ゼータ0096第4話
サイド7の一角にタスカルーサ・ストリートと呼ばれる通りがある。ここでオスカ・ダブリンとマーカー・クランは共同で会計事務所を営んでいた。スーツ姿のよく似合う二人が、かつて<ホワイト・ベース>のオペレーターだったことを知る者は少ない。
時折、二人の事務所のコンピューターにトータルネット経由で何者かが侵入したような形跡が見られた。しかしながら、データが壊されたり盗まれた痕はない。
「あれじゃないか? ほら、ティターンズ情報局があの噂を確かめようと」
何度目かの侵入事件後、いぶかしむダブリンにクランは苦笑いを浮かべながら言った。
「ああ、<ホワイト・ベース>クルーがエウーゴに集まってるとかいう噂のことか? まさか。いくらなんでもティターンズがそんな噂を本気にするものか。そもそも俺たち、昔のクルーとはろくに顔を合わせていないんだぞ」
「いや、オスカ。ひょっとしてティターンズはその噂が事実だと知ってるのかもしれないぞ」
「はいはい。きっとデラーズ事件もタラの不漁もティターンズの仕業だよ。それよりこの書類、明日までだぞ」
そんな会話があってからもう半年近い。オスカ・ダブリンは大きなあくびをしつつ、早朝の事務所に現れた。午後に来客を予定していたので、早めに片づけておきたい仕事があったのだ。
電子レンジで昨日の残りのコーヒーを温める。椅子に腰掛け、彼は手元の端末を立ち上げた。いつもどおりの起動音。コーヒーをすすり、彼は画面を見る。
「?」
デスクトップ上の見慣れぬアイコンに彼は眼を止めた。「30バンチの虐殺」なるファイル名に彼は眉をしかめる。
「マーカーか? 悪ふざけがすぎるぞ」
とりあえずダブルクリックし、そのファイルを開いた。ムービープレイヤーが作動し、画像が再生される。
「これは…」
端末のスピーカーは、轟音と叫び声を絶え間なく再生した。コーヒーを置き、彼はモニターを食い入るように見つめる。
この日、これと同じ光景がトータルネットを利用できるすべての地域で(すなわち、地球圏のほぼ全域で)無数に繰り返された。ある歴史家は後にこう述べている。
「それは黙示録において天使が高らかに吹いたラッパの音のようだった。たしかにそれは、ハルマゲドンの始まりを世に告げたのだ」
ジオン共和国ズム・シティ郊外、第1師団第1大隊駐屯地。清潔な研修室の片隅に二人の人影を見ることができる。一人はヒ・ディ・スワラジ軍曹だった。浅黒いが端正な顔立ちをこわばらせ、彼は懸命にキーボードをたたく。その肩越しに、シブリー・ブラックウッド少尉が端末のモニターを覗き込んでいた。
「これです、少尉」
マウスポインターで彼は一つのアイコンを示した。眉をしかめつつ、彼女はモニターに顔を近づける。
「『30バンチの虐殺』、か。これが他の端末にも?」
「ええ。概算ですが、少なくともネットワークされているコンピュータの3%以上にこのファイルが現れているはずです」
興奮を抑えきれぬ口調で言いながら、彼はファイルをモニター一杯の大きさで再生させた。
画面をおおうような煙。その向こうに、無数の人々の姿があった。角度からするとカメラの位置は20メートルぐらいの高さらしい。人々が手にしているのはプラカードだろうか。「ザーンは地球の奴隷にあらず」「独裁者ジャミトフは帰れ」の文字がわずかに読みとれた。
幾度も突き上げられるザーン州の旗。画面手前に向かって投石する者の姿も見える。おそらく煙は、このデモ隊の火炎瓶かなにかによって生じたものだろう。民衆の声が地響きのように聞こえる。
重い機械音と共に画面が揺れた。どうやらこの画像ファイルはMSから撮られたものらしい。高さからするとメインカメラによって撮影されたものか。
ゆっくりと後退しつつあるのだろう、画面の端に黒く塗装されたMSの手足がちらりと写る。
「あの装備、ティターンズのガンダムだな。ザーン(サイド1)での治安出動というと94年の」
「『30バンチ事件』しかありません。エウーゴの内ゲバで一つのコロニーが全滅したと言われてきたあの事件の真相が、ここにはっきりと示されています」
スワラジ軍曹の言葉に、スピーカーからの声が重なる。
”なんですって? そんなことをしたら市民に計り知れない被害が生じます。どうかご再考を”
”カラバ中佐、これは命令である。ただちに実施せよ”
「この声…ダニンガンか?」
先の戦いで戦死したジャマイカン・ダニンガン大佐の名をブラックウッド少尉は口にする。無線越しの声らしく聞き取りにくいが、そのいやみったらしい口調には憶えがあった。
”あれを使えば有毒ガスが大量に発生します。関係のない市民にも影響が…ご再考を願います”
声の主はなおも抗弁していた。「カラバ中佐」と呼ばれている彼がこの映像の撮影者、すなわちそのガンダムのパイロットらしい。
無線の向こうで、なにかざわめきがあった。
”中佐、これは私の命令である”
”!”
息を飲む気配がモニター越しにすら伝わってくる。続く声に、ブラックウッド等も絶句した。いくつかのやりとりの後、モニター上を巨大な炎が埋め尽くす。民衆の声はたちまち絶叫と化した。
画面が揺れ、そのガンダムは前進する。ぶれる画像の中、炎に包まれたままのたうちまわる無数の人々が映し出された。火炎地獄そのままの光景を映し出すモニターを見つめつつ、ブラックウッド少佐はようやく口を開く。
「この映像、合成ではないのだな?」
「正規のウォーターマーク(透かし、転じてデータ作成者を特定するための情報)が入っています。大まかにチェックしましたが、このデータが94年にティターンズのMSによって撮影されたことは間違いありません」
「そのファイルが数千万のコンピュータに送り込まれている、と」
スワラジ軍曹は振り返り、その黒い眼をブラックウッドに向ける。彼女の強く結ばれた唇に、彼は迷いを見いだすことはできなかった。与えられたわずか一つの台詞を語る役者のように、彼は言葉をつぐ。
「もはやティターンズの力をもってしてもそれらを完全に消去することは不可能です。革命が、はじまりました」
「長かったな」
「いえ。これからです」
エウーゴの自航浮きドック<ゲッカビジン>。「キング・オブ・ハート」ことブレックス・フォーラ准将の私室で、セイラ・マスは凛然と答えた。
「たしかに『カラバの鍵』は開きました。しかしその鍵が開けたのは革命の最初の扉にすぎません」
そう述べつつ、彼女は遠き日のことに思いを馳せる。
ならばジオンを倒したあと連邦も倒すかい、とカイ・シデンは言った。一年戦争末期のことだ。あの一言が自分を「青い薔薇」にした、と彼女は思う。
一年戦争後はじめて再会したとき、彼はエウーゴの一員となっていた。
「俺は闘わなきゃいけないんだ。人を取り込むシステムと」
エウーゴに加わった理由を、カイはそう語った。言葉は少なかったが、セイラは彼の気持ちを理解した。彼はあのミハルという少女を救えなかったことを悔やんでいる。そして、いまだに自らを責めている。
なんと悲しい魂だろう、と彼女は思った。だから彼を抱いたのだ。北風に冷え切った指先を己の掌で握りしめるようにして、二人は一夜を共に過ごした。
その5年後、カイ・シデンはサイド6においてティターンズ情報局によって拘禁される。厳しい拷問の末、彼は死んだ。警察はそれを事故死として処理し、報道機関は一切を無視する。
すでにエウーゴの一員として活動していたセイラ・マスは、彼の遺志を継ぐことを決意した。この時、彼女はカイ・シデンのコードネーム「ブラック・ジョーカー」を引き継ぐよう依頼されたが拒否している。
「彼の名と思いを時代の彼方まで伝えたいのです」
シャッフルからの使者に対し、彼女は眉根を曇らせつつそう語ったという。そして彼女は「カラバの鍵」を亡きカイ・シデンから受け継ぐことになる。
トータルネット上には無数の動画データが行き交っている。それぞれのデータは大きく、複雑な圧縮処理がなされている。「カラバの鍵」はそれを操作することを目的とした、一種のコンピュータウイルスだった。
まず、元ファイル(この場合は『30バンチの虐殺』)を無数の断片に分解し、他の動画データに不可視の状態で混入させる。全く関連性のない多数のデータに混入されたそれらはネット上を無作為に行き来した。さらにそれは様々な形でコピーされ、増殖していく。時を経るにつれ、それら断片を含むファイルはねずみ算式に増した。
ここまでの過程に携わっていたのが、カイ・シデンだった。自らの逮捕が近いことを悟った彼は、「カラバの鍵」をアジト近くの山林に一枚のデータディスクに保存して隠す。そしてそのありかを、彼はセイラ・マスだけに伝えた。
他のシャッフル・メンバーと直接会談する機会をもてなかった彼女は、安全のためそれを他の誰にも伝えなかった。エウーゴが賭けにも似た作戦で彼女を救出したのは、ひとえにそれゆえだったのだ。
オークリー基地からの脱出後、彼女は「カラバの鍵」を再び呼び起こした。そして今度は、「鍵」を開くよう指示する。
その指示も又、画像ファイルに混入した形で全世界へと広がっていった。指示を受けると、断片化されたデータは互いの位置を知らせあう。そしてある時、それらは一斉に互いをコピーして連結、それぞれのローカルディスク上に一つのファイルとして復元する。
この日、全世界で多くの人々の目に触れた「30バンチの虐殺」こそ、「カラバの鍵」によって復元されたファイルだったのだ。
カラバ中佐が撮影した映像は、30バンチ事件がティターンズによる虐殺だったことを証明する貴重な証拠だった。そこには事件の全容が生々しく映し出されている。
ジャミトフ・ハイマン指示の下、ティターンズはスーパーナパームでデモ隊を焼き払った。有毒ガスによる一般市民の被害が予想をはるかに上回るほど大きかったことにバスク・オムは狼狽し、さらに攻撃範囲を拡大する。そしてついに、有毒ガスは30バンチ全土をおおった。記録フィルムはここで唐突に途切れる。
画面には代わってエウーゴのブレックス・フォーラ准将が登場する。彼はここでエウーゴの政治綱領(現連邦政府の解体・エウーゴを中核とする暫定政府の設置・人類圏全体に対し公正な新政府への速やかな移行)を堂々たる口調で述べ、ファイルは終わる。
「ベン・ウッダー殿はさぞお困りでしょうな」
革張りのソファーにそのがっしりとした身体を埋め、ウラガンはそう言う。ズム・シティーの高級ホテルの一室に、彼はクワトロ・バジーナの使者として来ていた。
彼が話しかけた相手はパブテマス・シロッコ少将である。若くしてティターンズ実働部隊の指揮権を委ねられた男は、おだやかな笑みを口元にたたえていた。その笑みが意味するところをウラガンは図りかねている。
「ティターンズ批判事件はこれまでにも数知れずあった。先の台湾のように暴動に発展したケースは珍しいが、皆無ではない。しかしティターンズ情報局はそれらをすべて押さえ込んだ…これまではね」
内心の戸惑いを隠そうとしたためか、ウラガンはやや饒舌気味だ。
「しかし今回はそうはいかない。ティターンズ情報局のみならず連邦情報省の総力をもってしても、億単位のコンピュータから『30バンチの虐殺』を抹消することはできますまい。なにしろ削除される以上のスピードでそれはコピーされつつあるのですからな。治安委任法の延長はむずかしいでしょう。ティターンズは活動の法的根拠は失いかねない」
不敵な笑みを浮かべようと、ウラガンは試みる。頬をひきつらせる彼の目を覗き込んだ後、シロッコは口を開いた。
「クワトロ・バジーナさんのお使い、ということでしたな」
膝の上で組んでいた指をとき、彼は椅子に深くもたれ掛かる。
「ご存じの通り私も多忙でしてね。世間話に時間を割くわけにはいきません。単刀直入におっしゃっていただけませんか? 『アクシズ・ジオンと組み、エウーゴを倒せ』と」
言うべき言葉を失い、ウラガンは絶句する。何故と問いかけんとする彼に、シロッコは笑みを深めつつ言葉を続ける。
「バジーナさんの噂はかねがねうかがっています。アナハイムのフォン・ブラウン支社のみならず、旧ジオンの方々ともパイプをお持ちだとか。その方の使いがこの時期に、それ以外の理由でお見えになるとは考えられませんので」
蛇に睨まれたカエルとは自分のことか、とウラガンは思う。大局の把握ぶりといい洞察力といい、なみなみならぬものを彼はシロッコの中に感じた。その感情を「恐怖」と呼んでもいいだろう。ウラガンは自らの感情を懸命に抑圧した。
しかし彼は、恐怖心を抱いてしかるべきだったことを後に知る。
オーストラリア省は伝統的に反スペースノイド感情の強い土地である。無論、省都アデレードとて例外ではない。ティターンズ総裁ジャミトフ・ハイマンは今、その都庁にあった。名目は軍管区視察のためとされているがそうではない。連邦議会批判のデモンストレーションをおこなうべく、彼ははるばるセネガルからオーストラリアまで飛んだのだ。
昨日、連邦議会は治安委任法の期限延長を圧倒的多数で否決した。のみならず、公共福祉法及び保安執行法の廃止案が提出されている。しかもそれが議会を通過するのは確実視されていた。法的にはまさにティターンズは手足をもがれつつある。その現状にハイマンは強い焦りを憶えていた。
「これまで皆、私の言うことを聞いてきたではないか。なぜ掌をかえしたように逆らうのか」
議員等のティターンズ批判を聞き、彼は側近にそう洩らしたという。これまで彼は力により批判を押さえつけてきた。身の危険を知りつつもあえてそれに立ち向かった者はごく少数でしかない。批判は蕾のうちに摘み取られ、花咲くことはなかった。
しかし今回は違う。ティターンズの圧力に忍従していた者たちは一斉に立ち上がった。「30バンチの虐殺」を見た者すべてによる支持を、彼らは確信したのだ。
「一輪の花は踏みにじれよう。しかし秋の訪れに山が赤く染まるのをとどめることはできない」
技術者出身のモスク・ハン議員は、自らがティターンズ批判の先鋒に立った理由をそう述べている。
ハン議員の言葉通り、もはやティターンズとて世界が変わりつつあるのを押し止めることはできない。それでもなお、ハイマンは諦めていなかった。いや、諦めてはならないと彼は考えていた。
(私は忘れていたのかもしれん。自らが何故、権力の座を目指したかを)
遠く響く群衆の声を聞きつつ、彼は思う。
戦前から、彼は衆愚を嫌っていた。目先の利益のみを求め、歴史から学ぶこともなく、痛みを先送りにするしか能のない愚かな大衆! 大局的に見れば一年戦争とて彼らが招いたも同じだとハイマンは考えた。
腐敗し、自浄能力を失う一方の連邦政府。自ら独裁者の僕となることを選んだサイド3市民たち。戦争は終わったが、彼らの愚かさに変わりはない。
ならば、と彼は考える。
「私は民衆を利用する。名を為し、地位を得、あのザビ家のように君臨する。そして淘汰するのだ、愚かな者たちを」
若く聡明な情婦の髪を撫でつつ、彼は夜毎にそう語った。そしてデラーズ事件が、彼に野望を実現する機会を与える。
愚かな地球市民に迎合することしか知らぬ連邦政府は事件のもたらした多大な被害に恐怖し、ティターンズの結成を認めた。連邦軍や政府が醜態を晒す度にティターンズの地位は上がり、彼はまさに自らが夢想したとおり地球圏に君臨する。
(だが、私は人類を淘汰しきれなかった)
彼の名を呼ぶ群衆の声を聞きつつ、彼はそう呟く。
無数の衆愚を淘汰するには、彼に残された時間はあまりに短かい。彼は後継者にそれを託すことを決意した。そして残る人生を、後継者が自在に世界を統治するための準備期間にすることを自らに誓う。その誓いが完全に果たされつつある今、議会の造反が発生したのだ。
(だからこそ、私は自らの地位を守らねばならない。造反者を倒し、必要とあらば実力を持って世界を跪かせる)
口元を引き締め、彼は控えの間から3階のベランダに設けられた演壇へと進み出る。見渡す限りの人、人。常ならエレカの行き交うメインストリートは、今や巨大な集会所と化していた。民衆の大半はティターンズ情報局の事前工作によって集められた人々である。官製デモ、と呼んで間違いあるまい。
ビルの壁面に設けられたスクリーンには一年戦争時の悲惨な情景が映し出される手はずとなっている。多数のマスコミも招かれており、ここでの集会の様子は全世界に広く報道されるはずだ。
群衆はティターンズを支持し、連邦政府を強く非難する。その上でティターンズがいまだ強力な実働部隊を持つことをほのめかせば、再び自らにすりよってくる議員も多いはずだと彼は考えていた。
「善良なる市民諸君、エウーゴの奸計にのってはならない!」
力強い口調で、彼は民衆に向かって語り始めた。市民の反応も良い。彼はこの集会の成功を確信する。
天性の弁術をもって、彼は「30バンチの虐殺」がエウーゴによって偽造されたデータであると主張した。さらに連邦議員の内、治安委任法の延長に反対した者たちを名指しで批判し、ジオニスト呼ばわりする。
「諸君、すなわち彼らこそ新たな一年戦争を招く者である」
民衆は賛意を口々に叫ぶ。
「すなわち彼らこそ、新たな虐殺を招く者であるっ」
再び高く賛意の声がわき起こる。ギレン・ザビやヒットラーがその情景を見たなら、彼らはきっと既視感にとらわれたに違いない。
「彼らの愚かな行為を認めることが民主主義なのか? 否、断じて否!」
三度目の声の渦。人々の声は重なり合い、聴衆の興奮が頂点に近づきつつあることを示す。
「諸君、改めて問おう」
両の手を大きく振るい、ハイマンは叫ぶ。その瞬間、微かな不協和音が聴衆の間から響いた。
ごく小さな、おそらくはたった一人の口から出た不協和音。だがそれは、瞬く間に人々の間に広がっていった。
「諸君、改めて問おう!」
反応の変化に戸惑いつつ、彼は再び聴衆に向かって一際高く叫ぶ。しかしその問いに、人々は先とは違う言葉で答えた。
「黙れ、独裁者」
ざわめきの中から、その言葉だけが強く響いた。わずかな沈黙の後、市民等は一斉に叫び始めた。
「もう騙されないぞ!」
「帰れ、虐殺者」
「独裁を許すなっ」
聴衆の甲走った声が、そこかしこに響く。それらは大きなうねりとなり、怒号となってハイマンに襲いかかった。
そう、情報局はティターンズ支持派を集めたつもりだった。後の調査でも、ベン・ウッダー准将等がハイマンを裏切った形跡は発見されていない。だが昨日までのティターンズ支持派が今日そうでなくなっている可能性を、情報局は低く見積もりすぎていた。その結果がこれである。安全なはずの官製デモは、怒れる民衆の集会となったのだ。
「諸君、話を、諸君」
力無く言葉を続けようとするハイマンは、すでに世界の絶対者ではない。そこに立ち尽くしているのは、大衆を軽んじ、権力におごり高ぶった報いを受けたあわれな老人でしかなかった。
そのとき不意に、スクリーンに一つの映像が映し出される。煙と炎。轟音と叫び声。そう、「30バンチの虐殺」だった。
市民の声の中、ハイマンは呆然と立ち尽くす。フィルムはダニンガンとカラバ中佐のやりとりにさしかかる。
”あれを使えば有毒ガスが大量に発生します。関係のない市民にも影響が…ご再考を願います”
”命令だと言っている。実施せねば軍法会議だぞ”
”参謀、かつてのジオンと同様の無差別殺戮をせよとおっしゃるのですか”
”カラバ中佐!”
