BATTLE
ROYALE
〜 死線の先の終末(DEAD END FINALE) 〜
76:エピローグ〜死線の先の終末〜
波の音が聞こえて、潮の香りが漂っている。もちろん、ここが海だということは疑いようが無い事実だ。
普通の中学生なら、夏休み真っ盛りで、友達や恋人、家族や親類と一緒に海水浴でも行っているというのが普通想像できる出来事だ。
だが、俺たちは海水浴をしに来たわけではない。そもそも、俺たちがいるところはビーチではないのだから。
ここは漁港。船がいくつも泊まっている場所である。
俺たちがこれからここで成すことは、船旅をするために、船に乗ること。
船旅・・・というと、どこかに旅行するのかと思うが、実際は違う。俺たちは二度とこの国に戻ってこれないかもしれない・・・、その可能性もある船旅。
違法行為の船旅、密航である。
いや、俺たち・・・、自分の隣にいる女の子と俺は、罪に問われるかどうか・・・
すでに俺たちはこの国では『死んだ人間』なのだから。生きていることが罪になるのなら罪といえるが、現に俺たちは生きてここに立っている。
『死んだ人間』と表現したのは、俺たちは戸籍上死んでいるということだ。
俺たちの死因は二人とも同様の扱いだろう。『1994年度21号プログラムで死亡』と・・・
俺・・・遠山 慶司と、彼女・・・黛 風花は、「プログラムは最後の一人になるまで殺しあう」という絶対的なルールの中、二人とも生き残った。
あの絶望的な状況の中、二人で生きて生還できるなんて、とても信じられなかった。
生き残りたかった人間はたくさんいたはずだ。その思いが、殺人という行為を駆り立てさせた。俺は、人が人を殺すというこの世で最低な手段をするくらいなら、死んでもいいと思っていた。
だが、生き残ったのは、殺しても生き残りたかった者ではなく、殺すくらいなら死んでもいいと思っていた俺だった。
生き残りたくなかったわけではない。人の命を奪ってまで生きたくないと思っただけだ。
だが、死神は気まぐれだったらしい。
何の因果か、俺たちは生き残ってしまった。プログラムに不誠実な者が生き残ってしまった。
そう思うと心は晴れない。死が迫りながら『黛さんを守ってくれ』と言った健吾も、俺を何度も助けてくれて最後まで闘った本条も含めて、俺たちのクラスメイトは死んでしまった。
これは、俺たちに生きろというメッセージなのか、それとも偶然なのか・・・
それはわからない。けれど、俺は一生忘れることなどできないだろう。あの3日間を。
「遠山・・・君?」
黙って俯いている俺の顔を覗き込みながら、黛さんが話しかけてくる。
「え・・・」
「どうしたの? そんな暗い顔をして・・・」
黛さんは俺を心配してくれているようだ。
黛さんだって苦しんでいないはずはない。あれほどの地獄を味わったのだから。
それなのに、他人を気遣うことができるなんて・・・、俺もしっかりしなきゃな。
「あ、ああ。何でもないよ、大丈夫」
そう言いながら自分自身に気合を入れる。
こんな情けない顔をしていたんじゃ、今まで俺を助けてくれたあいつらに笑われちゃうぜ。
そうだろ・・・、みんな。
「うん、それならいいんだけど・・・・・ あ、来た!」
誰か見つけたのか、黛さんは喜んだ顔を浮かべて、大きく手を降り始めた。俺もその方向を見つめてみる。
俺の視線の先には、プログラムが終わってから、今までお世話になった三村さんと・・・、あと一人。俺たちを助けた「気まぐれな死神」がいた。
あの時、死神さんがこのような行動に出るなんて夢にも思わなかっただろうな。拳銃を構えて、死神を撃とうとしていたあの時には・・・・・
「鵜飼ぃぃぃぃいいい!」
その咆哮を上げながら、俺はコルトトルーパーの引き金に力を込めていた。
目の前の光景はというと、黛さんの命を奪おうと逆上した鵜飼が刀を振り下ろそうとしている。
俺はその時思った。一瞬だったが、長い思考だった。
俺は黛さんを守るために人を殺すのか?
