ゼータ0096第3話

「レッド・ウォール」


 アクシズ。小惑星帯に浮かぶそれは今日、旧ジオン公国系叛徒の拠点として知られている。だが元来、そこは小惑星帯開拓と木星船団支援のために設置された基地であった。
 かつて地球圏とアクシズの間を結ぶ航路にはさまざまな船舶が往来していた。ヘリウムタンカー、鋼材輸送船、開拓者たちを乗せた客船等々。それらの姿は絶えて既に久しい。ただ絶対的な静寂だけが、その空間を長らく満たしていた。
 今、その航路を一隻の船が地球へと進みつつある。いや、それを単に「船」と呼ぶことは誤解の原因となろう。初期のコロニーに匹敵する規模のそれは、人類史上最大の「船」の一つとして知られている。
 サイド3において木星船団母船として建造された当時の名は<グロス・グロックナー>。一年戦争後、賠償として地球連邦に引き渡された後は<ジュピトリス>と呼ばれた。そして0085年にアクシズ・ジオンによって奪われてから今日に至るまで、それは<ヴァルハラ>と呼称されている。
 そのCICに隣接した会議室に、アクシズ・ジオン総裁ハマーン・カーン・ザビの姿があった。元が元であっただけに、そこは華美な部屋ではない。だが凛然とたたずむ彼女を中心に重臣らが並ぶ様は、旧世紀の名画を思わせる。
 彼女の形の良い唇が、鋭い声を放つ。
「では未来永劫、我らの本国への帰還は叶わぬというのか? 地球連邦による本国の支配を覆すことは不可能だというのか、シャア」
「いえ、決してそのような意味では」
 シャア・アズナブル准将は低い口調でそう答えた。鈍い銀色の仮面からのぞく口元は、強い緊張を湛えている。
「ならばどういう意味か、准将」
 ラカン・ダカラン少将が野太い声で問うた。<ヴァルハラ>を守る親衛艦隊司令を務める彼は、浅黒い顔をわずかにしかめつつ言葉を続ける。
「この<ヴァルハラ>はアクシズ・ジオンが有する戦力のおよそ七割を搭載している。エウーゴとの小競り合いを繰り返すばかりの連邦軍なぞ、恐れるに足らん」
「ティターンズがいます。彼らは少数ながら精強です」
 太い眉を上げ、ダカラン少将は驚きの表情を浮かべる。
「無敵と謳われるメテオール・フロッテ司令官とは思えぬ言葉だな。ともかく、今回の征旅についてはアクシズを発つ前に幾度も討議を重ねている。いまさら『短期攻勢にとどめるべき』などと唱えられては『赤い彗星』の名に傷がつこう」
 居並ぶ重臣らが、無言の賛意を顔に浮かべる。ハマーンの信頼を一身に受けるシャアへの嫉妬が、彼らの表情ににじみでていた。
「やめいダカラン。これは作戦会議である。中傷じみた言葉は慎め」
 毅然としたハマーンの言葉に、ダカランはうやうやしく頭を垂れた。彼は他の者らと違い、シャアに含むところがあるわけではない。武人肌の男で、策謀を恥ずべき行為と考えている節すらあった。ただ惜しむらくは攻撃至上主義的な傾向が強い点だ。彼の目には、シャアの安全策が怯懦ゆえの献策に映ったのであろう。
 切れ長の目でダカランを見やりつつ、ハマーンは言葉を続ける。
「慎重になるのはもっともだ、シャア。だがティターンズとて無敵ではない。現にエウーゴとの戦いで、ティターンズは未だ完勝を得るに至っていないではないか」
 それは違う、とシャアは思った。ティターンズは戦略レベルにおいて勝利し続けている。エウーゴを殲滅できないのは、彼らがゲリラ的戦術を徹底しているからに過ぎない。しかしシャアは自らの考えを口にはしなかった。ハマーンを説き伏せようとする試みは常に失敗し続けてきたからだ。
 彼の無言を自らへの同意と見なすと、彼女は強い語調で続ける。
「地球圏のパワーバランスはすでに崩れつつある。ティターンズの優位が失われるならば…その時こそ、シャア。そなたの艦隊がジオン公国再興の魁となるのだ」
 シャアは小さく首肯する。その時彼は、ハマーンの仮定が実現しようとは考えてもいなかった。

 台湾における騒乱発生のきっかけは、今日に至るも明確ではない。ただ、台湾中部のチャンホワにおいて「オークリー・データ」がどこからか流出したことがそもそもの発端だったとされている。
 ここで言う「オークリー・データ」とは、去る3月に発生した北米オークリー基地叛乱においてエウーゴ側が発信した情報を指す。アムロ・レイによる告発を含むそれは、極めてセンセーショナルだった。
 ティターンズ情報局は「オークリー・データ」をネット上から(すなわち、全世界のネットワーク可能なコンピューターすべてから)完全に抹消したつもりでいた。だがそれは、密かに台湾に残っていたのだ。これは、地球連邦成立以前から複雑な非合法ネットワークが多数存在した台湾の特殊事情によるものと考えられる。
 台湾での騒乱発生にウォン・リーがひどく驚いたことからもわかるように、エウーゴはこの発端には関与していなかった。仮に彼らが地上における「オークリー・データ」の存在を知っていたなら、より多くの市民に伝わるような形でこれを利用していたに相違ない。だが実際には、それは台湾の一部都市でしか流通しなかった。

 事態を知ったティターンズは、公共福祉法に基づき台湾のあらゆるネットワークを停止させる。これにより彼らは騒ぎが台湾の外に飛び火するのを防いだ。
 しかし逆に、台湾内では民心を失う結果となった。市民にとって情報の停止は経済的損失へと直結したからである。
 民衆の怒りはまずチャンホワにおけるデモという形であらわされた。そのデモの中で「オークリー・データ」は人々の手から手へと流通する。かねてからティターンズによる抑圧を快く思ってなかった台湾市民は、口々に「自由回復」を叫んだ。
 デモに集う人々の数は次第に増え、ついにはシンチュー、ルーカン、チャーイ(いずれも台湾の都市)にまで飛び火した。鎮圧に向かった警官隊が逆にデモ隊に加わるケースすら発生する。デモ隊は徐々に熱気を帯び始め、反ティターンズ的色彩を濃くしていった。
 チャンホワにおいて警察軍による鎮圧が試みられたのは、最初のデモから三日目の深夜である。市の中央広場に築かれたバリケードに警察軍は催涙弾を投射、装甲車部隊を突撃させた。しかし群衆は火炎瓶などでこれに反撃する。警官隊が叛徒側に加わっていたこともあってか反撃は組織的で、警察軍は後退を余儀なくされた。
 ここに至り、台湾省知事は連邦軍に出動を要請した。ただちにカオシュン駐留のMS中隊がチャーイへと向かう。
 鋼鉄の巨人の前に、バリケードはあっけなく崩れさった。なおも区役所ビルに踏みとどまる群衆に対しGM2はその鉄拳をはなつ。拳がうなりをあげる度に、ビルは瓦礫と化していった。
 ガスが漏れたのだろうか、瓦礫からいくつもの炎が立ち上った。逃げまどうデモ隊に向け、バルカン砲弾が容赦なく注がれる。流血の巷に歩兵部隊が突入し、狼狽する民衆を次々と検挙していった。
 連邦軍からの報告を受けた際、知事は死傷者数のあまりの多さに絶句したと伝えられている。だが彼は、チャーイの鎮圧成功を発表するに当たり「流血は最小限にとどめられた」と述べた。ティターンズ情報局からの圧力があったためである。

 チャーイ鎮圧が伝えられた直後、予期せぬ事態が発生した。チャンホワ鎮圧に向かった戦車大隊において台湾出身兵士らが反旗を翻したのである。結果、戦車大隊の四分の三以上がチャンホワ市民側に加わった。
 連邦軍の悪癖どおり、同大隊の高級士官は欧米系が多かった。このためかねてより兵士や下士官の間に不満が鬱積していたらしい。これが反乱の遠因であったと言われる。
 カオシュンMS中隊はすでにチャンホワ近郊まで進出していたが、予想外の展開に暫時模様を眺めることとした。知事はこの間に市民との交渉を図る。知事が送った使者はこの時、意外な人物がチャンホワ叛徒部隊を指揮していることを知った。
 ブライト・ノア。かつての<ホワイト・ベース>艦長である。

「あなたの指揮下に入れるとは光栄であります、大尉」
 戦車部隊の少尉は骨太の手を差し出しながら言う。ブライト・ノアは戸惑いの影を頬に浮かべつつ、その手を握った。
 一年戦争後すぐに彼は軍を退いた。戦後の混乱にも関わらず、利権争いに明け暮れる連邦軍に嫌気がさしたのである。
 フォルモサ・カンパニー系の不動産会社で経験を積んだ後、彼はチャンホワで土地活用コンサルティング会社を設立した。かねてより交際していたミライ・ヤシマと結婚したのはその直前である。精力的に働いたかいもあり、会社の経営はおおむね順調だった。
 この時期、彼は政治的活動は一切行っていなかった。大多数の市民と同様、ティターンズの締め付けを窮屈に感じるが反抗するほどではないと考えていたらしい。
 だが彼の妻はその点において別の意見を有していた。二人の子を育てながらも、彼女はネット上で市民フォーラムを主催する。ヤシマ財閥の生まれであったことが、逆に彼女の政府への懐疑を強めさせていたのだろう。
 彼女のフォーラムは過激と言うにはほど遠かったが、時折官憲によるデータの強制削除を受けていた。もっとも、この時期一度もデータ削除を受けなかったフォーラムなぞ数えるほどしかなかったが。
 彼女の人脈には少なからず親エウーゴ派がいた。そしてその中に、チャンホワでデモを開始した面々が含まれていたのである。デモ隊が徐々に規模を増すにつれ、彼らはそれをまとめる指揮官を求めた。実戦経験があり、統率力のある人物を彼らは必要としたのだ。
「たしかミライさんの御主人って、あの<ホワイト・ベース>の艦長やってたんだろう?」
 最初のデモから三日目の昼下がり、一人の市民運動家が呟くように言った。チャンホワにおいて警察軍が最初の動きを見せ始めた時期だ。市民運動家らはブライト・ノアに三顧の礼のごとく熱心に協力を依頼する。
 最終的な敗北を確信していたにもかかわらず、彼は運動家らの要請を断りきれなかった。危機感をつのらせる市民を見捨てるような真似をすれば、自分も堕落した連邦軍の同類になってしまうように思えたからだ。
 こうして彼は再び、望まぬままに指揮官となったのである。