ダニンガンの甲高い声にざわめきと雑音が重なる。わずかな間の後、深みのある、しかし冷酷な声が空気を震わせる。
”中佐、これは私の命令である”
”!…ハイマン中将っ”
引き絞るような声で、カラバ中佐は声の主の名を呼んだ。
”私がやれと言っているのだ。叛徒だろうと一般市民であろうと、コロニー住民など何万人死のうがかまわん。中佐、焼きつくせ! 破壊せよ! 女子供に至るまで、反逆者を殲滅するのだ!”
かつての自らの声に、ハイマンはただおろおろと辺りを見渡すばかりだった。スクリーンいっぱいに焦熱地獄のごとき有り様が映し出される。ガンダムの群はスーパーナパームを群衆に向かって放ったのだ。
スーパーナパームはビームライフルを点火装置として使う強力な火炎放射器である。その炎はルナチタニウムをも焼きつくす。そこかしこで爆発が生じ、視界に入る物すべてが焼け落ちる。すべての絶叫を包み、炎は燃え広がった。
ナパームを放ちつつ、カメラは前進する。彼方に炎に包まれたままもだえ苦しむ人々の姿が映った。カメラの両脇を新たな黒い影が前進する。ティターンズのガンダムMK2だ。指揮官の指示を仰ごうとしているのか、2機のMSはゆっくりと振り返る。
地獄の業火を背に、まがまがしいビームライフルを担うガンダムの姿。それはまさに悪鬼そのものを描いたようだった。
たち上り続ける炎の映像に、集会に集った人々の顔は赤々と照らされる。スピーカーからは絶叫と悲鳴が延々と流され続けた。聴衆等のハイマンに向けられた罵声も又、それと重なるようにしてますます高まってゆく。
ティターンズの警備兵に囲まれる形で、ハイマンは足を震わせつつ演台から控えの間へと向かう。目はうつろで、顔は紙のように白い。
ありとあらゆるマスコミは一斉に「ジャミトフ・ハイマン失脚」を全世界に向かって報じた。
オーストラリア大陸のほぼ北端に、ティターンズのダーウィン基地はある。連邦による拘束を避けるため、ジャミトフ・ハイマン中将はここに3隻のワッケイン級強襲母艦を待機させていた。それらを率いるのはパブテマス・シロッコ少将。そう、ハイマンが自らの後継者に選んだ男である。
ハイマンとシロッコの姿は今、アデレード空港のVIPルームに見いだすことができる。ティターンズ陸戦隊によって占拠されたその空港では超音速連絡機が離陸準備を整えつつあった。
ハイマンはダーウィン基地でワッケイン級に乗り換え、低軌道基地ゼダンへと向かうつもりでいる。彼はまだ、権力の座を手放す気はなかった。
突然の占拠により、空港内はまだざわめいている。しかし人払いをされたVIPルームにはその喧噪は届かない。
この時すでに連邦軍の一部がエウーゴ支持を表明しつつあった。コンペトウにて不穏な動きがあるとの情報も入ってきている。それらは早急に鎮圧すべきだ。強い焦りのため、ハイマンは椅子に腰をおちつけることすらできなかった。
シロッコは一人ソファーに腰を下ろし、紅茶を音もなく飲む。室内をせわしなく歩くハイマンの背に、彼は諭すような調子で語りかけた。
「見苦しいですぞ、父上」
歩みを止め、ハイマンは表情をこわばらせたまま振り返る。台本を忘れた役者のようにわずかに逡巡した後、彼はようやく問いを口にした。
「いつから知っていたのだ、シロッコ」
「あなたの捨てた母が、今際のきわに言い残したのです」
「『捨てた』? それは誤解だ、パブテマス」
「誤解ではないっ」
声を荒げ、シロッコは立ち上がった。甲高い音をたててティーカップがころがり、紅の液体がテーブルに広がる。
「父上。あなたは母を欺き、捨てた。あなたとあなたの理想を愛し、信じた母を。それは動かしようのない事実だ」
「パブテマス…」
指先を剣のごとく自らに突きつけるシロッコに、ハイマンは言葉を失う。息子が彼の行いをそのように受け取ったことを責められなかったからだ。
彼は確かにシロッコの母を愛した。入籍はおろか同居したことすらなかったが、それは彼女の希望したところだった。若さや美貌以上に、その知性と教養を彼は好ましく思っていた。
しかしハイマンは彼女と別れた。高き地位を得るため、彼はコリニー将軍の病弱な娘を娶ったのだ。その時彼は、自らの情人が子と共に失踪するのを防ぎ得なかった。
妻が死んだ後、彼は私的にかつての情人を捜させる。そして彼は知った。自らの子は連邦軍士官学校において優秀な成績をおさめつつあることを。
人脈を利用し、彼は自らの子に考えうる限りのチャンスを与える。そして息子は、その期待に完璧に応えた。アクシズ事変での活躍。ティターンズへの転入。親エウーゴ分子の摘発。困難な任務すら果敢にこなすシロッコに、彼は昇進をもって答える。それは親らしいことを何一つしてやれなかった息子に対し、彼ができる精いっぱいの行為だった。
その息子が今、彼を父と呼んでいる。そしてまた、むき出しの怒りを彼に叩きつけている。息子の自らに対する「誤解」をいかに解くべきか、彼は迷った。
「あなたは母を捨てた。そして淘汰による人類社会の改革という理想すら捨てた。自らの地位を守ることにのみ専心し、あなたは…母の想いを土足で踏みにじったのだ!」
シロッコが懐から拳銃を取り出す様を、彼は呆然と見つめる。
「父上はここでエウーゴ派の自爆テロによって命を絶たれます。あなたはこれまでにコーウェン中将をはじめとする様々な敵を間接的に葬ってきましたが、私は直接…あなたを殺します。実の父への礼、というところですか」
勝者の笑みを浮かべ、シロッコはトリガーを引いた。消音器付拳銃独特の押し殺したような音と共に、銃弾がハイマンの腹に突き刺さる。
もんどりうって倒れたハイマンに、シロッコは悠々と近づく。
「違うのだパブテマス、私はお前に…」
弱々しい声で訴えながら、ハイマンは震える指先を懐に差し入れた。
「見苦しいっ」
低い声と共に、シロッコは再び銃弾を放つ。胸の中央を深々と貫かれたハイマンは何かを語ろうとしたが、その口からあふれでたのは赤い血の泡だけだった。
自らの父の死体を、シロッコは満足げな面もちで見下ろす。ちらりと時計を見、彼はその部屋を歩み去った。彼の子飼いの部下により証拠は隠滅される手はずとなっている。
一方その頃、エウーゴはサイド6へと兵を進めつつあった。作戦名は「スウィート・ホーム」。その目的はリーア(サイド6)を解放し、エウーゴの拠点とすることにある。
この作戦を実施するか否か、エウーゴにおいても慎重に検討された。
「レッド・ウォール」作戦にて大勝利をおさめて以来、アナハイム・エレクトロニクスからの補給は次第に細りつつある。ブレックス・フォーラ准将らエウーゴ首脳部からのさまざまな要請を、アナハイム社はのらりくらりとかわすケースが増えていた。
クロスボーン・ワークスのように当初の計画通りの支援を行ってくれる部門もあるにはある。しかし全体として見た場合、アナハイム社はエウーゴの切り捨てを図っていると考えねばならなかった。
「だから言っていたろう。アナハイムに頼りすぎるのは危険だと」
したり顔で言うウォン・リーにエウーゴ首脳部は同意する。そしてかねてより念願されていた根拠地作りのための作戦を早急に実施することが決定された。
作戦を定めるにあたり最も意見が割れたのは「どこを攻略するか」という点だった。
意見は大きく三つに分かれた。
一つは、ジャン・ランヌ少尉等が唱えた月攻略案である。月は無限の鉱物資源を持ち、根拠地としてうってつけだというのがその主張だった。しかし月には6分の1とはいえ重力がある。仮にエウーゴ艦艇が月を根拠とした場合、その軌道往還に必要とされるエネルギーは少なくない。しかもティターンズは月主要都市に設置された軌道間輸送レーザーシステムを利用できる(高価なレーザー推進システムを搭載しているのは事実上ティターンズのみだった)。この差は無視するにはあまりに大きかった。
第二の案はサイド4を攻略目標としていた。サイド4は広大な暗礁宙域に近接しており、戦力に劣るエウーゴにとって他の宙域より闘いやすい場所だといえる。
「かつて連邦軍は、デラーズ・フリートが暗礁宙域に築いた拠点を遂に攻略し得なかった」
セシカ・プラウベル少尉は豊かな低音の声でそう指摘した。また、サイド4が月と地球の中間に位置することから、可能行動が多いことも利点とされた。選択肢が多ければ敵に戦力の分散を強いることができるのだ。
だが、問題もあった。サイド4の人口は根拠地としてたのむには少なすぎる。もし緒戦で敗退すれば、兵糧攻めを受ける懸念すらあった。
そして第三案として、サイド6攻略案が提出された。ジオン共和国を除けばサイド6は最大の宇宙植民地であり、住民の反連邦感情も強い。そしてなにより、サイド6の解放はアトキンソン戦隊の悲願だった。
この案に同調する者は多かったが、大きな問題が残されていた。連邦軍要塞コンペトウ(ソロモン)をどうするか、である。今日、連邦軍宇宙艦隊はア・バオア・クーとルナ・ツー、そしてコンペトウにその主戦力を置いていた。敵がコンペトウを拠点として攻撃してくれば、エウーゴは真正面からそれに対抗せざるを得ない。戦力に不安のあるエウーゴにとって、それはなるべく避けたい戦いだった。
侃々諤々たる論議が続く中、吉報が訪れた。
「コンペトウ駐留の連邦軍が、暫定政府参加のために我々と交渉したい旨を表明しました」
常は冷静なセイラ・マスが、興奮を隠し切れぬ面もちで報告する。
「ふん、『カラバの鍵』への投資は無駄ではなかったということか」
ウォン・リーは彼独特のふてくされたような口調で言葉を続ける。
「諸君。投資が成功したなら速やかにその分野でのシェア拡大を図るべきだ。コンペトウとリーアという巨大な市場が我々エウーゴを待っている」
こうしてエウーゴは、新たな拠点としてサイド6を求めることを決意した。
エウーゴ艦隊がサイド6方面に向かいつつあるこの時、コンペトウは交戦状態に陥っている。
コンペトウ方面軍司令テッド・アヤチ准将は現連邦政府を離れ、事実上エウーゴ側につくことを宣言した。これに対し、ティターンズの駐留部隊が蜂起したのだ。
無論、在コンペトウのティターンズは小規模な部隊に過ぎない。相手が彼らだけだったなら、アヤチ准将とて苦もなく駆逐できただろう。しかし、そうはならなかった。第6艦隊第13戦隊所属のレオン・ジェファーソン大尉等が、ティターンズに与したからだ。最終的には、コンペトウ全部隊のおよそ四分の一がティターンズ側についたとされている。「カラバの鍵」の影響を考えるとこれはかなり高い割合といえよう。
これについて、アヤチ准将の人望の低さを指摘する識者もいる。たしかに准将の経歴を見ると地上勤務が長く、現場からの受けはあまり良くなかったようだ。
しかし、准将の個性よりも「連邦軍将兵の多くがティターンズという組織に対する恐怖感を抱いていた」という事実を重視すべきだとする意見が今日では大勢を占めている。
「冗談ではない。ガンダムを敵にまわす気か?」
ティターンズ側に与するにあたり、ジェファーソン大尉はそう語ったとされる。
たいへんなことになった、とシンゾウ・サクマ中佐は思う。
現在、第6艦隊は彼の指揮下にあった。旗艦が艦隊司令部ごとドック内で爆沈したからだ。艦隊司令たるバレル・ウォズ大佐の遺体はまだ未確認だが、彼が生きていると考える者は一人としていない。ティターンズ派のGM2による攻撃だった。
彼の指揮下からは、ジェファーソン大尉以下、ジル・マックール曹長やマヤ・アーネス・ナリタ軍曹等がティターンズ派となっている。だがそれと戦う彼自身とて、真っ当なエウーゴ派という認識は無かった。
彼は、軍人として自らの感情を押しころすべきだと考えていた節がある。ティターンズによる様々な抑圧に反発は抱いていたものの、それに流されまいと自戒していたようだ。
「責任逃れだったのかもしれんな」
口の中で彼は小さく呟く。さんざん悩んだ末に、彼は上官の決断に従ってエウーゴ派についた。もし自分に決断力があり、より早期にエウーゴに身を投じていたら…そこまで考えて、彼はわずかに首を左右に振った。仮定の話はいい。今は現状の中でどうすべきかを判断する時なのだ。
まなじりを決し、彼は正面のスクリーンを睨む。自らが今ようやく本当の軍人になったように、彼は感じた。
コンペトウでの戦闘をいち早く察知したのはティターンズのゼダン駐留部隊だった。
先に記したとおり、この時パブテマス・シロッコ少将はハイマン中将の命令でオーストラリアにいる。留守を預かるリード大佐はゼダン駐留部隊のみで軌道艦隊を編成、コンペトウに向け出撃した。シロッコ等との連絡が取れぬままの、独断専行である。
リード大佐は一年戦争当時、わずかながら<ホワイト・ベース>の艦長代行を務めた経験を持つ。性格には問題のある人物だったが、弁が立ち、要領は良かった。
現在の地位についたのはベン・ウッダー准将への付け届けがきいたからだとのもっぱらの噂だ。そのためもあってか、彼が強引に艦隊を出撃させたのはシロッコ少将への行き過ぎた対抗心故だ、とする戦史研究家も多い。
しかし「コンペトウの反乱鎮圧が遅れれば新たな反乱の呼び水となる」という彼の主張は正当だった。少なくとも出撃時の彼の判断はそれなりに妥当だったといえよう。問題とすべきは、その後の方針不徹底である。
出撃後しばらくして、ティターンズ軌道艦隊はゼダンからの至急報を受信した。
”戦隊規模ノえうーご部隊ニヨル攻撃ヲ受ケツツアリ。敵主力ハしるばーさーふぁー”
この時点では、リード大佐は反転の必要無しと判断している。しかしその15分後、再びゼダンからの至急報が入った。
”ぜだんハナオモしるばーさーふぁーノ攻撃ヲ受ケツツアリ。至急コレヲ攻撃サレタシ。軌道艦隊何処ニアリヤ?”
