1997(怨念戦隊ルサンチマン日記)

97.12.31…部屋を掃除する

 人並みに大掃除をする。本棚に入り切らない妄想戦記の山に「『もしも』と頭の中で思う回数はその人物のダメさに比例する」という言葉を思い出す。まあ、部屋の中を歩けるようになったからよしとしよう。
 さて、部屋に一人でいると一日に何度もメールのチェックやネットサーフィンをしてしまう。昨日から今日にかけて友人、知人、旧友のページを廻ってきた。実に優れたホームページが多く、感心させられる。
 中でも、ホビーデータ内のみやかわたけし氏のホームページが良かった。あそこにはかつてリンクを依頼したのだが、「著作権に触れるおそれがある」と拒否された。まあ、そうだわな。氏のページには「どんどんリンクを」と書いてあったが、そういう事情もあったからとりあえずリンクはしない。彼に無用な迷惑をかけたくはないのだ。
 そのあとも何度か行ったがあまり更新されていなかったため、しばらく見ていなかった。あのようなページができていたのに気付かなかったとは、自らの迂闊を恥じねばならない。
 彼への評価はいろいろだが、私は未だに彼ほど率直な人物を知らない。その聡明さについては(ごく一部の世界でだが)多くの人の知るところだろう。まあ、ネットゲームについて少しでも興味があれば、サーチエンジンなどで探して行くべし。
 ただ、私は読んでいてひどく悲しくなった。みやかわさん、僕は本当に君の言葉が理解できない程おろかだったのだね。そして、おそらくは今も。
 なんでも新年はトラフィックが多発するそうだから、今のうちにトップページに新年の御挨拶を張っておく。リアルタイムというのも善し悪しだなあ。

97.12.30…車に傷がつく

 狭い道に入ってきた消防車に道を譲ろうとして、愛車シビックの脇腹に傷をつけた。幸い塗装だけですみそうだが、自らのどんくさいハンドルさばきには呆れる。
 それにしても、男一人で車に乗ること程空しいことはない。車を走らせる度に、私はMくんを思い出す。犯罪をおかす前から、彼はよく一人で車を飛ばしていたという。彼はきっとどこかに行きたかったのだろう。どこだか分からないが、少なくともここではないどこかに。
 私は「そこ」が少女の胸の中でも、いわゆる「業界」でもないことを知っている。それを教えてくれたのは悲しむべき彼の犯罪だった。しかしながら、私には「そこ」がどこかはまだわからない。
 そんな訳で私は今日も車を走らせ、インターネット内をふらつく。
 あ、リンクに若干の修正。すでにおわかりのとおりこのページのロゴも変更。

97.12.28…今さらながらティガのこと

 今日の「メガレンジャー」は年末スケジュールゆえの総集編。だが、挿入された英語版主題歌がかっこよかったので許す。
 それにしても「メガレンジャー」は燃える「絵」が多くて良い。月面から飛び下りてくるメガボイジャーとか、怒りに拳を震わせつつ変身するくだりとか。オープニングもなかなか野心的だ。アニメーションかと見間違うばかりのカット割りがいかす。
「カブタック」も面白いし、今年は特撮のあたり年だった。無論、最大のあたりは「ティガ」だ。
 私は最終回を三回見た。そして三回とも泣いた。切通氏が「光としてのウルトラマン」という視点で「ティガ」について書いているが、我が意を得たり、という思いだ。総力を結集した戦い。敗北と絶望。そしてそれを乗り越える希望の「光」…いかん、思い出すと泣いてしまう。
 正直、誰一人としてこの90年代に評価に足りる「ウルトラマン」が創られるとは思っていなかったに違いない。私もそうだった。おおのやすゆき氏あたりにコミックとして描いてもらえばかなりのものになっただろうが、それは優れたオマージュで終わったろう。そのような中で(というか、この実も蓋もない時代の中で)あの新たな「光」を描ききったスタッフには敬意を表する。
 すでにいろいろなところで書かれているが、最近の特撮には「ガンダム」などの富野作品や「エヴァ」の影響が色濃く出ている。だがそれをコピーと言うなかれ。彼等は過去の作品を自らの血肉として新たな創作に挑んでいるのだ。でなければあれほど多くの人を感動させられるだろうか? コピーと呼ぶべきは「売れ線」をなぞるだけの代物だろう。ゲーム屋、ギャルゲーばっか作ってんじゃねえ(脱衣麻雀やってるので説得力ゼロ)。
 あ、有坂先生よりバナーをもらったのでリンクに付与。わーい、わーい、クリスマスプレゼントだぁ。

97.12.21…若干の修正と報告

 過去分の日記を分割、少し見易くした。見ないほうがいいとは思うが報告まで。また、リンクを追加。必見である。
 ところで、ボーナスでデジカメを買った。画質度外視のカシオQV70だ。これで女の子のパンツも撮り放題(ウソ)。そういえば俺、ボーナスが3万だったり焼肉だったりしたこともあったな。今の俺様ってラッキー!
 なんかハイなんすけど、やばいよね、これって。

97.12.20…ポケモンのこと

 例のポケモン事件に対する世間の反応が理解できない。
 原因がはっきりするまで放送を中止というのはまあよい。いささか過剰ではあるが、原因をはっきり掴んで事故再発を防ぐのはよいことだ。だが、なぜ該当話以前のものまで放送中止とするのか?
 ネット局の人間が「100パーセント安全が確認されるまで」放送しないと言っていた。しかし、これまでの放送でなんら事件が発生しなかったことで安全は確認された解釈すべきではないのか。もしそれらすら「危険性あり」と判断するならほぼすべてのアニメーションを放送中止すべきだ。
 結局これも「謝意」だのなんだのという形ばかりの繕いなのだろう。馬鹿げた習慣だ。

97.12.18…人を恨むに足りる存在か

 私は私が嫌いだ。愚鈍で、覇気がなく、無能で、魅力と言うべき部分を一切持たない。それでも生きてるのは「どこかに可能性があるんじゃないか」と思っているが故だが、そんなものはホームレスが社会復帰できる可能性より低い。そんなやつに人を恨むだけの権利があるのか?

97.12.14…カシオペアはけっこういいです

 私は今、ほぼ毎日四つのOSを利用している。MacOS、Win95、WinNT、そしてWinCEだ。95とNTについてはともかく、WinCEはなかなかよい。
 使っている機種はカシオペア。窓が一つしか開かなくいのにウインドウ「ズ」なのはどうも気になるが、まあよし。アイコンの表示が目眩する程遅いがまあよし。95と繋ぐたびに「Outlookを入れろ」と言ってくるが、まあよし。おまけのポケットワードやポケットエクセルが大馬鹿だが、まあよし。
 テキスト形式の長文が書け、ほとんど電源の心配をする必要がなく(PCカードを使うつもりがなければの話だが)、システム手帳以下のサイズ。これこそ私の求めていた道具だ。なお、ポケットWZエディターは必須。これがないとWinCEの価値は半減すると考えていい。
 ところでWinCEへの風当たりはだいぶ厳しいようだ。パソコンを買っても結局ワープロにしか使わない人も多いようだから、これでもかなり使えるはずだ。にもかかわらず、雑誌での評価は概してよくない。
「なんでもできる魔法の小箱だと思ったのにぃ」などとを言っていた者もいる。えっと…人は外出先でまで「なんでも」するものかね? 最近のパソコンってそんな用途の機械になっちゃったのかなあ。