 事態が拡大する中、連邦政府はさらに不快な報告を受けねばならなかった。旧中華人民共和国沿海部の三省(フーチエン省、カントン省、チョーチャン省)が、今回の台湾省における騒乱への出兵はできないと表明したからである。
「騒乱の当省への伝播が懸念される今、他の省にまで兵を貸す余力はない」
 というのが彼らの公式なコメントだった。しかしそれが建て前に過ぎなかったことは明白である。
 旧中華人民共和国は地球連邦の成立に最期まで反対していた。同国の分裂無くして連邦の成立はありえなかったことを、多くの歴史家は指摘している。そして同国分裂の引き金となったシャンハイ戦争が諸外国の工作によって引き起こされたことは、0096現在において公然の秘密だった。一年戦争直前、ジオン公国のエスピオナージらがその裏工作の全貌を暴露したからである。ジオンによる連邦の結束を乱すための工作は、17年を経てなお有効であった。
 連邦軍は三省の説得を試みつつ、オキナワ(ニホン省)とチョンジュ(コリア省)の空挺部隊に出動を命じた。早期鎮圧をティターンズが強く求めたからである。
 なおこの段階で空爆も検討されたが、実施には至らなかった。市街爆撃によって発生する経済的損害の責任を誰も取りたがらなかったからだ(スマート爆撃は情報封鎖のために散布されたミノフスキー粒子のおかげで不可能だった)。

 連邦軍空挺部隊は一旦タイペイに集結、空中機動でチャンホワに迫った。カオシュンMS中隊らと共に、彼らは叛徒への攻撃を開始した。
 後にある連邦軍士官はこの戦いを「悪夢」と表現している。連邦軍は叛徒らの反撃により大損害を被り、後退したのだ。
 叛徒側に勝利を呼んだ最大の要因はブライト・ノア元大尉の卓越した指揮である。仕事がら市街の全容を把握していたノア元大尉は、建築物や地形をたくみに利用する。
 その上で彼は鎮圧部隊主力を誘引、そこを戦車部隊が集中的に砲撃した。突如公団住宅の向こうから降ってきた砲弾の雨に、鎮圧部隊は壊乱した。ことにMS部隊の損害は著しく、彼らを支援火力としてたのんでいた空挺部隊も後退せざるを得なかった。
 さる戦史研究家によれば、ノア元大尉のとった戦術は彼がガルマ・ザビを葬った時のそれの応用らしい。
 この勝利にチャンホワ市民は沸き返ったが、その時もノア元大尉は冷静な表情を崩さなかったと伝えられている。おそらく彼は、勝利が一時のものに過ぎないことを十分に承知していたのだろう。

 連邦軍による三省の説得工作は遅々として進まない。また省都タイペイなどでも不穏な動きが見られたため、台湾内の部隊をこれ以上チャンホワに投入することは出来なかった。
 ティターンズの出動も検討されたが、この段階では否定された。
「ティターンズにこれ以上恩を着せられてはかなわん」
 ある連邦軍将校は腹心にそう語ったと伝えられている。
 やむを得ず連邦軍はベトナム省カムラン及びニホン省サセボから揚陸部隊を出港させる。騒乱鎮圧には十分すぎるほどの規模だ。しかしその台湾到着にはまだ時間が必要だった。だが台湾省政府は早急な鎮圧を要請し続ける。しぶしぶながら、連邦軍は今すぐ投入できる部隊を探した。適正な火力を有し、空挺可能な部隊ならなんでも良い。
 こうして、ハワイにて錬成中の第6MS中隊に白穂の矢が立てられた。

「第6MS中隊ほど運に見放された部隊はない。いや、運のある奴でこの中隊に残った者はいない」
 早朝からの苛烈な戦闘を生き残った兵士の一人は、後日ジャーナリストにそう語っている。同中隊はオークリー基地叛乱事件後に新たな隊長を迎え、再編を進めていた。
「部隊の膿はすべて出した。もはや問題はない」
 降下直前に中隊長はそううそぶいたと言う。その時彼は、よもや七分後に自分が流れ弾で死ぬとは考えていなかったろう。
 彼の部隊がチャンホワに到着する直前から、叛徒側は戦車隊を分散させてゲリラ的な砲撃を開始していた。砲弾の不足から、もはや集中射撃は不可能と判断されたからだ。牽制にでもなればと放たれたその砲弾は、ものの見事に彼の乗る指揮通信車を直撃した。彼の死は純粋に不運によるものだった。そしてその不運をきっかけに、第6MS中隊にとっての悪夢は始まった。

”ヒロセ中尉、聞こえんのか中尉、前進だ!”
 GM2のコクピットにレオン・ジェファーソン大尉の声が響く。バイン・ヒロセ中尉は機体を後退させつつ、左手でコンソールの下を探った。目当てのジャックを力任せに引き抜くと、ジェファーソン大尉のやや高い声が消える。
「通信系の不良により、最先任士官の命令が聞き取れなかった…重大なチェック漏れで降格間違いなしだな」
 自らに言い聞かせるようにつぶやくと、彼は深く息をついた。彼は市民の敵となるよりも、臆病な無能者たることを選んだのだ。
 中隊長ら幹部士官の死後、第6MS中隊の指揮は自動的に最先任士官たるジェファーソン大尉に委ねられる。突然の中隊長死亡による動揺だったろうか、彼はかなり感情的になっていた。大尉は声をうわずらせつつ部隊に叛徒の殲滅を指示する。
「そうこなくっちゃ!」
 ジル・マックール軍曹はその命令を待っていたとばかりにビームライフルを撃つ。なぎはらうように放たれたビームはビルを穿ち、アスファルトを焼く。マヤ・アーネス・ナリタ伍長もそれに続く。沸き上がる煙の中で家屋は燃え、バルカン砲弾が炸裂する。
「なんてこった、なんてこった」
 財布をなくした老人のようにコウサク・アカシ少尉は力無くうめく。GM2のコクピットで、彼はズームアップされた瓦礫を見つめていた。鉄骨のむき出しとなったコンクリートの破片。鋭く割れた硝子。頭から血を流しつつ逃げまどう人々。そして、瓦礫の下でぴくりとも動かぬ小さな手。鮮やかな血が、瓦礫の隙間からゆっくりとにじみ出てくる。
「俺じゃない…悪いのは俺じゃないんだ」
 低く呟く彼の視界の片隅に、赤い輝きが映った。ロケット弾だ。反射的に彼はGM2を低くジャンプさせる。弾はかわしたものの、彼のGM2は瓦礫に足を取られよろめいた。慌てて伸ばした左腕が、傍らのビルの窓を粉々に砕く。きらめきながら落ちる硝子のかけらは、逃げまどう人々の頭上に降り注いだ。血の色がひどく赤い。
 アカシ少尉はGM2の姿勢を立て直すと、あらためてビームライフルを叛徒らのいる方向に放った。彼の目は血走り、もはや正常な判断能力が失われたことを示していた。

 中隊主力がじりじりと前進するその一方で、新たに叛徒側に加勢する者たちもいた。同中隊のディック・カーペンター准尉、ドゥルガー・キサラギ伍長、そしてポール・タレイラン少尉である。
「民間人の殲滅なんて、誇りある連邦軍人の任務ですか? そもそも人として許される行為とは思えません」
 タレイラン少尉に、キサラギ伍長は彼女らしくきっちりとした口調で思うところを述べた。その中の「誇りある連邦軍人」という言葉に、少尉は叛徒軍への参加を決意する。なぜなら彼にとって、真の軍人たることだけが残された唯一の誇りだったからだ。決断したら行動の早いカーペンター准尉とともに、彼らは定められた配置を離れて叛徒軍に合流した。
 突然の「裏切り」は鎮圧部隊に衝撃を与えた。叛徒側GM2の奇襲により、第6MS中隊は少なからぬ損害を被る。なにしろMSとの交戦など想定もしていなかったのだ。前進が再び止まると、ジェファーソン大尉の下に後退の要請がチョンジュ空挺部隊より届けられた。
「部隊、市民トモニ損害大ナリ。一旦後退サレンコトヲ求ム」
 ジェファーソン大尉はMS中隊単独での攻撃続行すらほのめかしたが、結局空挺部隊の意見に従った。歩兵なくして市街地の制圧はありえないことを知っていたからだ。

「通信、艦隊旗艦にデータ転送を」
 第6艦隊第13戦隊司令たるシンゾウ・サクマ中佐は、日次報告書のファックスを頼む中間管理職のような口調で命じた。重巡<ロベルト・ケルナー>のブリッジではごく日常的な光景である。
 ただ一つ違うのは、通信士の表情が硬くこわばっていることだ。が、それも無理のないことといえよう。なにしろ今彼が転送中のデータは、エウーゴとおぼしき艦隊の発見を示しているのだから。しかもその艦隊の中には、HLVと思われる反応を示す影すらあった。緊張せぬ方が尋常でないと言えよう。
 だがレーザー回線で会話する二人の男、サクマ中佐とミハエル・シュテッケン曹長はしごく冷静だった。
”リリス・ダニエル准尉の報告どおり…すね。このGM2の偵察ポッドで見ても明度・彩度ともに前回…ウーゴが使用したHLVと合致…てます”
 強いノイズの向こうから、シュテッケン曹長の声が響く。
「だからこそ怪しい。いくらエウーゴでもこんな賭博のような作戦を繰り返すと思えない」
”どうですかね…どうせ判断す…のはティターン…でしょう?”
 違いない、と中佐は答える。彼は航海長に偵察に出したハイボール及びGM2とのランデブーコースを算出するよう命じた。
 両の掌を組むと、彼は一瞬眉根をしかめる。自らの所属する組織が市民を武力で鎮圧せんとしていることに、憤りを感じたからだ。