リード大佐はこの第二報により、ゼダンへの反転を艦隊に命じた。これまでにも、ゼダンはエウーゴのシルバーサーファー(ゼータ)により幾度も攻撃を受けている。それらはすべて一撃離脱戦法によるものだった。しかし今回は違う。
すでにティターンズは「シルバーサーファーが卓越しているのは大気圏を利用した機動能力だけである」と分析していた(そしてそれは概ね正しかった)。
「今こそ憎きシルバーサーファーを殲滅する好機だ」
反転を命ずるにあたり、リード大佐はそう叫んだとされている。表向きはそうだったが、彼にはもう一つ反転すべき理由があった。ゼダンが被る損害について責任をとらされるのは、間違いなく自分だったからだ。
この当時、ティターンズでも連邦軍でも人事システムは硬直しがちだった。減点主義的なシステムは将校の積極性を失わせ、官僚化させている。だからこそシロッコ少将の異例の昇進ぶりが人々を興奮させたのである。
残念ながらリード大佐は、官僚化した将校の典型だった。
「よし、ずらかるぞ」
ゼータ部隊からのティターンズ軌道艦隊接近の知らせに、ヘンケン・ベッケナー中佐は夜盗の頭のごとき表情でそう命じた。
彼の率いる第3遊撃戦隊は現在、ティターンズ艦隊とゼダンを挟んでちょうど反対側に位置していた。ゼータ部隊はこちらからみてゼダンの向こう側、つまりティターンズ艦隊寄りに配置している。第3遊撃戦隊は信号弾を打ち上げつつ、最大加速で離脱を開始した。
サイド6攻略にあたり第3遊撃戦隊をどう使うかについては意見が分かれた。エウーゴの命運を賭けた戦いなのだから前面に投入すべきとする意見と、あくまでゼータの戦いやすい戦場を選ぶべきとする意見だ。ここで後者の策を採ったことから、エウーゴがゼータの能力をどう見積もっていたかが推察できよう。
当初、第3遊撃戦隊はゼダンを軽く攻撃した後撤退、ティターンズ戦力を誘引乃至分散させる計画だった。しかしゼダンに襲いかかったとき、彼らは敵主力がすでに出撃していることを知る。
”なんてこと…追撃しましょう、間に合うかも知れません”
「いや、少尉。『迂直の計』でいこう」
ゼータを駆るレナ・コンフォース少尉に、ベッケナー中佐はそう答えた。ここで彼が言った「迂直の計」とは、桂陵の役においてソンビンが用いた計略を指す。ソンビンは敵にイニシアティブをとられた際、無謀な攻城戦を演じて敵をおびき出し、これを迎撃した。
「この戦力では迎撃して大勝利とはいかないがどうにか凌げるだろう。戦いのイニシアティブさえ取り戻せば、あとは皆がなんとかしてくれる」
眉を引き締め、ベッケナーは自らが言ったことを思い出す。そう、ここはなんとしても凌ぎ切らねばならないのだ。正面のモニターには、迫り来る大軍が表示されていた。
リード大佐はティアンム級重巡を先頭に艦隊を敵戦隊めがけて突進させた。と同時に、第2MS大隊のガンダムMK2とコア・ランサーを逃げるゼータに向かって降下させる。アンガス・マクライト中尉の駆るガンダムも、その一群の中にあった。
彼が逃げ遅れたゼータに向ける眼差しは、研ぎすまされた刃物のように鋭利だ。
同僚のエイラ・シュタインを失った時、彼は自らの中の大切な何かを無くしたように感じた。それがなんだったのかはよく分からない。ただ彼の心には「エイラを奪ったシルバーサーファーを自らの手で撃墜したい」という思いだけが残った。
なんの感慨もない表情で、彼はゼータを背後から狙撃する。わずかに逸れた。さらに一発。
コクピット前面のみをIフィールドでおおっているゼータにとって、背後からの直撃弾は致命傷となった。閃光と共に、1機のゼータが砕け散る。他にも僚機が何機かを撃墜したようだ。
コクピットにアラーム音が響く。これ以上降下すると大気圏に突入しかねないと警告しているのだ。機体の姿勢を変え、艦隊と合流すべく加速する。
ゼータを撃破したにもかかわらず、マクライト中尉は癒しがたい乾きだけを感じていた。
「お家の近くだからって、そう向きになりなさんな」
ジーマを機動させつつ、ガルフ・ラング軍曹はそう呟く。余裕があるのは口調だけだった。
ティターンズは第1MS大隊所属のほぼ全機を第3遊撃戦隊に向け突撃させている。戦隊の護衛についているジーマは圧倒的に少ない。ラング軍曹は二つのビームライフルを二丁拳銃よろしく操っていたが、その程度でどうにかできるレベルではなかった。
艦隊間の距離は徐々に開きつつある。今しばらく持ちこたえればなんとかなるはずだ。自らに言い聞かせるラング軍曹の背後で、巨大な火球が広がる。コア・ランサーの放ったミサイルが味方の軽空母を直撃したのだ。
「よし」
ギリアム・ザインバーグ少尉はコア・ランサーのコクピットで小さく快哉をあげる。
エウーゴの「レッド・ウォール」作戦によってティターンズが大損害を被って以来、彼は随分と出世にこだわるようになった。官僚化した現体制では、地位を得ぬ限りいかなる知恵も思索も無意味だと判断したからだ。
それ故に、彼はシロッコ少将に少なからぬ期待を抱いていた。あの若き少将ならば体制を大きく変えられるかも知れない、と彼は感じている。しかし神ならぬ身の彼に、この時すでに少将が最高権力者を殺害していようとは知る由もなかった。
状況は完全にティターンズ側の優位にある。敵戦隊はなんとか逃げ切ろうと足掻いているが、この圧倒的な火力をもってすれば殲滅も不可能ではない。勝利を確信する彼の耳朶を甲高い警戒音が打った。
「シルバーサーファー…っ」
呻く彼の眼に、青い地球を背に銀色の筋を引いて迫り来る敵機の群が写った。
そう、ゼータは亜宇宙まで降下し大気を利用して「旋回」、側面からティターンズに迫ったのだ。横からの狙撃を受け、1機のコア・ランサーが木っ端微塵に砕け散る。コア・ランサーもコクピット前面にしかIフィールドは張ってないから、それ以外の方向からの攻撃には弱い。まして多数のミサイルを抱えたままの状態ではなおさらだ。一瞬、狼狽が部隊を覆う。
”うろたえるな! コア・ランサーはミサイルを投棄、敵戦隊をスマートガンで狙撃せよ。ガンダムはシルバーサーファーを迎撃”
ユウキ・ヤツセ大尉が一喝すると、部隊は陣形を整然と変換する。古来、敵前での陣形変更は高い練度が必要だとされていた。さすがは名にしおうティターンズである。
スマートガンの直撃を受け、エウーゴの軽空母が一隻落伍する。砲撃がその一隻に集中すると、それは瞬く間に爆沈した。
「来い、シルバーサーファーっ」
アルテミス・ルファナ中尉はその険しい眼差しとガンダムMK2のビームライフルを猛速で迫り来るゼータの群に向ける。
裕福な商家に産まれた彼女は、父を何者かに殺害されていた。初動捜査の過ちから、犯人はいまだに特定されていない。だが彼女は、その犯人をエウーゴだと決めつけていた。彼女の父がティターンズとも商いをしていたからである。
実際のところ、彼女の父はエウーゴがわざわざ暗殺するほどの人物ではなかった。しかし彼女は「仇はエウーゴ」と信じている。いや、無意識のうちに自らに信じ込ませたのだ。
そう、行きずりの者に意味もなく殺されたのだとしたら、あまりに悲しすぎるではないか。
怒りを込め、彼女は次々とビームを放つ。その一発が敵機をかすめた。1機のゼータがよろめき、脚を一本切り放す。その機を操るのが彼女と同い年のレナ・コンフォース少尉であることを、彼女は当然知らない。
「墜ちろっ」
ビームサーベルを抜くと、彼女はその傷ついたゼータに斬りかかる。彼女のガンダムの脇腹に別のゼータが突き刺さったのはその瞬間だった。
どこの誰とも知れぬ者と心中するとはな、という自嘲がリシャール・シャミナード中尉の最後の思念である。
彼が気付いたとき、すでにコンフォース少尉の機は右脚部を失っていた。
手足のあるモビルスーツと比べて、腕か脚しかないモビルアーマーは冗長性に欠けている。脚一本を失ったゼータの機動性は、とうていガンダムMK2に接近戦を挑めるレベルではない。援護射撃をしたいが、今撃てばコンフォース少尉の機に当たるおそれが高い。ならば…と彼は瞬時に考えた。
そしてスロットルを全開にし、自らのゼータの機首をコンフォース機に襲いかからんとするガンダムへと向けたのだ。
すさまじい相対速度で衝突した二つの機体は潰れ、折れ、無惨にも砕け散った。
あれ、とルファナは思う。
(つまらないことしちゃったな)
彼女はそう心の中で呟いた。そうだ。私は父の死が無意味なものだと思いたくなかったがために、他の人や自らを意味もなく殺してしまったんだ。
失敗したな、と彼女は感じる。その時すでに彼女の肉体は真空の中に四散していた。
後に「ゼダンの戦い」と呼ばれるこの戦闘は、エウーゴ第3遊撃戦隊が辛くも逃げ切って終結した。
この戦いでエウーゴは4隻のイ・スンシン級軽空母を失っている。また、撃墜されたゼータも8機に及んだ。これは、それまでの戦いでエウーゴが失ったゼータの総数の倍である。
たしかにゼータの大気利用機動による反撃は成功した。しかしそれは、圧倒的な数的劣勢を覆すほどではなかった。
エウーゴは善戦したと言えようが、戦術的勝利を得たのはティターンズであることに異論を挟む者はいない。
”我等ノ回収ハ無用。こんぺとう奪回ニ専念サレタシ”
コンペトウから脱出したティターンズ派がティターンズ軌道艦隊と遭遇した際、レオン・ジェファーソン大尉はそう打電したと伝えられている。
リード大佐は「ゼダンの戦い」での勝利後、再び反転してコンペトウへと急いだ。しかしこの時、コンペトウ内からティターンズ派はすでに叩き出されていた。リード大佐は、コンペトウ鎮圧の最大の好機を失ったのだ。
「だが、後戻りはできん」
攻撃開始を前に、大佐は低くそう呻いたと伝えられている。
無数の艦砲が火を噴き、コア・ランサーの放った対トーチカミサイルが雨のようにコンペトウに降り注ぐ。後に言う「コンペトウの戦い」の開幕である。
ティターンズはまず、教科書通りに大火力を持って敵火点を粉砕、制圧した。揚陸箇所は二つに絞られている。一気にMSと陸戦隊を突入させ、コンペトウを奪い返す腹積もりだ。
これに対し連邦軍は水際での戦いをなるべく避け、要塞内部に主力を温存せんと試みている。正面からぶつかればあっと言う間に兵力を失うのが目に見えていたからだ。
沈黙するコンペトウにガンダム隊がとりつく。揚陸艇隊がこれに続かんとすると、周囲に展開していたイラワジ級軽巡が警報を発した。
「遅いっ」
コア・ブースター2のコクピットでそう叫んだのは連邦軍第6艦隊所属のカズヤ・リックマン中尉だった。彼らはコンペトウの地表すれすれを飛行することによって発見を避け、接近したのだ。彼の機を先頭に、9機のコア・ブースター2が揚陸艇に襲いかかる。バルカンとビームを連射すると、3隻の揚陸艇が火だるまと化した。残る艇は算を乱し後退する。
と同時に、同じく第6艦隊所属のGM2とハイボールが小さな貨物搬入口から躍り出た。コア・ブースター2を狙い撃たんとしたガンダムMK2の背中に、ビームと砲弾が集中した。爆発がコンペトウを小さく揺さぶる。
その隙に、コア・ブースター2は離脱を試みる。イラワジ級軽巡の強力な対空砲火の前に2機が撃墜されたが、他はどうにか逃れた。猛烈な艦砲射撃が搬入口に注がれるが、GM2とハイボールは素早く要塞内部に後退する。
「時間稼ぎか」
胃を押さえつつ、リード大佐は呻く。要塞攻略が困難なのは宇宙世紀においても同じだった。シルバーサーファーにかまけて好機を失ったのは痛いが、ここまで来て引き下がるわけにも行かない。揚陸の再開を命じる彼の鼓膜を、オペレーターの叫び声が震わせた。
「8時方向より所属不明艦隊接近中! エウーゴと思われます」
当然のことだが、揚陸中は艦隊の動きは大幅に制限される。さらに要塞内での戦闘にMSを裂いていれば、敵機の迎撃も容易ではない。正規の軌道艦隊ならまだ余裕があったろうが、今回はMS2個大隊を基幹とした編成でしかなかった(正規の場合、MS3個大隊を基幹とする)。
「熱源増加。敵艦隊、MSを展開しつつあります」
再び、オペレーターの声。しばしの沈黙の後にリード大佐はこわばった表情で決断を下す。
「揚陸作業中止。陸戦隊の回収急げ。球形陣を持って敵MSを迎撃する」
戦いのイニシアティブを失ったことを、リード大佐は認識した。
このとき戦場に到着したのはエウーゴの第1、第2遊撃戦隊とアトキンソン戦隊だった。