97.12.7…祈らずにはいられない

 赤ん坊を誘拐した女性が捕まったと聞いた。まだ29才の彼女は、離婚により二人の子を手放している。そして、5度流産を経験しているらしい。
 我が子を一時的とはいえ奪われた夫婦には同情する。また、子を手放さねばならなかったのは、それなりに犯人の女性に落ち度があったためかも知れない。だが、わたしには彼女を責めることができない。手に入れられなかったもの、失ったものを求める気持ちは痛い程わかるからだ。
 どうかせめて、彼女になんらかの救済があらんことを。

97.12.4…おおいに弱る

 溺れる者は藁をも掴むと言う。藁など掴んでも助かる訳がない。だが、万の藁があればどれか一本ぐらいはどこかに繋がっているのではないか…溺れる者の言い分かも知れないが、私はそんな気持ちで「サイコさんからの手紙」を読んだ。
 そうしたら、いや、ありましたわ。「あっち」に直結の藁が。既知外のホームページとその作者のインタビュー記事。自意識過剰で我田引水な主張(中森明菜と自分は結婚する運命だとか)ばかり並べたホームページなんて、ここと本質的にはまったく同じじゃないか! うーん、困った。本気で大弱り。
 既知外なんかじゃないと言いたいけど、カップルを見てはらわたを煮やしているようじゃなあ。

97.11.23…「匿名」ということ

 人は時として匿名性の中に隠れようとする。いや、ひょっとして今の日本ではそれが半ば強要されているのかもしれない。それが最も無難な手であり、誰にも害にならないからだ。波風がたたないほうがいいとする考え方はそれほどおかしなことではない。
 名もないまま、その発言は一人歩きする。「他でも報道している」「皆が言っている」「当然」「常識的」…そこには個人の主張も論理もない。いわゆる「空気」というやつだろうか。以前もそれでわざわざ負け戦を挑んだのに、なんともはや。そのあげくに、イカレポンチ(フ◯イとかね)の訳の分からぬ主張がとおったりするから笑ってしまう。
 人にはそれぞれの主張があってしかるべきだ。それも、個人の責任での。最低限、言論を生業とする人にはそうであって欲しい。ここのところ、新聞で個人名による記事を見ない。いやなことだ。

97.11.16…他人を憎む理由

 先日、とある理由があり私服で出社した。女の子に「シャツがかわいい」と言われる。うれしい…で終わればいいのだが、そうでないところがルサンチマンの困ったところである。
「シャツがかわいい」とはどういう意味か。「他はダメ」という意味だろうか。「似合ってねーよ」という意味か。あるいはそもそもその言葉自体が皮肉なのか…という具合に受け取ってしまう私は実にマズイ。誰もそんなことは言ってないのだ。
 私が人の言葉をそのように受け取ってしまうのは、自らが皮肉を平然と言えるからだ。自分の言葉が信じられないから他人の言葉も信じられない。そのあげくに人を恨み、敵を増やす。うーむ、泥沼。
 だからといって自分が信頼に足る人格だとは思えないし。はてさて。

97.11.11…「パーソナル」の新たなる戦場

「パソコン」と人は言う。それはそもそもパーソナルコンピュータの略称だったはずだ。だが私には、その意味はもはや失われつつあるように思えてならない。
「パーソナル」という言葉をどう解釈するかについては様々な意見があるだろう。私はこれを「個人が『社会』に対抗するための」という意味に受け取っている。
 手前勝手な意見に聞こえるかもしれないが、聞いて欲しい。オフィスコンピュータでもなく、ワークステーションでもなく、マイコンピュータでもなく、パーソナルコンピュータ。このネーミングに意味を見出すのはさほどおかしなことではあるまい。
 かつて「パーソナル」は星のように輝いていた。  たとえば、マッキントッシュ。ヒッピーくずれのスティーブ・ジョブスはその開発コンセプトを「知的自転車」とした。自転車が人の移動効率を徒歩の何倍にも高めるがごとく。それが理想とされた。
 たとえば、ハイパーカード。それは明確にマスコミュニケーションへの対抗意識を示し、個々人の情報発信能力を高めようとした。開発者アトキンソンは会社を強引に説得してこれをコンピュータに無料でバンドルさせた。
 だが、これらが多くの人の目に輝いて見えた時代は終わった。それはそれらが輝きを失ったからではない。けばけばしいネオンの明かりが人の目をくらましているのだ。
 マッキントッシュについてはあえて言うまい。ウインドウズの悪口にしかならないからだ。ウインドウズ次期バージョンはまだまだのようだが、さらなる進化を期待する。PC98規格もぜひ発展させて欲しい。CD-ROMからの起動ぐらい標準でできなくてはこまる。
 さてハイパーカードだが、ある人はこれをディレクターと比較してこきおろしていた。たしかに、機能では比べものにならないはどディレクターの方が上だ。それゆえに「金になる」のも事実だ。しかしそれをもってディレクターのみに価値ありとする姿勢には疑問を感じる。はたして「パーソナル」がディレクターを購入できるだろうか? 自在に操れるだろうか?
 ウインドウズにせよディレクターにせよバージョンが上がる毎に利便性が高まっているのは事実だろう。それらはパーソナルでも使える。そのレベルまで持ってきたことには敬意を表する。だがしかし、それらはパーソナル「でも」でしかない。「個人が『社会』に対抗するための」道具とは言い難い。
 それでも多くの人はそちらを選んだ。しかたのないことだ。決して安くはないコンピュータを数そろえるのは会社であり、それがパーソナルの都合など考慮するケースは少ない。そして「数が力」という言葉はコンピュータにおいても真実だった。
 かつて私はパーソナルコンピュータにその「真実」に立ち向かう力を求めた。しかしそれは過ちだったのかもしれない。
 今、私は闘いの場をここインターネットの中に求めようとしている。世の中ではプッシュ技術とやらに期待しているらしい。愚かな話だ。おしきせの情報なぞマスコミだけで十分だ。ここでもまた「パーソナル」は負けるかもしれない。いや、負けるだろう。それでも闘う。闘いつづける。こちとら人生出し惜しみなしだ!

97.11.10…「ゼータ0096」完結!

