ほとんど存在も忘れ去られている、九州にあった矢部線の終点、黒木駅です。
跡地はどうなっているのでしょうか。 |
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昭和52年頃、中学生だった私は、夏の日の早朝、自転車を駆って、上福岡から東北本線の線路際まで行ったのでした。
あの頃、それはひとつの冒険でした。
それにしても、いろいろな車両が走っています。
今では皆、鉄道博物館入りしている車両ばかりです。
曇天で暗かったせいか、無意識に写真が皆、流し撮りになっています。
今よりの腕が良いのではないかと思ってしまいます。
露出もピントもすべてマニュアルです。
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駅の隣接してサッポロビールの工場がありました。
この頃は、夜の8時過ぎでも、人はほとんどいませんでしたし、列車の本数も少なかったです。
向こうに見える14系は、大阪へ向かう夜行の阿蘇・くにさき号か、雲仙・西海号です。
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国鉄から三セクとなり、災害で不通となって、最後はそのまま廃線になってしまいました。
終着の高千穂駅です。 |
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今はなき山野線の始発駅、水俣。
キハ52が発車を待っています。
この頃の鈍行列車は、冷房なんてありません。
窓を全開にして、外の風をめいっぱい受けて走っていました。
節電、省エネならこれが一番。
山の香り、田んぼの香りを受けて走ったのは気持ちよかったです。
たまに田んぼに農薬を散布していて、それの直撃もくらいましたが、そんなの気にする人はいませんでした。
私が高校2年のときです。
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「太陽にほえろ」が好きで、よく新宿へ撮影に行ってました。
あの頃は高層ビルの本数が少ないです。
今、この角度で撮影したらどうなるのかな。
手前の家は、住宅展示場です。
京浜東北も山手線も、103系でした。
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高校3年の夏休み。
初めて東北へ出かけました。
盛岡まで十和田号に乗り、そこから鈍行で適当に駅に降りながらね青森を目指しました。
写真は、渋民と目時駅で撮影。
下は上野駅です。583のはくつる、ゆうづる?
新幹線よりも、こっちがいいです。
青函連絡船が元気でした。
青森駅
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高校が入試で休みとなって平日に夜行2泊3日で信越、北陸、小浜線と回って、東海道線で帰ったときです。
上野からは、夜行急行 妙高号、直江津行きに乗りました。
旧客は隙間風が寒かったです。
夜明けのスイッチバック駅。
昔の直江津駅
駅名標以外は今も変わっていません。
旧客でも、10系客車は広くて居心地が良かったです。
ナハ11車内。
北陸線にはナハ11とオハ47が主体の旧客列車が数多く走っていました。
車扱い貨物もたくさん。
キハ58の小浜線の鈍行は、とても強く印象に残っています。
2月下旬のまだ雪が残る沿線は、寒々しいものでした。
でも車内はとても暖かでした。
駅弁にお茶、ペットボトルの普及で、このようなお茶は消えました。
ほのかにプラスチックの香りのするお茶に旅愁を感じました。
この頃は、ビールの味は知らなかったなあ。
キハ58・28の急行がたくさん走っていました。
米原駅北陸線ホーム。
今の5番6番ホームの敦賀よりの位置
475系の急行が発車待ちです。
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キハ35に混じって、貨物列車も走っていました。
荒川の鉄橋です。
今の輸送人員は、この頃の何倍なのだろうか。
キハ35の3両編成が一時間に1、2本走っていたのと、今の10両編成の電車が20分おきに走っているのと比べたら。
入間川の鉄橋です。
中学生の頃、ここでよく釣りをしました。
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我孫子駅にて。
この頃は旧型客車の鈍行がまだ数本、上野と仙台を結んでいました。
乗りたかったなあ。 |
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早朝の品川駅で上京する夜行列車を撮影後、茅ヶ崎に場所を移して撮影しました。
上は瀬戸号。
銀河号
あさかぜ号
相模線のキハ20
さくら号
EF58の荷物列車
急行 東海号
みずほ号
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上は、急行 出島・弓張号 肥前山口にて
ED72は珍しかったです。
大畑駅にて、急行 えびの号。
交換待ちでは、DD51牽引の旧客と貨物の混合列車が。
矢岳駅では地元の人たちが降りていきました。
真幸駅です。
旧客の方が、今走っている、いさぶろう・しんぺい号などの観光列車よりも何十倍も魅力がありました。
真幸駅は代々、駅員が庭園のようにホームの石を掃いて模様をつけていました。
乗降客が少ないからこそできる技。
今は観光客が多数乗降するので、この型を保つのは無理ですな。
真幸駅はスイッチバック駅。
私を乗せた旧客列車は、この先停車して、バックして駅に進入します。
貨物との混合列車なので、貨車と客車との連結面がこの通り。
鳥栖駅にて
電車寝台581系も数多く走っていました。
1980年の改正でなくなった特急 おおよど号。
松浦線の平戸口駅にあった看板。
最西端駅です。
大畑駅
大畑駅
門司港で発車を待つ、夜行鈍行 ながさき号
室木線 室木駅
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両親の実家へ帰省した帰りに乗ったさくら号。
名古屋での停車中の様子です。
ホームに降りての撮影も自由でした。
