1998(怨念戦隊ルサンチマン日記)

98.12.31…パソコンと98年について

 なにやら1998年も今日でおしまい。むー、来年はもう人類滅亡か。思ったよりも早かったにょー。  さて、今年も締めくくりと言うことでちょっとパソコン業界三大ニュースを個人的に選んでみた。

  1. iMac発売
     昨日は友人二人のパソコン買い出しにつきあった。いろいろ話したが、結局二人ともiMacを購入。
     今日、どのパソコンを選ぶかという問いは、つきつめていくと「iMacかそれ以外か」という問いに還元されてしまうのが興味深い。iMacと比較しうるパソコンを無理矢理あげるなら、やはりVAIOシリーズだろうか。Sony以外のDOS/Vメーカーは猛省すべきである。なぜならこれは、処理速度以外にパソコンへ価値を与えられなかった怠慢の証だからだ。
     来年はiMac以上に衝撃的なDOS/Vパソコンがあらわれることを期待したい。いやほんと、マジで。
  2. Linuxの急速な普及
     Macユーザのオイラですら不安定だと感じてしまうサーバOS、WinNT4.0。アメリカじゃ巡洋艦ヨークタウンを「撃沈」して武名をあげたらしい(詳しくはWiredを参照)。少なからぬ者がLinuxに走ったのは当然だろう。
     そろそろ「あのお方」がお怒りになると思われるが(ハロウィン文書が事実ならすでにお怒りか)さて。世界中のLinuxerは「あのお方」の妨害に対抗できるかどうか。魂かけた趣味と巨大資本はどちらが強いのか。おそらくは来年が対決の山場、なかなかの見物だ。なんか「花の慶治」の主人公と天下人豊臣秀吉の対面みたいでかっこいいのう。敗北後「あのお方」が「わしもかつては一介のギークじゃったわい」とか言って朗らかに笑うとイカス。
     あ、買収してWinLIの名前で新たにラインナップに加えるってのはどう?
  3. AOLによるNetscape社の買収
     Appleの危機が騒がれていた頃、Wiredもそれに関する特集を組んだ。記事の最後の一文にするどい、と感じさせられたことを思い出す。
    「大丈夫だって。本当にやばいのはNetscapeさ」
     たしかまだIEがver.3のころの記事だったと思う。結局「あのお方」は90年代有数のベンチャー企業を見事に圧倒したわけだ。表計算とブラウザといえばパソコン界のジブラルタルとシンガポールみたいなもの。Lotus123とNetscapeを破りこの両方を押さえた「あのお方」に対抗できる者はいるのか? かつてスペインを破り世界帝国を建設した英国もやがては衰亡の道をたどったが、Linuxとの戦いは「あのお方」にとっての世界大戦となるのか? さしずめNetscapeはオランダかにょー。月単位で大国の興亡を見ているようで、実に興味深い。

 いやあ、ほんとに今年はいろいろあった。え、Win98? あ、あったねそう言えば。

98.12.28…またまた仮説or妄想

 OSを8.5.1にバージョンアップ。ネイティヴ化が進んだおかげか快適である。PowerPCの実力恐るべし。てゆーか、今頃ようやくその実力を発揮できるというのは、やはりApple社のこれまでの戦略に問題があったと考えるべきか。
 ついでに、HyperLibのCDからMP3関連のツールをインストール。意外におもしろい。Mac対応のRioやMPmanの発売が待たれる。余談ではあるが、MP3の普及は今後のリムーバブルメディア市場に少なからぬ影響を与えるだろう。ローコストで省電力、可動部が少なく(あるいはゼロ)容量が20〜40MBあたりのものへの需要が高まるに違いない。MOやZipとはまったく異なる性格のメディアだ。
 さて、今日もまた妄想を披露する。ものの本によれば、睡眠中の脳の活動は起きているときと同様に活発だという。実際にその活動がどのようなものかは私には想像するしかないが、やはりその大半は「夢」なのだろう。夢で感覚する事と、いわゆる現実から受ける感覚にさしたる差がないことを考えると、夢を見る際の脳の負担が少ないとは思えない。
 また、かつて不眠実験の末に性格が破綻してしまったケースも聞いたことがある。
 そこで連想したのだが、この「夢」とはMacでいうところの「デスクトップファイルの再構築」にあたるのではないか、ということだ。
 UNIXやWinではファイルはパスによって管理されているが、Macではデスクトップファイルと呼ばれる一種のデータベースによって管理されている。連続稼働時間が長すぎたり、あるいはシステムへの負担が大きすぎるとこのファイルの整合性が崩れ、トラブルにつながるケースが多い。そんなときにちょっとしたキーボードショートカットでこれを再構築するとあっさりとトラブルが解決するケースも少なくない。ただ、通常この再構築には再起動が必要だ。ハードディスクはシャカシャカとうなり、複雑化したデスクトップファイルを作り直す。
 人にとって、睡眠とはこの再起動のようなものかもしれない。考えてみれば、夢においてかつての記憶の断片が奇妙な形で結びつくケースは決して少なくない。あれは実は、我々の脳内OSがデータを整理し直す情景ではないのか?

98.12.27…ポスペとMS Office

 今日の「ギンガマン」は年末進行らしく総集編。エンディングが英語バージョンであった。どう聞いても子門まさとの声なんじゃがのう。大人の世界は大変である。
 昨日ようやくポストペット2001を入手。わはは、もうペンギンも赤いコンピュータも怖くないぞ。
 このソフトのコンセプトはすばらしい。そのパッケージングもまた高く評価すべきだ。ハイブリッドであること。あえて2枚セットでしか販売しないこと。さらにそれを人にプレゼントできるようにかわいらしい封筒までがセットされていること。すばらしい。ここには「個人と個人を結ぶ」という目的が明確に表出されている。
 残念ながら、こういった目的意識や美意識をもったソフトは少ない。近年は特にそういった傾向が強いように感じる。MS Officeなどはその悪しき例の最右翼だろう。なるほど一見したところWordもExcelも統一されたインターフェースに見える。だが実際には「コピーとペースト」すら異なる意味を与えられているではないか。あれを統合ソフトと呼ぶ感覚ははなはだ疑問だ。
 私はExcelというソフトを高く評価しているし、実際に愛用している。だが、Officeというパッケージについては商業的な意味合い(他社ワープロソフト殲滅)しか見いだせない。PowerPoint? プレゼンなんていったい何パーセントの人間がするんだ? ちなみに、私はPowerPointによるプレゼンで中身をともなうものを一度として見たことがない。ドローソフトとしては論外。マックドローでも見てから出直せ。ちなみにこいつのインターフェースもExcelやWordとは異なる。勘弁してくれ。

98.12.26…鬱モードに突入する

 自分が「なんの足しにもならぬ存在だ」と証明されるのはつらいことだ。まだそこに「この世のどこにおいても」と前提が付け加えられていないのはありがたい。人の心の恐ろしさは、さしたる根拠もなく上記前提を付与できるところにある。自分に対しても、他人に対しても。
 おそらくは一時的な鬱状態。近日中復旧の予定。

98.12.20…DOS/V購入計画一時凍結

 ポストペット2001限定版を買い損ねる。おかげでここんところアンノウンくんばっかし。うぐぐ。
 それはそれとして、DOS/V購入計画を一時凍結する。理由は概ね以下のとおり。

 いろいろ見たが、仮に現時点で買うとしたらLet's note S22だろうか。サブノートとしてはやや厚いが、公称5時間稼動のバッテリとトラックボールは捨てがたい。ポート類を一通り本体に備えているのもよい。我ながら未練たらたらじゃのう。

98.12.17…男だったらアメリカ大統領

 すげーぜ、クリントン! さすがだぜ、大統領! ポルノまがいのエッチをさんざん楽しんだ挙げ句、人に文句を言われそうになるとすかさずミサイル発射! うーん、男の中の男だぜ。
 どうでもいーんすが、あんなのが「砂漠のキツネ」作戦なんてロンメルが草葉の陰で泣いてるぞ。

98.12.6…エブリシング・マスト・チェンジ

 れー様によるホームページ「親父の殿堂」をリンク集に追加する。考えてみれば、女性が作られたページにリンクするのは初めてだ。うーむ、どきどきするのう(考え過ぎである)。
 さて、先週は日曜日に大阪、土曜日には豊橋に行ってきた。私は大学時代を豊橋で過ごし、就職後2年ほどを大阪で暮らした。どちらも懐かしい土地である。
 大阪では関西AFVの会を見学、なぜかスタッフ扱いとなり受付までやらされた。関西の友人らとあうのは久しぶりである。懐かしく、感慨深い。豊橋では友人らと懐石(?)をいただく。一人ではそのようなものを食する気もおきない私には、貴重な経験である。
 友人らと品のない話をすると、過ぎた年月の長さを感じる。その長き年月にもかかわらず、私の攻撃的性向がさして改まっていないことに気付く。「エブリシング・マスト・チェンジ・アズ・タイム・ゴーズ・バイ」と歌ったのは誰だったか?

