泊しました。
翌朝は猛吹雪で、餘部は止まっていました。
冬の山陰の真骨頂を経験できたので、それも良かったなと。
昭和63年頃だったと思うけれど、強風の餘部を通過したことがあります。
そのときも、規制がかかって列車は遅れていたのだけれど、私の乗ったキハ58の普通列車は、いくらか遅れて手前の鎧駅を発車しました。
餘部鉄橋には規制時には、赤いランプが5個ついた警告信号が取り付けてあって(現在は発光ダイオードのまったく違うものだけど)、その信号の赤いランプがぐるぐる回るように発光したら強風規制で停車することになってました。
ちょうど鉄橋にさしかかったとき、ドンと車体が揺れるくらいの風を受けました。
列車は無事に餘部駅に到着してしたけれど、車掌が後ろを確認すると、私も窓から後ろを見ると、その警告信号の赤い光がくるくると回って点灯していました。
ちょうど列車通過中に規制値を超える強風が吹いたのでした。
たしかにドンと車体が風を受けて揺れるくらいだったのです。
昭和53年頃くらいだったか、営団地下鉄東西線が鉄橋上でひっくり返った事故があったけれど、車体が軽いアルミ製でした。
重いキハ58でなければ落ちていたかも。
昭和61年12月に落ちたのは、キハ58よりは軽い12系客車の改造車でした。あれも100トンある機関車のDD51だけ鉄橋上に残して、客車は全部落ちてしまいました。
あの事故も、単に強風だけが原因ではなくて、鉄橋の補強工事をしたために全体のバランスが悪くなって、鉄橋自体がねじれたことも原因との説もあります。
餘部は何度も通過しているし、途中下車も何度したので、思い入れはあります。
大雪の日、列車を降りて坂道を下っているときに滑ってカメラバックごと尻餅をついた思い出もあります。
あの頃は、観光客なんてだれもいませんでした。
たまに鉄道ファンがいただけです。
新しい橋も、当分は観光客で賑わうのでしょうか。
私も見に、そして渡りに行ってみたいものです。
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お盆
今週からお盆休みに入った人も多いようで、金沢往復でも出張サラリーマンよりも、子供連れの方が多いしらさぎ号でした。
半月ほど前、金沢行きのしらさぎ号で、「車両故障によりスピードが出せないため多少遅れます」との案内放送がありました。
たしかに少し遅いかなとは感じました。特に北陸トンネル内がいつもよりかなり遅く感じてはました。
しかし、車両故障でも、途中駅で点検などせずに、スピードが出ないだけって、どんな故障なんでしょうか。
駅を発車したあとの加速がとても悪かったです。まるで昔の客車列車みたいに少しずつしか加速しません。しかしある程度加速したあとは、ほとんど通常走行でした。
金沢駅には10分程度遅れて到着しました。
帰りに金沢駅ホームでしらさぎ号を待っているとき、1番線をラッセル車が通過していきました。真夏になぜラッセル車がと思いました。
この前も、大糸線から引退したキハ52が通過していきました。
きっと松任工場へ向かったものと思いますが、金沢駅ではときおり、変った列車の回送が見られます。 |
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またまた117系
この時期は青春18族が湧き出ているので自粛しているのだけど、大垣祭りに行くために、名古屋から新幹線、米原経由で大垣まで行きました。
米原15時30分発大垣行きに乗るために。
8両編成のいちばん後ろは、やっぱり空いています。
ガラガラです。
この117系は4両固定×2編成の8両なんだけど、米原では階段位置の関係で、後ろまではほとんど人は来ません。
たぶん前4両は満員でしょう。
だけど後ろはこうです。
席を向かい合わせにして、ゆったりくつろげます。
大垣駅には、古い跨線橋が残っています。
位置的にはあまり役に立たない位置にあるので、そのままなんでしょうか。2、3、4番線ホームと1番線ホームを結んでいるだけです。
改札のある跨線橋は別にあり、エスカレーターも完備です。
しかし、古い跨線橋は、ほとんど人が通りません。
木造の壁、この窓もよい雰囲気です。
大垣祭りでは、この店で飲む予定でしたが、閉まってました。
東京庵という、そばやですが、昔ながらの蕎麦屋のラーメンもあります。
この写真は、いつもの盛升に行った帰りに寄ったところ、開いてました。
ビールはサッポロ。サッポロビールの店は食べ物もうまいの法則に当たっています。
大垣駅前には、よく見ると古い建物もあります。
昔からある雑居ビルです。
耐震基準、クリアしてないのでは。
でも、味があります。
大垣祭りは、駅前の通りを歩行者天国状態にして行います。
大垣もなんか寂れてきました。
この祭り、この日は18時から車両通行止めにして始まりました。
前は17時か16時からだった気がするのだけれど。
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金沢駅にて
夏休みに入り、車両の増結、臨時列車の運転もはじまりました。
しらさぎ号は、いつもの8両にプラス3両の11両編成も走ってます。
往年の485系8M4Tの12両編成みたいです。
金沢駅の風景です。
左に新潟行きの旧国鉄色の485系、北越号。
そして右側には、臨時回送の481系ボンネットの旧国鉄色が。
この日は平日にもかかわらず、沿線にマニアが多かったです。
金沢駅は、旧国鉄色の455系普通電車も走っているし、なかなか楽しいです。
帰りのしらさぎ車内から、大垣付近で名古屋方向を撮った、見事なかなとこ雲。
この雲の下は、雷雨なんでしょう。
今年はゲリラ豪雨が多いです。
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大雨
昨日から滋賀県北部は大雨だったようで、今日、金沢からの帰りのしらさぎが25分遅れました。
高月から米原まで時速30キロ程度で走りました。
車内放送は、河川が警戒水位を超えているからということでした。
高時川です。
いつもより水量は多いけれど、たいしたことないような。
米原ではひかり号への乗り継ぎ接続はなしでした。
車内放送では何度も、「米原駅でのひかり号への乗り継ぎは関係機関と調整しております」と言ってました。
関係機関って、要するにJR東海だろって、素直にJR東海と協議しているって言えばいいのに。
結局、25分遅れではいくら特急といえども、天下の東海道新幹線を接続待ちさせることは無理だったみたいで、後続のこだま号への案内をしはじめました。
私の経験だと、米原で新幹線を待たせられるのは、せいぜい新幹線が5分遅れで発車できる程度が限界のようで、それ以上待つようだと接続させません。
東海と西では結構連携とれているんですけどね、普段は。
でも米原での新幹線との接続は原則、特急しらさぎだけ考慮するだけで、普通列車は、一切考慮されません。
何度、新快速からの乗り換えで米原駅内を走ったことか・・・
京都方面から米原への新快速はよく遅れるんです。ほんの数分。それが命取りなんです。新幹線への乗り換えでは。
東海道線の呼び名も、西では琵琶湖線とか京都線って案内するけれど東海は、米原でも、京都でも、新大阪でも、「東海道線はお乗り換えです」と、絶対に西の通称は使いません。
こんなところにも、各社の意地があるようで。
こだまに乗り換えて、揖斐川を渡ったとき、揖斐川の水量は半端でなく多かったです。普段の高水敷は完全に水没してました。
よっぽどこちらの方警戒水位だぞと思ったけれど、新幹線はいつもどおりのスピードで揖斐川橋梁を通過しました。
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先日は、出張先の金沢から埼玉まで移動しました。
金沢で定宿としているホテルからの景色です。
旧塗装に戻した475系と、寝台電車改造の419系のツーショットが撮れました。
もうこの景色も長くはないでしょうね。
金沢から特急はくたかに初めて乗りました。
途中、日本海沿いに走る区間も多いです。
大学生の頃、旧型客車に揺られた富山−直江津間も、特急だとあっという間です。
親不知の駅名標の撮影に挑戦。列車は120キロで走っています。
ばっちり撮れました。
実は、駅通過前に曲線制限で90キロくらいにスピードは落ちてました。
でも、タイミング合わせるのは難しいんですよ。(自慢)
直江津の先、犀潟から北越急行ほくほく線に入ります。
私、北越急行に乗るのも、まったく初めてなんです。
関東に住んでいないし、この区間に乗るのは縁がなかったもんで。
この区間に乗るにしても、東京対北陸を移動するときは、寝台特急の北陸を利用していたし。
ほくほく線内は、特急は最高160キロで走ると聞いていたので、どんな感じか楽しみでしたが、たいしてスピード感ありませんでした。線路が良すぎるからか、新幹線がのんびり走っている感覚でした。でも、外の景色の流れは、やっぱり新幹線までとはいかなくても、在来線のそれとはあきらかに違いました。
途中、交換待ちで停車した虫川大杉の駅名標です。決して160キロ走行中に撮影したものではありません。
金沢から越後湯沢までも、越後湯沢から乗った上越新幹線たにがわ号も、自由席はどちらも空いていて、快適な旅でした。
越後湯沢で途中下車して、新潟の酒を買って新幹線車内で飲みました。
越後湯沢駅のコンコースにはたくさんの店、みやげもの屋や飲食店がたくさんあって、なかなか楽しいです。日本酒バーなんてのもありましたが、時間の余裕はないので入れません。
今度入って、いろいろな酒を飲み比べしたいもんです。
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500系が消えて
東海道新幹線から500系が引退してから、それ専用の施設が撤去されはじめました。
停止位置標識です。
↑これは300、 ↑ここに500と表示された
700の停止位置 標識がこんなふうに
下がってました。
写真は米原駅上りホーム。最後部の車掌用のものです。
運転士用の停止目標も撤去されています。
たぶん、東海道新幹線、東京−京都間全駅撤去されているみたいです。
古レール
前に、米原駅屋根の柱に古レールがあると書きましたが、大垣駅にもありました。
関ヶ原の跨線橋にも古レールが使用されています。
年代の古いものを今後、探してみようと思います。
写真は大垣駅の屋根の柱。
1927年10月製造です。
1927 ||||||||||←(1927の隣の棒の数が製造月を表しています。)
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ワイドビューひだ
ひさしぶりにひだ号で、名古屋から富山へ行きました。
休日の金沢出張のためです。
先頭のグリーン車、最前列1人がけ、1番C席で、前面展望を富山まで4時間堪能しました。
キハ85の加速はいいですね。
東海道線内は120キロで走行、高山線内も直線では110キロは出してました。特に岐阜から美濃太田までの単線区間は直線区間も多いので、かなりぶっ飛ばして走っているという印象でした。単線区間の110キロ走行は、複線の東海道線内よりも迫力があります。
だけど、猪谷を過ぎてJR西の区間に入ると、直線でも90キロ程度しか出しませんでした。
車掌の車内放送ですが、当然肉声なんだけど、たまにやる観光案内とか、停車駅前後での放送は、手に持ったICレコーダーに録音した音声を車内放送マイクに押し付けてやってました。
これは型通りの案内プラス英語の案内が加わるのです。
要するに、英語の案内放送をするために録音のもの、しかも新幹線のように車載放送設備からではなくて、手に持ったICレコーダーに録音した内容をマイクに押し付けるという、きわめて原始的な方法でやっていることに、ちょっとせこいなと思った次第です。
順番間違ったらどうするんだろうと思いました。
美濃太田駅を出て、長良川鉄道(右)と分岐するところです。
この日、自由席もガラガラ。
グリーン車は乗車率30%程度で、下呂と高山で乗客は全部降りてしまい、
高山から富山までの約2時間弱、グリーン車1両、私ひとりの貸切でした。
自由席も高山から先は、4〜5人しか乗ってませんでした。
こういう贅沢ができるから、車での旅行はしたくありません。
運転はしなければならないし、酒は飲めないし。
車だったら、グリーン車1両1人で貸切という贅沢はできません。
土休日の高速道路1000円が、こういうところにも影響しているのかなと思います。
下呂や高山までグリーン車に乗っていた他の観光のお客さん、バスや車を利用しないで列車を利用してくれて、とってもえらい!
