ほーちけんだより(Miscellaneous)


1    進歩するものしないもの
2013-12-07 
学生時代、地表γ線を測った場所の土壌の密度のデータが必要になったことがあった。なので、土木工学科の先生に電話で尋ねてみることにした。そしたら先生曰く「その場所に穴を掘りなさい、そして掘り出した土の重さを測る、次に穴にヴィニールシートを入れて地面スレスレまで水を満たし、その体積をメジャーカップで測る。土の重さを水の体積で割れば密度になります。穴は大きいほど密度の精度が上がりますからね。」 とのこと。自分としては何か土壌密度計みたいな最先端の機器みたいなものをイメージして聞いたのだ が、これじゃ聞いてもしょうがなかったな、と拍子抜けした。が、そのときは丁重に御礼を申し上げたのであった。
 あれはン10年も前の話だが、それから技術が進んでいるかと言えばそうでもない。エレクトロニクスとか通信機器とかパソコンみたいな 分野は幾らでも進化していくが、土壌の水分測定みたいなものは何十年も変わらない。放射線測定器でもNaI(Tl)だとかフォトマル とかは学生時代から全く変わっていない。本質的に大きさ、あるいは密度だけで感度が決まるものは進歩できない宿命なのだ(データ 処理系だけは日進月歩で進んでゆくのだが)。だからこそ、今でもNaI(Tl)のスペクトルの解析技術などを改良して小遣い稼ぎができる。変わらないものがあるからこそ歳をとっても日々技術が磨けると思えば、変わらぬものに感謝しなければならない。

2    能の笛
2013-11-18 
友達から「笛の独奏会のキップを買ったが、当日よんどころない用事ができて行けなくなったので、代わりに行ってくれないか」という手紙がきた。私は雅楽の笛と長唄の能管・篠笛の経験はあるが能の笛は習ったことはない。で、行く前に家にある能関係のレコードから田中一次の「九様乱曲」と藤田大五郎の「盤渉調」を聞いて出かけた。
 藤田流の家元、藤田六郎兵衛が独奏で3曲吹く。上手いことは上手いが何か音の抜けが悪い。還暦になって体力がが落ちたのか、笛が悪いのか、それとも能楽堂の音響効果のせいなのかは分からないが、イマイチ感動が伝わってこない。
 余興で祭りのお囃子が二組でたが「あの社中、演奏が終わって立てるだろうか?」と心配してたら案の定、大方の連中が正座のシビレがきてヨロメイてしばらくの間立てなかった。能の舞台は幕がなく、1時間くらいの演目が終わっても涼しい顔でスッと立って退場しなければならないのだ。(私の場合は日本舞踊や長唄の会のお囃子のお手伝いだったので幕が降りるから何とかなった。幕が降りてから同僚とともにパタパタ倒れてしばらく動けなかったことが何回もある。)
 そのあと六郎兵衛さんが最後の曲を奏したが、このときは結構音が抜けてていい感じだった。あのくらいの名人でも最初と最後で音質が変わることがあるのだろうか?中学のときに音楽の3要素はリズム、メロディー、ハーモニーと習ったが、邦楽はそれに加えて音色も入れて4要素と教えている。味の要素で言えば日本ではウマ味というのを含めるが、それと同じようなものだ。音の抜けは音色に関連していて重要なのだ。

3    屋久島
2013-11-13 
家人が屋久島へ行くというのでMYRATEを持たせた。測ってきた結果は平均が56.6nGy/hであった。鹿児島県の環境センターが1998年に測った島周辺部5点の平均値は65.8nGy/hだ。どちらも5点づつだし、MYRATEはどちらかといえば島の中の方だし、このくらいの違いはあって当然なのだろうか?


4    半減期とサイコロ
2013-10-20 
なにげなくネットを見てたら、ある大学の学生実験で放射能の半減期を学ばせるためにサイコロを使っているサイトがあった。100ケのサイコロを箱の中に入れて振って混ぜてからテーブルの上に落して、1の目のサイコロだけを取り去って、残ったサイコロを振らせて、また1の目だけを取り除くという作業を繰り返させるという。なるほど!! こんなことを思いつくとは! 頭のいい先生がいるものだ。
 さっそく真似してみることにした。しかし我が家には麻雀用のサイコロが2個しかない。で、パソコン上で乱数を使ってシミュレーションしてみた(右図)。確かにこれで半減期を理解させる実験ができる。教育技術というのにも独創性が必要なのだ、ということが分かったり感心したり。

5    単なる思いつき
2013-10-03 
ある雑誌を読んでいたら、放射線の専門家が放射線ノイローゼ気味の一般人にリスクの程度を分からせようとして上手くいかず、困っている様子が書いてあった。こういう話は友人からもたびたび聞く。私は保健物理の専門家ではないので、この種の相談には「分かりません」で通しているが、マジメな専門家ほど一般人とのコミュニケーションに悩んでいるようだ。外野から見ていると放射線の専門家には次の視点が欠けているように思う。
 一般人に対する悩み解消のプロは恐山のイタコとか沖縄のノロだとか街の占い師だとかお寺の坊さんとかだと思う。彼らに放射線の基礎を教育して一般人の放射線の悩みを聞いてもらう、という視点だ。彼らは悩み解消のプロだが放射線は知らない。放射線の専門家は悩み解消のノウハウもカリスマ性も無い。だから補完的作業が必要になる。確率でしか答えない放射線の専門家に比べて、「あなた」個人の悩みに応ずる彼らのやりかたの方がベターだと思う。ただし連中にも相当思い込みが激しいのが居そうなので、こっちの思惑どおりにいくかどうか分からないが。
 もう一つ補足。安心と安全がゴチャマゼで議論されている場合が多いが、私は「母親が赤ん坊を背負って断崖絶壁にしがみつきながら道無き道を渡っている」という例えをすることにしている。99%危険な状況だが背中の赤ん坊は100%安心している、という情景を目に浮かばせるのだ。それで皆納得する、「だからどうなんだ?」と言われればそれまでだが...。


| 日付進める | 目次 | 日付さかのぼる |

表紙(Home) 四方山話(Dialogue) 金鯱文庫(Data) 諸国漫遊(Odyssey) 自来也堂(Publications)
不動如山(Constants) 原発事故(Fukushima Daiichi) 4部1課(Business) ほーちけんだより(Miscellaneous)