ゼータ0096第5話

「逆襲のシロッコ」


 夢の中で、ハマーン・カーン・ザビは一人うずくまって泣いている。
 庭園の暗い片隅のあずまやで、彼女は上質な絹のハンカチで目元を強く拭った。歯を食いしばり、泣き声をむりやり押さえ込む。
「仮にもギレン様の血を引く唯一の方だぞ。ジオンを継ぐべきは彼女であるのは自明のことではないか」
「ふむ『仮にも』か。確かに彼女にもザビ家の名誉ある血が流れていない訳ではない。しかし、所詮は私生児ではないか。正統なるお世継ぎにふさわしい出自とは言えぬ」
「ならばミネバ様を擁立すべきだと」
「貴公は妾腹を総裁と仰げるのか?」
 大人たちの密談と冷笑が、耳の中で幾度と無く繰り返される。昼間、自らに恭しく頭を垂れた者たち。その彼らが自らに蔑みの念を抱いていたことは、その時まだ少女だったハマーンにとって強い衝撃だった。
 彼女の記憶の中で、父ギレンの姿はモニター上にしかなかった。抱いてもらったことは一度としてない。同年代の子供と遊ぶことすら許されず、彼女は幼少期を長き孤独の内に過ごした。
 一年戦争末期のある日、普段は疎遠な祖父が彼女を唐突に迎えに来た。祖父マハラジャ・カーンは、知的だが陰鬱な少女に育っていた彼女に言う。
「いいかね、ハマーン。お前はジオン公国の継承者なのだ」
 アクシズへ向かう巡洋艦に乗せられた彼女を、周囲の者たちは崇拝の対象ででもあるかのようにあつかう。最初は戸惑った彼女だったが、しだいにそれを楽しみ始めた。社会から疎外され続けた彼女にとって、それは復讐だったのかも知れない。
 大人たちの会話を耳にしたのは、アクシズに着いてしばらくすぎたあるパーティーの夜だった。やはりそうだったか、と彼女は口の中で呟く。
「ふん、どうせそんなことだと思っていたわ」
 勝ち誇るように言おうとしたが、それは嗚咽に紛れてしまった。
「こちらでしたか」
 不意に、穏やかな声が背中から響く。振り返る彼女の瞳に、仮面の男が写った。
「アズナブル大佐…」
 伝説的な英雄はちらと背後の策謀にいそしむ輩たちに視線を向けると、唇の端に苦笑を浮かべた。手の甲で目元を拭い、彼女は背筋を無理矢理に伸ばす。
「中座して申し訳ない、大佐。少し熱があるようで…何か用ですか?」
「いえ、特に用というほどでは。ただ、お伝えしたいことが一つ」
 涙に赤く染まった目元を気にする彼女に、彼は言葉を続ける。
「誰がどのように評価しようと、あなたは世界でたった一人のあなたです。どうかそれをお忘れなく」
 そう言うと、彼はわずかに白ワインを湛えたグラスを手に立ち去ろうとした。ややうわずった声で、彼女は呼びとどめる。
「待って…待ちなさい、大佐」
「何か?」
 肩越しに答える彼に、彼女は問いを投げかける。
「だからどうだというの? その耳に心地よい言葉で何が変わるというの」
 ひとときの間の後、彼は口を開いた。
「言葉では何も変わりません。何かを変えるのはあなたです」
 歩み去る彼をなおも呼ぼうとしたその時、ハマーン・カーン・ザビは自らがベッドの上にあることに気付いた。
 ジオン公国首都、ズム・シティ。豪奢な作りの寝台の上で、彼女は今一人だった。

 月面都市、グラナダ。基地司令部の奥まった一室で、リジェルタ・エリクセン中尉は拳を固く握りしめていた。冷静沈着を持って知られる彼女だったが、口元は激しい怒りにゆがんでいる。
「はかったな、ジェファーソンっ」
「お誘いにのるのも面白そうだがね、これがベストな選択だと思うんだ。おとなしく縛につきたまえ」
 拳銃を突きつけたまま、義勇ティターンズのレオン・ジェファーソン大尉は答える。口元には笑みすら浮かべていた。
「『地球を至上の物と考える』と言ったのは偽りだったか」
「いや本心だとも。だからこそ地球にありながらスペースノイドの煽動にのる輩を許せんのだ。そう、君のようにエウーゴへの亡命を考える者もね」
 ジェファーソン大尉は平然と言ってのける。
 ルナ・シンパシーの砲撃により両親の住むダカールが壊滅したことを知ったエリクセン中尉は、彼に亡命計画を持ちかけた。彼が極端な地球至上主義者として知られていたためだ。
 しかし、彼は彼女が推測するところと異なる考え方をした。彼はパブテマス・シロッコ准将の地球砲撃策に強い反発を抱いてはいたものの、それ以上にスペースノイドを嫌悪していたのだ。それにまた、せっかく得た地位を捨てる気もなかった。
 彼はエリクセン中尉の誘いにのったふりをし、打ち合わせと称して彼女をおびき出して憲兵らと共に捕縛する。冷たい金属音と共にエリクセン中尉に手錠がかけられる。
 鋭い視線を向ける彼女に、大尉は別れの言葉をかけた。
「安心したまえ、君のような優れた人的資源をティターンズは無駄にしないそうだ。ま、元気でな」

 暗くじめじめとした部屋の壁寄りで、ベン・ウッダー准将はスチール製の粗末な椅子に腰かけていた。いや、すでに彼はティターンズの准将ではない。現在の彼が罪人に過ぎないことは、その灰色の囚人服が雄弁に物語っている。
 そしてまた、今の彼はかつての怜悧なエリートでもなかった。うつむいて自らの足下を見る目は焦点を失っており、口からは無意味な呟きが漏れ続けている。
「コーネル教授。もう彼から聞くべき事はないのだな」
「はい。我々宇宙環境研究所の『書き出しプログラム』は完璧です。彼が潜在意識に押し止めていた情報すら我々は把握しています」
 パブテマス・シロッコ少将の問いに、ナミカー・コーネル教授は答える。自慢げに答えるその女教授を横目で見ると、シロッコはわずかに冷笑を浮かべた。
「ふむ、そう願いたいな…アカシ大尉」
「はい。は、はい。少将」
 二人の後ろに控えていた大男が不自然な口調で応じる。強化人間のコウサク・アカシ大尉だ。
「この男を殺れ」
 ごく短い命令に、大男は全身を震わせた。
「で、で、不可能で、す。でき、ません」
「ほう?」
「おれ、私は、おれの役目はサラ・ザビアロフの護衛、守る、です。処刑、違い、違うです」
「ふん。コーネル教授、もう少し柔軟なプログラムにしてもらえんかね…ではシェーンベルグ少尉」
「はい。この男を殺します」
 ユリア・シェーンベルグ少尉がなんの感慨もない声で答える。腰のホルスターから拳銃を抜くと、彼女はつかつかとウッダーに歩み寄った。なんのためらいも浮かべず、彼女は銃口を彼の脳天に押しあてる。
 軽く乾いた音と共に、血と肉片が飛び散った。
「少将。この男を殺しました」
 細い手を血塗れにしたまま彼女は報告する。
 それに答えず、シロッコはコーネルに視線を向けた。
「同じ強化人間でもずいぶんと違うものだな」
「彼女の場合、あなたの命令に従うように『プログラム』してあります。ザビアロフ少尉の護衛任務はその下位におきました。少将への恋愛感情を利用するのが効率的でしたので」
 仏頂面で答える彼女の言葉を、彼は言い訳として聞いた。

 エウーゴはブレックス・フォーラ准将の決断により、ルナ・シンパシー砲弾の迎撃作戦を開始した。
 作戦案を提出したのはセシカ・プラウベル少尉やレナ・コンフォース少尉、それにイヴ・フォション曹長ら若手だったが、当初彼らの案は却下されかけている。
「こんな効率の悪い作戦に兵力が割けると思ってるのかっ」
 作戦案を収めたデータディスクを、ウォン・リーはそう叫んで投げ捨てたという。たしかに、純軍事的には予定通りグラナダ攻略作戦に全力を傾注すべきだった。会議は彼の意見を是とし、作戦案は保留となる。
 二度と日の目は見まいと思われた作戦案を復活させたのは、皮肉にもルナ・シンパシーの絶大な威力だった。
 コロンボやシャンハイなど被弾した都市はわずか一撃で壊滅し、周辺地域(省レベル)では物流や気象、情報の乱れにより騒乱や略奪が発生している。議会を失った地球連邦は何一つ有効な対策をとりえなかった。これらの惨状に、各自治体は恐怖する。
 これまでエウーゴ寄りの意見を表明していた自治体の多くはサイド6に使者を急派し、ただちにルナ・シンパシー対策をとるようフォーラ准将に要請した。ある特使はエウーゴ首脳等にこう叫んだと伝えられている。
「そちらの対応如何によっては、我々はティターンズによる統治を受け入れざるを得ない。安全を与えてくれる政府でなければ市民は容認しないだろう」
 地球市民の支持を失えば、エウーゴはテロ組織として滅びるしかない。半ば恫喝にも似た訴えにより、フォーラ准将は苦渋の決断を強いられたのだ。
 エウーゴはティンカーベル、ハイボールなどを各部隊から抽出し、少数の艦艇と共に砲弾の予想コースに程近いラグランジュ1(サイド4方面)に派遣した。「フランクリンズ・フィスト」作戦の発動である。

 リリス・ダニエル少尉はスロットルを微妙に調節し、自らのハイボールを浮遊する岩礁に貼りつかせた。機体の前部にマウントしていたロケットモーターを岩礁に押しつけると、ノーマルスーツ姿の工兵たちがそれを岩礁に手早く設置する。いわゆる「隕石ミサイル」の出来上がりだ。そう、「フランクリンズ・フィスト」とはすなわち、隕石ミサイルによるルナ・シンパシー砲弾の迎撃作戦だった。
 隕石ミサイルの命中率は低く、有効射程も限られているため実効性には疑問が残る。しかしながら、現在のエウーゴにそれ以上の策を採る余裕はなかった(実際にレーザーによる迎撃案は却下されている)。各自治体をティターンズ支持にまわさぬための政治的方策、それが「フランクリンズ・フィスト」の実体だった。
 工兵の作業が終わるのを待ちながら、ダニエル少尉はコクピットのモニターにコア・ブースター2のマニュアルを表示させる。ウォズ戦隊のハイボール乗りである彼女は、来るグラナダ攻略作戦に於いてコア・ブースター2に搭乗する予定となっていた。本当はサイド6で訓練をしていたいところだが、人手不足のためこうして作業に駆り出されているという訳だ。
「まったく、地球の連中も口だけじゃなくって人も出せばいいのに」
 日頃は「お人好しでおせっかいが過ぎる」とすら言われる彼女だったが、疲労からかいささか苛立っているようだ。
 と、不意に警告音が狭いコクピットを満たした。モニターからマニュアルが消え、周囲の状況が表示される。一つ、二つ…次々と増えてゆく敵のアイコンには「A」の文字が付け加えられていた。
「アクシズ・ジオン…ジオン公国軍か」
 工兵たちを収容すると、彼女はハイボールを母船へと急がせる。ごくわずかな戦力しか持たぬ彼らにとって、ジオンの大部隊相手では退却以外の策はなかった。

