BATTLE ROYALE 2
The Final Game



       [ 第三部 / 序盤戦(中編) ] Now 35 students remaining...

          < 10 >  狂気乱舞


  東の空が、うっすらと赤みを帯びてきた。
  夜明けだ。
  一筋の閃光が、ゴースト・タウンと化した街を照らし出す。
  普段なら、商店街は店を開ける店員が慌しく歩き回り、国道には出勤のためのちょっとした自動車の列ができる筈なのだが、今日は一台の車も見当たらない。
  今、この街にいるのは、34人の『選手』だけだ。
  いや、正確にはあと役人が1人と、20人ほどのむさ苦しい軍人たちがいるのだが・・・・・・

 『ブツッ』と言う何かを潰したような音が辺りに響き、街の南、橋の下に隠れていた佐々井博文(男子十番)は、顔を上げた。
  場違いな、明るい声が聞こえてきた。
  坂待だ――クソ、なんか知らねぇけど、ムカつくぜ。
 『みなさーん、おはようございまーす! 夜が明けましたよー。みんな元気かぁ?』
  聞き覚えのある――そしてとても癇に障る――声と共に、微かにノイズが混じっている。
  近くに拡声器があるのだろうか?
 『それではぁ、これまでに死んだ人を発表しまーす。良く聞けよー』
  そして、がさがさと言う変な音が聞こえた。
  マイクの前で書類でも広げているのだろう。
  博文は、思わず耳を塞ぎたくなった。
  けれど、耳は塞がなかった。
  博文は聞かなければならなかった――クラス長として。
  坂待の声が聞こえてきた。
 『えー、まずは男子からなー。五番、川村秀貴くん。七番、国山光くん。随分跳んでぇ、二十番、元井和也くん。それから女子なー。四番、小田原美希さん。十九番、松本真奈美さん。以上だー』
  博文の顔の筋肉が、ぐっと強張った。
  ――死んだ――死んだのだ。
  彼らはみんな――自分のクラスメイトに――殺されたのだ。
  挙げられた名前の中に、国山と小田原の名前があったのが、博文の頭の中に引っ掛かった。
  彼らは、クラスの中でも数少ない公認カップルだった。
  自殺――したのだろうか?
  どこかに設置された拡声器がまた、震えた。
 『うーん、ちょっとペース遅いんじゃないかぁ? やる気あるのかぁ、おーい?』
  その言葉は、博文にとって微かな――本当に微かだが――希望になった。
  そうだ、みんながみんな、やる気になっているわけじゃない。
  何とかしてマトモな奴と合流して、逃げられはしないだろうか?
  博文は、考えた。
  けれども、良いアイディアは浮かばなかった。
  この邪魔くさい首輪がある限り、安易な行動はできない。
 『もっと頑張ってくれよなー。先生、悲しいぞー』
  ふん、せいぜい悲しめ、このエセ教師が。
  博文は、目の前に思い浮かべた長髪に向かって、唾を吐いた。
 『じゃあ次に、禁止エリアを言うなー。地図、チェックしろよー』
  坂待が、言った。
  エセ教師の指示などには従いたくないが、こればかりは仕方なかった。
  博文は、ディバッグの中から地図を取り出した。
  地図と一緒に入っていた博文の武器――鎖で繋がれたヌンチャクだ――は、手の届く所においてある。
  ――なに、一応ですよ、一応。
 『まずー、私がいる中学校周辺、D−4はもう禁止エリアだぞー。それで今から一時間後、7時な。7時にG−4だー。G−4を7時までに出るんだぞー、いいなー?』
  危なかった――近くだけど、俺のいるエリアじゃない。
  ほっと溜息が出る。
 『今から三時間後には、C−3だー。C−3だぞー? それと、五時間後にはH−7だー。いいなー?』
  博文は、地図の坂待が今言ったエリアに、斜線を引いた。
  G−4は、会場中央の左下だ――特に何も書いてないので、住宅地か何かだろう。
  C−3は、本部の中学校の左上、源町商店街のすぐ側だ。
  H−7は、大学の右下、国道のすぐ側のようだ。
  いずれにしても、博文の今いる橋付近は、入っていなかった、幸いにも。
 『それじゃあ、みんなもっと頑張れなー』
  坂待の声が聞こえ、それに続いて『ブチッ』と言う音が聞こえた。
  放送は、終わりのようだった。
 「くそっ!」
  博文は、近くにあった小石を川に向かって投げ込んだ。
  ぼちゃんと音を立てて、穏やかな水面に波が立った。
  先程の放送で挙げられた名前が、耳に残っていた。
  もう彼らには会えないのだ――永遠に。
  しかし博文には、その実感がなかった。
  たった一日前まで、彼らは生きていて、自分と楽しく会話をしていたのだから。
  そして彼らは、その楽しく会話をしていた中の誰かに殺されたのだから。
  一体、誰に・・・・・・?
