“彼女は女王様”


 俺の名前は嵯峨和輝(さが かずき)。東京の高校、私立朋塔学園の二年生。自分で言うのも何だが、都内「最恐」と恐れられてる不良だ。
 だが最近、「俺がかなり丸くなった」なんて噂が飛び交っている。
 それは嘘だ。俺はいつもと変わりない。でもそう思われてるんだとしたら、きっとその原因はあいつだ。
 俺の彼女だ―。

 彼女は女王様。

 12月のある日。
 キーンコーンカーンコーン。
 今日の授業が全部終わったことを知らせるチャイムが鳴ると同時に、俺―嵯峨和輝は眠りから覚めた。
 気がつけば、今日は殆ど寝ていた気がする(まあ、普段からよく寝ているが。不良が授業なんか聞いてられるか)。
 俺は黙って教室を出た。

 俺の通う私立朋塔学園は、何処にでもある普通の私立校だ。生徒を集めるためにランクを相当下げているので、かなり勉強の出来ないものも多い(俺もその一人だ。尤も俺は、他の出来ない奴よりはマシだ)。
 それでも大学へのパイプもあるので、それなりに勉強の出来る奴だって結構いる。まあ要するに、ピンからキリまでいるということだ。
 俺はすぐにホールから出ようとした。しかし途中で、その足を止めた。
「トシ…また俺を待ってたのか? 別に待たなくてもいいって言ってるだろうが」
 そこに立っていたのは角刈り頭の俺より背の低い、人懐っこい笑顔をたたえた奴だった。
「だって…俺は和輝サンの舎弟ですから」
 奴の名は戸川義敏(とがわ よしとし)。自称嵯峨和輝の舎弟で、私立朋塔学園一年。何でも和輝の様々な武勇伝を聞いて、憧れるようになってこの高校に入ったのだと言う。
 悪い奴ではないが、時々鬱陶しい。喧嘩の腕はからっきし。
 その義敏はすぐに俺の横に来ると、一緒にホールを出た。
「今日は、何処行くんですか? ゲーセンですか? それともこの間濱工にやられたうちの学校の生徒のリベンジですか?」
 俺は一言、言った。
「今日もあいつに付き合わなきゃいけないらしいから…」
 すると義敏は、すぐに神妙な顔つきになって言った。
「和輝サン…良いんですか? あの人と付き合いだしてから、和輝サン、他校の連中にナメられまくりなんですよ? 大丈夫なんですか、あの人と付き合ってて…」
「私と付き合ってて…何? ヨッシー」
 突然聞こえたその声に義敏が、そして俺がビクっと反応した。
「ま…真尋サン! 今日は!」
 そこに立っていたのは、にこやかに微笑んだ、美しい少女。だが和輝ははっきりと見た。
 彼女の眼はちっとも笑っていない。正直言ってかなり…怖い。都内「最恐」と恐れられる和輝が怖さを感じるほどなのだ。それは相当のものである。
「ヨッシー…あなたヨッシーの分際で偉そうなこと言ってんじゃないわよ!」
「ぐわっ!」
 彼女は手に持った通学カバンで思いっきり義敏の頭を殴りつけた。見事な威力だった。義敏はあっという間にその場に昏倒してしまった。
「さっ、和輝。今日も付き合いなさいよ」
「ちょっと待て! よくよく考えると何で俺がお前の買い物に付き合わなきゃならねーんだ!」
「…何か言った?」
 彼女はまた、俺に向かって通学カバンを構えた。
「わ、分かったよ! 付き合えばいいんだろ!」
「分かればよろしい」
 彼女はそう言って満面の笑みを浮かべた。その光景に、普段は俺を見ると恐れているばかりの学校の連中もクスクス笑っている。
―ちっ。何で俺がこんなこき使われなきゃならねーんだ。
 俺は心の中で彼女―海吉真尋(みよし まひろ)に向かって悪態をついた。
―俺の彼女とは、名ばかりだ。こいつは俺を殆ど家来扱いしてやがる。
 そう、この真尋という少女が俺の彼女なんだ―。

 海吉真尋。私立朋塔学園二年で俺とは同じクラス。噂によると有名な政治家の娘。メチャクチャ美人で、すれ違った男共が皆振り向く。そして俺、嵯峨和輝の彼女。そして女王(言っとくけど、変な意味じゃねーぞ)。
 そして…超ワガママ。

