旅行記2007〜

2010年02月11日
餘部鉄橋 訪問記

冬型の気圧配置が強まった平成22年2月5日から6日にかけて、山陰本線の餘部鉄橋へ行ってきました。
豊岡あたりから積雪となり、沿線は雪深くなってきました。
城崎温泉駅で特急北近畿から鈍行気動車に乗り換えて、よい雰囲気になってきました。
最初の目的地は、居組駅。
浜坂と鳥取の間にある居組駅は、兵庫県の日本海側の西の端。
今はやりの秘境駅ではないけれど、ずっと昔から鄙びた雰囲気で、大好きな駅です。



こんな古い改札も健在でした。
駅舎内は若干リフォームされていて、壁がきれいになってました。





1番ホームから浜坂方向
線路は2面3線あるのだけれど、島式ホームは閉鎖されて、列車の通過や退避すらしない状況でした。
昔はこの一番右端の3番線に旧型客車の鈍行列車が長時間停車して、特急や急行の退避や行き違いが行われていたんだけど。

居組駅を知ったのは、そんな頃の旧客鈍行旅行ででした。
あの頃は、豊岡発門司行き、門司発福知山行き、京都発浜田行き、大阪発出雲市行きなどなど、長距離鈍行がたくさん走っていて、青春18きっぷで一日中汽車の中で過ごしたものです。
そんな列車たちは、必ずと言ってよいほど、居組駅に長時間停車したのです。
2番線と3番線に行き違いの上下の鈍行が止まり、1番線を特急や急行が通過していきました。
3番線に停車している、DD51に牽かれた旧客はとてもよい絵になりました。
静まりかえる静寂な駅で、機関車のアイドリングがかすかに響く中、キハ181の特急やキハ58、65の急行が通過していきます。
停車中の客車の中は、夏は扇風機がカラカラ回る音しかしません。開け放った窓から入る外の風は、草と山の香りが、蝉時雨が、夕暮れ時には、ひぐらしの鳴き声が。
冬は、暖房に曇る窓、暖房のスチームが客車の床下からもうもうと立ち上り、機関車は力強くアイドリングをしながら暖房用の蒸気を立ち上げていました。蒸気暖房はとてもやさしく客車内を暖めていました。
ホームには、列車から降りたかつぎ屋のおばあさんが歩き、そして改札口を出てなにもない駅前から集落へ向かって帰っていくのだろうか。
あ〜あ、なんて良い風景だったのだろうか。

そんな間の停車中に駅前を歩いたりできたのです。



乗り換えのときに浜坂のキオスクで買ったワンカップを飲みながら、居組駅でしみじもと過ごしました。他の乗客はまったくいませんでした。
約40分間滞在して、折り返し、浜坂行きに乗って、居組駅をあとにしました。


浜坂では乗り継ぎ時間が約50分あって、駅前を散歩しました。
駅前のコンビニで酒などを仕入れ、なんとなく歩きました。


駅前の店先には、カニの甲羅が干してました。



そして駅前をぐるっと一周して帰ったら、足湯を発見しました。
これは新発見。
ゆっくりとひたってから、そのとなりには「鉄子の部屋」なる、鉄道の部品やら写真やらを展示しているスペースが駅内にありました。
これも知らなかった。
中で受付?をしているおばちゃんに訊ねると、足湯とともにできてから2年くらい経つとのこと。
前回来たのは3年前だから、納得。
居組駅で1本、浜坂駅で1本足湯につかりながら、ワンカップを飲んでいるので、絶好調なのでした。

あまり時間もなかったけれど、展示を見てから、浜坂駅をあとにしました。
残っているワンカップを持ちこんで、餘部までの短い時間の汽車旅で、餘部駅に到着。
雪です。
大雪です。風は吹いてません。
現在、既設線の隣に付替え新線のコンクリート橋を建設中です。


現在線と付替新線では幅が倍くらいちがいます。同じ単線なのに。



今日の宿は、この鉄橋の真横にある民宿です。
カニ三昧の料理と酒をたらふく飲み、たべました。

翌日は早朝から強風、猛吹雪・・・
というか夜半から強風ですごい音で、、列車の通過音なんてまったく聞こえませんでした。
普通なら列車の通過音がうるさいそうだけれど。
宿の人は「こんな強風はめったにない・・・」
当然、餘部はストップです。
朝から列車は通らない。
無線機を持ってきていたので、鉄道無線をずっと聞いていると、鳥取始発、大阪行きのはまかぜ2号(2D)が餘部駅で停車している模様。
風のやむのを待っている。
でも、風速20メートルで10分抑止、25メートルで30分抑止になるので、無線を聞いていると「2D、9時8分20メートルを観測。9時18分開通予定」とか指令があるのだけれど、9時17分、20メートル観測、27分開通予定」なんて繰り返しでした。
宿の人に駅を見てくるなんて言ってから餘部駅まで山を登って、見に行きました。
列車指令の無線が、「2D、10時3分25メートル観測、10時33分まで抑止」なんてことで、ちょうど駅についたところで、乗客2名が車掌に連れられて列車から降りてきて、下へ向かいました。
ホームへの踏み切りは閉まりっぱなしだけど、車掌に「当分発車しませんよね。ホームで写真撮ります」って許可をとって、ホームへ。



