BATTLE ROYALE 2
The Final Game




       [ Episode−1 ] Now 7 students remaining and...

          < 57 > エピソード(1)


  雨が大きな音を立てて強く降っていた。
  月は分厚い雨雲にすっかり隠されてしまい、人工の光のまったくない街はまるで闇に飲み込まれているかのように静かだった、吹き付ける風の音を除いては。
  それでもしばらく前までは銃声や、大きな爆発音が聞こえていたのだが、いまではもうすべてが消えてしまったかのような静寂が支配する世界だった。
  しかし、その闇の中には、紛れもなくまだ生きている生徒――いや、選手たちがいるのだ。
  そして、その5倍近くもの敗れた選手たちの死体もまた、あるはずだった。
  B級ホラーなみのその光景は、およそふつうの人間が見たらぞっと背筋を寒くさせることうけあいだろう、おそらく。
  だが、その光景を一般人が目にすることはない。
  見るのは専守防衛軍の兵士と、検死に立ちあう役人と、あとは民間の清掃業者の従業員くらいのものだ、いつものことながら。
  これだけの数の生徒が、それぞれの命を賭けて戦ったという事実は、真実をねじ曲げられて表面的な結果だけが数字になって世間に公開されることになるだろう。
  それはこの国の政府が考え出した、国民を洗脳する方法だった。
  国民が国家の繁栄の妨げにならない程度で、共に協力などしないように、そして政府に反抗することのないように、クーデターなど起こらせないように。
  そういう事情で始まったゲームなのだ、この『戦闘実験第68番プログラム』というやつは――。
  このゲームが、これまでどおりふつうに終わったとしたら、おそらく優勝者の10秒ほどの短いムービーが『優勝者の○○君(もしくは「さん」)』という短いテロップがつけられて、新宿ALTO前あたりの巨大スクリーンに映し出されるだけだっただろう。
  そしてその映像を見た人々は、胸に暗くうしろめたい感じを覚えるとともに、『やっぱり最後は自分しか信用できないのだ』と思うことだろう。
  もっともその感情は、再び日常生活の忙しさに戻る中ですぐに忘れ去られてしまうかも知れない。
  だが、それでいいのだ。
  一瞬でもそう思わせることができたとしたら、それで政府の考えているような目的は果たせたことになるのだから。
  人々は自分の生活にせいいっぱいで、おそらく山間部の小さな都市で互いに殺し合いをさせられた中学3年生の生徒42人のことなど、忘却の彼方に捨て去ってしまうだろう。
  この国の国民たちは、このゲームのことを――もっと正確に言うと、このゲームに参加させられた多くの若者がどう考え、どう行動し、どう生きようと力を尽くしてきたかということを――知らないのだ。
  政府に対して果敢にも反対運動をしている者たちですら、実際のことを知っている者など皆無であると言ってもよかった。
  人間の――人間が人間であるための、もっとも醜く、もっとも美しい部分が曝け出される、このゲームを。
  人々は知らない、そう、ほとんどの人々はそんなことを考えたりはしないのである。
  このゲームの最中に紡がれる、42人の選手たちの42もの物語を知る者は、参加している選手本人と――そして、現場の兵士だけに、違いなかった。




       §

  未神(専守防衛陸軍中部方面第八陸戦部隊所属・三曹・28歳)は、外から見たら鋼鉄の山のような印象を受けるであろう九七式対人用戦車の極めて座り心地の悪いシートにもたれて、じっと腕時計を見つめていた。
  付き合いはじめてもう3年になる恋人に、クリスマスプレゼントとして買ってもらったお気に入りの品だった。
  だが彼は、それをまるで憎んでいるかのように、忌々しい視線で睨み続けていた。
  未神三曹の隣では、階級がひとつ上の先輩、渡(同部隊所属・二曹・32歳)が煙草を口に咥えながら、だらしなく伸ばした脚を戦車の操縦桿の上に乗せていた。
  渡二曹は決して人の悪い人間ではなかったのだが、普段から感情を表に出さないうえに、徹底して任務を遂行させようとするある種の軍人気質のようなものを持つ人物だった。
  入隊したのは、未神が入隊したさらに2年程前ということらしいが(未神が入隊したのは一昨年の暮れだった)、たった2年の差は1階級の差にとどまっているのかと言うと、未神は任務に対する考え方の面で渡とは大きな差があることを実感していた。
  未神が入隊して一番最初に出動を受けた命令が、この“プログラム”の周辺警備だった(それまではずっとクソおもしろくもない基礎訓練だ)。
  はじめはただの警備だと思っていた未神だったが、狭い戦車の中に設置されている選手の状況確認モニターのディスプレイの中で、選手の生存と位置を示している青と赤(男女の別を現わす)のポイントの数が徐々に少なくなっていくのを見て、そのたびに背筋を震わせる始末だった。
  ディスプレイの中で輝く丸がひとつ消えるごとに、若いひとつの生命が失われているのだ、しかもいま自分のいるところから5kmと離れていないところで。
  とても信じられなかった、――いや、信じられないというよりは、信じたくなかっただけなのかもしれない、本当のところは。
  冗談じゃない、と思った。
  冗談じゃない――おれは選手防衛軍に入隊して国を守るために戦いたかっただけだ、それなのになんで中学生の殺し合いの手助けなんかしなけりゃならないんだよ、ばかやろう!
  自分の年齢のほぼ半分の歳月しか生きていない若者が、無益に死んでいくさまを目の前で見せつけられて(と言ってもディスプレイごしにではあるが)、未神は胸にどうしようもない圧迫感を覚えていた。
  もちろん、未神も“プログラム”に関する知識は人並みに、あるいは職業柄プラスアルファぐらいは知っているつもりだった。
  しかしまさか――こんなふうだとは思わなかった、この“プログラム”というやつは。
  もちろん彼が中学3年生だったときは、このクソやくたいもないゲームには参加しなかったし、したいとも思っていなかった。
  だから、中学3年という時代を何事もなく過ごした彼は、プログラムなどというものとははもう一生無縁でいられるのだろうと思っていたのだけれど――。