 ティターンズ低軌道基地、ゼダン。CICに隣接する執務室では居並ぶ高級将校たちが一様に緊張の色を顔に浮かべていた。ようやく連邦軍からの台湾鎮圧要請が来たと思ったら、不意にエウーゴ艦隊接近の情報が入ってきたからだ。
 連邦軍第6艦隊から転送されたデータによれば、エウーゴは部隊を大きく二つに分けていた。その片方にはHLVとおぼしき物体が三つ含まれている。そちらが降下部隊と直衛艦隊、その後方が牽制・迎撃のための部隊のようだ。
 かき集められた情報から、ゼダンの参謀たちはエウーゴの目的をチャンホワの一時的占拠と叛徒らの回収と考えた。
 チャンホワを一時でも占拠すればエウーゴにとって反連邦宣伝の格好の材料となる。また、不正アップロードしやすい環境がわずかながら台湾に残っていることも今回の事件で明白になった。テロリスト呼ばわりされることを恐れるエウーゴが連邦市民への宣伝活動は重要視していることは間違いない。参謀たちはそのように推論していた。
 エウーゴが叛徒らの回収を目的としていると唱えたのは、情報局参謀だった。
「叛徒軍の指揮官はあのブライト・ノアです」
 他の参謀らの異論を、彼はその一言で封じる。一般市民はともかく、少しでも戦史に興味を持つ者であれば<ホワイト・ベース>艦長ブライト・ノアの名を知らぬはずがない。そして参謀たちは皆、アムロ・レイ、セイラ・マス、そしてカイ・シデンなど、少なからぬ<ホワイト・ベース>クルーがエウーゴに加わったことを知っていた。
「つまり<ホワイト・ベース>のネーム・バリューをエウーゴは宣伝に使いたがっている、と?」
 ジャマイカン・ダニンガン大佐の問いかけに、情報局参謀はうなずきをもって答える。それを横目で確認すると、彼は腰を浮かしつつバスク・オム少将に向き直った。
「好機です、少将。ゼダン守備隊を除く全力で出撃、台湾の叛徒もろともエウーゴ降下部隊を殲滅しましょう。ガンダムMk2なら降下中のHLVを攻撃できます。台湾鎮圧後には旧中国領へ向かいましょう。シナ人相手には砲艦外交が一番だと歴史が教えています」
「後方の敵艦隊にはどう対処する?」
「今ならジオン共和国からの部隊が間に合います。英雄シロッコ大佐…もとい、准将がその武名どおり頑張ってもらえば良いかと」
「うむ」
 オム大将の言葉が低く、しかし強く響いた。
「エウーゴめ、台湾が貴様らの墓場だ」
 ゴーグル状の眼鏡の下で暗い炎が蠢く様に、ダニンガン大佐は息をのむ。
 ここ数カ月、オム少将は以前にもまして強くエウーゴとの決戦を願っていた。オークリー基地反乱事件で面目を失った、と本人は考えていたからである。あるいは、あの事件以来発言力を増したパブテマス・シロッコ准将への嫉妬が彼の心の内にあったのかも知れない。

 ティターンズのゼダン駐留部隊は降下任務部隊と支援任務部隊を編成、出撃する。前者はワッケイン級のみで構成されており、ガンダムMK2と陸戦隊を搭載していた。後者は空母<トラファルガー>を旗艦とし、コア・ランサーを中心に対艦攻撃を重視した編成となっている。
 部隊の編成と出動準備は台湾での騒乱発生時から進められていたため、その出動は極めて迅速であった。
 バスク・オム少将はワッケイン級の<ロナルド・シェイ>に座乗、自ら降下任務部隊を率いる。彼は己の勝利を確信していた。

 人数がまばらな時の搭乗員待機所はひどく殺風景なものと相場が決まっている。ワッケイン級強襲母艦<ラルクリード・アンティー>のそれもまた、例外ではない。ティターンズ第2MS大隊のエイラ・シュタイン中尉は、どういう訳かそんな空気が好きだった。
 壁にもたれ掛かる(寝転がる)彼女に、アンガス・マクライト中尉は密閉パックのコーヒーを差し出した。黙って受け取り、彼女はストローに口を付ける。常と変わらぬ無機質な色をたたえた瞳は、彼女の感情の1%も示してはいなかった。
 出動準備に入った直後、彼女は大隊長たるミート・アルバ大佐にある提案をした。降下作戦を実施するにあたり、危機を回避するために部隊を分散させるという献策だった。
「危機?」
「オークリー事件の時にアッシマーを撃破した敵と遭遇する可能性があります」
 平坦な彼女の口調に、アルバ大佐は肩をつぼめて答える。
「あれは単なる事故だよ、中尉。アッシマーの主兵装たるリーダーの信頼性欠如はかねてより指摘されていた」
 なおも彼女は抗弁したが大佐はまったく取り合わなかった。アッシマー全機未帰還は事故によるものという見方が、連邦軍とティターンズの間では圧倒的だったからだ。
 出撃にあたり彼女は再び大佐に分散策を訴えたが相手にもされなかった。
「バスク・オム少将自らの指揮だ。異議がとおると思うか」
 その一言だけが彼女への答えだった。
 確かに、降下中の敵HLVを叩くためには戦力を集中するべきだ。だが、台湾に降下してからでもワッケイン級とガンダムMK2ならエウーゴの掃討は十分可能だろう。あえて存在するかも知れぬ危機を無視してまで積極策をとることに彼女は疑問を感じていた。
 壁のスピーカーが、搭乗員の待機所への集合を命ずる。ブリーフィングが終われば彼女らのガンダムは発進せねばならない。マジックテープでシートに身体を固定しつつ、彼女は自らの不安は杞憂に過ぎないと考えることにした。
 こうしてティターンズ降下任務部隊は運命への降下を開始したのである。

「16年ぶりの実戦ですな」
 アトキンソン戦隊旗艦<トラブゾン>のブリッジ。モニター上を見つめたまま、戦隊司令たるカズヤ・ナカガワ中佐は傍らのMS大隊長に声をかける。
「どうです、その…ニュータイプのカンってやつは」
「そんな便利なものではありませんよ。ですが、彼らはうまくやってくれると確信しています」
 その淡々とした口調に、ナカガワ中佐は少し気を楽にした。MS大隊長の名はアムロ・レイ少佐という。
 かつてのエースパイロットにとっても、16年のブランクは大きい。しかしその経験の豊かさは活かされるべきだとエウーゴ首脳陣は考えたのだ。指揮官としてはまだ成長途上のナカガワ中佐を補佐し、彼はアトキンソン戦隊の全MSを指揮する。
「接近中の敵編隊、コア・ランサーと思われるます」
 オペレーターの乾いた声がブリッジに響く。

 ティターンズ支援任務部隊所属のコア・ランサー部隊が接敵した時、エウーゴ側はすでにHLVを射出して退避しつつあった。彼らの敵はアトキンソン戦隊と第2遊撃戦隊である。
 エウーゴ側の読みどおり、ティターンズはガンダムを降下作戦に集中していた。ならば最初の一撃を耐えきれば良い。第2遊撃戦隊を率いるハマー・ミーラ少佐は、自らにそう言い聞かせる。
「ダリル、聞こえるか? 攻撃は高軌道側に集中。ルーキーが先走らないように注意」
 ノイズの隙間から、ダリル・ハーツフェルド中尉の声が返ってくる。ティンカーベルを主戦力とする彼ら第2遊撃戦隊は今回、アトキンソン戦隊のディアスを援護するよう命じられていた。
 非力なティンカーベルでコア・ランサーと対峙する部下に思いを馳せると、彼女はできることなら代わってやりたいとすら思う。しかしそれはできぬ相談だった。そもそも彼女が座乗する軽空母<マクタン>とて、非力さではティンカーベルと似たようなレベルなのだ。

”ワシーリ、びびって早撃ちすんなよ”
”へっ、チェリーボーイじゃあるまいし。こちとら百人斬りのラドチェンコよ”
 セシカ・プラウベル曹長とワシーリ・ラドチェンコ曹長の会話に、ミリアム・グッド軍曹はわずかに赤面した。二人の曹長をはじめ、第2遊撃戦隊には連邦軍の戦車大隊から編入された者が少なくなかった。当然、そのほとんどが宇宙での戦闘は初めてだ。だというのに、この肝のすわり具合はどうだろう。
「よし」
 強く声に出して彼女は気持ちを引き締めた。そうだ、じたばたしたってしょうがない。ランダム機動を繰り返してさえいれば運のある限りやられはしないのだ。凛とした眼差しを、彼女は正面に向ける。
 彼女のティンカーベルがコア・ランサーの放った光弾に貫かれたのは、まさにその瞬間だった。
「ミリアムっ」
 叫びつつ、ハーツフェルド中尉はバーニアを小さくふかす。眼もくらむばかりの閃光が彼のティンカーベルをかすめた。ちら、と距離計に目をやる。もっと敵を引き付けなければ有効な弾幕は張れない。
「まだだ、まだ撃つな」
 大声でわめきたい気持ちを抑えつつ、彼は強い口調で命ずる。ここで叫べば、ルーキーらがパニックに陥りかねなかったからだ。

 少なからぬティンカーベルが火球と化した後、第2遊撃戦隊は一斉にミサイルを放った。コア・ランサーは散開しているため、そのすべてを攻撃することは出来ない。彼らは一定範囲にのみミサイルを集中させることによりそれに対応した。
 音のない爆発とともに、光の壁が広がる。飽和攻撃だ。そこかしこで輝きが生まれ、消えていく。薄れゆく光の中から、コア・ランサーの猛禽のごときシルエットが次々と現れた。
「ボールもどきで守りきれると思って?」
 憫笑を目元に浮かべつつユウキ・ヤツセ大尉はスマートガンを放つ。ほとばしる電光はティンカーベルをいともたやすく砕いた。ミサイルを使いきったティンカーベル隊にあらがう術はない。
 機体を後退させながら、ノーラ・クレマン軍曹は苦笑する。退避可能な地形を無意識の内に探している自分に気付いたからだ。
「もう戦車隊じゃないってのに」
 小刻みに加速を繰り返す彼女の耳に不快な警戒音が響く。敵機が彼女の機体をロックオンしたのだ。心臓が早鐘のように鳴る。
 瞬間、一つの影が彼女のモニターをおおった。バーニアの光とともに、その影は敵機へと突き進む。
「ディアス!」
 そのたくましいシルエットに、彼女は安堵の声を上げる。アトキンソン戦隊のディアス隊が、ティンカーベル隊と敵のコア・ランサー隊の間に割って入ったのだ。
「二流MSがっ」
 正面のディアスにヤツセ大尉の機がスマートガンを放つ。撃破を確信した次の瞬間、彼女は目を見張った。
「スマートガンをはじいた? MK2並のIシールドだというのか」

