BATTLE
ROYALE
〜 Body & Soul 〜
<試合開始>
1
その場所は日本に酷似し、しかし極めて異質な特性を持つ大東亜共和国。
一九九六年九月のある日、とある不良中学生の通学光景から物語は始まる。
秋の日の早朝らしからぬ、薄暗さをまとった空が広がっていた。
眼下、いかにも中流家庭的な赤い屋根の一軒家の扉がゆっくりと開く。
ラフな髪型を茶色に染めた体格の良い男子中学生が、庭先にその姿を現した。
少年は端整な顔に似合わぬ大きな欠伸をした。彼は近隣でその名を広める札付きの不良、中原泰天(栃木県立青葉中学校3年1組男子7番)その人である。
泰天は煙草の箱を探りながら上空を仰ぐ。今日は随分と雲行きが怪しい。
彼はニュースに一切の関心がなく、この日も部屋から直接玄関へと向かっていた。
近所のご婦人達は連日飽きもせず、自宅前で朝の談合中だった。
形だけの会釈をすると、綺麗に揃った作り笑いが返ってきた。脇を抜けて数秒とせずにご婦人達が声を潜めた。声を出さずに腹の底で嘲笑する。
おいおい、今時モク吸いなんて不良の専売特許じゃないぜ?
泰天は灰を点々と地面に落とし、黙々と通学路を歩いていく。
自宅そばの空気から離れた付近で、見慣れた同級生の姿をその目に留めた。
鞄を持って俯いた彼女は、泰天の存在を認めた途端に表情を明るいものへと変えた。
「泰天君、おはよー」
幾分おっとりした声と共に彼女が駆け寄ってくる。町内指折りの豪邸に住む、幼馴染の桃園愛里(同女子10番)だった。今では恋人でもある。
セミロングの茶髪を耳の上で二つに束ねた愛里の髪型は、密かに泰天のお気に入りである。それを知ってか愛里は常にこの形で髪をまとめていた。
「おお。……愛里、眠そうだな」
「うん。寝ようとしたら舞花が」
「長電話か」
泰天は愛里に合わせ、自然と歩幅を狭めた。そんな些細な配慮の一つ一つに、愛里は呆れるほど大仰な感謝の意を示す。疲れる反面、多少嬉しくもあった。
「泰天君は宿題やったの?」
愛里が目元を擦りながら訊いてきた。これもいい加減やり飽きたやり取りだが、泰天は苦笑いしながら恒例の答えを返す。
「無駄な事はしないよ、俺は」
「無駄じゃないよー」
膨れっ面で愛里が背中を叩き、それに構わず鞄から週刊誌を取り出して目を落とした。不満模様の愛里は、今度は週刊誌を掴んでくる。
「相手がいるのに本なんて読まないでよー」
「話は聞いてるじゃねえかよ、いつも」
顔を見合わせた二人は、どちらからともなく破顔する。
傍目から見ればごく普通の仲良しカップルであり、実際二人はそんな関係に満足していた。互いに確かな恋愛感情を持った恋人同士だった。
何一つ変わらない日常の流れ。そこに突然、天の悪戯が襲う。
それは誰も想像し得ないであろう、珍妙奇天烈な出来事だった。
突然雲の色が黒味を増し、天からの大量の雨粒が地面を打ち付け始める。にわか雨にしても唐突過ぎる降り足だった。
「あー、濡れちゃうよ。また傘ないの?」
「ニュースは見なかったからな、今朝」
「空を見て用意しようとしなかったのー?」
嘆息混じりに愛里が水玉模様の折り畳み傘を差し出してきた。柄に抵抗があるが、渋々愛里中心に傘を差す。札付きの不良としてこの姿は仲間には見せたくはない。
「あのな愛里……。もう少しマシな柄の傘に」
「泰天君の為に買ってるんじゃないもん」
ごもっともである。泰天は肩を落としながら通学路を更に進む。
その時、後方から迫る車の駆動音を耳にした。
泰天は愛里と共に壁際で車の通過を待つ。直後、耳を劈く轟音と共に視界を稲光が満たした。馬鹿になりかけた鼓膜は、迫る車のスピン音を捉えていた。
「愛里!」
絶叫一番、泰天は愛里を抱えて斜め前方へと渾身の跳躍をした。鈍い音と激痛が頭部に響き、泰天は崩れ落ちる。
「う……うう」
己の呻き声が異様に甲高く耳に届く。それが最初に覚えた違和感だった。
傘を失った体に雨粒が容赦なく叩き付けられていく。早くも寒気が生じ始めた。
泰天は痛みを堪えて体を起こす。捻ったらしく脇腹にも軽い痛みがあった。
見ると投げ出された傘は、側壁に衝突した普通乗用車の下敷きとなっていた。車のフロント部は無残にボンネットがひしゃげており、白い煙が薄暗い空に立ち昇っている。 爆発を懸念したが、それよりも大切な事を思い出した。
「愛里」
泰天は脇で横たわる愛里へと声を掛けたが、即座にその表情を疑問に歪めた。額に血を滲ませ倒れているのは中原泰天、すなわち自分だった。
「……は?」
開いた口が塞がらない。そうしている間に目の前の自分が気絶から覚醒し、泰天の顔を捉える。相手も不思議そうな表情を見せ、次の瞬間――
「……あたし?」
いつからオカマ言葉を使うようになったんだ、俺は。
「あなた、あたしー?」
泰天は思考を訂正した。オカマ言葉ではない。眼前の自分は愛里の言葉遣いを真似ていたのだ。
数秒の逡巡。結果、泰天は数年前にヒットしたドラマを思い出してまさかの可能性を導き出す。懐に手を差し入れると、案の定自分が所持するはずのない可愛らしいコンパクトが現れた。それに自らの顔を翳す。
最悪の可能性が的中した。半開きの口で映るその人物は、桃園愛里だった。
刹那、車が激しい炎を噴き上げて小爆発を起こした。
「きゃー!」
眼前の泰天が、怯えた様子で俺だか愛里だかわからない自分の体に抱きついてくる。車よりも何よりも、その事実に溜息を吐いた。
「何だよ、これ……」
泰天は情けない呟きを濡れた道路に落とす。強い目眩に視界が回転し――
しかし真の災難は、この後に訪れる事となった。