 そんな真尋が俺に告白してきたのは1ヶ月前だった。しかもその告白の方法も、風変わりなものだった。
 いきなり、帰ろうとしていた俺に話しかけてきて…、
「あたしの家来になりなさい!」
 だってよ。無茶苦茶じゃないか? まあ本人が後で訂正してたが、
「あっ、要するに付き合って、ってこと」
 だってさ。訂正してもらわなきゃ、永遠にその言葉の意味を知ることなく終わるところだったぜ。
 っつーか、「付き合う=家来になれ」ってことか? 訳分からん。どういう考え方してんだコイツは。
 とにかく俺はその場で、「家来だ? ふざけんな、そんなもんになれるか!」って言ったわけだ。要するにフッた。
 すると真尋は平然とした顔で言ってきたんだ。
「あっ、そう。従えないんならうちのお父さんの裏の知り合いに頼んであなたの身体を東京湾に浮かせるけど」って。
 泣く子も黙る都内「最恐」の俺もさすがにどざえもんにはなりたくなかった。だからその場で答えたさ、「ぜひ家来にして下さい」ってな。
 情けない!? ふざけんな、ヤーさん出されちゃいくら俺でも一巻の終わりだっての!

 そして街中の、とある店に真尋は寄った。
 そこで真尋は、ウキウキしながら買い物をする。俺は大量の品物が詰まった買い物カゴを持たされて苦しむ。
―ったく、今日は何を買うつもりなんだこいつは! ふざけんなよ、とことん金を浪費しやがって…、しっかし金あるよな…俺も金欲しいな…ってそんなことはどうでもいい!
 そんなことを俺が考えていることなど知りもせず、真尋は次々と品物をカゴに入れていく。
 するとあるものを見て彼女は立ち止まった。
 そこには、色とりどりの毛糸が陳列されていた。
―何だ? お前はそんな趣味なかっただろうが。
 すると真尋は、毛糸と俺を交互に見始めると、一つの毛糸の玉をカゴに放り込んだ。
―何考えてんだ?
 俺には真尋の考えが掴みかねた。しかし真尋は「会計するから早く!」と言ってレジへと並んでしまった。
「…分かったよ!」
 仕方なく俺は、レジへと走った。

「…いやー、良い買い物をしたわ。これでオッケオッケ」
―ふざけんなよ。
 超ご機嫌の真尋と、超不機嫌の俺。まさしく明と暗(しかしよくこんな表現思いついたな俺。頭が良くなったのか? 何でかは知らんが)。
 とにかく、俺を引き連れた真尋は街中をどんどん進んでいく。
 そしてその時、今一番会いたくない奴に会ってしまった。
「ん? おい和輝、何やってんだ」
 そう言って、短く刈り込んだ頭、そして左耳に三つのピアスをつけた男が俺に声を掛けてきた。
―あーっ! よりによってこいつがここにいるなんて!
 その男の名は、久保田章輔(くぼた しょうすけ)。都立徳空高校二年で、俺の中学のときからのダチだ。
 家の事情で同じ高校には行かなかったが、今でも喧嘩仲間として付き合っている。正直腕力だけなら俺も負けるかもしれない。
 その章輔が俺と真尋のほうへ来る!
 そして章輔は、荷物を持たされた俺と先を勝手に歩いていく真尋を交互に見て言った。
「何だお前。彼女にパシられてるってのはホントだったのかよ?」
「やめろショー。今お前と付き合ってる暇はないから」
「何だよそれ…」
 すると今度は、俺が続いて来ていないことに気付いたらしい真尋が振り返って、言った。
「えーと、あなたは…」
「あっども、和輝のダチの久保田ってもんです。以後よろしく」
「何だお前、馬鹿丁寧に挨拶するなぁ」
「良いだろ別に」
「良くねぇよ、ご両親に挨拶に来た相手に挨拶する親かお前は!」
「何だその例え方」
 すると…
「アッ…アハハハハ…アハハハハ…」
 そんな俺と章輔のやり取りを見ていた真尋は、急に腹を抱えて笑い出した。
「ど、どうした」
「だって…二人のやり取り見てると漫才みたいでおかしくってさ…アハッ、アハハハハ…」
―何がおかしいんだこいつは。ますますもって訳分かんなくなってきたな。
 その時だった。目の前に五人のいかにも不良といった感じの奴らが現われたのは。
「見つけたぞ、嵯峨、久保田! テメエらにやられたうちの一年の仇取ったらぁー!」
 そう言ってそいつらは俺と章輔に向かってきた。
―ハハーン、こいつら紅坂高校の連中だな。
 俺と章輔が恨まれてる理由は単純だ。朋塔学園の近所でひったくり事件が続出し、それの容疑を朋塔学園の連中に向けられたものだからムカついた俺が章輔と一緒に犯人を見つけてぶちのめした事があった。
 その犯人は警察に突き出したが(ぶちのめした痕は捕まえるときの格闘だったのだから支障はないはずだ、多分)、そいつらがおそらく紅坂高校の一年だったのだろう。
―後輩思いのアンタのその度胸は買うけどよ…悪りぃのはあっちのほうじゃねーか?
 俺はすぐに、その場に持っていた荷物を置くと、章輔と共に相手に向かっていった。
 そこからはご想像通り。俺と章輔は二人で、向かってきた五人をあっという間にぶちのめしてやった。
 俺はそのうちのリーダー格っぽい奴(いかにもバカそうな顔してやがるぜ)の頭を踏みつけて、言った。
「いいか? あれはお前らんとこの一年が悪りぃんだぞ? 逆恨みも良いとこだ。これに懲りたら、もう喧嘩なんか売ってくるなよ?」
「はっ…はい…」
 そいつは怯えたような声でそう言った。
「よーし、分かったなら行ってよし!」
 そう言って俺はそいつを解放してやった。するとそいつは、他の四人(こいつらも章輔に俺と同じことをやられていた)と一緒に慌てて逃げ出して行った。
「取り敢えず、片はついたな」
「ああ…これで大丈夫だろ…ん?」
 そこで俺は、あることに気がついた。
 俺と章輔の背後で、真尋がわなわなと肩を震わせて俯いていたのだ。
「ど、どうしたんだ、真尋…」
「どうしたじゃないわよ!」
 真尋は、地面を指差した。そこには、踏み荒らされた荷物。喧嘩の途中で踏んでしまったようだ。
「何てことしてるのよ! あんたはあたしの家来なのよ!?」
―家来。
 またその言葉を面と向かって言われた俺は、切れてしまった。もう止まらなかった。
「何なんだよお前は! 何で俺がお前の家来にならなきゃならねーんだ! 俺はお前の彼氏であって家来じゃねぇ! 大体買い物なんか、一人で来りゃいいじゃねーか! 何で俺をいちいち連れ回すんだよ! ふざけんな!」
 今まで溜めていた、全ての感情を吐き出してしまっていた。
 すると、さっきまで俯いていた真尋が顔を持ち上げると、俺のところまで歩いてきた。そして…、

