BATTLE
ROYALE
〜 背徳の瞳 〜
15
タイムリミットの数十分前まで、陶子は龍二と共に山の頂上に留まっていた。
その際、龍二と軽く会話を交わした。育った環境による価値観の違いはその中でも感じ取る事ができたが、やはり根っ子は変わらないのだと実感もした。
プログラムしかり、重圧の中で人は追い詰められ、変わってしまうものだと思った。龍二もまた、世間的には恵まれている解釈される家柄の中で、様々な葛藤を抱えていたのだ。
事ある事に父が振り翳さす”正義”の二文字。口にすればするほど安いものとなり、その中で龍二は矛盾も覚えていたけれど、そこを追求する余裕すらなかった。
何故正義の名の下に、母が暴力を振るわれねばならないのか。何故自分が口にした夢を頭ごなしに否定されねばならないのか。
いつしか龍二は心を封じ込められていたのだろう。やがて父に従順なクローンが生まれた。自らをもって本質を見極めようとする力を奪われた、政府の思想に忠実に従う一人のロボット。龍二にはその自覚すらあるはずがなかった。
息苦しかったに違いない。それでも慣れが彼を今の今まで持ち堪えさせていたのだろう。選択肢がないとは、そうせざるを得ないという事だ。
龍二は今、自分の意志で拳を下ろして陶子と共にいる。
決して分かり合えない、昨夜ここで対峙した際は強くそう思った事を思い出した。今も分かり合えたとは思えないが、距離は縮まった気がする。
そんな陶子達もまた、間もなく離別する事となるのだけれど。
陶子は龍二から視線を外すと腕時計の時刻を確認する。時刻は正午十分前、動くべき時はきた。
静かに立ち上がると尻に付着した土を払い、続いて立った龍二へと声を掛けた。
「それじゃあね、上杉君」
「あ……うん」
龍二は戸惑いがちに頷き、これもまた戸惑いながら右手を差し出してきた。陶子は数秒の後に意味を解し、その手を握り返す。
どのような感情を抱いて龍二がそれを求めたのかはわからない。ただ、同じ境遇に置かれた事によるシンパシーという事だけならば、陶子は握り返しはしないはずだった。何か彼なりの、深い意志を汲み取った結果の握手だった。
「さようなら」
声と共にその手を解き、龍二の温もりとの一期一会から別れを告げる。彼は名残惜しそうに取り残された右手の平を眺めていたが、やがてその手を戻し、返答してきた。
「ありがとう」
そう言うと龍二は身を翻し、斜面を駆け下りていく。彼の言葉には色んな意味が集束されていたのだろう。一緒にいてくれたという事もあれば、殺意一色に染まり襲ってきた彼を許した件もあったかもしれない。晃一との戦いで援護したのも含まれるのだろうか。
感謝の言葉など必要ない、あまり意味がないと思ってはいたが。
「……ありがとう」
木々が成す陰の中へと消えつつある龍二の背に、陶子もまたそう呟いた。
ラスト十分は、互いに別の場所で終える事に決めた。
その間、互いがどういった行動をとるかはわからない。ただ、お互いの最終的な判断に従う。そういう事だ。
二人が陣取るのは、最初に禁止エリア指定された学校のすぐそばだ。陶子は正面、龍二は真裏へと行く事にしていた。ここでそれぞれの運命は決まる。
時間まで二人して留まれば両者爆死、片方が禁止エリアに踏み込み命を断てば、その場で残されたほうの優勝が決定する。
家に帰れるのは、多くても一人。片方は会場、更には現世から退場する。
陶子は既に決断を終えていた。
悔しいけれど、いや、悔しいからこそ自分はここで果てると。
自分が戻っても普通の生活にしか戻れないかもしれない。けれど龍二には恵まれた家庭環境がある。彼ならば、国を変える立場に上り詰められる。そして大東亜共和国の歪みを、少しでも修正できるかもしれない。
裏山で交戦したきりだったならば、到底彼を認められなかっただろう。けれど今の龍二にはその期待を抱かせる値するだけの強い自我が見えた。方向性は多少違うかもしれない、けれど大東亜に対する思いは今や陶子達と同じ側に傾き始めている。
賭けてみるだけの価値はあると思った。母親には申し訳が立たないけれど、この国を何とかしようと思った人が、できる人にそれを託す事は許して欲しい。その言葉は伝えられないけれど、願わずにはいられなかった。
そして龍二の今後を願った。意志を背負ってもらわなくてもいい。今自分が抱いている信念を、いつまでも曲げず貫き抜いて欲しい。
その思いが両手を胸の前で組ませる。しばし陶子は、心静かに祈った。神なんて信じてはいない、けれど魂があるならば、この思いよ、圭吾達にも届け。
陶子は斜面を下りきり、禁止エリアのラインを数メートル前に臨んだ。最終コーナーを回り、人生のゴールラインへと一直線するその道、幻聴で歓声が聞こえてきそうだ。
やはりここまでくると躊躇いはあった。忘れていた恐怖心も湧き上がり、じっくりと陶子の背を撫ぜる。それでも陶子は見据えた目を校舎から離さない。その中を透かすように、あぐらをかいているであろう政府の連中を睨み付けるように、ただ、じっと視線を定めた。
深呼吸を一つ、深く行う。同時に腕時計の時刻が残り一分を回った。
陶子は身を前傾させ、強く地面を蹴り付けた。体が引かれ、風を受けて前方へと走りだした。待ったなし、生涯ラストランのスタートだ。
風を切る音がかつてない大音量で鼓膜を揺るがす。煙草を咥えて笑う父親の姿が浮かんだ。激しく昂る鼓動の中、親友浅倉胡桃の勝ち気な表情とその手が作るブイサインが見えた。迫りくる校舎の向こう、優しげな中谷圭吾が陶子へと諸手を伸ばしていた。
走馬灯。陶子は応じて両手を前へと突き出す。途端、その体が中空へと放たれ――
どもった爆音が響き、それがプログラムの終了を告げた。
亡骸の首元から立ち昇る煙は、昇華された魂のように空へと昇っていく。
願いを乗せ、遠く、久遠の彼方へと。