職場のグループ旅行らしき人たちは、酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしていてちょっとうるさかったけれど、許します。車なんか使わずに、また列車を利用してください。
もっともその人たち、にぎやかだったのは名古屋から美濃太田あたりまでで、その後は沈没していました。
私も、名古屋から富山まで、たっぷりお酒を飲みながらの楽しい旅でした。
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JR西日本「みどりの券売機」はすばらしい
JR西日本の駅にある「みどりの券売機」。
これの機能は奥が深いです。
単純に列車や行き先から選択してきっぷを買うことはもちろんできますが、「時刻検索から購入」ボタンからは、在来線の指定席が座席位置を選んで購入できるんです。
今までは、みどりの窓口でいちいち先頭の1番C席とか言わないと、座席位置まで指定しては買えなかったけれど、券売機でそれができてしまうのです。
乗車券単独購入でも、名古屋から高山線、富山、北陸線、米原経由で名古屋までなんて、窓口で買うと時間がかかるようなきっぷも、一発で買えてしまうのです。
いや〜、この券売機の機能には感服しました。
この前は、名古屋から富山まで、ワイドビューひだのグリーン車先頭の1番C席を指定して買えました。こういうことを窓口でやると、どうも時間がかかるのです。
JR西の列車でなくても買えるところがすばらしいです。
乗車券にしても、ちょっとややこしい経路だと、窓口の若い職員は、いちいち時刻表で経路を確かめながら、ちんたら入力して時間がかかるし。
いつぞやは名古屋から指宿までの乗車券を紙に書いて頼んだとき、窓口の若い姉ちゃんが「指宿」を読めなくて、これなんて読むんですかと聞いてきたときは、よくもまあ、駅名を知らない人間が窓口で堂々とキップを売っているものだと、心底あきれました。機械に入力するにも読めなければ入力できないし、時刻表には駅名をひらがなでも表記しているけれど、どこの路線かも知らなければ、探し出すこともできないし。
ということで、窓口にいる使えない駅員を相手に、ちょっとややこしいキップを買うよりも、そういうきっぷを券売機で自分で買えるということが、大変すばらしいです。
今度は、寝台列車の座席指定も試してみようと思います。
携帯電話での指定券購入時にも、座席位置指定ができたりと、JR西はなかなかすばらしいです。 |
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旧 富山港線 現在の富山ライトレール
富山への出張のあと、富山ライトレールに乗ってきました。
この線は昔、国鉄、JR 富山港線でした。
最近、一部区間を廃止して路面区間を新設して富山駅前まで乗り入れています。
最新型の路面電車、ライトレールが走っています。
富山駅前から乗ってみました。
最初は路面区間なので、車窓の風景は路面電車そのもの。
電車も路面電車規格なので違和感なし。
しかし、途中から旧と旧富山港線区間に乗り入れると、違和感だらけ。
なんてったって、JRの在来線フル規格の頑丈な線路の上を路面電車で走るのだから。
50キロレールの上を、車体も低く軽いし、視点も低い路面電車から眺めるのは、2階建てグリーン車の1階席から見る車窓みたいでした。
終点の岩瀬浜駅です。
参考までに、昭和58年に撮った岩瀬浜駅です。
この頃は、旧型国電がのちに475系、455系乗りいれてました。
こんな電車が走っていました。
帰りは、旧区間から新設された路面区間との分岐駅で下車して、廃線区間を歩きました。
左に曲がる方向が新設路面区間です。正面が旧既存路線。
ここから後ろを見るとこうです。
道路を隔てて、旧廃止区間が遊歩道になっています。
いかにも廃線跡のカーブです。
大好きです、こういう道。
遊歩道は500メートルくらいですぐに駐車場になりました。
道路と交差する部分にはレールが残されてました。
この先すぐ、北陸本線に合流して、すぐに富山駅です。
富山港線に初めて乗ったのは、岩瀬浜駅の白黒写真を撮ったときの昭和58年の9月です。
それ以来、来たことはないから、実に27年ぶりでした。
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米原駅の遺構を求めて
遺構といっても、米原駅はちゃんとあります。
今回は、金沢出張の帰りの土曜日、例の117系8連に乗るために時間をつぶして探したものです。(休日出勤も多いんです)
米原駅は、ほとんどが改築されて、レトロだった旧東口や旧1番線ホームは跡形もありません。
現在の7番8番ホームだけは、昔の位置にそのままありもっとも古い施設が残っています。
それは屋根。
彦根寄りの端の方にだけ、屋根を支える柱に古いレールが使用されて残っているのです。
こんなかんじ。
BV&Co、外国製なんでしょう。
そして、1897の数字。今から113年も昔、明治30年に製造されたレールなのです。
このレールが出来てから、人間様はもう何世代と入れ替わってきたはずです。
このレールの上を列車に乗って通った人は、きっともうこの世にいないでしょう。
なんかそういうことを思うと、ただそこにある柱でしかないレールの価値は、なにものにも代え難い大事なものと感じます。
大垣までの117系8連最後部は、大垣まで私一人の貸切でした。
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四国へ行ってきました
約15年ぶりくらいに出張で、四国の高松へ行ってきました。
前回は松山の道後温泉だったので、高松へ行くのはたぶん学生時代、まだ宇高連絡船があったとき以来だから、25年ぶりくらいです。
瀬戸大橋線を通るマリンライナーに乗りました。
この列車の先頭車両は2階建てで、2階はグリーン席、1階は指定席となっているのだけど、運転席のうしろのみ1列だけは「パノラマグリーン席」となっていて、先頭かぶりつきが座ったままできるのです。ということで、1号車1番D席を指定してあらかじめグリーン指定券をとっておきました。私はJ-westカードというJR西の会員になっているので、携帯で席指定までできて購入できたのです。
先頭運転席後ろから見る瀬戸大橋の景色です。
上は道路です。
ひさしぶりの瀬戸大橋、やっぱりすごいです。迫力です。
はるか下に海面が見え、大型貨物船も小さく見えます。
これだけの巨大な構造物をよくも人間が作ったものだと、感心します。
私は、人に見せるために作られたもの、たとえば観光地にあるものとか、遊園地の見せ物とか、なんとか博とかの人が作った見せ物には興味がありません。
自然の山とか景色とか、ただ機能を求めて作られた構造物、ビルや橋やダムなどに感動を覚えます。その巨大さと人間の英知が結集されてできた構造物の方が美しいと思います。
ただ、青函トンネルなどは巨大でかつ優れた技術でできた土木構造物なのだけど、外から見ても坑口があるだけで、中は真っ暗闇がただ長い時間過ぎるだけという、見た目の感動は感じにくい分、なんか損しているなあと思います。海底駅も何度か訪問したけれど、巨大な地下空間の一部しか見れないし・・・。
瀬戸大橋は、初めて横から間近に見たときは迫力で圧倒され、感動しました。
でかい、すごいと。
鳴門大橋や関門大橋では感じなかった迫力でした。
橋を支える主塔、橋を吊るすワイヤーの束の巨大さ、そのワイヤーを支えるコンクリートの塊のアンカレッジ。もうすべてが巨大さの枠を越えている。
橋からの眺め
高松に着いたマリンライナー
高松に着いたら讃岐うどん。
今回は時間があまりないので、とりあえず食べておこうと、午後3時頃に到着したのだけれど、駅構内の「連絡船うどん」に入りました。
昔、高松駅構内でうどんを食べたときは、たいしてうまくないなと思ったのですが、今回はなかなかのもので、うまかったです。コシもあるしつゆもうまい。駅の立ち食いとしては最高の部類では。今は讃岐うどんブームで、客もうるさくなったのでしょう。
街中や郊外にある本格的な店には行ったことないし、比較はできないのだけど。
今回もそういうところでは食べるヒマは結局、ありませんでした。
宿泊したホテルは、旧宇高連絡船桟橋が埋め立てられた位置にあって、新しくなった港が一望の、最高の立地でした。
窓からの眺め
今でも小豆島を始め、瀬戸内海の島を結ぶフェリーが頻繁に出入りしています。
私、青函連絡船には強い思い入れがあるけれど、四国はあまり縁がなかったので、宇高連絡船にはさほど感心はないのです。
所要時間も1時間で、あまり郷愁を感じませんでした。旅の感動よりも日常の足のフェリーという感じしか受けませんでした。
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浩養園ビアガーデン
5月4日は、浩養園の「ビアガーデン開放デー」11時半から15時までということで、今年初めて行ってみました。
生ビールが1杯200円と、とってもお値打ちです。ジュース類は100円、これも安い。
つまみも200円からと大変お得。
明宝ハムとポテサラなんかも、レギュラーメニューなら600円くらいが、300円。
ローストビーフは400円。浩養園、銀座ライオンのものだから味に間違いなし。
ビールはプラスチックのコップだけれども、量はレギュラー缶1本以上はあります。
200円では原価ギリギリでしょう。
調子に乗って7杯飲みました。ライオンのビールだから、鮮度も味も最高です。
天気も最高で、日差しも強く、名古屋はこの日最高気温が約28℃でした。
でも、真夏と違って、吹く風がさわやかでした。
家族連れが多かったです。
お一人様も結構いました。本当、好きなんですねえ。
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米原−大垣 117系8連の旅
懲りずにまた、米原15時30分発大垣行きに乗りに行きました。
米原駅の発車案内です。
15時300分gaki(ガキ)行きと読んでしまいました。
米原駅7番8番ホームはかろうじて、昔の雰囲気が残っています。
古い待合室、売店、古い屋根。
昔は洗面所もありましたが、今はありません。
大垣に着いてから、久しぶりに「盛升」へ行きました。
あいかわらず常連のオヤジ客ばかりでした。
大生1杯、熱燗3本で酔っ払い。
ここは突き出しがなかなかボリュームがあるのだけれども、代金は取りません。
良心的です。良い店です。
しょぼい突き出しに300円とか500円取るチェーン店とは大違い。
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新幹線から見る沿線の景色は、桜がどこでも満開です。
本当、今が見頃という感じです。
