BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜


13


 何故その顔を覆い隠すのか、白い仮面を装着した人物は、村上陶子には気付かず斜面を滑り下っていった。土煙がもくもくと舞い上がり、眼前に開けていた斜面の視界を曖昧にさせた。
 白仮面の首には、確かに銀色に輝く首輪が見えた。ゆえにその存在が赤い光点として探知機に映ったのだ。追加参加者と見て間違いない。他に誰がこの島にいるというのか。
 陶子としては、白仮面の突き進みっぷりが気になった。まるで目的地を定めているかのような潔さ。握っていた赤いナイフが支給品ならば、探知機の類は所持していないはずだ。そもそも所持していれば、今頃陶子と血で血を洗う戦いの真っ最中である。
「兵士だから、ナイフは常備品で支給品は他にあるとか……」
 そこで言葉を区切り、ある可能性に思考が及んだ。陶子が反応した言葉は”支給品”ではなくその前、”兵士だから”という部分であった。
 専守防衛軍兵士の任務とは、教官である志摩唐葉の護衛は当然、プログラムの管理の一部も受け持っているはずだ。当然陶子達があの井戸の家を一晩の根城としていた事も知っているはずだ。
 白仮面はまず、あの家へ直行してみようと考えているのではないか。それは極めて確信的な推測だった。自分でもそうするはずだ。
 同時に言いようのない危機感が湧き上がる。上杉龍二がまだあの家に留まっていたならば、格好の餌食となるに違いない。 
 庇う理由はないはずだ。友人でもない、ましてや昨夜陶子の命を奪おうとした龍二を救う義務も義理もありはしない。けれど――
「……ああもう!」
 陶子は踵を返し、白仮面には程遠い不恰好さで斜面を滑り落ちていった。土に擦れた膝が痛みを突き上げてきたが、構わなかった。