「けちらしてくれるわっ」
 ガレイフェル・ガラファール中尉のヤクト・ビグロが突進しつつビームを放った。逃げ遅れた船舶が貫かれ、微塵に砕け散る。
 先鋒となったのは、彼らジオン親衛艦隊のMA部隊だった。強力な火力を活かし、彼らはエウーゴ艦船を次々と撃破する。続くサクラ・カツラギ中尉等のMS隊は、ティンカーベルなど軽MAを叩き潰しながら前進した。さらに快速を誇るメテオール・フロッテが残敵の追撃、掃討にあたる。
 エウーゴ側は警戒線を厳重にしていたため全滅は逃れたものの、作戦参加兵力のおよそ半数を失った。砲弾迎撃の中核となるはずだった特設早期警戒艦も中破、離脱を余儀なくされている。疑いようもないジオン公国軍の圧勝だった。
 今日、この戦いにティターンズではなく親衛艦隊及びメテオール・フロッテが投入されたのは、ハマーン・カーン・ザビの強い要望があったためとされている。先のリーア沖会戦においてフォン・ヘルシング少将率いる第1師団がエウーゴに寝返ったことを彼女はひどく気に病んでいたらしい。手勢のうち最強の二艦隊を投入して砲弾迎撃部隊を叩いたのはティターンズ…いや、パブテマス・シロッコ少将のジオンに対する不信感を払拭せんがためだったろう。

 宇宙艦艇の場合、小規模ながらも遠心式の重力発生ブロックが設置されているケースが多い。それらは無重量状態の長期継続による身体衰弱の予防を目的としている。戦闘の際、医務班はそこに待機することとなっていた。点滴や応急処理の際、ある程度重力があったほうが都合がよいからだ。メテオール・フロッテ旗艦<レウルーラ>も、その例外ではなかった。
「軽傷一名、か。ともかく皆生き延びてなにより」
 軍医のキング・ツバサ少尉は応急処理キットを片づけながら傍らのディーン・シュトラート曹長に語りかける。甲板作業員たる彼は足首を強くひねったためここに運び込まれていた。
 戦闘中、フィー・スプリング少尉のドーガ・アインは隕石ミサイルのロケットモーターを破壊した際に近づきすぎ、右脚部を破損していた。着艦し損ねた彼女の機体を何とかワイヤーで固定して事故を未然に防いだのが彼だった。捻挫は名誉の戦傷という訳だ。
「くれぐれも無理はなさらぬよう。捻挫を甘く見てはいけません」
 ツバサ少尉の忠告を聞きながすと、シュトラート曹長は口を開いた。
「少尉…どう思われます、今回の戦いを」
「さて。まあ皆が言うように大義のない戦いかもしれないが、戦争なんてそんなもんじゃないかね」
 片づけながら答える少尉に、彼は言葉を続ける。
「今回だけじゃない。ティターンズと共闘することがジオンのためになるとは思えません。いったい、准将はどうお考えなのか」
 暗い面もちの彼の背で、強く咳払いをする者がいた。航海長のクレイ・ヤハギ大尉だ。
「めったなことを口にするもんじゃない、曹長」
「すいません。ただどうしても気がかりで」
「ああ、ところで大尉」
 二人の間に割って入るように、ツバサ少尉が言う。
「傷病人用ブランデーは封をきっていないのであしからず」
 狙いを見すかされ、ヤハギ大尉は片眉を大げさにしかめた。

「サラ・ザビアロフ少尉とはそなたか」
 広々とした部屋にハマーン・カーン・ザビの声が響く。超巨大母艦<ヴァルハラ>の総裁公室たるそこには、ジオン公国の重臣らが居並んでいた。彼らの値踏みするような視線を浴び、ザビアロフ少尉は掌に汗をかいている。
 月軌道上を航行中の<ヴァルハラ>に向かうようシロッコ少将に命じられたとき、彼女はわずかな違和感を覚えた。それがなにか、彼女は探ろうとはしなかった。知って良いことがあるとは思えなかったからだ。
 今、彼女にはそこに広がる黒っぽい思念が見える。驚嘆、謀略、地位、権力…様々な思念が絡み合う蛇のように渦巻く様に、彼女は肌を泡立たせた。と同時に、彼女は一人ハマーンのみが異なる色の思念を立ち上らせているのを感じる。
(これは恨み…嫉妬?)
 いわれのない思いを向けられていることに意外の念を抱きつつ、彼女は問いに答えた。
「はい、総帥」
「クワトロ・バジーナという男、知っていよう?」
「母の友人です。母の死後、連邦軍に入るまで彼に面倒をみてもらいました。バジーナおじさんをご存じなのですか?」
 その問いへの答えを得ぬままに、彼女は一枚の写真を渡された。一瞬、彼女は絶句する。
「なぜ、母の写真をお持ちなのですか。私ですらこれほど若い頃の写真は持っておりません」
 どよめきがわずかに広がる。ハマーンが再び口を開いた。
「その女の名はゼナ・ザビ。ドズル・ザビの妻だ」
 最初、ザビアロフは自分が何を言われたのか分からなかった。表情が固まり、視線が揺れる。
「総帥、失礼ながら今なんと」
「お前の母の名はゼナ。そしてお前の真の名はミネバ・ザビ。私と同じく、ザビ家の血を受け継ぐ者だ」
 わずかな間の後、ザビアロフが叫ぶ。
「そんな、私はただの難民の子です。なにかのお間違いでは」
「事実だ。受け入れよ、ミネバ」
 強く断定され、ザビアロフ…いや、ミネバ・ザビは言葉を失った。呆然とする彼女を見つめつつ、ハマーンは柔らかな口調で語りかける。
「突然のことで驚いただろう。私としても、血縁の者がまさかニュータイプ戦士として戦いの先頭にたっているとは想像もしていなかった。それもやはり、ザビの血ゆえかもしれんな…シロッコ殿とも話したが、この件は戦いに決着が付くまで秘密とする予定だ。その間に気持ちを整理すると良い」
 礼の言葉もそこそこに立ち去ろうとする彼女に、ハマーンはさらに言葉を投げ掛けた。
「ミネバ。お前の言う『バジーナおじさん』の本名はマ・クベという。私を、ジオンを裏切った男だ。彼には然るべき罰を下した」
 その「罰」が惨たらしい死を意味していることを、彼女は震える思念の波から感じとった。

 ミネバ・ザビをグラナダまで護衛した後、親衛艦隊司令ラカン・ダカラン少将はしばし引き留められる。急なことにいぶかしんだものの、断る理由もなかった彼はその要望に応じた。
 今、彼はこざっぱりとした一室に招き入れられている。女性従兵がいれたコーヒーを飲む彼の前に、意外な人物があらわれた。
「お久しぶりですな、ダカラン殿」
「貴様…ウラガンか」
 苦々しげな顔をする彼とは対照的に、ウラガンは上辺ばかりの笑みを浮かべた。
「先日よりシロッコ少将のお側に使えることになりました。今後ともよろしく」
「狐め。マ・クベを売って生き延びたか」
「どうとでもおっしゃってください」
 ダークグレーのスーツに包んだ身体をソファーに沈めつつ、彼は平然と答えた。
「私がこのことをハマーン様に報告すれば、なんとおっしゃるか…」
「いや、貴方はそのようなことはしませんよ。大恩あるドズル様のお子にとって不利となることを貴方がするはずもない」
「まさかウラガン、貴様」
「そう、なにもハマーン様を立てることのみが忠義の証ではないということです。率直に言って、彼女が総帥の器とは思えません。嫉妬深い彼女のこと、自らの地位を守るためにミネバ様に良からぬことをくわだてるかもしれませんな…ジオンのため、亡きドズル様への恩義を果たすためにどうすべきか、良くお考え下さい」
 ドズルの名にダカランが動揺する様を、ウラガンは冷血動物のような目で見つめていた。

「シャア、私に逆らうと言うのか」
 ハマーン・カーン・ザビの甲走った声が<ヴァルハラ>内総帥私室の空気を切り裂く。
「お前は私のために戦うと誓ったではないか。ジオンの大義を守ると誓約したではないか。お前は…私を抱いたではないか」
「ハマーン様」
 シャア・アズナブル准将は自らの仮面をこの時ほど呪ったことはなかった。いかに真摯な思いを瞳に浮かべようともそれを彼女に伝えることはできない。言葉ではもはや彼女の心には届かぬ。仮面を取る事も、歳月と共に父ジオン・ダイクンに似てきた自らの顔立ちを考えると許されなかった。
「くどい。我が命をきけぬと言うのか。お前までが、私を正統なる後継者ではないと言うのか?」
 かつてララァ・スンと心のみを介してふれあった時のことを彼は思い出す。あの力が今自らにあれば、と彼は唇を噛んだ。
「もう一度言う。アズナブル准将、エウーゴが再び構築しつつある砲弾迎撃網をただちに粉砕せよ。これはジオン公国総帥としての命令である!」

 先のジオン公国軍の襲撃によって、エウーゴのルナ・シンパシー砲弾迎撃網は寸断されている。当然ながら「フランクリンズ・フィスト」作戦の是非は再検討されたが、ここでもフォーラ准将は「作戦続行」で押し切った。
「ポーズでもなんでもいい。とにかく我々が地球を見捨てないと世界にアピールせねばならんのだ」
「少なからぬ将兵が命をおとしても、かね」
「…そうだ。責任は私が負う」
 ウォン・リーの問いにフォーラ准将はそう答えたという。
 エウーゴは再び部隊をラグランジュ1に送る。これを知ったシロッコはジオン公国に再度の攻撃を要請した。それに答えるべく、ハマーンはシャア・アズナブル准将に命令を下したのである。

「手の空いている者はブリッジへ集合。他の者は持ち場にて艦内放送に注目せよ」
 オペレーターのマティ・ヤーガ曹長の声が重巡<レウルーラ>中に響く。密集隊形をとったメテオール・フロッテ艦艇すべてにも同様の指示が通達される。きびきびとした動作で集まってくる将兵等を見渡すと、アズナブル准将は腰のホルスターから拳銃を抜いた。左手で銃身を握り、銃把をヤーガ曹長に差し出す。
「すまんが預かってくれ」
 当惑しつつも彼女はそれを受け取る。そもそも、何故いま将兵を集合させるか彼女には理解できなかった。彼女の問いかけるような眼差しに、彼は口元に笑みを浮かべる。しかしそれは、時折兵士等に見せるゆとりの笑いではない。
(何かそう、達観した者のような)
 ヤーガ曹長は心の中でそう呟いた。
 艦長が集合を確認すると、准将はおもむろに口を開いた。
「こうして集まってもらったのは他でもない。私の真意を皆に伝えんがためだ」
 わずかに逡巡の色を顔に浮かべた後、彼は言葉を継ぐ。
「私はジオン公国を離れ、エウーゴと共にティターンズを討たんと思う」
「ジオンを、ハマーン様を裏切るおつもりですか」
 広がるどよめきの中、シュトラート曹長が裏返った声で問いを発する。無言のまま准将は首を横に振った。
「逆だ。私はハマーン様をお諌めできる立場にあった。自惚れかもしれんが、ハマーン様を正しい方向に導くことすらできたはずだ。にもかかわらず、私はそうしなかった。出来なかった。これは私の罪だ」
 真情を吐露する者のみが持つ力強い口調で、彼は言葉を重ねる。
「己の非力が生んだ罪。ならばこの身を持ってその償いとしたい。裏切り者と呼ばれてもかまわぬ。ハマーン様とジオンを正道に導けるのなら、名誉も命もいりはしない。しかしそれには皆の助けが必要だ。皆、頼む。私に…私に力を貸してくれ」
 叫ぶように言うと、彼は自らの膝を折る。掌を床につき、頭を深々と下げた。遠く響く機関音だけがブリッジを包む。しばしの間の後、ヤハギ大尉がその沈黙を破った。
「顔をお上げ下さい、准将」
 自らも膝をつき、彼は准将の顔を覗き込む。
「我らメテオール・フロッテ、心は常に准将と共にあります」
「大尉」
「すべては『赤い彗星』の命ずるがままに」
 顔をあげた准将に、アイリス・イールセン中尉が抑揚のない声で述べる。
「シロッコの言いなりになるのはご免です。ご決断を嬉しく思います」
 と、フレイ・ルディス大尉。
「同じく! 准将の今の言葉、お待ちしておりました」
 フィー・スプリング少尉が弾けるように言った。
「ありがとう、皆、ありがとう」
 立ち上がりつつ、准将は皆と握手をかわす。その中、ヤーガ曹長は黙って先に預けられた拳銃を差し出した。士官の証、そしてメテオール・フロッテ司令たる証の拳銃を彼は受け取る。それを素早くホルスターに収め、彼は凛然たる声で叫んだ。
「皆の気持ち、しかと受け取った。メテオール・フロッテの長として、ジオンに大義を取り戻す日まで戦い続けんことを今ここに誓う。ジーク・ジオン!」