山のあちこちに咲いている山桜が、ポツポツと咲いている風景がとてもきれいです。
近江長岡付近は標高が高いのか、まだ咲いていません。
来週から見頃になるでしょう。 |
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春なのに
3月29日から30日、金沢出張でした。
今年は雪がよく降るようで、数日前には平地でも雪が降りました。
行きの北陸線から撮った伊吹山は、完全な雪化粧。
このあと、深坂トンネルを抜けて福井県に入ると、雪がたくさん降っていて、敦賀から武生くらいまでは積もってました。
金沢までは、積もりこそしていないものの、降雪は続きました。
翌日、帰りの北陸線。
南条駅付近でも雪が残ってます。
この時期まで雪景色となるなんて、珍しいことでしょう。
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北陸トンネルの照明
以前、北陸トンネル内は照明が点いていないとかきましたが、
この前に北陸トンネルを通過した際は、等間隔にしっかり点灯されていました。
どうしてでしょうか。
もしかしたら点検作業かなんかで作業員がいたので、点灯させていたのでしょうか。 |
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春だから
年度末の29日月曜日、30日火曜日と金沢へいきましたが、
すれ違う、普通列車の混んでいること。
青春18きっぷ族のせいだなと。
しかも、3/13のダイヤ改正で、米原−福井間しか運用されていなかった新型の電車が金沢まで進出してきて、半分くらい置き換わったので、混雑に拍車をかけているみたい。
新型は何系って言うかしりませんが、こいつは2両編成なので混みます。
581系寝台電車を改造した419系はめっきり数が減りました。
あと数年で全廃になるのでしょう。
北陸線の特急に乗って、粟津とか動橋を通過すると、いいなあと思います。
ホームも駅舎もほとんど昔のままの雰囲気です。
国鉄の幹線の中規模駅の典型というか標準タイプの駅なんです。
古めかしい跨線橋にやたら長いホーム。
そして、昭和の時代のままの駅舎。
今ここに、EF81電気機関車に牽引された長編成の旧型客車が止まっていても、なんにも違和感はない感じです。
そんな景色を想像して、心の中でにやけながら、特急に乗って通過していきます。
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この土日は引越しのトラックが街のあちこちで作業をしていました。
転勤や入学などの引越し作業もこの土日がピークなんでしょうか。
今回のダイヤ改正で、朝の名古屋始発の新幹線の時間が変わって、のぞみからこだまに乗ることになってしまいました。
こだまは空いていて良いです。
ただし、新大阪到着が13分遅くなりました。
新大阪に着いてから、朝食を食べによく行くお店では、おばちゃんが「いつものね」と覚えてくれてしまいました。
いつものとは、日替わりうどんセット+納豆単品です。
うどんとごはんと生卵と漬物、それに納豆をプラスしてもらいます。
最近は本当に、朝食が一番うまいです。
早寝早起きの健康的な生活です。
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3月の雪
今週は寒かったです。
3月9日の夜は、金沢も大雪でした。
この時期では珍しいことで、タイヤを夏用に交換した人もいたから往生していると、金沢の人も言ってました。
翌10日の帰りでは、福井県内まではしっかり降り続いていて、雪景色は福井と滋賀の県境の深坂トンネルを抜けるまで続き、今庄付近はたくさん積もっていました。
その翌日3月11日の朝は、関ヶ原も大雪でびっくりしました。
朝の通勤では、このシーズン最長の8分遅れで、新大阪に到着しました。
降り続いていて新雪状態なので、速度を相当落としました。
3月にここまで降ったことは、3年間の新幹線通勤で初めてです。
関ヶ原付近の国道21号線との交差地点
翌12日の伊吹山
この時期まで雪があるのは久しぶりなのでは。
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北陸号、能登号 廃止
3月9日、金沢への出張がありました。
行きの新大阪ホームで待っていたところ、ドクターイエローが通過していきました。
仕事が終わり飲んだあと、夜の金沢駅へ行ってきました。
出張の役得です。
お目当ては、3月13日のダイヤ改正で消える、北陸と能登です。
平日にもかかわらず、鉄ちゃんがたくさんいました。
北陸と能登が並ぶのは、金沢駅でだけしか見られないとか。
ボンネットの上には雪が。
牽引機のEF81は、ピカピカに整備されていました。
米原駅に毎朝止まっている朽ち果てそうなEF81とは大違い。
昨年の今頃は、東海道を走る名門の、はやぶさ・富士がなくななりました。
最終日には名古屋駅に見に行きました。
北陸と能登の廃止は、ニュースでは利用者減が理由と言っているけれど、実際は車両の老朽化で替わりを新製する気がないからだと思っていますが。
北陸は廃止が決まる以前から、いつも結構乗っていましたよ。
今日、3月13日は、この廃止のニュースがよく流れていました。
「撮り鉄」という言葉、あまり好きになれないです。テレビでやたら言ってるけれど。
集まっている人たちは、純粋に鉄道が旅が好きな人たちで、決して撮影だけが目的ではないのだから。
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青函連絡船の日
今日はJRダイヤ改正の日です。
そして毎年恒例の、青函連絡船記念日(命日)なのです。
1988年(昭和63年)3月13日、青函連絡船の終航の日でした。
あれから22年、まだ20代前半だった私も、今では40代後半。
もうそんなに昔なんだと、しみじみ思います。
でも、まだほんのちょっと前の出来事のようにも感じます。
東海道・山陽の九州夜行が全滅し、北陸号も今年廃止、鉄道の世界は楽しさがどんどんと失われていきます。
今夜は自作のビデオを観ながら、いつもより多めに、酒を飲む日なのです。 |
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北陸本線 特急 雷鳥 485系に乗って
今度の3月13日のダイヤ改正で1往復のみと激減する、485系雷鳥に乗りました。
3月2日、平日の大阪10時12分発金沢行きです。
もちろん金沢出張のついでです。
自由席車内は乗車率25%程度でしょうか。
まあ、せっかくだからと写真などを撮りながら過ごしました。
京都を出ると車内放送がはじまりまりました。すぐに山科へ抜ける長いトンネルに入りますが、車内放送が始まるとなぜか、「まもなくトンネルに入りますので、案内はトンネルを出てからさせていただきます」と打ち切ってしまいました。
なぜですか、携帯電話じゃないのに、トンネル内で車内放送をやめる理由を教えてくれ、と思いました。
その車掌は、大津の街に入ると、「車窓右側には琵琶湖が美しく見えてます、景色をお楽しみください」と観光案内を始めました。
土日の観光向け列車ならわかるけれど、平日でしかもビジネス客がほとんどに見えるこの特急で珍しいなと思いました。
北陸トンネルは時速120キロで走る特急でも、通過に約8分程度かかります。
トンネル内を窓からボーと見ていたら、あることに気がつきました。
照明の蛍光灯がついてないのです。
昔はトンネル内の車窓からは、蛍光灯の明かりが等間隔に過ぎ去っていくのが見えました。
しかし、現在は非常用通路の表示灯、たぶん横坑の入り口か待避所と、ごくたまーに、点灯している蛍光灯の明かりがある程度でした。
運転席から見たとしたら、列車はまさしく真っ暗闇を進んでいるのです。
これも常時点灯は必要ないということで、コスト削減なのかなーと思いました。
列車に事故が発生してトンネル内で非常停止して停電なんかした場合は、自動的に点いていない蛍光灯が点灯する仕組みにでもなっているのでしょうか。
敦賀を過ぎて北陸トンネルに入る手前で直流から交流に切り替わります。
新型車両のサンダーバードに乗るとセクション通過はよくわからないけれど、、485系は車内灯が消えたりして、交直セクション通過がよく体感できるので楽しみにしていたのに、うっかり敦賀を発車してすぐにトイレに立ってしまい、トイレから戻って車内に入ったとき、ちょうど照明が切れてました。迂闊でした。
パンタグラフのある車両(モハ484)に乗れば、切り替えのときに床下機器から「バコンッ」て電源切り替えの音がするけれど、あれって、直流から交流に替わるときと交流から直流に替わるときと、どちらが大きい音がしましたっけ。たしか違ったと思いますが。
交流から直流だったかな、2万ボルトの大電圧を遮断するから。
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赤錆の話し その2
琵琶湖付近の地下水は鉄分が多いので、地下水を使用している消雪用スプリンクラーから撒かれる水のため、新幹線の防音壁が赤茶色に変色していることは、前に書きました。
防音壁もそうだけれども、バラスト(線路の石)もその区間では鉄錆で赤茶色になっています。
他の区間はきれいなグレーの石の色ですが、昔の線路って、みんな錆色で赤茶けていたと思いませんか。
昔の列車はブレーキをかけるのに車輪をブレーキシューで押さえていたから、鉄粉を撒き散らしながら走っていたような気がします。現在の車両はディスクブレーキだったり、ブレーキシューも材質がよくなって、車輪を削って鉄粉を撒き散らすことも少なくなったのでしょうか。
昔の電気機関車なんかも、走っているだけで鉄の臭いがした気がするし、電気機関車牽引の旧型客車に窓を開けている夏に長時間乗っていようものなら、全身が鉄臭くなってしまいました。
ディーゼル機関車なら、プラス排気ガスの臭いも。
ローカル線のあまり保守管理がされて線路なんかは、赤茶色なのが線路の石の色みたいな感じでしたし。
バラストの色だけでも、昔よりも鉄道は進化しているのでしょうか。
そういえば、バラストの色に関連して、昔の列車のトイレは垂れ流しで、線路際で写真を撮っていると、霧のようなしぶきを浴びたことも何回か・・・。トイレではなく洗面所の水であることを祈りました。
また、列車に乗り窓を開けていると、窓からも微妙にしぶきを感じることも多々ありました。後ろよりも前寄りの車両に乗った方が良いという常識もそういえばありました。トイレの水を浴びないから。
そして、線路上には溶けたトイレットペーパーや汚物そのものも落ちていました。駅構内の線路上にも紙と汚物がそのままあったり。上野駅でもそういう風景見たことがあります。