戦況は当初エウーゴ優勢で始まる。揚陸態勢から防空陣形への移行がまだ不完全なうちに、エウーゴMSが突入してきたのだ。球形陣のわずかな隙間から侵入したのはアトキンソン戦隊所属のディアスたちだった。
「イヤッホゥ!」
奇声と共にビームを放つのはイェン・ファビラス曹長だ。ティアンム級重巡は回避運動を試みていたが、それもむなしかった。最初の一撃をメインノズルに浴びたその重巡は運動に支障を生じ、次々と他のMSの砲撃を受ける。
しかしなお、ダメージ・コントロールに優れたその艦は沈もうとしない。これはティターンズ将兵の高い練度があればこそだったろう。
対空砲火を撃ち上げてなおも闘わんとするその艦の左舷に、1機のディアスが肉薄する。シェリル・メッツァー伍長だ。
「墜ちろっ」
ビームサーベルを逆手に握る左手を右手で支え、彼女のディアスは艦中央部から艦尾へと重巡をかすめる。ビームサーベルが大魚の腹を開くがごとくティアンム級を切り裂く。この一撃で、さしもの重巡も命運がつきた。飛び去るディアスらの後ろで、ティアンム級が巨大な火球へと変貌する。
「スプラッシュ!(撃墜の意)」
叫ぶメッツァー伍長の耳に、ひどいノイズ混じりの声が入った。
”ディアス…は急ぎコ…ペトウ沿いに後退せよ。敵は防空陣形を整えつ…ある”
MS大隊長のアムロ・レイ少佐の声だ。
”了解”
いくぶんはっきりとした声は同じ小隊のジャン・ランヌ少尉だった。言われてみると確かに周囲の情勢が変わりつつある。かつてのエース・パイロットへの反感は残っているが、彼女はレイ少佐の判断力を認めざるを得なかった。
陣形を整え直したティターンズ軌道艦隊は、その強力な防空砲火をもってエウーゴMSを追い払った。
すかさずコア・ランサー隊から敵艦隊攻撃許可の要請が上がってきたが、リード大佐はこれを却下する。先の戦いにおいて、MSの護衛を伴わないコア・ランサーの攻撃はリスクが大きすぎると判断されたからだった。肝心のガンダムMK2は要塞からの撤退と防空任務でふさがっている。
舌打ちをするリード大佐に、通信参謀が一枚の電文を手渡した。
「シロッコ少将からの至急電です」
参謀のいわずもがなの言葉を聞きつつ、彼はそれを見る。
”戦機スデニナシ。捲土重来ヲ期シ、ぜだんニ帰還セヨ”
この後、リード大佐はこれまでになく冷静な指揮で軌道艦隊を後退させた。エウーゴ、連邦軍ともにこれを追撃できる余力がなかったこともあって、軌道艦隊は更なる損害を被ることなく撤退した。
「リード大佐はあの電文を受け取った時、覚悟を決められたのだと思います。実際、撤退時の指揮はほれぼれとしましたね。まあ、最初から(覚悟を)決めておられれば戦いに勝てたかもしれませんが」
軌道艦隊の下級参謀は戦後そう語っている。
ゼダン基地司令公室に通されたリード大佐は、そこにパブテマス・シロッコ少将の姿を見出す。
座ったまま声をかけようともしないシロッコ少将に、リード大佐は重い口を開いた。
「軌道艦隊、ただいま帰還いたしました…ハイマン中将は何処においでですか」
「中将は亡くなられた」
シロッコが唇の端に浮かべた笑みに、リードは背筋を凍らせる。本能的な恐怖、と言っても良いだろう。絶句する彼に、シロッコは再び声を投げかける。
「中将はエウーゴの卑劣なテロによって非業の死を遂げられた。本来なら連邦議会にてその後継者を選ぶべき所だが、ジオニストに汚染された現議会にそれを委ねる訳にはいかない。よって私が、保安執行法戦時規定に基づいてティターンズ総裁に就任する」
「な…少将、そのような拡大解釈が通じるとお思いか?」
リード大佐は声をわずかに震わせる。
「そうか。大佐は『あれ』が完成したことを知らないのだったな」
「『あれ』ですと…少将、まさかルナ・シンパシーを!」
「『まさか』とは片腹痛い。いかなる兵器も使用を前提に存在しているのだ。…誰も私に逆らうことはできん。大佐、君もだ」
シロッコが左の指を高く鳴らすと、機関短銃を携えた警備兵たちが部屋になだれ込んだ。たちまち、リード大佐は彼らに取り押さえられる。跪く大佐を、シロッコはゆっくりと立ち上がり見下ろした。王のごとき余裕を持って彼は口を開く。
「独断で大軍を動かし、あまつさえコンペトウを失陥するとは万死に値する! リード大佐、ティターンズ総裁の名の下に銃殺刑を宣告する。引っ立ていっ」
あらがうリード大佐を、警備兵たちは無言で引っ張っていく。彼の銃殺刑はその15分後に執行された。
メテオール・フロッテはアクシズ・ジオンの遊撃部隊である。敵の虚を長駆襲撃する作戦を得意とし、快速を活かした一撃離脱戦を主たる戦術としている。
彼らのもう一つの特徴として、その将兵の出自の多様さが挙げられる。そもそもメテオール・フロッテの中核となったのは、シャア・アズナブルによって組織化された地球圏の反連邦派だった。つまり、元来は外人部隊だったと言える。作戦思想や装備が他の部隊とやや異なるのはそのためだった。現在では部隊の半数以上がジオン系となっているが、そういった特性は今も残っている。
ジャミトフ・ハイマンの訃報が流れてから三日目の現在、メテオール・フロッテはルナ・ツー襲撃からの帰途にあった。
連邦軍のルナ・ツー駐留部隊はすでにティターンズ支持を表明している。彼らはエウーゴを「非道なテロリスト」と攻撃し、連邦政府内の親エウーゴ派を「ジオニスト」扱いしていた。ただ彼ら部隊の規模は小さく、多くの者は「せいぜい要塞守備程度しかできないだろう」と考えている。
メテオール・フロッテがそんなルナ・ツーを奇襲したのは、ティターンズへの牽制とスペースノイドの反連邦意識を鼓舞するためだった。彼らの奇襲によりルナ・ツーの港湾施設のおよそ半数が破壊されている。その修復には急いでも二ヶ月はかかるだろうというのが大方の見方だ。
「やっぱさあ、すごいよね准将って」
メテオール・フロッテ旗艦<レウルーラ>の食堂にて、フィー・スプリング少尉はくったくのない口調で言った。茹でた皮つきのジャガイモと濃いケチャップ味のミートボールをたいらげ、ご満悦といった表情だ。
「連邦の要塞攻撃なんてあたし初めてだからどきどきしちゃったけど、准将の言ったとおりに戦ったらあの大戦果だもんね」
軽く胸をそらす彼女に、マティ・ヤーガ曹長は笑ってみせる。実際、オペレーターである彼女が認識できた範囲でも、作戦は大成功だった。ドーガ・アインに乗って直接戦闘に加わったスプリング少尉が昂揚するのも当然だと思う。
「あたしね、一年戦争の頃スレートのデスクトップを『赤い彗星』にしてたんだよ」
「あ、あたしも。アクシズに来るときになくしちゃったけど」
「おやおや。まるで女学校のランチ・タイムだな」
そう言いながらヤーガ曹長の横に腰を下ろしたのは、ルイ・パープルトン大尉である。トレイの蓋を取り、彼はがっちりした腰をマジックテープで椅子に固定する。
「少尉。准将は信頼するに足る最高の武人だ。だが、その言葉のままに動くだけでは危険だぞ。大切なのはその言葉を理解することだ」
「はい、大尉」
少し不服そうな声だが、反発は含んでいない。パープルトン大尉が善意からそう言ってくれているのを理解しているからだ。
「それにしても」
話題を変えようとマティ・ヤーガ曹長が口を開く。
「さっきブリッジを降りたとき、ちょうど<ヴァルハラ>からの通信が入ったみたいだったけど、あれ何だったのかしら」
「さて…ハマーン様からお褒めの言葉でも賜ったんじゃないか」
と、パープルトン。
「きっとこんな感じよ。『見事だ、シャア。やはり祖国解放の切り札はお前とメテオール・フロッテしかいない!』」
オーバーな口調とゼスチャーでハマーン・カーン・ザビを演ずるのはスプリングだ。
「…少尉、髪の毛にケチャップつきましたよ」
「えっ、まあっ」
長く伸ばしたびんを慌てて拭くスプリング少尉の姿に二人は笑った。ハマーンの言葉が、先にスプリングが言ったものとは正反対だったとは知らずに。
ここで物語は時を6時間ほど遡る。
アクシズ・ジオンの超巨大母艦<ヴァルハラ>に一隻の艦が入港していた。ティターンズのティアンム級重巡<ラウ・ドルワ>である。
今、総帥公室にハマーン・カーン・ザビは希なる客を迎えようとしていた。
「総裁だ」
「おお、シロッコ総裁自らが」
重臣等のささやきが、さざ波のように広がる。そう、重厚な天然木の扉から現れたのは間違いなくティターンズの新たなる総裁、パブテマス・シロッコ少将だった。純白の制服に身を包み、彼はゆったりとした歩調でハマーンへと歩み寄る。
心理的効果を狙い、入口とハマーンの玉座の間にはかなりの距離がおかれていた。玉座もまた、一段高いところにある。客を威圧せんとするそれらの試みは、シロッコの表情を見る限り無駄だったようだ。
来客を見据え、ハマーンはジオン公国旗を背に立ち上がる。軍装に身を包んだ彼女の姿はいつも以上に凛とした美しさを湛えている。
「我が<ヴァルハラ>にようこそ。ジオン公国を代表し、そなたを歓迎する」
「お目通りが叶い、うれしく思います」
不意にシロッコは彼女の前に片膝をつく。呆気にとられる重臣らの前で彼はハマーンの手を取り、その甲に口づけをした。
顔を起こし、シロッコはやわらかな笑みを口元に浮かべる。かすかに紅潮したハマーンの頬を、彼は表情のない目で見つめていた。
この世紀の会談はビル・アナハイムの仲介によって現実となった。この時期、アナハイム・エレクトロニクスは何らかの形ですべての陣営と取引を行っている。同社のフォン・ブラウン支社長たる彼は、それらの取引の中心に存在していた。
例えば彼は、エウーゴに対し新型ジェネレーターを提供している。サイズの割に大出力のそれはメルケ・ディアスの心臓部とされた。
しかしそもそもこのジェネレーターは、アクシズ・ジオンがドーガ・アイン用に開発した品だったのだ。ビル・アナハイムはアクシズからそのライセンスを購入し、代金を工作機械などの形で支払っている。
なお、それらの取引の結果アナハイム社が大きな利益を得ていることは言うまでもない。
会談は誰もが想像しなかったほど順調に進んだ。エウーゴによるサイド6解放の知らせが、あるいはアクシズ・ジオン重臣等を焦らせていたのかもしれない。また、シロッコの素早い決断ぶりも特筆すべきだろう。
会議の末、以下の合意を彼らは得た。
ティターンズはサイド3をジオン公国(アクシズ・ジオン)に委ね、その独立を承認する。また、グラナダなどの一部月権益も与える。
これに対し、ジオン公国はティターンズを正統な地球連邦政府の後継者として認める。また、地球圏でのさらなる勢力圏拡張は求めないことを確約する。
そして両軍は共同し、エウーゴ及び旧連邦系反乱軍を掃討せんことを誓う。
これらがいわゆる「ヴァルハラ条約」の主旨だ。
「スターリンとヒットラーによる東欧分割すら足下にも及ばぬほど、グロテスクな取引だ」
ヴァルハラ条約が発表された直後、ポーランド省のある市民はトータルネット上でこう表明している。
ヴァルハラ条約の発表から2週間後のサイド3、ジオン「公国」。先の「コンペトウの戦い」で目的を達成できぬまま撤退したティターンズ艦隊は、ゼダンを経由してこの地に集結していた。以前からサイド3に駐留していた部隊とあわせて、大部隊となっている。
また、コンペトウやサイド6などから連邦軍ティターンズ支持派も集まっていた。彼らは「義勇ティターンズ」と称され、その装備の一部もティターンズ式に改められている。ちなみに先にコンペトウから脱出した部隊は戦死したバスク・オムにちなんで「オム大隊」を名乗っていた。
そんな中、ティターンズ空母<トラファルガー>は無重量コンビナートから補給を受けつつあった。<ヴァルハラ>とは比較にならないが、その巨大さは十分に見る者を圧倒させる。
今、サラ・ザビアロフ准尉はそのシミュレーション・ルームにあった。通常、MSの戦闘シミュレーションはMSそのもののコクピットを使用する。艦載コンピューターや他のMSとネットワークさせておこなうのだ。加速度が再現できないなど不満もあるが、コストが極めて安いため、これによる訓練はいずれの陣営でも多く行われている。
しかし、彼女の場合そうはいかない。彼女が乗るMSは非常に特殊な機体だし、コクピットも特異だった。「リニアシート」と呼ばれるそれでは、球状のモニタースクリーンの中央にシートがアームを介して浮かぶように配置されている。宇宙を翔ぶとき、彼女は生身のまま真空のただ中にあるかと感じるほどだ。