  未神はちらと横目で盗み見るように、二年先輩の渡二曹に視線を移した。
  渡は先ほどからずっと同じ姿勢のまま、文字通り黙々と煙草をふかしていた(勤務中の喫煙は本来厳罰になるのだけれど、現在状態がほぼ『待機』と同等であるので、喫煙の自由は与えられていた)。
  先輩の渡は、体格はそう大柄ではなく中肉中背、防衛軍の軍規により定められたまるで僧侶のような短髪をした、一見すると気難しそうに見える人物だった。
  性格は、まあ外見どおりというか、堅牢で義務には忠実なまさに兵隊の鏡と言っても悪くないであろうが、しかし何よりもまず軍部の命令を最優先する男だった。
  それはだからつまり、――命令であれば、人を殺すことも厭わないということである、彼は。
  未神は、そんな渡に半分は尊敬、半分は嫌悪の感情を覚えていた。
  軍人というのは人を殺すことが職業だということは、わかってはいたのだけれど。
  未神は思った。
  なんで米帝やら大英帝国やらの敵ではなくて、同じ共和国民である人間を殺さなければならなんだ、それもまだ幼い子供を――?
  以前、この仕事が決まったとき、なんの気なしに渡にそれを訊いたのだけれど、いきなり左の頬を堅い拳で思い切り殴られたことがある。
  そして渡はこう言った、――決まっている、それが命令だからだ、と。
  それが、きっかけになったのかもしれない。わからない。
  けれど未神はそれからというもの、徐々にこの専守防衛軍という組織、ひいては大東亜共和国という国家に疑問を抱くようになっていった。
  国家とは何なのか、軍隊とは何のために存在しているのか、わからなくなっていた。
  純粋に考えると、国家とはそこに暮らしている国民の生活をより豊かにし、物流をより潤滑にし、経済を確立させ、社会が破綻することのないようにするためのシステムであり、それを外的侵略から守ることが軍隊の役割であるはずだ。
  そしてこの大東亜共和国という国は、見事なまでにその理想と一致していると言ってもよかった。
  豊かな生活、行き届いた物流、最近は混乱を見せてはいるけれどもそれでもまだ倒れることのない強い経済基盤、世界中から集められている資本、そして破綻のない社会――。
  軍隊はその社会を守り、ひいては旧米帝領までをも併呑し、まさにこれ以上ないくらいの成果を挙げている――はずだった。
  それなのに、なにかが足りない、そう思えてならなかった。
  特に兵隊の鏡である渡二曹を見ていると、その考えは萎むどころかますます膨張していくのだ。
  軍上層部の命令を過不足なく実行する――そこに私情や余計な感情を挟むことはない、優秀な兵士というものは。
  しかし――。
  未神は思った。
  それならば、おれたちに意思はないのか?
  おれたちは何もせず、ただ誰かから与えられる仕事だけをこなしていればいいのか?
  なにも考えず、なにも思わずに、ただ黙々と命令に従っていればそれでいいのか?
  そんなのは生きていたって、ただの操り人形に過ぎないじゃないか――。
  そうして思った。
  少なくとも、おれは嫌だ、そんな生き方はまっぴらごめんだ!
  日が経つにつれ、その思考は未神の頭の中を満たしていった。
  そして訪れた初仕事、――“プログラム”の周辺警備。
  はじめは、どうということはないと思っていた、ほんとうにそう思っていたのだ。
  けれど――。
  目蓋を閉じると浮かんでくる、ある光景があった。
  未神はゆっくりと目を閉じた――よく覚えていた、あのときの光景を。
  いや、忘れることができなかったと言った方が正しいのかもしれない。
  何時間前のことだったかは覚えていないけれど、未神にはそれがつい先ほど起こったことのように思えた。



  徐々に会場の絶対境界線に近づいてくる、ふたつのマーカー。
  そのポイントの色から、それぞれ男と女だということがわかっていた。
  渡はまだ火のついていないタバコを咥えながら、じっとモニターを眺めていた。
  まさか――未神は思った。
  まさか、この会場の外へ逃げようとしているのだろうか、この二人は。
  それがどれほど無駄で、しかも無理な行動なのか、ほんの少しだけ想像力を働かせればわかることなのに。
 「ど、どうしますか、渡二曹・・・・・・?」
  未神は渡に訊ねてみたが、渡は黙ったまま咥えていた火のついていない煙草を元のパッケージ(銘柄はバスターだった、まあ有名どころ)に戻した。
  それはつまり、これからは『待機』状態ではなくなることを、意味していた。
 「エンジン始動。暖機運転をしておけ。対人散弾砲弾装填。オートパイロットから眼視による直接照準に切り替え。砲撃準備」
  機械的な口調で渡がそう言葉を発したとき、がりっと音がして無線から声が聞こえた。
  今回のプログラム担当官、坂待とかいう政府高官の声だった。
 『えーと、そっちに二人ほど逃亡者が向かってるから、わかってると思うけどしっかりと処理するよ〜に。いいかぁ?』
  それはずいぶんと緊張感のない口調だったが、渡は気にしたふうもなく、ただ無線のマイクを取って一言、「了解」と言っただけであった。
  そして、おもむろに操縦桿を握った。
 「動くぞ。準備はいいな?」
  渡のその発言は、未神に同意を求めるものではなく、また確認ですらなく、ただ形式上言ったに過ぎなかった。
  未神が返答をする前に、渡は戦車の操縦桿(ラジコンカーのように左右のレバーになっている、左右のレバーとも前後にしか倒れないが)を前に傾けた。
  エンジンが小さく唸り声を上げ、ぐんと前進した。
  戦車は、ともすれば速度が遅いと思われがちだが、実のところ下手なスクーターなどよりよっぽど速く、また小回りが利くのである。
  戦闘効率よりも静粛性を重視して設計されているこの戦車は、雨の中、ほとんど音もなく藪の中を進んでいった。