だから昔の列車のトイレには「停車中は使用しないでください」との注意書きがありました。若い人は知らないだろうなあ。駅構内に汚物を落とさないためだけど。
でもこれ、私は使用中に停車してしまって、そのときにちょうど出てしまったらどうするんだよ〜ってこともあって、「使用中は停車しないでください」なんて冗談を言ってました。
清潔にこだわりすぎの現代では考えられませんね。
いつ頃からだろう、「停車中は使用しないでください」って注意書きが列車のトイレから消えたのは。
新幹線は開業当時から、汚物タンク処理で、垂れ流しではありません。念のため。
現在、垂れ流しの列車トイレはないはずです。大井川鉄道の旧客はたしかトイレは使用できなかったはずでは。
今の私は、ウォシュレットがないと生きていけない体になってしまいました。 |
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今日は、東海道新幹線500系運転の最終日です。
ということで、名古屋から京都までの一駅、きのうの土曜日に乗ってきました。
名古屋駅は予想どおり、写真を撮る人、見物人がホームにたくさんいました。
ほとんどが親子連れか子供、または携帯で写真を撮っている素人さんばかりでした。
私も到着風景を撮ってから、最後に乗り込みました。
予想どおり、車内はたいした混雑ではなく、3人掛けがひとつだけだれもいなかったので、先頭の1号車自由席へ悠々と座れました。
乗車率は60%程度でした。
ホームからはたくさんの見物人が、お見送りしてくれました。
車内にはマニアらしき人もちらほらといました。
京都へ到着してさっそく先頭へ。名古屋駅ホームよりも若干、人が少ない感じでした。
京都駅の駅名標を入れて撮らないと。
先頭だけなら、今後も山陽区間で撮れるから。
でも、こういう撮り方している人がまったくいなくて、みんな先頭ばかり撮ってました。
最近の鉄道ブームは、素人の参加率が大変高くなってると感じます。
関西線の撮り鉄の侵入騒ぎも、分別のあるちゃんとしたマニア(?)の仕業ではなくて、ブームに乗ったにわか素人鉄ちゃんではないかと感じますが。
昔から私だって、線路際で写真撮ることは数多くやってきたけれど、こんな騒ぎに発展すること自体信じられません。
京都には約12分の滞在で、折り返しこだまに米原まで乗って、米原から大垣まではお得意の15時30分発117系8連に乗って帰りました。米原駅新幹線ホームで買ったワンカップの「富鶴」2本を飲みながら・・・
こんな京都往復が気軽にできるのも、名古屋−新大阪の新幹線定期のあるおかげ。
明日からは青春18族が湧き出すので、米原−大垣、鈍行の旅は4月10日以降までお預けです。
今日は最終日。
きっと、本当のマニアたちが最終日を盛り上げてくれるでしょう。
夜のニュースで、新幹線500系のぞみから引退と放送されると思っていたけれど、津波できっとすべて飛んだかな。
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先週の土曜日に、用もないけれど新幹線で米原まで往復しました。
行きは新幹線、帰りは在来線。
名古屋−新大阪の定期があるから、東海道線は乗り放題。
米原までの新幹線の車窓からは伊吹山がきれいでした。今年は雪が多いです。
米原に15時15分に到着して、帰りは東海道線、15時30分発、大垣行き。
この電車は117系で土日は8連なので、とても空いています。
空いているからこの電車を狙って、この時間に乗るのです。
米原からは各駅の駅名標を撮ることを課題としました。
(米原と大垣は撮り忘れましたが)
まず醒ヶ井
117系の車内は、ゆったりしていて落ち着きます。
近江長岡
ピンボケです
近江長岡−柏原間には残雪が
米原で仕入れた、ひこにゃんのワンカップ
実は2本目。みやげに持って帰ろうと思っていたけれど、米原から飲み始めた1本目がすぐになくなってしまって・・・
柏原
柏原−関ヶ原間で、新幹線と交差します。
30分ほど前はこちらの下の線路を通りました
関ヶ原
垂井
大垣まで約35分の快適な酔っ払いの旅でした。
大垣から乗った豊橋行きの車内から撮った、岐阜駅前の金ピカの織田信長
岐阜市民の評判はいかに?
中部地方は金ピカ系がお好きなようで・・・
今度は名古屋から米原まで降りたことのない駅を1駅ずつ降りる旅を計画しているのですが。
降りたことのないのは、
垂井、関ヶ原、柏原、近江長岡、醒ヶ井。
結局、大垣−米原間だけでした。
ちなみに米原から先、京都までで降りたことのあるのは、
彦根、能登川、近江八幡、野洲、守山、草津、石山、膳所、大津、山科。
膳所以外、新快速停車駅でした・・・
篠原なんか、車内から見ていると良い雰囲気に感じるので、一度降りてみたいです。
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赤錆
新幹線の消雪用スプリンクラーは、大垣から野洲間に設置されています。
水源は沿線の地下水を利用していますが、琵琶湖付近の地下水には鉄分が多量に含まれています。
だから、滋賀県の近江八幡付近から野洲付近にかけてでは、鉄分を含んだ水をばら撒いているので、鉄分が錆びて防音壁が赤茶色になってます。
それも、野洲までで、東海道線の野洲の車両基地のあたり、正確にはダイハツの寮か社宅のビルが遠くに見える付近までがスプリンクラーの設置区間なので、そこを過ぎた途端に防音壁は元のグレーに戻ります。
近江八幡付近
錆びで赤茶色に染まった防音壁
彦根付近
2枚とも同じ列車内から撮ったものです。
1月29日の架線事故
新横浜−小田原間で架線の断線による事故がありました。
久々のダイヤめちゃくちゃ。
私はたまたま休みで、大垣まで行くのに名古屋から米原までこだまに乗って、米原から大垣までは在来線で行くという、遊びを兼ねた行きかたをしました。
名古屋駅では上りはストップしてましたが、下りは定時に動いていました。
米原までの間、上りの新幹線とは1本もすれ違いませんでした。
岐阜羽島、米原では、予想どおり、通過線、退避線とも並んで停車してました。
岐阜羽島駅に3本停車しているのわかりますか。
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あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
新年は雪景色で迎えた、名古屋でした。
元旦は一日中、粉雪がときおり舞う、寒い一日でした。
今日2日も、天気予報は外れて朝は雨、そして日中は一日中曇りで、夕方になりやっと時折、陽が差してきました。
最高気温も予報は8℃でしたが、たぶん4〜5℃だったのでは。
隣のスーパーも2日から営業です。
豆腐とかパンとか生鮮品はいつものようにあります。
店員さんをはじめ、それを作る業者や配送にたずさわる人は、正月休みもないのでしょう。
私が小さかった頃からたぶん高校生の頃(昭和50年代)までは、たいがいの店は三が日は休みで、5日か6日から始める店も普通だったし、休み明けも生鮮品はろくになかった覚えがあります。
昭和の時代の方が、今よりもにぎやかで社会も激動していたはずなのに、現代の方が余裕がありません。
デパートの福袋も結構だけど、せめて元旦くらいはすべての店は休んで欲しい。
スーパーとかは三が日は休んでいいのでは。コンビニなんか昔はなかったし。
そういう不便があったのが、正月の良いところだったのでは。
元旦から配送トラックが走っているのを見ると、気の毒です。
今の時代、仕事があるだけ幸せなどという理屈もあるのだろうけれど、昭和の時代の方が幸せだったのではないでしょうか。仕事もたくさんあったのでしょう、今よりも・・・
競争と効率化、コスト削減、それで世の中の余裕はどんどんなくなっていきます・・・
事業仕分けで徹底的に無駄を削り、消費は減り給料も減り雇用も減り、これでは景気がよくなる訳はないと思うんですが。無駄=余裕、これって間違ってますかね。
新年早々の愚痴ばかりではいけませんね。
今年が良い年になりますように。 |
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よいお年を
今日は大晦日。
大掃除も昨日までに終わり、今日は余裕。
早朝6時半にうちを出て、地下鉄に乗って、名古屋駅前の柳橋商店街へ行きました。
大変な人出でした。それを楽しむように店をひやかして見てまわりました。
カニとかマグロは昨日のうちに、近所のスーパーで買っているので、
目的は出汁まき玉子。
なかなかおいしいのが安く手に入り満足。
あとは海苔とかそばとか買って、帰りました。
柳橋は大混雑だったけれど、名古屋駅や地下鉄はガラガラ。
午前中からおらち料理作りをはじめ、夕方5時にはすべて完了。
これがおせち。↓
揚げ物あり、牛肉ありのなんでもありです。
嫌いなものは入れません。
夕方は、うちの隣のスーパー(ピアゴ)へ、値下げの偵察へ出かけ、それでも時間があるので、
ホームページの更新をする余裕もできました。
さあ、これから風呂に入って、大トロとカニで大晦日の大宴会のはじまりはじまり〜。
紅白観ながら、酒を飲む、一年で一番幸せな日です。
今日のために、越乃寒梅の一升瓶を買っています。
では皆さん、よいお年を〜 |
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24日、25日も金沢出張でした。
帰りのしらさぎ号車内から、南今庄駅通過を撮りました。
先週の金曜日、18日に撮影したときはホームに雪があったけれど、今回はありません。
しかし、まわりの積雪量は半端ではありませんでした。
南条駅前後が一番積雪が多かったです。
18日とほぼ同位置でシャッターを切れました。(自慢)
12月28日も仕事です。
あと一日で今年の仕事もおしまい。
大掃除をして、家をきれいにして、楽しい大晦日とお正月が待っています。
酒、酒、酒〜 |
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冬です
新幹線から見る伊吹山は、先週初冠雪したかと思ったら、週末はドカ雪となりました。
21日月曜日の朝、新幹線は大垣〜野洲の間、スプリンクラーが作動してました。
18日、金沢出張から帰りの北陸本線は大幅にダイヤが乱れてました。
金沢駅での発着はJR西と貨物の列車を優先しているようで、サンダーバードは20分程度の遅れで来るのに、金沢始発のJR東海のしらさぎ号米原行きは、始発にもかかわらず(わざと?)1時間遅れにさせられました。
雪の南今庄付近の写真です。この辺りが北陸本線(米原〜金沢間)では、標高も高く内陸部を通るので、一番雪が多いです。
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東京からの帰りにて
在来線で熱海まで、熱海から新幹線で名古屋に帰りました。