そのような特注品にも似たマシンだったから、戦闘訓練も専用のシミュレーターを使わねばならなかった。
訓練を終え、彼女はシミュレーターを降りる。宇宙環境研究所所属の技術者たちがデータの分析にかかる中、彼女は専用のヘルメットを脇に抱える。大きく息を吐き出すと彼女はそこを歩み去ろうとした。
「どうしました、サラ。元気、ないな」
一人の大男が彼女にたどたどしい口調で声をかける。台湾での騒乱の直後、宇宙環境研究所からの依頼により連邦からティターンズへと移籍した男だ。巨体をかがめ、彼は子をあやす父のような表情で言葉を続ける。
「大丈夫。初めての実戦、でも、怖くない…です。私が、俺が守ってやる…守ります」
「ありがとう、アカシ中尉」
暖かな笑みを彼女はその男に向ける。彼の名はコウサク・アカシ。台湾の騒乱鎮圧で戦闘神経症に陥った男だった。
宇宙環境研究所により「強化処理」を受け、彼は神経症から解放された。それだけでなく、サラと同様にサイコミュを操れるという。
医師のナミカー・コーネルに言わせると「強化処理」を施す以外に彼を社会復帰させる術はなかったそうだ。
「情緒の不安定や言語障害は一時的なもので、追加処理で改善するはずよ」
コーネルは自慢げにそう語ったが、サラはその言葉に偽りをかぎとっている。だが同時に、彼女はアカシ中尉に信頼感を抱いていた。時折見せる温和な表情に、彼女は顔すら知らぬ「父」を感じたのだ。
「大丈夫、サラ。俺が守る…守る」
繰り返す彼の耳朶には、ひどく無機質なピアスがあった。
「コンペトウの戦い」をエウーゴの勝利と判定することに疑問を示す者も多い。しかし、エウーゴがその主たる目的だったリーア(サイド6)とコンペトウの解放に成功したのは事実である。
コンペトウからティターンズ軌道艦隊が退却したことを受け、連邦軍サイド6守備隊とティターンズ・サイド6監視中隊はあっさりと撤退した。ハイマンの死など混迷する状況下で、少数兵力でそこに留まる意味を見いだせなかったからだ。仮に彼らが死守せんと試みたところで、さしたる戦果もないまま全滅したに違いない。
アトキンソン戦隊がアイランド・リーア(リーアの首都)に到着した際の盛り上がりは筆舌に尽くしがたいものがあった。
「パリにドゴール将軍が百人入城したって、ここまで歓迎されなかったでしょうな」
というのが、第2遊撃戦隊参謀ブライト・ノア大尉の感想だ。
実際、アトキンソン戦隊のパレードには首都総人口のおよそ三分の二が集まったとされている。群衆はリーアの州歌を繰り返し歌い続け、足を踏みならした。あまりの衝撃にアイランド・リーアの回転軸は0.2度ずれたと言われているが、真偽のほどは定かではない。
アトキンソン戦隊の独身者すべてに求婚のメールが山と届き、担当者はその処理に三日徹夜した。シェリル・メッツァー伍長は、その徹夜の成果をほんの10秒ほどでスクロールさせ、スレートの「処理済み」フォルダに放り込む。
「いいのか、メッツァー?」
ムサイ級軽巡<トラブゾン>食堂。彼女の背に声を投げかけたのはアムロ・レイ少佐だった。
「いいんです。ボク、まだ18ですから結婚なんて」
一瞬怪訝な表情を浮かべた後、少佐は朗らかに笑う。
「いやメッツァー、ラブレターのことじゃない。今日、君の小隊は上陸許可が降りていたはずだが?」
眉根を曇らせ、彼女はスレートを閉じつつ答える。
「行きません。施設育ちのボクには帰るところなんてないですから」
口をつぐむ彼女の横に少佐は腰かける。左手で自分の首筋を軽くほぐすと、彼は口を開いた。
「事情も知らないのにつまらないことを言ってすまん。だがな、伍長。誰だって『帰るところ』は自分で作るんだよ」
がらに合わぬことを言った、とでもいいたげな表情でアムロ・レイは立ち上がった。メッツァーはなにか言おうと振り返る。その時すでに、レイ少佐は椅子の背もたれを蹴ってブリッジへと向かっていた。わずかに開きかけた口を閉じ、彼女は小さく嘆息する。自分が何を言いかけたのか、彼女には良くわからなかった。
ヴァルハラ条約の発表から2週間のあいだに状況はゆっくりと、しかし確実に変化した。
連邦議会の大勢はシロッコ少将の行動を批判し、エウーゴとの交渉に応ずるべきだと考えつつある。しかしなお、エウーゴに対しどこまで妥協するかで意見が分かれ、具体的政策発表には至っていない。
連邦を構成する各省・州政府の中には、連邦政府の頭越しにエウーゴと交渉する旨を発表したケースもある。カントン省やチョーチャン省、スリランカ省などである。彼らはリーアに置かれたエウーゴ暫定政府準備委員会に特使を派遣しており、交渉は進んでいる模様だった。
その一方、連邦軍の大半は局外中立を表明している。エウーゴに参加したのは全体の2割、ティターンズに合流したのも同じく1割といったところだろうか。これも軍の官僚化のあらわれと言えよう。
ティターンズ・ジオン公国軍によるサイド6再進攻作戦「ニュー・ワールド・オーダー」が始まったのは、世界がまだそのような混迷の中にある時だった。
「くそ。これじゃまるで一年戦争と同じだ」
正面スクリーンに投影された概況図を睨み、チャナード・アームパード大佐は呻いた。
彼が立つのはジオン「公国」軍第1師団旗艦、<ドライヤー・ギュント>のCICである。今、ここには第1師団に所属する大隊長ら主要な幹部が集められていた。接敵前の最後の打ち合わせである。
スクリーン上部にサイド6の各コロニーがアイコンの形で示されていた。その下には、エウーゴ艦隊が逆三角形を描くかのように並んでいる。
そしてそこからやや離れて、大小二つの部隊が並んでいた。右側の大きな方がティターンズ軌道艦隊、左側が第1師団だ。それら二つの下に、オム大隊を示すアイコンがあった。
その兵力配置に、アームパード大佐は一年戦争初期のコロニー進攻作戦を思い出していた。いや、彼がそれを思い出したのは兵力配置ゆえではなかったかも知れない。作戦名たる「世界新秩序」という言葉に、彼はどす黒い何かを想起していたのだ。
「諸君」
フォン・ヘルシング少将は、常の師団長らしくない虚無的な口調で皆に語りかける。
「国民はザビ家の復活を容認した。たとえそれがティターンズとアクシズ・ジオンによる恫喝の結果だったとしても、我々はそれを受け入れねばならない。我々は国民の軍なのだ」
おそらく少将は、その言葉を誰よりも自らに納得して欲しかったのだろう。しかし、それが叶わなかったことはその暗く沈んだ眼差しを見れば明らかである。
第3大隊長のアレクセイ・ザメンツェフ中佐は黙したまま、その赤くこわい髪を強くかきむしった。常々「ジオンの国益のために働くべきだ」ととなえていた彼にとって、今回の戦いが好ましいはずもない。
この戦いに勝利すれば、連邦にはあのシロッコが王のごとく君臨するだろう。そして祖国はザビ家の私物と確定される。そして敵となるのは、自分たちと同じスペースノイドたち。絵に描いたような最悪の事態だ。
「師団長!」
「言うな、ザメンツェフ」
たまらず口を開いた彼を制止したのは、アームパード大佐だった。
「今それを口にすれば、お前を反乱者として処罰せねばならなくなる」
奥歯を噛みしめ、ザメンツェフは自らの掌を拳で打った。
元連邦軍によって構成されたオム大隊は、予備戦力として戦線後方に位置するように指示されていた。
「いいね。戦線が膠着したらあたしたちがとどめを刺しに行く。おもしろそうじゃないか」
「どうかしらね。『三下は引っ込んでろ』ってことかもよ」
勝ち気なジル・マックール曹長に、マヤ・アーネス・ナリタ軍曹は温度を感じさせぬ声で答える。この件に関しては、ナリタ軍曹の見方がより正しかった。
たしかにティターンズは彼らオム大隊にバーザムを与えている。また、ティターンズ軌道艦隊旗艦<トラファルガー>をオム大隊に付与していた。
しかしシロッコが彼らに望んでいたのは、二つの役目を果たすことだけだった。一つは「欺瞞」、一つは「盾」である。
本人等の意図に関わらず、オム大隊は「欺瞞」の役目を果たしつつあった。その巨大さ故に一際目立つ<トラファルガー>の存在に、エウーゴ側はオム大隊をティターンズ軌道艦隊の一部と誤認する。
この時までに、エウーゴはサイド3の状況についてある程度の情報を入手していた。
公式には共和国政府は解体され、ハマーン・カーン・ザビを中心とする独裁体制が成立していた。しかし、民意は必ずしも彼女のものとはなっていない。
市民等には連邦への嫌悪はあったものの、それ以上に戦前を思わせるザビ家独裁体制への反発が強かった。ことに月面都市では公国政府への不服従を表明する都市もでる有り様だった。
このため、ジオン「公国」はアクシズからの戦力のほとんどを本国宙域に置き、旧共和国軍1個師団を「ニュー・ワールド・オーダー」作戦に向かわせたのだ。
それらの情報は在サイド3の反公国派からエウーゴに提供されている。これと先のオム大隊に関する誤認を合わせ、エウーゴは正面の敵のみが今回の作戦に敵が投入した全戦力だと考えてしまった。重大なミスである。
そもそも、ティターンズとアクシズが同盟する可能性をエウーゴ首脳部はほとんど無視していた。正反対の主義主張を持つ彼らが手を組むとは考えていなかったらしい。「カラバの鍵」によってティターンズが時を経ずして解体され、連邦がしぶしぶながらも交渉を求めてくる…フォーラ准将のヴィジョンがそのようなものであったことが、後に公開された記録により明らかになっている。
言い換えればこのような戦いに及んだこと事態、エウーゴの判断ミスが原因だった。パブテマス・シロッコという梟雄の出現を、彼らは計算に入れていなかったのだ。
エウーゴ側は最右翼にアトキンソン戦隊を置き、そこから左翼に第1遊撃戦隊、ウォズ戦隊、ラッパロ戦隊、タウンゼント戦隊、コモドール戦隊と並べる。ウォズ戦隊以下は、旧連邦軍艦隊から編成された部隊だ。そしてそれらの後方に、第2、第3遊撃戦隊が陣取っている。ティンカーベルの集中攻撃で敵戦線に穴を開け、そこからゼータを突破させる腹積もりだ。
そのゼータのコクピットで出番を待ちつつ、ケン・ハミルトン曹長はヘンケン・ベッケナー中佐との会話を思い返していた。
「レイ少佐のパイロットへの復帰、か。まあ、宣伝材料にはなるな」
ベッケナー中佐はハミルトンの提案をそう評した。髭を左の指で整えつつ、中佐は言葉を続けた。
「16年のブランクは大きい。体力と反射神経を要求されるMSのパイロットならなおさらだ。」
「しかし、少佐の力が完全に復活したらどうでしょう?」
その言葉に、中佐はわずかな沈黙の後に答えた。
「ハミルトン曹長。君の言う『力』がニュータイプとしてのそれを意味しているのなら、危険なことだ。私もこれまでに、幾度か『ニュータイプ』と呼べそうな人に出会ったことがある。そしてその多くが、周囲の過剰な期待に押しつぶされ、死んだ」
口を閉ざす彼に、中佐は更に言葉をつなぐ。
「人が常識を超える力を発揮することはある。しかしそれは、他人が期待したりされたりするものではない。ハミルトン、私は一人の兵士としての君を信じている。神憑りの活躍をしてくれとは言わない。君が一人の兵士として戦えば十分生き残れるように、私は指揮するつもりだ。シャミナード中尉等の犠牲を無駄にはせんよ」
コクピットで、ハミルトンは指の関節を鳴らす。ベッケナー中佐の信頼に応えたい、と彼は思った。
この時点では、対峙する両軍は数的にほぼ互角だった。装備の面ではティターンズ側が優れているものの、エウーゴ側の戦意は高い。ことにアトキンソン戦隊は、二度と祖国を失陥すまいと張り切っている。旧リーア軍兵士等も加わり、戦力的にもより充実していた。
”メッツァー、上がりすぎだぞ”
アーレン・フェルナンデス曹長がレーザー回線越しに声をかける。
”気持ちはわかるが、焦りは禁物だ。まだまだ間合いは遠い”
メッツァー伍長は返答しようとしたその時、誰かの声を聞いたような気がした。通信系の故障かと、彼女は急ぎ計器をチェックする。その瞬間、フェルナンデス機は粉々に砕け散った。
”ジェネレーターのトラブル?”
”違う、敵の狙撃だっ”
仲間の声が慌ただしく入ってくる。新たな光弾が彼女の視界をかすめ、後方のムサイ級軽巡を貫いた。ジェネレーターを直撃したのか、軽巡はたちまち火球と化した。
”どこや、どこから撃っとる?”