98.11.28…「ガンダム」について、あるいは個人的な決意

「機動戦士Zガンダム」というタイトルを、私は「ガンダム」完結編と理解した。現実はその認識が誤っていたと示したが、私はそれに納得しなかった。もう随分と昔の話だ。
 模型雑誌「モデルグラフィックス」を久々に買う。「ガンダム・センチネル1999」と題された特集が目当てだ。知っている人は知っているだろうが、「ガンダム・センチネル」は9年程前に同誌で連載されていたフォト・ストーリーである。
 同誌の文体、言い回しはいささか鼻につく点が多い。なに一人で舞い上がってんだ、と言いたくもなる。だが、「ガンプラ」シーンへの批判には同意させられる点も多かった。
 興味深かったのは、特集冒頭の「ガンダムプラモデルの遍歴を知る」という記事である。ガンプラという視点から20周年の「ガンダム」を振り返るこの記事は、ある意味では富野監督らアニメスタッフの言葉以上に「ガンダム」について語っている。なぜなら、大多数のものにとって「ガンダム=ガンプラのコマーシャル」だからだ。
 同記事における、「Z」と「ZZ」の作品としての混乱が後の「メインメカ=ガンダムしか売れない」という状況を作り出したことへの言及は注目すべきだ。両作品の混乱がそれまでガンプラの最大の売りだった世界観を崩壊させたことが、その後の「ガンダムさえ出ればいい」企画に結びついたことは想像に難くない。まあ「Gガンダム」も「ガンダムX」もけっこう好きなので、それはそれでいいのだが。
 特集の締めでは、「ファースト『ガンダム』と『センチネル』以外を一切否定する」とまで言い切っている。私はその姿勢に同意する。
「ゼータ0096」は、私家版「センチネル」だったとも言えるだろう。「センチネル」は模型雑誌での連載という形態である以上、バンダイの定める「オフィシャル」との整合をとらねばならなかった。その結果、「Z」及び「ZZ」の隙間という極めて脆弱なバックグラウンドしか持たない作品だった。いいかい、どんなにR&RやEx-Sガンダムがイカしていても、すぐそばでジュドーが遊び半分でガンダムを乗り回し、ハイスクールの生徒がZガンダムを設計できちゃうんだぜ?
 まあ、そういった隙間での作品だったからこそできたことや、到達できた高みというのもあろう。が、個人たる私が彼等と同じ足枷をつける必要はない…そう考えたがゆえの「ゼータ0096」だった。
「0096」では映画版三部作と「0080」及び「0083」のみを正史とした。「0080」や「0083」にも問題は少なからずあったが、少なくとも世界観を台なしにしてしまうような描写はなかった。おそらくは、「ガンダム」を愛するスタッフたちの努力によるところだろう。両作品を歴史として認めたのは、世界観を独りよがりのものとしないためもあったが、なにより彼等スタッフへの敬意からだった。
「0096」は基本的に「Z」の焼き直し版だ。ラストが「逆襲のシャア」なのは、富野氏の小説版「Z」のサブタイトルが「逆襲のシャア」だったことを考えていただければ、むしろ本来あるべき形にしただけとも言える。ミリタリー、メカニックの描写は「センチネル」と「0083」の影響が濃い。「0083」自体が「センチネル」の強い影響下にあったことを考えれば、「センチネル」のパクリと言ってもいいだろう。
 冒頭に述べたように「Z」がファースト「ガンダム」の完結編たるべきならば、「0096」はまさしく「ファースト『ガンダム』と『センチネル』以外を一切否定する」物語だった。
 あちらはいっぱしのクリエータ。こちらは一介のオタク。だが、<アグレッシブ>さで私が劣るとは思わない。だから「ゼータ0096」をやったし、次なる企画へ進むのだ。あえて過去を振り向いた先人に、私は見習いたい。タイトルは「ニヴォーズ戦記」。請う、御期待(自らへの叱咤を含む)。

98.11.23…結婚相談所に行く

 男のバトル、War at seaを更新。今回は小出氏VSていとく氏である。滅多に見られぬ組み合わせ故、必見。
 さて、今日は表題のとおり結婚相談所に赴いた。一年契約で30万円。まあそんなものだろうか。まるっきり無駄に終わる可能性も少なくはないが、とりあえず前向きに考えると答えて帰宅。DOS/Vパソコン購入計画を再検討せねばならぬかもしれぬ。
「結婚したいか」と問われれば、そのとおりだ。私は妻が欲しいし、子も欲しい。しかし「真に妻子が欲しいのか」と問われるならば、答えられない。私が欲しているのは、自らの闘う理由であり、耐えるべき理由でしかないかもしれないのだ。それを「妻子が欲しい」と言いいかえて良いのか?
 あ、ひょっとして一般には「妻子が欲しい」という理由で結婚する訳ではないかもしれない。「二人が愛しあっているから」とか、そういう理由じゃないの? うーん、私は恋人と呼ぶべき存在を得たことがないのでよくわからない。考えてみれば、これまでの俺の恋愛ってストーカー犯罪と紙一重の差だったような。
 とかさんざん言っておいて、決断を保留しないあたり問題だな。実は宮川に惚れていると言う奇特な女性はお早めに。どうせなら30万円は新婚旅行にでも使いたいよね。

98.11.22…反省

 昨夜は友人宅で毎年好例の鍋会。自らの言動を顧みて思う。やはり人は、愛される存在たるべきなのだ。

98.11.21…防衛庁への信頼、ねえ

 なんでも公正取引委員会が今頃になってExcelとWordの抱き合わせ販売を禁止したそうで。はあ、まるっきり手後れですな。ジャストシステムも気の毒に。ま、ワシは一太郎もWordも嫌いなので関係なし。とりあえずWord。Mac版はともかくWin版ですらオチるのはなんとかしろ。
 さて、先日出社前に朝のニュース番組を見ていたら、防衛庁には北朝鮮の弾道弾を観測するシステムがないことにふれていた。テポドン騒ぎに対する日本政府の反応が遅かったのは、米軍から情報を入手するしかなく、しかもその米軍の機器にトラブルが生じたためだとか。ま、そんなところかねと思いつつ出社しようとすると、アナウンサーが一言。
「防衛庁への信頼がまた大きく下がりましたね」
 たわけが。軍用衛星(別に防衛用衛星でも可)を持ってはダメと言ったのはかつての政府だ。別に防衛庁が不必要と判断した訳ではない。たしかに自衛隊の装備には一貫したドクトリンが感じられず、はなはだ問題だ。だが、それとこれとは話が別だろう。ワイドショーの疑惑報道じゃあるまいし、関連問題と本質をごっちゃにするものではない。
 とりあえず、玉虫色とはいえ軍用衛星保有に日本が動いたのはなによりだ。目をつぶったまま戦えるのは座頭市ぐらいのものだからな。願わくば、手後れとならぬことを。

98.11.15…仮説の修正

 昨日は各務原に航空祭を見に行ってきた。すげーぜ、自衛隊。かっこいいぜブルーインパルス。航空ショーのたぐいは生まれて初めて見ただけに(観艦式のおまけは除く)面白かった。
 デジカメで航空機を撮ろうとしたが、位置がどうしても逆光になってしまうため断念。人も多かったしね。代わりにカーキグリーンに塗られた軽トラックなどを撮る。
 さて、以前人格=ヴァーチャル・マシンとする仮説(妄想)を書いたが、修正すべきと考えている。「言語」こそがヴァーチャル・マシンなのではないかと思うのだ。さまざまな民族が利用する比喩的表現(ジェスチャーなども含む)には類似点も多い(例:高みに立つ等)。しかし、まったく異なる意味を持つケースも少なくない。例えば、英語の言い回しの「最大の中の一つ」という言い回しに違和感を感じたことはなかったろうか? 日本人が「音をのばす」と理解している音楽記号の原義は「音をとめる」であるというのは実に示唆的な事例ではないか。
 よく英語を理解するには英語で思考せねばならないと聞くが、これは「英語というヴァーチャル・マシンを脳内にインストールせねば英語の利用には大幅な制限がかかる」と理解してもいいのではないか。日本語ヴァーチャル・マシン上でワードプロセッサと逐語変換ソフトや文法変換ソフトを組み合わせて使うのと、英語ヴァーチャル・マシン上でワードプロセッサを使うのでは結果が違って当然だろう。
 実は人格というOSは個々人によってかなり異なるのだが、言語というヴァーチャル・マシンを介することによって実用的なレベルで情報の交換が図られているのではないか、というのが最近の私の仮説(妄想)だ。
 そういえば、戦闘機の急上昇を射精と同義とするOSの持ち主もいたな。

98.11.8…DOS/Vパソコンについての検討(結論出ず)

 私にとって、パソコンの個人的な用途は以下のようなものだ(優先順)。

 かなりいい加減な用途分けだが、おおむねこんなところだ。このうち、Hゲームは現在利用していない。先日書いたアメリカの親戚の滞在に伴い、邪魔なDOS/Vパソコンを撤去したからだ。おかげでエロ本代(代替手段)がかかって困る。
 現在、私が所有するパソコンはiMacとPowerMac7215/90である(DOS/Vはスペック不足につき、LINUXマシンにする予定)。上記用途の大半はこれらでまかなえる。だが、DOS/Vで上記用途を満たせないか言えば、そんなはずもない。インプットメソッド、テキストエディタではWinの方が選択肢がはるかに多い。私がMacを購入した最大の理由たる「インスピレーション」も現在ではWin版がある。インターネット関係も問題なし。表計算ソフトExcelはWin版の方が優先されるに決まっている(なお、ワードやアクセスを使う気はさらさらない)。Hゲームは言うまでもない。
 これまでにくり返し言っているように、環境の管理、トラブル時のリカバリーにおいては残念ながらMacの方が楽だ。が、Win98ではそれもある程度改善されたと聞く。また、会社上層部もMac殲滅を日々叫んでいる。自宅からではMacでしかリモートアクセスなどのテストもできないしのう。一応システム管理などと名乗っている手前、ちと問題ではある。
 という訳で、DOS/Vパソコン購入を検討する。まず、上記用途以外は考えないのでハイエンドマシンは不要。となると選択肢は以下のとおり。