上の写真の背景には、今はなき松坂屋名駅店も見えます。
長崎編成と佐世保編成の連結部。
この頃の寝台特急は華ががありました。
東海道本線には、まだ金山駅も尾頭橋駅もなく、熱田駅には快速が停車していました。
今は通過だけど。
金山が今みたいな大ターミナル駅になるなんて、夢にも思わなかった時代です。
そして、埼玉に住んでいた自分が、まさか名古屋に自宅を持つなんて、このときは夢にも思いませんでした。
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さくら号の車内から撮った深夜の大阪駅。
運転停車中です。
この頃は大阪駅ホームにもこんな洗面台が残っていたんですね。
荷物列車用のカート?もホームにあって、昔のターミナル駅ホームは雑然としてました。
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上野から高崎、長野、新潟まで、列車番号を変えつつも、新潟まで通しで走っていた旧客列車が残っていました。
その列車に乗って横軽を通過するときの写真です。
これから横川まで急な坂道を下っていく、上り列車 高崎行き。
なんとなく流し撮り。
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高校の卒業旅行と称して、初めて発売された青春18のびのびきっぷを使用して、鈍行夜行列車をつなげて5日間、西日本を回ったときの写真です。
旧高松駅です。
今の高松駅は、移転して昔の位置とは違います。
徳島はこのとき以来、行っていません。
小松島港線を訪れて、帰りに乗った気動車は6両編成で、乗客は私1人だけでした。
備後落合駅
備後落合駅前の商店兼旅館
紀勢本線のどこかの駅
新宮駅
三保三隅駅
浜田駅
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高校3年の夏、一人旅で初めて北海道へ行きました。
大雨のため函館から先の函館本線はすべて不通となっていて、仕方なく、動いていた松前線と江差線に乗りました。
初めての北海道は夏なのに空気が澄んでいて、空がとても高く感じた印象が強く残っています。
(大雨の後だったからかも)
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昭和60年10月の川越線の電化開業前の施設限界測定車、通称 おいらん列車が止まってました。
最後の気動車のお別れ式。
開業前日、気動車の最終が出たあと、川越駅では線路の位置補正などの工事が一晩の突貫工事で行われました。
私は友人と二人、一晩中駅ホームで工事を眺めて撮影してました。
駅関係者の誰にも、なんにも言われなかったです。
人力でよっこらせと、レールを枕木ごとずらしていました。
開業の朝。
開業式典にもしっかり参加。
大宮駅へ移動
ズーミングしながら流し撮り。
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今となっては懐かしい、7800系
冷房もないこの電車、私が大学生の頃まで現役で、池袋駅と寄居間、越生線に走っていました。
後日、この写真のこの電車に大学の先輩が乗っていたらしく、「おまえあそこで写真を撮っていただろう」と言われました。
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高校、大学時代は、東海道のブルトレ撮影ばかりしていました。
よくあれだけの行動力があったものです。
今はありません。
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大学生のときは、毎年冬には北海道へ行ってました。
ほとんど夜行連泊の旅でした。
旧の地平時代の札幌駅
こういう風景を見て感動したものでした。
駅前に何もないことで有名だった、白糠線の終点、北進駅。
札幌駅で発車を待つ、函館行きの急行 ニセコ号。
入場券ブームとなった、広尾線 幸福駅。
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他のページにも載せていますが、撮った写真全部です。
高校生の頃、東京駅で偶然撮ったものです。
昭和天皇皇后両陛下がご乗車していました。
その車両を覗いて、確認したのだけど、写真が残っていません。
グリーン車ではなくて専用車両、お召し車両だった気がするけれど、記憶があいまいです。
ホームの端で新幹線を撮っていたら、いつの間にか、まわりを写真を撮るマニアに囲まれていました。
どこで情報を得るのでしょうかね。
ちなみにこれは、普通の0系新幹線。
前照灯の帯がお召し新幹線の印です。
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大学の合宿で行きました。
撮影三昧。
写っているの、二十歳の頃の私。
写真を撮っていたら、機関士さんが運転席に乗って記念写真を撮っていいよと言われて、撮りました。
あとにも先にも、運転席に乗せてもらったのは初めてでした。
のどかな時代でした。
今では絶対にあり得ませんね。あー、いやだいやだ、ギスギスした今の社会は。
当時でも規則違反なんでしょうかね、やっぱり。
時効ということで。
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門司港と長崎を結んでいた、夜行鈍行 ながさき号。
旧客、いつも空いていて、大好きな列車でした。
国鉄の郵便輸送の廃止に伴い、列車も廃止となりました。
最終日に乗車しました。
上り列車が一日早くなくなりました。
上り列車は、雨の長崎駅を出て、途中大雪となって、終着の門司港にはたいそう遅れて到着しました。
長崎駅でのお別れセレモニー
肥前山口駅
ここからは下り最終。
博多駅
肥前山口駅
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今では考えられない風景です。
雷鳥様のお通りだい。
余呉付近。
地上時代の北陸鉄道 金沢駅。
同じく、地上時代の金沢駅。
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