 長らくお待たせした。「ゼータ0096」が今回をもって完結する。
 まずはご照覧あれ。あなたにとって面白いかどうかは知らないが、私のできるすべてを書いたつもりだ。明日以降はルサンチマン日記も逐次更新の予定。まあ、なにはともあれお読みください。

97.7.5…鬼の里の鬼

 例の殺人容疑者に関する報道を見ていて思うことが二つ。
 まず一つは「少年法は手ぬるい!」という意見について。たしかに、彼がなした(とされる)行為は人として許されざることだ。極刑を求める気持ちもわかる。だが、それをもって「矯正の余地無し」と判断するのはどうか。現在の自分が「14歳の自分」を見せられたなら「こいつは将来オウムの鉄砲玉あたりにしかなれないんじゃないか」と言うだろう。そんな私でも、なんとかこうして生きている。ちとボーダーラインっぽいがどうにか暮らしている。だから私には、彼を更生不可能とは言い切れない。
 二つ目は、殺人容疑者を非難する側の一部に見られるグロテスクさについて。たとえば、S社の報道。抵抗できぬ者に、法を侵してまで攻撃をくわえるやり方は残酷な殺人犯のそれと大差ない。思えば彼らは創刊以来ずっとそれで飯を食っていた訳だ。無抵抗の者をリンチにかける週刊誌。それを購読するという形で容認する人々。そのような煉獄から殺人鬼が生まれるのも当然ではないか(なお、殺人鬼となったことに罪がないとは言わない)。
 被爆者の演劇をそろって嘲笑した少年達がいたそうだ。さる識者も書いていたが、彼らと殺人鬼の間に本質的差異はない。なんかキリストさんが言ってたよな。ほら、罪のない者だけが石を投げろとかなんとか。

97.6.29…小学生殺害容疑者が捕まる

 本当に真犯人なのかね? という疑問は残るがまあ仮に警察が正しかったとしよう。
 容疑者は中学3年生だという。同じ歳のころ、私は「ガンダム」に熱中していた。今考えてみるとそれは幸運だった。あれがあったおかげで私は最終回まで生きていたかったし、刑務所や精神病院に入るわけにもいかなかった。
 だから、死ななかった。殺さなかった。狂わなかった。そう、あれがなければ本当にどうなっていたかわからない。余談だが、今「ゼータ0096」を書いているのはその感謝故だし、同時に「ゼータガンダム」以降の裏切りに対する反逆でもある。
 中学時代を思い起こすと、私の血は復讐の念に沸き立つ。ラッキーのタネをどうにか掴んだ今だからおとなしくしているが、もし自らの死が確定したなら、私はきっとなんらかの手段で報復するだろう。おそらくは、ひどく残忍な手法で。
 ね、やっぱり似ていたでしょう?

97.6.23…トクサツはイイねぇ

 特撮はいい。ティガやメガレンジャーを見ているとつくづくそう思う。ストーリーに話題を絞れば特撮はアニメに一歩譲らざるをえないだろう。だが、それでも特撮は時として私の魂を揺さぶる。
 例えばメガレンジャー。「焼き肉が好きな高校生で正義のヒーロー」などというたわけた設定でも、挫折とそれを乗り越える決意の瞬間は美しい。例えばライブマン。「お前達はなぜ命を弄ぶんだ!」という叫びを思い起こすとき、私は涙腺がゆるむのを禁じ得ない。そして、例えば宇宙刑事シャリバン。イガ戦士ヘレンの死に拳を震わせつつ赤射蒸着するシャリバンの姿こそ、我がトクサツ人生(あったんか?)最大の収穫だった。同胞を失った痛み。それを阻止できなかった己の非力さ。流浪の民族の哀しみ。それらの入り混ざった「赤射!」の叫びは今も私の心の中に響いている。
「間」の最終決定権をアニメーターが持つアニメーションと、それを演技者が有する特撮の違いなのだろうか。しかし、その割にいわゆる一般のドラマにちっともピンとこないのはなぜだろう。だれか教えて。
 ちなみに、アニメにおいて特撮なみに「間」を表現できたのは「めぐりあい宇宙」のTシャツを畳むミライさんのみだと思う。どーでもいーが、わしゃセイラさんよりミライさんのほうが色っぽいと思う。あ、やっぱマザコンっすか?

97.6.21…ひもじさと君恋しさを比べれば

 幸運にも社会復帰できそうになったとたん、どうも私は発情期に入ったようだ。金の次は女か。我ながらわかりやすい奴。
 ところで、リンクに「Steel in the Deep」を追加。あの有坂先生のホームページである。潜水艦に興味があれば必見!

97.6.15…ソフト王ゲゲゲイツー

 ゲゲゲ ゲゲゲ ゲゲゲイツー
 ゲゲゲ ゲゲゲゲ ゲゲゲイツー
 作れ 世界の標準を
 真似ろ 数作れば勝ち
 イ○テル入ってる ペン○ィアム
 業界トップを守るため なんでも買収だ
 人の 市場独占を阻む ソフトは許さない
 ゲゲゲ ゲゲゲ ゲゲゲイツー
 ゲゲゲ ゲゲゲゲ ゲゲゲイツー
 バージョンアップ 承認だ
 今だ ネスケをぶっつぶせ
 OS統合 インターネット○クスプローラー!
 多数! 宣伝! 標準! 無償!
 誕生 無敵のどでかいOS
 困ったソフト王
 ゲゲゲゲ ゲゲゲイツー

 たのむからもうちょっと使いやすくならないかね、Windows?

97.6.14…殺人犯とラッキーな私

 他人を許すには本人になんらかの「ラッキー」が必要だ。最近何だか妙にラッキーな私は、今そう痛感している(今ラッキーだと後が怖いという噂もあるが)。
 どのような状況下でもラッキーだと思えるのが本当は一番望ましい。我ただ足るを知る、ってやつだ。しかしなかなかそうもいかない。ポーズだけの悟りなど、女の子のスカートから伸びた脚を見ればそれまでだろう。
 だから人はラッキーのタネを集め続ける。最近の私は、まあそれもありかな、と考えるようになった。しかしそういった行為は、ラッキーにめぐまれない者、ラッキーを失った者にとっては敵対行為ですらある。
 神戸で小学生を殺害した者はその「敵対行為」に報復したいのだろう。彼(あるいは彼女)の手法は理解しにくいが、その目的意識はまるで我が事のようにすら思われる。おそらく犯人は私となんらかの意味で良く似た人物だ。願わくば、彼(あるいは彼女)がこれ以上罪を重ねぬことを。

97.6.8…Macintoshの恩返し

 いろいろあって、転職した。通勤に2時間近くかかるのでちと大変だが、まあ今の所なんとかやっている。これもすべて仲間達のおかげだ(ぜんぜん『ルサンチマン』じゃないような気がするけど、まあよし)。
 さて、新しい職場で私が最初に与えられた仕事はMacintoshLC3の再セットアップだった。思い起こせば、私が最初に手にしたMacintoshもLC3。これもなにかの因果だろうか、と考えていたら友人がさらりと一言。
「それ、もともと宮川さんが買ったやつですよ」
 むう。仕事のためと言いつつDOS/Vの中古を買った私に、お前は社会復帰の糸口を与えてくれたのか。なんか「God save the スゲこまくん」の人造人間えむ子ちゃんのように健気なやつ。
 見ていてくれ、LC3。今度という今度こそ社会復帰するぞ(そんなんで誓うなよな…)。

97.5.28…沖縄が中国領土?

