BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜


18


 村上陶子は、朝食を採りに向かったリビングでそのニュースを聞いた。
 
 スーツ姿に身を固めた陶子は、オーブントースターから狐色に色付いたパンを取り、椅子へと腰掛けながら報道番組へと目を投じる。衝撃的な内容だった。
『先日、秋田県でまたもプログラム担当教諭の殺害事件が――』
 殺害された政府の人間の顔が、数名テレビ画面に映し出される。その中にはかつてのプログラムで陶子と龍二を手の平で躍らせた志摩唐葉と、その部下だった小関の顔があった。
 信じられない気分だった。命は狙われそうだが、とても殺されそうにない人物だったので。唐葉達もやはり人という事だったのか。
 陶子は唐葉が最期の瞬間、突撃銃を前に圧倒的な威圧感を見せた事を知る事はない。ともかくこれであのプログラムの顛末を知る人物は陶子だけなったわけだ。
「陶子、その……折角救われた命なんだから、皆の分まで大事にしてね」
 心配そうな面持ちで、母親が声を掛けてきた。陶子は牛乳でパンを流し込むと、はっきりと頷いて示す。この命は決して無駄には出来ない。言われるまでもなかった。
「じゃあ、行ってくるね」
 この日の為に購入した鞄を手に取り、陶子はリビングを飛び出していく。背中を見送る母親に一つ手を振り、玄関の扉を潜り抜けていった。

 陶子が選んだ進路は、唐葉と同じくプログラム担当教官関係の仕事だった。
 何としても、生涯を費やしてもこの国を変えたい。その気持ちは月日を重ねても衰える事はなく、結局陶子は専門学校を出た後に進路をそちらへと定めた。
 反政府という道もあったが、最近頭角を現してきた組織には野心に満ちた場所もあると聞き、また裏で政府と繋がっているらしいという噂も聞く。手探りで踏み込むには、危険極まりない道だった。
 一方の政府は、入るまでの道程は明確化されているし、門戸も比較的広い。まずは内部を知らねば、変える術を見出す事は叶わないだろう。
 務めるうち、まっとうな反政府組織――反政府組織自体がまっとうかどうか疑問だが――のスパイとも接触できるかもしれない。数々の思惑を胸に、陶子は政府の懐へと飛び込む決意を固めた。
 早一年、今回陶子に任命されたのはプログラム担当教官補佐という大任だった。あくまで実習の一環なのだが、またとない機会だった。
 今回は特に名高い教官の補佐をするという事で、初任務ながら大抜擢を受けたものだと驚く反面、一種のチャンスだと考えていた。

 教官との対面の時間が迫る。政府の施設内に存在する会議室の中で、陶子は熱された緑茶を啜りながらその時を待った。やがてドアが開き、廊下から幾分小柄な男性が入室してきた。
 色黒で細身な彼は、随分と華奢に感じられる。年齢は二十代半ばと聞いているが、童顔なのだろう、陶子と変わらぬ年齢に見えた。黒のスーツは肩パットがやや大きいようで、肩幅が無駄に出っ張っている。
 彼が素早い動きで椅子へと腰掛け、ファイルを机に置きながら口を開いてきた。
「初めまして、実習で補佐を務められる村上陶子さんですね。自分、今回の担当教官を務めさせて頂く綾小路です」
 彼――綾小路時貞の腰の低さには驚いた。こんな青年がプログラム教官などをこれまで幾度も務めてきたのか、疑問すら過ぎる。
「じきにお解かり頂けますよ。私が教官をする為に生まれたような人間である事は」
「え――」
 心を読まれたかのような時貞の発言に絶句する。時貞はしばし苦笑すると、身を乗り出して陶子の目を覗き始めた。唐突な彼の行動を前に、反応に窮してうろたえる。その姿を見た時貞が、また喉から笑い声を発した。
「いい瞳の輝きを宿してますね」
 ナンパの台詞にしては随分と素っ気無い響きを残し、時貞がファイルを広げ始めるる。そのペースに翻弄されながらも、陶子もまたそれを目で追い始めた。
   
 ファイルには、拉致の方法から見せしめ――プログラム前に、生徒をやる気に駆り立てる目的で弱い生徒を葬る事だ――に関する事まで事細かに書かれていた。
 そのファイルを読み進めるにつれ、殺人が合法化されたプログラムの異常さを改めて実感する事となった。同時にこの国の歪み具合とその方向も、おぼろげに見えた感じがする。興味津々でファイルに食い入る陶子の耳元で、三度時貞の笑い声が響いた。
「陶子さんは多分、この仕事に向いていると思いますよ」
「恐縮です」
 陶子は愛想笑いで応じ、紙を捲ると新たなページを眺め始めた。

 本来のプログラムは、かつてのそれ以上に凄惨なものだった。
 教壇脇に立つ陶子の足元には、兵士と生徒が一人ずつ血塗れで転がっていた。怒りを露にした生徒が、結果兵士を道連れにしてみせた直後の光景である。
『お前ら、ろくな死に方しねえぞ! 絶対させねえ、呪ってでもさせねえ!』
 つい数秒前、怒声を浴びせてきた生徒が今は嘘のように沈黙している。その口は死によって永遠に閉ざされたわけだが。
 初めて目にした死体を前に、教室に詰め込まれた四十人――一人欠けて三十九人か――の生徒は水を打ったような静寂を続けている。本来はパニック状態に陥ったりするそうだが、今回は兵士が一人屠られた事で何らかの変化が生じているのだろうか。
 これから、何人もの死に面していく事となるだろう。血塗られた道を生涯歩き続けねばならないかもしれない。背徳感に襲われながらも、その感情を瞳の中だけに留める。
 いつか国を変える為に、今は耐えねばならない。何人もの死を越え、願いを背負って陶子は今、ここに立っている。もう背を向ける事はできない。
 教壇に立つ時貞に顎で促され、陶子は生徒達へと顔を戻す。血の香りが漂い出した室内で、様々な表情が陶子を見詰めていた。

 ――今は茨の道を進む。けれど、いつかきっと。
 みんな、見守っててね。あたしがこれ以上道を外さないように。

「それでは、プログラムを開始します」
 自らの宣告と共に、新たなる戦いの火蓋がきって落とされた。
 陶子の瞳の輝きは、遥か遠くの未来を眺めている。
 そこにきっと、陶子達が願うゴールがあると信じて。





    前のページ  表紙