BATTLE ROYALE
〜 背徳の瞳 〜


12


 太陽が山の隙間から昇りゆく過程が、今日に限り酷く緩慢に映っている。
 これが最後に拝む朝日となるのか。そんな考えを過ぎらせると、放射線状に伸びる光が異様に神々しい物に思えたりもする。
 そんな中、村上陶子はじっと”その時”を待ち続けていた。
 最初の放送の後、陶子達は変わらず井戸のある家屋を占拠し続けていた。無人の島に建つ家を”占拠”というのも滑稽な表現だが、それはともかく。
 陶子は部屋の対角線に座る村上龍二へと規則的に監視の目を運び、意識は概ね外と壁掛け時計へ向けている。静寂の中で、秒針の動作音だけが単調に響いていた。
 自動拳銃BERSA サンダー9の上を光が滑るのを眺め、その重量を両手で確認し直した。はたして、自分は上手く撃てるだろうか。
 銃弾は充分にある。そして追加参加者の出発時刻である午前七時フラットまでは、まだ時間の余裕があった。陶子は立ち上がると、靴を履いて軒先へと出た。
 二人きりのプログラム。陶子と龍二が遭遇すれば即座に優勝決定戦が始まり、仮眠するまでもなく撤収できると政府の面々は喜んでいたに違いない。しかし現在、二人は相容れずも殺し合う事なく時間を共有していた。
 ざまあみろ。些かイメージにそぐわぬ乱暴な言葉を思い浮かべ、庭に置かれた井戸と正対する。バケツを吊るしている滑車が、標的にはうってつけに見えた。
 肩の凝りを感じつつ、伸ばして揃えた両腕をゆっくりと上方へと向ける。サンダー9の銃口の延長上、そこに滑車が映る位置にまで持ち上げた。
「……反動で腕が上がるんだったよね……」
 説明書の記載を思い出し、照準を幾分滑車の下に合わせる。手首から先に力を集中させ、グリップを固く作り上げた。大きく深呼吸、一回、二回。  
 引き金を引くと、耳をつんざく銃声が静寂をぶち破り、炎と煙が銃口から噴き上がるのが見えた。同時に発射の衝撃が肩へと打ち下ろされてくる。
 左肩に鈍い痛みが生じ、表情を歪めながら尻餅を突く。銃弾は目標を逸れたようで、滑車は端を欠けさせる事すらなく、先ほどと同じ姿で朝日に照らし出されていた。
 陶子はゆっくりと立ち上がり、尻の土を左手で払うとその肩を軽く回してみた。少し痛むが、深刻な負傷ではなさそうだった。一安心である。
「……も一回」
 指に掛かったままのサンダー9を握り直し、左手を添えたところで家の中へと視線を投じる。龍二が四つん這い姿勢で、軒先へと出てきていた。
 陶子と視線が合うなり、龍二が問い掛けてきた。
「俺を殺せば、危険な思いしなくても家に帰れるのに、どうして」
 龍二の声は露骨に震えていた。これから現れる追加参加者に対する恐れか、それとも、質問を投げ掛けられた陶子がそれで豹変すると危惧しているのか。
 確かに、悪魔の囁きのようにそれは脳内の虚空で旋回を繰り返していた。足を縛らせて拘束した徒手の龍二、拳銃を所持している今の陶子ならばいとも容易く手に掛けられる事であろう。
 出発する際、出発後も幾度か、花開きかけた殺意の芽。追加参加者を殺しても生還できるわけではない。結局は龍二を殺す事が生還の絶対条件なのだ。
 ――しかし。
「噛み付いてみたいじゃん」
 陶子はさも当たり前のように言い放ち、再び滑車へと銃口の向きを合わせる。
 政府は暗に否定し、明確にぶち壊した。陶子のこれまでの人生を、築き、得たものを。恋人も親友も、あっさりと奪われた。
 ここで追加参加者との戦いを挑むならば、陶子の中に介在する感情は意地だとかプライドだとか、または友情に報いる気持ちなどもあったかもしれない。政府連中、いや、大東亜の大人達からすれば何とも甘ったるい、不毛な感情に思える事だろう。
 しかしそれでも、悩みぬいた陶子にとってそれはやはり必要不可欠な物だった。
 それを大人達が否定するならば、自分は子供のままでいい。忘れなければ大人になれないならば、抱えて今、自分を貫き通してやる。
 大東亜共和国に生まれ落ちた一人の少女の、悲痛なまでの真摯な叫び。その気持ちを乗せた銃弾が空を貫く。回転しながら舞い踊る薬莢の向こう側で、滑車が小さな火花を上げた。
 時計の長針と秒針が重なり、それと同時に特別放送が開始された。陶子は軒先に腰掛け、緊張の面持ちで空を眺める。 
『さぁ、追加参加者のご登場だよ。派手に躍っておくれよ?』