 中国の一部マスコミが領土問題がらみで「本来、沖縄も中国の領土」とのたまったそうな。寡聞にしてその根拠となる史実を知らぬが、まさか「かつて中国に朝貢してたから」とか言うんじゃないだろうな。それが通るのならインドシナや日本も朝鮮半島もみんな「本来、中国の領土」ってことか。さすが核持ってる連中は言うことが違う。
 あ、リンク集をちょっと修正。

97.5.26…曙が優勝

 曙が優勝した。しかし、貴の花優勝時と比べるとその報道のなんと簡素なことか。外国出身だからいけないのか? 日本国籍を取った者にすらその仕打ちか? 少なくとも脱税野郎よりは遥かに横綱らしいと思うぞ。
 中には「外国人力士は大きすぎる」などという者もいるようだが冗談もたいがいにしてほしい。体重無差別こそ相撲の面白さの一つではないか。小兵が巨漢を投げるも良し。巨人が敵を吹き飛ばすも良し。それが相撲ではないのか?
 つまらぬ島国根性のせいで戦に負けたくせに、まだわからないのか。

97.5.25…攻撃的傾向

 どうも最近、自分の攻撃的傾向が強まっているように感じる。それこそちょっと刃を向けられただけで機関銃を叩き込みかねないほどに。将来への不安がなせるわざか? まあオレだって死にたくはないのは事実だが。しかし自らに良くしてくれる者に対してまでそれではまずいよ。
 あ、ホームページ全体をマイナーチェンジ。重くなっていたトップページはこれでかなり改善されたと思う。このページも過去の記事は別とした。

97.5.23…リンクを強化

 トップページのリンクを強化した。これから先、私もWindowsに触れぬ訳にはいかぬだろうが、ゲイツに世界を牛耳られるなんてまっぴらだ。Windowsが万人にとってすばらしいものになり、誰もが使うというのならそれはそれでよい(現状でもすばらしい? 冗談でしょ)。しかしそれまでは、私は私の使いやすいマシンを使うつもりだ。
 あ、案外DOS/Vマシンでラプソディー使ってたりして。

97.5.21…ちょっと追加

 German Navy in WW2内のドイッチュラントの項目に若干追加。また例によって二次資料からの引き写しだが、少なくとも私の役にはたっている。他の人はあまり記載を信用しないように。
 なかなか胃痛がおさまらないが、病院にも行きにくい。九分九厘心因性だろう。

97.5.19…いろいろあった

 振り返ると悪いことはいっぱいあった。希望がもろくも崩壊したこともしばしばだ。でも、これからいいことがあるかもしれない。昨日はそう思えた一日だった。

97.5.9…胃が痛い

 夜眠れない。胃が痛い。まあ、そういうときもあるよね。
 ところで、NONSECTIONおすすめBOOKSに若干追加。ついでにちょっと形式も変えてみた。そういう訳でひとつよろしく。

97.5.7…お前が私を殺すと言うなら

「Kill Macer」なるホームページがある。MacerとはMacintoshユーザーを指す蔑称らしい。わざわざ本人も蔑称と述べている。
 私は必ずしもMacintoshが最良のパソコンとは思っていないし、WindowsがMacintoshに劣っているとも思わない。それぞれの用途において最も適したマシンを選択すべきだと考えているだけだ。
 MSオフィスや一太郎を使うならWindowsマシンを使うのが一番だし、美少女Hゲームなら98に決まりだ。アミガ(綴りはしらん)だって使い方によってはすごい。ハイエンド3DならWindowsNTかSGIだろうがその辺はパソコンと言えるかどうか…。
 しかしながら、今最もパソコンを意識しないですむマシンはやはりMacintoshだろう。ある人はMacintoshを文房具と呼んだがそのとおりだと思う。ぜひWindowsもそうなって欲しい。
 さて、世の中には私の認識を超えた世界の住民がいる。先の「Kill Macer」ホームページの作者もその一人だ。遺憾ながら彼はMacintoshユーザーを差別、愚弄することを目的としているようだ。客観的な比較検討の意志は感じられない。ネットワーク関係の書物もいくつか出してるような人物がこのような低レベルの悪口を並べて喜んでいるとは嘆かわしい。
 以下にアドレスを記す。リンクはつけない。汚らわしいから。もしここでの主張にあなたが同意するようなら二度を私のページを読まないでいただきたい。
 なお、「殺す」と言われて私が黙っていると思ったら大間違いだ。
 http://www2.gol.com/slowhand/kilmac/kilmac_i.htm

97.4.28…センスの有無

 ホームページに「ゼータ0096」第5話を掲載した。ついでに、一部をマイナーチェンジする。もし見え方がおかしかったらどうかメールで教えて欲しい。なお、今後はこのコーナーを「What's New?」の代わりにするつもりだ。どうせ最も頻繁に更新するのはここなんだし。
 さて、第5話執筆後いくつかノベルズを読んだ。改めて、自らの文章力の不足に恥じ入る。比喩は単調にして不適切。語彙は不足。物語の流れは不明瞭だし、ばらばらだ。どうも根本的にセンスが不足しているように感じる。
 元ゼネプロの岡田氏は今や東大の講師である。マスコミにもしばしば登場し、なかなか鋭い発言をしている。彼は一人のオタクだが、そのセンスは大したものだ。オタキングの尊称は伊達ではない。
 私はよく思うのだが、例のMくんは彼のような存在になりたかったのではないか。Mくんが彼のようになれなかった理由はやはり「センス不足」だったろう。
 では、オレは?

97.4.24…ようやく書き終える

 いちおう「ゼータ0096」本文が完成。推敲はあるだろうけど、まずはめでたい。
 さて、今回恐ろしいことに気付いた。「ゼータ0096」はどうも「母に取り込まれた者が父を殺したすえ、少女に殺される」という構造を持っているような気がする。これってひょっとして、「キューティーハニーF」といっしょじゃねーのか? うわー、かっこわる。

97.4.23…ペルー大使公邸突入の報道を見る

 わはは。平和的解決なんてくそくらえ。人質さえ助かりゃいいんだ。日本がアホな要求してるからここまで事件は長引いたんだ。そもそもテロリスト相手に「平和的交渉」ができる訳がない。相手は戦いを選んだのだ。
 とゆー訳で、「突入という最悪の結果」なる報道にはあきれて開いた口がふさがらない。ことに「ズームイ○朝」の○○○○、貴様何も考えてないだろ!
 数年前、彼はウルトラマン特番にて「いやあ、ウルトラマンには夢とロマンがありますね」などと例のにやにや笑いで言っていた。だが彼はその数日前、Mくんについて「アニメや特撮にのめり込んだ結果としてこのような事件がおこった」などとぬかしている。
 彼のように状況への順応能力だけで生きてるような輩は私の敵だ。私が巨人ファンの大半を嫌っているのは、それが理由でもある。

97.4.14…Mくんに死刑判決が出る

 私は子供が好きだ。ぜひ子供が欲しいが、どうもそれは諦めねばならぬ夢のようだ。さて、その子供を殺した(とされる)Mくんに死刑判決が下された。まあ当然だと私は思う。しかし私には、彼を責めることができない。彼を責める者に対して平静でいられない。
 私は、彼とひどく近いところにいる(オウムとも近いところにいたかもね)。彼が感じていたであろう不安は、おそらく私と同種の不安だ。彼が抱いていた望みは、私と同様の望みに相違ない。違いはわずかに一つ。彼がすでに罪を犯し、私がまだ罪を犯していないという点だけだ。私は死刑を拒みはしないが、会ったことない者たちに「人でなし」あつかいを受けたくはない。
 そういえば大塚さん、もう彼をかばうのはやめちゃったのか?

