BATTLE
ROYALE
〜 背徳の瞳 〜
14
死地へと背中を押したのは他でもない、足元で横たわる彼を含む専守防衛軍兵士で。ましてや面識もないこの男の死に対して涙する事の、何と滑稽な事か。
それでも、陶子は衝動が促すままに泣き続ける。初めて直視した、それは――人の死だった。専守防衛軍兵士、浦木晃一のなれの果てだった。
自宅からの出発当時、毅然と参戦を承諾した陶子の心の内は実はとても脆弱で、それを察し優しい声を掛けてくれた彼を前に、不覚にも涙した事を思い出す。
彼の言葉には何の裏も感じ取れなかった。心底陶子を気遣ってくれていたのだろう。砕けた白い破片を手に取る。彼は何故こんな仮面をつけて自分達の命を狙ったのか、悲哀感の中に疑問が募り始める。
驚愕に目を見開いたまま硬直した晃一の顔は、自らの意思で変化する事はもうない。こちらもまた仮面のようだった。彼の真実はどこにあるのだろう。
――どうしようもない理由があったのかもしれない。
思った。村上龍二が斧を手に陶子へと襲い掛かったように、そして陶子が今さっき、晃一を仕留めようとBERSA サンダー9の引き金を絞ったように、晃一もまた察しきれぬ深い理由を抱えているのかもしれなかったのだと。
その理由が彼の口から語られる事は、二度と訪れないのだけれど。
静寂の中で、冷たく固い音が木霊した。首を脇へ向けると、眉間にシワを寄せた龍二がこちらを見詰めている。その目には狂気とは違う、けれど鮮烈な輝きが見え、手にしたサンダー9の銃口は陶子の胸部付近へとポイントされていた。
半ば脱力していた陶子は、しばしその様をじっと見詰め返していた。昨夜の鬼の形相とは違う、死に怯える非力な中学生の顔がそこにあった。定めきれない銃口が、ぶるぶると上下に震動している。
やがて陶子の心は、龍二のほうへと向き始める。銃口を突きつけられているにも関わらず、それは極めて緩慢な移行だった。
陶子は徒手で、龍二は拳銃を所持している。先刻とは逆の立場だ。圧倒的アドバンテージを前に、拘束された時の屈辱が彼の怒りを駆り立てたのだろうか。否、即座に否定する。彼の瞳に宿る光が、それを否定していた。
生きたい。それは自己保身だけれど、案外それこそが生きる上で最も優先すべき事なのかもしれないと思った。陶子は陶子の意思で自分を守る力がある。その意思が及ばず果てたのならば、納得はできまいか。
彼はこの境遇に置かれ、クラスメイトを殺してもなお、未来へと目を向けようとしているのだ。昨夜のような拒絶感はなかった。その理由は、多分――
陶子は胸の前で合わせていた両手をゆっくりと下ろす。続いて龍二へと正対した。龍二の目が一度他所へと泳いだが、すぐに戻る。
銃の中心を貫く黒い穴を眺め続けるうち、次第と恐怖感が湧き上がってきた。いつあそこから赤い炎が噴き出し、鉛玉が陶子の臓器を破壊して死に至らしめるのか。その瞬間を待つのは、さすがに穏やかはない心境になる。
「……早く」
高鳴る動悸の合間を縫って、短くそう発した。龍二の体が奮え、浮きかけていた指が再びトリガーを捉えるのが見えた。途端、彼の双眸が強く瞑られる。
「目は閉じないでよ」
その彼の仕草には抵抗があった。いい加減な気持ちで命を奪われる事は躊躇われた。せめて彼の確固たる意志を見届けながら、あの瞳の光に目を奪われながら最期を迎えたかった。
陶子の崩れ落ちる様すら直視できぬまま終えても、きっと彼は何も変わらない。自分の存在を彼の記憶に留めて欲しかった。それは陶子なりの些細な現世への未練だったのかもしれない。
また、それが彼に強く生きる意志を今後も残す事になると思った。罪悪感は残るだろうけれど、それを超越した強い信念がきっと芽生える。彼の目を眺めるうちに、それは確信に近いものへと変わった。
どれだけの時間が流れたのだろう、着弾への恐怖に抗いながらじっとその時を待ち続ける。龍二の引き金に添えられた指が、遂に――
――ゆっくりと、引き金から離された。
呆然とする陶子を前に龍二の膝が折れ、続いてサンダー9が銀色の残光と共に血濡れの地面へと零れ落ちた。
志摩唐葉教官の臨時放送が始まったのは、その数分後の事だった。
『癪だねぇ……。まあ、よくやったよ。もう尻を叩いたりはしないよ。やるだけ無駄だとわかったからねぇ』
追加参加者の打ち切りを聞き、陶子は妙な安堵感を覚えた。数分前に死を覚悟していたというのに、いざ救われた時には人とは現金なものだ。そう思った。
『その代わりと言っちゃあなんだが、ルールを変更させてもらうよ。もう殺し合いそうにもないし、長々と続けるのも時間がもったいないからねぇ』
その次の言葉には想像がついた。それ以外にないはずだ。
『プログラムの終了は正午、約四時間後に前倒しさせてもらうよ。それまでに決着つけないと揃って生首さらす事になるからね、覚えときな!』
捨て台詞宜しく唐葉が吐き捨て、おそらくはプログラム内最後となるであろう放送は終わった。あと四時間。腕時計の針が二百四十回転もすれば、白黒がつくのだ。