田町−品川間にある東京機関区跡地は、最近までは細々とEF65やEF66が留置してました。
しかし、今年3月に機関車牽引のブルートレインが全廃されたことから、東京口に旅客用の機関車が来ることもなくなり、存在意義が消えたのでしょう。
機関庫や建物がすべて撤去され、跡地の整地工事がされていました。
久々に乗った東海道線下りの車窓から見た風景はさびしかったです。
あの跡地はどのように変わるのでしょうか。
重厚な客車列車、関西−東北や東京−東北・北海道路線は客車のブルトレが生き残っていますが、いずれすべてが全廃されていく予感がします。
平塚駅停車中に貨物線を猛スピードで追い越していった、EF66牽引のコンテナ列車が迫力ありました。走行音は汽車そのもの。
さて、熱海までは今回、国府津と根府川で途中下車しました。
きっぷは函南までの乗車券を持っています。
皆さん知ってますか。熱海までは東京駅から104キロあります。だから熱海まで乗車券を買えば途中下車ができます。しかし、これは昔の常識。今は熱海から伊東線までが「東京近郊区間」に入ったため、相互駅間の乗車券では途中下車できないんです。
だけど東京から熱海までも、函南までも運賃は同じ。だから函南までの乗車券を買えば値段はいっしょで、途中下車し放題となります。
これもすべて、スイカのせいでしょう。スイカでは途中下車という概念はないので、スイカの使用範囲の駅はすべて東京近郊区間とされました。常磐線はなんと東京から200キロ以上ある「いわき」までがなんと東京近郊区間だとさ。上越線も水上まで・・・。
あともうひとつの知恵。
東海道線のグリーン車はスイカで乗車できますね。他のグリーン車に乗り換えることもできます。だから、乗車券で途中下車を続ける限り(スイカで駅の改札を出たらもちろん無効となりますよ)、グリーン券相当分は何度グリーン車を乗り換えても使えるのです。だから東京−熱海間のグリーン車をスイカで買っておけば、途中下車を何度してもグリーン車に乗り継げます。だから、国府津からも根府川からもしっかりとグリーン車に乗車しました。
さて、熱海では駅前で干物などのみやげを買ってから、新幹線に乗ります。
前回、JR東海のエクスプレスカードが熱海駅の窓口で使えず往生したので、今回はEX-ICにしました。これなら、スイカなんかで在来線の改札を入って、新幹線改札でスイカとEX-ICを重ねて入ることができます。改札を入った時点で前引きされる額はもちろん帰ってきます。しかし、オートチャージに設定してあったので、熱海の改札をスイカで入った時点でチャージされてしまいました。まあ仕方ないでしょうか。
東京−名古屋間はあまり乗車する機会もありません。昔に比べて景色もだいぶ変わりました。特に風力発電の風車がやたらと増えたように感じました。
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先日、金沢出張で時間が空いたので、北陸鉄道石川線に初めて乗りに行きました。
きっかけは、終点の加賀一宮と鶴木の末端区間が廃止されるというニュースを聞いたからです。
金沢駅からバスに乗り、始発駅の野町駅まで行き、途中の鶴木止まりの電車に乗り込みました。
石川線は昼間は、鶴木止まりと終点の加賀一宮行きが交互に30分間隔で走っています。
鶴木駅では、次の電車までの約30分で街中を散歩しました。
終点の加賀一宮駅は、予備知識ゼロでしたが、鄙びた駅で、しかし駅舎は重厚で歴史を感じる、とてもよい雰囲気でした。
最近のJRの駅はローカル線では、改装したり建て直したりで、全国どこへ行っても画一的なしゃれた(つまらん)駅舎が増えて、面白みには欠けていますが、今は私鉄のローカル線の方が味がある駅が残っていると思います。
加賀一宮駅 終端部から
線路は草生してます。
ホームは昭和から時が止まっているようでした。
重厚な駅舎
加賀一宮からの折り返しの電車内には、平日にも関わらず鉄道ファンが10人程度いました。
そのうち3名は、一人旅の鉄子さんでした。
加賀一宮駅でも、折り返しの約20分にたくさん写真を撮ったりしていました。
鉄子さんブームは確かなようで、私が全国の鉄道を乗り歩いていた学生時代(25年前くらい)は、女性の鉄道マニアは、まして一人で行動している女性など皆無だったことを思うと、世の中は変わったようで・・・
すでに廃止された名鉄の揖斐、谷汲線に似通っているなと感じた、北陸鉄道石川線でした。
公共交通の維持のためにも、地方のローカル鉄道にはがんばってもらいたいものです。
高速道路をタダにするために税金をつぎ込むくらいならその金で、地方の公共交通、鉄道やバスを維持するために税金を使ってほしいと、声を大にして言いたいです。
高速道路無料化、絶対反対!!!
ついでに休日1000円もすぐにやめてくれ!
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JR東海のテレビCM。
最近観なくなったけれど、OLさん3人組が東京へ新幹線でお得な旅をするという内容のもの。
あれ、東海と関西でまったく同じものが放送されているのだけど、言葉が東海バージョンは標準語で、関西バージョンは思いっきりベタな関西弁なんです。人も絵もまったく同じなんだけど、まるで外国映画の吹き替えみたいなことをやっています。
東海バージョンはぜひ、名古屋弁で作製していただきたかったものです。
関西人は関西弁に誇りを持ち、隠すことはしないけれど、東海地方では方言は隠そうという奥ゆかしさが風土的にあるのかな。
ちなみに、名古屋の河村市長の名古屋弁は変です。
あんなしゃべり方する人は、年配者でもいません。変に誇張しすぎです、あの人は。 |
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新幹線に毎日乗っていて不快なこと
その1
「パソコンのキータッチ音」
車内でパソコンを使っている人が増えています。
あのキータッチ音、かなり耳障りです。
カタカタカタっと連続した音、そして時折、パチッっとエンターキーを叩く音がひときわ強く響く、そのリズミカルな繰り返しが延々と続きます。
とーても、気になります。
あ〜、まだ車内で携帯でしゃべっている奴の方がマシだ。通話ならすぐに終わるから。
N700系は、ご丁寧にも窓側全席にパソコン用電源まで配備して、車内でインターネットまで使用できる環境を整えているが、そのうち禁パソコン車を設定せよと言う声が間違いなく出てくるだろう。
N700は、全車禁煙にしたことはとても評価できるが、窓の小ささといい、カーブでの傾斜装置のためか足元の台車からカチカチと変な音が絶えずうるさいことといい、好きになれません。
大窓の100系が一番よかったです。
その2
「鼻タレオヤジ、増殖中」
車内で鼻をすする音がやたら増えている気がします。
それもいい歳したオヤジがです。
しかも、アレルギー性鼻炎の水ッ鼻ではなくて、蓄膿症なんじゃないかと疑いたくなるような、濃厚なズルズル音。
昭和30年代までの鼻たれ小僧そのものです。あの頃のガキ共は、シャツの袖が鼻水ふき取ったあとでテカテカになってたっけ。
オヤジのマナーが低下しているのか、そんなこと気にしなくなったのか、風邪でもないのに無神経に鼻をすする音が多い気がします。
ちなみにうちの職場の部長も、いつもその濃厚音で鼻をすすっているので、イヤです。耳鼻科に行ってください。 |
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日食
7月22日(水)、部分日食が全国で見られました。
8割くらい欠けることはめったにないことなので、休みを取って自宅で見ました。
前回、部分日食を真剣に見たのは高校生のときでした。
それから現在までの間、部分日食は何度でもあったけれど、国内で皆既日食が観察できること、最大食が8割ということで、休みをとってでも見ようとなった次第です。
観察用の日食メガネのたぐいは、ことごとく売り切れていました。
さて、当日は朝から曇り。どうなることやらと思ってみていると、雲の切れ間から時折太陽が見えます。
雲がフィルターの役割をしてくれて、見えやすいです。
一応、昔使った白黒フィルムの現像済みの黒い部分を持っていたので、それも利用して観察しました。
最大食の時刻は午前11時7分でしたが、この時は完全に雲に隠れていて見ることはできませんでした。
写真は11時20分頃です。
曇っていたので、特にフィルターとか使わずにコンパクトデジカメで撮影できました。
皆既日食をぜひ見てみたいです。 |
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倶利伽羅駅
先日、金沢出張時に時間が空いたので、倶利伽羅駅へ行ってきました。
かれこれ20年以上ぶりくらいの訪問です。
駅前のたたずまいも、駅舎も変わっていないような。
赤い円柱型ポストも健在でした。
駅のページに以前の写真があります。見比べると、外壁の色と駅名表が変わっているかな。
駅は石川と富山の県境にあるので、良い感じのローカル駅です。
ホームには昔からの表示も。
特急が5分間隔くらいの感じで、猛スピードで通過していきます。
ホームの端で写真を撮っていたら、偶然にも、すれ違いで特急が並ぶ姿を撮れました。
なかなか重ならないものです。
0.5秒ずれてもだめですから。
駅付近を歩いていると、昔のままのレンガ積みの構造物が。
最初は、40分程度の滞在で、折り返し金沢へ戻るつもりでしたが、なかなかおもしろくて、結局、電車を1本遅らせて、1時間40分程度の滞在となりました。
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インフルエンザ騒ぎ
この1週間、大阪市内、新大阪駅でも、マスク率90%でした。
私は毎日、新幹線で名古屋−新大阪間を往復していますけれど。
新大阪駅で地下鉄改札からはきだされてくる人たちも、駅構内の通行人も、
マスク、マスク、マスク・・・
駅内の店の店員さん、駅員もすべてマスク着用。
異常です。
新大阪や京都の新幹線ホームの人たちも、名古屋駅で新大阪からやってきた新幹線に乗る、名古屋から乗る客も、マスクばっかり・・・
関西に旅行に行った人が関東でも発症しているけれど、大阪人はみんな元気に歩いています。
関東から来てわずか数日の滞在の旅行客が関西に来て感染してしまうなら、関西地方の人たちは大半が感染して発症していても不思議ではないはず。
東海道線の新快速は、たくさんの人を乗せて何本も、米原−姫路・網干間を往復しています。
大阪や神戸・兵庫の空気は確実に滋賀、京都の乗客も吸っているはず。
それにしては感染者数は少ないんじゃないの、関西に行った関東人が発症したからと言ってそう大騒ぎしなくてもいいのではと思います。
それともこの週末にみんな発症して、週明けは感染者だらけになっているのかな?