”確認不能…超遠距離からの攻撃です”
ランヌ少尉の問いに、ヴァージニア・エミルトン軍曹が答える。刹那、新たな火球が左翼で広がった。一瞬浮かび上がったシルエットからするとイ・スンシン級軽空母らしい。接敵寸前のエウーゴ軍に動揺が広がる。
「馬鹿な、そんな距離からの狙撃などミノフスキー粒子散布下では不可能だ」
第2遊撃戦隊のハマー・ミーラ少佐は、敵の位置を推算したオペレーターにそう叫んだ。
「いや、少佐。ただ一つそれを可能にする方法があります」
参謀たるブライト・ノア大尉の声に、彼女は振り返る。正面のモニターを見据える大尉の額に冷たい汗が浮き上がっていた。
「サイコミュ…ニュータイプが持つ感応能力の軍事利用です」
ミーラ少佐は思い出す。かつて連邦が「ソロモンの亡霊」と呼んだサイコミュ兵器があったことを。新たな爆発が、正面モニター上に広がった。
空母<トラファルガー>の後方に、1機のMSが音もなくたたずんでいる。透き通った白を基調に彩られたそのMSは異形だった。
指先は尖り、ビームライフルなどの携帯を度外視していることを示している。肩を包むアーマーは大きく曲線を描いて広がり、闇の中に浮かぶ蛾の羽を見る人に思い起こさせた。そして、なめらかなカーブで構成された頭部の中央に輝くモノアイ。ジオン系のMSだ。
そのMSの名はキュベレイ。かつてジオン公国がエルメス2の名で計画したものを、ティターンズが宇宙環境研究所に命じて完成させた機体だった。
コクピットには、宇宙環境研究所がスカウトした最強のニュータイプの姿がある。サラ・ザビアロフ准尉こそが、そのパイロットだった。
彼女は意識を集中する。360度を映すモニターに視線を滑らせ、その一点を凝視した。「敵」だ! 自分の額から、思念の矢が撃ち出されるのを彼女は感じる。
思念の矢は、彼女が被る特殊なヘルメットによって感知された。サイコミュ・システムによりそれは信号化され、キュベレイのさらに後方に待機するビットに伝達される。
ビットと言っても、エルメスが使用したようなコンパクトな代物ではない。マゼラン級戦艦をベースとしたそれは、マゼラン・ビットとあだ名されていた。そう、先に連邦軍第6艦隊がア・バオア・クーにて遭遇したあの奇妙な戦艦こそ、マゼラン・ビットだったのだ。
ブリッジは必要最小限とされ、代わりにサイコミュ・システムが搭載されている。粒子砲はすべて遠距離砲戦を考慮されており、考えうるすべての敵をアウトレンジ可能だ。
キュベレイからの信号を受信すると、射撃コンピューターがそれを解析し、光弾を放つ。
命中。新たな輝きの中に「敵」が消えていく。さらなる敵を求め、ザビアロフ准尉は前方の虚空に意識を滑らせた。
サイコミュ兵器による攻撃と悟ったエウーゴ側は、急ぎ部隊を前進させた。距離をとったままでは、一方的にアウトレンジされるのを待つのみだったからだ。
しかし次々と損害を被りつつの前進は、彼らの陣形に乱れを生じさせた。頃合良しと見たティターンズ軌道艦隊は、わずかに突出したタウンゼント戦隊に襲いかかる。
「貴様等では物足りないが、その命、大気圏に散った仲間等のために貰い受けるっ」
コア・ランサーのコクピットで、ケイ・ササキ准尉は叫んだ。エウーゴの「レッド・ウォール」作戦で戦死した仲間を悼み、彼女は黒い腕章をつけて出撃している。怒りをたたきつけるように彼女はミサイルを一斉にはなった。ハイボールが、GM2が、次々と撃破される。
その爆発をすり抜け、バニス・フォルフィード大尉らのガンダムMK2が敵艦隊に肉薄する。
「まずは弱っちいのから叩かせてもらうぜ」
実戦経験の少ない旧連邦軍など、彼らティターンズから見れば赤子のようなものだった。ろくに回避運動すらできぬ改マゼラン級重巡にとりつくと、フォルフィード大尉はビームサーベルでブリッジを切り払う。機体を後方にジャンプさせ、さらにビームライフルを砲塔に叩き込んだ。
瞬く間に数を減じていくタウンゼント戦隊の姿に、ティターンズはさらに勢いを増す。後退し態勢を整え直そうとするタウンゼント戦隊を後目に、ティターンズはエウーゴ最左翼のコモドール戦隊へとその矛先を向ける。
「ふん。我等に秩序の維持を一任していた連邦軍が、テロリストを頼んで刃向かうか。片腹痛い」
ユウキ・ヤツセ大尉はコア・ランサーのコクピットでそう呟くと、スマートガンを放つ。すでに旗艦を失っていたのか、コモドール戦隊の陣形は隙だらけだ。ちぐはぐな闘いぶりのまま、コモドール戦隊は後退を試みる。
「逃がすかっ」
追撃せんとする彼らの右前方に、新たな敵影があらわれた。先ほどの戦隊と異なり、隊形はみごとなほど整っている。
「めくら撃ちでいい、ミサイル全弾発射! 敵の一斉射撃が来るぞ」
そう叫びつつ、彼女も搭載しているミサイルをすべて撃ち出した。それに答えるかのように、前方から多数のミサイルが向かってくる。エウーゴ第2遊撃戦隊の攻撃だった。
ティターンズ軌道艦隊とタウンゼント戦隊が衝突した段階で、キュベレイによる攻撃は中断された。攻撃中止の理由には誤射が恐れられたこともあったが、なによりもザビアロフ准尉の疲労が大きかった。
しかしそれまでに、彼女はたった一人で6隻のエウーゴ艦艇と5機のMSを撃破している。キュベレイとマゼラン・ビットの組み合わせは、一年戦争時のエルメス以上の働きを示したのだ。
タウンゼント戦隊とコモドール戦隊の苦戦ぶりに、エウーゴは第2遊撃戦隊と第3遊撃戦隊を左翼へと進める。追撃を急ぐティターンズ軌道艦隊を側面から攻撃しようと考えたのだ。
しかし、タウンゼント、コモドール両戦隊の後退は予想された以上に早かった。第2、第3遊撃戦隊の攻撃が斜め前方からとなったのは、このためである。
「ええい、くそったれめ!」
ミサイルを放ちつつ、セシカ・プラウベル少尉はティンカーベルのコクピットで叫ぶ。遮蔽物もなしに大軍と相対するのは、ティンカーベルにとって極めて危険な行為だった。以前と比べればジーマの比率の高くなった第2遊撃戦隊だが、やはりその中心はティンカーベルなのだ。
彼らの一斉射撃が、少なからぬティターンズ機を撃破する。しかしその戦果は期待したほどではない。敵はこちらの攻撃に備え誘爆しやすいミサイルを放り出し、回避運動をとっていた。
「そう簡単にはやられてくれないようね」
ノーラ・クレマン曹長はそう呟きながらティンカーベルを後退させる。5分以上はティンカーベルでは戦えないと言うのが、彼女の持論だ。しかしこの後退は退却のためではない。ミサイルを装填しなおし、再度出撃するためだった。
ティンカーベルらと入れ替わるように、ゼータ隊が突進する。回避運動で隊形を崩したティターンズに更なる打撃を与えるためだ。
「あとはまかせて」
クレマン曹長の機の脇をすり抜け、イヴ・フォション曹長のゼータが突進した。彼女の機の強力なスマートガンが、ガンダムMK2の掲げるシールドを撃つ。ティンカーベルのミサイルでIシールドを破損していたのか、光弾はガンダムを貫いた。爆発の中からコア・ブロックが飛び去るのを見るが、彼女はそれに構おうとしない。というより、そんな余裕はなかった。無傷の敵が、まだいくらでもいるのだ。
ゼータ部隊の突撃は成功した。隊形を崩していたティターンズ軌道艦隊の間隙を突き、戦果を拡大せしめたのだ。
しかしそこからさらに撃退へと繋げることはできなかった。大気圏から遠く離れたこの地では、ゼータは一撃離脱戦法しかとれないのだ。
ティターンズが迎撃態勢を整える前に、ゼータ隊は脱出する。エウーゴの第2、第3遊撃戦隊はゼータに代わってジーマを正面に押し出した。
この時ジオン第1師団は、エウーゴとの間に距離をとりつつ右方向に遷移していた。エウーゴ側をティターンズ軌道艦隊の左側面に近づけぬためである。
彼らの正面に位置するアトキンソン戦隊は、このころキュベレイの攻撃による混乱からようやく回復した。アトキンソン戦隊がジオン第1師団左側面に回り込むため動きださんとしたとき、エウーゴはその後方に敵が迫りつつあることを察知する。
「連邦軍か?」
「このスピード、ティターンズです。規模は1個軌道任務部隊相当!」
「くっ、図ったなシロッコ」
第1遊撃戦隊を率いるエイパー・シナプス大佐は、シートの肘掛けを強く握りしめた。
彼らの後方に現れた敵は、シロッコ率いるジオン駐留部隊だ。オム大隊をダミー代わりにしてエウーゴの裏をかき、シロッコらは大きく迂回して敵後方に接近したのだ。
「アトキンソン戦隊は反転、後方の敵を食い止めよ。タウンゼント戦隊とコモドール戦隊は態勢を整え次第アトキンソン戦隊に続け。他の戦隊は正面の敵軌道艦隊に攻撃を集中っ」
強い乾きを大佐は覚える。「壊滅」の二文字が、彼の脳裏にゆっくりと浮かんできた。
現在ティターンズ軌道艦隊を攻撃しているのは、左翼から第1遊撃戦隊、ウォズ戦隊、ラッパロ戦隊、第2、第3遊撃戦隊だった。
ゼータの攻撃をしのいだ軌道艦隊は、今度はラッパロ戦隊を圧迫している。エウーゴ側を中央から分断し、第1遊撃戦隊及びウォズ戦隊をジオン第1師団と共同して撃破する腹積もりだ。すでにジオン第1師団は徐々に右へと旋回しつつある。なんとしても敵の中央突破を阻止せねばならない。
「この、このっ」
誰に聞こえるわけでもない言葉を叫びつつ、チェリー・マックナイト伍長はジーマのビームライフルを放つ。焦りが、彼女の警戒心を鈍らせていた。攻撃に集中したあまり、敵中に突出していたのだ。はっと気が付いた瞬間、右からビームサーベルを構えたガンダムMK2が迫る。アセ・ピロット中尉の機体だった。
「墜ちろ、スペースノイド」
気合いとともに振り下ろされたサーベルは、ジーマの右腕ごと脇腹を縦に両断した。
「お父様っ」
ジェネレーターの爆発の中に、彼女の声はむなしく消える。
「くっ」
ユウキ・ムライ中尉はメルケ・ディアスのコクピットで四方をすばやく見回した。なんとか踏ん張っているものの、全体としては押され気味だ。
「フォード軍曹、バックアップを」
そう言いながら後方モニターを覗き込む彼の目に、ユーノス・フォード機がビームライフルに貫かれる様子が写った。中尉、という声が最後の瞬間スピーカーから響く。
「調子に乗ってっ」
ドゥルガー・キサラギ軍曹はジーマのコクピットで舌打ちする。彼女のジーマには、肩に虎のマーキングが施されている。同じ第2遊撃戦隊のブライト・ノア大尉から、以前アムロ・レイが「野生の虎」と呼ばれたと聞いてのマーキングだった。
彼女も懸命に戦ってはいたが、じりじりと後退を余儀なくされている。ラッパロ戦隊は意外に持っているが、かなり苦しそうだ。状況に対しあまりに無力な自分に、彼女は奥歯を強く噛みしめる。その時、一条の信号弾が虚空を走った。ジーマ隊に後退を命ずる信号だ。
”お待たせっ”
レーザー回線越しにカイ・シンザン曹長の声がとどく。
「ティンカーベル? 間にあったのね」
後方から迫る丸っこい機体を、この時ほどたのもしく思ったことはない。
ジーマと入れ替わりに、ティンカーベル隊が前面に出た。ティターンズ側も撃たれる前にと彼らを狙撃する。見る間に、シロキ・ツバサ機が撃破される。ろくな装甲も持たぬティンカーベルにとって、敵弾の命中は即、死を意味していた。
隊形を調えると、ティンカーベル隊はお返しとばかりにミサイルを次々と連射する。弾幕に包まれ、少なからぬティターンズ機が砕け散った。
「やった!」
シンザン曹長が快哉をあげる。彼が火球の向こうから現れたガンダムMK2に気付いたのは、その刹那だ。至近弾を浴びたのか、そのガンダムは残骸のような姿だった。しかし右手に握られたビームサーベルは、まだ輝きを失っていない。
「往生際が悪すぎるよ、あんた」
シンザンの最後の言葉を聞き取れた者は誰もいなかった。彼の機をサーベルで貫いたガンダムに、ディック・カーペンター少尉がビームライフルを叩き込む。
”だから言ったろうが、曹長。墜とされちゃ元も子もないって…”
呟きに込められた哀しみの色を、キサラギ軍曹はひどく強く感じとった。
一方、アトキンソン戦隊とティターンズ軌道任務部隊の間でも激しい激突が生じていた。
先手をとったのはティターンズだ。高い相対速度を利用し、シロッコはまずコア・ランサー隊を正面から突進させた。これまでにない遠距離から、コア・ランサー隊はミサイルをまとめて発射する。アトキンソン戦隊左翼に集中されたその攻撃は、少なからぬMSを粉砕し、さらに多数のディアスのシールドを破壊した。
すべてのミサイルを使用し誘爆のおそれを最小限としたコア・ランサー隊は、今度はスマートガンを再びアトキンソン戦隊左翼に放つ。Iシールドを損傷したディアスらを、彼らは次々と撃破する。
「いいね、この戦法。ふふ、シロッコについてたおかげで色々楽しませてくれる」
戦場から離脱しつつ、エイジャ・カディスは薄笑いを浮かべる。彼女が今口にしたように、この戦法はシロッコの発案だった。エウーゴにおけるティンカーベルの用法を、彼はティターンズ流にアレンジしたのだ。
損害にも関わらず、アトキンソン戦隊の士気は高かった。
「あほんだら、二度も国はわたせへんでぇっ」
ひどく訛ってはいるが、ジャン・ランヌ少尉のこの言葉が彼らの思いを代弁している。
艦砲射撃の支援を受けつつ、ディアスらはガンダムMK3を迎え撃つ。しかしいかに士気が高くとも、それだけで装備の差は埋められない。MK3の強力なスマートガンに、ディアスは一機また一機と撃破されてゆく。艦艇もまた、無事ではない。
「はっ、雑魚は雑魚らしくやられちまいな」
迫るディアスをビームサーベルで切り捨てつつ、ローマ・ローマ少尉はMK3のコクピットで冷笑を浮かべる。ふと、彼女は眉間に皺を寄せた。いつの間にか、多数の敵機がガンダムMK3に肉薄している。
そう、エウーゴは射撃戦での不利を近接戦に持ち込むことでカバーしようとしていた。危険を省みず艦艇を前に押し出したのは、このためだったのだ。濃密な艦砲の援護により、ディアスらはMK3に接近した。あとは剣戟の腕次第だ。
スマートガンを構え直そうとするMK3に、メッツァー伍長が斬りかかる。スマートガンの砲身ごと胴をなぎはらうと、彼女はさらなる獲物へと向かう。
「たかがガンダム!」
気迫に押されるかのように、一機のMK3が後退する。背後に回り込んだエミルトン軍曹が、サーベルでその背中を貫いた。
「よし、いけるで」
ランヌ少尉が快哉を叫ぶ。しかし戦いの勢いは、まだエウーゴに移らなかった。
いかに実戦経験を積んだアトキンソン戦隊とて、一騎当千の誉れ高きティターンズを圧倒することは容易ではない。接近戦では分が悪いとみてとったティターンズ側はガンダムを相互に支援させつつ後退させ、ミドルレンジでの砲戦に再び持ち込んだ。
再び、アトキンソン戦隊は艦砲支援の下、肉薄を試みる。また再び、ガンダムは距離をとってスマートガンで攻撃する。繰り返される戦いの中で、アトキンソン戦隊は少しづつ劣勢になっていく。タウンゼント戦隊とコモドール戦隊も彼らに合流したが、先の戦闘でかなり損耗しており、いくらもプラスにならない。アトキンソン戦隊のアムロ・レイMS大隊長も懸命に采配をふるってはいるが、どうにも手の打ちようがなかった。焦りの色が額ににじみ出る。
ジオン第1師団旗艦<ドライヤー・ギュント>のCICに緊迫した空気がみなぎる。本来はMSのパイロットでありながら優れた戦略眼で知られるシブリー・ブラックウッド少尉が、フォン・ヘルシング少将に献策を申し出たのだ。しかもそれは、たった今ティターンズに背くべしという主張だった。
ヘルシング少将は彼女に穏やかな…いや、精気のない眼差しを向ける。
「言ったはずだぞ、少尉。大義のためといえど、戦いを呼んではならんと」
「師団長、大義のみならず祖国を…ジオン共和国を救う術があるとしてもですか」
凛とした声に、CICは静まり返る。そう、誰もがこの戦いを大義に反する行為だと感じていたのだ。
「…言ってみたまえ、少尉」
「少将。共和国がアクシズに屈したのはつまるところティターンズが彼らの存在を容認したからです。そしてティターンズが法的根拠を失いつつもなお一体となって存続しているのは、彼らを束ねる『カナメ』があるからです」
一気にそう言うと、彼女は懐からすばやく何かを取り出した。いぶかしむ少将の目に、鮮やかな紋様が描かれた東洋の扇が写る。
「扇の骨を留める釘を東洋では『カナメ』と言います。このティターンズと名付けられた扇の場合、『カナメ』をシロッコと呼びます。『カナメ』に予備はありません。そしてこれを抜けば…」
あらかじめ緩めておいた要を抜き取り、彼女は扇を大きく振った。鮮やかな扇絵は破れ、骨と共にそれは四散する。彼女の手には、わずかな紙片の張り付いた一本の骨だけが残った。
「かくのごとしであります。もはやこの扇にてあおがれようと、そよともいたしません」
「つまり『シロッコを討てば、アクシズとて共和国より退かざるを得なくなる』と」
「は。我ら師団が錐の戦法をもってティターンズ軌道任務部隊を突けば、シロッコ一人討てぬはずがありません」
一世一代の大見得を、彼女はきってみせる。
錐の戦法。それはかのランバ・ラル隊が最後の策として用いた戦術である。いかなる損害も省みず、ただ一点に戦力を集中させる。自らの生還を度外視する捨て身の戦法だ。
わずかにうつむけていた面を上げると、少将はすっくと立った。その瞳には、闘志が赤々と燃え上がっている。口元には、かすかに満足げな笑みすら浮かべていた。先ほどまでの意気消沈していた少将と同一人物とは思えぬほどだ。
落ちついた、しかし覇気に満ちた声で彼はCICの空気を震わす。
「我が身をすり潰して祖国が救えるなら、それも軍人として本望か…通信!」
「は」
「全艦艇に通達。『敵は<ラウ・ドルワ>にあり。すべての戦力をもって錐と為し、これを撃滅せん。ジオン共和国に栄光あれ!』」
ジオン第1師団の動きに、戦場にいたすべての者は我と我が目を疑った。
これまで防壁のごとく振る舞っていた艦隊は、素早く矢尻のごとき隊形を組む。アトキンソン戦隊の側面を突くかと思われたそれは、軌跡をもってその目標がティターンズ軌道任務部隊であることを示した。遥かなノイズの向こうから、彼らがあげる鬨の声が響いてくる。
”ジオン共和国万歳!”