97.4.6…エヴァンゲリオン最終回を見る

 あ、「シト再生」じゃなくて「シト新生」でやんの…ま、いいか。という訳で再放送のエヴァ25、26話を見た。いやー、おもしろいなあ。これ見て怒るのは極めてまっとうな反応だけど、オレは面白かった。
 大塚英志さんがムキになってるみたいだけど、大人げないと思うな。「物語消費論」は面白かったのに…。なんでもかんでも自分の知ってる範囲に当てはめようとするのはどうかと思う。
 あ、今のは私に対しても言えますね。

97.3.31…ときメモとオーロラなんとか

 以前NHKでバーチャル・アイドル人気(大雑把に言えば『ときメモ』ブーム)について取り上げていたが、「最近の男の子は元気がないから、アニメやゲームのキャラにのめり込む」などというくだらない結論を出していた。
 多分電通だかなんだかのエライ人もそんな頭でバーチャル・アイドルに大金をそそぎ込んだのだろうが、そんな人をなめた手にオタクがひっかかると思ったら大間違いだ。「コギャル」だの「オジサン」だのの一言で語り尽くせてしまうような存在が嫌だから、多くの人がゲームやアニメのキャラクターに引き付けられるのがわからないのか?
 本当の人間とゲームのキャラは違うと世間は言う。しかし、人を点数や成績でしか評価しないのが今の世間というものだろう。ゲームのキャラの特性の多くは数字で示されているが、「過去」だの「相関図」だのが示されている分まだましかもしれない。
 今朝テレビを見ていたら「オーロラなんとか(忘れた)」なる歌手のCDが売上ベストテンに入っていた。オーロラなんとかとはNHKの連続ドラマ中で役者が演ずる歌手の名である。おそらくはまったく意図せずに、NHKはバーチャル演歌アイドルを作り出していた、という訳だ。笑わせてくれる。

97.3.25…キューティーハニーのフィギュアを貰う

 3月29日は私の誕生日だ。という訳で先日友人から誕生日プレゼントを貰った。「キューティーハニーF」のフィギュア二体だ。UFOキャッチャーで手に入れた品らしいが、良くできている。一体は歌手、もう一体は看護婦姿のハニーだ。一目見て、頭がくらくらした。ことに看護婦の方がすさまじい。ミニスカートからパンツ丸見え、バストはいわゆる巨乳、おまけに乳首は立っている。もう、原型作った奴のリピドー大爆発って感じだ。
 私はこういった品は嫌いだ。なによりイヤなのは、私がこういった品に間違いなく引き付けられている点だ。破滅が確定的となった我が身には似合いの品かもしれない。

97.3.20…「土田くんてアレですね!」を読む

 永野のりこ先生の新刊「土田くんてアレですね!」を購入する。どうもエロ雑誌に掲載されていた作品らしい。まあ、レディースコミックも描いてたからいいか。
 当然そういった描写も他の作品と比べると多い。ことに「さかなちゃん」なんかすんごいモロだ。オレもここまで露骨な言い方はできんな(念のために言うが、エロマンガとしての実用性はないのであしからず)。
 しかし、それらの描写が決して単なる読者サービスとなっていない点が彼女のすごいところだ。いやあ、愛っていいよね。

97.3.18…「シト再生」を見る

 栄の映画館に「シト再生」を見に行った。平日だというのに立ち見までいたのにはいささか驚く。映画の出来については特に言うべき事もない。
「あ、『太陽の王子ホルス』入ってる」
 とか思ったが、それは様々な引用で構成されたこの作品においては当然のことだろう。
 さて私は一人で行ったのだが、となりに女性が座った。きれいな長い髪の女性だ。ふと、自分がこの女性とカップルであった場合を頭の中でシミュレートしていることに気付く。ありえもせぬことを…補完が要るのは貴様だっつーの(>わし)

97.3.12…この国も終わりだ…斬れ

 あーあ。人殺しじーさんはこれっぽっちも反省してないし、放射能漏れてもあいかわらず首相の耳に届くのには時間かかるし…本当にダメじゃん、日本。
 怖すぎるぜ。

97.3.10…昼の盛り場を歩く

 故あって、昼の飲屋街を歩く。車は走っていても、私以外誰一人歩いていなかった。安っぽい店、いかがわしげな店、消えたネオン…なんか死のにおいがただよっているかのような印象を受けた。

97.3.8…思う

 なんちゅーか「たわけに何を言っても無駄」というのは真実だろうと思う。しかしだからと言ってオレが何もしないと思ったら大間違いである。こちとら人生出し惜しみなしだ!

97.3.6…ポンキッキーズを見る

 朝ポンキッキーズを見てたら、ランラン(漢字はしらん)がゲームに負けてウサギになってしまった。
 オレもウサギになりてえ、と感じたのはやはり精神崩壊の前兆か? ひょっとしてもう崩壊してるのか?…だってウサギって誰にも迷惑かけないじゃん。いいよな。

97.3.3…コンサルタント

 今日、コンサルタント業の輩にあった。当たり前のことを無反省に大声で喚くのが仕事らしい。楽でいいなあ。

97.3.2…未来世紀ブラジルのような

 帰宅のため地下鉄に乗ると、20代後半と思われるビジネスマンが座っていた。髪をきちんと整え、ネクタイを締め、「日経ビジネス」を読んでいる。知的で、人当たりの良さそうな面もちだ。
 彼は座席右端から1.5人分あけて座っている。右端には一人座っていたから、0.5人分の空間があった。彼の左側にも同様に0.5人分のスペースが。のんびりとくつろぐ彼の乗る車両は決して空いてはいない。
 途中の駅で右端に座っていた人が降りる。1.5人分のスペースに、親子と思われる二人連れの女性が座った。しかし、彼はそれでも左にずれようとはしない。右隣の女性が困った顔をしても、知らぬふりだ。
 ああいった阿呆は死んで欲しい。

97.3.1…関西が嫌いだ

 私は大阪府茨木市に住んでいたこともあるので、私の数少ない友人には関西人も含まれている。彼らはナイスガイ(死語)ばかりである。しかし「関西」は嫌いだ。ことに某上岡氏やら某吉本興業はだいっきらいだ。ついでに某ダウンタウンも嫌い。
「関西」は「中心」を批判する。それ自体はよい。しかし「関西」は、新たな「中心」としての責任を受け入れようとはしない。責任を回避しつつの批判が何を生み出すというのか。
 また、「関西」はナンバー3以下をあざ笑う。ナンバー2の座に安住する輩がそのような態度をとるなら、「虎の威をかる狐」の謗りを免れ得まい。見苦しいぞ。
 偏見? まあそうだけど。

97.2.26…別冊宝島を立ち読みする

 別冊宝島の「洗脳されたい」(だったかな?)を書店で立ち読みする。誰とは言わないが某船井について書かれた記事が二つ。もしやと思って見ると、やはり私が3年ほど働いていた会社についても触れられていた。「某船井のカモにされた」という見方と「某船井に似合いのクズ会社」という見方のようだった。
「それ見ろ、バカ」と思わぬでもない。しかし同時に、自分が3年間を無駄にしてしまったことを指摘されているようでつらい。
 あのころ私は「まっとうな社会人」になりたかった。終身雇用の会社で数字に追われたり、部内の人間関係に気を配り、上司について妻に愚痴ったり…そんな「普通の人」になりたかった。
 それはやはり、無駄な努力だったのだろう。

97.2.24…パート2映画が好きだ

 先日ふと、自分がパート2ものの映画が好きなことに気付いた。「ガメラ2」しかり。「エイリアン2」しかり。「スタートレック」も「カーンの逆襲」が一番好きだし、「ゴジラVSビオランテ」も新ゴジラシリーズの2番目だ。
 パート1で描ききれなかったこと、あるいは、パート1への思い入れ。パート2ものの根幹にはそういったものが横たわっているように感じる。そこには、なにかを生み出すような力はないかもしれない。単なる補弼、単なる憧憬に過ぎないのかも知れない。パート2ものの多くが厳しい批判を受けるのは、当然だろう。それは新しい何かを提示してはいないのだから。
 しかし私は、パート2ものの味方だ。何も生み出せないからと言って、「何か」を愛しちゃいけないという法はあるまい?