  博文は、軽く頭を振った。
  思った。
  やめとこう、そいつを考えてたら、仲間をつくるどころじゃない。
  その通りだった。
  信じることが大切だった。
  博文はディバッグを担ぎ、立ち上がった。
  仲間を作らなければならないのに、こんな所で隠れていてもしょうがない。
  ただ猫みたいに丸まってるだけじゃ、仲間なんていつまでたってもできないぜ?
  自分に言い聞かせてみた。
  しかし、いくら言い聞かせても、足の震えは治まらなかったが――しょうがねぇよ、こればっかりは。
  ヌンチャクを右手に持ち――何の役に立つんだ、こんなモン――、橋の下から出た。
  太陽が低空にあった。
  燃えるような、その真っ赤な炎の塊は、真紅の血を連想させた。
  大丈夫だぜ、おにいちゃん。俺がここから、ちゃんとおまえを看取ってやるよ。心配するなって。
  冗談じゃない、と博文は思った。
  俺はまだ死にたくないし、やりたい事だってたくさんある。
  あんな馬鹿な役人の言いなりになど、なりたくなかった。
  何とか隙を突いて、あいつらを皆殺しにできないだろうか?
  博文は、考えた。
  結論が出た。
  仲間を集めることだ――とにかく、それから考えよう。
  橋の下から出て、土手を登った。
  土手の上には、川に沿って一本道が通っている。
  土手にはタンポポやツクシ、蓮華草や菜の花が散々に咲いていた――ちくしょう、むやみやたらに平和だぜ。
  それから、橋の上にきた。
 『植田新橋』という真鍮のプレートが、セメントで作られた塔に貼り付いていた。
  見たところ、ここ二〜三年のうちに竣工した、まだ新しい橋だ。
  博文は、橋を渡り出した。
  橋はかなり大きく、中央には車道が片側二車線ずつ走っていて、橋の両隅にはかなりの幅で歩道が設けてあった。
  車が走ってくる筈はないのだが、博文はなんとなく、歩道を歩いた。
  もしかしたら、川の向こう岸に誰かいるかもしれない、と思ったのだ。
  地図を見ても、川の向こう岸には大した物はないが、それでも――いや、それだから、ひょっとしたら怖がって逃げ込んだクラスメイトがいるかもしれなかった。
  怖がって逃げた奴だったら、まさかいきなり攻撃して来たりはしないだろう。
  博文は考えた。
  それは、半分当たりであったが、半分ははずれであった。
  橋を渡り始めて60秒もしないうちに、博文はそれに気付いた。
  川に掛かった橋の、ちょうど中央付近に来た時、向こう側に人影が見えた。
  博文は、立ち止まった。
  人影は車道の中央に突っ立って、身動きすらしなかった。
  思わずヌンチャクを握り締め、博文は自分が汗を掻いていることに気が付いた。
  ひとつの感情が、急速に脳を占拠していく。
  恐怖だった。
  そして博文は、先程の自分の考えが、宇宙的に浅はかだったと感じた。
  人は恐怖に駆られた時、自分を護るために、相手が誰だろうと攻撃できることを、今更ながら悟った。
  今まさに、自分がその状態だったので。
  そして恐らくは、向こうにいるそいつも同じだろうと思った。
  橋の対岸にいる人影が、動いた。
  腕を垂直に上げただけだ――もちろん、自分に向けて。
  人影の自分に伸ばした腕の先から、炎が吹き上がるのが見えた。
  それに続いて、ぱん、という風船が割れたような軽い音が響いた。
  博文は、車道の方に跳躍した。
  脇腹のあたりに衝撃が走ったかと思うと、それは熱となり、次いで痛みとなって博文を襲った。
  博文はそれでも、なんとか立ち上がって、今自分を殺そうとした奴を睨み付けた。
  長い茶髪と、第2ボタンまで外した学生服が見えた。
  あの髪型と服装は、間違いない――月下亮二(男子十四番)だ。
  かなり離れた博文の位置からでもはっきりと、亮二の顔色が蒼白になっているのが見えた。
  亮二も、恐怖に駆られた一人だったのだ。
  そして今、亮二の恐怖は拳銃に姿を変え、博文を殺そうとしていた。
  博文は脇腹に走る痛みに堪えつつ、今更ながら政府の策略に舌打ちせざるを得なかった。
