BATTLE
ROYALE
〜 死線の先の終末(DEAD END FINALE) 〜
あとがき
いやぁ・・・、ついに完結しました。
本当に一つの作品を作り上げるという難しさに、直面しましたね。
こうやって連載していくと、読者の皆様の感性がそれぞれ違うんだな〜と直感しました。自分がいいと感じた場所ではなく、他のところで感心したり、手痛い批判なんかも多々頂いたりしました。
終盤の方は色々悩みました。「この方向で納得するだろうか?」という疑問もあり、方向性に苦しみました。
でも、当初の計画通り、こういう結末とストーリーに仕上げました。
さて、この作品においてキーワードというのが「感情と個性」と「特殊性」です。
「感情と個性」というのは、それぞれ各々40人や担当官、その他反政府の人を含めた、すべての登場人物に、それぞれの感情を持たせることでした。
この物語では、あっさり死ぬということはあっても、一瞬で複数の人が死ぬということはありません。
またジェノサイダーたちの心情が詳しく書かれていたこともそれに該当します。
つまり、殺される側だろうが、殺す側だろうが、人とは違う理念・感情を持ち合わせていて、全く同じな人間はいないんだということを描きたかったという点にあります。
殺すことを絶対禁忌にしている人間もいれば、殺すことに快楽を見出す人もいる。人間は他人とは相容れない部分もあるということが言いたかったということです。
そういった意味で、黛 風花の台詞はまさに自分の気持ちを代弁しています。「他人とは完全にわかりあえない。でも他人を信じているんだ」
すべてをわかってあげなくても、信じることである程度許容して、人とは生きているんだ、というのが考えです。
「特殊性」、これはオリバト全体に関してです。
今だ、誰も作ったことのないオリバトが作りたい。そういった理念の元、この作品をスタートさせたしだいであります。
そのような「特殊性」という意味で、最たる存在が「鵜飼守」でした。
しかし、反省点も多々ありました。まず、完璧すぎること。これがこんなに後々響いてくるとは思いもしませんでした。
設定上、あれですから、デビットや本条君、李君も設定が高くなりすぎ、現実離れしすぎてしまったという現象を巻き起こしてしまったという点です。
ですので、遠山君視点では一般的なプログラムを、鵜飼君視点では超常的なプログラムを、というふうに心がけました。
かと言って、鵜飼は原作・桐山のように絶対的なジェノサイダーではありません。その特殊能力ゆえに苦しんだ・・・という設定でもありました。
こんなの嫌いとか、普通の方がいい、という読者様もいらっしゃいますと思いますが、それはしかたないことだと思います。もう設定があれですから(汗)
普通のオリバトでもいいところはたくさんあり、その方が面白く仕上がったかもしれません。
でも、作品にも個性を持たせたかった、という結果ですので、ご容赦願いたいと思います。
あとは政治的なアクションも絡めたということです。
総統やら、『OMEGA』やら、『革命の月』『ハーフブラッディ』『ロイヤルガード』など、自分独自の設定が色々飛び出しました。これは次回作への伏線でもあるのですが、プログラムの意味について描こうということです。
さすがの政府も、食料問題でもない限り、子供を減らすという愚行を行わないという判断があると思います。また、不信感という点を煽る意味でプログラムを行うというのも、目的だと思います。
ですが、こういった「特殊な子供による本当の戦闘実験プログラム」もあるんじゃないかと言うことが言いたかったのです。
独裁者という人種の欲望は計り知れないと思います。そのような欲望の産物である、鵜飼・デビット・本条はこういった国の犠牲者ということも言いたかった。
長くなりましたが、一つの作品を仕上げたという点では、達成感があります。良作か愚作か、判断されるのは読者の皆様であると思います。ですが作者としては満足して、読者にこれを見ていただきたいと思います。
不愉快になるかもしれません。お目を汚すかもしれません。ですが、自分の思いが篭った作品ということは言えると思います。
最後になりましたが、呼んでくれた皆様方、最後までお付き合いただきありがとうございました。
あまり期待されていないと思いますが、続編っぽいのも構想しておりますので、機会があれば公開していきたいと思います。
読んでいただいた皆さん、感想をくれた皆さん、応援していただいた皆さん、どうもありがとうございました。
2003年12月 コールマン