 もしなにか提案などいただけるなら助かる。 

98.11.3…金しかない、のかもしれん

 iMac用の英語キーボードを購入する。スペースバーが広く、じつにいい感じだ。キータッチは柔らかすぎるような気がするが、まあ最近はこんなものだろう。
 ふと気付くと、次は何を買おう、と考えている。MD-5000か、Palm3か、いやいやVAIOのC1か、などと悩むのはそれなりに楽しいことだ。
 金を使えるというのはいいことだ。少なくとも、誰かの哀れみで生きていくよりははるかにましだ。たとえ金の用途が無意味であったとしても。
 先日ある人に「職にありついてから『ルサンチマン』はつまらなくなった」と言われた。まあそうだろうと思う。ドロップアウト寸前、いや、しつつある状態での記述とどうにか安定を保っている状態での記述が同種だったら異様だろう。今の自分を取り巻く環境は幸運だとしか言い様がない。これで文句を言えばばちがあたるというものだ。
 だが、どうも「今の自分は金を使うことでしか世間と関わっていないのではないか」と不安になる。
 恋をするとか、なにかを発言するとか、人の役に立つとか…人間はそうやって世間と関わっているものじゃないのだろうか? 先日、人から「ゼータ0096」についてメールをもらったときは本当に嬉しかった。金以外での世間とのかかわりがゼロでないことを確認できたからだ。しかしそれも、すでに過去のこと。「0096」を書いてからこっちの自分はなんだったかを考えると不安でしょうがない。

98.11.1…バカMacユーザとアホWinユーザと愚か者

 ひさびさにリンク集に修正を加える。随分と更新をさぼったものだ。
 先日、ファイルメーカー社のセミナーに行ってきた。ファイルメーカーはそもそもクラリス社のソフトだが、アップル社によるクラリス社再編により新会社ファイルメーカー社の商品となった。ファイルメーカーの使いやすさには定評があり、MS社のたいこ持ちのような記事ばかりが並ぶ「日経パソコン」においてすら、アクセスより高く評価されている。たしか顧客満足度は3倍ぐらいだったか? アクセスも悪くはないが、どうも「帯に短し襷に長し」の印象が否めない。
 さて、セミナー後半においてサードパーティ各社のデモンストレーションがあった。なかなか興味深かったが、某関西系ソフトメーカのデモには閉口させられた。開口一番「iMacの驚異的なスピードに御注目ください」だと? そのくせデモそのものは明らかに準備不足で、笑ってごまかす始末。たわけが、そんなことばかりやってるからMacユーザが馬鹿にされるのだ。iMacはすぐれた機械だが、ファイルメーカーを使う際の速度は同価格帯のDOS/Vと比較してもさしたる差はない。客観的視野ももたず、真剣さにも欠ける。そんな輩の商品に誰が期待するか。ファイルメーカー社も大弱りだろう。
 一方、会社に帰ればアホ上司が「アクセス一つ買ったから」と突然の一言。たわけ、会社において一人にしか見えない電子情報など無価値だとわからんのか。あげくに「ファイルメーカーおぼえられないから」とのたまう始末。さわってもいないくせによく言う。まあ、さわっても理解できなければ真性のアホだが(その可能性もある)。こいつとの会話はまるっきり「ディルバート」さながらでまいる。
 正直、アホの言動にどこまで自分が耐えられるか疑問だ。ここでだめならまさにドロップアウトしかない状況だというのに、自らを抑えきる自信がない。会社の窓からは職安がよく見える。

付記:ひさびさにWar at seaを更新。ふがいない敗北に終わったが、まずは御笑覧を。

 

98.10.25…人生とほほ劇場

 土曜日は休日出勤。アウトラインプロセッサ兼ダイアグラムソフトの「インスピレーション」を各マシンにインストールする。夕方までやったが力つき中途で撤退。今どきフロッピーでソフト供給するなよ(しかもネットワークプロテクトつき)。とはいえ、これは実によいソフトだ。これまでいろいろとWin、Macの類似ソフトを見てきたが、未だにこれを超える商品はない。思えば、オレが98からMacに乗り換えたのもこれが使いたいからだった。
 それはさておき、夕刻帰途につくと町には多くの人々が行き交っていた。新婚旅行の相談でもしていたのだろうか、旅行代理店の前で抱き合うカップル。書店で一つの雑誌を覗き込む二人。いや、美しい。実に美しい。エロ本買ってごまかしている私は、まさにああいった美と対極の位置にあるのだと実感する。
 と、書店で「まんがゾンビ」と「いきなり最終回」を立ち読みしている女性を発見する。声をかけようか、という考えが頭の中で渦巻く。しばし足が動かなくなる。一瞬目があう。結局、なにもせずに戦線離脱。なにやってんだか。
 あ、見合いはどうもアウト。話を持ち出した婆さんは現在入院中とか。とほほ。

98.10.18…ゼータ0096ピンチ!

 サンライズがついにインターネット上でのサンライズ社著作物のあつかいを明確にした。
 これによるとイラストなどはまだ許諾を要請する道があるが、小説にはそれすら許されていない。「ゼータ0096」が小説と呼び得るかどうかは別として、法的にはそのように扱われるだろう。コミック(同人誌)がよくって小説がだめとは理解しにくい話だ。「物語る」という点では同じじゃないか! なんにせよ、これでサンライズはいつでもオレを訴えられると言う訳だ。二次的著作物の扱いについては議論のあるところと聞いていたのだが、どうなったのだろう、うーむ。
 次回作として「装甲騎兵ボトムズ-太陽の牙-」ってのを企画していたのだがこれもだめそうだ。大弱り。

98.10.16…鉄人28号になる

 NONSECTIONおすすめBOOKSに「超弩級空母大和」を追加。悪い例として一読をお勧めする。
 ま、それはそれとして、またお見合いをすることになった。いや、なるかもしれない。なにしろ相手は5年も前の写真を出してきたぐらいだから、あまり本気と考えないほうが無難だろう。
 いかに相手の写真がいいかげんとは言え、こちらは誠意を見せねばならない。という訳で、写真をとった。お気に入りのトラッドなグレーのスーツに身を包んでの撮影だ。本人はけっこう格好いいつもりなのだが…と思っていたら、案の定写真の出来は腰が抜けるような代物だった。
 椅子に手をかけ、太い胴を妙に誇示するような姿勢。うーむ、どう見ても鉄人28号だ。とても見合いがうまくいくとは思えないので、どこかに趣味の悪い女性がころがっていたらおしえてたもれ。

98.10.4…教会に行く

 アメリカはソルトレイクから叔父と叔母が来た。叔父は元GI。叔母はタイピストとして進駐軍の元で働いていて、知り合ったらしい。二人とも高齢で、多分これが最後の来日になるだろう。
 さて、ソルトレイクでお気付きになったろうが、二人は(というより彼等の家族は)モルモン教徒である。そう、どう考えても怪し気な「預言者」を信じて砂漠のど真ん中に町を作ったモルモン教徒だ。モルモンといってもキリスト教の一派だから、日曜日には教会に行くのが習慣だ。教会は決して近くはない。で、私が車で送ったというわけだ。
 教会(モルモン専門)の外でぼさーっとしているのもなんなので、一応礼拝堂に入る。キリスト教徒ではないから、とパンやら水やらは断わったが、とりあえず賛美歌は歌った。私が幼い頃通った保育園はキリスト教系だったため、さほど違和感はない。
 が、「宮川『兄弟』ですね」とか言われたのには面喰らった。どうも信者同士は兄弟、または姉妹と言うらしい。一時間程の礼拝のうち、今回は信仰告白みたいなのがメインだった。言っていることは、引用する書物が聖書やモルモン経であることを除けば一般的な道徳ばかりだ。にもかからわず、信者の若い女性が涙ぐんでいたのが印象的である。
 思うのだが、教会というのはパソ通のフォーラムみたいなものだ。独自の用語、言い回し、話題がそこに参加するもののアイデンティティとなる。なんらかの集いである以上、一般的な道徳から解離しているケースはまずない。問題は、その「場」から提供されるアイデンティティが参加者にとってどのような割り合いを占めるか、だろう。
 私は自らのアイデンティティをたった一つの何かにゆだねる気はない。それが幸いか否かはわからないが。

98.9.27…「ゼータ0096」のCD化を断念する

 理由は二つ。第一に、どうせこんなもの誰も読んじゃいない。わざわざCDにしてまで読む者などいるものか。第二に、これ以上「ゼータ0096」に執着するのは自分にとって危険だ。
 私は今でも時々、「ゼータ0096」を読み返す。文書の推敲を重ねながら、ふと自らの涙腺が緩むのを感じる。ゲームとしても読み物としても、客観的評価に耐えるものではなかろう。だがそれでも、私は自分の描きたかったことを描ききったと思う。ならば、それをくどくどといじりつづけることは所詮マスターベーションに過ぎまい。
 新しいゲーム。あるいは、新しい読み物。そろそろそれにとりかかるべき時期だろう。
 NONSECTIONおすすめBOOKSに「星に願いを」を追加。「ブレンパワード」のオープニングとエンディングが好きな奴にはお勧め。

98.9.22…仮説または妄想

 よく人間を「本能の壊れた動物」とする定義を耳にする。だが、そういってしまうにはあまりに人間は本能に遵った行為を好むように思える。たしかにそのあらわれ方は他の動物と異なるが、だからといって「壊れた」と言い切るのは疑問だ。
 で、ちょっと思い付いたのは「人の心=ヴァーチャルマシン」という考え。本能がOS、生理的反応をBIOSとでもみなした場合、人間の心理はさながらOS上で動くヴァーチャルマシン(JAVAとか)にあたるのではないか、という妄想だ。アプリケーションソフトではなくヴァーチャルマシンとしたのは、それがそれなりに統一性があり、かつOS(本能)と解離した傾向を示すケースがあるからだ。ヴァーチャルマシンの暴走でOSごといかれるケースがみられるあたり、ひょっとして心というヴァーチャルマシンはまだベータ版なのかもしれない。
 このあたりと民族比較論を組み合わせるとなかなか面白い話になりそうだが…ひょっとしてナンセンス?