私は特に注意していません。
マスク売り切れだし・・・
帰りの新幹線内では、アルコールで喉を消毒しながら帰っています。
この騒ぎで、この一週間の新幹線のぞみ号の乗客数、激減していました。
金曜日夕方東京行きのぞみ号ですら、自由席1号車は10人も乗っていませんでした。
名古屋のホームで東京行きの到着を待つ人の列もありませんでした。
楽でいいです。 |
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新大阪への通勤も1ヶ月がたちました。
のぞみは頻繁に走っているけれど、こだまに乗ったほうがなんとなく楽しいです。
この前、帰りはこだまに乗ったら、米原のキオスクに顔なじみのおばちゃんの姿が。
のぞみの通過待ち時間にホームに降りて、あいさつできました。
のぞみが高速で通過していきました。いつもはあっちに乗っています。 |
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先週から今週にかけてほとんど毎日、送別会やらの飲み会続きでした。
ふだんどおりに米原乗り換えで新幹線で帰ることもほとんどありませんでした。
来週月曜日も飲み会なので、米原駅で常連となったキオスクに寄ることももうできません。
そうなんです。4月から大阪へ転勤となったのです。
名古屋から新大阪まで、懲りずにこれからも新幹線通勤を続けます。
今度は本格的な新幹線通勤。
名古屋−新大阪間、N700のぞみ号なら最速48分。
本数も多いし、通勤時間はこれまでよりも大幅に短縮。
しかし、フレックス定期の金額には泣かされます。
先週は本社出張のついでに飲み会のあった京都から「きたぐに」に乗車。
翌朝到着の長岡から越後湯沢まで上越線の旅。
沿線に雪はほとんどありませんでした。
京都駅へ入線するきたぐに号
新幹線乗り換えの越後湯沢駅構内の屋台でカニ汁を食べました。一杯300円。
ついでにまだ乗ったことのないガーラ湯沢駅まで往復しました。
そして大宮駅までMAXたにがわの2階席へ乗車。
狭いですね、あの3×3のシートは。
初めて乗りました。
聞いてはいたものの、あれほどとは思いませんでした。
あれじゃ、223系の向かい合わせ部分の4人ボックス席がはるかに居心地良いです。
205系車両端っこの3人掛けよりも狭いのではと思いました。
幸い隣には大宮まで誰も座りませんでしたが、通勤時間帯だとあの狭い席に大人の男が3人並んで座るんでしょうかねえ。
でもひとつだけ良い点が。
3人分座席が繋がっているためリクライニング機構がないのです。
ちょうど良い角度で固定されているという点は、フランスのTGVにも共通するもので、とてもよいことです。
へたにリクライニングするという中途半端な贅沢?な機能をつける小細工が日本人は好きなようで。
そして、ついている機能は全部使わなければ気がすまないせこい人ほど、背もたれを全部倒して満足しているような気がするというのは言い過ぎですかね。
毎日新幹線に乗っていると感じます。
前に座った人が一番奥まで倒されるとうっとおしいので、固定は賛成です。
私はちょうど良い角度まで倒して座ります。直立状態では通常の角度ではないので。でも、遠慮深いのか知らないのか、直立状態で座っている人もたまに見かけます。
だから、そういう慣れていない人もためにも、最初からちょうど良い角度で背もたれは固定にしておくべきで、半端なリクライニング機構は必要ないと思います。
グリーン車は別だけど。 |
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1988年3月13日青函連絡船最期の日、それから21年、今。
昨日は3月13日、青函連絡船の廃止と青函トンネル開業の記念日でした。
今、2009年3月13日、東京を発着する寝台特急の最後まで残された、はやぶさ・富士号の最期の日となりました。
まさか東京発着のブルトレが全廃になるとは、21年前には想像できませんでした。
昨日は名古屋駅で、最期となる東京からのはやぶさ富士号を見にいきました。
小さい頃から、両親のいなかの佐賀まで毎年、寝台特急さくら号で帰省していたことから、私は寝台特急の虜になり、そして鉄道ファンになりました。
九州へ北海道へ、飛行機などなるべく利用せず、今まで鉄道を利用してきました。
だけど、時代の流れで、鉄道利用者は減り続けて、こういうことになりました。
さびしい時代です。
余裕という言葉を失っているのが、現代ではないでしょうか。
名古屋駅に到着した、はやぶさ・富士号
たくさんの人でした。
しかし、最近は女性のマニアが増えましたね。
あと、鉄道マニアではない素人の含有率も増えています。
昔はこういうイベント時には男率100%だったけれど。
これも男女平等社会の表れか。
女性の鉄道マニアの含有率が50%になったら、真の男女平等社会かな。 |
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日本酒
最近、日本酒ばかり飲んでいます。
毎日の帰りの新幹線、米原駅では弁当屋さんでワンカップの熱燗を買って、ホームで1/3ほど立ち飲みしてから新幹線に乗り込みます。
若い頃は最初から日本酒の熱燗を飲むなんて考えられなかったけれど。
うちでも2リットル入りの紙パックの酒が1週間でなくなります。
その分ビールの量は減りました。
なんで日本酒はうまいんだろうと思う今日この頃。
ただの飲んべえです。
今日は休肝日?ということで、新幹線の1本で終わり。 |
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Qちゃん
名古屋国際女子マラソンを見物しました。
コースは自宅のすぐ近く、名古屋市桜山の環状線を通ります。
毎年沿道で見ています。
見物人はたくさんいました。
高橋尚子を目の前でばっちり撮影しました。
往路7キロ地点付近
帰路ゴール手前3キロ地点
終始笑顔でした。
本気モードじゃなくても3時間を切る程度のペースだと、こんなにも楽だなんてやっぱり常人ではない。
普通の人なら、フルマラソン3時間切るなんてすごいことですよね。
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今年は暖冬
今年は雪が少なかったです。
今年、2009年2月28日の伊吹山
昨年、2008年3月1日の伊吹山
朝の新幹線も、雪の影響での徐行での遅れは、今年は2〜3回くらいしかなかった気がします。
もう今年はこのまま春になるのでしょうか。
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緊急停車!
今朝、6時47分、福井県嶺南を震源に地震発生。
私が乗っていた新幹線こだまは、垂井市内から関ヶ原に向かうところでした。
雪の影響で関ヶ原付近は徐行すると、名古屋を発車時点で車内放送があった。
スプリンクラーの水を浴び始めた頃、こだまは減速しはじめた。
しかし、雪はたいしてないのに、速度は270から220、170、150、120と下がっていく。(体感)
あれ〜、徐行しすぎじゃないのと思っていると、70、50、30、あらら、止まっちゃった・・・
雪で止まるか〜、と思っていると、
「岐阜羽島−京都間、停電のため停車しました」とのアナウンス。
なんで〜。
すぐに「敦賀付近で地震が発生したため、停電しました」とのアナウンス。
あ〜、P波検知で自動停車かと。
初めての経験でした。
新幹線の非常停車。地震検知で。
でも、止まり方は、普通に駅に停車するのと変わりなく、滑らかな減速でした。
7分後、新幹線は動きはじめました。
米原駅の乗り換え、1分40秒。
走りました。
間に合いました。。
ふ〜。
関ヶ原付近に停車中
スプリンクラーの水を浴びています
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最近ぜんぜん更新しなくて、どうもすいません。
今年は暖かいです。
1月下旬に雪が降って以来、2月になってから寒い日があまりありません。
今日も昼間はぽかぽか陽気でした。
昨年の今ごろは大雪で、米原−関ヶ原のスプリンクラーもフル稼働していたけれど、今はまったく雪もなく、真冬とは思えません。
まあ、雪で新幹線が遅れないから助かりますが。
スプリンクラーフル稼働中の米原駅
今年の元旦の夜です。
家で飲んでいて酔っ払った勢いで、夜、米原まで新幹線で行ってとんぼ返りしました。
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最近の新幹線の車販で売っている日本酒は、缶のボトルに入っている変なものしかありません。前は普通のワンカップだったのですが、今はなんか「ウコンの力」みたいな容器なんです。
これだと雰囲気まるでなし。二日酔いにウコンの力を飲んでいるみたいです。
私は、冬の間はいつも、新幹線米原駅ホームの弁当売店で熱燗を買っています。昔ながらのガラス容器のワンカップ。日本酒はこれに限ります。
米原の弁当売店のあるおばちゃんは、私の顔を見ると、「お酒温めておいたよ」って、声をかけてくれます。いつも買ってくれるからだって。
だけど熱燗がない(保温庫に暖めていない)ときもあるので、そういうときはもうひとつの常連のキオスクで、缶ビールを買います。 |
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昨日は滋賀県は雪でした。
朝一番の新幹線名古屋駅上りホーム下には、関ヶ原を通って到着した新幹線の足回りの雪落とし部隊が登場していました。たぶんこの冬、初出動です。
6時30分発のこだまは、垂井付近を過ぎるとスプリンクラーの水をかぶりながら走りましたが、雪はそんななくて、ほとんど減速もなかったです。
本当に大雪だと、70キロ程度まで徐行するので、米原駅到着が10分近く遅れます。
ホーム下に作業員がいます
仕事納めの夕方、帰りは東海道本線の能登川−安土間で雪のため倒木があり不通に。野洲駅で折り返し運転をすると。
ポイント凍結も発生したとの駅の放送。今年最後についていない。
こりゃだめだ長期戦になるなと、一計案じて大津へ逆戻りして下車、駅前の養老乃滝でたらふく飲んで京都からN700のぞみで帰りました。
年末、仕事納めの金曜日、新幹線は帰省する単身赴任のお父さんサラリーマンでさぞや大混雑すると思うでしょうけれど、昨年の例もふだんの金曜日より格段に空いているのを経験したのですが、案の定、京都からの上りのぞみ号自由席は空いていました。最後に乗ったのに3人掛けの窓側に楽勝で座れました。3人掛けに誰もいない空席はいくつでもありました。
通過する米原付近では外の線路は雪にうずもれているのを虚ろに見たような気がするけれど酔っ払っていたので気絶して、次に気が付いたときには名古屋に到着していて、降りる客の音で気が付いて新幹線を降りました。 |
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新幹線で東京往復しました。
帰りは東京から熱海まではsuicaで在来線に乗り、熱海で下車して駅前のみやげ屋で干物などを買いました。熱海は結構な賑わいで、一昔前よりも繁盛しているような気が。
さて、熱海から名古屋までの新幹線、携帯でエクスプレス予約しているので、券売機で切符を手に入れるだけのはず。
ところがなんと、熱海駅、JR東日本なんですね。駅の外では券売機でもみどりの窓口でも、エクスプレスカードで予約したキップは扱ってないんです。
いったいなんなんだと思い、改札へ行ってどうすればいいんだと聞くと、なんか「エクスプレスカードで予約した人用入場券」みたいな白い紙をくれて、これで改札内の新幹線乗り換え口でキップを手に入れてくれということでした。
はあとそれを受け取り新幹線乗換え口へ、当然ここはJR東海、券売機は2台しかないが、エクスプレスカード予約引き換えのボタンを押す。
すると、ここまでの乗車券を入れてくださいと、機械は言う。
乗り換え口だから当然といやそうなんだけど、こっちは「白い紙」で入場していて当然、この駅までの乗車券なんぞ持っていない。
あーもう、と思い、窓口へ。
窓口でやっときっぷを引き換えることができました。
なんて面倒くさい駅なんだ、熱海駅。
いいかげんJR東海の新幹線用券売機を駅の外に設置しろと言いたい。
熱海はたくさんの観光客が新幹線を利用するだろう。