97.2.22…ひどい夢を見る

 ここ二日ほど続けて「98系三流Hゲーム」みたいな夢を見た。かっこ悪い話だ。
 どういう訳か、出てくる女性は小柄でやや細身。どちらかというとぽっちゃり型が好みだと自ら分析していた私にとって、なぜそんな女性が夢に現われたかは疑問だ。エロマンガの読みすぎか? 我ながら情けないぞ。

97.2.20…楽しい

 中国でたいそう偉い老人が死亡したそうだ。結局、「中国の香港」を見ることはできなかった訳だ。かわいそうに。
 当分、中国の政策に大きな変化があるとは思えないが、老人に代わるカリスマがいるとは思えない。どのような形でかはわからないが、権力内での衝突は避けられないだろう。さて、どうなることやら。

97.2.19…ビバ、お友達

 友人の薦めにより、とりあえずこのコーナーへのリンクを最初のページに置いた。近い内にサーチエンジンにも登録しようと思う。かなりイカレタ私にとって、友人の忠告はありがたい。

97.2.18…キューティーハニーを見る

「ガオガイガー」かっこいいじゃん。という話はとりあえずおいといて、問題は「キューティーハニーF」だ。見ててフロイトとかユングあたりの意見を聞きたくなったのは私だけだろうか。
 敵の首領は「大いなる母」。敵の怪人はすべて巨乳で、主人公ハニーと父親を奪い合う。原作に出ていたガキは消え、ハニーの母性的側面は確実にカットされている。また、ハニーに対し多くの女生徒が恋愛に似た感情を抱いていることが明示されている。父親が主人公に向ける愛情はどう見ても「親子」のそれでなく、「人形」への愛だ。「セーラームーン」の後がこれだというのは、正しいのかも知れない(多分二度と見ないけど)。

97.2.17…永井豪先生すいません

 あれは誰だ 誰だ 誰だ
 あれはルサンチ ルサンチマン ルサンチマン
 横から見てる他人(ひと)の愛
 そのやさしさを妬んだ男
 ルサンチチョップは八つ当たり
 ルサンチキックは逆恨み
 ルサンチアイなら人憎み
 ルサンチイヤーは毒電波
 悪意の力みちみちた
 不毛のヒーロー ルサンチマン ルサンチマン

97.2.16…機動戦士Macintosh「逆襲のジョブズ」

 数的には増大しつつも混乱とマイクロソフトの独占が渦巻くWindows陣営。その時、旧敵Macintosh陣営ではあらたな動きがあった。
アメリオ「おお、ジョブズ総裁だ」
ハンコック「総裁自らがデモを…」
 新たな地位を得たジョブズ総裁の下、Macintoshは反撃に転ずる。トヨタに落着したクラリスインパクトにより、Windows統一政権が偽りにしか過ぎないことが露呈した。
ウォズニアック「ジョブズは純粋すぎるのよ」
 そして戦いは、「商売しか頭にない」ゲイツとジョブズの宿命の対決となる。
ジョブズ「私ジョブズがWindowsを粛正しようというのだよ、ゲイツ君!」
ゲイツ「それは傲慢だよっ」
ジョブズ「ならばWindowsを誰でも使えるようにしてみろ!」
ゲイツ「そんな理屈!」
 MacOS8は本当にUNIXなみに堅牢なOSになるのか? ロータスやジャストシステムをいじめてばかりのマイクロソフト政権はどうなるのか? そもそもパソコンは「人の革新」たりえるのか?
 3月、全国松竹系劇場にて公開!…な訳がない(わかる人だけわかってください)。

97.2.15…やっぱり

 昨日は何ももらわなかった。ちぇっ。

97.2.13…わくわくする

 北朝鮮のエライ人が韓国への亡命を希望しているというニュースを見た。例によって北朝鮮はキーキー文句を言ってるようだ。ふと「戦争にならないかな」と思う。戦争になれば様々なものが破壊される。人も、規則も、道徳も、インフラも、社会も。そう考える時の私の心境は、少女漫画を見てうっとりする女の子と大差無かろう。
 我ながらいやな奴だなあ。

97.2.11…ホームページはつくらにゃ損だ

 世の中ではインターネットと言えば電子メールだのネットサーフィンだのということになっているようだが、そんなものはおまけだと私は思っている。
 電子メールなんてニフティで十分だし、ネットサーフィンなんて一月もやれば飽きる。メイリングリストやニュースグループはニフティ以上に濃い人たちが集うのでなかなか楽しい。ただし、無法地帯なので要注意ではあるが。
 インターネットならではの楽しみといえば、やはりホームページ作りだ。OSのおまけに付いてくるテキストエディターだけで十分ページは作れる(MacintoshユーザーにはフリーウェアのJ-editをお薦めする)。ちょっとしたグラフィックなどを含めても、フリーウェアでばっちりだ(たしかにアドビページミル2.0は便利だけど)。個人のページと大企業のページの間にさしたる差はない。そんなメディアが他にあるだろうか?
 最近はショックウェーブだのジャバだのと高等技がでてきたが、そんなものなくてもどうということはない。絵が動かなくても面白いページは山ほどある。
 情報を受け取るだけならテレビと何も変わらない。もしもあなたがパソコンをインターネットテレビと同レベルでしか使ってないなら(そんな人はここを読んでいないかもしれないが)それはひどくもったいないことだ。

97.2.10…沈黙は苦手だ

 例えば電車の中。読む本もなくぼんやりしているのは私にとって苦痛だ。あるいはナイトキャップも飲まずに床に入り寝ようとする時。これもまた苦痛だ。様々な過去の事柄が脳裏に甦り、私を責め苛む。思い起こされるのはいやな過去ばかりだ。まあいやでない過去が圧倒的に少ないからしょうがないかもしれないが、ちと異常だろう。
 最近やたらと「生きてるうちにいいことあるといいなあ」と無意識のうちに呟くことが多い。危険だ。

97.2.8…ペンネームを思いつく

「エド・ウッドとサイテー映画の世界」を読んでいて、ふとペンネームを思いついた。「魚津捨文(うおづすてふみ)」というのはどうかな。元ネタは分かる人はわかるだろう。
 以前から使っている「峰川弘行」と比べれば…どちらもぱっとしないか。

97.2.6…エクスプロイテーション小説?