もう人は殺さないと誓ったんじゃないのか?
でも殺さなければ黛さんは殺される。
そうだ、約束を守るために、本条の仇をとるために。
殺せ。殺せ。殺せ!
そんな時、黛さんの言った言葉がふいに甦ってきた。
俺の中でも印象に残る言葉だったから、その言葉は俺の心にも響いていたのだ。
「あなたも苦しんでいる」
パァン!!
コルトトルーパーの銃弾はわずか一瞬で放たれ、そしてある一箇所に被弾する。
キィンという音と共に何かが弾かれる音が聞こえた。
慶司も狙ったわけではなかった。迷いと決意がその結果を生み出した偶然だった。
体に当てる、体に当てない、相容れない思いが慶司の狙いを外していた。
だがその外れた場所は奇跡的にも、鵜飼の振り上げた刀の刀身だったのだ。それはもう可能性としては低い方だった。
だが、当たったことにより、両肩に傷を負っている鵜飼は刀を弾かれ、そしてそのまま落としてしまう。
鵜飼は驚愕の表情を浮かべている。
それはそうだろう。刀身に当てるなんて芸当は中々できるようなことではない。いや、それ以前にやる必要もない。体や頭に当てれば終わりなのだ。
だが、鵜飼が驚いたのは別なことだった。それは慶司たちが知るよしもなかった。
だが一言、こういったのを聞き取れることができた。
「わかったよ・・・、謙信」
そう言って、そのまま武器を持たずに風花に近づく。この時、慶司は鵜飼がまだやる気だと思っていた。
「やめろ、鵜飼! それ以上黛さんに近づくな!」
そう言って拳銃を構える。だが鵜飼はその銃口を恐れることもなく風花に近づく。
そして首元に手をそっと近づける。
「やめ・・・」
「待って、遠山君!」
風花は間近に鵜飼の顔を見ることができたので、その明らかな変化に気づいていた。
さきほどの鋼鉄のような表情ではなく、どこか晴れ渡っていてすっきりとしている表情に変わっていたからだ。
そして、風花は目を瞑って鵜飼に委ねてみる。
すると、何か首輪を押す音が数回聞こえる。そして、何か機械がダウンするような音が聞こえてきた。その後、後ろの方を何か触るような感じがした。それも数分で終わった。
「もういいぞ」
そう言って鵜飼が自分から離れていく声が聞こえた。
その声を聞いて、そっと目を開けてみる。すると・・・、鵜飼は何か首輪のような物体を持っている。首輪といっても、解除したような形で輪になっていない状態であった。
試しに自分の首を触ってみると、なんと首輪がないのである。自分の行動を縛ってきた首輪が・・・
そしてようやく、鵜飼が持っている首輪が風花の首に今まで巻きついていた首輪だということを認識した。
「え・・・・?」
何がなんだかわからない状態だった。風花は呆然としていて、慶司は驚いた表情を浮かべている。
そして今度は慶司の方に近づいていって、首輪の解除処理に移っている。それもすぐに終わり、慶司の首輪もなんなく鵜飼によって取り外される。
「な・・・、一体どういう・・・」
わけがわからなかった。さきほどまでは殺そうとしていた鵜飼が、今度は自分たちを救おうとしている。その心変わりが信じられないのだった。
「説明は後だ。まずは傷口の止血からだ」
その後、鵜飼によって貫かれた右腕と右足の応急処置を行った慶司と、負傷部分の止血を行った鵜飼。
本条を殺した仇であるということは間違いなかったが、それ以前に急にこの男が助けてくれるという行動に惑っていたということもあるかもしれない。慶司と風花は素直に鵜飼に従っていた。
その後、鵜飼は冷静に言った。
「お前たちは住宅街に向かえ。すぐに私も行く」