JR東海と西日本はちゃんと連携とれているぞ。
熱海と同様の東海と西日本の境界駅で、在来線は西日本の管轄の米原駅は、駅の外でもエクスプレスカードは何ら問題なく使える。
新幹線駅でなくても、西日本の駅は在来線のどこの駅でも券売機でもJR東海のエクスプレスカードが使える。
JR東日本、使えねぇ〜 |
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ひさしぶりの書き込みです。
ネタがありませんでした。
毎日乗っている新幹線。
朝は毎日同じ号車、同じ座席に座っています。
そうすると、この編成は何度も乗っているなと気付きます。
窓の仔細な傷や汚れが記憶に残っていたりして。
300系が何編成あって、同じ時間のこだまにどのくらいのサイクルであたるのでしょうかね。
米原からの姫路行き新快速も同じ車両の同じ席。
まわりに座る客は、だいたいなじみの人が何人かいます。
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今日は始発から新幹線は大混乱。
名古屋始発の新大阪方面は、めちゃくちゃ。
6時30分発のこだまは、一時間たった7時半を過ぎても入線するめどすらない。
博多行き二番電車となる6時50分発のぞみ号が、7時20分頃入線した。
ホームの放送が、岐阜羽島、米原も臨時停車すると言うので、仕方なくそちらに乗った。
名古屋発の時刻はとっくに過ぎているのだから、空いている指定席は京都まで誰も乗ってこないことは明白なので、適当に空いている席に座った。
しかし、指定券を持たない客はほとんどが、空席はいくらでもあるのに律儀に座らずにデッキや通路に立っている。
そして、自由席はすし詰めの満員である。
私はどうせ米原までだから、堂々と指定席に座った。
こんなときは車内改札などするわけがない。
N700系に乗れて、米原臨時停車したのだから、なんとなく得した気分だった。
米原からの自由席車両は、すし詰めで乗り切れず、他の車両から乗るための客が大挙してホームを走っていました。
どうせ遅刻は決定しているから、米原駅ホームでのんびりと写真を撮ってから、在来線ホームへ移動しました。
米原に停車したN700系のぞみ号
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おととい土曜日、休日出勤は午前中で終わったので帰り道、彦根にある近江鉄道ミュージアムなる所に寄り道しました。
近江鉄道の電車や昔走っていた(休車中)電気機関車、資料などが展示してあるところです。
入場券は硬券で200円也。
好きな鋏を入れて良いとのことで、M型のを自分で入鋏した。
自動改札全盛の今、鋏を入れること自体、レトロになってしまった。
展示物自体は地味なものだったけれど、それなりに楽しめた。
本物を運転できるようなことができたら、大繁盛間違いなしだけれど。
なぜか「ひこにゃん」もいました。 |
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ちょっと前の話。
帰りの米原行きの車内にて。
南彦根で、車内に残っている少ない乗客のその半分くらいが降りたのと入れ違いに、携帯電話で大声で話しながらおばちゃんが乗ってきた。
「ドアが閉まります」「次は彦根に止まります」この電車は特に車内放送の音が大きいかったのはたしかである。
そのおばちゃんはでかい声で、「あーうるさいわー」「電車の音がうるさいのよ」なんて言いながら携帯にしゃべっている。
「おい、うるさいのは車内放送ではなくて、あんたや!」と、おもわず突っ込みたくなりました。
そのおばちゃんは、ひと駅、彦根で降りていきました。 |
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朝の、空いている新幹線こだま号車内にて。
おばちゃん2名と子供連れ計5名が乗ってきました。
席はどこでも空いている。
いったん3列シートを向かい合わせにしたが、「ここ9番、いやだわ。そっちの10と11がいい」と言い、わざわざ席を戻して、10番シートを向かい合わせにしました。
そこまで、こだわるかねぇ。
4とか9が苦手なんですね。
私はまったく、そういうことには無頓着です。 |
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今日は、「ビアホールの日」です。
サッポロライオンチェーンのお店は、生ビールがすべて半額です。
この日は私、毎年仕事は休んで、名古屋の浩養園に飲みに行くことになっています。
今日の名古屋は最高気温37.9℃、夕方になっても暑かったけれど、浩養園のビアガーデンは最高でした。
大ジョッキ5杯飲んでも半額2500円、一杯500円、何て幸せな一日でしょうか。
ほどよく酔っ払って、最高。
やっぱり、サッポロビールはおいし〜い!
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米原駅常連さん
毎日帰りに、米原駅新幹線ホームのキオスクで、キリンラガーのロング缶を買っています。
キオスクの店員のおばちゃんとは、顔なじみになっています。
お帰りなさいと声をかけられたりして、ちょっとうれしいです。
新幹線のホーム売店で、常連さんになってしまって、うれしい限りです。 |
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長野新幹線
先日、長野新幹線に乗りました。
のろいです、長野新幹線あさま号。
長野から軽井沢までの距離75.6キロ。かたや米原−名古屋間は、79.9キロ。
私が乗ったあさまは、33分を要した。途中停車駅は上田と佐久平の2駅。
米原、名古屋間のこだまは、途中岐阜羽島1駅の停車であるが、所要28分。
こだまは羽島でのぞみ退避で約3分停車する。長野新幹線に追い越し待ち退避はない。
長野新幹線は、距離は短いのに、こだまより明らかに遅い。
施設は長野新幹線の方がはるかに新しく、スピードは出せるはず。
あさまは長野発時刻がバラバラだし、停車駅のパターンもめちゃくちゃ。
東海道はみごとなパターンダイヤで、わかり易い。
私が乗ったあさまは高崎通過だけれども、高崎から大宮も体感的には150キロ程度で走っているんじゃないかと思うくらい、のろかった。200キロ程度は出ているのだろうけれど、毎日、270キロで走る東海道新幹線に乗っている身には、とてつもなくのろく感じました。
それで、東京駅には定時に到着するのだから、JR東日本は新幹線のダイヤ、手抜きしてるんじゃないかと思いました。
ひと昔前の東武東上線のやる気のない走りを彷彿させる走り方が、東日本の新幹線のスピードと重なりました。
性能は、東海道の300系よりあさまのE何系だっけ、知らないけれど、そっちの方が横軽(高崎−軽井沢)の急勾配を難なく上る高性能ではなかったかな。 |
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東海道新幹線は正確無比
毎日乗っている新幹線。
毎日すれ違う列車は、定点からプラスマイナス100メートル程度しか誤差がない。
これはすごいことです。
270キロで走る列車同士、相対速度は500キロ以上。
どちらかが1秒でも早かったり遅かったりしたら、相当すれ違う位置はずれてくるはず。
それが毎日ほとんど同じ場所ですれ違う。なんてすごいことでしょうか。
帰りのこだま、岐阜羽島でのぞみに追い越されるのだけれど、それもほぼ通過するのが毎時43分10秒なんです。乗っている号車は毎日同じでので、同じ場所。プラスマイナス2秒くらいしか、毎日の誤差はありません。
うちの職場の会議開始時刻も、新幹線並みに正確に始めてほしいものです。 |
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今日もやっぱり酔っ払い。
いつも帰りの新幹線の中で、このホームページのネタを考えて、いろいろと思いつくのだけれど、帰ってくると完璧忘れています。
今日は、夜8時から、NHKの歌謡コンサートを観ました。
演歌が多い番組です。
私は、最近の音楽よりも、演歌を聴いた方が落ち着くようになってきました。
だけど今日は、トワ・エ・モアが出演していて、「虹と雪のバラード」を歌いました。
私が小学校3年生のときの、札幌オリンピックの歌です。
懐かしい、そして、とっても好きな曲です。
今は、カラオケの持ち歌です。
私が初めて、母親にねだって買ってもらったシングルレコードがこの「虹と雪のバラード」です。
ちなみに、初めて買ったLPレコードは、高校1年生のとき買った「ポール・モーリア」です。
変な子供ですね。
番組はそのあと、外人さんが、本田美奈子が歌っていたアレンジの「アメージング・グレース」を歌いました。
なんか、いろいろと思い出して、泣けてきてしまいました。
今日は、とってもうれしい便りがありました。
いろいろと昔を思い出して、酒を飲んでしまいました。 |
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連休最終日、引きこもり気味の日々を打開するため、信楽へたぬきを見に(買いに)行ってきました。
米原までは新幹線定期券があるので、そこからは近江鉄道と信楽高原鉄道が一日乗り放題となる「びわこ京阪奈フリーきっぷ」なる切符を利用しました。これは1000円でかなりのお買い得なきっぷです。
近江鉄道はかなり古い施設が多く、駅など良い雰囲気で、乗客数も典型的ローカル線で、のんびりできました。
もっとも、米原から貴生川まで1時間半はかなりの長時間乗車で、さすがに疲れます。車両はロングシートだし。
信楽高原鉄道もほどほどの乗車率で、信楽駅前で陶器市みたいなイベントを開催していた割には、落ち着いたものでした。
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昨日の土曜日、久しぶりに東海道本線、柏原−近江長岡間に寄りました。
本格的な撮影機材は持たず、コンパクトデジカメだけ持って行きました。
沿線では、新幹線と桜を狙った鉄カメたちが何人かいました。
なぜか在来線よりも新幹線狙いが多かったです。
昔は新幹線なんか撮影している鉄チャンはいなかったのになあと思って見てました。
私は東海道線の117系普通列車なども撮ったりしたけれど、新幹線マニアは三脚を固定して、新幹線のみを撮ってました。
なぜだか偶然に、通称「ドクターイエロー」、総合軌道検測車が来たのでラッキーでした。
たまにはEOS−1を持って撮影に行かなければと、過去鉄の血が騒ぎました。
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名古屋の桜は散り始めました。
滋賀県も先週木曜日くらいから一気に咲き始めました。
この土日は見頃だったでしょう。
年度末、年度始めの春休み期間は、新幹線も普段より混んでいました。
帰りの、いつもはガラガラのこだまも、結構乗っていました。
3月15日のダイヤ改正以来、どうも調子が狂っています。
接続がよくなったおかげで、米原駅でのビールタイムの楽しみもなくなってしまったし、逆に、行きの朝は接続が悪くなって1本あとの新快速にしか乗れなくなったし・・・
青春18きっぷ族がいなくなって在来線が落ち着き、新幹線の客も通常どおりに落ち着くまで、もう少し。
先週途中下車して寄り道した、彦根駅前の食堂がおいしかったです。
昔ながらの駅前食堂で、ビールとつまみで、熱燗も飲み、締めはラーメン。今風ではない、昔ながらの味つけはうまかった。蕎麦屋のラーメンって、和風っぽくてうまいです。私は嫌いな、今流行りの生臭い魚介系出汁とは違っていて、好きです。蕎麦屋の丼ものもおいしいです。 |
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4月になっても、伊吹山にはまだ雪があります。
ここ3日ばかりの冷え込みで、標高の高い山は雪が降りました。
滋賀県はまだ桜はまったく咲いていません。
名古屋は満開、岐阜も見頃。でも関ヶ原の急勾配を上り、滋賀県に入るとこうもちがいます。
新幹線の走る所も、大垣付近の標高は4〜5メートル。垂井付近から一気に急坂となり、関ヶ原トンネルを越えて、近江長岡付近は標高130メートルくらいかな?