  逃亡を図った生徒は、すぐに見つかった、当然だ、位置は完全に把握しているのだから。
  未神は事前に参加生徒の名簿と顔写真のリストを受け取っていたので、その生徒は新田浩(男子十六番)という男子生徒であることがわかった。
  少年は、おそらく首輪のスピーカーを通じて坂待という担当官から死刑宣告を受けたのだろう、まるで魂が抜けてしまったかのような、蒼白な表情で呆然と立ち尽くしていた。
  その表情はまるきり死刑執行直前の死刑囚のようだった、事実、同じようなものなのだけれど。
 「あっ・・・・・・」
  未神は思わず、声をあげた。
  少年の見開いた瞳が、こちらに向けられたので。
  防弾ガラスすらないこの乗り物のこと、それはもちろん外部広角可視光カメラの映像を通してではあったけれど、未神にはディスプレイに映った少年の視線が、自分を見つめているような気がしてならなかった。
 「なにをしている? 砲撃だ。どうした、撃て!」
  渡二曹が、鋭い怒号を発した。
 「――ッ!」
  その声に反応してしまったのか、半ば痙攣のような動作で、未神は握っていた副操縦桿の先端についているスイッチを押していた。
  そのときだった、ディスプレイに立ちすくんだような格好で映されている少年の前に、何かが飛び出してきたのは。
  それがセーラー服を着た少女だと未神が知覚したときには、すでに砲撃の指令は電気系統を通って砲身に伝達されていた。
  ばすっ、というくぐもった音が室内に響いた。
  未神は思わず目をつむろうとし――できなかった。
  いやそれどころか、瞬きをすることすら、呼吸をすることすら、不可能だった。
  砲身から撒き散らされた、ショットガンのそれとは比較にならない威力の散弾の群れの一部が、少年に向けた攻撃の軌道上に立ちはだかった少女の身体に突き刺さった。
  江藤裕美(女子三番)だった。
  その少女の身体が、一瞬、『く』の字に曲がり――しかし少女は数歩後退しただけで、倒れなかった。
  直接照準だったうえに半ば反射で撃ったようなものなので、狙いが正確ではなかったのか、少女はまだ生きていた(当然だ、直撃すれば身体は跡形もなく、人肉のミンチになるはずだったのだから)。
  少女はゆっくりと、少年の方に顔を向けた。
  白かったはずのセーラー服には無数の小さな穴があき、そこからはジョウロのように真っ赤な液体が染み出していたのだけれど。
  外部の音声を拾うために設置された高性能集音機が、いまにも消えてしまいそうな少女の声をとらえ、室内のスピーカーを震わせた。

 『だいじょうぶ・・・・・・だった?』

  その言葉が、未神の心臓に無形のナイフを突き立てた。
  自分の身を呈して少年を助けようとし、また自分自身が瀕死の状態になってなお、相手のことを心配しているのだ、この少女は。
  少女の身体がぐらりと傾いた。
  呆然としていた少年が、慌てて彼女の身体を抱きとめた。
  少女の身体から流れ出した血が無傷だった少年の学生服をも、赤く染め上げた。

 『な、なんで――ついてきた? あのまま戻ったって、分からなかったのに――』

  少年の泣きそうな声が聞こえた。
  少女は――、もはや致命的な傷を負った少女は、その恐ろしいほどの苦痛(に違いない、わからないけれど)に耐えながら、微笑んだ。
  その笑顔は、例えばそう、好きな男の子と映画を見たあと、そこらへんの街の一角にあるカフェテリアでアイスコーヒーを飲みながら、いま見てきたばかりの映画の内容を楽しそうに語っているような、そんな表情だった。
  とにかく少なくとも、悪意のある笑みではなかった、まったくと言っていいほど。
  少女が言った。

 『だって――浩くんが走れって――言ったんじゃない・・・・・・』

  少年の表情が、呆然から愕然へと変化した。
  強い風が吹いたのだろうか、耳障りながりがりというノイズがスピーカーから聞こえ、彼らの会話をかき消した。
 「未神三曹。目標はまだ生存している。砲撃だ」
  渡の強い口調が、未神の鼓膜を震わせた。
 「し、しかし――」
  何かを言いかけた未神を、渡はじろりと睨みつけた。
  言った。
 「これは命令なんだ、三曹。命令には従わなければならん、どんな命令にもだ。それが軍人だ」
 「そ、それは、わかっています。ですが――」
 「口ごたえをするな」
  渡が言った。
  その声は、怒鳴るでもなく、自分の言うことを聞かない部下を怒るでもなく、ただ感情というものを一切押し殺した声だった。
  それが、未神の心を再びえぐった。
  それは渡もまた、目の前で広がる出来事に心を動かされているということに他ならないのでは、ないだろうか?
  こういう場合、いっそのこと怒鳴りあげてでも命令された方が、よっぽど気が楽になるだろう――そう感じた。
 「未神三曹、砲撃せよ」
  恐ろしく静かな声で、渡が言った。
  未神は、目をつむった。
  副操縦桿を握った手のひらが、汗でべったりと濡れていた。
  右手の親指を、砲撃信号伝達のスイッチの上においた。
  がりがりっというノイズ音が途切れ、再び少女の声がスピーカーを震わせた。

 『浩くんのこと、好きだよ――いまも』

  今度こそ、ガーッというノイズが耳を満たした。
  少年は、なんと答えたのだろう。
  少女の想いは、少年に届いたのだろうか?
  そんなことを考えながら、未神は親指でスイッチを押し込んだ。
  ばすっ、という音とともに、反動で室内がぐらりと揺れた。
  今度は完璧に照準があっていたはずだった。
  未神が恐る恐る目を開けてみると、可視光カメラの映像には、あたり一面が真っ赤に染まった外の風景が映っているだけだった。
  近くの木に、べたべたと赤く湿った肉片がへばりついているように見えた、それが少年の肉体だったものか、はたまた少女のものか、見当もつかなかったのだけれど。
  ああ――未神は思った。
  ひでぇよなあ、おれ、ひでぇことしてるよなあ。人を――何の罪もない子供を、殺して、ああ、ちくしょうッ・・・・・・!
  自己嫌悪に陥りそうになった未神の耳に、渡二曹の声が聞こえた。
 「外の状況を確認するぞ。出るんだ」
  そう言うと、渡は天井についているハッチを開け、外に出た。
  未神もそれに続いた。