98.9.19…これでiMacに対抗? 御冗談でしょ

 なんでもインテルがiMacに対抗するコンセプトモデルを公開したそうで。ついでに韓国のメーカもセレロン搭載の一体型DOS/Vを発売の予定とか。うーん、ダサい、ダサすぎる。なによりコメントがダサい。「どれほどの人間がiMacのデザインだけに引き付けられたか」だって? ユーザをなめるんじゃない(まあCMにあっさり騙されて買うユーザもいるけどさ)。
 少なくとも、iMacにはコンセプトがある。それは多分AppleIIや初代Macほど強い衝撃を伴うものではない。だが、そこには作り手の明確な意志がある。でなければ、ほぼ既存の技術だけであれほど個性的なマシンが作り得ただろうか。
 緑色でフロッグデザインのDOS/Vだってあった。一体型で接続が簡単なDOS/Vなんて掃いて捨てる程ある。しかし、それらがもたらした驚きがiMacの足下にも及ばなかったことは言うまでもない。それを理解しつつ上記のような発言をしたとすると、随分ユーザもなめられたものだ。もし理解していなかったら? そいつは実在すら疑いたくなる程の馬鹿に違いない。
 iMacの対抗とみなすべきDOS/Vマシンは、おそらく液晶一体型になる。ノートでは価格的にiMacと張り合うのは難しかろう。個人的には日立のフローラ(液晶一体型)はいい線いってると思う。今の所価格がネックだが、競走の激しいDOS/Vのこと、実売20万以下は実現可能なはずだ。iMacより多少高くてもコンパクトなら選択する者は多いだろう。できればインターネットへの接続設定をすませた状態で出荷してほしい。最近のビルド・トゥ・オーダーなら「お望みのプロバイダを選べます」というのだって無理じゃない。設定を自分でやらないと安心できない人間? そいつはありきたりのDOS/Vを買えば良い。
 エプソンかゲイトウェイあたりがさっそくやりそうな気がするのだが、さて。

98.9.13…今更ながら、北朝鮮のロケットについて

 先日、日本上空を通過したのがミサイルか人工衛星打ち上げのためのロケットだったかは私には断定できないので、とりあえずロケットと記す。いくら北朝鮮でもまさかあれがジェット推進だったなんてことはないだろう?
 一連のマスコミの報道で私が閉口したのは「落ちたロケットが漁船や旅客機に当たったらどうするんだ」とかいう主張だ。んなほぼ0に等しい可能性について論議してる場合かっつーの。肝心なのは、北朝鮮は日本をミサイル攻撃可能という事実だろう。命中精度や信頼性については疑問も残るが、とりあえずそれなりの質量の物体をほぼ日本全域に投射可能というのは確かだ。現在の日本にはこれを迎撃する手段はない。では、どうするのか? 議論はここから始めるべきだろう。

 とりあえず実行可能な選択肢はこんなものだろう。個人的には「先制攻撃可能なシステム」が趣味だが(あたしゃイスラエル軍のファン)、まあやめといたほうがいい。「外交的手段」及び「あきらめる」が順当なところか。
 愚かな臆病者と愚かな乱暴者では前者の方がまだましだ。少なくとも後者ほど他人に迷惑はかけないだろう。そして私は日本政府を「賢い」とは思っていない。願わくば北朝鮮政府(あるいは軍高官…あ、いっしょか)が理性的な判断力を保ちますように。オレは化学兵器でくたばるなんてまっぴらだ。

98.9.12…低い空に浮かぶ月を見るように

NONSECTIONおすすめBOOKSに「かたあしだちょうのエルフ」を追加。絵本だが、子供は読むな。
 赤い月が低い空に浮かぶのを見ると、胸が苦しい。薄赤い月の光はまじないのように私を招くが、同時にそれが決して行き着けぬ道であることを告げている。
 盆休み明けから職場が名古屋の駅前になった。通勤途中すれ違う人々の姿は、私には低い空に浮かぶ月のように感じられてならない。それらの美は、決して私に向けられたものではないのだ。

98.9.6…オラはゲイツ様に忠誠を誓ったヅラ!

 MS Office98 for Macを購入する。高い。高すぎる。アメリカみたいにiMac買った人に100ドル割引券をよこせ。はっ、もしやこれも「Macは高い」というデマを広げるための策略か?(妄想モード) PowerPointなんかまったくいらないのだが、いやでもセット購入だしのう。Macでもパーソナルビジネスエディションを出してほしいところだ。
 とはいえ、ExcelがようやくWinとバージョンがそろうのはありがたい。思えば、この前のExcelはMacのOSがまだ漢字Talk7.5.3のころ。しかもそれは単にバグフィックスしただけの代物で(それでもバージョンアップとMSは言い張った!)、実は漢字Talk7.1のころのバージョンに過ぎない。おいおい、今やMacOS8.1だぜ。いったい何年前の話だ? これでよく「Mac市場に常にコミットしてきた」なんて言えるな。
 どーでもいーんすが、会社のWinマシン(エプソンとDEC)が盛大にオチまくるのはなぜなんでしょ。一日四回のフリーズなんて漢字Talk7.5.1のころのMacでもそうはなかったぜ? 電源のシャットダウンすらできない奴もでるし。うーん、使用感はともかくとしてWin95はMacOSより安定していると思っていたんだがなあ。チェックすべき点などあれば教えてたもれ。

98.9.1…iMac買ったにょー!

 月曜日、iMacが我が家にとどいた。食後、「大岡越前」を見ながら開梱。接続し起動するまでの所要時間は約5分。セットアップアシスタントに従って設定するのにおよそ1分(現在スタンドアロンなので設定することはほとんどない)。うむ、恐るべしiMac。
 スピードは速い。愛機PowerMac7215/90(CPUはPowerPC601)と比べると「通常の三倍のスピードです!」って感じ。体感的にはPowerMacG3DT233とほぼ同等。これがモニター込みで178000円とは思い切ったものだ。やや不安だったモニターは意外にフラット。最初は糸巻きひずみが気になったが、コントロールパネルから簡単に調整できた。17インチモードでも文字は鮮明だ。グラフィックなどを本格的にやるつもりでなければ十分だろう。
 キー配列についてはやや不満。JIS配列キーボードと比べてもスペースキーが小さい。英語版キーボードでも欲しいところ。パイオニアあたりからスケルトンUSBキーボードが出るとありがたいのだが。
 かなり特異な仕様だから予想はしていたが、機能拡張やコンパネにはiMac専用のものが目立つ。いろいろと問題が報告されるものと思われる。が、今後iMacの仕様がMacの標準になる可能性が高いため、多くのソフトは順次対応していくだろう(プログラマには手間だろうが…)。
 とりあえず居間に設置したが、さして違和感はない。さすがにサイズ的にはちょっと大きい。これで液晶ディスプレイだったら、と誰もが考えるだろう。だがその場合、値段は倍近く跳ね上がるに違いない。そう考えるとまあやむをえないところか。液晶バイオコンポはいくらだったかな。
 iMacは万人に推奨できるマシンではない。ことに会社のWinユーザがフロッピーを多用している(ネットワークも電子メールも利用できるにも関わらず! ジーザス!)のを見るとそう考えざるを得ない。が、私はひさびさによい買い物をしたと思っている。さあ、今こそあなたも…(セールスモード)。
 あ、20000ヒットに感謝。オデがこうして生きてるのもみんなのおかげっす。

98.8.30…ジンクス、思いこみ、あるいは信仰について

 昨日は昼休みに会社を抜け出してiMacを購入した。宅配を頼んだのでまだ手元にはない。そして今朝、犬が死んだ(余談だが、祖父が死んだときより悲しく思う私はやはり不人情な男だ)。Macを買い換えようとするたびにそれまでの使用機種が派手にクラッシュした記憶があるが、今回は犬がその身代わりになったらしい。
 会社(一応週休二日のはずだが…)の帰りに浜田麻里のニューシングル「Until the Dawn」を買う。彼女の歌は流行りでもないし、客観的に評価できるものとも思えない。だが、聴くとなぜか鳥肌がたつほど惹かれる。
 どういう訳か、彼女の新譜が発表されるときには身の回りでさまざまなことが起きる。

たおやかに ひそやかに
生きることを 学びなさい
今はできることをただすればいい

 なんとも陳腐な歌詞だと思うが、会社の移転で疲れ切った私には強く響くメッセージだ。麻原の声もまた、信者らにはこのように聞こえていたのだろう(『富野の声』や『庵野の声』でも可)。
 Mac(ことに7.1〜7.5あたりの)がクラッシュしやすかった。私が不安定で進路の定まらぬ人生を歩んできた。これが事実に違いない。そう思いつつも、私は「Until the Dawn」を口ずさむ。愚か、かもしれない。

98.8.18…歩く犬、あるいは不幸について

 世の中には不幸が少なからずある。たとえば、うちの飼い犬のブッチも不幸なやつだ。
 彼はパグという品種で、一応血統書もついている(私が買ったわけではない)。パグは鼻から顎にかけてが平らで、ユーモラスな印象を人に与える。しかし、そんな特異な形態は決して自然が与えてくれたものではない。
 彼の口を開いてみれば、顎全体が大きく湾曲した結果があの形態だということがわかる。「品種改良」が彼をつくったのだ。
 その構造ゆえ彼は暑さに弱く(顎の内側で放熱できない)病に弱い。今、彼は死にかけている。薬の影響かあるいは脳になんらかの損傷をおったのか、疲れ果てるまで室内をうろうろと歩き続けている。死はもはや時間の問題だ。
 さて、私の父もまた不幸だ。彼は特異な家庭環境に育ち、優しい言葉をかけてもらえないまま成長した。彼はそれゆえに優しい言葉のかけかたを知らない。犬が苦しむさまを見ても「薬かなにかで早く楽にしてやれ」などとのたまう。彼は決して不人情な男ではなく、犬も愛している。にもかかわらずそのような言い方しかできないというのはやはり不幸なことだ。
 人の不幸について、結局他者はなにもできない。そのように形作られてしまったことこそが不幸なのであり、人はその形から容易に抜け出せない存在なのだから。
 他者にできるのは「その人を信じる」ぐらいが関の山なのだろう。ならばせめて、自らの出会うすべての人を信じたいものだ。願わくば、人が自らを規定する形から逃れ得る存在でありますように。