”自由を、さもなくば死を!”
エウーゴ側は歓喜の声をあげ、ティターンズ側は激しく動揺する。攻守は瞬く間に逆転した。
ティターンズ軌道艦隊は大きく左に旋回し、ジオン第1師団を追撃する。そうはさせじ、とエウーゴ第1遊撃師団とウォズ戦隊が割って入った。
ティターンズ軌道艦隊に追随せんとするオム大隊には、ラッパロ戦隊と第2、第3遊撃戦隊が襲いかかる。
こうなるとは思わなかったな、とローゲ・シュテルン少佐は口の中で呟く。
ジオン第1師団第1大隊の軽巡<アルディス・クライブ>の艦長たる彼は、自分たちがティターンズと対決する日はまだまだ遠いことと考えていた。アクシズ・ジオンがティターンズと組み、共和国政府を潰してしまうなどとは想像できなかったからだ。共和国が公国となった日、彼は戦う意味を失った。しかし今は違う。祖国のために彼は戦う。この身が砕け散るその瞬間まで。
第1大隊を先頭に、ジオン第1師団は突撃する。その主たる戦力はゼムとガザ、そしてサラミス級軽巡だ。装備は旧式なものの、思いも寄らぬ攻撃にティターンズ軌道任務部隊は狼狽する。
「なにをしている! イラワジ級に迎撃させよ。コア・ランサー隊は迂回して航続を叩けっ」
<ラウ・ドルワ>のCICにパブテマス・シロッコの声が響く。その言葉にはじかれたように、イラワジ級軽巡の群は対空ミサイルを放った。炎の尾を引いて舞い上がったそれらは次々と炸裂し、MSを、艦艇を切り刻む。
「<ドライヤー・ギュント>に命中を確認…なおもこちらに突っ込んできます!」
オペレーターの声が恐怖に裏返る。
ティターンズ艦艇は大小様々な粒子砲を撃ち上げ、壁のように濃密な弾幕を形成する。ヒ・ディ・スワラジ軍曹の目前で、メイベル・チャン曹長のガザが砕け散った。
「曹長!」
若干18歳ながら、優れたガザ乗りだった曹長。大人びた言い回しをするくせに根はひどく真っ正直な曹長。自分がニュータイプだったら、とスワラジ軍曹は思う。
彼女には、いろいろ言わねばならぬことがまだまだあった。お礼、詫び、伝えたかったこと、聞きたかったこと。そのすべてが残ったままなのに、彼女は火球の中に消えていく。ニュータイプならそれでも彼女に語りかけられるのだろうか…一瞬、彼の胸にそのような言葉が去来する。だが今、そのような思いに溺れることはできない。奥歯を噛みしめ、彼は弾幕へと突っ込んでいく。それだけが、今の彼にできることなのだ。
オム戦隊は明らかに押されていた。エウーゴ側は先のお返しとばかりに猛攻をかけてくる。ことについ先ほどまで防戦一本槍だったラッパロ戦隊の攻撃はすさまじい。
とんだ八つ当たりだ、とジェファーソン大尉は呟いた。陣形を立て直すべきなのかもしれないが、そんなことをすればティターンズ軌道艦隊に置いてきぼりにされてしまう。かといって、このままではあの新型MSや<トラファルガー>すら危ない。
「どうすれば、どうすればいい」
恐怖に足が震えるのを彼は感じる。どこか聞き覚えのある声がヘルメットのスピーカーから聞こえてきたのは、その時だった。
”退く、です。退きなさいっ”
不自然な抑揚のその声に、哄笑が続く。視線を巡らせる彼の視界に、その声の主は写った。
「あれは…ガンダム?」
その声はひどく自信なさそうだ。だが、それも無理もない。
たしかにその機体はガンダムMK3のパーツを流用していた。上半身はそのままだし、コアブロックもさして変更があるようには見えない。青みを帯びた黒を基調とした塗装とて、他のガンダムと変わらない。
しかしその下半身は全く異なっていた。背中の巨大なバックパックと同型の推進機を、それはアダプターを介して下半身代わりにとりつけている。そして肩や背から、巨大なプロペラントタンクとおぼしきものが幾つかぶら下げられていた。その加速度がまさにガンダムMK3の倍であるように、彼は感じる。
そしてそれが手にするスマートガンもまた、冷却系を強化したのか通常のタイプの倍のボリュームを有していた。その筒先がわずかに揺れ、火を噴く。仮にこの空間を大気が満たしていれば、その轟音に鼓膜を破られていたに違いないと彼は感じた。その想像が必ずしもオーバーではなかったことを、彼はその光弾の軌跡を見て知る。
改マゼラン級重巡2隻を、その閃光はまるで小魚に金串を通すかのように正面から貫通したのだ。
”守る、守るです。私は、俺は、サラ・ザビアロフを守る、ます」
ノイズの向こうから聞こえてくる声に、彼は再び恐怖する。夢魔のうめき声のようなそれは、確かにコウサク・アカシ中尉の声だった。
そのMSの名はアジャイル・ガンダム。強化処理を施した兵士(いわゆる強化人間)を前提として設計された初の機体だった。
イラワジ級軽巡が火球と化す様に、ジオン第1師団第2大隊のガレム・サイデル中尉は拳を突き上げた。
錐の戦法により、ティターンズ軌道任務部隊の防衛網は綻びを見せ始めている。ことに彼らガザ隊の戦果は著しく、その設計思想が必ずしも間違いではなかったことを示していた。
間隙を突き、ゼム隊が<ラウ・ドルワ>に肉薄する。アレクサンダー・デューイ中尉のビームライフルが砲塔の一つを射抜く。
「あと少し!」
フェンネル・パルパニア中尉がバーニアをふかす。常なら怠らぬ警戒を、この一瞬彼は忘れていた。後ろから追いすがったガンダムMK3が、ゼムの核融合炉にビームサーベルを突き立てる。勝利を確信したまま、パルパニア中尉は閃光に飲み込まれた。
「シロッコ少将!」
彼方に輝く閃光に、サラ・ザビアロフは叫んだ。
地球に降りて以来、なぜかシロッコは彼女を避けているようだった。少将は重大な責任を負われたのだからしかたのないこと、と彼女は自らに言い聞かせる。だがそれでもなお、彼女は内なる不安をぬぐい去れなかった。
自分を見出してくれた人。自分を必要としてくれる人。それなくして人が生きられるとは、今の彼女には思えなかった。
「少将を、殺させはしないっ」
<トラファルガー>の甲板を蹴ると、キュベレイは高く舞い上がる。鋭い爪をモノアイの前にかざすと、力強くそれを彼方の「敵」へと向けた。マゼラン・ビットが再びその強力な主砲を放つ。炎を次々と放つその姿は、邪悪な龍を見る人に想起させた。
彼方よりの光弾が、ジオン第1師団第3大隊に雨のごとく降り注いだ。これだけ敵味方が入り乱れているにも関わらず、光弾は正確にジオン共和国軍だけに命中する。
”なぜです、どうして後退しなきゃならないんですか?”
軽巡<レベルド・エッティンガー>のブリッジにエレノア・ドール少尉の声が響く。
”みんな…みんなシロッコを倒すために死んだんですよ。イブキ大尉だってっ”
フォルト・イブキ大尉はマゼラン・ビットの砲撃を浴びて戦死した。
「共和国を戦乱に巻き込みたくない」
アクシズがジオン共和国を奪うまで、彼は良くそう言っていた。使命感の強い、理想家肌の男だった。その彼が、シロッコを倒すために死んだ。なのにどうして、自分たちが退けようか! ドール少尉の気持ちは、艦長たるゴルバ・ハイデルン少佐にも痛いほどわかる。だがそれでも、彼は命じねばならなかった。
「少尉、ここで殲滅されてイブキ大尉が喜ぶと思うか。明日の勝利のために、我らは今苦い敗北を噛みしめねばならん」
エウーゴ側はサイコミュ兵器攻略の手だてを見出すことができず、これ以上の継戦は無意味だと判断した。兵をまとめ、彼らは速やかに後退する。
これに対し、ティターンズ側は予想外の損害に、追撃を断念した。その戦力こそが交渉条件のすべてとなっているティターンズにとって、これ以上の損失はあまりに危険だったのだ。
後に「リーア沖会戦」と名付けられる激戦は、こうして幕を閉じた。
シンゾウ・サクマ中佐は自らの幸運を感謝する。彼の率いるウォズ戦隊の損害は、旧連邦軍の他戦隊と比べるとかなり軽度だった。
いや、むしろ他の戦隊の損害が大きすぎたと言うべきかも知れない。タウンゼント戦隊とコモドール戦隊は序盤に旗艦を失い、混乱したところをさんざんに叩かれた。ラッパロ戦隊は反撃に移った際、信じがたいことだがたった一機のMSの前に後退を余儀なくされている。
そのMSはガンダム系の新型だという話だが、詳しいことはまだ分かっていなかった。
部下たちに労いの言葉をかけつつ、彼はすでに次なる戦いに頭を悩ませる。
ジオン第1師団のフォン・ヘルシング少将はティターンズ艦艇が放ったミサイルにより足を負傷していた。戦闘後、彼は旗下の部隊とともにエウーゴへの合流を表明する。そして自らの部隊を「自由ジオン師団」と呼称した。
車椅子姿で、彼は将兵にその旨を伝える。
「我らジオンの民が歴史から得た教訓は一つ。『独裁を認めてはならない』ということだ。祖国の解放と宇宙植民者の権利のため、そして戦場に散った多くの同胞のために、我ら自由ジオン師団は戦う。ジオン共和国、万歳」
淡々とした、しかし力強い声。唱和するジオン将兵の意気は、天をも突かんばかりだった。
後年、ヘルシング少将が錐の戦法を採用したことをもって「兵士の命を軽んじる愚将」と評価する歴史家もあらわれている。
たしかに師団の損害は大きく、その目的たるシロッコ艦撃破はかなわなかった。しかしながら彼が(そして師団の多くの将兵が)エウーゴ側についたのは「シロッコさえ倒せば」と考えたからである。他の戦法でその目的を果たすのはまず無理だった。また、サイコミュ・システムがあれほどまでの猛威をふるうとは、ごく限られた者しか想定していない。
結果のみを見てヘルシング少将等の行為を批判するのは、いささか客観性に欠ける行為とせねばなるまい。
ジオン第1師団の将兵らにはかねてからティターンズへの反発を感じているものが多く、またザビ家独裁をよしとせぬ者が大半を占めていた。一年戦争後、連邦政府指導の下に行われた民主教育の最大の成果がこれだったとすると、皮肉な話である。
ただ、第1師団のすべてがエウーゴに参加したわけではなかった。一部艦艇は乱戦にまぎれて戦場を離脱、ジオン公国への忠誠を表明する。優柔不断な性格で知られるハラ・イ少尉の姿も、その艦にはあった。
また、エウーゴから彼らに合流した者も少数だったが存在している。ガレイフェル・ガラファール少尉とサクラ・カツラギ少尉だ。彼らはそもそも親アクシズ派で、エウーゴに参加していたのは「反連邦」の一点で行動方針が重なっていたからに過ぎなかった。
特筆すべきは、彼らがゼータに搭乗したまま亡命した点である。かねてから「シルバーサーファー」に興味を持っていたジオン公国にとってこれは貴重な資料だった。
「汝らの忠誠こそ、我が誇りなり。以後、我が盾となり、剣となり働いてくれ」
彼らを親衛艦隊に編入するにあたり、ハマーン・カーン・ザビは彼らにそのような言葉を贈っている。
一方、ティターンズからエウーゴへの亡命者もあった。クレイド・ジェスハ大尉もその一人だ。
ジオン駐留部隊の一員だった彼は、これまで長くシロッコの指揮下にあった。しかし、いや、それだからこそ、彼はシロッコに強い反発を抱いている。そのため、彼はアクシズに観戦武官として赴きたいと申請すらしていた。申請を却下されて使命感もなく戦う彼が、乱戦を「亡命の好機」ととらえたのも当然だったろう。
「ただまあ、心残りがありましてね」
亡命意志の確認の際、彼はふと言葉をもらす。
「リジェルタ・エリクセン中尉という子がいるんです。利口すぎて、大きなことが見えなくなってましてね。彼女をなんとかシロッコから離したかったんですが…」
亡命後初めて、彼は面を曇らせた。その思いをエリクセン中尉に伝える術はない。
戦いを終え、ティターンズ側の全艦艇はジオン公国へと引き上げる。新たな作戦プランの構想を練りつつ帰ってきたシロッコを待っていたのは、ティターンズ情報局のベン・ウッダー准将だった。
二人の姿は今、シロッコの執務室にある。人払いを願い出た後、ウッダー准将は口を開いた。
「用件は他でもありません。ハイマン中将暗殺の下手人についてです」
「准将、あれはエウーゴのテロと確認されたはずだが」
「情報局を甘く見ては困りますな、少将」
意地の悪い質屋のように小賢しげな笑いを浮かべ、彼は言葉を続ける。
「中将ご愛用の懐中時計が現場から見つかりましてね。その状況がちと気になるのです」
「ほう?」
「弾丸が食い込んでいますが、これはテロリストが使った爆弾に用いられたものとは思えないのです。つまり…何者かが中将を拳銃で撃ったのち、爆弾で吹き飛ばした。こう推察されるのですな」
言葉を切り、彼はシロッコの顔を上目遣いに見つめる。懐から彼は炎に焼けた懐中時計をとりだした。そう、ハイマン愛用の品だ。
「いや、迂闊でした。中将に愛人がおられたことは知っていましたが、まさかその子があなただったとは…これを見るまで想像もしていなかった」
ウッダー准将はむりやり懐中時計の蓋を開き、シロッコの眼前に晒す。そこには、一枚の写真がはめ込まれていた。食い込んだ弾丸に抉られたそれは、幼き日のパブテマス・シロッコを写している。
「父さん…」
不意に自らの口から出た言葉に、シロッコは驚きの表情を浮かべる。
「いやあ。お父上はあなたのことを本当に気にかけておられたようですな。わざわざこのような写真を取り寄せられ、しかもそれを肌身離さず持っておられたのですから」
呆然とするシロッコに、彼は勝ち誇ったように言葉を浴びせかける。
「にもかかわらず、あなたはハイマン中将を殺した! しかもあなた自身の手でね。は、親殺しの男が総裁とは、聞いてあきれる」
うつむき、がっくりと肩を落とすシロッコに向け、彼は冷気すら感じさせる声で語り続けた。
「少将。私はなにも総裁の地位を渡せとは申しません。ただまあ、私の言うとおりに動いていただければいいのです。たやすい条件だと思うのですがね?」
重苦しい沈黙の後、シロッコはおもむろに顔をあげる。瞬間、激しい恐怖がウッダーを貫いた。敗北に打ちひしがれているはずのシロッコが、張り付いたような笑みを浮かべていたからだ。