 月軌道上、超巨大母艦<ヴァルハラ>。そこにティターンズ艦艇が入港していく様は、さながら大鯨の口に小魚の群が潜り込むかのようだ。遠近感のとりにくい宇宙では、その小魚の内最大のそれが空母<トラファルガー>だと知らぬ限り<ヴァルハラ>の巨大さを理解できないだろう。
 ティターンズ艦艇の<ヴァルハラ>常駐をハマーン・カーン・ザビが認めたのは、精鋭メテオール・フロッテの裏切りという不祥事を負い目に感じたからだ。ラカン・ダカラン少将はこの決定に異を唱えたが、彼女はそれに耳を貸さなかった。
「こうでもせずに、シロッコ殿の信頼を回復する手だてがあると言うのか」
 呻くように言うハマーンを前に、彼はそれ以上何も口に出来なかったという。
 今、彼女は<ヴァルハラ>内に設けられた自らの私室でモニターごしにティターンズ艦艇を眺めていた。黒革のソファーに身を委ね、きついラムベースのカクテルを彼女は喉に流し込む。
「ハマーン様、今宵は酒が過ぎます。これぐらいにされては」
「うるさい、私に命令する気か」
 お側役のエルピー・プルに彼女はグラスを投げつける。グラスは逸れ、サイドテーブルに砕けた。破片がプルの小さな手をかすめる。
「あっ…も、申し訳ありません」
 白い手の甲に鮮やかに滲む血を隠し、彼女は深く頭を下げる。ハマーンは反射的に立ち上がり何かを言おうとしたが、開きかけた口は何も言葉を発さぬまま閉じられた。
 しゃがみ込みグラスのかけらを拾うプルの背中に、彼女は下がれとだけ命じた。
 押し黙ったまま退室するプルの気配を背に感じつつ、彼女はソファーの肘掛けに顔を埋める。溢れ出る涙を止める術を彼女は知らなかった。

 政治的色彩の濃い「フランクリンズ・フィスト」を実行しつつ、エウーゴはグラナダ攻略作戦の準備を急いでいた。これまでと異なり、陸戦を担当するS(surface)グループ、軌道上の艦隊戦を担当するF(fleet)グループの二つに分かれての作戦となる。エウーゴにとっては初の本格的両用作戦だ。作戦名は両グループの頭文字を取って「シャイニング・フィンガー」とされた。
 Sグループの指揮はフォン・ヘルシング少将、Fグループの指揮はエイパー・シナプス大佐がそれぞれ担当する。階級的にはヘルシング少将の方が上位だが、総指揮はシナプス大佐がとることとされていた。のみならず、彼のFグループには亡命してきたメテオール・フロッテも組み込まれている。すなわち、シャア・アズナブル准将までが彼の指揮下にあるのだ。
「大佐の下が准将や少将とは常識外れな話ですな」
「自由ジオンにメテオール・フロッテも加わって、戦力はリーア沖会戦の七割増しになったんだ。形式がどうだろうと大歓迎だよ」
 作戦会議の席上、ヘンケン・ベッケナー中佐にシナプス大佐はそう答えたという。かつてジオンの残党たるデラーズ・フリートと熾烈な戦いを繰り広げた彼までがこのような発言をしているという事実は、この時いかにエウーゴが戦力を欲していたかをうかがわせる。

 サイド6の港湾では、作戦を前にして大量の物資が艦艇に積み込まれつつあった。今回のような両用作戦においては物資の積載方法一つとっても気を使う。一分一秒を争う戦いだから、ほんのちょっとした手間が増えるだけで戦局を左右しかねないのだ。
 そんな訳で、エウーゴ第1遊撃戦隊のメカニックであるキラ・コウサカ上等兵も港湾作業員らとともに汗を流していた。
「すいません、ミサイルはここで一旦ストップ、バルカン砲弾を先にまわして下さい」
 大声で呼びかけつつ、彼女は文字どおり港内を飛び回っている。コロニーの回転軸上に位置する港は無重量状態に保たれているのだ。彼女の様子に、同じ第1遊撃戦隊のユウキ・ムライ中尉は口元に笑みを浮かべる。
 先のリーア沖会戦において同僚のユーノス・フォード軍曹が戦死した件で、彼女はひどく気落ちしていた。だがここ数日、以前にも増して彼女は元気に働いている。
「だってフォード軍曹の分までがんばらなきゃ」
 バッズ・ニシハタ少尉に彼女はそう言ったと聞いた。やられたな、とムライ中尉は思う。サイド6出身で愛妻家として知られる彼は、新たな戦いに赴くべきか迷いを覚えていた。しかし彼女のその言葉に、彼は自ら恥じ入る。
「女の子ですら犠牲となった仲間たちのために頑張っているんだ。仮にも士官の俺が自らの平穏を味わっている訳にはいかない」
 出征の際、彼は妻にそう言った。自らにもう一度その言葉を言い聞かせると、彼は大声でコウサカ上等兵に呼びかけた。

 アムロ・レイ少佐の宿舎前に一台のエレカがとまった。濃いめの青いシャツに淡い茶のジャケットを羽織った男が降りる。サングラス越しに彼は曇った空を見上げた。
「兄さん」
 玄関のドアが開き、一人の女性が駈け出てくる。自分と似た金色の髪に男は郷愁を感じた。
「久しぶりだな、アルテイシア。いい女になった」
「キャスバル…兄さん」
 抱き合う兄と妹にゆっくりと家の主が歩み寄る。
「アムロ君、私は」
 妹の肩越しにキャスバル、いやシャア・アズナブルは声をかける。レイ大尉は軽く右手を挙げてそれを制した。
「もう過ぎたことだ。昔の話はよそう」
「そう言ってもらえると助かる…私はまた過ちを繰り返してしまったようだ」
「十六年の間なに一つなし得なかった僕にそれを責める資格はないさ。さあ、中へ。二人ともつもる話もあるだろう」
 ドアをくぐる二人の背を見送ると、彼は曇り空に目をやる。
「これでいいだろう、ララァ」
 それに答える者などいないことを彼は知っていた。

 エウーゴの艦隊はFグループが楔形を描き、Sグループがその間に挟まれる形で進軍する。Fグループの先頭を行くのは第1遊撃戦隊だ。左翼にはアトキンソン戦隊、第3遊撃戦隊と続く。右翼を担うのはメテオール・フロッテである。両翼ともゼータ、ヤクトビグロなどのMAを後ろ寄りに配置し、敵戦線突破に備えていた。
 Sグループは二列の縦陣を形成している。右は前から自由ジオン第1、第2、第3と並ぶ。左は前からシンゾウ・サクマ中佐率いるウォズ戦隊、そしてタウンゼント戦隊、ラッパロ戦隊、コモドール戦隊と続き、最後尾にブライト・ノア少佐率いる第2遊撃戦隊が位置していた。
 すべての艦隊でカウントダウンが続く。新たに編成に加えられたメテオール・フロッテも例外ではない。
「3、2、1…『シャイニング・フィンガー』発動されました」
 ヤーガ曹長の声が<レウルーラ>のCICに響く。エウーゴ艦隊が接近しつつあるティターンズ艦隊を発見したのは、その二十七分後だった。

 エウーゴ艦隊の行動をティターンズ側は軌道爆撃作戦と判断していた。
 一年戦争中も月の埋設型マス・ドライバーをめぐって連邦軍とジオン軍の間で熾烈な戦いが繰り広げられている。戦争の序盤、ジオン軍は戦略砲撃によって地球連邦に手痛い打撃を与えた。緒戦の勝利によりジオン軍は制宙権を手中に収めており、連邦軍にこれを押し止める術はなかったのだ。
 しかし中盤以降、連邦はけた違いの国力にものを言わせて宇宙艦隊を再建、徐々にではあるが制宙権を奪回していく。連邦はまずマス・ドライバー潰しに力を注いだ。敵の手の届かぬ生産拠点を増やすことこそが勝利の第一条件と考えたからだ。その際の戦術はコマンド攻撃や陸戦隊の降下など多種多様だが、そのうち最も多用されたのが軌道爆撃だった。リスクが少なく特殊な機材を必要としないこの戦術で来る可能性が高いとティターンズ側では読んだのだ。
 一見これと矛盾するようだが、ティターンズ側は軌道での迎撃戦よりも月面での直接防衛に重きを置く態勢を採る。
 ティターンズ側はメテオール・フロッテを欠いたため戦力にやや不足があった。このため敵艦隊との直接対決は避けた方が無難だと彼らは判断する。ティターンズ側はルナ・シンパシーの防御力に絶対の自信を持っており、生半可な爆撃ではびくともしないと確信していた(それは妥当な推測だった)。そこで彼らは月面での持久とエウーゴ艦隊の漸減を防衛作戦の中核としたのだ。
 爆撃コース上のエウーゴ艦隊と高い相対速度のまま戦闘すれば自軍に有利だとティターンズ側は考える。なぜなら、彼らにはキュベレイとマゼラン・ビットがあるからだ。その護衛役のアジャイル・ガンダムも先の戦いより数を増している。また、ジオンの親衛艦隊も祖国の名誉を担って奮戦することが期待された。
「我々はここでエウーゴを全滅させる必要はない。彼らではこのルナ・シンパシーを破壊できないことを立証すればいいのだ。あとは、窮鼠にいらぬ歯を立てられぬよう用心するだけだ」
 作戦会議冒頭、パブテマス・シロッコ少将はそう述べている。