98.7.19…マイクロソフト、世界政府への陰謀(ウソ)

 なんでもマイクロソフトが「マネー」とかいうソフトを発売するそうで、はい、おめでたいこってす。宣伝にはホームバンキングが簡単にできるとか書いてあったが、セキュリティは大丈夫なのかね。まさかOSやOfficeのバージョンアップやサービスパック(バグフィックスとも言う)料金を勝手に払い込んだりしないだろうな。
 それにしても随分と直接的なネーミングだ。センスがないのか、それとも「もはや全世界のマネーを牛耳るのは俺様だ!」という宣言か? こういう行為を見ていると、どうしてMS社ネタのトンデモ本はでないんだろうと疑問に思う。ウインドウズはユダヤ秘密結社(フリーメーソンでもニャントロ星人でもOK)の世界征服の陰謀だ、とかね。
考え得る理由

 さて、どれでしょうな。
 ロータス123の壊滅も間近に迫り、一太郎の消滅も時間の問題となってる今、パソコンユーザはMS社製品への統一によって生じる利益と損失を考えるべきだと思うのだが。ソフトの寡占化進行によってパソコンショップにおけるソフトコーナーが急速に縮小されたことを忘れるべきではない。店頭からプロユースとゲーム以外のパソコンソフトが消えた後になって慌てても遅いぞ。

98.7.12…他人ごとと思うべきか

 しのらさとし先生のページへのリンクに修正。先生が執筆しておられる「アップルミステリー」の休刊は悲しいニュースだ。たとえ雑誌として評価しがたくとも、先生の作品を定期的に読む機会が(一時的とはいえ)失われるのはつらい。
 先生のファンクラブを主催しているEくんのホームページを覗く。彼はそれなりの実力をもった(門外漢の私にはそれがどのレベルかは断言できない)CGクリエーターだが、どういうわけかリストラの対象とされてしまった。性格に問題があるとも思えないので、おそらく上司(あるいは経営陣)が阿呆なのだろう。単純に金銭的問題という可能性もある。
 とりあえず「あるある、そーゆーの。オイラもヒデーめにあったぜ。ま、がんばれ」という主旨のメールをEくんに送る。送信した後、「オイラも」というのは嘘だと気付く。私がクビになったのはおおむね自分の性格ゆえだ。その私がEくんを自らに引きつけて語るのは思い上がりだろう。ちっとばかり経済的に安定しているといって偉そうなツラをするな(>ワシ)。

98.7.5…Mac=イスラーム説

 最近、「日本人にとってイスラームとはなにか」(鈴木規夫著/ちくま新書)をちょこちょこと読んでいる。正直、よくわからない。多分、現代思想などの用語か思われる単語が多数見られ、浅学な私には把握できない部分が多すぎる。むー、入門編とか書いてほしいにゃー。
 さて、表題の件はこれを読んでいて思いついた。著者が聞いたらきっとがっかりするだろうが…。
 例えば、Winユーザの多くは、Macがソフトウェア的にしかフロッピーやMOをイジェクトできないことに驚く。ボタンがあるのになぜ、という訳だ。だがMacユーザはそう考えない。彼らにとってデスクトップ上は一つの完結した世界であり、そこに他の原理(ハードウェア的なイジェクト・現状をリアルタイムで反映しないWinのエクスプローラ)が無思慮に混入されることに拒否感を抱く。この感覚はイスラームの<タウヒード>(一つの連なりをもった意味、でいいのか?)に近いのではないか。
 また、イスラームが他宗教との併存を了承しているところも、Macが他OSとの併存に対応している点に似ている。イスラームは必ずしも他宗教に寛容ではないが、その存在は容認する。MacがOSレベルでWinやUNIXに対応しやすく作られているのは決して商業的理由からのみではあるまい。
 現代イスラームが、自らのアイデンティティとして再発見されたが故に形式にこだわりを見せるという指摘にもMacユーザのふるまいを思い起こした。一太郎ver.5 for Mac発売時の酷評を思い起こして欲しい。多くのユーザはそのインターフェースが「Mac的ではない」と批判した。WinやDosで当時最も代表的なワープロソフトが自らのMacでも(一応)使えるという利点より、多くの者はMacユーザ的アイデンティティを選んだというわけだ。まあ、実際ほめるべき点のほとんどない駄作ソフトだったが…。
 ということで思いつきまで。どーでもいーすが「ギンガマン」の黒騎士ブルブラックはかっこいいにょー(バカ)。

98.7.4…戦争ごっこを決意する

 会社がなにをどう勘違いしたのか、私はちょいと面倒な仕事を引き受けることになった。こちとら2ケタの暗算すらうたがわしいアホだというのに。無改造の486マシンにWin98をインストールするような話で、はっきり言って無謀だ。
 だがまあしかし、客観的に見て私しかヒマなやつはいないので仕方がない。生来グータラな私がいかなる姿勢でこれにあたるか考えた結果、戦争ごっこでいくことにした。
 作戦名は「ノルマンディー」。「エンテベ」とか「サンダーボルト」も考えたけど、あれは指揮官が戦死しちゃったので縁起が悪い。「ゼーレーヴェ」は論外。「イオージマ」や「オキナワ」は損害が大きすぎるからいや(ってゆーか、そういう問題か?)。はてさて、二ヶ月後の我を待つのは勝利の凱歌か、粛正か。
 話はぜんぜん変わるが、「仏ゾーン」の武井先生が週刊少年ジャンプで復活! もー、いま読まないといつ連載うち切られるかわかんないから必読。
 あ、リンクにホビーショップモリヤを追加。

98.6.21…買い物をする

 シトラスにiMacを予約する。円相場にもよるが、これで夏のボーナス(まだ出てない)はほぼおしまいだろう。我ながら馬鹿な行為だ。でもうれしけりゃとりあえずよし。
 馬鹿ついでに、東郷町の書店で「神聖モテモテ王国」4巻を購入。うーん、ブタッキーはなぜもてるのかにゃー。どうでもいいんですが、この作者ってシリアスな漫画を描いたことあるんでしょうか。きっとあるよね。
 CD屋をまわり「ブレンパワード」を探すが見あたらず。ちなみに、本編は最近急激に面白くなってきているのでBS見られるヲタクは要チェック。馬鹿が勢いづいてしまったのか、代わりに「オースティン・パワーズ」のサントラCDを購入。映画は東京あたりでしか上映しないらしいが、ジャケットの馬鹿っぽさがなんかうれしかったので、つい…。
 ブルーベルベットのスーツ姿でiMacを操り女の子にモテモテの自分(出っ歯むきだし)を想像し、そのあまりのアホさに笑ってしまう。わはは、本当の馬鹿だ、おれ。

98.6.20…Mac関連の雑誌を読む

 安城駅前の書店でMacPowerを買う。西「元」社長の連載「私がAppleのCEOだったら」が終わったのを確認し、一安心。おめーがなったら三日でつぶれるって。
 代わってなぜか戸島さんの「それは世間によくあるはなし」が復活。やっぱり西と喧嘩でもしていたのかにょー。だが、どうゆうわけか川崎先生のコーナーがない。心配だ。両氏のコーナーは私がMacPowerを買う主たる理由なので、片肺飛行はなんとかして欲しいところだ。
 さて、先日友人(彼はそう思っていないかもしれない)のページを見るとMac関連誌にふれていた。彼は雑誌のPowerBookG3礼賛記事に否定的見解を示し「せめて2kgのノートを作ってみろ」と指摘している。
 PB2400(実はIBM製)が何kgだったか忘れたが、まあそれはいい。彼の意見には同意するが、現在のAppleにそれを希望しても難しかろうと考える。
 現Appleが収益性を最重要視しているのは商品群を一瞥するだけでわかる。生産中のデスクトップ型はすべて同じマザーボード。ノート型も先の2400を除けば液晶やCPU以外に差はない。単一商品のバリエーションと言っても過言ではないだろう。かなり思い切ったやり方だが、コスト削減には非常に有効な戦略だ。
 その戦略を念頭におけば、日本以外ではあまり売り上げを期待できないサブノート(あるいはより小型なタイプ)に注力し得ないことは容易に想像できる。まあ、せいぜい2400G3の開発がせいいっぱいというところか。
 なお、この雑文は決してAppleやMac雑誌を擁護するものではない。たとえるなら「第二次大戦中イギリスが重戦車を開発・生産しなかったからといって批判しても意味がない」といったところか。うーん、するとさしずめPB2400はファイヤフライかのう(意味不明)。

98.6.14…風邪をひいて毒電波の攻撃にあう

 木曜日に風邪をひき、二日会社を休む。木曜日はゲロ吐いてのたうちまわったが、金曜日は熱と軽い胃痛のみ。世間のみんなはこれぐらいだったら頑張って仕事しているのかもしれないと思い、憂鬱になる。んなこと言ったってふらふらのまま二時間も電車やバスに乗れるかよ。しょーがないじゃんよー(毒電波への反論)。
 寝ていると暇なので、散歩に行く親に頼んで週刊少年チャンピオンを買ってきてもらう。今週の「おまかせ! ピース電器店」は読んでいてなんだかいやになってきた。
 きっと俺のようなMacユーザは世間から見れば成功者ビル・ゲイツをうらやましがるばかりの脱落者なのだろう。まさに今回「ピース電器店」にでてくる悪役のように。今朝MacのMLをのぞくと、ここでもWinユーザによるMLへの攻撃(ひどいことに他人のメールアドレスを利用)がおこなわれている。るせーな、ばっきゃろー。数が多けりゃいーんならとっとと中国かインドの国籍でもとれよ(再び毒電波への反論)。
 あ、漫画家しのらさとし先生のホームページへのリンクを追加。

