“やどかり”
『ビビビッ』
ちょうど片腕の長さまでガムテープを伸ばし、段ボールの合わせ目に重ねる。たるみができないよう注意しながら貼り合わせると、ガムテープの端を両手で切り取り、上から『ポンポン』と一つ二つ叩いてみる。もちろん、これだけのことで梱包の強度などわかりようもない。無意識の行動だ。ひょっとしたら終わったという達成感が私をそうさせたのかもしれない。
大きく息をつくと、両手を後ろについて畳の上に腰を下ろす。二年間暮らしたこの部屋の畳も生活の跡を色濃く残している。タンスやテーブルの下敷きになったところはくぼんでいて、絨毯の届かなかった窓際は見事に陽に焼けている。これは敷金返ってくるのだろうか。生活臭ならぬ生活痕。住み慣れたこの部屋への愛着か、これらの残滓にもいとおしさを覚えてしまう。
擦り切れた畳をそっと指で撫でながら、目の前の荷物に視線を戻す。ジャージを履いた両足は今しがた作業を終えた段ボールを挟むように大きく開いていて、とても人に見せられた姿ではない。肩をほぐすように首を左右に折ると、『ゴキッ!』と骨が擦れる音がした。
「ふぅ・・・」
今度はさっきより大げさに息を吐き出し、ビニール紐の束を、靴下を履いたつま先で玩ぶ。切り口がぎざぎざになったガムテープは使用者の性格をあらわしているのか、部屋の隅に倒れている。一段落した時に放り投げてしまい、そのまま転がっていったのだろう。体重を預ける二つの手の平を体の外側へと滑らせ、引力に逆らわずにそのまま仰向けになった。今しがた指を這わせた畳の感触がなぜか背中に心地よい。しみの浮いた天井とひびの入った蛍光灯カバー。寝る時便利なようにと紐に結んでおいたリボンはもう燃えるゴミに出してしまった。
顎を引くと視線を左右に運んで、慣れ親しんだ四畳半を埋める段ボールの山を見回す。すでにカーテンを外してしまった窓から淡い西日が射していて、斜めに段ボールのキャンバスを二色に染め分けている。暖かそうなオレンジと、寒々とした薄闇の色。
むかし美術の授業で教わったことがある。鉛筆を使わないで紙に線を書く方法。答えは二つだった。一つはもう忘れてしまったが、もう一つははっきりと覚えている。二つの色で紙を塗り分けるだけ。そうすればその境目には線ができる。
今の私はちょうど線の上にいるのかもしれない。一昨日出席した卒業式と、来週から始まる社会人としての生活。境目にたって過去と未来の両方に思いを馳せている。
『この部屋に越してきたのもちょうど今くらいの季節だったなあ』
トラック一台分の荷物とともにこの部屋のドアを開けたのは四年前のことだった。あの日も澄み渡った青空からうららかな陽射しが景色を美しく彩っていた。目の前の公園から聞こえる子供たちの歓声も、三分咲きの桜も同じだった。違うのはあの時はまだ東京と一人での生活に漠然とした不安を抱えた18歳だったのが、今では22歳なこと。
4年間の間に学校で、そしてこの部屋でいろんなことを思い、経験してきた。図書館から借り出した本に足場も無いほど埋め尽くされ、レポート提出の時期には布団もひかずにそのまま後ろに倒れ込み、朝起きると毎晩の夜更かしと不摂生とで目の下は黒く縁どられていた。田舎では手にしたことも口にしたこともなかった酒に呑まれ、ドアを開けたままのトイレに篭り、白い陶器を抱え込んで明かした夜もあった。苦しくて目に溜めた涙と焼けるような喉の奥の感触が、大学生であることをなぜか実感させた。
相手の全てを自分のものにしたい、自分のほうだけを向かせておきたいというわがままな恋もしたし、あらゆるものをなげうって捧げようとした愛もこの部屋が舞台だった。
もうあの頃の自分とは違う。
違うといえば、両隣の住人もすっかり様変わりした。いなかからもってきた荷物の梱包を解き、すぐに挨拶に行ったっけ。右隣の人は一つ年上の先輩。左隣は博士になるための最後の一年を過ごしていた院生だった。どちらの部屋の人も私の訪問に驚いていた。でも、とても気さくで、そして優しかった。
特に右隣の部屋の人とは、お互い実家からの宅急便の預かりなどを通して会話する機会も多く、一足先に卒業する時には新しい転居先となる会社の寮の住所を書き残していってくれた。初めて出たお給料でご馳走になった食事の味は今でも忘れていない。