吹雪の中、停車中のはまかぜ2号。
列車の中には乗客の姿はありませんでした。



写真を撮ってから、下へ降りる途中に、客を連れて降りてきた車掌さんとすれ違いました。
聞くと、お客さんにはタクシーで代行輸送したとのこと。
なんと客は2名しか乗ってないのでした。
私は10時36分発の普通に乗る予定なんだけど、はまかぜに乗せてもらえないかと聞いたら、いつ動くかわからないのでだめ、と言われました。

その後、宿に戻り、車で香住駅まで送ってもらったのでした。

香住駅からの列車内で無線を聞いていると、「2Dは豊岡で運転打ち切り」との指令がでました。

大雪の餘部と、臨時停車のはまかぜをさんざん写真に撮れて、いい経験となりました。

このあとは、豊岡で降りて、予定どおりの時間にバスで出石に向かい、皿そばをたらふく食べたのでした。





2007年08月26日
北陸旧線跡をひさしぶりに巡ってきました。
敦賀から南今庄の間、現在はほぼ北陸自動車道に沿って、北陸本線の旧線はあります。
というか、旧線跡に沿って、北陸自動車道が建設されたといったところでしょう。
昔の線路の線形は、高速道路の建設に向いているのでしようか。
長いトンネルは信号制御の一方通行です。


下の写真は杉津PAの裏。ここで裏からPAに歩いて入ることができて、食事や買い物、トイレも利用できます。


線路跡の道を行く。




短いトンネルには信号はありません。
ゆっくり進入して、対向車がいないか確認。




いくつかのトンネルを越えて


山中信号所跡の説明看板


山中信号所の跡
このあたりは北陸道からははずれています。
北陸道も線路跡にはついていけず、トンネルで短絡してます。





上の写真の左側、引込み線跡。


引込み線跡から本線側を見たもの。
下の説明版のCの位置から。


スイッチバックの概要図



この道路の曲線と盛土区間。いかにも線路跡という雰囲気です。




大桐駅跡

この先、南今庄駅の手前、北陸トンネル出口付近で、現在線に合流します。



2007年11月18日
お召し列車を追って

天皇陛下 行幸啓

11月10日(土)から13日(火)にかけて、天皇皇后両陛下が滋賀県を訪問しました。
お召し列車も走るので、追っていきました。

10日、名古屋駅へ進入するお召し新幹線。
もちろん1編成貸切の専用列車。駅の電光表示も専用列車だったかな?
イヤホンをつけ無線で状況報告する私服警官が何人かいます。




名古屋駅に停車したお召し新幹線にご乗車中の両陛下
車窓越しに笑顔で手を振っていただけました。
こんな間近で天皇陛下にお会いできて、カメラを持つ手が震えてしまいました、
陛下の特別な荘厳な雰囲気を感じ、お会いできて純粋に幸せな気持ちになれ感動でした。
   


最初、天皇陛下が乗車されていることを知っている一般人は、ホームにはいないようでしたが、停車して気が付いた人たちが、陛下のところへ集まってました。



11日、琵琶湖の烏丸半島にある琵琶湖博物館をご訪問された両陛下。
お召し船で烏丸半島へご到着。



奉迎者に笑顔でお手を振る両陛下
 

 


12日、信楽を訪問されるため、東海道本線大津駅から草津線貴生川駅までお召し列車が走りました。
貴生川駅で、お召し列車の到着を待ちました。
到着直前、貴生川駅ホーム1番線は立入禁止でした。


貴生川駅から信楽へ向かわれるところしか写真に撮れませんでした。
  



駅に戻って撮ったお召し列車。
JR西日本、関空特急「はるか」の281系です。
ピカピカに光った車体、そして塗装も新しい足回り。さすがお召し列車。


本当はJR東日本が製作した最新のお召し専用車両のE655系が走ることを期待していましたが、無理だったようで。
会社が違うからか、まだ試運転中だからか、本当に残念。

帰り道、予備車として、別の281系編成が草津駅構内に待機しているのを目撃しました。





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