 空母<トラファルガー>を中心としたティターンズ・ジオン連合部隊がエウーゴ艦隊へと迫る。指揮を担うのはラカン・ダカラン少将だ。ティターンズ側から多数の連絡将校が彼の戦艦<グワンザン>に派遣されていた。
 サラ・ザビアロフ少尉の能力を最大限に活かすため、今回「独立長距離支援中隊」が新設されている。これはキュベレイ、マゼラン・ビット、空母<トラファルガー>、そしてそれらを守護するアジャイル・ガンダムのみで構成された部隊だ。中隊とは呼ばれているものの、一個軌道任務部隊相当の戦闘力と期待されている。
 計画では敵艦隊が爆撃コースに入ったところを独立長距離支援中隊が攻撃、他の部隊が戦果を拡大することとされていた。
「よろしいですかな、くれぐれも深追いして独立長距離支援中隊に損害をださせぬように」
 ティターンズ連絡将校の言葉にダカラン少将は言われるまでもない、と答える。そう。あの方は大恩あるドズル様の娘なのだ。
「敵艦隊変針…一部が分離、降下しつつあります」
「馬鹿な、まだグラナダには距離がありすぎる。ここで降下するはずがない」
 情報参謀の声にティターンズ連絡将校があわてふためく。
「ふん、陸戦が狙いか」
 ダカラン少将はエウーゴの意図を正しく理解した。
「独立長距離支援中隊に命令、直ちに敵降下部隊を叩け! 全MS発艦、敵は仲間を下ろすために全力で突っ込んで来るぞ。急げっ」

 マゼラン・ビットの砲撃が開始されたとき、エウーゴSグループはすでに高度を大幅に下げていた。
 Sグループ所属艦船の大半はイ・スンシン級軽空母及び商船ベースの特設輸送艦である。イ・スンシン級も原型は商船だから、ほとんどが商船で構成された部隊と言っても過言ではなかろう。砲撃が横殴りの雨のように部隊に叩きつけられる。脆弱な輸送艦が一隻、また一隻と爆沈していく。しかしハマー・ミーラ中佐は、<マクタン>のブリッジで不敵な笑みすら浮かべていた。彼女らの狙いどおり、敵の攻撃を半ば肩すかしさせることに成功していたからだ。
「隊形を崩すなっ。あと少し持たせれば敵は地平線の向こうに消える!」
 ブライト・ノア少佐の獅子吼が彼女の耳朶を打った。

 一方、上空ではFグループとティターンズ・ジオン連合軍との激突が始まった。敵艦隊のやや右側から接近したため、エウーゴの先鋒となったのはメテオール・フロッテだ。ティターンズ側の先鋒もまたジオン公国軍だったため、奇しくも戦端はジオン兵士どうしによって開かれた。
 親衛艦隊に属するサクラ・カツラギ中尉のドーガ・ツヴァイがビームサーベルで斬りかかる。フレイ・ルディス大尉のドーガ・ツヴァイは左手の甲で敵機の手首を素早くはらった。
”裏切り者め、シャアは英雄の美名にハマーン様への恩義を忘れたか”
”笑止! 我らはメテオール・フロッテ、『赤い彗星』の艦隊なり。ザビ家の命を受ける筋合いはない”
 虚空に互いの声が交錯する。高い相対速度を維持したまま、メテオール・フロッテは敵戦線を浸透していく。一撃離脱戦を得意とする彼らは、このまま敵ニュータイプ部隊に迫らんとしているのだ。
「やらせないよっ」
 ローマ・ローマ少尉のガンダムMK3がスマートガンを放つ。光弾をかわすドーガ・アインの懐に飛び込み、彼女はビームサーベルを突き立てた。
 爆発を確認する彼女の額には、冷たい汗が浮かんでいる。敵となったメテオール・フロッテは練度のみならず装備においても侮りがたいことを、彼女は認めざるを得なかった。ドーガ・アインはMK2と同等。ドーガ・ツヴァイはMK3とは明らかに設計コンセプトが異なるが、総合的な戦闘力ではほぼ互角だろう。強敵の出現に、彼女は戦慄と喜びを同時に覚えていた。

 メテオール・フロッテはわき目もふらずに突進する。敵ニュータイプ部隊に圧迫を加え、Sグループへの砲撃を抑えこもうというのだ。
「光学センサーに反応、『紋白蝶』ですっ」
 マティ・ヤーガ曹長の報告に<レウルーラ>のCICがどよめく。「紋白蝶」とはエウーゴがキュベレイにつけたあだ名である。
 ここまで接近すればいかにニュータイプといえど攻撃のみに専念する訳にはいかない。大きく転舵して回避せんとするマゼラン・ビットの姿に、シャア・アズナブル准将は自らが目的を達成したことを知った。
「む」
 瞬間、彼は異様な気配を感じた。殺気、おしころされた痛み、残酷なまでの無邪気さ…それらが原色で描きなぐられた壁画のように強く彼にプレッシャーを与える。アジャイル・ガンダムの群がメテオール・フロッテに襲いかかったのはまさにそのときだった。
「敵MA! 四、いや六機接近っ、例の新型ガンダムです」
「六機も…全部隊に通達、回避運動を怠るな、近接戦に持ち込め」
 新型ガンダム(アジャイル・ガンダム)の予想外の増強ぶりが准将すらも動揺させた。高い相対速度での戦いに長けるメテオール・フロッテではあったが、そのような戦場こそMAが最も好むところなのだ。
 MAにはMAとばかりにヤクト・ビグロ三機が一機のアジャイル・ガンダムに迫る。一斉に放たれた三本のビームを、そのガンダムは信じがたいほど正確な機動でかわした。同時に、その長大なスマートガンが火を噴く。たちまちのうちに二機のヤクト・ビグロが火球と化した。機体を捻り込んで逃れんとする一機に追いすがるそのガンダムを操っているのは、ギリアム・ザインバーグ少尉だった。
「み、みんなダメにしてやるっ」
 頬をひきつらせて叫ぶその姿には、冷徹だが筋を曲げることをよしとしなかったかつての面影はない。戦果と昇進を求めて強化人間への道を選んだ彼は、もはや一個の戦闘マシーンだった。
 すれ違いざま、逆手に持ったビームサーベルで彼はヤクト・ビグロを上下に両断する。爆光の中、アジャイル・ガンダムの目が修羅のごとき輝きを見せた。

「まだまだっ」
 フィー・スプリング少尉はドーガ・アインの損傷をチェックしつつ叫んだ。アンリー・デブレ大尉操るアジャイル・ガンダムの砲撃はなんとかしのいだものの、左腕は全く機能を失っている。AMBACにも影響がでているが、彼女はそこで退くことをいさぎよしとはしなかった。反転せんとする彼女の視線を遮るように、アイリス・イールセン中尉のドーガ・アインが滑り込んでくる。
”ここで反転しても距離は開く一方、スマートガンの的になるのがオチね。他のエウーゴ艦隊の支援がある内に退避する方が得策よ”
「…了解」
 機体を増速させつつ彼女は答える。ちらと覗き込んだ後方モニターに、彼女はなにか異質な感触を覚えた。

 この戦いは互いに高速での反航戦であったから、時間的にはかなり局限されていた。メテオール・フロッテはマゼラン・ビットの砲撃を減少させることには成功したものの、アジャイル・ガンダムによって少なからぬ損害を被っている。
 第1遊撃戦隊、アトキンソン戦隊はメテオール・フロッテの援護に徹し、砲戦向きのゼータを擁する第3遊撃戦隊は殿を務めた。この段階での戦力の交換比を見るとティターンズ側が大幅に優勢だが、エウーゴはSグループの降下支援を成功させている。
「戦況はまだ五分五分。次に遭遇したとき制空権を確保した側がグラナダを手にする」
 彼方に去り行く敵艦隊を確認しつつ、アトキンソン戦隊司令カズヤ・ナカガワ中佐はそう語ったという。

 上空での戦いに一旦休止符が打たれた頃、月面での戦いが始まらんとしていた。
 パブテマス・シロッコ少将は、ラカン・ダカラン少将からエウーゴ降下の報告を受ける。想定されてはいたものの、あえてリスクの大きい降下作戦をエウーゴが選んだことに幕僚等は動揺した。しかし彼は、不敵な笑みすら浮かべつつ良く通る声で言う。
「ふん、マゼラン・ビットにおそれをなして降りたか。だがエウーゴよ、それこそ自ら死地へと赴く行為というものだ」
 続いて彼は第1、第2MS大隊に敵降下部隊への攻撃を命じた。
「敵はまだ降下直後の混乱の中にある。ためらうことなく速やかに前進、これを撃破せよ。今過ぎゆく一分一秒こそ叛徒等を殲滅する好機と知れ」

 MSによる月面での戦闘を「『熱』という縄を首にかけられた剣闘士の戦い」と表現した者がいた。
 一般に、軌道上における交戦時間は分単位におさまる。反航戦においては一分に満たぬケースすらあった。これは、軌道に留まるには高度と重力に応じ一定の速度を保たねばならないからだ。完全に軌道が一致すれば交戦時間は極端に長くなるが、そのような例は希である。
 多くの場合、地上での交戦時間は軌道上のそれとは比べものにならぬほど長くなる。「場所を取り合う」要素を含む地上戦では、紀元前の革鎧を身にまとった戦士たちと本質的な差はないと言っても過言ではない。では、月面ではどうか。
 地上戦と月面戦との最大の相違は「大気の有無」にある。地上と異なり、大気のない月面においてはMSの戦闘時間は限定される。核ジェネレーターが発生させる膨大な熱を大気に逃すことが出来ぬ為、なんらかの冷却施設無しには自らの熱で戦闘不能となってしまうのだ。もちろん足裏面から地表への放熱はあるが、それに頼ることは難しい。
 軌道戦において最も多用されるプロペラントを介しての放熱は別の意味で危険だ。プロペラント放出は月面では当然ジャンプ機動を意味するが、これは自らをクレイ射撃の的にする行為そのものだ。かといって低い跳躍を連続すれば荒れた地表で事故をおこしかねない。
 過去の月面戦においてこれらの問題は連邦、ジオン双方に厳しい教訓を与えていた。ティターンズ幕僚が陸戦の可能性を低く見積もっていたのもむべなるかな、である。
 さて、グラナダという要塞を有するティターンズと異なり、エウーゴの降下部隊は冷却設備を月面に設定せねばならない。しかも砲撃下の降下だったから、その隊形はかなり乱れていた。
 今叩けば多大な出血を敵に強要できるし、状況によっては指揮系統や冷却設備すら破壊できるかも知れない。シロッコ少将はそう考えて攻撃を決断したのだ。

「素早い動きだな。シロッコという男、やはり端倪すべからざる指揮官と言わねばなるまい」
 Sグループを率いるフォン・ヘルシング少将は、巨大な状況表示盤を睨みながらそう呟く。特設降下指揮艦<ビニイ・キムヒ>に設けられた統合作戦指揮所の中央にすっくと立つ彼の姿は「知将」と題された銅像のようだ。
 計画通りクレーターの内側に部隊の大半が降下していたものの、冷却設備の設定にはまだ時間がかかる。それに、前線は乱れがちで穴も少なくない。動揺をあらわさないことも指揮官の義務の内と考えている彼だったが、脂汗がこめかみに浮かぶのをとどめることはできなかった。