  あたりは、完全に無人だった、自分たちと、もう魂の入っていない壊れた肉体を除いては。
  未神はじっと二人のなれの果てを見下ろしていた。
  吐き気など、もうとっくに通り過ぎていた。
  よくスーパーなんかで売っている生の挽き肉、あれと同じだ、少々血は多く着いているけれど。
  ええ、そうです、広告に出ていた品ですよ、血が着いているのは新鮮な証拠です、お客様もおひとついかがですか?
  その場に立ちすくんでいる未神をよそに、渡は無線に向かってしゃべっていた。
 「逃亡者二名、処理しました」
  了解、よくやったなぁ、というノイズ交じりの声が聞こえた。
  無線を切った渡に、未神は言った。
 「中央の連中は、何を考えているんでしょうか? いくら国防上必要な実験だからと言っても、これは――」
  直接的にではないにしろ、未神の発言は政府を批判するものだった。
  本人もそのつもりで言ったのだし、上層部の命令を最優先する頭の堅い先輩に殴られることは覚悟のうえだった。
  だが、それでも、未神はそう言わずにはいられなかった。
  この“プログラム”の、なにが国防上に必要なんだ?
  これで得たデータのなにが、この国のために役立っているっていうんだ、一体?
  そう思えてならなかった。
  しかし、政府に対して批判の言葉を浴びせた部下に対し、先輩兵士の渡は首を左右に軽く振るだけにとどめた。
  言った。
 「それは、俺たちが考えることじゃない。俺たちの任務は、逃げようとした生徒を殺すことだ」
 「・・・・・・」
  未神はそれ以上、何も言えなかった。
  自分を殴らなかったことで、渡もまた自分と同じ考えをもっているということがわかったので。
  渡が敢えて仕事を最優先しているように見せているのは、自分のような考えを隠すためだったのではないかと思えたので。
  だとすれば――いや十中八九、ほとんどの兵士は自分と同じ意見を持っているのではないだろうか。
  いや兵士だけではない、この国の国民のほとんどが、この大東亜共和国という国家自体とその政府に対して、大きな疑問を持っているのではないだろうか。
  しかしいままで、その疑問は表面上一度も具体的な形となって出てきたことはなかった。
  労働組合や地方の小中企業などでデモやストライキくらいはあるが、それはごく小規模なもので、国家に対しての国民の意思というものが示された例は、未神が習ってきた歴史上は――もっともその歴史もどこまで正しいかはわからないが――ないはずだった。
  自分たちからはなにもしない、国民も、兵士も、政府官僚も、すべてが操り人形のような国家なのかもしれない、この大東亜共和国という国は。
  だから、なにも変わらない、変われない、すべてがいままであったことをただズルズルと引きずっているだけだから。
  この国に足りないものは、経済力でも、技術力でも、ましてや軍事力でもない、――国民の『自ら生きようとする意思』に他ならないのではないだろうか。
  もしそうだとすれば、――救いようがない、まったく。

  未神の思考を知ってか知らずか、渡が言った、抑揚のない声で。
 「さぁ、戻るぞ」
  そうしてさっさとハッチを開けた。
  未神は思った。
  おれがこんなことを考えても、意味のないことなのかもしれない、おれはただの下っ端の兵士なのだから。
  おれが国家や国民のあり方について色々考えたところで、どうしようもないじゃないか、時間の無駄だと思わないか?
  けれど――しかしそれでも――。
  未神は、ぼそりと呟いた。
  そう言わずにはいられなかった。

 「自分は――間違っているような気が――します」

  未神の声が聞こえなかったのか、それとも聞こえなかったふうを装っているのか、渡はなにも言わずにハッチの中に身体を滑り込ませた。
  自らの意思で命を立った少女と、彼女に殉じた少年の亡骸をしばらく見つめたあと、未神は渡のあとを追った。
  数時間前のことだった――。



  未神は回想から現実へと意識を戻した。
  ゆっくりと目を開けると、やはりそこは狭苦しい戦車の室内だった。
  渡が咥えている煙草の煙が、つんと鼻腔を刺激した。
  視線をモニターの上に移してみると、そこには先ほどから変わらずに七つのマーカーが一箇所に集まっていた。
  アクティブレーダーは搭載されていないので、正確な位置はわからないが、現在位置とマーカーまでの距離と方位を考慮して地図に当てはめてみると、どうやら総合病院付近らしかった。
  つい10分ほど前にひとつのマーカーが消えてから、それ以降はマーカーの数に変化はなかった。
  これから察すると、この七人は仲間だということになるのだろうか。
  わからなかった。
  ただ、少なくとも互いに殺しあってはいないようだ。
  今年から導入された生徒につけさせる首輪――ミッドウェー23号には、位置を正確に把握するためのGDPシステムとともに、マイクとカメラとスピーカーが内蔵されているという噂を耳にしたことがあった。
  もっともそれは噂の域を出なかったし、それも極限られた一部の兵士の間だけなので、信憑性は高くないのだけれど。
  もしそれが本当だとすれば、彼らは一体どんな会話をしているのか聞きたいものだ、と未神は思った。
  自分よりも14歳ほども年下の少年少女たちがどのように考え、どのように生き、どのように最後を迎えようとしているのか、知りたかった。
  この理不尽なゲームに無理やり参加させられた彼らは、どう思っているのだろうか、このゲームを主催している人間や、それを運営している人間のことを。
  決して好意的には思っていないだろう、当然のことながら。
  しかし、だからといって何をどうするということもまた、考えていないのではないだろうか、自分が政府に対して反感を覚えていても何もできないのと同じように。
  それは考えても、もはや意味のないことなのだから。
  会場に対する総攻撃の時刻が、刻一刻と迫ってきていた。
  できることならば、彼らには死んでほしくない、というのが未神の思いだった。
  せっかくここまで生き残ってきたのに――せっかくここまでお互いに信じあってこれたというのに。
  けれど、それも、どうしようもないことだ、自分ひとりがそう思ったところで、どうにかなる問題ではない。
  ふう、とため息をつき、ぐったりとシートにもたれかかった。
  そうして、ふたたび左腕に巻かれている腕時計の文字盤に視線を落とした。
  午前零時のほぼ15分前だった。
  ちょうどそのとき、がりっと無線機にノイズが入った。
  声が聞こえた。
 『こちらMLRS部隊。攻撃準備完了、900秒前カウント入ります。カウント開始の命令をお願いします』
 「了解。30秒後にカウント開始」
  無線機に向かって、自分の腕時計を見ながら渡が答えた。
  今回、このプログラムの周辺警備にあたっている兵士はほとんどが三曹であり、階級が上の渡二曹が現地部隊隊長という役割だった。
  攻撃の号令は部隊長がかけるのであり、その命令がない場合は、よほど非常時でない限り独断での攻撃開始は許可されていないのである。
  渡が無線に向かって一言、『撃て』の号令を発すれば、二台のMLRSから高性能炸薬HMXオクトーゲンを弾頭に積んだミサイルが、全弾発射されるという寸法だった。
  その炸薬の量は、この会場全体の30パーセントを完全に破壊させ、かつ80パーセント近くを炎の海に沈めるのに十分こと足りるものだった。
  まだ生き残っている数人の生徒たちを殺すには、たった一本のミサイルでも可能であるはずなのだが、上層部からの命令が『プログラムに関するすべてを殲滅、破壊せよ』というものであるので、それにはもちろん“会場”自体も含まれているのだ。
  未神は思った。
  まったく、むちゃくちゃだ、何もかも。
  いや、そもそもこの国の存在自体がむちゃくちゃなのか?
  それとも、何も考えずにこんなことをやっている自分自身が、一番むちゃくちゃなのかもしれない。
  おれはいったい、何をやっているんだ、こんなところで?

