BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜


17


 月日は流れ、大東亜共和国は二十一世紀と呼ばれる新たな百年の幕を開けた。
 川田中学校プログラムの二年後、初のプログラム脱出者が現れた事で大東亜のプログラム史は激動の時代へと突入する事となった。
 反政府組織のプログラム乱入、有能な頭脳の生徒によって次々と生み出される巧妙な脱出策。苦肉の策として腕に覚えのある兵士などを特別参戦させる試みが可決され、実行されもしたが、本来の参戦生徒とは面識すらない者を加える事で、今や戦闘実験という名目は飾りとなりつつあった。 
 迷走するプログラムは、政府とその他の人々の戦いへとその姿を変貌させようとしている。また、極めて高い危険を伴うプログラム関連の仕事の中で、政府の内部崩壊も起こり始めていた。
 間もなく雪が消え去ろうという季節に、その事件は起こった。 

 黒いスーツに血が染み込み、じっとりと袖を濡らしていた。痛みに喘ぐ暇もなく、志摩唐葉はベージュ色の拳銃を通路の先へと構える。コルト ガバメント マリーネ、唐葉が十年来相棒として親しんでいる拳銃だ。
「畜生、蜂の巣にしてやるからね!」
 絶叫一番、長い黒髪を振り乱して唐葉は廊下の向こうへと発砲を試みた。
 先手は”相手側”だった。廊下の壁に着弾音が響き、唐葉の脇を銃弾が弾け飛んでいく。舌打ちをしながらマリーネの引き金を連続して引き絞った。銃口から炎が迸り、銃弾が廊下の床に小ぶりなクレーターを空けた。唐葉は即座に身を隠し、歯噛みする。
「ああ、貧乏くじを引いたもんだよ」
 軽い目眩を覚えながらも愚痴は絶やさない。左の肩口からはごわごわとした異物感が届き、唐葉のシャープな顔を一層キツイ表情へとさせる。射撃を行うには不都合極まりない。壁を盾にしたまま、膝を落として息を吐く。
 兵士の数人が突如唐葉へと牙を剥いたのは、今回のプログラムが中盤に差し掛かった頃だった。おそらくは裏で反政府組織と繋がっていたのだろう、窓の向こうには謎のヘリコプターが今正に着陸しようとけたたましいプロペラ音と共にその全貌を現していた。
「タヌキの親玉のお出ましかい。具材もまとめてタヌキ汁にしてやるよ」
 唐葉は狼狽しながらも、毒舌と威圧感を込めた表情は保ち続けていた。この地位まで上り詰めたのは、何にも屈さぬ強い意志があったからだ。これだけは折るわけにはいかない。
 次第にヘリコプターの操縦席と唐葉の立ち位置が同一線上に近付き、唐葉はそちらへとマリーネの銃口を向けた。一方、操縦席の扉も開かれ、助手席の男が何やら筒状の武器を担いでいるのが視界に入る。
 ――まずい。
「姐さん!」
 刹那、脇腹に強い衝撃を受けた唐葉は脇の部屋へと身を転がり込ませた。
 今回の本部は幼稚園で、部屋の中はロッカーにオルガンが存在し、更に壁にはクレヨン描きの絵が無数に貼られていた。緊張感が削がれそうな光景だが、身を起こした唐葉が目にしたのは、正に戦場を象徴するショッキングな場面だった。
 部屋の入り口、唐葉を突き飛ばした小関の体が見えた。瞬間、廊下を光と炎が満たし、彼の姿が続く轟音と爆風に呑まれて掻き消された。
 烈風を全身に浴び、唐葉は再び床を転がる。爆風が止んだ後、唐葉はゆっくりと立ち上がった。グレネードランチャー、そんな単語が過ぎった。

 ――何だいこりゃ、最近の反政府組織は戦争屋と変わらないじゃないかい?