「バカを騙して一山当てよう」という狙いで作られた映画をエクスプロイテーション・ムービーと呼ぶそうだ。「エクスプロイテーション」には「搾取する」とか「利用する」という意味がある。騙されるのは観客だったりスタッフだったり、あるいはプロデューサーだったりといろいろみたいだが、多くの場合作品の出来はサイテーだ(くわしくは『エド・ウッドとサイテー映画の世界』を参照のこと)。
 さて、最近は映画の本数自体が減ってエクスプロイテーション・ムービーも少なくなりつつあるようだが、国内にはある意味それと類似した作品群がはびこっているように思われる。いわゆる「架空戦記小説」だ。
 私は10年ほど前から架空戦記に興味を抱いていた。当時、そのジャンルに入れられる作品は数えるほどしかなかったが、私はそこに「歴史の相対化」の魅力を感じていた。「ラバウル烈風空戦録」などの登場には手を叩いて喜んだものだ。
 さて、昨今では直木賞作家や一流シナリオライターらが「架空戦記小説」を書くケースが多い。しかしその少なからぬ範囲がまったく箸にも棒にもかからぬ代物となっている。若手でやる気のある作家を共著という形で「使う」ケースもあるようだが、物書きとしては不満な話だろう。
「とにかく日本が勝てば良い」「とにかく大和と零戦と山本五十六が活躍すれば良い」といった指向がありありと出た作品が少なくない。そういった作品が次々と出版されているのは、やはり売れているからに相違ない。少なからぬ日本人はそれらを求めているのだ。困ったものだが、国内の不景気とアメリカの成功が続く限り、この傾向は変わらないだろう。手を変え品を変え、類似作品は次々と出版され続けるだろう。
 それらを書店で見ると、まっとうなSF映画ファンが「とにかく怪物と巨乳が出れば良い」エクスプロイテーション・ムービーの看板を見たような気分になる。これは思い上がりだろうか?

97.2.4…「エド・ウッド」を見る

 ティム・バートン監督の「エド・ウッド」をビデオで見た。「史上最低の映画監督」エド・ウッドを題材にしたセミ・ドキュメンタリー映画だ。エドは才能に欠け、センスが無く、審美眼も持ち合わせていない。おまけに女装癖まである。しかし彼は映画を愛していた。その作品を多くの人にけなされても、彼は懸命に映画を作り続けた。
 映画には描かれていないが、彼は三流ホラーすら撮れなくなり、ポルノなどを監督する羽目になる。そしてついには酒に溺れ、失意のうちに死ぬ。だが彼は今日、「史上最低の映画監督」として多くの人に知られている。彼は今や、無名の監督ではない。
 彼の生涯をどう評価すべきか、私は迷っている。「人生を無駄にした男」か? それとも「自らの夢を貫き続けた男」か?

97.2.3…悪夢にうなされる

 ひどい夢を見た。私が犯罪者(どうもテロリストらしい)となり、警察に捕まるのだ。周囲の人々の視線が厳しい。面会に来た親は
「まさかこんな事になるとは…」
 と絶句する。それに対し私は
「いずれこうなると思っていたよ」
 と微笑みすら浮かべつつ答えるのだ。
 うーん、たしかにそうなりそうな気がしないでもない。なにしろ怨念だけで生きてるからな。

97.1.31…大丈夫か、Windows?

 友人の98がおかしくなった。良く分からないがCD-ROMが読めないらしい。インターネットにも入れなくなったままだ。「誰にでも使える魔法のソフトWindows95」の割にはなんだかなあ、といった印象だ。もし解決法をご存じの方がおられたらお教えいただきたい。
 ところで今年はWindows97とかでるらしいが、95ブームの時にパソコンを買った人たちはちゃんと移行できるのだろうか?「ペンティアム133ぐらいでないと使えない」という話も聞いたが、あの頃の低価格機は75か100ぐらいのはず。オーバードライブプロセッサーとかみんな取り付けできるのか? OSのインストールとかできるのか? マスコミでは「キーボードを叩けないから結局使ってない」なんて記事をよく見かけるのだが。心配だなあ。
 心配と言えばジャストシステムやロータスなんかも心配だ。どうせWindows97アプリケーション一番乗りはオフィス97に決まってるし、またぞろシェアが落ちるのは確実だ。ロータススーパーオフィスなんて買った人いるの? 一太郎のバージョンアップなんかめちゃめちゃだし…どうするつもりなんだ、いったい?

97.1.29…すまん

「機動戦艦ナデシコ」は「すんげーどうようもないアニメ」ではないようだ。結果がどうであれ、作り手はかなり真剣だと見た。じゃあ…おれの仲間じゃん。
 面白いとは言いにくいが、とりあえず全否定はしない。

97.1.28…モスラ対インディペンデンスデイ

 ふれた以上は責任をとらねばなるまいと「モスラ」と「インディペンデンスデイ」を見に行った。
「モスラ」は怪獣映画ではなく、ファンタジー映画だ。アイディア的には色々面白い点もあった。しかし、脚本を俺に書かせてくれたら2倍は面白くできる自信がある(ただし怨念は5倍になるが)。
 また、絵作りが未熟だ。ことに、モスラを呼び出す際に小美人のバックを唐突に炎や波にしたセンスは理解できない。今時テレビゲームだってもうちょっと演出してると思うぞ。問題点をあげはじめればきりがないが、それでもなぜか「モスラの歌」には涙腺がゆるんでしまった。やはりビョーキか?
 なんにせよ怨念が足りない!「モスラ2」ではぜひ南方の森林資源を破壊する日系企業を殲滅して欲しい。
「インディペンデンスデイ」にはアメリカ的な強迫観念を感じた。それは例えば、こんな言葉に要約できるだろうか。
「人造国家アメリカは世界を導かねばならない。その導きは正義と理性に基づくものであり、世界は当然のようにこれに従う」
 おーい、人にはそれぞれの正義があるんだぜ。
 まあ、それはいい。映画としては実に面白かったし、なによりMacintoshが大活躍だからね。ちなみに「モスラ」では環境破壊しまくりの企業がWindowsマシンを使っていた。はは、やっぱり。

97.1.27…怪獣は怨念だ

 安心しなって
 人外魔境ができたらばさ
 キタモリ
 私はこんどはさ
”そのもっと外”に棲む
 想像を絶するようななにかになって
 壊しに行ってやるからさ
 ぜんぶ

 以上は「電波オデッセイ」において主人公が友人のキタモリに心の中で語りかける台詞である。「人外魔境」とは、キタモリが「社会から疎外される者の場」を表現した言葉だ(たぶん)。キタモリは人外魔境の者たちに共感しつつもそこに陥ることを恐れている。主人公がそういった不安の前提そのものを破壊していく様を、永野のりこ先生は物語の根本に置いている。
 さて、上記の台詞は怪獣映画の本質を見事に表現していると思うのだが、どうだろうか?「想像を絶するようななにか」とは、怪獣以外の何者でもない。多くの作品において怪獣が「南海の孤島」「遥かなる極地」「天空の星々」といった”そのもっと外”からやってくるという構図は示唆的だ。
 そして怪獣は、ありとあらゆるものを壊す。思い起こせば、秩序の象徴を破壊する怪獣のなんと多いことか。新「ゴジラ」において、ビル街を破壊しないゴジラに無数の不満が叩きつけられたのはそのためだったのかもしれない。
 人々は逃げまどい、高き塔は崩れる。この極限状態において「人外魔境」は崩壊する。その瞬間こそが怪獣映画の核心なのだ。
 私は、怪獣映画と巨大生物映画はまったく異なると考えている。そして、私の知る限り「怪獣映画」のほとんどは日本で作られている(貴重な例外は『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』)。おそらくそれは、日本社会が「人外魔境」を恒常的に作り続けることによって成り立っているからであろう。
 モスラはやっぱり、沖縄の怒りで米軍も自衛隊も吹き飛ばすべきだと思うよ、うん(新作は見てないけど)。