訳がわからなかったが、今は素直に従うしかないと思った。素で戦っても勝ち目がないということもあったが、今の鵜飼はどうやら戦う気はなさそうだったからだ。
そして俺たちは一足早く診療所を出て、住宅街に向かった。
黛さんに肩を貸してもらいながら進むという行動だったが、もはや死の恐怖がないということで、疲労感はさほどなかった。
そんな診療所を出て数分も経たない時のことであった。ガガッという音がして放送が流れる。
「おめでとう! 出席番号3番、鵜飼 守君! 君が栄光の勝利者だ。今から禁止エリアを解除するから、スタートした廃校まで戻ってきたまえ!」
この放送を聞いて、二人は少なからず驚いた。
優勝が決定した、これはつまり二人は死んだことになっているのだ。それは二人がもう殺しあう必要のない立場になったということも証明していた。そして、鵜飼が二人を助けたという証明でもあった。
「どういうことだ・・・」
「わからない・・・」
その瞬間、自分たちの後方から数度の爆発音が響き渡る。そしてその後、大きな爆発音がこちらまで聞こえてきた。
後ろを振り返ってみると、すでに黒煙が上がり、火災になっていることがわかる。
「あっちは診療所・・・」
「まさか、鵜飼君が?」
さすがに不安になる二人。鵜飼の安否も気にかかったが、この山火事に巻き込まれる前に避難するのが先決だろうし、何より鵜飼に住宅街に向かうように言われている。
「とりあえず、行こう」
「うん・・・・」
結局、二人は鵜飼の言う通り、住宅街に行くことを決めた。
その後、橋を渡ったところで鵜飼と合流することになった。
「鵜飼君!」
黛さんはほっとしたような表情を浮かべる。だが俺は一つだけ気になることがあった。
「鵜飼・・・、本条はどうしたんだよ?」
そうなのだ、本条はあの診療所で眠っていた。だとすると・・・
「・・・・そのままだ」
やはりというか、当たり前の答えが帰ってきた。だが慶司には許せなかった。
「何でだよ! せめて・・・、せめて埋めてやるくらい・・・」
その言葉に鵜飼はすぐに反応する。
「政府は事後処理のために死体を確実に捜す。土に埋めると、後々不自然さが目立つ。それに・・・」
鵜飼は言葉を繋げるように、あまり表情を変えずに言う。
「本条は孤児院出身者だ」
二人は昨夜、話を聞いていたのでその事実を知っていた。
「通例、プログラム脱落者に親類がいない場合、政府が死体廃棄することになっている」
「廃棄・・・・」
よもや人間に扱われる言葉ではない。それではまるでゴミでも処理するかのようではないだろうか。
慶司は怒りに震える。それは肩を抱えている風花も感じ取っていた。
「それならせめて火葬してやろうと思っただけさ・・・」
慶司は鵜飼のらしくない言葉に顔を上げる。この死神には死者を慈しむ心なんてないと思っていないのに。
「この炎では、骨まで灰になるだろう。・・・・・もう行くぞ」
そうやって炎に包まれた山を一瞥して、鵜飼はその場を後にしようとする。慶司も風花もその山を見て、鵜飼の後に続いていった。
本条・・・、俺はお前のことを忘れないよ。俺を助けてくれたお前を、俺にいろんなことを教えてくれたお前を、俺はお前の存在がいたということをこれからずっと覚えていくよ。
だから・・・、ゆっくり眠ってくれ。
慶司は「炎の墓標」に向かって、そう黙祷していた・・・
慶司と風花が鵜飼について行って向かった先、それは慶司にとって見覚えのある場所であった。
「ここは・・・」
住宅街で「波山」という表札がある家、それは慶司が龍彦と訪れた場所でもあった。
鵜飼は黙ったまま、その家に入っていった。