98.6.6…友人

 トップページに緑葉林檎会へのリンクを追加。リーフというゲーム会社にMacへのソフトの移植を嘆願するというのが主旨らしい。私はあまりパソコンではゲームをしないが、すぐれたゲームはやはり多いにこしたことはない。私自身は一度もプレイしていないが、信頼すべき友人が賞賛しているので応援させてもらう。
 友人といえば、最近浜松の友人が結婚した。学生時代によく愚痴を聞いてくれた男だ。極めてユニークな個性の持ち主だが、いい奴だった。結婚は祝うべきだが、それ以上にうらやましく感じてしまう。悪いな、せっかく手紙までくれたのに。

98.5.17…エゴイスト

 いまさらながらNONSECTIONおすすめBOOKSに「仏ゾーン」を追加。いや、バトウがいいんだよ、バトウが。
 さて、最近私は、自分以外の物事に興味がないことに気づいた。自分と結びつかないこと(結びつくか否かは自らの奇怪な思考回路による)はどうなっても関心がない。そういった事物については適当に相づちをうったりするかもしれないが、内心では気にとどめもしていない。逆に、自らに結びつくことに関しては極端に敏感で、ちょっとした言葉の端を自らに向けられた矛先ととらえて過剰な反撃をする。
 こういったタイプはエゴイストと呼ばれると思うのだが、どうだろう? 問いかけること自体、否定の言葉を聞きたいという証だから、我ながら無様だ。

98.5.10…マッキントッシュ、ジィスリャ〜ッ!(by宮内洋)

速い 速い 速いマシンだG3
Mac OS 命のソフト
キャッシュとRISCでOSまわす
エクセル クォーク フォトショップ
ディスクの唸りに血がさわぎ
メモリの限りぶんまわす
敵はインテル・ペンティアム
戦うアップル マッキントッシュG3

安い 安い 安いマシンだG3
メモリースロット 三つしかない
キャッシュとRISCでインテル倒す
クラリス ネスケに イラストレーター
ファンの唸りに血が燃えて
メモリの限りぶんまわす
敵は金持ちビル・ゲイツ
戦うアップル マッキントッシュG3

98.5.9…コンセプトのある機械

 私は兵器オタクだ。一般に兵器オタクというと最強マシンを好むように受け取られているようだが、私はちょっと違う(オタク度が高いと言ってもよい)。
 私は、性能や完成度より、兵器としてのコンセプトが見えるものを好む。例えばドイツ装甲艦。厳しい制限の中、通商破壊戦に最適の艦としてそれは生まれた。第一次大戦後のドイツにとってそれこそが海軍のなすべき事であり、なしうるところだった。
 例えば、局地戦闘機「雷電」。様々な問題点はあるものの、迎撃機に求められるところをそれは一直線に目指した。
 いわゆる「パソコン」においても私の評価基準はかわらない。例えば、VAIOコンポ。他機種がスピード合戦にあけくれるのを後目に、静粛性を突き詰める姿勢には敬服した。一太郎やExcelなどをあえてバンドルしなかったのもいい。少なくともソニーは「パーソナル」の意味を理解している。
 そして、例えばiMac。「インターネット時代のパーソナルコンピュータ」を既存技術の取捨選択だけで生み出したアップルの思い切りの良さには衝撃を受けた。あまり言いたくはないが、さすがはジョブズ、だ。日本経済新聞はiMacを「アップルの1000ドルパソコン」と言ったそうだが、見当違いもはなはだしい。それでは「雷電」の運動性が零式艦上戦闘機に劣ると批判した者たちと同レベルだろう。
 いや、欲しいね。VAIOコンポとiMac。

98.5.3…妄想ゲーム第二弾

「鉄拳3」最後の隠しキャラ、ボスコノビッチの出し方を攻略本で確認する。鉄拳フォースを3回クリア? うーむ、ちと大変そう。
 さて、この「鉄拳フォース」というのは「鉄拳3」のモードの一つだ。三つのステージを横スクロールシューティングよろしく進み、敵キャラ(動きが戦闘員風)を倒し、ステージ・ボスと戦うのだ。コンティニューがきかないのでクリアはなかなか難しい。
 で、プレイして思ったのだが、これをタツノコキャラでできないだろうか? ギャラクターの戦闘員をぶっとばすG1号、怪鳥音とともに土蜘蛛団を殲滅するポリマー、すさまじいラッシュで宇宙人をなぎたおすテッカマン…うーん、いいね(また妄想モード)。
 プログラムはほとんどそのまま流用できるだろうから、ナムコさん、よろしく!
 正直、「鉄拳3」でいきつくとこまでいっちゃった訳だし、こういう方向性もありじゃないのかな? 技術的にはともかく、格闘ゲームのプレイアビリティはもはや限界でしょ(なんかエラそう…)。

98.5.2…どぼじでどぼじで

 MacとWinどちらが使いやすいか、という問いに答えるのは案外難しい。コンピュータの操作には慣れの要素が大きいからだ。これまでWinしか使ってない人間にMacをさわらせても肯定的な答えを受ける可能性は少ない。まあ、ソフトのインストールやアンインストールを何回か体験すればMacOSの利点も理解されるものと思うが。少なくとも、単一のアプリケーションを使うだけならMacOSの利点を感じることはあるまい。
 だが、MacとDOS/Vどちらが使いやすいか、と言われれば話は別だ。例えば、OSの再インストールを試みる場合。例えば、新しいハードウェアを導入する場合。残念だが、DOS/VマシンはまだまだMacに劣っている。
 そういった意味で、マイクロソフトがPC98規格を打ち出してきたのは正しい。できれば、BIOSにおいてもある程度規格化をすすめて欲しいところだ。CD-ROMからの起動手順ぐらいは一言で言えるようになってもらいたい。Win98ではそのあたりも改善されているらしいので喜ばしい。
 まあ、なんで今頃こんな事を言うかというと…Winのセットアップ(ハードディスクの再フォーマット、OSやデバイスドライバーのインストール、設定、アプリケーションのインストール等)にはMacのそれのおよそ4倍はかかる事を自らの身をもって知ったからだ。
 以前、デザイン事務所の方にこう言われたことがある。
「Winユーザはなにやら増設しては『動いた、動いた』とはしゃいでいる。そんな暇があったら仕事しろっつーの」
 そのときの私は深く同意を示したが、今ならこう答えるだろう。いや、彼らは本当にうれしいのですよ、と。

98.4.29…この江戸の明日のためのスクランブルだぁ〜!

 休日の朝も早くからスーパーロボット大戦完結編をプレイする。そこで思いついたのだが、ロボももうねたがないことだし、次は時代劇もののシミュレーションRPGはどうだろう。その名も「第1次スーパー時代劇大戦」!
 ロボの代わりに桃太郎侍(スーパー系代表)や鬼平(リアル系代表)などが続々登場。パイロットの乗り換えの代わりに配役がポイントとなる。アフロダイAやボスボロットの代わりは榊原先生につばめ太夫だ。水戸黄門のマップ兵器「印籠」のパワーアップは忘れるな! 合体ユニット「子連れ狼」は武器が多彩ですごいぞ! うさ忠も鍛えると意外に強いのでマニアにはお勧め! 必殺系は回避率が高いけどHPが少ないから注意しろ! …って、妄想ですね、これは。
 どうでもいいが、メディアにおいて時代劇復興を口にする者に限ってリアル系に走るのはどうしたものか。スーパー系でも燃えるものは燃えるのだが。ああ、「大江戸捜査網」カムバック!

98.4.25…我ながら意外な反応

 NONSECTIONおすすめBOOKSに「敵対水域」を追加。むっちゃ燃えるので読め。ハードカバーだが、買うだけの価値はある。
 話は変わるが、先日の見合い大失敗後の自らの反応は意外だった。
 ほんの数時間しか顔を合わせたことのない女性に拒絶されたことでこうまで落ち込むとは、我ながらどうかしている。そのあげくに、他人の幸福に嫉妬するとは…まさに怨念戦隊ルサンチマン。ジョークのつもりのネーミングがこれほどまでにぴったりくるとげんなりする。
 結婚相談所にでも行こうかとも考えるが、貯金もほとんどないしなあ。そもそも女性といっしょにいればこの問題が解決するのかもあやしい。なにしろこちとら、女性とまともに交際したことは一度もないのだ。過大な期待は禁物だろう。

98.4.5…やっぱりだめでした

 わざわざ書かないのも隠しているようでしゃくだ。先日、二度目の見合いをした。結果はまったくだめ。会話は少しも続かず、やることなすことすべりまくり。金ばかりかかったがいいことなし。ついでに言っておくと、一週間ほどまえに33歳になった。さんざんですな、というギャグを思いつくあたり見事におやじ。わはは。
 えいくそ、だれか嫁に来い(むっちゃわがまま…)。

98.4.4…Windowsの正しい使い方

 激しい鬱状態からおおむね回復。全然更新しなくてすまん。カウンターもなんか大台に乗ったし、ありがたいこってす、へい。
 ところで、メーリングリストで某MS社のメールソフトに関するなかなかいいページを教えて貰う。なんでもエイプリル・フールの記事らしい。四月馬鹿でもなければこういった文を書けないというのは悲しいことかもしれないが、まあよし。
 私は主としてMacユーザで、Winではいろいろと失敗している。ここで自戒を込めてWinの正しい使い方を記しておく。

インストーラには逆らうべからず
パスを変えたり、カスタム設定などはしない。インストーラに頼らずに適切なファイルをハードディスクに移すのは至難の業である。あんな暗号みたいなファイル名を判別できる訳がない。
Cドライブ以外に頼るべからず
インストーラ様がデフォルトでCドライブを見る以上、ここを大きなハードディスクにしておかないと恐ろしい。Macのようにどこにソフトをおいてもなんとかなると思ってはならない。なお、Winのアプリケーションサイズが妙に大きいのはMS社の開発ツールが元凶らしい。
フォルダを開けるべからず
フォルダを開いてファイルを移動するなんてもってのほか。Macのつもりでやるとたちまちソフトが動かなくなる。多数のフォルダを開ける設計になっていないのは、タスクバーを見れば理解できるだろう。
複数のアプリケーションを同時に表示するべからず
多くのMacユーザは複数ソフトの画面を見比べつつ作業する。しかし、Winでそれをやると画面が見づらいことこの上ない。それぞれのウインドウにメニューバーがつくためだ。正しいWinユーザは全画面表示でソフトをトグルさせつつ使うべし。ウインドウ「ズ」なのに、などと考えてはいけない。
マウスよりキーボードをつかうべし
マウスに頼ることなかれ。すべてはWindowsキーから行うのだ。あとは矢印キーを押せばほら、MS Officeがすぐ使えるね。うわあ、便利だなあ。でもどうして他社ソフトは一階層下にしか表示されないんだろう。
ゲイツ様を疑うことなかれ
偉大なる指導者同志、百戦百勝の英雄ゲイツ様。あなたがなければパソコンはない。すべての者はゲイツ様のお言葉を信ずるべし。当然、ソフトのバージョンアップは臣民たる者の義務である。バージョンの差によるトラブルは、ゲイツ様のお言葉に従えなかったが自らが招いたものと自己批判すべし。

98.3.24…考える

 ひょっとして、おれのやってきたことはすべて無駄だったのではないか? いないほうが世のためだったのではないか? どんな理屈並べたってだめなものはだめなのではないか?