 光弾がアンガス・マクライト中尉のガンダムMK2をかすめる。GM2の攻撃だ。ビームライフルの銃口がふらつく様子に、彼は苦笑する。
「ふん、もっとよく狙うんだな」
 右に滑るように移動し、彼はビームを放った。命中。ガンダムMK2の強力なビームライフルにGM2のIシールドは耐えようもない。
 マクライト中尉ら第2MS大隊は現在、旧連邦軍兵士によって構成されたタウンゼント戦隊と交戦しつつあった。
 タウンゼント戦隊は未だ降下直後の混乱から立ち直っていない。陣形もばらばらだった。さらにケイ・ササキ准尉らコア・ランサー隊による阻止攻撃まで加わったからたまらない。月面での運用が難しいコア・ランサーまで投入した甲斐あって、有効な対応一つとれぬままにタウンゼント戦隊は急速に部隊としての体裁を失っていく。
 同様に第1MS大隊もまた著しい戦果をあげていた。彼らも練度・装備の差を活かし、コモドール戦隊を敗走せしめている。
「逃げろ、逃げろ。混乱が拡大すればそれだけ得られる獲物も大きくなる」
 おせじにも組織だったとは言えぬ敵の退却ぶりを見つつ、アセ・ピロット中尉はほくそえむ。

 ざわっ、と肌が粟立つのをシンゾウ・サクマ中佐は感じた。装軌式指揮車両の状況表示卓には、ミノフスキー粒子下で分かりうる限りの情報が整理された形で表示されている。今、それを見る彼の目に映るのは壊乱するタウンゼント戦隊とコモドール戦隊の姿だった。共に、彼の右翼前方に布陣していた(あれが陣と呼べれば、だが)部隊の敗走ぶりに、彼の幕僚は一様に不安げな表情を見せている。
「まずいな。下手をすると設定中の冷却施設まで肉薄されるぞ」
「中佐、敵の側面を突いてはどうでしょうか」
「いや。彼らは戦果を拡大できるだけ拡大するつもりだよ。たとえ全MSが戦闘不能になっても、降下作戦そのものを潰せば帳尻はあう。側面からでは多少の脅威は無視するだろう」
「するとやはり正面から受けねばならんということですか」
「そうだ。旗下の全部隊に通達、すべての作業を中止し我に続け。敵がタウンゼントやラッパロの撃滅に時間をとられている内に奴等の前面に回り込まねばならん。急げ」
 指揮車両が壕から滑り出る。通信兵らの慌てふためく声を聞きながら、サクマ中佐は状況表示卓を睨み付けた。

 敵を容赦なく叩きつつ、ティターンズ第1、第2MS大隊は前進する。
「よし、いけるぞ」
 昂揚感に震える声でジーン・サオトメ少尉は叫ぶ。彼の背後には撃破されたエウーゴMSの群が連なっていた。出撃時の情報によれば、敵の中枢まではあとわずかだ。後退に要する時間を考えるとぎりぎりだが、すぐそこにある勝利の果実が彼の心からマイナス思考を除いていた。モンゴル騎兵もかくやの勢いで、ティターンズは進む。
 死神の群とも見える敵を見据え、チャナード・アームパード大佐は攻撃開始を命じた。一斉に砲撃を開始するのは自由ジオン第2大隊である。地形の影からビームライフルの銃口を覗かせ、ゼムが、ガザが光弾を放つ。
 彼らに呼応してウォズ戦隊が攻撃を開始する。第2大隊が右前方から、ウォズ戦隊が左前方からの砲撃だ。さしものティターンズも十字砲火の前に進撃を停止する。
「やらせるかっ」
 ガザのコクピットでガレム・サイデル中尉が吼える。ガザは一年戦争後、祖国たるジオン共和国が実用化した唯一の軽MAだ。その戦闘力に強い信頼を寄せる彼は、重MAへの乗り換えの機会が与えられたにも関わらずあえてガザを選んでいた。そしてガザは、彼の信頼に応えている。コンパクトなガザはあたかも旧世紀の対戦車砲のように地形を活かし、近距離からビームを敵に叩きつけていた。
「この、このっ」
 GM2を起伏の影に伏せさせ、ミハエル・シュテッケン准尉は敵機を狙う。
 さらにキクチヨ・シジョウイン軍曹のゼムが簡易壕からガンダムMK2に襲いかかった。咄嗟に抜かれたビームサーベルがシジョウイン機のシールドを裂く。しかしその時既に、彼は機体を横転させていた。
 ガンダムの振るったサーベルの切っ先が月面にくいこんだその時、シジョウイン軍曹のゼムはビームサーベルを下から上へと払った。コア・ファイターで脱出することもなく、ガンダムMK2はそこにがくり、と膝をつく。
 息つく暇もなく、彼は自らの機体を後ろに短くジャンプさせた。ほんの一瞬前まで彼の機があった場所をビームの光条がえぐり取る。敵の正確な射撃に舌打ちする彼の耳に、カズヤ・リックマン中尉の声が響く。
”待たせたな。危ないからちょっとどいてくれ”
 コア・ブースター2隊の登場だ。ここでなんとか敵の進撃を食い止めんと、彼らは虎の子のコア・ブースター2までも投入したのだ。ビームを放ちながら、コア・ブースターの群はロケット弾を一斉に放つ。爆煙が激しくわき起こり、エウーゴ兵士たちが快哉を叫んだ。
「ざまあみろ、ティターンズのくそったれめ」
 声高に言いつつ、ガレム・サイデルがガザの姿勢を少し高くする。だが、彼の目に映ったのは、真空に散りゆく煙を突破して進むティターンズらの姿だった。
「馬鹿め、ガンダムがこれぐらいでやられると思ったか」
 第2MS大隊のジーン・サオトメ少尉が鬼神のごとき表情で叫ぶ。モニターは少なからぬ損傷を彼に伝えていたが、致命的なものはなかった。最強MSたるガンダムの名は伊達ではないのだ。ビームライフルを構え、撃つ。鬨の声も高く、ティターンズ第1、第2MS大隊はエウーゴ最後の防衛線に肉薄せんとしていた。

”ふん。ティターンズめ、もう勝ったつもりでいるな。ブラウベル少尉、教育してやれ”
 スピーカー越しにハマー・ミーラ中佐の声が響く。いくつもの修羅場を乗り越えた者のみが持つゆとりが、そこには含まれていた。
「了解。ラドチェンコ、クレマン、キムヒ中佐の仇討ちだ…行くぞっ」
 低い深みのある声でセシカ・ブラウベル少尉が下令する。強烈な光弾が、一斉に真横からティターンズ部隊に襲いかかった。瞬時に三機のガンダムMK2が爆散する。
「な、なんだ…何者だ」
 回避運動をとりつつ、サオトメ少尉は周囲に目をやる。わずかな起伏の向こうから、細長い砲身が突き出されていた。それが火を噴く度に、次々とガンダムが炎に包まれる。
「スマートガン? シルバーサーファーでもない」
 起伏の影からそれは徐々に小山のような姿を現した。高さはガザ程度だろうか。だが、そのボリュームはガンダムMK3以上だ。
 キャタピラを備えたその車体は、サイズを間違えた戦車のように見える。その砲塔にあたる部分はどことなくガンダム系列の胸部を思わせる形状だ。ちょうど頭の位置におかれた光学センサーが、爆光をぎらりと反射する。サオトメ少尉はそれを魔神の眼光のように感じた。
 砲塔の両脇、MSでいえばちょうど両肩の部分から二本の長い砲身が伸びている。その長さはガンダムMK3のスマートガンに匹敵するだろうか。
 魅入られたように立ち尽くす彼のガンダムに、その砲塔が向けられる。咄嗟に跳躍した瞬間、ビームがその空間を貫いた。不運にもその延長線上にいた一機のガンダムが木っ端微塵に砕け散る。
「化け物っ」
 後退を急ぎつつ、彼は一人コクピットで呻いた。彼が今「化け物」と呼んだその重MAこそ、新兵器Gマンティスだった。
 その重厚なシルエットに似合わず、Gマンティスは高い機動性を発揮する。MSのように横っとびはできないものの、敵の射撃をかわすのにそんな機能は不要だ。また、車体前面と砲塔前部に強力なIフィールド発生機をそなえているため、よほど近接して撃たねば撃破は難しい。サオトメ少尉が「化け物」と呼んだのもむべなるかな、である。
「一時方向小隊長機…ファイヤ!」
 ノーラ・クレマン曹長が叫ぶと同時にガンダムが二つにちぎれて吹き飛ぶ。すさまじい破壊力だ。
 敵の後退開始を示す状況表示卓を見つつ、ハマー・ミーラ中佐は不敵な笑みを浮かべる。今ティターンズを側面から攻撃し、後退を強いた部隊はキムヒ戦車大隊と名付けられていた。エウーゴ、旧連邦軍、自由ジオンの軽MA乗りをかき集めて組織されたその部隊は、Gマンティスを主力としている。彼らこそまさに、今回の作戦におけるエウーゴの切り札なのだ。なお「キムヒ」の名は青薔薇救出作戦時に戦死した北米第五戦車大隊の長、ビニイ・キムヒ中佐に由来していた。
 彼らを率いるミーラ中佐は前第2遊撃戦隊司令だ。その闘志あふれる指揮ぶりから大隊長に抜擢された彼女は、指揮車の中で豪然と言い放つ。
「東洋でははかない抵抗をたとえて『蟷螂の斧』と言う。しかしこのマンティス(蟷螂)が無力かどうか…ティターンズよ、身をもって知るがいいっ」

 蓄熱限界が迫っていることもあり、ティターンズ第1、第2MS大隊は後退を決断した。さすがに退却ぶりは整然としていたが、多大な損害に隊形はやや乱れている。キムヒ戦車大隊はここぞとばかりに追撃に転じた。
 放熱の面において、GマンティスはMSや他のMAより大幅に勝っている。接地面積が大きいため、地表への放熱量がはるかに多いのだ。これはすなわち、Gマンティスが他兵器より圧倒的な作戦自由度を有することを意味する。
 それを活かさんと、ヘルシング少将はキムヒ戦車大隊を先鋒に反撃を開始させる。戦況は完全に逆転していた。

 後退するティターンズをキムヒ戦車大隊は猛然と追撃する。後退を急ぐあまり跳躍機動を多用した者にビームは容赦なく注がれる。ガンダムMK2のIシールドをもってしても、Gマンティスの砲撃を完全にしのぎ得るものではなかった。
 ならば、と肉薄して反撃を試みる者もあった。しかしその勇気有る行動も成果にはつながらない。なぜなら、Gマンティスに随伴するジーマやゼム、GM2がその死角をカバーしていたのだ。絵に描いたような諸兵科連合効果に、さしものティターンズも損害をだしつつ後退するしかなかった。
 前線はじりじりとグラナダ外縁に迫る。平射で迎え撃つ対空砲陣地を無力化しつつ、エウーゴは前進した。十八個確認されていたルナ・シンパシーの射出口の一つにエウーゴ工兵隊がとりつく。
 射出口装甲シャッターの爆破準備が進む中、上空には双方の艦隊が再び迫りつつあった。

 キュベレイのコクピットで、サラ・ザビアロフ少尉は精神を集中している。先の戦いでは、敵に機先を制されたため、さしたる戦果をあげられなかった。
 だが、と彼女は呟く。
「次はやらせない」
 自らがザビの血を引く身だと知り、少なからぬショックを受けたことは認めざるを得ない。先の攻撃が不本意な結果に終わったのもそれゆえだろうか、と彼女は自らを分析した。
「でも私は闘う。だって少将は…シロッコ少将は私を必要としているから」
 悲しむべきことに、それが自らに言い聞かせるための言葉であると彼女は気付いていた。