俺も黛さんも、鵜飼に疑問を投げかけることもなく、後に続いた。
なぜ、鵜飼がこの家に用があるのか。本条が入ったこの家に一体何の目的があるのか。
しかし、それはすぐに知ることができた。
鵜飼はどこで知ったかしらないこの家のカラクリ・・・、普通なら見逃してしまうだろう、階段のところのどんでん返しを難なく気づき、その奥へと入っていった。
その奥は地下だったのだが、とても一般家庭にある代物じゃない。
そして、そのうち一つの扉が姿を現す。その扉を鵜飼は慎重に開ける。
そこには、一人の男がいた。その人はずいぶんと疲れたような顔をしていて、机に肘をつけて手を額にやっている姿勢で、椅子に座っている状態だった。
「誰だね・・・?」
何か悟りきった声でその男は語りかける。
「『刃狼』と・・・言えばわかるか? 三村 真樹雄」
その言葉に三村と呼ばれた男性はピクリと反応したようだ。だが、何か諦めきったような表情で鵜飼に視線をやっていた。
「そうか、君のような少年が・・・・」
そして、紳士のような顔つきでこちらの方向に体を向けた。
「すべて筒抜けだったんだね。政府に」
その問いに鵜飼は表情を変えずに答える。
「すべて、というのは的確ではない。一部だ。お前たちの襲撃計画だけだ」
「・・・・ということは、『ユダ』は波山かね?」
『波山』その名前は慶司たちが見たこの家の主人のことだ。そのことを二人は瞬時に悟った。
「彼はこの家を計画のために提供してくれた人物だ。そして計画成功時には『革命の月』に入ることが決まっていた。組織の詳細を知らずに計画を知るもの・・・、と言えば彼しかいない」
「ご明察」
だがそんな鋭い読みをした三村の表情は思わしくない。
「いや、愚かだよ。これほどの計画を練っておきながら、誰一人救えなかったのだから」
その言葉は悲しみとも、悔しさも混じった感情を含んでいた。
「もはや覚悟はできている。子供たちや、本条君を救うこともできず、逆に政府に手玉に取られるようでは、私もこれまでのようだ」
そう言った三村の言葉に本条が出てきたことに俺は反応した。
「あの・・・、本条を知っているのですか?」
鵜飼の物陰からひょいっと顔を出すように三村に問いかける。その声に三村は、驚きとも取れる表情を浮かべて、急に椅子から立ち上がる。
「わっ!」
「その子たちは・・・・」
「え、え、え?」
黛さんも三村と呼ばれた男性の咄嗟の行動に驚いているようだ。だが、一番驚きを隠せないのは目の前の三村だろう。
「・・・・・どういうことだ、『刃狼』? その子たちを生かすだけで国家反逆罪だぞ」
「・・・・反政府組織同盟『革命の月』幹部・三村 真樹雄」
鵜飼は高らかに声を張り上げる。
「あなたと取引がしたい」
それは唐突な願いだった。俺も黛さんも、目の前の三村さんもその言葉に戸惑っているようだ。
「取引・・・?」
「私は今からロイヤルガードに戻る。そこで、総統とロイヤルガード全員を暗殺する」
鵜飼の口から出てきた驚愕の言葉。そこにいる全員は驚く他なかった。この国の最高権力者・総統と、その側近の最精鋭部隊を鵜飼は暗殺しようというのだ。
「・・・・できるのかね?」
「可能だ。ロイヤルガードは少数。現在の総統は、居場所はおろか、その存在すら定かではない状態だ。そして万全の警備体制も総統を安心させている。その二つが総統を油断させるであろう隙だ。内部反乱はほぼ、ありえないと判断しているのも大きい」
鵜飼はこの暗殺を100%成功させる気だ。しかも、自分も生き残る気もあるという話だ。