このあたりが冬は雪が一番最後まで残っていました。
そして米原付近で標高100メートルくらいかな。
琵琶湖の水位は平均で標高86メートルくらい。
滋賀県の琵琶湖沿いを走る東海道本線は標高が高い所を走っているのです。
大津まで標高90メートル程度で、そこからトンネルで山科までの間で一気に標高30メートル程度まで降りていきます。
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今日、3月13日は、1988年、昭和63年、青函連絡船の最期の運航と青函トンネル開業という、特別な記念日です。
あれからちょうど、20年経ちました。
20年前のあの日、私は、青森駅で、最終運航の連絡船に乗り、そして青森駅で、最期の連絡船を待っていました。
思い出を偲び、今日は酒を飲み、連絡船のビデオを観て、酔っ払ってます。 |
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昨日は、新幹線定期があることをいいことに、用もないのに夕方、米原まで新幹線で行って在来線で名古屋まで帰ってきました。
伊吹山がきれいでした。行きの新幹線車窓です。
帰りの在来線では、今日から始まった18きっぷ族のため混んでいたのでわざと座らず、正面かぶりつきをしました。しらさぎとすれ違ったところを写真に。
近江長岡駅ホーム。
今日3月2日は、休日出勤。行きの早朝の米原駅では、甲種回送の電車がEF66に牽かれて東京方面に向かってました。たぶん関東の私鉄の車両だったけど、どこのだかわかりませんでした。写真撮る暇なかった。
あのオレンジ色は、地元埼玉、東武東上線直通の有楽町線の電車にも見えたけど、自信ありません。米原駅ホームの端で、2名の鉄が写真を撮ってました。日曜の朝からご苦労さまです。
帰りの新幹線から撮った伊吹山。
近江長岡付近は、まだ残雪があります。
休日出勤でも、昼過ぎには帰ったので、帰りは真昼間からビール、熱燗で、日曜の午後が過ぎていきました。 |
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2月1日金曜日の朝、新幹線関ヶ原付近はスプリンクラーが稼動してました。
でも雪はあんまりありません。
今年は雪が特に少ないような気が。
今日は節分、太巻きはヘビーなので、細巻きを食べました。
これから豆まきもしなければ。
今夜はカニスキ鍋です。 |
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今日は、琵琶湖方面は一日雪でした。
帰りの東海道線は、米原に近づくにつれて雪深くなってきました。
今シーズン初の米原駅の雪景色、そして新幹線ホームではスプリンクラーが稼動していました。
米原駅はマイナス1℃。
しかし、岐阜羽島は雪もなし、からからに晴れていました。
写真は米原駅のスプリンクラーの放水です。 |
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風邪ひいた〜!!
この土日、ダウン。
土日、一滴も酒飲まず・・・
明日は仕事・・・
おととい金曜日、米原に停車中のEF81の正面と足回りに少し雪が付いておりました。
今晩からは名古屋も雪との予報。
明日の関ヶ原から先では雪景色となるのでしょうか??? |
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N700増殖中
米原駅に、試運転中のN700系が停車中でした。
これからどんどん増えていくのだろうな。あの小さい奴(窓)が・・・
300系がレトロになってくる??
ロング缶とワンカップで、今日も帰りは酔っ払いでした。
ホームに着いたら、ちょうど発車するところでした。 |
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最近はまっている、名古屋駅ホームにあるきしめん屋さん、住よし。
今日も、米原駅ホームそして、こだま号の中で、熱燗ワンカップを2杯飲んで、名古屋駅に着きました。
在来線ホームへ移動し、きしめんの住よし店内へ。
熱燗と天つまを注文。
天つまとは、かき揚げにつゆだけをかけて、ねぎを散らした、酒のつまみ。
天ぷらは注文の度、その場で揚げてくれる。
おいしい。
しめは、素のきしめん。
残った天つまをつゆごとぶっかけて、かき揚げきしめんとなる。
客はオヤジ率100%です。 |
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新年は良い天気。天気予報は雪の予報だったけれど、降りません。でも夕方になり少し雪が降りました。
新幹線通勤も9カ月続きました。関ヶ原−米原間も雪景色になったかな。4日の新年初出勤の時には雪景色を見られるでしょうか。
昨年の28日の帰り、新幹線は大混雑かと思いきや、ひかりの自由席は普段の平日よりもはるかに空いていました。今日は年末それも金曜日なのに。単身赴任族などいつもは乗り慣れている人も、この時期はさすがに心配で指定を取っていたからか、出張サラリーマン族がいないからか、謎でした。
家に着いてニュースを見ると、東京駅発の新幹線は帰省ラッシュが始まって混雑していますと言ってましたが。
でも、週末金曜日夕方から夜の東京駅は、毎週これ以上に混んでいるけどねって思いました。
元旦の今日、昨年よりも年賀状が多く届きました。昨年は元旦よりも3日の方がたくさん届いたのです。昨年は相当早く投函しないと届いていなかったみたいでしたが、今年はちゃんと元旦に届くようになったみたい。 |
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今年の出勤もあと2回。あっという間に正月が来るのだろうな。
今日は朝晩の新幹線、空いてました。
でもあさって28日の夕方からは帰省ラッシュが始まるのだろう。
嵐の前の静けさといったところか。
この時期は、出張サラリーマンも少ないです。
きのうは、初めてN700系に乗りました。
思ったほど、窓の小ささは感じませんでした。
まあ、酔っ払っていたからなあ。 |
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毎日、通勤で乗っている新幹線。帰りによく乗るひかり号が12月から700系に替わりました。
700系のドアの窓はとても低い位置にあり、私の背丈では、というか子供でもない限り、立った状態ではまったく外が見られません。
と思っていたら、ちゃんとした高さ、300系と同じ高さの位置に窓がある編成もあってびっくり。今日それに乗りました。
迂闊である。700系の初期型がドア窓が低いのか、それとも逆か・・・
どのような変遷があるのか、知ってる人教えて〜
N700はどうなんだろう。あれは客席の窓も小さくなって不評のようです、実際。 |
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今日は3連休前で、新幹線はとっても混んでいました。
いつもはガラガラのこだまも、ほとんど満席!
名古屋に到着前、今日ののぞみとひかりは自由席の混雑130%だと放送してました。
米原で、しらさぎから新幹線へ乗り継ぐ客数も尋常ではなかった。 |
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前に書いた近所のスーパーに、この夏はサッポロ黒ラベル6本パックが売り場に復活しました。
ドライに比べれば、数は少ないけれど、すぐ無くなってしまい、回転は良く、製造の新しいものがいつでもあります。
たまに売り切れていることも。
それみろ、ちゃんと売れるじゃないか。
しかし、夕方、いかにも単身赴任っぽいおじさんがひとり、缶ビールのロング缶とお惣菜をカゴに入れてレジに並んでいる姿を見ると、なんとなくわびしいです。 |
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東京から名古屋 鈍行プラス新幹線の旅
東京から三島までは、東海道線普通のグリーン車で移動。
途中、平塚ではホームで買い物、小田原では途中下車。
SUICAカードでグリーン車に乗っているので、座席の移動も乗り換えも自由気ままで楽だ。
平塚駅ホームには、サッポロ黒ラベルを置いてあるのでいつも買い物します。
キオスクのおばちゃんに「サッポロください」というと、「今日はサッポロばかり出るんだ」と、奥から取ってきてくれた。
サッポロファンはたくさんいるのだ。ちゃんと銘柄指定して買うんだなあと思った。
三島から新幹線ひかり号に乗車。
三島から乗ったひかりは、三島、静岡、浜松と停車。
静岡ではお目当てのシュウマイを買う。ホームへ出て売店へ行き「シュウマイありますか」とたずねると、あまり目立たないところに置いてあった。夕方はたまに売り切れていることもあるので、よかった。私は静岡駅のシュウマイが好きです。横浜の有名なのは、私の口には合いません。
シュウマイとビールで新幹線に乗るのは幸せ。 |
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ぷらっとこだま 初利用
新幹線こだま号の企画きっぷ、「ぷらっとこだま」をはじめて利用して名古屋から東京へ。
3時間という所要時間は、駅弁をつまみに酒を飲みながらという旅にはちょうどよかったです。
のぞみの1時間半では、酒を飲むだけで着いてしまうのです。
今回はゆっくり飲んで食べることができました。
つまみに最適なのは、名古屋駅の「こだま」弁当。典型的な昔からある幕の内弁当で、好きです。
ちなみにぷらっとこだまは、グリーン車用で8900円。安い! |
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近所のユーストアというスーパーから最近、サッポロ黒ラベルの6本缶パックが棚から撤退されてしまった。1本単位ではほそぼそという感じで棚に置いてはあるが。
そこでお客様の声に書いて投書したら、すぐに返事がきました。
曰く、棚のスペースが他の人気商品を置くためにないとのこと。お客様のご要望には応えられませんとの、つれない回答が電話でありました。
ドライや発泡酒類はうじゃうじゃ置いているのに、そんなに黒ラベルは売れないのかね、と残念で仕方ありません。世の中、発泡酒ばかり売れるようになったみたいです。
私は嫌がらせ的に、棚に数本しか置いてない黒ラベルを全部買って、棚をカラにしています。 |
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