  そんなことをぼんやりと考えていたときだった。
  突然、モニターに表示されていた生徒の生存を示す赤いマーカーが、ふっと消えた。
  未神は、おや、と思った。
  マーカーの消滅は、すなわちその人物が死んだ――いや、殺されたことを意味しているはずだった。
  それはもちろん、そのとおり、だがしかし、いったい誰に――?
  あまりにも不自然だった。
  また戦闘がはじまったのか、と思ったが、しかしいままでのマーカーの動きからすると、いま残っている生徒のほとんどはしばらく前からずっと一緒に行動をしていたはずだった。
  いままで仲間だった誰かが突然裏切り、襲いかかったということも考えられるが、たとえ一人が裏切ったとしても、その周囲にはまだ数名の仲間がいる。
  その裏切った生徒は、その他の生徒によってすぐに殺されてしまうだろうし、そんなことぐらいは誰にでも見当はつくはずだった。
  裏切りではない――とすると、ではたったいま消えたその生徒は、仲間を裏切ろうとしたところで、逆に殺されたのだろうか、全員の同意を得て?
  しかしそう考えても不自然だった、なぜ、ここにきて、そんなことをする必要があるのだろう、すぐに全員死んでしまうというのに。
  あるいは発狂でもして、他の仲間がやむなく殺した、ということも考えられる。
  そんなことを考えていると、またひとつの赤いマーカーが、ふっと消えた。
  また、誰かが殺された・・・・・・?
  そう考えるには、あまりにもタイミングが不自然すぎた。
  誰かが誰かを殺しているとして、しかしこの殺人者が一人であれば、他の者が黙っていないはずだ。
  まさか、全員で心中を図っているのだろうか、それとも自殺か?
  また一人、今度は青いマーカーがふっと消えた。
  わからなかった。
  いったいなにが起こっているんだ?
 「二曹! 渡二曹!」
  未神が、渡の方に視線を移した。
  そのとき、ふたたび無線機にノイズが入った。
 『600秒前。これより有声カウントに入ります。597・・・・・・596・・・・・・595・・・・・・』
  攻撃開始まで10分を切ったのだ。
  未神は、一旦は無線機に移した視線を、ふたたびモニターに戻した。
  またしても、青いマーカーがふっと消えた。
  これはいったい――。
  わけがわからなかった。
  そうこうしているうちに、モニターに表示されているマーカーは、青と赤がそれぞれひとつずつになっていた。
  この会場には、もはや男女が一人ずつしか残っていないのだろうか?
  その他の生徒はみんな殺されたのか、この男女に?
  しかもなんの抵抗も示さずに?
  考えられなかった、果たしてなにが起こっているのか。
  しかし――なんの根拠もなく、未神は思っていた。
  これは、きっと、生徒たちがなにかしでかしたに違いない、と。
  自分たちが生き残るために、なにか予想もできないようなことをやろうとしているのではないだろうか、と。
 『480・・・・・・479・・・・・・478・・・・・・』
  そんな未神の思考をよそに、容赦なくカウントは進んでいた。
 「渡二曹! これは不自然すぎます! 一旦カウントを停止すべきと思われます!」
  未神はたまらず、そう叫んだ。
 「なぜだ? なぜ今更そんなことをする必要がある? 命令は撤回されてはいない」
  渡の冷え切った言葉が返ってきた。
  未神は退かなかった。
 「この後に及んで短時間でこれほど大勢の反応が消滅するのは不自然だと言っているんです! この場は、一旦カウントを停止して中央の指示を仰ぐべきです!」
 「時間の浪費だ。必要ない」
 「し、しかし――!」
  なおも食い下がろうとした未神に、渡が言った。

 「おまえがそんなことを考える必要はない。俺達はただ、黙って任務を遂行していればいいんだ」

  その渡の言葉に、未神の心の奥底にある感情が爆発した。
  それは――まるで真紅の炎のような、怒りだった。
  おれたちが考える必要はない? 黙って任務を遂行していればいいだと!?
  その感情はふつふつと、確実に未神の全身を侵食していった。
  未神は震える唇から、絞り出すように言葉を紡いだ。
 「・・・・・・思わないんですか?」
  未神は、ぎゅっと拳を握り締めた。
  思い切り怒鳴った、渡に向かって。
 「二曹は、無意味に死んでいく子供たちを見て、なんとも思わないんですか!?」
  年上の――いやそんなことよりも、階級が上の人間に対して発するべき言葉ではないことは、未神本人が一番よく理解していた。
  しかし、そんな陳腐な理性は、もう欠片も残っていなかった。
 「渡二曹は、あんたはどうしてそんなふうでいられるんだ!? おれ達は、人を――人間を殺そうとしている! いや既に殺しているんだ! それを見て見ぬ振りをして、考える必要はない!? ふざけないでくれ!」
  そう叫ぶが早いか、未神は渡が握っていた無線機のマイクを奪い取った。
 『403・・・・・・402・・・・・・』
  カウントは400秒を切ろうとしていた。
 「カウント中止! 中止だ!」
  無線機に向かって、未神はそう怒鳴った。
  その横顔を、渡の堅い拳が襲った。
  未神はよろけ、天井についているハッチを開けるための円状の取っ手に思い切り後頭部をぶつけた。
  強い衝撃が脳の中心まで走り、ちかちかと目の前が明滅した。
 「どういうつもりだ! 越権行為――いや、これは明らかに叛乱罪だぞ!」
  渡が怒鳴った。
  未神の手からさっとマイクを奪い返し、それに向かって言った。
 「カウント開始! 再開しろ!」
 『了解、カウント再開します。401・・・・・・400・・・・・・』
  再びカウントが開始された。
 「ま、待てッ。待ってくれ――!」
  よろよろと未神は立ち上がった。
  なぜ見ず知らずの子供のためにそこまでしているのか――、未神は心の中で自嘲した。
  それから、思った。
  いや、他人のためじゃない、自分のためにやってるんだ。
  おれは軍人だが、政府の使い捨ての駒じゃあない(向こうがどう思っているかは知らないけれど)。
  おれだって、自分の意思がある、自分の意思で行動する権利が、――生きる権利がある。
  その自分の意思や権利を、他人に押し付けて決定させようとは思わない、少なくともおれはそう思う。
  この行動は、おれが正しいと思ってやっていることだ、誰のためでもない、おれのために。
  それならそれでいいじゃないか。