98.3.8…ソニーのパソコン購入を検討する

 私のメインマシンPM7215/90のハードディスクは800MB。サブマシンの東芝PV3000も800MB。PM7215/90には多種多様なソフトをインストールしている。書類も少なくない。
 対して、PV3000にインストールしているのはWZエディターとH/PCエクスプローラ(WinCEとデータを交換するためのソフト)とゲームぐらい。他はおおむねアンインストールした。IEは怖くて削除できない。ゲームはいわゆるナニのゲームで、データの多くはCDに納められているはずだ。なのにどういう訳かPV3000は「ハードディスクが足りない」などと言ってくる。むう。
 ハードディスクの増設も考えたが、どうせインストーラはCドライブばかり見に行くだろう。Winでカスタムインストールをするとあとが大変だ。やはり大容量ハードディスクへの交換しかないのか。
 などと考えつつシトラスへ。会社のPowerBookにメモリーを増設してもらう。考えてみれば、Win95発売前のノートが現役というのもなかなかすごい話だ。
 作業を待ちつつ、ソニーの新しいパソコンのパンフを見る。立派な17インチモニター(TVチューナー内蔵)とセットにもかかわらず、今時MMX200とは男らしい。筐体もコンパクト。さすがPowerBook100を作った会社だけのことはある。
 DOS/Vマシンなんて、どうせ一年もたてば新しい規格やらなにやらで時代遅れになるに決まっている。ならば、このパソコンは選択肢としてなかなかいい。価格でも自分で組むより安そうだし、17インチモニターは切替機を使えばMacと共用させることもできる。未だ13インチを使用している私には魅力的だ。今のPV3000はLynuxマシンにでもすればいい。
 問題は先立つものだがね。

98.3.2…疑問

 NECの新薄型テレビ「プラズマX」ってのはやっぱ「パタリロ!」が元ネタなのか?

98.3.1…標準?

「ギンガマン」の主題歌を聴くとなぜか涙が出る。理由は自分でもさっぱりわからん。
 その話はおいといて(おいとくの?)先週私は、さる会社(私の所属する会社ではない)の情報管理者の言動に悩まされた。あ、さる会社とは私の所属する会社ではないのであしからず。
 彼はネットワーク上の掲示板に機種依存文字を使用していた。ローマ数字や丸付き数字などはOSに依存しており、他のOSのマシンでは見えないケースが多い。インターネットなどではよくある話だが、管理者がそれとはいただけない。
 やんわりと指摘し(宮川だから、自覚せずにきつい言葉をつかっていたかもしれない)改善を勧めたところ、えらく興奮気味の答えが返ってきた。どうも「社内の標準はWinであり、他の機種でどう見えようと関係ない」と言いたいご様子だ。そうは言うが、数は少なくともUNIXやOS/2、Macだってあるではないか。わざわざ「なるべく避けるべき文字」を管理者が使うのはどうだろう。どうしても機種依存文字を必要とするケースではないようだが。
 そもそも標準とはなんだろうか。昨今は「デファクト・スタンダード」=「標準」とみなすケースが多いようだ。しかし、デファクト・スタンダードは「デファクト」と名乗っているとおり「スタンダード」そのものではない。大多数をしめるもの。デファクト・スタンダードはそれ以上でもそれ以下でもないのだ。野球界は巨人ファンの存在を重視せねばならないが、それ以外のファンを無視すべきではない、と言えば理解していただけるだろうか。
 私は、標準は最大公約数たるべきだと確信している。少数派を排除することによる標準化など、ナチスにも劣る愚行だろう。

98.2.21…MS OfficeProとClassic2を買う

「ゼータ0096」CD-ROM化計画発動! たいしたことは書いていないが、トップページからよろしく。
 さて、私が以前いたメディアベイが閉店した。能なし無責任社長が脱税をかましていたらしい。店長をはじめ店のメンバーは優秀だっただけに惜しい話だ。社長が刑務所に入ろうが無一文になろうが私は知らん。
 閉店セールでMS OfficeProを安価に入手する。さっそくDOS/Vマシンにインストールしようとすると、ハードディスクがまったくたりない。中古で買ったゆえ800MBしかないのは今時問題かもしれない。しかし標準と言われる(単に多数なだけだと思うが)ソフトがこれでは困る。
 一方、中古屋でClassic2を入手した。メモリーは4MB、ハードディスクは40MBだ。インストールされているOSは漢字Talk6.0.7。Excel4.0もばっちり動く。いわゆるNC端末はこんな感じかな、とも思う。ううむ、パソコンの進化とはいったいなんだったのだろう。

98.2.8…友の忠告を受ける

 くそ、会社の守衛のバガヤロ様! 雨のせいで会社のノートパソコンがこわれたら貴様の責任だ…という怒りを胸にしつつ豊橋へと向かう。途中、久しぶりに海を見る。
 大学時代の友人らとおちあい、酒を飲んだ。彼らにはよく旨い店を教えてもらう。行動範囲の狭い私にはありがたいことだ。さんざん遊んだ後、友人宅へ。雑談の中、いろいろと忠告を受ける。
 あせるな。結論を出すには早いし、やけになるにも早すぎる。
 うむ、そうだな。とりあえずもう少しゆったりと構えようかと思う。

98.2.1…「必殺」や「鬼平」だけが時代劇じゃない

 私は「必殺」ファンが嫌いだ。ことに「秀さんかっこいい」とか言う連中は大嫌いだ。たわけ、真にかっこいいのは高橋英樹と決まっているだろうが(っておい)。
 さて、「蔵出し・絶品TV時代劇」という本を買った。目当てはやはり「斬り抜ける」に関する記事だ。うーんそうか、74年の作品だったんだね(しみじみ)。
 以前も書いたが、「斬り抜ける」はすごい時代劇だった。
 藩の命令でやむなく友人を斬った主人公、楢井俊平(by 近藤正臣)。しかしそれは、友の妻・菊を奪わんとする藩主の陰謀だった。幕府に訴えでるべく俊平は菊とその子・太一郎を連れて江戸へと向かう。しかし藩主は卑劣にも俊平に「不義密通の末に友を殺した男」と汚名を着せ、追っ手を出す。しかもその追っ手とは菊の父であり俊平の師でもある剣術の達人なのだ(and 岸田森!)。
 次々と迫る刺客から逃れ、いわれなき恥辱に耐えつつ俊平らは旅路を急ぐ。かつては恋仲であった俊平と菊はよみがえる愛情を抑えつけつつ、どうにか江戸にたどり着く。だがそこに待っていたのは、政争の駒としてのあつかい、そして死罪の宣告だった!
 追っ手をうち払い、血みどろの俊平は菊のもとにたどり着く。
「菊さんッ おれが、おれが間違っていた!」
 よろめく俊平を菊が支える。俊平の腕が彼女を堅く抱きしめる。
「不義者に、はやく不義者になってしまえばよかったんだッ!」
 強く抱き合い、今はじめて結ばれる二人…ぐう、燃えるぜ。テレビ愛知でもどこでもいいから再放送してくれ。LD発売もOK(無理だって)。だれかビデオもってたら貸して。

98.1.31…最近の若い者について

 こう書くと自分のおやじぶりを実感するが、ほかにうまい言い回しが思い浮かばぬのでこれでいく。
「最近の若い者」を見ていて私はある時期の少年少女の姿を連想する。敗戦後、廃墟に取り残された孤児たちの姿だ。
 評論家がTVで現代日本の状況を「第二の敗戦」と言っていたが、それとこれは結びついているのだろうか? たしかに、頼るべき物語(天皇制、家制度、無敵皇軍神話、無敵経済神話)もなく、自らの生存のために自らを削る状況は類似しているのかもしれないが。
 写真にせよ映像にせよ「写す」ということは必然的になにかを「写さなかった」ことを意味するのだから、私が戦後について抱くイメージは間違っているかもしれない。ただどうにも、彼らの「目」がひっかかるのだ。

98.1.30…Apple社の方針に憤る

 ここ半年ほどDOS/Vを自らのメインマシンにしようと努力しているのだが、いっこうに進まない。購入したソフトもWin95版の方が多いのだが、WinCEとのデータコンバートぐらいにしか使っていないのが現状だ。理由は簡単で、Winと同じことをMacの方が楽にできるからだ。慣れの要素が大きいとは思うが、Winの今後の改良に期待したい。
 さて、私はWinが嫌いでMS社も嫌いで、言うまでもなくビル・ゲイツは大嫌いだ。Winを嫌うのはそれがMS社の商品だからで、MS社を嫌うのはそのトップがビル・ゲイツだからだ。Win雑誌のビル・ゲイツ礼賛記事を読んでいると、バブル期に「日本の官僚は世界一優秀」などと言っていたたわけども思い出して吐き気をもよおす。
 MacOSのさまざまな欠点は認めるが、私はWin95よりはましだと感じている。なんなら愛していると言ってもいい。しかし、それがすなわちApple社を愛することには繋がらない。
 昨今のApple社の行動に私は強い憤りを感じている。互換機メーカーを事実上潰し、IEに尻尾を振り、あまつさえクラリス社再編におよぶとは情けない。
 これまで私のホームページのトップにはApple社へのリンクをおいていたが、当面削除する。MacOSを愛する者として、Apple社がリンクをはるに足りる会社にもどることを願ってやまない。
 あ、リンクやポスタルテイルのページを手直し。更新が遅れ申し訳ない。

98.1.28…なぜシャブシャブ?