  そもそも、殺し合いをしたいと考えているクラスメイトなど、いないのだ。
  それを無理に恐慌と言う状態の中に落とし入れ、一種の錯乱状態にしてしまうのが、政府のやり方だったのだ。
  錯乱状態に陥った人間は、自分の行動全てを正当化し、常識などと言う言葉は考えるに値しない程度の価値にしかならず、良心に変調をきたす。
  そうすると、『自分が死なないようにするためには、他人を殺すしかない』という、消去法によって求められる簡単な答えしか導き出せなくなってしまうのだ。
  それが何故、国防上必要な実験なのかは、博文には解らなかった。
  もちろん、博文はそれが口先だけの表向きな口実であって、総統官邸他、各議員たちが自宅で、逐一送られてくる『プログラム』の情報に一喜一憂しているなどと言うことは、考えにも及ばないことだったのだけれど。
  そして、自分に文部省大臣が8500万円を賭けていることもまた、彼の知ったことではなかった。
  とにかく、いま大切なのは、亮二の攻撃から逃れること――それだけだった、当然のことながら。
  亮二の腕の先から、再び火炎が伸びた。
  博文は今度は、歩道側に飛んだ。
  右の肩に衝撃が走り、手からヌンチャクが落ちた――もとより、拳銃に対抗できるほどの武器ではなかったのだけれど。
  博文は、目を亮二の方に向けた。
  亮二は今まさに、博文に銃口を向けたところだった。
  博文は目をぎゅっと瞑り、死を覚悟した。
  ああ、俺、死ぬのか――こんなことなら、ちゃんとした彼女を作っておくべきだった。
  自分が死んだら、泣いてくれる女の子はいるだろうか?
  最後の思考がこのようなどうでも良い事であることに、博文は微かに情けなく感じた。
  博文の耳に、がぁん、と言う、先程とは少し毛色の違った音が聞こえた。
  博文が覚悟した衝撃は、いつまでたっても、来なかった。

  月下亮二は、無気味な笑いと共に、歩道側に跳んだ博文に銃口を向けた。
  亮二に支給された銃は、ワルサーP38に似たスマートな形をしていたが、全くの別物だった。
  米帝と共和国(当時は『大日本帝国』といったらしい)が最初に対峙した戦争――大東亜戦争の時に、旧・日本軍が使用したオートマチック、南部十四式拳銃だった。
  8mm南部弾を8発装填できるが、性能はさして良くはない。
  現在、大東亜共和国の警察が使用している拳銃が、ニューナンブと言うリボルバーだが、この南部十四式拳銃のネーミングに由来しているのである。
  しかし、とにかく、そんなことは亮二にとってどうでも良いことだった。
  自分を殺そうとした奴を、逆に自分が銃で殺そうとしているだけのことだ。
  俺が悪いんじゃない。
  最初の1発目を打つ時、亮二は自分に、そう言い聞かせた。
  博文を見てすぐに引き金を引けなかったのは、躊躇いがあったからだった。
  2発目からは、その必要がなくなった。
  なんとも言えぬ興奮と快感が、亮二を襲ったからだ。
  圧倒的な力量で他者の生命を弄ぶ――多くの権力者を捕らえて病まなかったその快感が、亮二の身体を震わせた。
  俺は――強い!
  歩道に跳んだ博文の頭が動き、自分を見ているのが見えた。
  亮二は、南部十四式の銃口を、博文の頭部に向けた。
  博文の目が恐怖に駆られ、そして観念したように閉じられるのが見えた。
  そう――そうだ。俺に逆らうな! 誰も俺に逆らうなっ!
  亮二は、おもむろに引き金を引き絞った。
  刹那、亮二の視界が真っ白に照らし出されたかと思うと、がぁん、と言う激しい衝撃が、自分の右手を襲った。
  亮二には、何がなんだか解らなかった。
  右手に激痛が走り、目を開いて見ると、今まで拳銃を握っていた手が跡形もなく消えていた。
 「あぎゃあああああぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
  亮二は、絶叫した。
  わけが分からなかった。
  なんでだ!? 俺が撃ったんだぞ!? なんで俺の手がなくなるんだ!? なんで!?