恐ろしさを感じる反面、鵜飼に対して疑問も感じていた。鵜飼はこれが取引だと言った。つまり、その暗殺の見返りが欲しいといっているのも事実だ。
「それで・・・、君の要求は?」
それは慶司と同様の疑問であった。反政府組織という点で、総統と防衛軍の精鋭の暗殺は確かに計り知れない意味を持つだろう。だが・・・、鵜飼の望みが気になるところだった。
「そんなに難しいことじゃない。私と、ここにいる二人の、国外亡命の斡旋をしてもらいたい」
「な!」
「え・・・」
俺と風花は唖然としている。国外に亡命する・・・・、それはつまりこの国を出るということ。そして下手をすると一生この大東亜には戻ってこれない可能性も秘めていた。
「どの道、国外脱出しなければならない。私は政府に追われない準備をするつもりだが、さすがにこの国では暮らしてはいけない。それに二人は大東亜ではすでに死んだ人間だ。その二人が大東亜に存在してはおかしいだろう?」
鵜飼に言われて、あらためて思い知らされた。俺たちは生きているが、この国ではもう死んでいるということを。
「・・・・」
「三村さん、そんなに悪い取引じゃないはずだ。あなたの組織が外国と繋がっているのは知っていることだ」
鵜飼の何気ない発言は、慶司たちをまた一段と驚かせることになった。三村は肯定とも否定とも取れる態度を示している。
「組織運営で必要なのは金だ。資金調達がうまくいかなければどんな組織も崩壊する。そして大東亜共和国において、資産家と呼ばれる金を持っている連中にとって、この大東亜共和国というシステムは自分たちを守ってくれる盾だ。その連中があなたたちに協力するはずもない。ならばあなたたちがどこから資金を調達しているか・・・ 大東亜共和国の崩壊を狙っている敵国・・・、さしずめ米帝と言ったところか」
政治的な話をしている鵜飼。それを黙って聞いている三村。
二人の表情はあまり変化することもなかったが、三村は内心冷や汗をかいていた。鵜飼の言うことに偽りがなかったからだ。
「米帝にとって、この国の技術、特にエネルギー関連の技術は喉から手が出るほど欲しいだろう。そこで民主主義を掲げる反政府組織に協力して、資金援助、武器商売をしている・・・といったところですか。まぁそれに私はどうこう言う立場ではないから、目的だけ言う。そのコネクションで私たちの国外脱出と国外での生活保障をして欲しい」
鵜飼は用件を言い終わる。そして三村も何かを考えるように黙り込んでしまう。慶司も風花も喋ることはできなかった。
少しの静寂・・・、それを破ったのは三村だった。
「信用できるのかね・・・、君を」
そうなのだ。鵜飼の言うことに信憑性はない。そもそも、そのような行為に走って命を失いかねない状態なのだ。わざとこちらを安心させる罠かもしれない。
「・・・・なら、この二人を預かって欲しい」
その言葉に慶司と風花は鵜飼の顔を見てしまう。
「もし、失敗したり、私が裏切るような真似をしたりすれば・・・、この二人だけでも海外に脱出させてほしい。それはあなたたちの願いでもあるのだろう?」
「どうしてだよ、鵜飼?」
慶司はついに我慢ができずに、鵜飼に問いかけてしまう。
「何で・・・、そんなに俺たちを・・・、急に生かそうとするんだ? ついさっきまでは殺そうとしていたのに」
鵜飼は、躊躇しながらも、少し考え込んだような顔つきで、こう言った。
「私は、ただ気づいただけだ。自分が本当にやるべきことに」
そして慶司の肩にポンッと手を置く。
「お前たちがやるべきは、幸せに生きることだ」