「おおう、いけるでこのシールド」
 ジャン・ランヌ少尉は期せずして自らを狙い撃った者と同様に目を見張っていた。
 彼らアトキンソン戦隊に所属するディアスは皆、すでにバッチ1規格の改修を施されている。ジェネレーターの強化とそれにともなう小規模な改良だけだったが、その効果は絶大だった。
 サイド6の技術力不足から、これまでのジェネレーターはリック・ドムが装備していたタイプの改良型にすぎない。アナハイム社から提供された新型ジェネレーターはサイズの面ではそれと同等にも関わらず、格段に高い出力を発揮した。
「一世代進んでるね」
 新ジェネレーターについて訪ねられた際、アナハイム社出身のアーレン・フェルナンデス曹長はそう述べている。
 出力の強化は戦闘力の強化に直結する。加速のみならず、出力向上はIシールドの性能をも大きく引き上げるのだ。
 残念ながらビームライフルの更新が進んでいないため攻撃力は改善の余地があるものの、その他の面においてディアスは一級のMSへと進化していた。
「めくら撃ちでいい、全ミサイル発射!」
 レーザー回線でヤツセ大尉は叫ぶ。改良型ディアスの実力を見て取った彼女は、重くて誘爆しやすいミサイルを抱えたまま交戦することの愚を悟ったのだ。
 しかし戦場の混乱の中、彼女の言葉はすべての者には伝わらなかった。一機、また一機とコア・ランサーが火球と化す。実体弾による攻撃だ。
「よし」
 反動の制御に追われつつ、ヴァージニア・エミルトン伍長は新たな敵に狙いをつける。彼女が使用している火器は試製175mm長砲身ライフルだった。一般的に言って、実体弾は反動が大きく宇宙戦には向かない。その中でも彼女のライフルは特に反動が強く、取りまわしは極めて困難だった。にもかかわらず彼女がその装備を申請したのは、実体弾ならIフィールドを無視できるからである。ビームライフルと比べれば命中率は落ちるものの、命中すれば確実に撃破できた。
 無論、実体弾を用いているのは彼女だけではない。シェリル・メッツァー伍長もまたバズーカでコア・ランサーを迎え撃っていた。
「スペースノイドがっ」
 ケイ・ササキ准尉の叫びとともにコア・ランサーが一斉にミサイルを放つ。キョウシロウ・アマノ軍曹のディアスは不運にもその弾幕のど真ん中にあった。シニカルな台詞一つ言う間もなく、彼はクラスター弾によって機体もろともすり潰される。
「アマノ!」
 ランヌ少尉が爆光の中に消える仲間の名を呼んだ刹那、彼の背後から一機のディアスが飛び出していった。メッツァー伍長だ。バズーカを投げ捨て、彼女はサブマシンガンを乱射しつつササキ准尉のコア・ランサーに向かって突進する。相対する二機は急速に接近していった。だがそれは、Iシールドの効力が弱まることを意味する。
「この距離で有効なIシールドなどないっ」
 一瞬、ササキ准尉の放ったスマートガンがメッツァー伍長の機体を貫いたかと見えた。伍長のディアスが左腕を失っただけだったのは僥倖としか言いようがない。
 伍長を援護すべく銃口がササキ准尉の機体に向けられる。しかしその時既に、彼女の機は疾風のごとき勢いでエウーゴ艦隊へと接近していた。いや、彼女のみではない。加速においてMSに勝るコア・ランサーたちはティンカーベル隊もディアス隊も突破しつつあった。
 対空砲火を無視し、コア・ランサーは次々とスマートガンを放つ。迎撃を受けたため隊列は乱れていたものの、その攻撃は正確だった。
 エウーゴ艦艇7隻が被弾し、内2隻が轟沈する。しかし攻撃はそこまでだった。ほとんどのコア・ランサーは迎撃を切り抜けるべくミサイルを消費していたため、艦艇にとどめを刺せなかったのだ。
 なんてことだ、とギリアム・ザインバーグ少尉は呻いた。かつては圧倒的だったティターンズの戦術的優位が、徐々にだが失われつつある。MSによる護衛を伴わない艦隊攻撃は今後実施できまい。戦場を離脱しつつ、彼はそう考える。
 ふと彼は、地球の映るモニターを眺めた。とらえどころのない不安が胸をよぎったからだ。彼はそれを、自分が台湾市民の安全を願っているからだと考えた。

 その頃、ティターンズ降下任務部隊は台湾への降下を開始している。ワッケイン級12隻からは既にガンダムMK2三個小隊が出撃していた。
 ガンダム・シリーズの大きな特徴の一つに大気圏突入能力が挙げられる。冷却ガスの噴射により大気との摩擦熱を緩和できるようにガンダム・シリーズは設計されていた。これは、今回のように亜宇宙から大気圏上層部での戦闘を可能とするために付与された機能である。無論、大気圏突入能力と言っても単独での降下が可能というわけではない。どうあがいてもMSでは無事着陸できるほど減速することは不可能なのだ。
 したがって、なるべく高々度のうちにワッケイン級に着艦する必要がある。これには極めて高い技量が要求された。多数のガンダムを搭載しながら三個小隊しか出撃させなかったのはそのためだ。
 大気圏突入時には、あらゆる通信手段が無力化される。このため、ガンダム三個小隊は事前に入力されたデータに基づいてHLVへと向かった。HLVの機動にさしたる自由度があるわけでもないから、それでも問題ないはずだ。
 最も早くHLVと接敵したのは、エイラ・シュタイン中尉率いる小隊だった。先行するアスティン・ブルーム准尉のガンダムが、ビームライフルの先端で敵を指し示す。若干距離があるもののほぼ同高度、狙撃には問題なかった。
「貴様らが下らぬ振る舞いをするから、民衆までが無謀な蜂起など試みるのだ」
 一人呟きながら、シュタイン中尉は赤熱する敵に照準を合わせる。彼女にとって、エウーゴは唾棄すべき叛徒だった。連邦という秩序があってこそ理想も追求できるというのが彼女の主張だ。
 機体の振動を押さえ込み、ヘッドアップディスプレイの中のレティクルと目標を重ねる。トリガーを引き絞ろうとした瞬間、彼女はHLVが四散するのを目撃した。
 ブルーム准尉がしとめたかと一瞬考えたものの、彼女の悟性はそうでないことを指摘する。大気の中に散らばっていく破片の中にMSらしいものはまったくなかった。いやそれどころか、そこには何も搭載されてなかったかのように見える。ちぎれ飛ぶ外板も注視するとあまりに弱々しい。
「ダミー、か」
 力無く彼女は、その言葉を口から押し出す。エウーゴが何の狙いもなくこんな手の込んだ欺瞞をするとは考えにくい。彼女は、自らの苦い予想が的中したことを悟った。

 パブテマス・シロッコ准将率いるティターンズ・ジオン共和国混成艦隊がエウーゴ艦隊と接触したのは、支援任務部隊が交戦した5分後だった。
 彼らが接触したのはエイパー・シナプス大佐率いるエウーゴ第1遊撃戦隊である。正確に言えば同第3遊撃戦隊も後続していたが、その「主力」はすでにそこにはない。彼らは挟み撃ちにあうことを避けるべく、速度を上げて混成艦隊へと突進しつつあった。
”反航戦でいく。ここで艦を沈められたら主力の連中に笑われるぞ”
 第3遊撃戦隊を率いるヘンケン・ベッケナー中佐の声が、スピーカー越しに響く。カール・ステルダン曹長はジーマの足をカタパルトに乗せながら、ノーマルスーツに仕込んだスレートに触れた。ヘルメットの中に彼の好みのロックンロールが流れる。
「ステルダン曹長、行きます」
 激しい衝撃とともに、彼のジーマは射出される。目指す方角には、敵のMSとMAが群をなして迫りつつあった。

”中隊長、ウラキ大尉”
 射出の順番を待つコウ・ウラキ大尉は、ヘルメットの中に響いた声で頭を上げた。発艦前のため、コクピットのハッチはまだ開けたままだ。そのハッチにしがみついているノーマルスーツ姿の女性が、先の声の主だった。メカニックのキラ・コウサカ一等兵である。
”大尉、メルケなら負けませんよね”
 視線で言葉を促すウラキに、彼女はそう問いかけた。ヘルメットのバイザー越しに、彼女の眼差しを見つめる。彼はふと、彼女の気持ちを理解できたような気がした。
 メカニックとしてできることを彼女は全力で行ったのだろう。しかし、彼女自身は戦うことが出来ない。最前線に立つことは出来ない。敵と刃を重ねるのは、彼女らメカニックを信じるパイロットたちだけだ。そのもどかしい思いを彼は感じた。
「大丈夫、MSもパイロットも一級ぞろいだ。そう簡単にやらせはしない」
 そう答え、彼は人の良さそうな笑みを浮かべた。自らの言葉に含まれる嘘を、彼は表情で隠せるようになっていた。連邦のアグレッサーだった彼は、ティターンズの強さを骨身にしみるほど知っているのだ。
「さあ、そろそろ射出だ。反復出撃の可能性もあるから準備だけは怠りなくな」
”はいっ、ご武運を”
 器用にハッチを蹴り、彼女は甲板へと飛ぶ。その背を見ながら、ウラキは中隊長としての責務を果たすことを己に誓った。

 エウーゴ第1遊撃戦隊と最初に砲火を交えたのは、ジオン共和国軍だった。ゼムを前面に押し出し、彼らはエウーゴに肉薄する。反航戦ゆえ、互いに陣を組んだままの激突となる。
「ガザ隊は援護射撃に集中せよ」
 旗艦<ジェンティーレ・マダレッリ>のブリッジにチャナード・アームパード大佐の落ちついた声が響く。彼が率いる第2大隊は、正面から攻撃を受けとめるよう指示されていた。損害を最小限にとどめたい彼としてはいささか不本意ではあったが、ティターンズからの命令とあってはやむを得ない。限られた範囲内で最善をつくそうと彼は思う。
「エウーゴのMS、かたいっ」
 フェンネル・パルパニア中尉が顔をしかめつつ唸る。この時、エウーゴ第1遊撃戦隊のMSの半数近くは新型のメルケ・ディアスだった。
 メルケ・ディアスは、エウーゴの依頼に基づきアナハイムによって新規生産されたディアスである。先に触れたバッチ1改修済みディアスとほぼ同等だが、コクピットなどがエウーゴ仕様とされていた。メルケ・ディアスの強力なIシールドはゼムやガザにとって大きな脅威だった。
 パルパニア中尉はビームライフルを腰のラッチに収め、ビームサーベルを抜き放つ。格闘戦に持ち込むつもりだ。
 強くバーニアをふかし、彼は敵機との間合いをつめる。転瞬、激しい衝撃が彼のゼムを揺さぶる。被弾したのだ。脇のモニターで破損個所が左脚部のみなのを確認すると、彼は覚悟を決めて眼前のメルケ・ディアスに突っ込んだ。敵機の足下に回り込み、跳ね上がるようにしてビームサーベルを振るう。腰のあたりからコクピットにかけて切断されたそれは、次の瞬間粉々に砕け散った。

 エルゼルキル・オーリンマイア軍曹のゼムがモニター上から消える。ガレム・サイデル中尉は自分たちが押され気味であることを把握した。
”中尉、さがりやしょう。混戦に巻き込まれたら俺たちゃおしまいですぜ”
 同じガザを駆るリッキー・サイモン軍曹だ。前線で戦うことを好むサイデル中尉としては不本意だったが、ここは軍曹の意見が正しい。
 後退を、と言いかけたその時、モニターの中に火球が広がった。サイモン軍曹の機体だ。「サイモンっ」
 むなしい叫びの後、彼は部下に後退を命じた。怒りに身をまかすほどに彼の判断力は乱れていなかったからだ。