陶子は腕時計が一周する様を何となしに眺めた。長いようで、短いようで、ともかくそれが命のタイムリミットとなる。
陶子も龍二も、変わらず庭に留まっている。二人しかこの場にいない以上、他を警戒する必要はない。龍二の足元に沈んでいる元相方の姿を眺め、思案の後にそれを拾い上げる。
遅れて龍二が陶子を見上げ、複雑な表情を浮かべた。けれどそれもまた、陶子に対する怯えとは違うように感じた。実際、陶子も発砲目的でサンダー9を手にしたわけではなく、自分が最後までこれを懐に納めていたいと思ったからだ。拳銃に愛着でも湧いたのか、そう思うと自分の思考が可笑しく思えた。
残り四時間、どうするべきか。ふと思い付いた事があり、龍二へと口を開いた。
「正午の……三十分前くらいにあの山小屋で合流しよう。あたし、それまでちょっとやりたい事あるから」
それだけ言い残すと、陶子は龍二を置いて駆け出した。家の門を潜り、目の前の橋を渡る。残り三十分、その時間で再び龍二は狂気へと身を染めないか。その考えは即座に掻き消された。
彼は自身の全てを注ぎ込んで、先ほど陶子へと銃口を向けた。それで殺せなかったのだ。彼にはもう人を殺める力はないように感じた。喜ぶべきか、複雑なところだったが。
自分はどうだろうか。正午を前にしてただ死を待つ事となるのか。わからない。全ての答えは、そう遠くない場所で待っている。
辿り着いた場所は、龍二と揉み合いを繰り広げた裏山の頂上だった。あの時はゆっくりと景色を眺める余裕などなかった。背中合わせの死の恐怖に震えるだけだった。
抜け殻となった陶子のディパックが、昨夜の場所にへたり込んでいるのが見えた。あの時は回収する暇もなかった。壮絶な命の”守り合い”だった。
木々の開けた場所へと足を進め、島の向こうに広がる水平線と、その先の陸地を眺めた。白い泡を立てて波打つ海面は、太陽の光を受けて息衝いているようだ。なだらかに広がる大地は、懐かしい土壌の色を陶子の遥か向こうで展開している。
この島の大地と本州のそれは微妙に色合いが異なるように見えた。陶子達が慣れ親しんだ大東亜本土は今かくも遠くにある。もう母なる地を踏み締め、その色を拝む日は訪れないのかもしれない。
陶子は息を吐くと腰を下ろした。様々な記憶と感慨が、陶子の中で甦る。
箱入り娘としてやや過保護な環境下に置かれながらも、両親の大きな愛に包まれていた幼少期。肺ガンで他界した父は、成長期の陶子を気遣いベランダで煙草を吸っていた。冬場、陶子は母親に訊いた。お父さんは寒くないのか、と。
『お父さんは強いから、寒いのなんかに負けないわよ』
その通り、父は強かったのだ。それは陶子や母親がいたから。温かい家庭の中で、彼女達を守る義務を有していたから。今ならそれが、言われずともわかった。
父親の他界により、母親はイラストレーターの夢を捨てた。それでも幸せはそこにあり続けた。水商売という夢とは正反対の職業の中でも、彼女は生き甲斐を見出した。陶子の為、続けねばならなかったから。むしろ客とメールなどでコミュニケーションをとる姿は、以前よりも若々しく見えた気がする。
親友の浅倉胡桃とは、腐れ縁だった。胡桃は派手な装飾を好むタイプで、陶子は地味なビジュアルを固持していた。興味深そうに関係の始まりを訊かれる事も少なくかった。その時、二人は常に申し訳なさげにこう答えた。
『覚えてないね』
気付けばそこにいた。親友との始まりは、案外そういうものだと思う。
ただ恋人だった中谷圭吾との馴れ初めは鮮明に覚えていた。雨上がりのバス停で目を惹かれた彼は、特に容姿端麗というわけでもなかった。陶子の”ツボにはまった”と表現するべきか。
進級時に同じクラスになった時には運命すら感じた。そこからはとんとん拍子だった。優しい圭吾は、陶子にとって掛け替えのないオアシスとなった。
――圭吾も胡桃も、もうこの世にはいない。陶子は取り残された。
そして今、風で乱れた髪をかき上げながら陶子は島の向こうを眺め続ける。ろくに面識のないクラスメイトと殺し合いを強要され、挙句の果てには現役バリバリ兵士との戦いまでやらされ、今、終着点への一本道へと進路を定めたところだ。
ふと背後に気配を感じて振り返る。誰かいるとすれば一人しかいない。予想通り、龍二がそこに立っていた。龍二もまた、光を反射する青い水面とその先の陸地へとその目を奪われていた。
陶子は少し横に動き、景色を譲る。龍二は誘われるまま陶子が立っていた場所に向かい、壮大な景観にじっと視線を投じ続けた。
この国には汚れた面もあり、一方で清らかな面、そしてそれにより育まれた美しく尊い物もある。それらを全て認め、進んでいかねばならないのだ。
片方から目を逸らしただけで、視界は閉ざされてしまうだろう。だからこそこの国は、完成されたと言われながらその実、迷走を続けているのだ。
誰かが伝えなければいけない。けれど――。
陶子の葛藤に、間もなくピリオドが打たれようとしていた。