「准将。東洋に『虎の威を借る狐』という言葉がある…虎が死んだとき、狐はどうなるか分かるかね?」
ふいに手を伸ばし、彼はウッダーの長めの髪を鷲掴みにする。力任せに、シロッコはウッダーの顔をクリスタルの灰皿にたたきつけた。
ぎゃっ、と悲鳴が上がる。それを無視するように、シロッコは二度三度と彼の顔をたたきつけた。鈍い音と共に歯が砕け、破片が唾液と血を引いて飛び散る。骨が鈍くきしみ、血がシロッコの純白の制服を赤く彩った。
「その時計を渡せ。渡さぬかっ」
叫びつつもシロッコはその手を止めようとはしない。ウッダーが握りしめていた手を開いたとき、すでにその意識はなかった。
懐中時計を拾うと、彼はインターフォンで警備兵を呼び出す。ウッダーからはまだ聞き出さねばならぬことがあった。
リーア沖会戦から2日後、ティターンズはゼダンを放棄する。守備隊と大量の備蓄をジオン公国に移動させるにあたり、<ヴァルハラ>が大きな役割を果たした。ちょっとしたコロニーほどの巨体は、その任務に最適だったからだ。
同時にこれは、ティターンズとジオン公国が親密な関係にあることを世界に示す意味も有している。
シロッコがゼダンを見捨てたのは、シルバーサーファー対策に兵力を裂く無駄を省くためだった。旧連邦軍の部隊が徐々に彼の下に集まりつつあるが、それを有効に活用するためにも戦力分散の愚を冒すわけにはいかない。反対意見も少なくなかったものの、彼はそのカリスマと決断力によってゼダン放棄を断行した。
さらにその一週間後、彼は突如フォン・ブラウンへと兵を進める。この作戦にはジオン公国からメテオール・フロッテも参加した。月面都市フォン・ブラウンにさしたる戦力がある訳もなく、一方的な戦いはわずか13時間で終結する。先のリーア沖会戦で少なからぬ戦力を損耗したエウーゴにそれを阻む術はなく、ただその蛮行を非難するだけにとどまった。
勝利後、パブテマス・シロッコ少将はアナハイム・エレクトロニクスのフォン・ブラウン支社の接収を表明する。ビル・アナハイム支社長はティターンズとジオン公国への協力を誓ったが、それも虚しかった。彼が真っ先に命じられたのは、工作機械や資材、技術者などのグラナダへの移動だったからだ。
「輸送できないものはすべて破壊せよ。再使用可能な形では何一つ残してはならない」
移動の愚を唱えるビル・アナハイムに、シロッコはそう厳命した。彼の意図がアナハイムの利用ではなく破壊だったことは、占領後わずか一週間でグラナダへと兵を撤退させたことからも明らかだ。
廃墟と化した旧社屋で、ビル・アナハイムは自殺した。人類史上最大の企業家の一人だった男の、あまりにも悲惨な末路だった。
一方、彼と共に世界を牛耳らんとした男はこの時ジオン公国へと護送されつつある。無論それは、多くの人々が知るところではなかった。
ズム・シティ・ヒルトンは、ジオンでも指折りの名門ホテルである。現在そこは、旧アクシズ艦隊将校等の専用宿泊施設となっていた。ラカン・ダカラン少将の仮の住まいは、その最上階にある。
「ご苦労だったな、准将」
当番兵が香りの良いコーヒーを二つテーブルに置く。シャア・アズナブル准将はクリームだけを入れたコーヒーに口をつけた。苦みが疲れた身体に心地よい。
深く息をつく彼を見つめつつ、ダカラン少将は口を開いた。
「話というのは他でもない、総裁のお心がわりのことだ」
「少将。ルナツーの一件で叱責を受けたことなら私は気にしていない。まあ大きな戦いに参加できず、兵士たちは不満なようだが」
肉の厚い右手を挙げ、ダカランは彼の言葉を遮る。
「問題なのは、ハマーン様があのパブテマス・シロッコという男を信頼してしまったことだ。最高指揮官自らが交渉にあらわれたことから、他の重臣らもシロッコを高く評価している。まあ、あいつらはハマーン様に調子をあわせることしか知らないがな」
「それで?」
しばしの沈黙の後、ダカランは言葉を続ける。
「ハマーン様をお諌めできるのは准将しかいない、ということだ。正直、この先あのシロッコが何をするかわからん。底の見えぬ輩よ。そのシロッコに…ハマーン様は心惹かれつつある」
ダカランの言葉に耳を傾けつつも、アズナブルは表情を変えようともしない。いや、その仮面に想いを隠しているのであろうか。ダカランにそれはわからなかった。
「…良いコーヒーをご馳走になった」
コーヒーを飲み干し、アズナブルは立ち上がる。
「シャア」
「少将、あなたは私を買いかぶっている。私は総裁の一臣下にすぎない」
「一臣下にすぎない者が、共に一夜を過ごすのか?」
立ち上がったアズナブルと、それを見上げるダカランとの間の空気が緊張する。
「なにも咎めようというのではない、シャア。私は准将に希望をつないでいるのだ」
「私に総裁をお諌めすることなどできんよ、少将…失礼する」
去りゆく准将の背を見つつ、ダカランはコーヒーを一口飲む。冷めかけたそれは、ひどく苦かった。
カミーユ・ビダンは要領の良い男だ。アナハイム・エレクトロニクスの秘密開発チーム「クロスボーン・ワークス」のチーフたる彼は優秀な技術者だが、その勝手放題なやり方でチーム内でも疎まれている。しかし今回ばかりは、彼らもビダンに感謝せざるを得なかった。
ティターンズによるフォン・ブラウン侵攻の知らせを聞くや、彼は即座にロモノゾフ製作所からの脱出を決意する。データと人員、そしてすぐ要りそうな機材だけを輸送船に搬入させると、彼は施設の破壊を命じた。
「いいのかね、これほどの施設を」
テストパイロットたるハヤト・コバヤシの問いに、彼は嘲笑をもって答える。
「本気で言ってます? もうアナハイムはおしまいですよ。今更あそこに義理立てしたってティターンズに儲けさせるだけでしょ」
腹立ちをおぼえつつも、コバヤシは設備の爆破準備を急がせた。どうせクロスボーン・ワークスが無くなれば、もうこの礼儀のかけらも知らぬ男の言うことを聞く必要はなくなるのだ。
クロスボーン・ワークスの面々が無事サイド6に到着したのとの知らせに、エウーゴの補給担当者等は一様に快哉をあげた。
主要兵器の多くをアナハイムから入手していたエウーゴにとって、彼らが輸送船に詰め込んでいるはずの機材はいかなる財宝よりも貴重だったからだ。
無論エウーゴとてそれなりの備蓄はしていたが、先の戦いによる損耗でそのかなりの割合を消費している。サイド6での生産も開始されてはいたが、まだまだだ。いわゆる「共食い」で対応せねばならなくなるのもそう遠い日ではないと考えられていた。彼らがクロスボーン・ワークスに期待したのもむべなるかな、である。
しかし喜び勇んで輸送船に飛び込んだ補給担当者等が見たのは、船倉の多くを占める得体の知れぬ「機材」だった。
「どういうことかね、これは?」
報告を聞き、ウォン・リーはさっそくカミーユ・ビダンを呼び出して詰問する。並の神経の者なら肝が縮みあがるであろう大声に、ビダンはまたしても小馬鹿にしたような調子で答えた。
「必要だ、と思ったから持ってきたんです。こっちは好意でやってるんですよ」
「今必要なのはゼータやMSのパーツだ。ガンタンクもどきの新型ではないっ」
肩をすくめ、あごを小さく横に振ると、ビダンは答える。
「断言します。間もなくエウーゴは陸戦用重MAなしでは戦えなくなる」
「言っておくが、地球や月に降下する予定は当分ない。戦略的メリットもなしに、重力の底にわざわざ兵を送るほどの余力があると思っているのか?」
こめかみに血管を浮き上がらせて唸るリーを見つめ、ビダンは自信ありげに呟く。
「『ジャブロー砲』はまだ生きてるんです」
ストップモーションのように、リーは何かを叫びかけたまま言葉を失う。しばしの沈黙をおいて、彼はようやく問いを口にした。
「まさかティターンズがあれを…なぜ今まで言わなかった?」
「一応僕もアナハイムの社員でしたから、守秘義務ってのがありましてね。まあ、いまさら義理立てしても無駄だからお話ししたまでです」
強く舌打ちすると、リーはインターフォンをとる。
「私だ。ハマー・ミーラ少佐を至急呼び出してくれ。元戦車乗りの連中のことで話があると伝えろ。ああ、すぐにだ」
けたたましい音と共にインターフォンを下ろすと、彼はその険しい眼差しをビダンに向ける。
「君の行動の意味は了解した。で、あのガンタンクもどきの名はなんという?」
「ガンタンクもどきとはひどいおっしゃりようですね。月面での機動力は他のすべての兵器を凌駕し、ゼータと同じスマートガン二門を装備するスーパーウェポンを」
「自慢はいい。早く言え」
「Gマンティス。連邦軍がティターンズにも内緒で開発してた代物です。強いですよ」
得意げな笑みを浮かべるビダンの顔を見つめ、リーは強く鼻を鳴らした。
連邦議会がエウーゴとの交渉を決定したのは、ティターンズのフォン・ブラウン撤退の翌日だった。同時に、連邦中央検察庁はパブテマス・シロッコ少将に対し反逆罪の容疑で逮捕状を発行する。あまりにも遅すぎる措置だった。
この当時、連邦議会は票集めとハイマンの顔色をうかがうことしか知らぬ政治屋ばかりが揃っている。自らの既得権益を守るばかりの議員らにとって、情勢の急激な変化への対応は容易ではなかったようだ。モスク・ハンは他の議員らを「恐竜以下の環境適応能力しかもたない」と揶揄している。
グラナダに本陣をおいたシロッコは連邦政府の決定を受け、一つの命令を下した。
グラナダは月有数の軍港である。ジオンとの結びつきは強く、一年戦争時には公国軍の拠点ともなっていた。戦後は連邦軍の、デラーズ事件後はティターンズの基地として大きな役割を果たしている。
今日、グラナダは名目上ジオン公国領となっていた。しかし実際に公国が派遣しているのはごく少数の治安部隊と連絡将校に過ぎない。代わってこの地に兵力を展開しているのはティターンズだった。
かねてより、ティターンズはこの基地の要塞化に力を入れていた。レーザー推進システムはもちろん、防空設備も月面最大級だ。
そもそも、月面基地を砲爆撃で破壊するのは難しいとされている。自転運動のない月には静止軌道はありえず、攻撃は高速で上空を通過しながら、となる。照準や戦果確認は容易ではない。
加えて、月面施設の多くは地下構造となっている。これはそもそも太陽光線の有無による極端な温度変化から施設を守るための措置だ。しかしそれは同時に、上空からの攻撃に対する頑強な盾となっている。
そのグラナダの周囲に、地下構造物が巨大な円を描いていることを知る者は少ない。巨大な円に内接するように小さな円形の地下構造物もある。これらをあわせ、ティターンズでは「ルナ・シンパシー」の秘匿名称で呼んでいる。完成後まだ間もないそれは、人類史上最大の埋設型マスドライバーだ。
元々それは、ジオン公国軍によって着工、放棄された歴史の遺物だった。
ルウム戦役で多数の兵を失った後、ジオンはコロニー落とし以外の方法でジャブローを破壊したいと考える。そこで誇大妄想狂的な技術者の発案によって着工されたのが、このマスドライバーである。仮に完成すれば「ジャブロー砲」と呼ばれたであろうそれを完成させたのは、皮肉にもティターンズのジャミトフ・ハイマンだった。
パブテマス・シロッコが下した命令。それは、ルナ・シンパシーによる砲撃の開始だった。
「わかるか、サラ。私の心が」
グラナダ基地司令部、シロッコ私室。ジオン産の赤ワインを手に、彼は漆黒のソファーにたたずむサラ・ザビアロフ少尉に語りかける。先の戦いで多大な戦果を挙げて昇進した彼女だったが、その表情は重苦しく沈んでいた。
そう。彼女にはシロッコの心が見えてしまう。失意の内に死んだ母。その恨みをばねに権力の階段を駆け上がるシロッコ。さまざまな者を蹴落として高みに立ったシロッコは、遂に実の父を手にかける。しかしその後、彼は父の心を知った。
「ハイマンは…父は自らの理想の実現を私に委ねようとしていたのだ。その父を、私は殺した」
杯を重ねつつも、彼の面には酔いの色はかけらほども見えない。彼の心が沸き上がる炎のような悔やみの念に焼かれつつあるのが、サラには見える。
刹那、月が身震いでもしたかのような振動が部屋を揺さぶった。ルナ・シンパシーがその巨弾を放ったのだ。
「今の砲弾はコロンボに落ちる。次の砲弾はカントン、その次はシャンハイだ。真っ先に攻撃したセネガル同様、その壊滅は間違いない。愚かな連邦議員たちもエウーゴとつるむ不逞の輩も…すべて抹殺する。それが、後継者たる私の務めだ」
ふと、自らの瞳から涙があふれるのをサラは感じた。なぜ自分は涙を流すのだろう、と彼女は思う。死にゆく無辜の人々のため、父殺しの大罪に自らを苛むシロッコのため、そのような男に心を奪われた自分のため…それらのいずれでもあり、いずれでもないように感じる。
ワイングラスをサイドテーブルに置くと、シロッコは不意に立ち上がった。その鋭利な視線を、彼はサラの足下から涙に濡れた眼までゆっくりと這わせる。
わずかに開かれた両腕が、彼女の背中にまわった。シロッコの冷たい指が彼女の背を滑る。彼が体重をかけるがままに、サラはその上体をソファーに横たえた。
「サラ。私は人類を淘汰する。頑迷なる者、傲慢なる者、それらすべてを淘汰する。それが、私の為すべきことなのだ」
制服のジッパーがおろされ、襟元を飾っていたスカーフが引きはがされる。純白の下着の内側で、まだ固い乳房が震えた。
目を開き、彼女はその眼差しを自らにおおいかぶさる男に向ける。その瞳を見つめると、彼女は再びその円らなまなこを閉じた。陶器のようになめらかな膝の間に、シロッコは身体をうずめる。
男の瞳の奧に感じたもののために、彼女は破瓜の痛みに耐えた。
すべてを引き裂く巨砲、ルナ・シンパシー。それが撃ち出すのは怒りか、哀しみか。Gマンティスは月面を疾駆し、赤い彗星は自らの闘う意味を見出す。孤独な女王が頬を濡らすのは何ゆえか。
次回「ゼータ0096」第5話、
「逆襲のシロッコ」
君は、時の涙を見る。