『源平盛衰記図会』 作者:秋里籬島 西村中和画 寛政12年(1800)刊


【1】豊明の節会
【2】スズキ船に入る
【3】蓮台野の狐
【4】300人の禿童
【5】花の命を泰山君に祈る
【6】資盛、狼藉の事
【7】鹿谷の密謀
【8】頼政、難を免れる
【9】熊野三山に御幸
【10】建春門院と厳島に御幸
【11】平重盛、兵を招く
【12】康頼、卒都婆を流す
【13】俊寛僧都、一人残る
【14】有王、俊寛に逢う
【15】滝壷見学
【16】滝壷の怪異
【17】重盛の死と菩提
【18】大地震の発生
【19】名所の月を見る人々
【20】隋煬帝、柳を植る
【21】頼政、高倉宮に接近
【22】令旨を手渡す
【23】高倉宮、三井寺に
【24】宗盛の名馬を奪う
【25】宇治橋の合戦1
【26】宇治橋の合戦2
【27】高倉宮、矢に当る
【28】文覚の荒行
【29】佐々木高綱、馬を奪う
【30】八牧の城を焼く
【31】石橋山の合戦
【32】佐奈田、俣野と組合う
【33】公藤介、自害の事
【34】高綱、頼朝を逃す
【35】頼朝伏木に隠れる
【36】頼朝、地蔵堂に隠れる
【37】平維盛の出陣
【38】実盛、敵を賛美
【39】富士川の陣で鳥に驚く
【40】東大寺を焼く 
【41】高倉院の死
【42】清盛の死
【43】福原の怪異
【44】竹生島での祈誓
【45】義仲の願書
【46】倶梨伽羅合戦
【47】倶梨伽羅合戦2
【48】実盛討死
【49】経正、仁和寺に参る
【50】忠度、俊成に逢う
【51】義仲、京に入る
【52】義経、上洛
【53】宇治川先陣
【54】木曽勢の退敗
【55】木曾、貴女を惜しむ
【56】巴(ともえ)御前
【57】粟津での合戦
【58】木曽の死
【59】三草山の合戦
【60】清章、鹿を射止める
【61】鵯越えの案内
【62】一の谷の先陣
【63】熊谷と平山の一番乗り
【64】梶原の二度かけ
【65】義経の鵯越え
【66】鵯越え2
【67】一谷の落城
【68】猪俣、盛俊を討つ
【69】重衡、虜となる
【70】忠度の最期
【71】知盛の最期
【72】敦盛の最期
【73】小宰相局の入水
【74】重衡、琵琶を弾ず
【75】維盛の出家
【76】横笛と滝口入道
【77】盛綱、海を渡る
【78】逆櫓の論
【79】義経四国に渡る
【80】屋島の戦い
【81】景清の勇姿
【82】佐藤綱信の死
【83】安徳天皇入水
【84】神宝、都に帰る
【85】宝剣の捜索
【86】平宗盛、都に入る
【87】内大臣関東に向う
【88】重衡斬罪
【89】六代御前
【90】文覚の訴え
【91】堀川の夜討ち
【92】義経の都落ち
【93】船での逃避行
【94】吉野静
【95】忠信切腹
【96】弁慶の狼藉
【97】義経高館の戦い
【98】大原御幸
【99】鎌倉御殿
「源平盛衰記図会」は、「源平盛衰記」48巻を通俗化したもの。「平家物語」に比べて源氏に関する記事が多く、詩的統一感も低いと云われている。それは話がエピソード的なものをいくつも挟んでいるせいであろう。最後に義経は蝦夷に渡る!作者は「名所図会」の著者でお馴染みの秋里籬島。挿絵は西村中和、奥村文鳴である。なお西村とは「木曽路名所図会」でもコンビを組んでいる。

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