今両隣にすんでいるのは、きっと同じ大学の後輩。騒がしくはないが、いつも夜遅くまで電気がついている。昔の自分を思い出すようで、明かりを見ると知らずに笑みが零れた。
そして今日、ついに私の番がきたというわけだ。新しい住所を知らせるためにかつての隣人に電話したところ、急にいろいろな思い出が懐かしさともにこみ上げてきて、電話口で泣きそうになってしまった。
がらんとした六畳間。4年前は無味乾燥としていた部屋。思えば真っ更な白地図のようだったこの空間を自分の色で染め上げることに必死だったような気がする。でもそれももうかつての話。ついい今しがた、ようやくもとの透明に戻し終えることができた。次にこの部屋に入る人はいったいどのように飾り立てることだろう。
自分の心もようを色にたとえてみる。ありきたりだけれど情熱を示すのは赤。冷静さは青。無邪気さ、陽気さは黄色かもしれない。博愛と安らぎは緑。純粋さは白かなと思うし、暗い部分、自分の中の嫌なところはきっと黒。明るいオレンジやピンク、僧侶の世界では至高とされる紫はなんだろう。
それらの色が絵を書くときに使うパレットで混ぜられることなく、モザイクとなって胸の奥に棲んでいる気がする。その表象が服装であったり、部屋の壁紙やカーテンにも現れるのではないだろうか。気分がいい日には明るめの服を無意識に選ぶし、逆に沈み込んだ時にはそんな心地を振り切るように、心機一転、鮮やかな色彩を好んで身につけたりする。
明るさや楽しさ、嬉しさはほんのわずかなことで影を潜めてしまう。不安やよこしまな心、沈み込んだ心地はなかなか拭い去ることができず、心全体を塞ぎこんだ暗い色に変えてしまう。睡眠や飲み会、旅行などのリフレッシュは、その名の通りいったん染み付いてしまった色を洗い流し、再び自分の気持ちをキャンバスに塗り分けるのに必要な時間なのかもしれない。でも、色は時に目に見えなかったりもするのだ。いくら自分の好きな色で部屋の中を埋め尽くしても、そこに漂う嫌な色を含んだ空気が本来の姿を変質させてしまうから。ドアを開けたときに感じてしまう心地悪さや落ち着かない気持ちはきっとそのせい。そして何より表面に出てきてないだけの、地中のマグマのような自分の心の芯のせい。
リフレッシュではなくリセット。油絵の具はキャンバスに重ね塗りすることで前の色を隠すことができたけれど、イーゼルから取り外して捨ててしまったらもう、二度と戻らない。
もうこの部屋ともお別れ。不意にそんな寂寞とした思いにとらわれる。
学校に通うためだけに借りた部屋。特別な思い入れなんて湧くわけがない。当初はそう思っていた。しかし、この部屋での日々が脈絡もなく脳裏に浮かんできて、卒業式とその後の謝恩会で枯らしたはずだった涙がまぶたに溢れてくる。
でも・・・。
先ほどの思いに再び頭の中の奥底をゆっくり開放してみる。
自分の心の表面に出てきている気持ち、それを隠したい思い、そして取り繕われた姿かたちは、絵の具と布地に喩えるのは正しくないかもしれないけど、わかるな、って思う。
生きていれば嫌なことや辛いこと、苦しいこと悲しいことは誰にでも訪れるものだし、人から聞くものもいくらだってある。でも人間の心は弱いもの。そういった負の感情をいくつも、いつまでも抱え込んだままでは到底生きてはいけない。だからそういうものはポーの『黒猫』のように塗りこんでしまって、明るいものを表に出し、そこここに散りばめる。きっとその取捨選択は無意識のはたらき。あるとき突然その時のことを思い出すのは、消すのではなく、上から隠してしまっているからなのだろう。
恥ずかしさとともにこみ上げるこの部屋での出来事に、頬が熱を帯びる。一人前の大人になっても、多分この思いは変わらないだろうな。ただ、赤面しつつもいい想い出だなって笑えるような、そんな日が来るのが待ち遠しい。