  そう思った途端、肩の荷が下りたように気が軽くなった。
  ここまできたらもう、後戻りはできなかった。
  オーケイ、いいさ、こうなったらとことんまでやってやる!
  未神は小さな声でそう呟くと、狭い室内で、思い切り腕を振り上げて渡に掴みかかっていった。
  右のストレートが、渡の角張った頬骨にぶち当たった。
  鋭い痛みが右手に跳ねたが、もろに食らった渡はそれどころではないだろう。
  案の定、渡はシートに卒倒した。
  その渡の右手から、素早く無線のマイクを奪い取った。
 「カウントを中止しろ! いますぐだ!」
 『了解。カウントを中止します。失礼ですが、名前と階級は?』
  本当に失礼な質問だな、と未神は思った。
  一緒に仕事をする仲間の階級ぐらい事前に調べておけ、とはもちろん言わず、ただ一言「未神二曹だ」と言った。
  階級を偽ったのは、同階級だと命令をする資格がないからである。
 「以降、別令があるまで待機しろ」
 『了解』
  未神は言ってから、自分の足がわなわなと震えていることに気づいた。
  やってしまった――。
  そう思った。
  自分は、もう取り返しのつかないことを、してしまったのだ。
  上官を殴り倒し、階級を詐称して、プログラムの進行を――いや、命令された任務の遂行を妨げた。
  これだけ揃えば問答無用で銃殺はほぼ決定だった。
 「まったく、なにやってんだろうな。おれは・・・・・・」
  そう呟いたときだった。
  パン、という乾いた音が、密閉された室内に響き渡った。
  次の瞬間、太腿のあたりに鋭い痛みが走って、身体がぐらりと傾いた。
  フラットになっているシートに倒れかかるとき、視界の隅に、軍の正式採用拳銃、コルト・ガバメントを構えた渡の姿が映った。
  その銃口からは蒼白い煙が立ち上っており、未神がシートの上に倒れるのと同時に、硝煙の鼻を突くにおいが漂ってきた。
  それで、未神は、ああおれは撃たれたんだなと思った。
  撃ち抜かれた太腿からは、まるで真空ポンプで吸い上げているような勢いで鮮血が噴き出していた。
  静脈叢をやられたらしい――未神は冷静に、そう判断した。
  痛みだけが、唯一現実と意識とをつなぐ掛け橋になっていて、もし痛みを感じなかったとしたら、まるでテレビか何かを見ているような、奇妙な感覚だった。

 「この馬鹿野郎が・・・・・・」
  渡がそう呟いた。
  未神は、シートの上にうつ伏せに倒れたので、渡の顔を見ることはできなかったのだけれど、もしそうでなかったとしたら渡の顔にははっきりと自己嫌悪と哀しみの感情が見て取れたかもしれなかった。
  しかし未神はそんなことまではわからなかった。
  いや、わからなかったのは表情だけで、未神には渡の気持ちなどもうとっくにわかっていたのだ、そう、自分が撃たれたその瞬間から。
  もし渡が本当に自分を殺そうと思っていたとしたら、防弾チョッキで守られている心臓はともかくとして、すぐに頭部を狙うはずだった。
  渡の腕ならば、多少の無理な姿勢からでも一撃で未神の大脳を撃ち抜けたであろう。
  そうしなかったのは、やはり渡の中にも自分と同じ思いがあるからではないのだろうか、勝手な思い込みかもしれないけれど。
  急速に血の気が失われていくのを実感しながら、未神はゆっくり口を開いた。
 「・・・・・・やっぱりそうだ。あんたも結局は、おれと同じことを考えていたんじゃないか」
  そう言うことすら、はなはだしい疲労を伴った。
  渡は、なにも言い返さなかった。
  未神は続けた、自分が言葉を発することができるうちに、色々言っておきたかった。
 「あんたも思ってるんだろう、この国の社会が、世界が、おかしいってことを。入隊して間もないおれがそう思うんだ、おれよりも長く軍人をやってたあんたなら、おれよりも多くこの国の汚い部分を、見てきたはずだ」
 「・・・・・・」
  渡は黙っていた。
  言い返す必要を認めないのか、それとも自分が言い終わるのを待っているのだろうか――?
  どっちでもよかった。
  未神は続けた、急速に狭まっていく視界の中で。
 「あんたは、そんな世界に対して――なにもできないと思ってるんだろ? なにもできない、なにも変えられない、どうすればいいかもわからない――違うか?」
 「・・・・・・それは、おまえも一緒だろう」
  渡がはじめて言葉を返した。
  しかし、その言葉には、力も感情もこもっていなかった。
  未神はふんと小さく笑った。
 「あんたとおれとは違う。あんたは――なにもできない、いや、なにもしないじゃないか。おれは――少なくとも行動した。自分が正しいと思える行動をした。他人に命令されてではなく、自分の意志で動いたんだ。あんたには――それができるか? できるのか?」
  ふっと意識が飛びそうになった。
  身体がどんどんと冷たくなっているのがわかる。
  暖かい血が、ほとんど身体の外にこぼれ落ちているのだから、当然かもしれない。
  未神は必死に意識を引き戻した――死神と綱引きだ、それも命を賭けて。
  死神の方が手を抜いたのか、一旦は遠退いた意識がわずかに明瞭になった、それでももう目は開けられなかったけれど。
  目の前の漆黒に向かって、未神は続けた。
 「おれは馬鹿だから――おれのしたことはなんの意味もないかもしれない。何にも影響しないかもしれない。でも、それでも、おれは、自分のしたことに悔いは――ないから――。おれは、間違っていることを――間違っていると指摘――しただけだ」
  呼吸と、そして、心拍が、乱れた。
  血液で運ばれることのない酸素を吸って、最期に未神は、こう言った。

 「おれは最期まで自分でいられたことを誇りに思える。それが――おれと――おまえらとの、違い、だ・・・・・・」




       §

  渡はゆっくりと拳銃を保持していた右腕を下ろした。
  思った。
  その複数形は、果たして誰を指すのだろうか――。
  自分と、そして、この国の国民すべてを指すのだろうか――?
  わからない、もう、わからない。
  そのときには既に未神の呼吸は停止していたので。
  力なく垂れ下がった渡の手から、拳銃がするりと滑り落ち、がしゃっと音を立てて未神がつくった血の海の中に沈んだ。
  身体中に鉛をぶら下げているかのように、極度の疲労とだるさが襲ってきた。
  頭の中を、未神の言葉が反芻していた。