 マゼラン・ビットが月面へと艦砲射撃を開始する。月軌道を高速で飛行しながらの砲撃にも関わらず、その狙いは正確だ。
「中佐、後退を」
「あほう、工兵隊がまだ作業中だ。俺が退けるか。それに…」
 自由ジオン第3大隊のアレクセイ・ザメンツェフ中佐の割れ鐘のような声が指揮車中に響く。だが、彼の声すらかき消す地響きが指揮車を激しく揺さぶった。至近に着弾したのだ。
「それに、どこに後退するってんだ」
 片眉をしかめつつ、彼は小声でそう付け足した。
 一方、工兵隊を率いるゴルバ・ハイデルン少佐は作業を急がせている。
「急げ、砲撃に乗じてティターンズが来るぞ」
 自らも配線のチェックなどをおこないつつ、彼は兵士らをせかす。ある程度忙しい方が兵は怯えないことを彼は知っていたのだ。

 ハイデルン少佐が爆破準備の完了を報告したとき、ティターンズの反撃はすでに本格化していた。
”ハイデルン、景気良く吹っ飛ばせ!”
 ザメンツェフ中佐が叫ぶと同時に、これまでにない爆炎が射出口に立ち登る。
「よしっ」
 ハイデルン少佐は装甲車の中で快哉をあげる。破片の雨が降り止むとともに、工兵隊は装甲シャッターの破壊を確認すべく射出口に急いだ。
「見ろ、シャッターはばらばらだぞ」
「ようし、もういっちょハッパかければジャブロー砲もおしまいだ」
 昂揚した口調で兵士等が口々に言う。しかし薄れゆく煙の向こうに彼らが見出したのは、もう一枚の装甲シャッターだった。
「中佐、なんとか時間を稼いでください。こいつも爆破してみせます」
”…後退せよ、ハイデルン。敵はすぐそこまで迫っている”
 歯ぎしりしつつ、彼は兵士らに撤収を命じた。

 艦砲射撃の支援を受けて、ティターンズ第1、第2MS大隊は反撃に転じた。まず、ユウキ・ヤツセ大尉らコア・ランサー隊が前線を越え、戦線後方に待機していたキムヒ戦車大隊に攻撃を加える。コア・ランサー隊はスマートガンをおろし、代わりに大量のロケット弾を搭載していた。一斉にそれらが降り注ぐ様は、さながら鋼鉄の雨のようだ。
「くそったれ、魔女の婆さんの呪いだ」
 無数の爆発音の中、ワシーリ・ラドチェンコ曹長がGマンティスので呻き声をあげる。シルエットの低いGマンティスの場合、簡易壕やちょっとした起伏を利用すればロケット弾の攻撃は怖くない(もちろん、運悪く直撃をくらえばそれまでだが)。だが、攻撃を避けている間は身動きがとれない。ティターンズはその隙に、マゼラン・ビットの攻撃で戦線に生じた穴を押し広げるつもりなのだ。シブリー・ブラックウッド少尉らは対空砲火を撃ち上げてはいるものの、成果はわずかだった。キムヒ戦車大隊の面々は危機感をつのらせつつ、ただ耐えるしかない。

 彼らが危惧していたとおり、前線はすでにガンダムMK2によって突破されていた。彼らは大きく転進、自由ジオン第1大隊とエウーゴ第2遊撃戦隊を包囲しつつある。
「ここで彼らが潰されたらこの戦いは終わりだぞ」
「他の部隊を救援にまわせないか?」
「無理だ。移動する間に敵の艦砲射撃で殲滅されるのがおちだ」
 特設降下指揮艦<ビニイ・キムヒ>の統合作戦指揮所に幕僚たちの悲鳴にも似た声があがる。スクリーンをしばらく睨んだ後、フォン・ヘルシング少将は静かに口を開いた。
「コア・ブースター2隊に阻止攻撃を指示…通信」
「は」
「Fグループに『ロング・ショット』の発動確認を。同時に、一個小隊でいいから敵後方に降下させるよう要請せよ」
「敵後方、ですか」
「そうだ。わずかな間でも敵の前進をとめればいい」
 冷徹に言い放つ彼の目には、将としての業を背負った者だけが持つ鈍い輝きがあった。

「僕が行きます」
 月軌道上。アトキンソン戦隊の軽巡<トラブゾン>のCICにアムロ・レイ少佐の凛然たる声が響いた。
「ロング・ショット」の発動を控え他に選択肢がないというのも事実だったが、それでも敵後方への降下という危険な任務に自ら志願するのは容易ではない。
「少佐、しかし」
「『ロング・ショット』はもう発動を待つのみです。あとは中佐にお願いします」
 とまどいに顔をゆがめるカズヤ・ナカガワ中佐を背に、彼はMS格納庫へ向かおうとする。
「待ちたまえ、少佐」
 制止の声に、彼は視線をナカガワ中佐に向ける。中佐の目にはもう迷いの色はなかった。口の端には、いたずらめいた笑みすら浮かべている。
「あれを使いたまえ。敵の目を引き付け、友軍の士気を高めるための任務だ。君とあれの組み合わせこそ適任だろう」
 一瞬驚きの表情を浮かべた後、レイ少佐は笑みと敬礼をもって答えた。
 急ぐ彼の背を見送ると、ナカガワ中佐はスクリーンを睨み付ける。勝敗が決せられる瞬間は刻一刻と近づきつつあった。

 月面にコア・ブースター2が放ったロケット弾が次々と炸裂する。気も遠くなるほどの年月直射日光に耐えてきた岩肌を、ロケット弾は安物の陶器のように砕く。にもかかわらず、舞い上がる砂煙の中をガンダムMK2の群は平然と前進してきた。
 エウーゴ第2遊撃戦隊のジーマは懸命にビームライフルを放つが、成果はわずかだ。
「キムヒ戦車大隊はまだか?」
「あと八分はかかります」
「くそ、もう持たないぞ」
 指揮車の中でブライト・ノア少佐が呻く。彼が指揮する第2遊撃戦隊と自由ジオン第1大隊は現在ほぼ完全に包囲されていた。地形を利用しなんとか食い止めてはいるものの、それももう限界だ。コア・ブースター2による支援は当分期待できないし、将兵もパニック寸前にある。
「ちくしょう、結局MSの差ってやつか?」
 前線でビームライフルを連射しつつ第2遊撃戦隊のディック・カーペンター少尉が叫ぶ。共にエウーゴに亡命した仲のポール・タレイラン中尉はすでに声を発する余裕もなかった。そこにアセ・ピロット中尉のガンダムMK2が突っ込んでくる。グレネード・ランチャーの支援を受けての彼の突撃を止められる者はもはやいない。
「これで終わりだっ」
 ビームサーベルを抜きざま、彼はドゥルガー・キサラギ軍曹のジーマに斬りかかった。
「きゃっ!」
 キサラギ軍曹が悲鳴をあげた瞬間、ピロット機の顔面を何かが掴んだ。MSの手だ。猛烈な勢いで彼は背後へと吹き飛ばされる。
「なっ」
 その敵はガンダムの頭部を鷲掴みにしたまま、それを地面に叩きつけた。猛スピードで月面を引きずられ、ピロット中尉のガンダムは背面をずたずたに引き裂かれる。左肩のビームサーベルは脱落し、スラスターノズルは砕けた。あまりの衝撃に彼はグリップを握りしめたまま気絶する。
「なんだ、あいつは?」
 ティターンズ第2MS大隊のアンガス・マクライト中尉は、自らの眼前で発生した事態を一瞬理解できなかった。
 ピロット機が斬りかかった瞬間、上空から急速に舞い降りた「白い影」がそれに掴み掛かる。ピロット機を大地に打ちつけるとその「影」は反動を利用して再びジャンプ、彼の機すら飛び越していった…理解できたのはそこまでだった。
 しばし呆然としたものの、マクライト中尉は気を取り直して振り返る。とにもかくにも、敵が彼らの背後にまわったのだ。
 ビームライフルの銃口を向けた方角には、激しい砂煙が広がっていた。着地の際にスラスターで制動をかけたのだろう。
「何奴?」
 誰何する彼の前で、砂煙は真空中に急激に四散していく。徐々に透き通っていく煙のベールの向こうに、その姿はあった。
 見間違う事もない。そのシルエットは見慣れたガンダムMK2のそれだ。だがその塗装はティターンズのそれではなかった。白い機体。それを彩る濃紺と鮮やかな赤。そして左肩には「a」の文字がくっきりと描かれている。
「白い…ガンダムだと?」
 マクライト中尉がうめき声をあげた刹那、友軍機がその白いガンダムにビームを放つ。瞬間、白い機体が霞のように消えたかと見えた。素早く小刻みに跳躍すると、それは瞬く間に友軍機へと肉薄した。ビームサーベルが居合いの刀のようにひらめき、友軍機は真っ二つに両断される。
「あの腕、『a』のパーソナルマーク…まさかっ」
 マクライト中尉は自らの足が震えるのを感じた。
「レイ少佐! アムロ・レイ少佐よっ」
 窮地を救われたキサラギ軍曹が叫ぶ。そう、その白いガンダムMK2を操るのは、伝説のエース、アムロ・レイその人だった。

 先のリーア沖会戦終了後、エウーゴは浮遊する敵機をわずかながら回収している。苦心の末その中から再生された一機が、アムロ・レイ少佐のガンダムMK2だった。
「アムロ・レイか…面白い、相手にとって不足はない」
 マクライト中尉は恐怖を打ち消すべく自らに語りかけると、一直線に斬りかかった。白いガンダムは東洋の拳法家のようにそれをいなし、背中から逆手にビームサーベルを突き立てる。コアブロックが緊急射出されるさまを横目で確認すると、レイ少佐のガンダムは再び身構えた。
 瞬く間に三機を撃破したかつてのエースを前にして、ティターンズに混乱が生じた。本来の任務たるエウーゴ部隊の包囲殲滅を忘れ、レイ機を撃破せんとする者がでたのだ。
 エリート意識過剰な者も多いと言われるティターンズ兵士達であったから、それも当然だったかも知れない。しかしそれは、壊滅寸前まで追い込まれたエウーゴに反撃の好機を与える行為だった。
 敵の陣形が崩れたと見るや、ブライト・ノア少佐は突撃を命じる。敵味方双方の距離はすでにつまっていたから、戦いは即座にMS同士の白兵戦となった。こうなれば、ガンダムといえどもその性能差でGM2を圧倒するのは難しい。しかも、陸戦であるからその混戦から逃れるのも容易ではなかった。
 勢いに乗じ、自由ジオン第1大隊もまた反撃に転じる。
「前進! ジオン魂を見せてやれ」
 ローゲ・シュテルン少佐の命令を受け、ゼムが進撃する。キムヒ戦車大隊が巻き上げる砂埃が、丘陵の向こうに広がっていた。