 やや優勢に戦いを進めるエウーゴに対し、シロッコ准将はジオン第2大隊を後退させた。代わって彼は無傷の第3大隊を前面に出す。艦隊と交戦宙域の距離が縮んでいたこともあり、この策は成功した。
 突如濃密になった砲火に、エウーゴMS部隊は後退を余儀なくされた。シナプス司令をはじめエウーゴ艦隊の対応は素早かったものの、その陣形はわずかに乱れる。シロッコ准将はまさにその隙を狙っていた。
「9時方向、高熱源体多数接近! コア・ランサーと思われます」
「MSに迎撃させろ、艦隊に近づけるな」
 オペレーターの報告を受け、シナプス大佐は短く命ずる。艦隊からの誘導でMS3個小隊が迎撃に回る。
「なんだ、あれは」
 ジーマを駆るシルディ・ウィンザー軍曹は、迫り来る敵がコア・ランサーのみでないことに気付いた。
「データにない…噂の新型!」
 白い頬をなお白く染めつつ、彼女は仲間に注意を喚起する。ティターンズの新型MS、ガンダムMK3の初陣はこうしてはじまった。

「へへ、反乱鎮圧も面白そうだったがエウーゴ狩りも悪くない」
 アンリー・デブレ中尉は誰に言うともなくMK3のコクピットで呟く。コア・ランサーに匹敵する加速。ガンダムの名にふさわしい運動性。それらを兼ね備えたMK3は、エウーゴの砲火を次々とかわす。
「一匹目っ」
 叫びつつ彼は左足を上げる。膝から伸びたホーンの先端から、ビームサーベルが突き出された。左手でそれを逆手に掴み、すれ違いざまに一機のジーマを切り裂く。爆発を背に、彼はさらなる獲物を求めた。
「この新型、化け物かっ」
 エリナ・カシムラ曹長はデブレ中尉のMK3に向かってビームライフルを乱射する。メカに詳しい彼女であったからこそ、自らに肉薄する敵機のすさまじいパワーに恐怖した。
「下がれ、曹長」
 叫びざま、彼女のメルケ・ディアスを突き飛ばす者がいた。ダニエル・スター中尉だ。右の腕で、彼のメルケ・ディアスはデブレ機の左手首をはっしと受けとめる。素早く彼は、左手でビームサーベルを抜かんとした。
「もらうっ」
「甘い」
 デブレ中尉はすかさず右膝をくりだす。その先端に、ビームサーベルが煌めいた。ホーン内のサーベルホルダーに収めたまま、ビームサーベルをオンにしたのだ。鋭く伸びた閃光は、スター中尉機の下腹部を深くえぐる。右の掌でそれを強引に引き離すと、彼は左逆手でとどめを刺す。
 間近で起こった爆発に、カシムラ曹長は思わず眼をおおった。だが彼女の兵士としての部分が、次の瞬間デブレ機に向けビームライフルを構えさせる。
「新型でも背中から直撃をうければ!」
 しかし彼女は遂にトリガーを引くことはなかった。セヌカ・アシャンティ中尉の放ったスマートガンによって、彼女はメルケ・ディアスごと蒸発したからだ。
「ひゅっ、助かったぜセヌカ」
”助けたわけではない。任務を遂行しているだけだ”
 アシャンティ中尉の無愛想な返事に、デブレ中尉は左の親指で自らの喉をはらった。

 迎撃に上がったMSを軽く振り切り、ガンダムMK3とコア・ランサーはエウーゴ艦隊に肉薄した。ティターンズの猛攻に、艦隊はありったけのミサイルで対応する。シナプス大佐はそれによって敵の攻撃がいささかでも不正確になることを祈るしかなかった。
「てっ」
 クレイド・ジェスハ大尉の声とともに、スマートガンが一斉に放たれる。転瞬、エウーゴ艦隊の5隻が炎の固まりと化した。他にも3隻に命中弾を確認する。反航戦のため戦果の拡大は図れないものの、大きな勝利だ。
”やりましたね、大尉”
 興奮を抑えきれないリジェルタ・エリクセン中尉の声に、彼は安堵の息をもらす。しかしモニターを覗き込んだとき、彼は一瞬言葉を失った。光の具合か、エリクセンのMK3が悪鬼の形相を浮かべているように見えたからだ。

 ここで物語は若干時をさかのぼる。ティターンズのエイラ・シュタイン中尉がエウーゴの罠に気付いた頃、彼女の意見を却下したミート・アルバ大佐は<ラルクリード・アンティー>ブリッジでユーラシア大陸の地図を見ていた。
 通常、HLVに戦闘能力はない。大気圏突入の最中ならばなおさらだ。出撃したガンダムMK2がエウーゴ降下部隊殲滅の知らせとともに戻ってくるのは時間の問題だ、と彼は考えていた。
 台湾鎮圧も、ティターンズが本腰を上げた以上造作もないことだ。叛徒掃討はそれなりに面倒ではあるが、今回はオム少将やダニンガン大佐に苦労してもらえばいい。となればここは、戦闘が終わった後のことでも考えているしかない。
 フーチョウ、ナンチャンを越え、チョンチンあたりで示威行動をするよう提案してみるか。そのままデリーとカラチの上空を進み、ダカールに向かうというのは悪くない。治安委任法の更新期限が迫っているが、降下任務部隊そろっての示威行動を見れば潜在的叛徒たちも肝をつぶして何も言えなくなろう。
「そして提案者たる俺はジャミトフ・ハイマン中将よりお褒めの言葉をいただく」
 口の中でそう呟いたとき、彼はオペレーターのうらがえった声を聞いた。
「なにごとか」
「ル…<ルルド・オザワ>の信号が消えました」
「艦長、光学センサーは使えるか?」
「短時間でしたらなんとか」
 アルバ大佐の問いに、艦長は短く答える。アルバ大佐は決して好人物ではなかったが、無能でもなかった。
「事故かもしれん。センサーがお釈迦になってもかまわんからサーチ」
「は」
 きびきびとクルーが動き、しばらくすると正面モニターに映像が映し出された。
 真っ赤な壁のようだ、と大佐は思う。大気との摩擦で艦が赤く輝いているためだ。
「センサー、パンします」
 オペレーターの声とともにモニター内の情景がゆっくりと動く。振動と熱のためか、ときおり激しいノイズに画面はおおわれた。
「この角度です、<ルルド・オザワ>はこの方向にいるはずです」
 オペレーターの声はかすかに震えている。モニターに映し出されているのはやはり赤い壁だけだった。
「爆沈? いや、まさか」
 大佐がシュタイン中尉の進言を思い出した瞬間、オペレーターが絶叫した。
「4時方向機影! モ…モビルアーマーです」
 ブリッジの空気が凍りついた。大気圏突入時に戦闘可能な兵器はガンダムのみというのが、これまでの常識である。その常識が今、最悪のタイミングで覆された。アルバ大佐は自らの脚が震えているのを感じる。
 モニターの端に、たしかにMAらしい影があった。冷却ガスとおぼしき白煙を細くたなびかせ、それは滑るようにして右に移動する。刹那、巨大な爆光が広がった。
「<ジェラルド・ジー>爆沈!」
 絶望的な悲鳴をオペレーターはあげる。間違いない。オークリー事件の際、アッシマーを全機撃破したのはこいつだ。冷たい汗が、大佐の背中を流れ落ちる。
「艦長! ガンダムを呼び戻せ」
「不可能です、大佐」
「ならば逃げるんだ! そうだ、旗艦の<ロナルド・シェイ>を盾にしよう。エウーゴだってどうせならバスク・オム少将を殺したいはずだ。艦長、急げ、転針を…」
 もつれる舌でそこまで言ったとき、彼は自分を見つめる者たちの眼に蔑みと哀れみの色が浮かんでいることに気付いた。
 大佐は口をゆっくりと閉じ、肩をがくりと落とす。濁った眼差しを、彼は灼熱する空気のみを映すモニターに向けた。
「…赤い、壁」
 偶然にも彼が口にした言葉は、エウーゴの作戦名と一致していた。しかしそれはあまり意味のないことである。なぜなら、彼はその20秒後にはブリッジもろとも大気の中に四散していたのだから。

「いったい…いったいどうしてっ」
 降下任務部隊旗艦<ロナルド・シェイ>(ワッケイン級)のブリッジ。憤りのあまり時折声を詰まらせながら、バスク・オム少将はわめく。
「ダニンガン! きさま、どう責任を取るつもりだ」
「な…エウーゴにアッシマーが撃墜できるわけないと断言したのは少将、あなたですよ」
 いつもより確実に1オクターブは高い声でジャマイカン・ダニンガン大佐は反論する。成す術もなく次々と爆沈していく僚艦の姿に、ブリッジは完全にパニックとなっていた。
「少将、我らが沈められるのも時間の問題です。降伏しましょう、死んではなにも」
 ダニンガン大佐はそれ以上何も語ることはなかった。オム少将が放った拳銃弾が彼の脳しょうを壁面になすりつけたからだ。
「誰が、誰がスペースノイドに降伏なぞ…」
 拳銃を握りしめたまま、少将は肩を大きく上下させる。不意に、大きな衝撃が艦の前部から響いてきた。
「なにごとかっ」
「コクラン中尉です、中尉がガンダムだけでも脱出させろと…」
 ジェシー・コクラン中尉は自分たちが乗るガンダムだけでも脱出させるよう管制官に要請した。当然ながら、そんなことは不可能である。なかば狂気に陥っていた彼はガンダムMK2を起動、とめにはいったタカシ・シオカワ准尉のMK2もろとも左艦首ハッチをビームライフルで吹き飛ばしたのだ。
 オペレーターが言葉を区切った瞬間、<ロナルド・シェイ>は回復不能のスピンに陥る。無数のクルーが放つ断末魔の叫びとともに、それは大気の中に熔け落ちていった。

「いいか、ガンダムは後回しだ。ワッケイン級を一隻残らず片づけろ」
 リシャール・シャミナード中尉の言葉をリョウ・エヅエ軍曹は思い出した。彼の前にはあらがう術一つ持たないワッケイン級がいる。
「でも、そうとばかりは言ってらんないのよね、これが」
 軽口を叩きながら、彼はジョイスティックをひねった。閃光が彼のゼータの真下を突き抜ける。ガンダムMK2のビームライフルだ。わずかに高度をとった後、彼はなめらかにガンダムの背後をとる。
 降下時、ガンダムはシールドを前に持つ。そこに冷却ガスを腰ブロックから吹き付けて、ガンダムは大気との摩擦熱に耐えるのだ。当然ビームライフルの射界は制限されるし、サーベルはまず使えない。背後に回り込まれた時、ガンダムとそれを駆るアントニオ・コローヌ少尉の運命は決まった。
 ゼータのスマートガンが火を噴き、コローヌ機の左腕が吹き飛ぶ。瞬く間に赤熱し、コローヌ機は大気の激流の中で砕け散った。