昼といわず夜といわず降り続く雨。たまった洗濯物はうずたかく積み重ねられ、天井とキスしそうだった。さすがにもう限界とおもって洗濯機を動かしたのだが、狭いベランダは一面の水溜りと天然シャワーが吹き付けていた。仕方なく正方形の対角線に紐を張って、そこに洗濯バサミでとめることにした。タオルや洋服はまだいい、でも下着は誰かが来たときに困ってしまうのでユニットバスの中。この部屋の中で一番張り付くような空気に支配されているが、仕方がない。6畳間だけでは足りなくなったので、ドアを隔てて玄関に通じる台所にも洗い立ての洗濯物がぶら下がる。
梅雨の時期は微生物が活気付く。いつ侵されたのか、元気のない鯉のぼりのような洗濯物に視界をふさがれた部屋で、私は布団から出ることができなくなっていた。顔と耳から放出される熱と、内側から何かで叩かれているかのように痛む頭。這うようにして台所までいくと、何とか重い身体を立たせ、プラスチック製のバケツに水を張った。生乾きでヒタとくっつくような肌触りのタオルを一本剥がして、水を湛えたバケツに浸す。力の入らない両手でなんとかタオルを絞り、それを額にのせ、片手で落ちないように支える。もう一方の手でバケツを持って部屋へと引き返すと、枕もとにバケツを置いて布団に入った。
気が付くと電気のついた部屋に寝ていた。ボリュームを絞ったテレビがなにやらお笑い番組を映していた。普段なら面白いと思えるのであろう下らない話に交じって、なにやら音がする。音の先はどうやら扉一枚隔てた台所からしているようだ。いまいちはっきりしない頭で色々と考えるが、なぜこの状況が自分を取り巻いているのか理解できなかった。ふと布団の脇を見ると、充電器にささっているはずの電話機が絨毯の上に転がっていた。そういえば眠りに落ちる前、誰かと電話で話したような気がする。誰だっただろう。そして何を話したのだろう。
体を起こそうと肘をついて腹筋に力を入れたとき、台所へと通じる扉が開いた。手に持った鍋の向こう、食欲をそそる匂いと湯気を通した先には仲のよい友人の顔があった。
「あ、起きたんだ。急に電話かけてきて死にそうな声で話すから心配したんだよ」
どうやら私は無意識の中で彼女に電話をかけたようだ。思い出そうとするがその記憶はない。電話は途中で要領を得なくなり、心配した友人が駆けつけてくれ、看病しつつ料理まで作ってくれたようだった。洗濯物に囲まれ、友人の心配を含んだ暖かい笑顔の下で食べた雑炊。あの時から頭が上がらなくなった彼女も一足先にUターン先である実家に帰ってしまい、もうこっちには住んでいない。
一年間の成績の基準となる年度末の試験は、通っていた大学では毎年、一月の最後の二週間に行われていた。終われば待望の春休みで、スキーに行ったり、実家に帰ったり、お金に余裕があればシーズン外れの海外に遊びに行ったりしたものだ。その時には勿論、試験の結果(大抵が不出来だったのだが)など頭の中から抜け落ちてしまい、楽しい休みを謳歌したものだった。
しかし、その前に地獄があった。年越しとともに浮かれ気分は急速にしぼんでいき、学校が始まると今まではまともに出ていなかった授業にまで熱心に顔をだす。教室にはいるとまず顔見知りを探し、見つければ近くに座り、誰も見知った顔がなければ目立たなさそうな端のほうの席に腰掛ける。重要なのは教師が書く黒板の文字でも悦に入ったような顔で述べられるご高説でもない。90分の最後にまっている試験範囲の発表と、ノートの持ち込みの可否だけが興味の対象だ。
さほど親しくなくても顔を合わせれば言葉を交わすような級友がいれば、たとえノートの持ち込みが不可でも単位取得の望みがある。拝み倒してコピーを取らせてもらうのだ。この場合、『優』などと高望みはしない。『可』で充分なのだ。だが、友人知人もおらず、ノートもまともに取っていない授業は問題だ。教科書として指定された教師本人の執筆物など睡魔を描き立てる以外の役には立たず(しかも恐ろしいまでに高額なのだ)、内容の理解など不可能といってよい。あとは試験問題に関する書物(ちゃんとわかりやすく書いてあるものを指す)を探しに図書館へと向かうより他ない。
成人の日を過ぎた頃から住んでいるアパートは修羅場と化す。テーブルを覆い、さらに積み上げられた何冊もの書物(そのほとんどは背表紙を見ても何のことだかわかっていないのだが)とレポート用紙の束。友人から借り受けたノートはしっかりコピーをとってそれらと一緒に置かれている。試験が終わればすぐに捨ててしまうものだから扱いもぞんざいだ。コピー用紙の上で食事なんてこの時期は茶飯事となる。