 『あんたは――なにもできない、いや、なにもしないじゃないか』

  その言葉が、鋭利なナイフのように渡の心臓を突き刺していた。
  未神の一言一句が、渡を責めるようにぐるぐると回っていた。
  渡には、なにが正しくて、なにが間違っているかなど、どうでもよかったのかもしれない、いままでは。
  その日を生き抜くのにせいいっぱいで、そんなことを考えている余裕などなかったのかもしれない。
  それは確かに、そのとおりだ、間違ってはいないはずだった。
  そもそも、間違っていることを間違っていると声を出して指摘することは、死刑執行書にサインをするようなものなのだ、この国では。
  現に、そうした未神も死んだではないか(自分が殺したのだけれど)。
  渡は無理やり、自分にそう言い聞かせた。
  自分が生きていくためには、自分がすることを正しいと思ってやっていかなければならないのだ、たとえそれが明らかに間違っていると感じていても。
  渡は小さく首を振り、未神の手からこぼれ落ちて受話器のケーブルのような螺旋状のコードだけでぶらさがっている無線機のマイクを拾い上げた。
  スイッチを入れ、そして言った。
 「渡二曹だ。カウント開始。これより目標に向けて、総攻撃を開始する」
  がりっとスピーカーが響いた。
  返答があった。
 『了解。カウントを開始します。399・・・・・・398・・・・・・397・・・・・・』
  カウントが始まった。
  もう、それを止めるものはいなかった。
 『300・・・・・・299・・・・・・298・・・・・・297・・・・・・』
  容赦なく進むそれを聞きながら、渡は未神に――正確には未神の死体に――視線を移した。
 「――おまえは馬鹿だ」
  そう呟いた。
  それから、未神の顔にそっと手のひらをかぶた、目蓋を閉じてやった。
  狭いキャビン内は硝煙と、それをかき消してしまうほどの血のにおいが充満していたのだけれど、渡にはよくわからなかった。
  ただ時間だけが、虚しく流れていった。
  このまま時間が止まってしまえばいい、と渡は思った。
  けれど、もちろん、人間の力は、例え大河の流れを塞き止めることはできても、時間の流れまでを止めることはできるわけがない。
 『80・・・・・・79・・・・・・78・・・・・・』
  ただ、耳元で、顔を見たこともない男の声が、機械的に数字を読み上げているのだけは、聞こえていた。
  渡は未神に向かい、もう一度、呟いた。
 「すまん。許してくれ・・・・・・」
  その自分の言葉は、未神の言葉ほど渡に感銘を与えなかった。
  そんな謝罪の言葉は、偽善であり、自己欺瞞であるということは、渡自身が一番よくわかっていたので。
  未神の死に顔から無理やり視線を引きはがし、渡は天井についているハッチを開けて、上体だけを外に出した。
  強く打ちつける雨が、防水加工すら施されていない迷彩の戦闘服を、一瞬にしてびしょびしょに濡らした。
  身体の芯から凍えるような寒さだった。
  このなかを、選手たちは必死に耐え抜いていたのだ。
  自分の背筋を、なにか震えのようなものがせり上がってくるのを感じた。
  選手の生存を示すモニターには、たったひとつの青いマーカーが、ぽつんと小さく輝いていた。
  場所はまったくと言っていいほど動いていなかった。
  おそらく、MLRS部隊の兵士は、そのマーカーを中心に狙いをつけるだろう。
  彼は、いま何を思っているのだろうか、自分が死ぬその瞬間のことを考えているのだろうか、それとも――?
 『20・・・・・・19・・・・・・18・・・・・・』
  室内から聞こえるカウントに、渡は耳を塞ぎたくなった。
  しかし、塞がなかった。
  このことを、自分がしっかりと心に刻み込んでおかなければならないと思った。
  山間部に位置する小さな都市で、42人――いや43人の生徒が、必死に生きようとした事実を。
  忘れてはならない、生徒たちの遺族ですら知らされない、この凄惨な光景を。
  たとえ政府がこのことを揉み消しても、たとえ国民が誰一人として知らなくても。
  ここで起きたことは、すべてが現実なのだから。
  自分が死ぬまで、いや死んでからももしかしたら、この重い十字架を背負っていかねばならないのかもしれない。
  けれど、それは仕方がなかった、自分はそれに値することを、してしまったのだから。
 『5・・・・・・4・・・・・・3・・・・・・2・・・・・・1・・・・・・』
  最後だ。
  渡は思った。
  そして――
 『攻撃、開始』
  機械的な声が、スピーカーから空気を振動させ、渡の鼓膜を震わせた。

  次の刹那。
  月の光すらない夜の闇を、一筋の閃光が貫いた。
  地上から暗黒の虚空に向かって進むそれは、まるで光の矢のようだった。
  もう一本、今度は会場の向こう側から、天に向かって光の矢が放たれた。
  二本の矢はシューッという音をたてながら大気を引き裂き、漆黒の空に向かって行った。
  それは、どこまでも上って行くかに思われた。
  このまま遥かなる高みへ登りつめるかに見えた。
  しかし、それは地球の重力が許さなかった。
  その矢は美しい軌跡を残しながら緩やかな放物線を描き、そして――。
  地面に、突き刺さった。
  一本が本部となっていた中学校に、そしてもう一本が、すでに半壊している総合病院に。
  瞬間、まるで小さな太陽が誕生したのかと思うほどの真っ白な光が、あたりを満たした。
  光に少し遅れて、地面を揺るがす大きな揺れと、それに匹敵する大音響が轟いた。
  それからは、渡が息をつくまもなく、連続して計30本の光の矢が、順に空を貫いていた。
  その矢は重力の法則に逆らわずに、すべてが地面に降り注ぎ、そして、炸裂した。
  地面から放たれたミサイルが落ちてくる様子はまるで、天から降る雷のような光景だった。
  また、決して届くことのない天に向かってむきになって矢を飛ばす、愚かな人間の象徴のようにも見えた。
  そしてその矢は、天に届く前に落下してきて、結局は自分たちを傷つけるのだ。
  光の矢に打たれた地面からは、白熱した光が空に向かって起立していた。
  美しかった、その純白の光芒は。
  だが、渡はその幻想的な光景を美しいとは感じたくはなかった、いや、感じてはいけないと思った。
  この世界に生を受けて、約14年という歳月を必死で生きてきた人間が、無意味な戦いによって命を落とした、その身体を焼いている炎なのだから。
  次の瞬間、地面からそそり立ったその光芒が、すべてを飲み込んだ。
  家屋を、病院を、学校を、道路を、そしてかつては生きていたものたちを――、すべてを清めようとするかのように、純白の光があらゆるものを消滅させていった。
  どこにでもありそうなふつうの学校の、どこにでもいそうなふつうの生徒たちが、命を賭けて戦ったというその事実すら、浄化しようとしているようだった。
  そこにあったものすべてを。
  まるで、もとからなにもなかったかのように――。