 「――あああああああぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!!!」
  叫びながら、地面を見た。
  アスファルトで綺麗に舗装された道路の上に、自分の腕から流れ落ちる血と、黒光りする金属が落ちていた。
  今まで自分が握っていた、拳銃の残骸だった。
  南部十四式拳銃は、射撃性能はそう悪い方ではなかった。
  しかし、暴発する確率がかなり高かったのだ。
  拳銃の暴発は恐ろしいもので、弾丸はバレルの方向に飛ばず、最悪の場合は後ろに発射される。
  その場合は自分が自分の銃弾の犠牲になるわけだが、亮二の場合、銃の火薬がいっぺんに炸裂して、銃自体はおろか、亮二の腕までも吹き飛ばしてしまったのである。
  最悪の場合にならなかっただけ幸運と言うものだが、亮二にはそんなことは知ったことではなかったし、今更知ってもどうすることもできなかった。
  アスファルトの上に膝を付き、無事な左手で右手首を押さえた。
  それで痛みが治まると言うわけでもないが、刑事ドラマとかで撃たれた人は、よくこうしている。
  つくづく、ドラマなどと言うものはリアル感に欠けるもんだ、とおぼろげながらに思った。
  アスファルトに、すっと人の形の影ができた。
  亮二は、顔を上げた。
  そこには、脇腹を押さえながら亮二を見下ろしている博文の姿があった。
  その手の中には、もちろん、ヌンチャクが握られている。
 「や、やめ・・・・・・。お、俺が悪っ――だから・・・・・・」
  亮二は、言った。
  もちろん、言う側も言われる側も、そんな言葉はなんの意味もないと分かっていたが。
  博文は、ヌンチャクを持ち上げた――肩と脇腹に、突き刺すような痛みが走った。
 「とにかく――」
  博文は、言った。
 「おまえは、殺す」
  痛みであまり力が出なかったが、それでも思い切り、亮二の頭部目掛けてヌンチャクを振った。
 「ごぎょっ」と言う、車に引かれた蛙のごとき声を出し、亮二が白目を剥いた。
  しかし博文は、ヌンチャクを振うのを止めなかった。
  路上に転がった亮二の顔面に向けて、執拗なまでに打撃を加えた。
  茶色く染めた長髪の、少しキザったらしい亮二の顔は、そこにはなかった。
  あるのは、ぐちょぐちょになった肉の塊だけだった。
  奥さん、いらっしゃい、新鮮なのが入ってますよ? 人肉のミンチ。どうです、お安くしときますよ?
 「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
  博文は、肩で息をしながら、暫くその『元・月下亮二』を眺めていた。
  俺が――俺が殺した。
  亮二を・・・・・・自分の手で殺したのだ。
  でもあれは――正当防衛だった、とにかく、そうなんだ。
  こいつがいきなり発砲してきやがったから悪いんだ、そうだろ?
  博文は、自分に問い質してみた。
  期待した返答は、自分自身からですら、返ってこなかった。
  そのかわり、別の人間の声が返って来た。
 「う、動かないで!」
  情けなく震えた声は、博文が先程までいた、橋の中央付近から聞こえた。
  博文は、ゆっくりと振り返った。
  1人の女子が、自分に向けて大きく腕を突き出すようにして、立っていた。
  清水奈緒美(女子十番)だった。
  そしてその手の中に握られているものは、諒子の持つカースルほどではないが、かなり大口径の44マグナム弾を撃ち出す、ルガー・スーパーブラックホークだった。
  44マグナム弾の威力たるや、亮二の8mm南部弾の比較にもならない。
  身体に当たれば最後、その大口径の弾丸は肉を巻き込み、貫通する頃には身体に直径数センチの穴を空けることもできるだろう。
  博文の中で、何かが弾けた。
 「あ、あな、あなたが――亮ちゃんを殺したのね!? そう、そうなんでしょ!?」
  奈緒美は、言った。
  恐怖で口がうまく回らないようだ。
  博文は、亮二の血が滴るヌンチャクを持ちながら、ゆっくりと奈緒美に向かって歩き出した。
 「ひっ!」
  博文の予想外の行動に、奈緒美は息を呑んだ。
 「い、いや・・・・・・来ないで! 来たら撃つからね!?」
  奈緒美が叫んだが、博文は聞こえていないかのように、ゆっくりと奈緒美に近付いた。
 「ほっ、本気なんだから! は、ハッタリじゃないんだから!」
  更に大声で叫んだが、博文の虚ろな目を見て、自分の声が聞こえていないことが分かった。
  銃を向けられているにも関わらず、博文は歩くことを止めなかった。
  奈緒美は、自分が震えているのに気が付いた。
  な、なんでよ・・・・・・!? 私は銃を持ってるのよ!? それなのに――それなのにこいつは――
 「なんで近付いてくるのよぉっ!」
  自分から、あと数メートルしか離れていない所にいる博文に怒鳴ったが、反応はなかった。
  だが、博文の口元が、三日月型に歪んでいるのが見えた。
  それで奈緒美は、気が付いた。
  この人は・・・・・・壊れている!