「この二人、よく粘る」
 ゼファート・フォン・ローゼンバーグ伍長は敬意を込めた呟きをもらす。彼の目には今、二機のガンダムMK2が映っていた。互いのガンダムがそれぞれの背後を睨むかたちをとっている。そう簡単に背後はとらせないぞ、ということだ。最初につっかかってきた一機(アスティン・ブルーム機)はうまく撃墜したが、この二人はちと手強い。
「しかし」
 左手から接近してきた機体がレナ・コンフォース曹長のゼータであることを確認すると、彼は翼を振ってゼスチャーする。曹長が同じゼスチャーをするのを確認すると、彼は機体を大きく右に振った。同時に、コンフォース機が左に回り込む。二機のゼータはそれぞれガンダムMK2の左脇にスマートガンをたたき込んだ。

 やられた、とマーク・レンフィールド少尉は思った。MK2のコクピットが裂け、希薄な大気の中に身体が放り出されるのを感じる。
 その時ふと、彼は仲間を感じた。
 エイラ・シュタイン中尉だ。彼と同様にガンダムのコクピットから吸い出される様子が見える。なにもかもがひどくゆっくりと推移しているように彼には思えた。
 ふと、彼は声に気付いた。シュタイン中尉の声だ。
(私はわたしが嫌いだ。夢を見るわたしなんて嫌いだ)
(夢を見てなぜ悪いの。これは『私』の夢よ)
(言うな! 夢で何が変わる)
 二人のシュタイン中尉が言い争っている。とめなきゃ、と彼は思った。
(僕も同じだよ、僕も夢を隠しているよ)
(そうなの?)
 シュタイン中尉の声が一つに重なる。
(同じだね)
(同じだ)

 二人のティターンズパイロットはコクピットから投げ出された瞬間、衝撃波と摩擦熱で死亡した。「事実」はそれだけである。

 マリアナ上空の空は鮮やかな青に染まっていた。その中に、いくつかの白っぽい点が見える。北米第2戦術飛行隊のコア・ブースター2である。そのコクピットで、カズヤ・リックマン中尉は天空を仰いでいた。
「うそだろう、おい」
 台湾への出動命令に備え、北米第2戦術飛行隊はホノルルに移動していた。そこにティターンズから要請が入る。
「エウーゴHLVの撃破を確認されたし。万一生残機があった場合はこれを撃滅せよ」
 その要請はティターンズがゼダン出撃の直前に出したものだった。しかし慌てて高高度迎撃装備で上がった彼らがそこに見たのは、敗残のティターンズ降下任務部隊である。
 12隻のワッケイン級強襲母艦の内、無事降下できた艦はわずか3隻。部隊を率いたバスク・オム少将は戦死。ティターンズ創設以来の大敗だった。
”中尉、2時上方を”
 ダイスケ・ナガハラ少尉の声に、彼は眼を皿のようにする。遥か上空に、白いガスの尾を引いて飛び行く影があった。あれが降下任務部隊を叩いたMAに違いない。
”見えますか、中尉。シルバーサーファーみたいな奴です”
 連邦軍とティターンズでは、以後そのMAをシルバーサーファーの仮称で呼ぶことになる。

 ティターンズの絶対的優位を覆したこの作戦を、エウーゴではオペレーション・レッドウォール、すなわち「赤壁」作戦と呼んでいた。作戦の原案はレナ・コンフォース曹長の献策によるものとされているが、作戦名はヘンケン・ベッケナー中佐が命名したようだ。
 作戦の概要は以下のとおりである。
 第3遊撃戦隊から早期に出撃したゼータはティターンズ側から見て地平線の向こうで待機する。ティターンズの降下開始を見計らい(ダミーHLVを追うはずなので計算できる)降下、大気を利用しての軌道修正でティターンズ艦隊の背後に回り込み、ワッケイン級の殲滅を図る。秘密兵器ゼータの能力を十二分に発揮した作戦である。
 ベッケナー中佐の願ったとおり、エウーゴはまさに曹操軍を長江に葬った呉軍のごとき大勝利をおさめた。
 ティターンズは主力MSたるガンダムMK2を大量に失い、戦略的に重要な軌道往還能力すらひいき目に見ても半減している。軌道上での戦いにおいて苦戦を強いられたとはいえ、エウーゴの戦略的勝利だった。
 しかしこの勝利が、一人の梟雄を歴史の表舞台に立たせるきっかけになろうとは誰一人想像していなかった。

 チャンホワ鎮圧作戦は結局、カムラン及びサセボからの連邦軍揚陸部隊を待って開始された。ティターンズ降下任務部隊が事実上「戦隊」レベルとなってしまい、歩兵戦力が不足したからだ。
 作戦が開始され、そこかしこで小競り合いが生じる。いよいよMS等の火力支援部隊が投入されんとしたその時、叛徒陣地に白旗が翻った。降伏である。叛徒たちはこれ以上の流血を無意味と判断したのだ。
 多大な犠牲を払ったティターンズにとって、それはあまりにもあっけない結末だった。彼らは騒乱を組織した者たちを次々と検挙する。しかしその中に、ブライト・ノアの姿はなかった。そればかりでなく、彼の家族や第6MS中隊から寝返った三名(タレイラン少尉、カーペンター准尉、キサラギ伍長)もその姿を消している。ティターンズ情報部は厳しい尋問の末にわずかな情報を得た。
「ベルトーチカ・イルマと名乗るエウーゴの女性エージェントの勧めにより、彼らは再起を期すべく台湾を脱出した」
 酸鼻なまでの拷問を繰り返したにも関わらず、彼らが得た情報はその程度にとどまる。さっそく近隣省にまで及ぶ大規模な検問が行われたが、遂に彼らを捕らえることは出来なかった。ティターンズの権威が失墜したことにより、連邦に非協力的な姿勢を示す者が増えつつあったのだ。

 一方、軌道上でもティターンズは苦難を強いられていた。エウーゴのシルバーサーファー(ゼータ)がゼダンへのゲリラ的攻撃を繰り返したからだ。大気層を利用し様々な方向から攻撃してくるシルバーサーファーに、基地守備隊は対応しきれなかった。遠距離からのミサイル攻撃が主であったから致命的な損害はないものの、港湾施設などが被った傷は無視できない。
 結局ティターンズは、台湾鎮圧を終えた部隊を再びゼダンに戻した。迎撃態勢をどうにか整えるしか、シルバーサーファーの跳梁をとどめる手がなかったのだ。
 ゼダンへの帰還に当たっては情報の秘匿が徹底された。ティターンズ艦隊の所在が不明ならば、いかにシルバーサーファーとてその迎撃は極めて難しいのだ。

「おかしいですよ、こんなの」
 エウーゴ母艦<ウスズミ>内の搭乗員待機所に、シェリル・メッツァー伍長の甲高い声が響いた。
「なんで台湾を見殺しにしたんですか? これじゃ僕たち、ただの腑抜けでしょう」
 彼女に問いつめられているのはカズヤ・ナカガワ中佐である。彼とて無論、チャンホワ陥落の知らせに何も思わぬでもない。しかし遅かれ早かれ、チャンホワは落ちたはずだ。それをとめる力は今のエウーゴにはない。
「言い過ぎよ、メッツァー」
「エミルトンは黙って! 市民を見捨てて、エウーゴの大義がたつんですか? そんなに命が惜しいんですか?」
 ヴァージニア・エミルトン伍長すらはねのけ、なおも彼女は叫ぶ。
「うぬぼれるな、メッツァー」
 感情を抑えた、それでいて強い意志を感じさせる声が彼女の背中から響いた。振り返る彼女の目に、アムロ・レイ少佐の姿が映った。
「所詮、人の出来ることには限界がある。それを無視するのは傲慢に過ぎない」
「それで台湾の人たちが納得するんですか? HLVが一隻でも残っているのなら、たとえ死が待っていても降下すべきでしょう」
 言葉を切った刹那、レイ少佐の平手が彼女の頬に飛んだ。
「軽々しく死を口にするな!」
 常とは違う気迫に彼女はたじろいだ。その表情に、レイ少佐はその目を伏せる。
「いいか、伍長。死を自己満足の道具にするな」
「しかし」
「降下作戦に誰よりも反対したのは『ジャック・イン・ダイヤ』、ウォン・リーさんだった」
 不意を打つような言葉に、彼女は口をつぐむ。
「あの方の娘夫婦はチャンホワに住んでおられた。消息は、いまだ不明だ」
 絶句するメッツァーに彼はその真摯な眼差しを向ける。
「もう一度言う。死を自己満足の道具にするな。死んではなんにもならないんだ」

 ジオン共和国国防軍第1師団旗艦、<ドライヤー・ギュント>。ジオンには限られた数しかない、マゼラン級をベースとする指揮巡洋艦である。
 その師団長公室に、部屋の主たるフォン・ヘルシング少将の姿を見いだすことが出来る。
「まあ、かけたまえ」
 ゆったりとした口調で語りかけつつ、彼は傍らのポットからコーヒーを注ぐ。人工重力区画(遠心力によるもの)のみに許される贅沢な光景だ。質実なマグカップに満たされたそれを受け取るのは、第1大隊のシブリー・ブラックウッド少尉だった。
「恐縮です」
 縁の太い丸眼鏡が彼女の理知的な印象を強めている。自らのカップに口を付けた後、少将は言葉を続けた。
「少尉のレポートは見せてもらった。なかなか興味深い」
 やはりそのことか、と彼女は思う。先日彼女はレポートを提出した。「ジオン共和国の戦略的選択肢について」と題したそれは、宇宙圏の自治確立を達成するためにジオンはいかなる方策を採るべきかについて述べていた。平たく言えば、ティターンズや連邦のくびきを逃れるためにジオンはどの勢力と組むべきかと論じている。とても公にはできないレポートだった。
「君の意見はこうだったね…地理的条件と戦力不足から、エウーゴとの連帯は選択しにくい。高い軍事力と技術力を持つアクシズ・ジオンと結べば、連邦に対抗し得る」
 一旦言葉を切り、少将はもう一口コーヒーを飲む。あわせて彼女もそれに口をつけた。苦みが強く、酸味を抑えたブレンドだ。もう少し苦みが弱ければいいのにな、と彼女は考える。
「どうかね、少尉。例のシルバーサーファーのおかげでティターンズもだいぶ痛いめにあったが、意見に変わりはないかね」
「現時点では修正する必要を感じません。シルバーサーファーのような兵器を開発したということは、エウーゴが近地球圏での活動を重視している証拠です。地球の世論に訴えかける機会を作り続けたいというのがその理由でしょう。なにしろ民心を失えば彼らはただのテロリストですから」
 ヘルシング少将は静かに彼女の言葉に耳を傾けている。しかしその眼には、重い責務を担う者のみが持つ色が浮かんでいた。
 小さく咳払いし、彼女は言葉を続ける。
「無論、ジオン『公国』の復活は願い下げです。民主政治形態をアクシズが受け入れないのなら、エウーゴと連携してこれを牽制すべきでしょう」
 うむ、と少将は答える。いや、それは自らへの言葉だったかもしれない。
「少尉、以後もこの問題を検討してもらいたい。だがこれは覚えておいて欲しい。私は大義のためといえど戦いを呼ぶべきではないと考えている。いかなる種類の戦争でも、苦しむのは市民なのだ」
 その言葉に、彼女は少将の深い逡巡を見たような気がした。