 待ちかねたとばかりに浮かれた声を発し、唐葉が追加参加者の出発を宣言した。龍二が身を強張らせるのが見えた。足を拘束された龍二は、戦いに巻き込まれれば真っ先に標的となるだろう。
『支給品は本来配られるはずだった事故死亡者の奴の中から、ランダムに選出して渡しといたよ。追加参加者の目印は白い仮面だからね、忘れるんじゃないよ!』
 白い仮面。フレーズを脳裏に浮かべながら考える。普通に仮面を装着している事なのだろう。変わった趣向だとは思ったが、亡くなった生徒全ての机に花瓶を置く連中だけに、そこまで不思議には思わなかった。
 追加参加者はどの程度で陶子達を見つけるだろうか。この家は小さくはないし、会場は狭い。既に安心できない状況にあると言えそうだった。さすがに放送が終了した直後の今では、探知機には何の反応もない。
 おもむろに陶子は立ち上がり、台所へと歩を進める。土足だがこの際関係なしだ。台所のシンク下を開き、扉の内側に付いた包丁入れへと手を伸ばす。攻撃力の高そうな出刃包丁を視認するとそれを手に取り、龍二のほうまで歩いて行く。
 包丁を目にした途端、龍二が目を見開いて顔を蒼白にさせた。陶子がいよいよ龍二を始末すると考えたのだろう。龍二は尻を擦りながら、じわじわと壁際に後退していく。
 陶子は静かに膝を沈め、床に包丁を置くと立ち上がった。龍二が怪訝そうな、それでいて怯えの残った表情を見せる。陶子は言った。
「足首の縄、固く結んだから解けないでしょ。これで切って」
「……え」
 龍二がなおも怪訝そうな、けれど怯えの色が半分消えた表情で陶子を見上げ続ける。陶子は小さく跳躍して軒先へと飛び降り、外の様子を窺いながら続ける。
「あたしが戦うから、どこかに隠れてて」
 酷く失礼な話だが、どう考えても龍二では戦力にはなりそうにない。陶子が矢面に立つより他なさそうだった。探知機を貰えただけで万々歳と思うべきか。
「な、何だよそれ……。何で俺を」
「何勘違いしてるの? 上杉君に生きて欲しいなんて思ってないからね、あたしの前で死なれたら気分悪いだけだから。邪魔だから早く逃げてよね!」
 どこまでが本心だったろうか。どこかが嘘だった気はする。勿論恋心など抱くはずもないけれど、ある種のシンパシーからくる奇妙な感情は生じさせていた。それが彼の存命を心の中で願っていたのかもしれない。
 しかしその感情も、裏山のほうへ駆け出すと同時に再び深層へと消え失せていた。気を迷わせている暇などない。相手は間違いなく戦闘のプロで、いかに陶子の装備が良くとも不利は否めなかった。
 真夏の朝方だけに、木が林立する山の中とは言え見晴らしは悪くはない。陶子は山に差し掛かると同時に陰となる場所を選び、慎重に斜面を登っていた。
 不眠も影響してか、今回の登山は昨夜よりもしんどく感じる。陶子は木に背を預け、右手で保持したサンダー9を地面に向けて垂らすと大きく息を吐いた。
 考えてみれば山の傾斜は相当なもので、平地だけの場所とは異なり、一見狭く見える会場も歩き回るのは意外と骨ではないかと思った。もしかすると追加参加者との遭遇は時間を要するかもしれない。そう考えた途端、軽い脱力感が体を襲う。
「一休みしたいなぁ……」
 龍二は当面監視する必要がないし、仮眠とはいかずともしばらく周囲を気にせず力を抜きたい。そう思った矢先、目を向けた探知機に赤い光点が二つ存在するのが見えた。一つは陶子だが――
「……どっち?」
 地図を思い浮かべ、方向を照合する。赤い光点は陶子の進行方向からこちらへと接近していた。龍二とは正反対の方向だ。最早疑う余地はない。
「!」
 陶子は瞬時に気持ちを切り替え、木を遮蔽物として身を隠した。まだ姿の見えぬ敵を、聴覚を研ぎ澄ませてじっと待つ。程なく草を掻き分けて迫る何者かの物音が耳に届いてきた。
 その音に陶子は驚きを隠せなかった。物音を殺そうなどという素振りは微塵もない。更に電光石火の速度でその音は陶子へと近付いてくる。背筋に冷たい汗が止め処なく流れ始めた。
 物音は木を挟んだ陶子のすぐ横まで下ってきていた。陶子は意を決し、木の陰から顔を出す。目にしたのは、専守防衛軍兵士の服に身を固めた人影が斜面を鮮やかな動きで滑り落ちていく姿だった。
 その人物の右手には赤い柄が特徴的な大ぶりのナイフ、顔には――冷笑を模った真っ白い仮面が装着されていた。



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