BRR(BATTLE ROYALE REQUIEM)
第2部
〜 真実の神戸 〜
エピソード‐0 「この国で、美しくあるために」
「父上、行って参ります」
上物のスーツに身を包み、鋭い目付きの青年は一礼した。
「分かっているとは思うが、失敗は許されないぞ」
上級軍人特有の軍服に身を包んだ中年男性が答える。
「はい、承知しています。これ以後は、任務終了まで、親子であることは、お忘れ下さい」
「うむ」
そして、青年は大東亜共和国軍人特有の敬礼のポーズをとると宣言した。
「中国地方師団師団長殿、私、戦闘実験第68番プログラム1992年度31号担当官、森島和仁は、会場であります山口県鹿野島町鹿野島へと向かいます。軍の皆様方のこれまでの支援に感謝いたしますとともに、引き続きプログラム終了までの支援を要請するものであります」
「うむ、承知した。作戦の成功を祈る」
和仁は一礼し、師団長執務室を後にした。
§
香川県内某所、暗闇に沈む工場裏。
田中基弥(山口県塩見市立塩見第1中学校保健体育担当教諭)はある男を待っていた。
彼は、他の教師とは違った道を辿ってきた男だ。
第1に、医学部出身で医師免許を持っている。
教師といえば、教育学部出身というイメージがつきまとうが、実際は違う。むしろ、経済学部出身の社会教師や、数理学部出身の数学教師など、教育学部以外出身の教師も多い。
しかし、医学部出身で医師免許を持ちながら教師になる者など無に等しい。収入、名声などの差からしても当然だろう。
彼にそうさせたものは何なのか。理由は、彼の生立ちに隠されている。
彼の父は、小さな医院を切り盛りしていて、その跡目を継ぐことが決まっていた。
だが、親に決められたレールも、医学界の影――すなわち、金とコネに支配された部分も、患者を実験道具としか見ない教授たちも、彼には我慢できないことだったのだ。
それをどうしても許せなかった彼は、医師免許を取得しながらも逃げるように教壇へと立ったのだ――もっとも、医学の道を捨てたつもりなどなく、急病で生徒が倒れたときには医学の知識を惜しむことなく無償で提供してきた。
しかし、彼を跡目にと期待していた父親がそれを許してくれるはずもなく、故郷を離れ、山口県塩見市で教鞭をふるうこととなったのだ。
次に、学生時代にある組織と接触を持っていたことだ。
「お久しぶりです。三村さん」
現れた男に一礼する。
「ついに、決心がついたのかね?」
三村の言葉は力強く、瞳には相手の心を見抜く力があるように感じられた。
「はい」
迷いを振り払うようにうなずく。その声はどこか力なさげだ。
「そうか……」
三村はやさしく、穏やかな声で呟いた。
そして、ポケットから”ハイナイト”という銘柄のタバコを取り出しくわえると、少しばっかり高級そうなライターで火をつけた。
”ハイナイト”は”ワイルドセブン”などと違う大人の味が売りだというCMを見たことがあったが、タバコを吸わない基弥にはどうでもいいことだった。そもそも、医学的に言わせてもらえば、タバコは体にとても有害だ。かつ、依存性もある厄介な存在だ。
2人が出会ったのは、基弥が大学2年生の時だ。きっかけは、このまま医者になるべきかどう悩んでいた基弥が、出来上がった世界というものへの若者にありがちな反発と一種の好奇心から反政府活動へと首を突っ込んだことだ。
三村は、彼が初めて関わりを持った組織の幹部だった。三村は多くを語らないので詳しいことは分からないが、彼の恋人も構成員のようでお揃いと思われるピアスリングをいつも身に着けている。
と言っても、組織に関わっていたのは少しの間だけで、教師になって以来、連絡を取ることもなかった。
ところが、1週間前、三村の方から連絡をしてきたのだ。話によると組織の人間が極秘ルートから次に『プログラム』が実施されるクラスの情報を得たというのだ。
対象となるクラスは、彼の勤める塩見一中の3年4組、会場は山口県鹿野島町の鹿野島。
事実を知り、また、彼の勤務先を知っていた三村が連絡をしてきてくれたというわけだ。
その後、三村をはじめとする組織の幹部に基弥を加えた数人で対処方法が話し合われた。
結果「誰かが身分を偽り、専守防衛軍兵士になりすまして会場に侵入し『プログラム』を中止に追い込む」という作戦が立てられたのだ。
当初は、塩見一中の3年4組が対象クラスに選ばれたことを公表しようという意見が強かった。
しかし、それでは「それは、根拠のないウソだ」と、対象クラスを変更されるのが関の山だ。
ならば、敢えて『プログラム』を実行させ、何だかの方法で中止に追い込む方が良いのではないか――数多くの逃亡者が出る事態になれば最高だ。
『プログラム』を中止させることができれば、政府による国民への暗示を解くことができるのではないだろうか。
そうすることが、政府打倒への唯一の道なのだ。
これに反論する者はいなかった。ただ1人、田中基弥を除いては。
「三村さん、1つだけ訊いてもいいですか? 今回の『プログラム』を中止させることによって革命が成功したとして、それで助かる命と、今回の『プログラム』で死んでいくウチの学校の3年4組の生徒たちの命は等しく同じはずです。この世で最も尊いものであるはずです。本当にこれでいいんでしょうか?」
三村は、少し戸惑っているようだったが、ゆっくりと語り始めた。
「確かに、多くの人を助けるためには小さな犠牲はやむを得ないという考えは間違っているだろうし、汚い考え方だ。だが、ほんとうに美しくあろうと思ったら生きていけない、この国では。だったら、誰かが変えるしかないのではないかな。ほんとうに美しくあろうとする者が、そのように、思うがままに生きることのできる国に。チャンスは今回しかない。もし、対象クラスになったことを公表したとしても、別の場所で罪のない若者が命を奪われることになるだけだ。他に方法はない」
三村は、何か言葉では表現出来ないような表情をしていた。
――これが、大人の哀愁ってやつなのかな……。
基弥は心の中で呟いた。
「これが、例の物だ」
三村は何やらカードのような物を基弥に手渡した。
「ありがとうございます。それでは」
きびすを返し歩き出す基弥。
そんな彼の背に向けて三村が言った。
「これは、俺の甥がもう少し大きくなったら言ってやろうと思っていることなんだが、喧嘩っていうものは敵によっては戦略を練らないと勝てない。それと、心の奥にある自己否定の声に耳を傾けろ、問題は君がどう自分を見失わずにいるかだ。今回の作戦には、この国の人々、そして、これから生まれてくる子どもたちの未来がかかっている。頼む」
「はい」
基弥は振り返り一礼すると、再び歩き出した。
ただ、この時は2人とも知る由もなかった。この作戦の予想外の結末を、そして、三村と彼の甥・姪の3人に突き付けられる未来のことも……。
§
「ふっ〜」と若い医師――まだ、20代に見える――はため息をついた。
「本当にこの続きを聞く勇気があるかい?」
「はい」
少女はまっすぐな瞳で答えた。医師は少し困ったような表情を浮かべた。
「その前に、ちょっと、コーヒーでもどうかな?」
それに対し無言という形で答える少女。それは、そんなことより早く話が聞きたいという彼女の意思表示だった。
「ごめん」
突然の謝罪。
その意味が分からない少女は、目をパチクリさせる。
医師は続けた。
「君に嘘は言えないね。本当は、話すのが少し怖いんだ。あの時のことは、出来るだけ考えないようにしてきたから。話す前に心を落ち着けたいんだ」
複雑な表情を苦しげに浮かべる医師に対して少女は何も言うことができなかった。