 一方、月軌道上でもすでに戦いの第二幕が上がっていた。ティターンズ・ジオン連合軍は独立長距離支援中隊が対地支援に集中できるよう、防衛に専念する。これに対しエウーゴ側は第1遊撃戦隊とメテオール・フロッテを前面に押し立てて果敢に攻撃を試みていた。
「うおおっ」
 エウーゴ第1遊撃戦隊のオルグ・スロータ軍曹が雄叫びと共にメルケ・ディアスを突進させた。コウ・ウラキ大尉の指揮の下、彼らは積極的に敵前線へと斬り込んでいく。率直に言って、彼らの装備はティターンズやジオン公国軍と比べると見劣りした。今や友軍となったメテオール・フロッテと比較しても同様だ。だが、その気迫は天をも突くばかりだった。
「これ以上Sグループをやらせないっ」
 マーサ・イーグルトン伍長が左翼を守るジオン親衛艦隊のドーガ・アインを狙い撃つ。彼女の叫びは、まさにエウーゴ第1遊撃戦隊総員の叫びだった。ここで「紋白蝶」を沈黙させねばエウーゴの敗北が確定する。彼らは背水の陣にあると言っても過言ではないのだ。その士気が極限まで高まっているのはそれ故だった。
 一方、アズナブル准将率いるメテオール・フロッテもまた、右翼を守るティターンズ第3MS大隊を相手に奮戦していた。
「は、弱者に与するとは『赤い彗星』も血迷ったもの。それともハマーンにふられた腹いせかい?」
 ティターンズ第3MS大隊のエイジャ・カディス曹長は、そう言いざま愛機コア・ランサーが搭載する全ミサイルを放った。同時に、他の機もそろって斉射する。無数の炸裂の中で、ドーガ・アインやドーガ・ツヴァイが次々と火球と化した。しかしなお、メテオール・フロッテは攻撃の手を緩めようとはしない。
「く! なんなんだ、このパワーは」
 フレイ・ルディス大尉のドーガ・ツヴァイとビームサーベルを交えつつ、シンイチロウ・サカイ少尉はうめく。彼は、自らの言葉がドーガ・ツヴァイの大出力に向けたものなのか、それとも死をも恐れぬ敵兵士に向けたものなのかわからなかった。
 戦況が半ば膠着しかけたその時、エウーゴはMAを前線に投入した。ヤクト・ビグロ、そしてゼータがその強力なビームを放ちながら突撃する。
「くたばれ、ティターンズ!」
 リョウ・エヅエ曹長のゼータがその長い砲身から光条をはなつ。迎撃せんとした一機のガンダムMK3が、真正面から貫かれて四散した。
 その傍らを、一機のコア・ランサーがすり抜ける。しかしその機体はティターンズのものではない。輝くばかりの純白に彩られたそのコア・ランサーを操るのは、リーア沖会戦の際にエウーゴへ亡命したクレイド・ジェスハ大尉だった。
 一度はウォズ戦隊に配属されコア・ブースター2への転換訓練を受けていた彼だったが、やはりコア・ランサーの方が相性がよかったようだ。
「なら、うちで彼をあずからせてくれ。ゼータとならばいっしょに運用できよう」
 ヘンケン・ベッケナー中佐がそう口添えしてくれたこともあり、彼は愛機とともに第3遊撃戦隊へと移ったのだ。

 彼らの突撃に、拮抗していた前線に綻びが生じる。旧世紀の騎兵のごとく、エウーゴのMAはティターンズの防衛線を鋭く貫いた。
「よし、行ける」
 そう思った瞬間、ジェスハ大尉は誰かの声が聞こえたような気がした。
「サラ・ザビアロフ? いや、違う」
 それは聞き慣れた声、見慣れた視線のようだった。だがそれは、同時にとぎすまされた刃のような殺気を含んでいる。センサーが正面に敵影をとらえたとき、彼はそれが誰の「声」だったか悟った。
「リジェ!」
 彼の良き部下だったリジェルタ・エリクセン中尉は、アジャイル・ガンダムのコクピットから冷たい眼差しをジェスハ機に向けていた。
「…裏切り者、ジェスハ」
 平坦な口調で呟く彼女の耳には、コウサク・アカシ大尉等とそろいのピアスが鈍く光っている。そう、彼女は亡命を図った咎により死刑となる代わりに、強制的に強化処理を施されたのだ。
 宇宙環境研究所(フラナガン機関の後継)はニュータイプとその軍事利用の研究を目的としていた。強化人間は、その実験過程で得られた知識に基づいてニュータイプをエミュレーション(真似)するために「開発」されたシステムだ。
 現在、強化処理はハードウェアとソフトウェアの両面で行われていた。ハードウェアは脳と外部各種機器との接続を主として受け持っている。例のピアスは外部接続端子の一つなのだ。
 そしてソフトウェアとはすなわち、脳へのエミュレーション・ソフトのインストールである。これにより脳内が一部「書き換え」られてしまう。そのうえ、バグ・フィックスのために多量の薬品を投与し続けねばならない。強化人間のほぼすべてが言語障害や情緒障害を有するのはそのためだった。
「裏切り者、裏切り者、裏切り者っ」
 形の良い目をくわっと見開き、エリクセン中尉はスマートガンを連射する。
「リジェ、やめんか」
 ジェスハ大尉の声を無視し、彼女はなおもビームを放つ。
”ジェスハ大尉、攻撃を”
 僚機のケン・ハミルトン曹長がスピーカー越しに叫んだ。しかし、ジェスハ大尉は撃たない。いや、撃てなかった。懸命に回避を重ね、彼は戦場を離脱していく。
 ゼファート・フォン・ローゼンバーグ軍曹の発案による二機一組の相互援護戦法が功を奏し、エウーゴのMA部隊は辛くもアジャイル・ガンダム六機の迎撃を逃れた。しかし同時にそれは、マゼラン・ビット攻撃を断念したことを意味する。
「勝ったな」
 ラカン・ダカラン少将がそう口にした瞬間、オペレーターの悲鳴があがった。
「高熱源体接近っ、親衛艦隊前線を突破されました!」
「狼狽えるな、ミサイルか?」
「光学解析出ます…MA、いやMSですっ」
「馬鹿な、こんな高速のMSなぞ」
 一直線にマゼラン・ビットを目指す敵機がモニターに表示される。迎撃にまわせる兵力はほとんど残っていなかった。

「ヤッホウ!」
 スピード狂のイェン・ファビラス曹長がコクピットで快哉をあげた。背後に急速に遠ざかっていくジオン親衛艦隊をちらりと見、彼は正面を睨む。そう、敵前線を突破しマゼラン・ビットめがけて疾駆するのは彼らアトキンソン戦隊のMSだった。
 リーア沖会戦でマゼラン・ビットと紋白蝶の攻撃に煮え湯を飲まされたエウーゴは、急ぎ対策を練る。様々な案の中から採用されたのは、アトキンソン戦隊のヴァージニア・エミルトン軍曹、シェリル・メッツァー伍長が提出した「ロング・ショット」作戦だった。これは高加速型ディアスでマゼラン・ビットを奇襲するというシンプルな作戦案だ。
 他にもゼータによる強襲案も出されていたが、それはすでに敵の予測の内だと考えられた。現にティターンズがアジャイル・ガンダムの増強を図ったことを考えると、この判断は正しかったと言える。奇襲性を高めるため、エウーゴは様々な手を打った。これまでこういった強襲戦で主役だったゼータやヤクト・ビグロをあえて他の局面で用いたのも、敵に隙を作るためだ。
「なるほど、ゼータを囮に使う訳か。常道からは外れた策だが、おもしろい」
「兵は詭道なり、と言います。『常道から外れた』とは誉め言葉と受け取ってよろしいですか」
 アムロ・レイ少佐の評に、エミルトン軍曹は不満の色を目元に浮かべてそう言ったという。
 ディアスに高加速性を付与するにあたっては、極力既製品の流用が図られている。にもかかわらず、大型バーニアとプロペラントタンクを背部ランドセルを挟むように増設したその姿は、実に均整のとれたものとなった。
「翼ある天界の戦士」
 後世いささか自己陶酔気味なあるジャーナリストは、その機体をこう表現している。
 この戦いの時点でエウーゴは九機のディアスを高加速型に改装していた。アトキンソン戦隊ではこれを非公式ながらアサルト・ディアスと名付けている。
 今、九機のアサルト・ディアスは電光のごとくマゼラン・ビットへと突進しつつあった。

 九つの光点が矢尻を描いたまま、一直線にマゼラン・ビットを目指す。それはまさに魔物に放たれた一本の矢のようだった。
 ふと、矢尻にわずかな乱れが生じた。一機のアサルト・ディアスが編隊を離れたのだ。ためらいを示すように一瞬遅れて、二機がその後を追う。
”待たんかい、シェリル! どこ行くんやっ”
 ひどい訛りで呼びかけるのはジャン・ランヌ少尉だ。
”シェリルまさか…あの『声』なの?”
 ヴァージニア・エミルトン軍曹が叫ぶ。だが、シェリル・メッツァー伍長に答える余裕はなかった。
「叩くべきはあれじゃない。この『声』の主…あのマゼラン・ビットを司る者、意志…何者だっ」
 アサルト・ディアスのコクピットにメッツァー伍長の声が響く。そう、彼女は今、討つべき何かを感じとっていたのだ。その『気配』に向け、彼女はなおも加速する。
”ええい、あいつどないしたんや?”
「少尉、シェリルの感覚を信じましょう」
 言いざま、エミルトン軍曹はアサルト・ディアスに175mmライフルを捨てさせる。マゼラン・ビットを狙撃するための装備だったが、今となっては文字どおり無用の長物に過ぎない。メッツァー伍長が感じとったのは、紋白蝶の気配に相違なかったからだ。

 メッツァー伍長ら三機が虚空へと進む一方、残る六機のアサルト・ディアスはマゼラン・ビットと対峙しつつあった。
「墜ちなっ」
 ミユキ・シーラル少尉が175mmライフルを放つ。と、ほぼ同時にマゼラン・ビットが対空砲による迎撃を開始した。これもサイコミュにより制御されているのだろうか、狙いはかなり正確だ。最初の連射はかわせたものの、次の攻撃で一機のアサルト・ディアスを撃ち砕く。
「くっ」
 小刻みに回避運動を行いつつ、シーラル少尉は175mmライフルをさらに放つ。初弾ははずれたようだ。
 マゼラン・ビットは回頭しつつ、さらに対空射撃を強める。必中を期し直線運動に移ったアサルト・ディアスを、対空砲は見逃さなかった。マコト・マツナガ少尉の機を僚機の爆光が照らす。
「きさまっ!」
 マツナガ少尉の放ったビームが前甲板上の対空砲を粉砕する。そしてシーラル少尉のライフル弾が遂にマゼラン・ビットに命中した。砲弾は主砲塔の一つを抉り、火炎を噴き上がらせる。
 さらに、肉薄したイェン・ファビラス曹長の機がビームサーベルで右舷対空砲を切り裂いた。
 遅ればせながら近接防空ミサイルが放たれ、一機のアサルト・ディアスを粉微塵に砕く。ファビラス機もまた、左腕を根本からもぎ取られた。
「ファビラスっ」
”これしき…ベクトル補正、大丈夫です”
 ファビラスの声にマツナガ少尉は安堵の息をもらす。ちらと目を上げると、後方モニターに高速で遠ざかっていくマゼラン・ビットの姿があった。残りプロペラントに余裕はなく、追撃は不可能だ。手傷を負わせ砲撃継続を断念させたが、撃破には至らなかった。強く舌打ちする彼の耳にシーラル少尉の声が届く。
”生きてりゃ再戦のチャンスもあるわ。それより…さっきから聞こえない、なにか”
 気のせいだ、と彼は答える。だが、なにかを忘れたときのようなしこりが胸の内にあることを彼は否定できなかった。

