BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜


16

 一人の人物が覚醒した。周囲は薄暗く、しかし零れる光が目の前にあった。
 彼――上杉龍二は開け放たれた扉の向こう側、殺風景な廊下をじっと眺めた。迷彩服を着込んだガタイの良い兵士が、何やら言葉を発している。教室で自己紹介していた、顔に傷のある兵士だ。小関という名前だったろうか。
「ああ、わかったよ。面倒いねぇ」
 彼に対してうっとおしそうに対応している女性は、黒いスーツに身を包んだ女性だった。忘れるはずがない、泣き叫ぶ龍二を死地へと強制連行したプログラム教官、志摩唐葉だった。唐葉は今もトレードマークの羽毛付き扇で顔を扇いでいる。
 何か自分の処遇で揉めているのだろうか。唐葉が小関の頬を扇で叩くのが見えた。
 しかしそれよりも龍二は疑問に思う事があった。何故、自分は生きているのか。
 あの時、校舎の裏手に移動した龍二は死を覚悟していた。絶望に囚われたからではない。村上陶子のような意志を持った者ならば、きっとこのような悲しいゲームをどうにかしようとしてくれると思ったからだ。そう思わせる力が彼女の瞳には宿っていた。
 龍二にもその意志はあったけれど、陶子と会話をするうち、彼女を支える数多い人々の存在を知った。思想の偏った家で凝り固まった考えを飢え付けられ、殻に閉じこもった自分は、心より信頼できる相手など片手で足りる程度だ。
 しかし陶子には今なお心より尊敬する両親の存在があった。付き合って良かったと言い続けられる親友がいた。尊い愛を育んでいた恋人がいた。
 それらの幾つかはこのプログラムで失われたけれど、陶子ならば再び新たな仲間とそういった関係を築く事ができるだろう。
 陶子には生き残って欲しかった。昨晩あれほど殺さねばと誓った彼女だったが、今は痛いほどに彼女の生還を願う自分がいる。本当に痛い、何せ自分の命と引き換えなのだ。
 それでも決断が変わる事はなかった。残り時刻は一分をきり、急がねば陶子もまた命を断ちかねない。龍二は迷う事なく終着駅への道を駆け抜け、爆風に首を奪われた――と、思っていた。
 それが今、再び校舎へと戻っている。それは龍二の優勝を示しているに他ならない。死に損ねた、実感と共に言いようのない無念さが込み上げる。おそらくは陶子こそが無残な亡骸を校舎の前でさらしているのだろう。申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。
 結局自分は、初めて強い想いを抱いた人間にすら何もできなかった。

 龍二は握った拳に力を込めた――つもりだった。

 胸の前に出しているはずの拳。視界には、その手が見えない。
 疑問を浮かべた龍二の眼前、廊下で車輪を転がす音が響いてくる。

 物音の正体は担架に車輪を付けた、いわゆるストレッチャーと呼ばれる物だった。その両脇を唐葉と小関が固め、次第にこの部屋へと近付いてくる。小関の手によって電灯のスイッチが入れられ、部屋に黄ばんだ光が満たされた。
 ストレッチャー上には薄い毛布が掛けられ、盛り上がったその中に誰かがいる事がわかった。何と唐葉達は目の前の龍二を一切気に留める事なく、ストレッチャーの中の”村上陶子”を抱き起こした。
 驚愕せずにはいられない。龍二が優勝者ならば、陶子は爆死しているはずだ。呆然とする龍二の前で、陶子は身を震わせて涙を零し始めた。
「上杉君……」
 陶子の口からか細い声が漏れ、龍二は応じようとする。そこで龍二は遂に気付いた。視線を龍二より下へと向けた陶子の目線、その先を追うと、首を失った血塗れの亡骸が簡易ベッドを汚している。
 首はなくともその人物の正体がわからぬはずはない。何せこの世に生を受けて齢十五年、一日と欠かさず付き合い続けた自分の体なのだから。
 爆死した体から離れようとした魂は、陶子を案じ今一度だけ地へと舞い戻っていたのだ。やはり自分は、その生涯を決意の地で終えていたのだ。
「こいつを生かそうとしたのはいいけど、上杉もあんたを生かそうとしたってわけさ。つっ転んで足首折ってなきゃ、仲良くあの世行きだったねぇ」
 唐葉が畳んだままの扇子で龍二の亡骸を指し、陶子が両手を顔に被せた。それで陶子もまた、龍二に後を託し散ろうとしていたのだと知った。
 昨夜は一触即発状態だった二人が、最後は互いを助けようとしたわけである。奇妙な話だが、不思議と納得がいった。龍二はとにかく、そうしたかった。陶子も同じ気持ちで、校舎へと駆けたのだろう。一つの負傷が、生と死を分けた。
 静かな部屋の中で、彼女の啜り泣く声だけが響いている。龍二の死を悼むその姿が、魂となった龍二に改めて現実を直視させた。
 改めて寂しさを覚えたが、虚しさはなかった。陶子が生きていた事、それがただ嬉しかった。今後、陶子は新たな茨の道を歩く事もあるだろう。けれど見守り続ける。その背中にエールを送り続ける。多分、陶子の周囲で既に彼女を守っていた人達と共に。
 龍二は死してなお、満ち足りた心境だった。

 村上さん、涙を乗り越えて、今を乗り越えて、強くなって。 
 本当にありがとう。頑張れ、村上陶子さん。
 
 その心を残し、今度こそ龍二の魂はそのあるべき場所へと戻っていく。
 アクシデントで生徒のほとんどが早々に命を失い、未曾有の状況で行われた川田中学校プログラム。最後の犠牲者はこうして去り、村上陶子は唯一の生還者となった。
 今、陶子の胸には深い悲しみだけが満たされていた。
 涙枯れた時、彼女は新たな道へと踏み出し始めるだろう。
 掛け替えのないものを失い、それでも戦いは続いていくだろう。
 一つの誓いと数限りない願いを胸に、その想いが叶うまで。


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