 付記
 では「ガメラ対レギオン」のガメラは? それはあなた、天皇陛下ですよ(詳しくはまた別の機会に)。

97.1.26…くやしい

 かつて共に働いた人のホームページを見た。人の生き方にはいろいろな評価基準があるけれど、彼は成功しているように私には見える。
 私はくやしい。

97.1.24…現在、士気低下中

 セガとバンダイが合併を発表した。私は以前玩具問屋に務めていたこともあるため、バンダイには深い恨みがある。事実上セガに吸収される奴等に関しては、「ざまあみろ」と思わぬでもない。
 しかし同時に、非常にいやな気分だ。「権益を持った者同士の連合」は不愉快極まりない。彼らは競い合うことよりも、自分たちの既得権益でのうのうと生きていくことを選択したのだ。おそらくは、彼らの下部組織の一部を切り捨ててでも。
 世界の安定。私のように何一つ利権を持たぬ者にとって、それは無期懲役の宣告に等しい。これから先、自分にとってなにも良い可能性がないとしたら、生きていく意味がどれほどあるのだろうか?

97.1.23…「ガンダム」の私生児

「ガンダムX」というアニメがあった。正直に言うが、私は決してその作品の良い視聴者では無かった。実際、前半はとびとびにしか見ていない。しかしなんというか、見ているとき何か動悸が高まるような感触を覚えたことを記憶している。それはなぜだろう、と思ったときには私は毎週欠かさず見るようになっていた。皮肉にも、そのころには放送の打ち切りが決まっていたようだが。
 断定してしまおう。「ガンダムX」は「ゼータ0096」の異母兄弟だ。多分、格は大きく異なる。向こうは側室、こっちは「お殿さまのおたわむれで…」といったところだろう。だがどちらにせよ、正当な後継者として認められないことは間違いない。なにせ嫡男「Vガンダム」がいるのだから。
 そして同時に、同じ父の血を継いでいることも紛れのない事実だ。
 おそらくは、両作品とも「父」への憧憬と恨みが創作の原動力となっている。他の多くの問題点をこえ、私が「ガンダムX」を肯定するのはそのためだ。

97.1.22…「斬りぬける」のエンディングが聞きたい

 時代劇が好きだ。「水戸黄門」や「大江戸捜査網」、「桃太郎侍」などの痛快娯楽物を良く見る。しかし、今一番見たい時代劇はそういったタイプではない。
「斬りぬける」というタイトルの、多分70年代のドラマだ。主人公は主君の悪行を正すため脱藩、しかし不義密通の汚名を着せられた上、強力な追手が次々と襲いかかってくる…うーん、燃えるぜ。しかもシリーズ中盤、本当に不義密通をしてしまい、あげくのはてにその女性(死んだ親友の妻)があっさり殺されてしまう展開は凄い。このあと主人公がほとんどテロリストと化してしまうあたりいかにも「安保闘争の余波」っぽい。怨念入ってるなあ。
 さて、この時代劇のエンディングがめちゃめちゃかっこいい。こんな歌詞だ。

 風が吹き荒れる荒野の果てに
 日は昇り沈む
 月日は帰らない
 燃え尽きた愛の命
 どんなに愛してもなぜか虚しい
 やがて白い雪すべてを閉ざす
 この愛のために故郷は捨ててきた
 故郷は捨ててきた

 うーん、泣けるぜ。さて、この曲をもう一度聞きたいとかねてから探しているが、どうにも見あたらない。テレビ時代劇でCD化されてるのは「必殺」ぐらいのようだ。もしこの曲が入ってるCDを知っておられるなら、どうかメールで教えて欲しい。

97.1.20…和製ヘビメタが好きだ

 私が好む音楽のジャンルはてんでばらばらだ。ビートルズ、ワールド・ミュージック、沖縄民謡、そして和製ヘビメタだ。
 ヘビメタの中でも私が好きなのはどっちかと言うと軟派なタイプだ。ボーカルがアメリカ人になる前のラウドネス。解散しちゃったアース・シェイカー。どういう訳かアジアに目を向けっぱなしの浜田麻里。おおよそこういったところだろうか。
 ことに浜田麻里は好きだ。ライブでの彼女の「しゃべり」は下手としか言いようがない。おまけに、実にうさんくさいきれい事ばかりを語る。しかもその口調から、彼女がそれをこれっぽっちも信じていないことが否応なく伝わってくる。
 しかし…いや、それだからこそ私は浜田麻里の歌が好きだ。空虚な自分。それを気にしつつも振り返らずに、ただ「かっこよさ」に向かって走る心を、私は身近に感じる。

97.1.19…永野のりこ先生のサイン会に行く

 永野のりこ先生のサインを貰うために、大阪に行って来た。多くのサイン会と同様、整理券を貰わねばならない。しかしいくら私でもサインのために二度も大阪に行くことは出来ない。悩む私を助けてくれたのは、メイリング・リストの仲間だった。うーん、電波の友! インターネットばんざい! わしの分まで整理券を入手してくれるなんて、おもわず「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」を歌いたい衝動にかられる。
 メイリング・リストの仲間たちとは喫茶店で集合。一応、本が目印となっていたがなぜか「電波」でわかるから不思議。やっぱりキテルな、おれ。
 会場となる「わんだーらんど難波店」には予想外の長蛇の列が。けっこうメジャーなのか、永野? 並んでる途中なぜか「サイバー桃太郎」(山口貴由)をゲット。列はなかなか進まない。どうしたもこうしたもない。先生はサインのみならずわざわざそれぞれのリクエストを聞き、絵を描いていたのだ。これで早く進んだらおかしい。わしもついM1号をリクエストする。しかも先生は、描きながらいろいろとお話をして下さった。
 先生にあまりお手をとらせては、と思い特に何もお聞きしまいと考えていたのだが、そのお言葉につい
「いや、私も最近悪夢に悩まされてまして」
 と言ってしまった。先生はにこやかな表情のままこうお言葉を返された。
「うん、結局悪夢を見せてるのは自分だからね」
 さすが先生! 一生ついてくっす、おやびん! って感じだ(異常にハイだな)。ともかく、修羅場をくぐり抜けたものだけが者だけが持つ軽やかさを先生は身につけておられた。それを確認できたことは嬉しい。
 サインをいただいた後はさんざん電波フレンドと大阪の町を楽しんだ。たこ焼きもフクも食べなかったが、実に有意義な一日であった。

97.1.16…「ゼータ0096」第4話を書き終える

 ようやく「ゼータ0096」第4話を書き終えた(来週頭までにはここにもなんとかアップする予定)。ばんざい、って感じである。
 今回は物語が激しく展開したため、やたらとNPCの出番が多い。ことにシロッコは大活躍だ。もっとも、あれを活躍と言ってよければだが。
 とにかくシロッコはやりたい放題だ。あんなこともこんなこともしているが、彼こそ私の怨念が具現したキャラクターかもしれない。いや、私の怨念の被害者か? 一昨年あたりに検討していた段階ではシロッコは登場すらしていなかったのだが…うーん。


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