 マゼラン・ビットを退かせつつ、サラ・ザビアロフ少尉は唇を噛んだ。いらだちの色が眉根に浮かぶ。エウーゴの奇策にはめられた己への叱責、そして近づきつつある「何か」への不安が彼女をいらつかせていた。
「なに、この感じ…私が見えるの?」
 彼女の呟きに答えるように、センサーが三機のMSの接近を示した。かなり高速だ。後退は逆に不利と悟った彼女は、敵に向かって正面から突っ込んでいく。

”見えたわ、紋白蝶よ”
 エミルトン軍曹の声がメッツァー伍長の耳朶を打つ。正面を見据えていたメッツァーの目に、不意に「影」が映った。
「?」
 紋白蝶の背にいくつもの影が広がっていく。怒り、懺悔、狂気…原色のそれらが、松明の火のごとく不気味に揺らめく。そしてそのさらに奧、黒く巨大な影が蠢いていた。丸く、豊穣なるフォルム。しかしそれは、なにもかもを内に取り込まんとする意志を周囲に滲ませていた。
(シロッコ少将は誰にも渡さない)
 決然たる声が彼女の脳裏に響いた。
「何? なんなのこれっ」
(誰にもあげない。私をなりたたせているのはあの人だから。私が帰るのはあの人のところだから。誰かにあげるくらいなら、私が喰べる)
 激しい恐怖がメッツァーの背筋を駈け上る。甘い香りに引き寄せられた者を喰らいつくす熱帯の花の話を、彼女は思い出した。
「う、うわぁっ」
 誘惑の香りを断ち切るように、彼女はトリガーを引き絞る。まるで素人の射撃のように、光条は虚空を貫くばかりだ。
”まだや、メッツァー。この距離ではあたらん”
 雑音混じりのランヌ少尉の言葉も耳に入らない。
「許さない、許さないわ。そんな理由でどれだけの人を殺したのっ」
(知らない。誰も私を知らないように、私も他人なんて知らない)
「私はあなたを知ってるわ、『サラ』!」
 メッツァーは自らの口をついて出た言葉に驚きの表情を浮かべた。見知らぬはずの敵戦士の名を、どうやって自分は知ったのか。とまどう彼女の眼前に、キュベレイの青白い機体が迫っていた。
「!」
 咄嗟に彼女はビームサーベルを振り上げた。鋭く伸びたキュベレイの爪が彼女のアサルト・ディアスの右肩を砕く。だが一瞬早く、彼女のビームサーベルもキュベレイ右肩の長大なアーマーを切り裂いていた。
 激しい衝撃にメッツァーは気を失いかける。そこに一機のバーザムが襲いかかった。オム大隊のマヤ・アーネス・ナリタ曹長だ。オム大隊は機動予備とされ戦線後方におかれていた。そのうち、彼女ら三機のみがようやく間にあったのだ。
「調子にのってっ」
 ナリタ曹長がビームサーベルで斬りかからんとした時、警報音が敵機の接近を知らせる。エミルトン軍曹のアサルト・ディアスだ。急激な加速で回避すると、手負いのメッツァー機はすでに間合いの遥か向こうへ飛び去っていた。
「撃て! 奴等を逃がすな」
 レオン・ジェファーソン大尉がバーザムのコクピットで叫ぶ。ジル・マックール准尉がビームライフルを連射したが、アサルト・ディアスの予想外の速度に命中弾を与えることはできなかった。
 ナリタ曹長はキュベレイに並行して外部からその損傷をチェック、報告する。
”なんてこった、キュベレイがこれじゃ対地支援射撃は無理だ。シロッコの奴、次の手は考えているんだろうな”
 にがにがしげなジェファーソンの声を聞きつつ、ナリタ曹長はよそ事を考えている。黒い「影」がキュベレイをとりまいているように感じたからだった。

「ファイヤ!」
 ヒ・ディ・スワラジ軍曹がトリガーを引き絞る。Gマンティスの主砲が火を放ち、ティターンズのトーチカを貫いた。頑強なトーチカの開口部から紅蓮の炎が噴き出す。
 炎の中、幸運にも難を逃れた対空砲がなおも反撃を試みんとした。だが、ヒルダ・フォン・ザビロニア少尉はその動きを見逃さない。彼女は猛スピードでGマンティスを突進させ、強引に対空砲をキャタピラで踏みにじった。
 彼女らキムヒ戦車大隊は、第2遊撃戦隊と自由ジオン第1大隊の救出に成功、さらに他部隊と連携してティターンズ地上部隊を追撃した。この素早い反撃は、ロング・ショットにより軌道上からの艦砲射撃を封じたからこそ可能になったと言えよう。
 上空を通過する際、ティターンズ側は軌道爆撃でわずかながらも地上部隊の撤退を支援した。これによりティターンズ地上部隊主力は辛くも追撃を逃れ、グラナダ市街へと潜む。
 残る陣地を掃討しつつ、エウーゴ地上部隊はふたたびルナ・シンパシーの射出口に工兵隊を送り込んでいた。
”敵陣地沈黙! 前進しますか、少尉”
「いや。連絡をとってからにしよう。とりあえず周囲の警戒を怠るな」
 スワラジ軍曹の問いにそう答えると、シブリー・ブラックウッド少尉はGマンティスのコクピットで無線機を操作する。ミノフスキー粒子下のため雑音は多いが、まったく使えない訳ではなかった。
 と、不意に大地が上下に揺れる。ずん、と重い音が地面を通して響いた。
”おお”
 ザビロニア少尉の感嘆に、ブラックウッド少尉は顔を上げる。稜線の向こうに大量の煙が立ち上っていた。方角からするとおそらく、いや、間違いなくルナ・シンパシー射出口の爆破に成功したのだろう。無線機からはひどいノイズ越しに皆のあげる快哉が響いてきた。ここまでくればルナ・シンパシーの破壊は児戯のように容易い。芸術的なまでに精密に設計されたリニアレールなど、適当に爆弾を放り込めば歪んで使いものにならなくなるのだ。
 勝利を喜ぶ声の中、彼女は天の星々を見上げる。
「ティターンズめ、どういうつもりだ? ここを失えばこの戦争そのものを失うとわからぬはずもないだろうに」
 ティターンズがすでにグラナダからの撤退を開始していたことを、彼女には知る由もなかった。

 エウーゴが残敵掃討とルナ・シンパシーの破壊に全力を注いでいた頃、シロッコ少将は地上部隊にグラナダからの撤退を命じていた。
 ルナ・シンパシーは大小二つの内接する円形のリニアレールからなっている。内側の小直径レールは通常、初期加速用として用いられていた。だが同時にそれは、小規模物資(ルナ・シンパシー主砲弾と比較しての話だが)の打ち上げにも使用可能だった。
 ティターンズ地上部隊は輸送コンテナに分乗し、月軌道への脱出を開始する。異変に気付いたエウーゴは慌ててグラナダ市街へと進んだが、巧妙に仕掛けられた妨害工作により撤退を阻止するには至らなかった。
 また、月軌道上でも輸送コンテナの捕捉、撃墜は失敗に終わっている。ティターンズ・ジオン連合軍は軌道を大幅に高め、そこで地上部隊の回収を行ったのだ。
 元木星船団母艦たる<ヴァルハラ>には電磁回収ネットが装備されており、完全に等速にせずともコンテナの回収が可能だった。エウーゴにとって、これは痛い見落としだったと言わねばなるまい。
「だからどうした。もうティターンズやジオンに地球を攻める術はない。あの戦力でコロニー落としができる訳でもなかろう。サイド3に隠るかアクシズに逃げ出すか…やつらの選択肢はそんなもんだ」
 ウォン・リーはエウーゴ暫定政府準備委員会においてそう主張し、全世界に向け勝利宣言をすべきだと語った。
 彼らの元に意外な情報がもたらされたのはまさにその時だった。手元のスレートにその緊急メールを表示させると、フォーラ准将はしばし絶句する。
「どうした、准将。今更何がおこったというんだ」
 リーの問いかけに彼は重い口を開く。
「グラナダからの連絡だ。ティターンズはあそこから地上部隊のみならず砲弾も<ヴァルハラ>に打ち上げていたらしい」
「砲弾? まさか」
「そのまさかだよ。やつらは地球を軌道爆撃で脅すつもりだ」
「むう。しかし小リングで上げた砲弾だろう?」
「他のマスドライバーと同列に考えるな。質量は主砲弾の約九割。数は四発。及び腰の地球の連中を脅すには十分すぎる」
 重苦しい沈黙が委員会を包む。掌中にあったはずの勝利が再び遠くなったことを、彼らは認めざるを得なかった。
「で、どうする」
「道は一つ、いかなる犠牲を払おうとも持てる力のすべてを持って<ヴァルハラ>を討つ…決戦だ」
 人類の明日を決する戦いにむけて、すべては動き始めた。

 地球軌道に向け、母艦<ヴァルハラ>とティターンズ・ジオン艦隊は進む。ティターンズの空母<トラファルガー>は、その<ヴァルハラ>内港湾ブロックに停泊していた。
 今、<トラファルガー>の司令公室にパブテマス・シロッコ少将とサラ・ザビアロフ少尉の姿を見出すことができる。
「総帥にお会いしてきたよ」
 軍服の襟を緩めつつ、シロッコはソファーに腰を下ろす。無重量状態だから立っていようが座っていようがかわらないが、人間の心理は必ずしも合理的ではなかった。
 ザビアロフ少尉を横に座らせ、彼は穏やかな声で話し出す。
「地球を周回しつつ、各自治体に最後通告を与える。猶予時間内に我らに帰順せぬ場合、砲弾をそれぞれの自治体首都に投下…そういうことで彼女は理解してくれたよ」
「少将のお考えはそうではないのですか?」
「それですめば良い。だがもし地上の蛆虫どもがエウーゴを恃み、我らに刃向かうならばそのときは…」
 彼は一旦言葉を切ると、壁のパネルに地球全図を表示させた。
「デラーズ事件により北米大陸の農業が壊滅した今日、世界最大の穀倉地帯はここ、スーチョワン(四川)盆地だ。さらに長江沿いには豊かな穀倉地帯が続いている。北米に続きこれらを失えば、地球が養い得る人口はさらに半減する」
 夢見るような眼でパネルを見つめるシロッコの手を、彼女は強く握りしめる。
「生存競争という神の見えざる手により、愚かなる者は粛正される。人の革新はそこから始まるのだ」
「ですが、たった4発の軌道爆撃でそれがかなうのですか?」
「いや」
 唇の端に暗い笑みを浮かべると、彼は静かに立ち上がった。
「私には切り札がある。いや、正確に言えばそれを手にするための布石は打ったと言うべきかな」
 戸惑いを顔に浮かべるサラに向き直り、彼は言葉を続ける。
「サラ。ジオン公国総帥というのも悪くないと思わんか」
「わたしが、ですか」
 シロッコはただ、微笑みのみをもってそれに答えた。

次回予告

 戦いは遂に最終局面を迎えた。地球光の輝きの中、忌まわしき切り札が放たれる。破滅と絶望を覆すのは奇跡か、それとも人の革新か。
 次回「ゼータ0096」第6話、 「ドリーマーズ」
 君は、時の涙を見る。


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