しかし、学校が再び休みになってもなかなか学習意欲など湧いてはこない。起きてもまだ寒い冬の朝に反抗するようにもう一度布団に入って惰眠をむさぼり、ようやく目が覚めてきても相変わらず暖かい一ヶ所に留まってゴロゴロしながらテレビを見たり雑誌を読んだりで時間を過ごす。その一方で試験中だからと自分を納得させて掃除などには手をつけない。外に出るつもりのない日には鏡に向かうことさえしないのだ。夜は夜で指定教科書やノートを開き、アンダーラインなどを書いたりはするのだが、意識は完全につけっ放しのテレビに向いている。そろそろ寝ようかと後ろにたおれ、毛布を掴んだ瞬間にはさっき読んでいたことはもうどっかに忘れ去ってしまうという日々。
それが激変するのが試験の二日くらい前からだ。コタツはそのまま寝るための場所へと変わるのだが、寝るのは試験が終わって部屋へと帰ってきた直後くらい。あとは体内時計がおかしくなるのも、三食のバランスがくずれるのも一切構うことなく真っ白なレポート用紙に判読しがたい文字を書き連ねていく。何かを覚えるのには見るよりも声に出して読むこと。そして読むよりも実際に書くこと。これを金言にまるで自動書記のようにひたすら書く。背中を丸くし、眠くなればノートがしわくちゃになるのも頓着せずにそのままコタツの板の上に突っ伏すし、一瞬意識を失った直後には必ず古代文字のような波線がノートの上にのたくっていた。
朝、爆音のような目覚ましにたたき起こされると、頭の中は寝たままの状態で学校へと急ぐ。朝食は試験の後に食べるので準備の時間も要らない。そして教室に滑り込み、試験が始まると、機械的に頭の中に詰め込んだ一夜漬けのあれこれを武器にして試験を受けるという日々が続いた。
試験が最後の一教科まで無事に終了し、飲み会の誘いを断って部屋へと帰りつくとそのまま深い眠りに落ちる。精根尽き果てているので気がつけばもう日付は変わっていた。翌朝目が覚めてようやく片づけやらにとりかかるのだ。『来年こそはこんな辛い思いをしないように、しっかり授業を受けよう』なんて殊勝なことを誓いながら。しかし翌年も同じことの繰り返し。結局一度もその誓いは果たされずに卒業を迎えてしまった。成績通知も親元ではなくこの部屋に送られてくるようにしておいてよかったと思ったものだった。
「ピンポーン」
回想を打ち切るかのように鳴るチャイム。
きっと宅急便の人だ。ドアを開け、積み重ねられた段ボールをトラックに運び入れてもらう作業を、部屋の隅っこに立ってじっと眺める。運ばれていくのは家具や私物とそれらに染み付いた思い出。古いものほど思い入れがあるというが本当だ。どれも結局捨てられずに新しい部屋へと一緒に引っ越すことになった。談ボールの箱が部屋から出て行くたびにこの部屋に住みついていた私の意思が消えていく。
全ての段ボールが運び出されるまでにそう時間はかからなかった。私という色を完全に失った部屋。
玄関で靴を履き、ドアを開ける。敷居を跨ぐようにして振り返り、ちょっと離れたところからこの部屋を見る。
「ああ、この部屋ってこんなに広かったんだ・・・」
色褪せた壁紙と天井。レトロな雰囲気さえ漂う蛍光灯のカバー。木目模様が薄れかかった床と扉。中に入っていた私が出て行くことで見えるようになった容器の内側。思い出がドアの隙間から逃げないように、中に押し込むようにとドアを閉める。
「ガッチャン」
廊下に静かに、何度も聞きなれた音が響く。
・・・・・・。
でも、ずしりとした重みを感じたのは初めてだったかもしれない。
待ってくれていたトラックの助手席に滑り込む。シートを通して伝わるエンジンの音と通り過ぎてゆく見慣れた景色。
古い住まいを脱ぎ捨て、自分のために新しく用意された次の部屋、新しい生活が待っている。どんな色が生まれるだろう。そしてどんな色に染まるのだろう。クルマの窓を開け、春の風に髪を流されながら、私は目を閉じてやがて来る新生活に思いを馳せた。