 パーン!

…小気味良い音が響いた。そこで俺は、真尋に思いっきり頬を張られたことに気がついた。
「…バカ! 和輝のバカ! あんたなんか家来失格よ!」
 そう言って、真尋は走り去っていった。
―悪いことをしたのか?
「…良いのか? 和輝」
 隣に立っている章輔が言った。
「…良いんだよ、あんな女王気取りの女。むしろせいせいしたぜ!」
 俺は言った。でも、なんだか言い聞かせるような言い方に、自分でも聞こえた。
「じゃあ、俺は帰るぜ」
 俺は章輔から離れ、歩き出した。章輔が「それってお前の本心か?」と言っているのが聞こえたが、振り向かなかった。

 翌日、真尋は学校を休んだ。でも俺は気に留めなかった。いや、気にしないようにしていたと言ったほうが正しいのかもしれない。
 その日義敏が「あれ、真尋サンはどうしたんですか?」と聞いてきたが、俺は「もうあいつのことはいいんだよ」とだけ言った。
 そう言われたときの義敏の顔は、何処か複雑そうだった。
 その次の日も真尋は学校を休んだ。そろそろ俺も不安になってきた。
―あいつ…大丈夫なのか?
 そう思いながらその日もいつものように、ホールから出た。俺を気遣っているつもりなのか、義敏は待ってはいなかった。
―真尋…。
 気がつくと、真尋のことを考えていた。真尋のあの態度が嫌だったはずだ。しかし俺は、真尋を求めている。
「真尋…」
「呼んだ?」
―えっ!?
 声に気付いて振り向くと、そこには真尋が立っていた。
「早く来るつもりだったんだけどね…寝過ごしちゃったよ…はい、和輝」
 そう言って真尋が手渡したもの…それはマフラーだった。そのマフラーの色は、あの時真尋が買った毛糸の色と同じだった。
「寒いだろうし…ね。もう12月だし。昨日から作ってたんだけど…途中で寝ちゃって学校行けなくて…今日続きやってたんだけど…結局完成した後で寝ちゃって…」
「じゃあ…あの時の毛糸は…」
「まあ…いつもこき使っちゃってる家来にプレゼントってとこ…かな?」
「…ありがとう」
 俺は一言、言った。
 そして俺は分かった気がした。真尋は、人の愛し方をよく分かっていなかったのではないか―?と。
「それじゃこれからもよろしくね。あたしの家来の和輝」
―ハハハ。どっちにしろ、今後の展開が変わるわけじゃなさそうだな…。
 和輝の、家来としての付き合いはまだまだ続く―。

 完


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