  純白の光が消えた後、そこに残ったものは、まるで大きな戦争があったかと思うほどの都市の残骸と、それらを包み込む真紅の炎のみだった。
  その炎は、これまでのプログラムで命を失った多くの生徒たちの、焔であったのだろうか。
  これだけの豪雨にもかかわらず、炎は鎮火するどころか、ますます燃え広がり、漆黒の闇を赤々と燃え上がらせた。
  ガソリン・スタンドに蓄えられていた可燃性の油に引火しているのか、ときおり各所でどぉんという鼓膜を引き裂くような音とともに爆発が起こっていた。
  朝焼けのような真っ赤に映えた空を見上げながら、渡は声を押し殺して、泣いた。
  雨が顔面を強く叩いていたので、頬を伝うその雫が涙なのかなんなのかわからなかったのだけれど。
  滅多に泣くことのない渡の感情を嘲笑うかのように、炎の吹き上げる轟音と、雨の振り注ぐ轟音とが、その慟哭をかき消していった。
  その耳障りな音のさなか、渡は、微かに異なる音を聞いた気がした。
  自分の乗っている戦車のエンジン音に同調するかのような音だった。
  渡が、なんだろう、と思ったそのときだった。
  カッと二条の閃光が、渡を照らした。
  それはヘッドライトだった。
  一台の白いワンボックスタイプの自動車が、恐ろしいスピードでこちらに向かって突進してきた。
  なんだ――なんだ、あれは!?
  呆気にとられていると、その割れたフロントガラス越し、ぱぱぱぱぱぱぱっと音が響き、サブマシンガンのマズル・フラッシュが見えた。
  渡が慌てて戦車の中に身体を引っ込めると、その頭上を幾つかの弾丸が空気を唸らせて通過していった。
  何発かは外板に命中し、カカカカンという甲高い音を立てた。
  顔を引っ込める直前、渡は見た。
  そのワンボックスカーを運転している者、そしてサブマシンガンを撃ち込んできた者が、学生服を着ているのを。
 「ま、まさか――!」
  渡は叫んだ。
  思った。
  生徒たちだ。
  いまのは、この“プログラム”に参加させられていた生徒たちだ!
  やはり――やはりそうだったのだ。
  彼らは首輪を、防衛軍が開発したミッドウェー23号を、外していたのだ!
  どうやって外したのか、それは定かではないのだけれどとにかく――生きていた。
  彼らは、生きていた。そしていま、力を合わせてこの場から脱出しようとしている!
  ぱぱぱぱぱぱっとサブマシンガンの音が響き、再び戦車の外板にいくつかのへこみを穿った。
  装甲が薄いとはいえ、サブマシンガン程度で貫通するほどヤワなつくりにはなっていない。
  しかし、そのサブマシンガンの音はすでに遠く、自動車のエンジン音も徐々に遠ざかっていくのを、渡はぼんやりしたまま聞いていた。
  そこではじめて、渡は気がついた。
  彼らは――脱出に成功したのだ。
  渡の胸の中に、不意にある感情が生まれていた。
  それは、じわじわと染み渡るように渡の身体中に広がっていった。
  その感情は、驚きでもなければ、憤りでもなかった。
  死んでいなかった・・・・・・生きていた・・・・・・!
  それは――喜びに他ならなかった。
  なぜ自分が喜んでいるのか、そんなことはどうでもよかった。
  また、渡の涙腺から涙がこぼれ落ちた。
  しかしそれは、さきほど流した涙と同じ物質でありながら、まったく違う意味を持っているものだった。
  ちょうどそのとき、コンソールに取り付けられている無線機のスピーカーが、がりっと鳴った。
 『爆発を確認。任務成功の是非を問う。応答せよ、任務は成功したのか?』
  渡はゆっくりと無線機のマイクに手を伸ばした。
  それには、まだ乾ききっていない生暖かい未神の血がついていた。
  ちら、と渡は自分の足元に目を落とした。
  ぐったりとした未神の死体からこぼれた血液が、床を染め上げていた。
  マイクのスイッチを入れた。
 「・・・・・・会場周辺警備班より中央へ。聞こえますか? どうぞ」
  がりっと音がして、無線機のスピーカーから無機質な声が聞こえた。
 『こちら中央政府臨時実施本部。通信回路に異常なし。どうぞ』
  渡はすうっと息を吸い込んだ。
  思った。
  自分は、軍人だ。虚偽の報告をすることは、軍人としてあるまじき行為だ。
  思いながら、口を開いた。

 「会場周辺警備班より中央へ。最終作戦任務完了。参加選手全員の死亡を確認。以上です」

  渡の脳裏に、ふと未神三曹の声が聞こえた――あんたも結局は、おれと同じことを考えていたんじゃないか。
  わからなかった。
  そうかもしれない、そうでないかもしれない。
  いまの渡にわかること、それは、こうなったことを喜んでいる自分がいるということ、ただそれだけだった。
  無線機のスピーカーから、ノイズ混じりの声が聞こえた。
 『了解。任務完了おめでとうございます。以降は当初の予定通り、定時までに撤退。以後、別命あるまで待機。以上』
  それだけ言うと、ぶつっと音がして、無線が途切れた。
  渡はマイクを元の位置にもどし――それから大きく、ため息をついた。

 

  こうして、大東亜共和国専守防衛陸軍戦闘実験2000年度第12号第68番プログラムは、誰も予想し得なかった結末を迎えて、幕を閉じた。
  そしてそれは、1974年から実に26年間も続いた、その“プログラム”という歴史に終止符を打つ大きな要因になったのであった。
 “プログラム”の長い歴史は、ここで途切れたのである。
  しかし――。
  ただ、それだけのことではあるのだけれど。


 【“2000年度第12号プログラム”終了/現地周辺警備部隊モニターより】


       [ Episode-1 完  Episode-2へ続く・・・・・・ ]


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