『生きる』これがどれほど当たり前で、どれほど重たいものだろうか。慶司はこの3日間でそれを感じてきた。そして、ここでもそれを改めて感じさせる一因となった。
「それで、返答は?」
鵜飼は三村の方に振り返って、答えを聞いてくる。
「・・・・・わかった」
そしてスラスラと何か紙切れに筆を走らせる三村。書き終わった後、それを鵜飼に手渡す。
「終わった後、ここに来てくれ。1ヶ月返答がなかった場合は、失敗とみなさせてもらうよ」
「・・・・わかった。二人を頼む」
そしてその部屋から颯爽と出て行こうとする。だが風花が鵜飼の腕を掴む。
「待って、鵜飼君」
「黛・・・さん」
そして風花は自分らしい言葉を投げかける。
「気をつけて・・・ね」
「・・・・黛さん。私はこれから鵜飼 守という人間を殺してくる」
そして、鵜飼は心配そうな表情を浮かべる風花にこう言った。
「だから、もし無事に私が帰ってこれたら・・・・」
そんな少し前の時のようで、ずっと昔のような出来事のことを考えていると、あっという間に時間が過ぎ去ってしまったようだ。目の前には鵜飼と呼ばれていた男がいる。
今まで世話をしてきてくれた三村さんがいる。
あれからいつも傍らにいた黛さんもいる。
鵜飼がここにいるということは、約束を果たしてきたということだ。それはつまり、さらに自分の手を血に染めてきたということだ。死神と呼ぶにふさわしい男がそこにはいる。
だが、それなのに恐怖を感じないのは、その男の顔が無表情というわけではないからだろう。
「おかえり、お兄ちゃん!」
「おにい・・・、えっとだな・・・」
「あら、変かしら。でもお兄さん、よりかはいいと思うんだけど・・・」
こんなに対応に困っている鵜飼を見ているのが、一番の原因だろう。こんな態度を取っていると自分たちとあまり年が違わないことをあらためて感じさせられる。
「でも、もう今から『黛 守』になったんだから、お兄ちゃん、でいいよね? 守お義兄ちゃん♪」
「あ・・・・」
屈託のない笑みを浮かべる風花。それに気おされるような表情を浮かべる守。
その相反する二人の表情を内心、苦笑しながら見つめている慶司。
そしてあたらめて、黛さんはすごいと思った。
鵜飼が何人も殺しているのは周知の事実だった。最後の『声』が聞こえてきた時、本条や他の奴の声、つまり死者の声が聞こえてきた。
そしてその中には美津さんたち、つまり黛さんの親友たちの声があったのだ。これは、美津さんたちのグループが鵜飼に殺された可能性も否定できないことを意味していた。
この疑問を俺は黛さんにも言った。でも、黛さんは頭を振って言った。
「そうかもしれない。でもね・・・、クラスメイト同士、私たちが憎みあったって、亜希子たちは喜ばないと思うの。だから、私は笑ってあげるの。精一杯、みんなに笑いかけてあげたいって思うの」
その時、慶司も気づいた。憎しみの連鎖は悲しみしか生まない。
本条も復讐のために死んでいった。武士も美津さんの復讐に走っていたかもしれない。その武士も死んだ。
本条も武士も言うかもしれない。
『俺のようになるな』
そんな風に言いそうな気がすると。
そうそう、なぜ黛さんが『お兄ちゃん』と呼ぶかというと、俺たちと別れる前に、鵜飼は黛さんにお願いをしていたのだった。
『生きて帰れたら、謙信の姓である、黛を名乗ってもいいか?』
それが鵜飼の願いだった。黛さんはそれを了承した。
元々、自分の実の兄である黛のお兄さんが、義理の弟だと思っていた鵜飼だったから、黛さんがそれを断る理由などなかった。そしてそれが、黛さんのお兄さんの願いでもあると思っていたのが一番の要因だろう。
ボーーーーー!
