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今は駅前が整備され車は乗り入れできないけれど、昔駅前はこんな感じ。今のレトロブームが来る前はこんなもんです。日常でした。 |
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鉄道があったことが今、わかるでしょうか。地図から線路が消えて久しいです。 |
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枕崎にて うしろの車両は国鉄枕崎線の車両。当時高校生で周遊券貧乏旅行の私は、鹿児島交通には乗りませんでした。今となってはなんと悔やまれることでしょう。 |
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新小岩駅とかでよく写真を撮ってました。この頃は総武線の113系に乗るだけで旅を感じてました。 |
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東北新幹線開業前の上野はにぎやかでした。昭和53年頃かな。 |
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現在の北海道の地図を見ると、こんな線路があったのが信じられないです。 |
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夕張市が財政破綻したというけれど、歴史の重みを知っていると、安易に責めることはできないと思う。 |
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1980年前半の写真。貨車を改造した仮駅だった。あまりにもむなしい終着駅だった。 |
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釣り掛けサウンドが懐かしい。和光市、朝霞間。昭和57年。 |
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門司港と長崎を結んでいた普通夜行列車「ながさき」号。郵便輸送のトラック化により、昭和59年2月廃止。大好きな列車でした。最終日の写真。 |
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私の九州国鉄全線完乗、最後の1線でした。昭和59年かな。 |
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交流電機が連結されるところ。今、直流電化され、223系などが敦賀まで行っていくのがウソのような風景。昭和58年頃。 |
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交直ジャンクション通過用のディーゼル機関車が切り離されたところ。
長距離客車列車が北陸本線を走っていた頃。米原発長岡行きとかありました。
のちに長浜まで、そして今は敦賀まで直流区間になりました。
こんな風景があったなんて夢のような。 |
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湖西線と分岐合流する近江塩津駅。堂々とした旧客編成。 |
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うーむ、どこの駅だろう。丸一日、始発から終点まで、鈍行客車に乗り通してました。青春18きっぷをフル活用してました。あの頃は良かった。 |
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気動車から電車へ変わるため、線路を徹夜作業でヨッコラしょと移動させてました。私は友人と一晩中、駅で作業を見ていました。駅から追い出されることもありませんでした。 |
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白糠線の終点、北進駅は駅周辺に何もないことで有名でした。 |
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札幌駅で発車を待つところ。今、札幌駅は高架化され、旅情は消えました。 |
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天北線経由の急行列車。音威子府駅にて。
今見るとこの写真、映画のワンシーンみたいで、味があるなあと思います。
向こうから、高倉健か田中邦衛なんかが歩いてきそうな。 |
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あーあ、いい雰囲気だなあ。
もう二度と見られない風景。 |
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走行中のタブレット交換も、今は見られません。
昔、急行ニセコに乗車中、通過駅で急停車。タブレットの受け取りに失敗したのです。
雪の函館本線山線で、DD51が牽く14系客車編成でのことでした。 |
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急行東海は大好きでした。
上りの4号は適度に空いていて、缶ビールと静岡のシューマイをつまみに、ポックスシートで足を伸ばしてご機嫌な旅ができました。
この写真は最終の4号。静岡から東京まで乗りました。友人と二人で乗ったのだけれど、窓側のテーブルに缶ビールやカップ酒を満載した酔っ払いの席に、他の人は座りませんでした。 |
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鉱山の衰退、輸送手段のトラックへの移行、いろいろな理由で廃止になります。 |
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野辺地駅で発車を待つレールバス。懐かしいなあ。
なくなったのはつい最近のような気がするけれど、もう10年くらい経つかな? |
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本線としての長く立派で、重厚な雰囲気のホーム。古い洗面台もありました。機関車も含めて 17両はあるような長距離急行などがホームいっぱいに停車する様子がさまになりました。だけど、今はありません。米原駅は北陸とのジャンクションの立派な駅でしたが、今はせこい駅になりました。ここの牛肉弁当は今でも好きですが。
このようなホームは文化財に指定してもよいと思います。 |
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