 接待! なんという甘美な響き。俺も一度接待とやらを受けてみたいものだ。こちとらせいぜい干支の石鹸を貰うぐらいだからな。
 ところでずっと気になっているのだが、ノーパンシャブシャブとはそんなに魅力的なサービスなのだろうか。私は色欲に関しては世界最強だと自負しているが、シャブシャブを喰いながら女の尻を見ても面白いとは思えない。喰うなら喰う、尻をさわるならさわると分けた方が遙かに楽しそうだが、どうなのだろう…と、ここまで書いて以前に見た夢を思い出した。
 夢の中で私は崖から海を見ていた。海を行くのは海上自衛隊の護衛艦だ。護衛艦は黒塗りの船を曳航している。その上にはどういう訳か、山盛りの寿司と水着のねーちゃんたちが。目が覚めて、ひどく情けなかったことを覚えている。
 うーむ、すると官僚のみなさんも俺と同様の怨念を抱えているということなのか? ちと弱るなり。

98.1.25…無為にすごす

 先週も日記を書いていたのだがアップロードしそこねていた。もし無駄足を運んだ方がおられれば申し訳ない。今日は午前中はスーパーロボット大戦Fをプレイ。スーパー系で一応終了。テキサスマックがいかす。
 午後は昼食がてらペーパームーンへ。むさい男ばかりで、自らの無謀かつ極悪な野望は試みるまでもなく挫折。そのまま切通理作の「ぼくのいのちを救ってくれなかったエヴァへ」を探して書店を行脚。収穫は「世界の艦船」のみ。
 あと二月もすれば三十三だというのになにをやっているのか。四十になっても五十になってもこんなことを繰り返すしかないのか。

98.1.23…スポーツはそんなにえらいのか

(ナニをいたした後ようやく別人であることに気付いて)
チアガール「まあ、ナーズ(ヲタク)! でもよかったわ」
ナーズ「当然だ。彼らにとってセックスはスポーツに過ぎない。だが僕らにとってそれはすべてだ」
 記憶に頼って書いてるが、映画「ナーズの逆襲」の一シーンだ。セックスで宿敵の女を奪っちゃうヲタクというのもすごいが、まあよい。
 さて、その「宿敵」はアメフトの選手だった。カリスマ性のある男で、学生自治会のリーダーでもある。彼は絵に描いたようなスポーツマンだ。しかし、彼とその一党はナーズらに対し実にアンフェアな攻撃を繰り返す。
 最近、大学のスポーツ選手らが婦女暴行をはたらいたことが話題となった。これについてある大学関係者は「スポーツマンの模範を示すべきなのに」と述べていた。
 なにをたわけたことを。スポーツマンたることが人格者たることを意味するとでも思っているのだろうか。思いあがりも甚だしい。
 よく「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言うが、どのような論拠があるのだろう。所詮競技は点のとりあい、ある意味では営業マンの日常と差はない。なにゆえスポーツだけを特別視するのか?

98.1.18…CD-ROMドライブを交換する

 PowerMac7215/90のCD-ROMドライブが壊れた。どうもモーターがいってしまったらしく、トレイが動かない。やむを得ず、シトラスにて24倍速のタイプを購入。さっそくとりつける。作業は死ぬ程楽だった。
 Acrobat3.0Jをインストールする。うむ、確かに早いような。これだけのスピードならCD-Rを書庫代わりに使えそうだ。
 WinマシンのPC98規格ではCDからの起動ができるようになるそうだが、いっそのことOSとアプリケーションをすべてそこに納めて出荷してはどうだろうか。少なからぬ個人ユーザがインストール済みのソフト(WordとExcelとIE)しか使用しない現状を考えれば、それほど突飛な話ではないように思う。む、しかし巨大化したOSとアプリではCDに収まらないか。ほんの少し前までフロッピーでソフトが流通していたことを考えると恐ろしい話だ。
 多分来年にはメモリーは128MB、HDは10GBぐらいが当たり前になるのだろう。やれやれ。

98.1.11…「ラブ&ポップ」を見る

「ラブ&ポップ」を見に東映パラスに行く。普段栄に行く際には地下鉄を利用するのだが、今日は愛車シビックで向かう。ボンネットにネコの足跡がくっきり。おのれ。
 パラス裏の沖縄料理屋にて昼食。安くてうまい。沖縄系の情報誌を読み、映画館へ。
 映画館を出た人とすれ違う。背の高い、今風のファッションの男性二人だ。気後れしつつ入場。中にはいかにも補完がたりなさそうな連中がちらほら。ほっとしつつも、おそらく私も彼等の同類だろうと思うとちょっと滅入る。上映直前、カップルが私の横に座る。女性の太ももがひざにふれる感触がうれしいやら悲しいやら。
 映画は面白かった。舞台は去年7月19日(うへ)の澁谷。男は森本レオ(いつものキャラクター)と変態と遠景のみ。ひたすら女子高生が突っ走って終わる。ラスト、キャスティングとともに「あのすばらしい愛をもういちど」が流れる。かっこいい。思わずシングルCDを買ってしまう。エンディングのカットは猛烈に心に響くので、必見である。他は寝ててもいいから見よ。
 ナンパでもしようかとも考えていたが、やめる。というより、それは不可能と理解していたことを思い出す。どこの誰が不細工な三十男に騙されるか。町を歩いているカップルや女の子たちを見ていてひどく悲しくなる。駐車場に戻り、私の車の助手席に女性が座ったことがどれほどあったか考えるとますます滅入る。ち、車でなんて行かねば良かった。

98.1.10…ヲタクだろうとスペシャリストだろうと

 御存じのとおり、私は軍事ヲタクである。別に兵器ヲタクだと言っていただいてもかまわない。ヲタクをマニアと言い換えても結構。さて、自戒を込めて言うのだが、軍事マニアには口にききかたを知らぬ者が多いようだ。
 ニフティなどはまだましな方で、ニュースグループやメーリングリストなどではうんざりさせられることが多い。もしあなたがミリタリー系のニュースグループなりメーリングリストなりを利用したいと考えているのなら、それなりの覚悟をして欲しい。実際私は、ソネットあたりと契約して自分のメーリングリストでも作ろうかとすら考えている。
 批判はよろしい。しかしながら、相手を「単なるヲタク」と蔑み、自らを「優れたマニアはスペシャリストなのです」などと規定するのはどうだろう。ヲタクだろうとスペシャリストだろうと人と対話する術を知らぬ輩は非常識と非難されるとわかっているのだろうか。

98.1.5…「怨念戦隊ルサンチマン」を見る

 先日、ここと同じタイトルのホームページについて触れたが、さっそく友人がそこで製作されたビデオを貸してくれた。感謝。
 いや、なかなか出来はいい。カメラワークなんかはけっこういかす。ただ、気になるのは製作者。ふん、京大OBが「怨念」ね。学歴と高収入でどうとでもなりそうな気がするが。いや、まてよ。「高学歴と高収入にもかかわらず」というのは相当きついかもしれない。まあ他人の事情は分からぬものなり。
 個人的には「パンピー帝国が攻めてくる」というあたりは割とのんきな話に思えた。「攻めてくる」のは恐くない。闘えばいいのだから。恐ろしいのは「こちらの存在を無価値とみなされること」だ。

98.1.2…初詣でに行く

 あやや。新年早々プロバイダーのサーバがぶっ飛んでいたらしい。昨日ホームページのアップデートをしようとして気付いた。元旦から復旧作業に勤しんでいたSEさん、ごくろうさま。
 さて、そんな訳でメールすら利用できなかった私は初詣でにでかけた。熱田だの豊川だののように人が多いところはいやなので地元の塩釜神社にする。思えばおろかな判断だった。あそこは安産祈願で名の知られた神社なのだ。
 お礼参りとおぼしき赤ちゃん連れが多数。子宝を願う若夫婦が少々。んで、なにを間違ったんだか来たヲタクはわし一人。おみくじもなく、あるのは犬帯とかそんなのばっかし。とほほ。
 まあ、彼等に幸多きことを。今のうちに日本から逃げた方がいいぞ。

98.1.1…新年を迎える

 どうにかこうにか1997年をしのぎ、1998年を迎える。まずはめでたい。
 さて、一年の計は元旦にありとばかりにMacのデスクトップをDaisyちゃん(『みすてないでデイジー』のヒロイン)で飾る。今は亡き「EYECOM」のおまけCDに入っていた絵だ。Win用となっていたが、たかがBMPごときグラフィックコンバーターの敵ではない。あ「BMPごとき」って言うとなんか小林源文先生の第三次大戦ものみたいでいいよね(っておい)。まあなんか、ヲタクらしい画面になってよろしい。
 話はかわるが、「怨念戦隊ルサンチマン」なるホームページがここ以外にもあると教えてもらった。そこは真面目に戦隊ものパロディビデオを作っているらしい。なんでも、ヲタクを迫害するパンピー帝国と戦うそうだ。ふむう、今のパンピーこそヲタク的だと思うがね。まあ見もしないでの感想なので気に為さらずに。
 だが、どこかの誰かに真似呼ばわりされるのはいやだ。今のうちに「元祖」とか「本家」とでも名乗ろうか。


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