  ぐっと引き金に掛かった指に力がこもったが、そこからは動かなかった。
  撃てるの? あたし、人殺しになるの? この指を動かしたら、あたしは――!
  奈緒美は、はっと我に返った。
  もう目の前にいる博文の腕が、自分に向かって伸びてきたので。
 「いっ! いや! 嫌だぁっ!」
  必死に振り払おうとしたが、腰が抜けてしまって、地面にへたり込むことしかできなかった。
  博文の身体が、奈緒美に覆い被さってきた。
  血に濡れた手が、自分のセーラー服の背中に入り込もうとしているのを感じて、背筋に悪寒が走った。
  抱こうとしている! こいつ、あたしを抱こうとしている!
 「やっ! やめてよっ! あんた、こんなことしていいと思ってんのっ!? ――ちょっと!?」
  叫びながら、奈緒美は腕をがむしゃらに動かした。
  何とか博文から離れないと、と思った。
  腕に力を込めて、ぐいと博文の身体を押し返そうとした時、ばん、と言う音が聞こえ、同時に右手を強い反動が襲い、肘が不本意にもコンクリートに叩き付けられた。強烈なエルボー。グレイト。
  ――しまった!
  奈緒美は、思った。
  しかし、遅かった。
  博文の胸に押しつけられたスーパーブラックホークが、火を吹いたのだ。
  途端、奈緒美の上に乗っていた博文の身体が、吹き飛ばされた。
  ああ、神様――どうか彼に弾が当たっていませんように――奈緒美は、祈った。
  祈りながら、目を開けた。
  無駄だと分かった。
  大人の親指ほどもある鉛の玉は、博文の心臓を貫いていたのだ。
  肉を巻き込んだ結果、博文の背中には、缶詰が収納できるほどの大穴が開いていた。
 「あ・・・・・・」
  震えながら、奈緒美は上体を起こした。
 「あ、あたし・・・・・・あたし・・・・・・」
  しょうがないよ、おねえちゃん。今のは事故だ、正当防衛さ。そうだろ?
  そう思いたかった。
  しかし、そうは思えなかった。
  アスファルトに尻餅を突いた姿勢のまま、奈緒美はずるずるとあとじさった。
  太腿が擦れて痛かったが、そんなことに構っている余裕はなかった。
  自分は今、人を殺してしまったのだ。
 「い、嫌・・・・・・。そんな・・・・・・違う・・・・・・」
  弱々しく首を振ってみたが、何も違わなかった。
  博文は、死んでいた――とにかく、自分が殺したのだ。
 「あ・・・・・・ああぁあぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
  奈緒美は叫び、慌てて立ち上がると、今渡ってきた橋を全速力で走り抜けた。
  背中に背負ったディバッグが、走るのとは違うテンポで不規則に飛び跳ね、走りにくかった。
  右手には、たった今博文を撃ち殺したスーパーブラックホークが握られていた。
  そのグリップは、汗でべったりと濡れている。
  とっとと捨ててしまいたかったが、そういうわけにもいかなかった。
  奈緒美は踏み切りを駆け抜けて、駅の方に向かっていた。
  自分ではどこに向かっているのか、皆目見当もつかなかった。
  ただ、走らずにはいられなかった。
  1mでも良いから、あの橋から遠ざかりたかった。
  それが、自殺未遂に匹敵する危険行為だとしても。

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