汽笛が鳴る音が聞こえる。ついにこの国を離れる船が出発するという合図でもあった。
「そろそろだね」
見送りでもある三村が慶司たちに向かってそう言う。
「三村さん、本当に今までありがとうございました」
「お世話になりました、三村さん」
慶司と風花はそれぞれ、深く頭を下げる。三村はそんな二人ににこやかな表情を浮かべる。
「気にすることはない。当然のことをしたまでだ」
そして二人の肩に手を置く。
「君たちは幸せになる権利があるんだ。・・・・強く生きなさい」
それが三村の最後の励ましであった。これから異国で暮らしていくという環境で、三村が最後に言える一言であった。
次第に離れていく大東亜の大地を船でじっと見つめる二人。
守はというと、一人にしてくれということで一緒にはいない。おそらく、どこか船内にいるのだろう。
慶司と風花は、離れ行く祖国を感慨深く見つめていた。
もう二度と踏むことないかもしれない。そう思うと寂しく思えた。
あんなに怖ろしい目にあった国でも、自分たちが生まれ、育った国でもあるのだ。思い出もたくさんある。これから始まる異国での新しい生活も不安がないと言えば、嘘になるかもしれない。
でも・・・、その程度で弱気を吐くつもりなんてない。
そう思い、慶司は風花の手を握る。
「あ・・・・」
慶司の思わぬ行動に内心焦りながらも、風花はその手を握り返した。
俺は、生きる。
死んだ俺のクラスメイトや、友達の分まで、最後の瞬間までこの生を燃やし尽くしてやる。
それは、死んだ全員が思っていたことだろう。もう彼らはそれを感じることはできない。
だから俺が、俺たちが生き抜いてやろう。
そう、祖国の大地を見ながら慶司は強く、より強く願っていた。
「強く、生きような・・・・ みんなの分まで・・・」
慶司の思いは風花もわかっていた。それは、風花も思っていたことだったからだ。
みんなの思いを無駄にしたくない、それだけは絶対の想いだったから。
「うん・・・、そうだね」
風花は慶司に向かって、最高の笑顔を送った。
慶司も力強く笑いかけていた。
一方、守は慶司たちとは反対方向、つまり大東亜の大地が見えない、これから向かう海の方角の方向にいた。
風花が慶司を慕っていることは、察しているつもりなので、気を利かせたということもある。
だが、守は一人で海を眺めていたかった。大東亜の大地を見るとどうしても思い出してしまいそうだったからだ。
あの『鵜飼 守』だった日々を。
でもわかっていた。
どんなに否定しても、自分は『鵜飼 守』だったということを。
それはどんな月日が流れようと忘れることなどできるはずもない。
でも私は前に進む。勇気を持って前へ進む一歩を踏み出すんだ。
もし、謙信が私を見守ってくれるなら、きっとこういってくれるだろう。
「やっと、分かったみたいだな。ったく何年も待たせやがって」
確かに私は謙信のことに盲信しすぎたのかもしれないな。でも、もう大丈夫だよ。私は逃げない。守り通してみせるよ。
「ようやく・・・だな。まったく世話のかかる弟だったぜ」
もう謙信がいなくても、生きていける。
ようやく気がついたから、謙信が私の中にいることに。
そうやって首元からネックレスを取り外す。それは謙信が死んで以来、ずっと肌身離さず持っていた謙信のドックタグのネックレスであった。
それをしっかりと握り締め、船の外に差し出す。
「ありがとう、謙信。・・・・さようなら」
その瞬間、握った手の力を一気に解放する。ネックレスは守の手から零れ落ち、そのまま海へと消えていった。
守は非常に晴れやかだった。
ようやく、人間に戻れたような気がしたからもしれない。
ふいに空を見上げてみると、数匹の渡り鳥が空を飛んでいた。
人は自由であるからといって幸せではないのかもしれない。
でも、鳥もそうであるように、人は自由を求めるものなんだ。
私は・・・、人だ。だから自由に羽ばたきたい。
そうやって、自分を呼ぶ声が聞こえる。
その二人は手を握りながらも、自分も名前を呼んでいる。
守は微かではあったが、本当に数年ぶりの笑みを見せながら、答えていた。
私は大空を羽ばたく、人を一緒に!
FIN