 ジオン共和国に空襲警報が発令されたのは、その4日後だった。哨戒後の補給のためジオン共和国に向かいつつあった連邦軍第26戦隊が、突如何者かと交戦状態に陥ったのだ。
「くそ、随分と近い」
 軽巡<アルディス・クライブ>のブリッジで、ローゲ・シュテルン少佐はモニターに映るデータに呻く。データは第26戦隊から転送されてきたものだ。近郊宙域哨戒中のジオン共和国第1大隊は、第26戦隊を支援すべく現場へと急行しつつあった。
”速いですな。間に合わないかもしれん”
「とにかく出るんだ」
 MS甲板上のストラ・デゴス少尉をせかし、彼は再びモニターを睨む。連邦軍の軽巡を示すアイコンが一つ、また一つと消える。窓の向こうにかすかに広がる閃光が、それらの最後の姿だ。
”こいつら、手際が良すぎる。通常の三倍の作戦スピードだわ”
 一足先に出撃していたヒルダ・フォン・ザビロニア少尉が感嘆の声を上げる。その言葉に、シュテルン少佐は息をのんだ。
「通常の、三倍?」
 そうだ。てっきりエウーゴが相手かと思ったがそうじゃない。そもそも彼らにはわざわざジオンを襲う理由も余力もないはずだ。ではこの敵は…。
”お初にお目にかかる、国防軍の諸君”
 レーザー回線に不意に何者かが割り込んできた。ノイズ混じりながら良くとおる声だ。
 再び彼方に火球が広がる。モニター上から、最後の連邦艦艇アイコンが消えた。所属不明艦艇のアイコンが楔を組んで彼らに迫る。薄れゆく火球を背に、槍の穂先を思わせるシルエットが浮かんだ。
 静まり返ったブリッジの傍らを、濃緑色の影がよぎった。
「あれは…ビグロじゃないか」
 シュテルンの言うとおり、それは旧ジオンのMA『ビグロ』だった。より正確に言うなら、ヤクト・ビグロと呼ばれる強化型である。機首から強力なスマートガンを槍のように突き出し、それは疾風のごとく駆け抜けていった。
 続いて、同系色の人がたがバーニアを轟かせて舞う。スパイクのついたショルダーアーマー、淡い赤に輝くモノアイ。まぎれもなくジオン系のMSだ。かつての傑作機『ザク』を一回りたくましくしたような印象のそれは、アクシズ・ジオンの主力MS『ドーガ・アイン』だった。
 そしてさらに、一機のMSが彼らの眼前に迫る。『ドーガ・ツヴァイ』なるそのMSは、先の『ドーガ・アイン』の強化型だった。頭部はニホンの兜のようなボリュームがあり、額には指揮官機であることを示す羽根飾りがついている。
 しかし、第1大隊の衆目を奪ったのはそれらの点ではなかった。そのMSの色…渋みを帯びた赤に、彼らは一人の男を思い出していた。そう、数々の伝説を残して消えたはずのあの男の名を。
「『赤い彗星』のシャア…」
 絶句する人々に誇示するがごとく見事な機動を見せると、それは彼らの赤い重巡の艦首にすっくと立った。あの腕、あの作戦指揮。間違いなく一年戦争のエース、シャア・アズナブルだ。
”我らはアクシズ・ジオン第1遊撃艦隊『メテオール・フロッテ』。ご挨拶に参上したまでゆえ、お見送りは無用に願いたい”
 気負いのない口調でそう述べると、その赤いMSは右手を上げた。MSが、MAが、そして深紅の艦隊が一斉に加速する。目もくらむばかりの光芒とともに、彼らはいずこへともなく去っていった。
”艦長、追撃しますか”
 デゴス少尉の問いに、シュテルンはしばしの沈黙の後に答えた。
「いや、やめよう。返り討ちにあうのがおちだ」
 震える膝を、彼は懸命に押さえつけた。

 ジオン共和国首都、ズム・シティ。
 夕暮れの公園のベンチに二人の男がたたずんでいた。こざっぱりとしたスーツを身にまとう二人は、取引先廻りを終えた工場長と営業係長のように見える。赤毛の工場長風の男が第3大隊を率いるアレクセイ・ザメンツェフ中佐だと気付く者は、誰一人としていなかった。コンビニエンスストアで買い求めた缶コーヒーを一息に飲み干すと、彼は口を開く。
「まずいな」
「たしかに。実にまずい」
 営業係長がさらりと答える。<アルディス・クライブ>艦長、ローゲ・シュテルン少佐である。無論、二人が話しているのは缶コーヒーのことではない。先日のメテオール・フロッテ襲来の影響についてだ。
「現在ジオン共和国がおかれている地位を不当に低いと考える者は多い。公国の復活を望む者も少なくないだろう」
「あの大見得の切りよう、おまけに千両役者たるシャア・アズナブルの復活…どうにもうさんくさいプロパガンダですが、それに乗る者も多いでしょうな」
 缶コーヒーをなめ、シュテルンは眉間に皺を寄せる。
「例の記録ムービー、みんな大騒ぎだったよ。ゴルバ・ハイデルン少佐やエレノア・ドール少尉なんかは、アクシズのMSに目を輝かせていた」
「あの二人は大丈夫でしょう。彼らがザビ家独裁の復活を望むとはとうてい思えない」
 そうだな、と頷いて言葉を続ける。
「アームパード大佐はどう動くかな」
 第2大隊隊長にザメンツェフは言及する。
「ジオン共和国の分裂は避けたいと考えてはいるようです。はっきりとはしませんが」
「ティターンズ・連邦にアクシズか。前門の狼、後門の虎というやつだな。いっそエウーゴとでもつるむか」
「ティターンズがアクシズと潰し合ってくれれば楽なんですがね」
 そういってシュテルンは笑う。うまくかわされたな、とザメンツェフは思った。状況によってはエウーゴとジオン共和国が同盟する必要もでてこようと彼は考えている。すでにヒ・ディ・スワラジ軍曹のように、エウーゴと渡りをつけるべく動いている者すらいた。
 ジオン共和国国防軍が分裂を避けられるか否かは、神ならぬ身に知る由もない。

 月面から一隻の小型貨物船が飛び立つ。その簡素極まりない居住区に、ティターンズが血眼で追っている者たちがいた。チャンホワを脱出したブライト・ノアら一行である。
 小さくなっていく月を眺めながら、ベルトーチカ・イルマは大きく息をつく。ここに至るまでの道程は並大抵ではなかった。もともとジャーナリストだった彼女は、機会があればこの経験をノンフィクションとして出版したいとすら考える。
「さて、ベルトーチカさん」
 ブライト・ノアの言葉に、彼女は振り返った。
「そろそろ我々の身の振り方について話してもらえないかね」
 ええ、と彼女は同意を示す。万一のことを考えて、彼女は必要でないことをいっさい口にしなかったのだ。
「ノア大尉には第2遊撃戦隊の指揮を補佐していただくことになろうと思います。近い将来、いずれかのサイドの解放作戦が決行される予定ですから、経験豊かな士官が前線で必要とされているのです」
 意外だ、と言う表情を彼は見せる。
「随分と大胆な話ですな。冒険と言ってもいい。ティターンズの戦力は落ちたかも知れないが、連邦軍の数はエウーゴにとって脅威のはずですが」
「もうすぐカラバの鍵が開きます」
 いぶかしむ彼に、彼女は言葉を付け足す。
「今はまだくわしいことは言えませんが、カラバの鍵によって世論がエウーゴ支持に大きく傾くでしょう。連邦軍は分裂します」
「むう…作戦の目的は?」
「我らエウーゴには拠点がありません。革命を成就させるにはそれが必要です。いつまでもアナハイムのような資本家に頼り続ける訳にはいきません」
 物言いのきつい女性だな、と彼は思った。

 要塞、ア・バオア・クー。艦の係留を確認すると、シンゾウ・サクマ中佐は操舵手を労った。
 今回、彼の所属する第6艦隊がここに入港した理由は他でもない。増強のため、第6MS中隊と北米第2戦術飛行隊が第6艦隊に編入となったのだ。
 つまるところ寄せ集めだな、というのが彼の正直な気持ちだった。おそらく首脳部は地上で部隊を再編するのが面倒になったのだろう。それでも増強はありがたい。なんとか宇宙になれて欲しい、と思う。
「む…」
 奧のドックから覗く艦に、彼は目を止める。マゼラン級のようだがかなり手が加えられているようだ。主砲の形状も異なるし、エンジン部も強化されているように見える。なによりも奇異なのはそのブリッジだった。極端に小さく、とても指揮がとれるとは思えない。
「実験艦かね?」
 立ち去ろうとするパイロット(水先案内人)に、彼は問いかける。
「ティターンズの艦ですよ。明日ぐらいにサイド3に曳航されるはずです」
「サイド3? ジオン共和国にか」
 ふと、軽い頭痛を彼は感じる。思い当たる理由のない痛みだった。