 こもり始めた熱で額に汗が浮かび、乱暴に袖でそれを拭う。廊下には黒ずんだ煙が立ち昇り、部屋の入口付近の壁には真っ赤な血飛沫が塗付されていた。
 最悪の予感と共に、唐葉は彼の名前を呼んだ。
「小関!」
 当然、返事は返らなかった。わかってはいたが、声を張り上げずにはいられなかった。政府の役職に就いた当初からの関係で、今の今まで唐葉をサポートし続けてきた腹心が命を奪われたのだ。
 いかつい表情ながら、人の痛みを理解できる男だった。彼にとってプログラムの担当は過酷極まりないものだっただろう。それでも小関がこの仕事を勤め続けたのは、”姐さん”と呼び慕う唐葉に殉ずる覚悟だったからだ。
 唐葉に期待を寄せてくれていた。異性としての好意も多分抱いていたのだと思う。大東亜政府を変えてくれる、そして一生付き従っていこう。そんな小関がいたからこそ、唐葉は己に自信を持ってここまで駆け抜ける事ができたのだ。
 喪失感に浸る時間はない。煙を掻き分け、憎き兵士が部屋へと飛び込んできた。見間違うはずがない、定時放送を行う唐葉の背後から不意打ちを行い、肩に傷を残してくれた謀反の首謀者だ。
 はちきれんばかりにこめかみ上の血管を浮き上がらせ、鋭い視線で彼を射抜く。
「お前はどっちの味方だー!」
 凄まじい剣幕で怒号を発し、間髪入れずに兵士へとマリーネを乱射した。素早い身のこなしを見せる兵士を前に、銃弾は虚しく煙を突き破るだけだった。弾切れはすぐに訪れた。
 兵士が入れ替わりに突撃銃を構え、唐葉は悔しさと共に彼の瞳を睨み付ける。そこには懐かしい輝きがあった。流れ星のように黒目を斜めに走った光の筋、それはかつて村上陶子が唐葉に向けたものと被ってみえた。

 ――気味悪いねえ、魂乗っ取って復讐にでも来たのかい?
 ……あの子は今頃どこで何をしてるのかねえ……。

 場違いな感慨と共に言葉を失った唐葉は、兵士の射撃を一撃残らず直撃する羽目となった。スーツの布地が爆ぜ、抉られた腕の肉が嫌な音を立てて床へと飛散する。唐葉は早足で後退し、ロッカーにぶち当たるとぎこちない動きで床へと沈み込んでいった。
「癪だねぇ……折角ここまで辿り着いたっていうのに……」
 プログラムで落命した弟に対する思いから選んだこの道。当時全く異なる進路を選んでいた唐葉には、政府での日々は艱難辛苦の連続だった。
 その坂道を駆け上る為には、手段も、多少の犠牲もいとわなかった。小関同様に溺愛していた浦木晃一は、川田プログラムにて命を落とした。
 晃一は心臓に病を持つ妹の為、あえて危険ながら高級の汚れ仕事に携わった。時には厳しく当ったけれど、実のところ、弟同然に可愛がっていた。それは晃一も理解してくれていたようで、そこは救われた。
 その死を彼の妹に告げ、同時に唐葉は彼女の手術費を捻出した。彼を死地へと誘った罪滅ぼしというわけではない。単に、唐葉を慕ってくれた晃一への感謝の気持ちだった。特に使い道のない彼女の給料も、有意義に使用されたわけだ。 
 弟の為に教官になり、その中で弟同然だった部下を見殺しにした。
「因果だねぇ……」
 後悔に似た感情が胸に去来している。しかし掲げた思いに何一つ嘘はなかった。それが最期の瞬間まで唐葉に自我を保たせた。
 やり遂げる。最後の最後まで自分は、プログラム教官志摩唐葉であり続ける。
 上半身は既に馬鹿になっていたけれど、残る両足で懸命にその身を立ち上がらせた。執念の炎にその身を焦がす唐葉の姿に、眼前の兵士も戦慄の表情を浮かべている。
 どうにか直立するも、震えが絶えず唐葉のバランス感覚を乱す。血液が不足してきたのだろう。寒気から歯も激しく震えだした。真っ赤なルージュを施した唇の隙間から鮮血が漏れ、虎柄のスカーフに三色目の彩りを加えた。
「あたしの目が黒いうちは、好き勝手にさせたりしないよ……!」
 遂には意識が朦朧とし始める。背中で軽くロッカーを押し、その反動を利して唐葉は最後の力を振り絞った。前屈した体を突き出し、鬼の形相で兵士の喉笛へと血塗れの歯を剥き出しにして迫った。兵士は唐葉の迫力に呑まれ、微動だにできずにいる。
 その時、限界を迎えたパンプスの足が折れ、バランスを失った唐葉の体は前傾したままうつ伏せに倒れ込む。足元に生まれている自らの血溜まりに全身を打ち付け、ぱしゃぁという着水音を立てて唐葉は鼓動を止めた。
 正確にはその時既に彼女の魂は現世から離れ始めていたのだけれど、それでも唐葉はラスト一秒まで己の目的を果たそうとした。徒手の上に亡骸であるにもかかわらず、兵士はうつ伏せの唐葉を前にしばし震えを止める事ができなかった。

 こうして志摩唐葉もまた、大東亜の歴史の礎となった。
 血の気を失いつつある半開きの手は、掴み損ねた未来を求めるようにも見えた。





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