 息を切らし、全速力で今来た道を引き返す。アスファルト路の脇には細い川が流れており、井戸の家へと通じる橋がその向こうに架かっているのが見えた。龍二らしき絶叫が家のほうから響き、その足を更に速める。
 やや放物線状に盛り上がった橋を駆け抜け、眼前の門を潜るとそこはついさっきまで留まっていた井戸のある庭だった。すぐさま陶子は周囲へ目を凝らす。
 直線上に見える家の軒先、その向こうの引き戸が開け放たれており、迷彩服がその奥へと消えるのが目に入った。どうやら龍二は台所、そこから通じる裏庭あたりへ逃げたようだ。
 陶子は脇目も振らず、迷彩服の背中を追って軒先に飛び込んだ。手元にサンダー9がなければ、足を踏み出せなかったかもしれない。そう思うと支給品にだけは感謝するべきか。思いかけ、鼻で嘲笑う。冗談じゃない。
 さすがに引き戸を潜る時は未曾有の恐怖心を感じた。その向こう、台所の入口で待ち伏せでもされていたならば。しかしそれは杞憂に終わり、陶子が駆け込んだ台所には人の姿はない。しかし脅威はすぐそばに存在しているのだ。
 台所裏手のドアが開け放たれているのを確認して足を向け掛けたが、絶叫が家の側面付近から届いたのを聞き届けると、陶子はまたも踵を返して庭のほうへとUターンを開始する。
「こっちね!」
 陶子の閃きは功を奏し、軒先に着地した陶子の前に、裏から庭へと回って逃げてきた龍二が家の横手より姿を現した。陶子は龍二の後方、続いて白仮面がくるであろう家の角へと銃口を定め、その出現を待つ。
 二秒とせずに白仮面が目を瞠る健脚と共に出現した。反射的に引き金を引くも、白仮面が身を屈めていた事もあって銃弾は虚しく背後の土を抉っただけだった。
「ひぃぃ!」
 縋るように陶子へと駆け寄ってきた龍二の手には、護身も兼ねて陶子が渡した出刃包丁が握られていた。もっとも武器が互角の条件では、白仮面の有利は火を見るよりも明らかだ。やはりここは陶子の握る銀色の兵器が勝敗の鍵を握るだろう。
 痺れの残る腕を振り戻し、もう一度白仮面へと狙いを定める。崩し難しは陶子と考えたのか、白仮面は大きな弧を描きながら陶子へと接近を試みてきた。これは狙いがつけ辛かった。
 目を細めたが焼け石に水。今回の銃弾もやはり白仮面の脇を抜けていく結果となった。銃声に殴られた鼓膜がじんじんと痛むが、破れはしていないようだ。途端、白仮面の動きが直線的なものとなり、一気に陶子との距離が詰まる。
「うわぁぁぁ!」
 狼狽する陶子と迫る白仮面の間に立ち塞がったのは、残る一人――龍二だった。戦闘センスの欠片もない、我武者羅な包丁の振り回しを見せる龍二の肩を、白仮面のナイフが貫くのが見えた。
「ぁぁぁぁ!」
 雄叫びがそのまま悲鳴へと変化し、龍二が身を捩じらせる。肉を貫いたナイフはなかなか深く刺さったようで、白仮面が抜くのに手間取っているのが見えた。
 陶子はすぐさま白仮面を正面に臨むポジションへと移動し、サンダー9の照準を合わせ直した。仮面の奥の双眸が、焦燥の色を見せているのが窺えた。その瞳が放つ光、見覚えがある気がした。
 ともかく、陶子の乾坤一擲は高らかな銃声と共に、白仮面の肩口から血飛沫を噴き上げさせた。更に暴れ狂う龍二が体当たりをくらわせ、白仮面の体が大きく揺らぐ。
 この好機は逃せない。陶子は更に距離を詰めると胸の真ん中へとサンダー9の銃口を向け、引き金へと力を込め始めた。これで終わる、そう確信していた。
 しかし次の瞬間、陶子の腕に鋭い痛みが走った。陶子の守護神・サンダー9がその手の内から零れ落ちていく。代わりにその腕に見えたのは、龍二が握っていたはずの出刃包丁だった。
 白仮面が龍二から包丁を引っ手繰り、投擲したのだと気付いた時には、白仮面が龍二を突き飛ばして既に眼前へと迫っていた。その手にはようやく龍二から引き抜いたのであろう、柄、刃共に真紅の彩りが施された大きなナイフが握られている。
 身をかわそうと体を捻りかけた時には、もうナイフが陶子の胸元へと伸びていた。血に飢えたその刃は吸い込まれるように陶子の左胸付近へと達し――固い衝突音を上げて白仮面の手から零れ落ちた。
「え?」
 それでも陶子は体勢を崩してうつ伏せに倒れたのだけれど、その胸元は全くの無傷だった。携帯電話が刃の肉体到達を食い止めた事実に至る前に、陶子は身を起こして逃走を開始した。
 ――すぐに失敗したと眉をしかめる。競争で現役バリバリ軍人の白仮面に勝てるはずがない。むしろ危険を承知でサンダー9を拾い上げに向かったほうが余程勝機はあった気がした。
 しかし後方を振り返る暇はない。死にたくない、ともかくその気持ちだけで陶子は両足を前に振り出し続けた。直後、背後からの銃声が陶子の身を震わせた。
 撃たれた――。そう思い、膝から崩れ落ちる。しかし痛みは一向に訪れない。
 恐る恐る背後を振り返ると、白仮面が大の字に倒れているのが見えた。その横には足を少し浮かせた正座のような姿勢で龍二が銃を構えており、その銃口からは白い煙がゆらゆらと空へ立ち昇っていた。
 二人が正対した構図である事からも、龍二の銃撃が白仮面を撃ち抜いたという事がわかった。陶子は驚愕と安堵が入り混じった奇妙な感情を覚えながら立ち上がる。
 歩を進めて見下ろした白仮面の額には子供の拳大の穴が空いており、その縁には灰色のゼリー状物体がこびり付いている。鮮血も顔面ペイントのように顔全体を浸していた。とどのつまり、即死だった。トレードマークの仮面は真っ二つに割れ、顔の脇に半月状となって落ちていた。
 そしてその顔は陶子が自宅を出る際に気遣ってくれたあの兵士、出発地点の教室で浦木晃一と名乗っていた彼に相違なかった。女性顔負けの天使の輪が作られていたあの黒髪は、凝固を始めた血液がこびり付いて見る影もない。充血一つない白目に囲まれていた漆黒の瞳は、早くも散大を始めている。
「どうして……」
 他の兵士達とは少し異なった、優しい雰囲気を持っていた彼の姿が思い出される。晃一は移動する車の中でも色々と気遣いの声を掛けてくれた。陶子の問いに彼が答えを返す事はもうないのだけれど。
『もう、好きなだけ泣いていいんだよ』
 リフレインした晃一の言葉を受け、陶子の瞳がたちまち潤み始めた。その顔は色鮮やかに紅潮し、大粒の涙が地面に落ちる。熱い雫は晃一の顔を滑り、赤く濡れた頬に肌色の道を残した。


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