「<ヴァルハラ>、まもなく視界に入ります」
 オペレーターの声が重巡<レウルーラ>のブリッジに響く。シャア・アズナブル准将は小さく頷いた。
 これでよかったのだろうか、と彼は思う。
 一年戦争後、彼はアクシズへと向かった。小惑星帯で真のジオニズムを築こうと考えたからだ。同時に、なるべく地球圏を離れたいと思ったからでもある。彼にとって、一年戦争はつらく重い記憶だった。
 アクシズに降り立ったとき、彼はキャスバル・レム・ダイクンとしての自分を捨てることを決意した。父の復讐に生きた自らの半生をむなしく感じたのだ。父の思想を受け継ぐことこそ自らの道だ、と彼は考える。
 しかしアクシズの現実は、必ずしも彼の期待したとおりにはならなかった。マハラジャ・カーンとマ・クベによる熾烈な権力争いの中で彼は翻弄される。
 優勢に立ったマハラジャ・カーンは、彼をマ・クベと同じキシリア派とみなした。これにより、彼は足掛け二年を地球圏ですごすことになる。名目は地球圏の反連邦派の糾合だった。後に彼はその実績を買われ、第1遊撃艦隊司令に任ぜられる。
 マハラジャ・カーンの死去とハマーン・カーン・ザビの総裁就任を受け、彼はアクシズへと戻った。驚くべきことに、ハマーン・カーン・ザビを頂点に据えるべく尽力したのはマ・クベだった。祖父マハラジャ・カーンと彼女との間隙をマ・クベは利用したのだ。
 摂政としてアクシズの実権を手中に収めたマ・クベだったが、その地位はもろくも失われる。彼がミネバ・ザビの失踪を黙認していたことが明るみに出たのだ。マ・クベは地球圏に去り、消息を絶った。
 そしてそのあとには、友愛を知らず、大人を信用できないハマーンだけが残った。
 そんな彼女がシャアへの認識を変えたのは、0085年のジュピトリス事件と0087年のアクシズ事変だった。シャアが率いる第1遊撃艦隊は連邦に痛撃を与え、停滞による破滅からアクシズ・ジオンを救った。ハマーン・カーン・ザビが彼に好意を抱いたのはそれ以降である。シャアの無私の働きぶりを自らへの好意故だと、彼女は感じたのだ。しかしシャア自身も、自らに思い当たる節がないわけではない。
 あの時自分は妹の姿を彼女の中に見いだしていたのかもしれない、と彼はときどき思う。そのいたわりの気持ちを、肉親の情すら知らぬ彼女は愛だと思ったのではあるまいか。
 しかしそんな彼ですら、彼女を芯から変えることは出来なかった。幼き日は私生児と呼ばれ、権力争いの道具となり、ついには姫君あつかいを受けた者が、はたしてバランスのとれたメンタリティーを持ちえるだろうか?
 だがそれでもなお、シャアは彼女を見捨てられなかった。妹を捨てて復讐に生きた記憶が、彼にそのような振る舞いを許さなかったのだ。
 音もなく、<ヴァルハラ>の巨大な影は遥かな虚空のかなたに漂っていた。

 フォン・ブラウン郊外のクワトロ・バジーナ邸。その応接間で、ビル・アナハイムは邸宅の主に食って掛かっていた。
「バジーナさん、どういうことです? もう一、二年はアクシズは動かないはずじゃなかったのですか」
「まあ落ちついて下さい」
 翡色の高麗青磁を見つめつつ、バジーナは穏やかな口調で答える。しかし絹のスカーフをもてあそぶ仕草が、彼の内心の動揺をわずかにさらけ出していた。
 彼ら二人は、ティターンズとアクシズ・ジオンによる二極対立構造の成立を狙っていた。二つの相容れぬ陣営が存在すれば、そこに商機が生まれる。ことに軍需産業には無限の需要をもたらすはずだ。あとは蓄えた資本で両陣営を思う方向に誘導すればよい。しかしその目論見は見事に崩れた。
 まずエウーゴのレッド・ウォール作戦により、ティターンズがその戦力を大きく減じている。そしてまた、ハマーンの暴走によりアクシズが予想外に早く地球圏に進出してきた。その戦力は連邦軍全体に対抗できるほど大きく育ってはいないはずだ。
「どうする。このままではティターンズ、アクシズ、エウーゴの三つどもえとなる。最悪、漁夫の利でエウーゴの天下となりかねない。そうなると統御は難しい」
「たしかにその通り」
「何をひと事のように。これはあなたにとっても大問題ですぞ、マ・クベ大佐」
 わずかな沈黙の後、クワトロ・バジーナ…いや、マ・クベは口を開いた。
「その名はあまり使わないでいただきたい。私を追う者はなにかと多いのだ」
「そうでしょうな。オデッサから莫大な資源を持ち出し、その過半を『公国再興のため』と称して私した貴方ならば」
「…どうも貴方はご自分が誰の融資で現在の地位を築いたか忘れておられるようだ」
 緊張が部屋を満たす。アナハイムは何かを言おうとしたが、口を閉じ、豪奢なソファーに腰を下ろした。
「すまない…あまりの急転に我を失っていたようだ」
「いや、お気持ちはよくわかります。それよりも、今後いかに対応すべきかを考えねばなりません」
「なにか策でも?」
 そのすがるような眼に、マ・クベはかすかな哀れみを覚えた。所詮は専門バカの坊やということか…。
「一時ティターンズとアクシズを同盟させるのです。エウーゴが潰れ連邦軍が疲弊すれば、再び我らが思う方向に世界を操れます。幸い、復讐鬼のバスク・オム少将はもういない。あとの連中は、自らの権力を保つためなら誰とでも野合する連中ばかりです」
「ううむ…するとベン・ウッダー准将にアクシズと交渉させる?」
「いや、こんなときは実戦部隊に強い影響力を持つ者に限ります。無論、ハイマン中将では話になりません」
「では誰を」
「パブテマス・シロッコ。権力を欲しがる俗物ですよ」
 世界を操る自信は、まだ揺らいではいなかった。

 アフリカ西岸の都市、ダカール。ティターンズ本部ビルの最上階にジャミトフ・ハイマン中将の執務室はある。人を威圧するほど重々しい机の後ろに、彼はたたずんでいた。
 秘書官らからレポートを受け取ると、彼は全員を退席させる。レポートは、治安委任法の期限延長の見通しについて述べていた。彼は必ず書類はプリントアウトさせる主義だった。
「多少の工作は必要だが延長可能、か」
 一人結論を口にすると、彼はそのレポートを机に置く。現在のティターンズがほぼ思うとおりの活動が出来るのは、治安委任法によるところが大きい。時限立法であるこれの期限延長ができなくなれば、ティターンズの力は大きく後退しよう。レポートの結論に安堵しつつも、とらえどころのない不安が彼の胸の角にわだかまっていた。
 大きく息をつき、彼は懐から銀の懐中時計をとりだす。親指でふたを開け、彼はその裏をじっと見つめる。そこにはめ込まれた写真を、彼は誰にも見せたことはなかった。

 パブテマス・シロッコの少将への昇進が通知されたのは、その翌日のことだった。あわせて、故バスク・オム大将(死後二階級特進)の後を継ぎティターンズ実働部隊の指揮権が彼に委ねられる。
 この異例の出世に反感を抱いた者は少なくなかったが、表立って異論を唱える者はいなかった。彼以外にその役割を果たし得る者は皆、成層圏に散っていたからだ。
 だが、シロッコ少将はゼダンに入ろうとはしない。彼は自らがジオン共和国に留まる理由についてこう述べた。
「今ゼダンに艦艇を集中すれば、エウーゴは例のシルバーサーファーで補給線を狙ってくるでしょう。じり貧になるのが落ちです」

 ジオン共和国駐留部隊司令部。質実だがやや広めの執務室に、シロッコ少将の姿がある。本革のほどよくクッションのきいた椅子で、彼は一時のくつろぎを得ていた。
 昇進以来、彼は実に多忙な日々を送っている。書類、決済、会議、交渉…やるべきことは山積みだった。だが彼は、そういった事務処理面でも有能であることを証明して見せる。
「ハイマン中将が推したのも伊達ではない」というのがもっぱらの評価だった。
「すまない、サラ。もう一杯」
 乳白色のティーカップを上げ、彼は目元に親しげな笑みを浮かべる。サラ・ザビアロフ准尉はオレンジ色のポットから熱い紅茶をそのカップに注いだ。
 背を伸ばし、シロッコは大きく息をつく。その表情を、彼女はいとおしく思った。
 彼女は幼い日をサイド6で過ごした。赤子の時既に父はなく、病弱の母との二人暮らしだった。
「お前のお父さんは強くてまっすぐな人だった」
 母はよく彼女にそう語った。その母が亡くなった後、彼女は母の友人によってフォン・ブラウンに引き取られる。裕福だったが、どこか冷たい男だった。いっしょに暮らすわけでもなく、ただ金銭面での援助だけはしてくれる。自分が飼い猫になった夢を、そのころの彼女はときどき見た。
 ジュニアハイスクールで無料の適性試験を受けたときから、彼女の運命は変わった。その試験は、連邦軍の外郭団体によっておこなわれたのである。
 連邦軍からの突然のスカウトに、彼女は飛びついた。母の友人による反対も振り切っての行為だった。そしてそこで、彼女はパブテマス・シロッコに出会う。そのときなぜか彼女は、彼と会うために自分が産まれたのだと思った。
「メテオール・フロッテの一件は残念だったな。ビットが間に合っていれば試す絶好の機会だったのに」
 くつろいだ口調でシロッコは語る。その言葉に、彼女は小さくうなづいた。
「少将…お忙しいご様子ですね」
 モニターのデスクトップに未処理ラベルのフォルダーがずらりと並んでるのを見て、彼女は言う。
「でも、それもハイマン中将にそれだけ信頼されているってことですよね」
 明るい調子の彼女の言葉に、彼はカップを下ろした。懐からロケットを取り出し、握る。幼子が母の手を掴む時のような強くひたむきな握り方だった。
「サラ、君はハイマンをどう思う?」
 事実上の最高権力者を呼び捨てにした上司に、彼女は戸惑いの表情を浮かべる。
「ただの俗物だよ。世界を革新する気もなく、自らの権力を守ることだけに汲々とする、マッカーシーの尻尾さ」
 当惑し立ち尽くす彼女をたった一人の聴衆とし、彼はなおも語り続ける。
「威をもって君臨せんとする者、それにおもねり私腹をむさぼる者、耳目を塞いで日々の安息に浸る者…それらを野放しにしていては人の革新はあり得ない。サラ、君たちのような新世代を彼らは喰い殺すだろう。あたかもクロノス神のごとく」
 気がつくとシロッコはすっくと立ち上がっていた。預言者のごとく語り、彼はその炯々と輝く眼差しを彼女に向ける。
「人の革新のため、そして君たち新世代のため、私は戦う。たとえその相手がハイマンやアナハイムであろうとも…わかるな、サラ」
 はい、と彼女は答えた。

次回予告

 遂にカラバの鍵は開けられた。老いた独裁者は倒れ、若き獅子が立ち上がる。彼は血塗られた手で何を掴むのか。血に浸された足でどこに向かうのか。宇宙に月に、再び嵐が巻き起こる。
 次回「ゼータ0096」第4話、「カラバの鍵」
 君は、時の涙を見る。


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