BATTLE ROYALE 2
The Final Game



       [ 第十部 / 終盤戦(後編) ] Now 13 students remaining...

          < 46 > しあわせのカタチ


  静かな夜だった。
  空には新円の月が輝いていて、穏やかな光であたりをほんのりと照らし出していた。
  緑に茂った木の枝や葉っぱからきらきらと輝く水滴が落ち、小さな音を立てては水たまりに幾重にも波紋をつくっていた。
  ほうほうと、ミミズクの鳴き声が、どこからともなく聞こえてきた。
  それは、とても、静かな夜だった――そう、ほんの少し前までは。

  芳明は背の高い植木に隠れるようにして身を屈めながら、足音を立てないようにそろそろと歩いていた。
  前屈みになると腹の傷が開いて血が溢れてきそうだったが、今はなんとかかさぶたで塞がっているらしかった。
  しかしもちろん、歩くたびに激痛が走った、それも、かなり。
  ちょっと気を抜くと昏倒してしまいそうになる痛みに耐えながら、芳明は進んだ。
  アサルトライフルの銃床を地面につき、極力身体にかかる過重を減らそうとしているのだけれど、あまり効果はないようだった、どうも。
  血に染まったワイシャツが植え込みに引っかかり、がさっと音を立てた。
  それで、芳明はびくっと身体を硬直させたのだけれど――すぐに力を抜いてふう、と溜息をついた。
  思った。
  やれやれ、これじゃあ田舎の爺さんだ。杖の代わりにアサルトライフル。熊が襲ってきても大丈夫。グレイト。
  芳明は自分が杖をついて歩いている姿を思い浮かべ、小さく笑んだ。
  もう自分がそんな姿になることはないだろう、この先。
  ええ、そりゃもうありませんよ、旦那様。なにしろあなた、ここで死ななきゃならないんですから。杖なんてついている暇、ありませんよ、ホント。

  芳明は軽く首を振った。
  いま、弱気になってどうする?
  秋也ほどではないが比較的長い、ウェーブがかかった髪から、雨の雫が飛び散った。
  日中はかなり暖かかったはずなのだが、夜になるとさすがに少し肌寒かった(当然だ、ここは東京じゃない、田舎の雪国なのだから。まあ、雪はないのだけれど)。
  しかし、とにかく、芳明はぶるっと微かに身震いをした。
  雨に濡れた――しかも半袖状態の――ワイシャツが皮膚に貼りつき、冷たかった。
  おまけに詰襟の学生服は清水奈緒美に貸してしまったので(しかしその奈緒美はもうこの世にはいないのだけれど。そして、そのことを芳明は知らないのだけれど)かなり体温を奪われてしまっていた。
  雨の匂いが混じったそよ風が吹くたびに、芳明は身体を震わせた。
  その風に混じって、いやなにおいが芳明の鼻を刺激した。
  環境汚染の原因になるとして全国の教育機関から焼却炉が撤去されてしまう前(この大東亜共和国という国は、こと環境問題に関してはうるさく規制ばかりを作っていた、あまり実行はされていないのだけれど)よくビニール系の『燃えないゴミ』を燃やしてしまったときのような、あるいは理科の実験のときに誤って硫黄を燃焼させてしまったときのような、鼻を突く刺激臭だった。
  芳明は顔をしかめ、破れたワイシャツの袖で鼻を覆った。
  臭かった――いやはや他に例えようがないくらい、臭かった。
 「何のにおいだ、クソ・・・・・・」
  芳明は思わず呟いた。
  よくわからなかった、それが何のにおいなのかは。
  まあ、とにかく、あまりありがたいものではないと思う、それが何であれ。
  芳明は、崩れた文化会館の壁の瓦礫の影に身を隠し――それにしても何があったんだ、ここは? テロにでもあったのか? 今年のプログラム会場はテロリストにより占拠されました、はは、あまり変わりないじゃないか――そっと様子を窺った。
 「あっ・・・・・・!」
  目を見開き、思わず声を出してしまった芳明は、慌てて自分の手で口を塞いだ。
  少しだけ周囲に視線を払ったが、誰も芳明に気づいた様子はなかった、どうやら。
  芳明はまた、視線を戻した。
  そこはまさに地獄絵図のような光景だった、本物の地獄絵図を見たことはないのだけれど。
  とにかく、周辺に植えてある数本の木がパチパチと音を立てて燃えていた。
  生木を燃やすときに出る、あの独特の色とにおいを持つ煙が、あちこちから立ち昇っていた。
  その木はどれも、ある一点から放射状に薙ぎ倒されたように外に向かって傾いていた。
  かなりの爆発があったことは確かだった、この光景を見た限りでは。
  木が放射状に薙ぎ倒されている中心――おそらく爆心地なのだろう――は、アスファルトの地面が一部削れたように抉られていた。
  そしてそこには――なんだかよくわからない、赤い粘土のような物体が落ちていた。
  芳明は一瞬、ソーセージだろうかと思った。
  しかし、こんなところにソーセージが落ちているわけはないし、しかもソーセージにしてはあまりに巨大すぎた、その物体は。
  とにかく、ソーセージなわけはない。
  芳明が近づいて調べて見ようとしたとき――踏み出した足がずるっと滑った。
  慌てて脚に力を入れて、体勢を立て直した。
  アサルトライフルのストラップが腹の傷に触り、焼けつくような痛みを覚えた。
  なんとか転ばずにすんだ芳明が足を上げると、そこにはあのソーセージ(ではない何かだ、とにかく)と同じようなものが、安物のスニーカー(南朝鮮の強制労働キャンプの労働者が作ったミズモの海賊版だ、2足セットで780円、税込み。2リットルボトルのビールよりも安い、はっきり言って)の靴底にべったりと貼り付いていた。
  犬の糞を踏んでしまったような感触がしたが、しかし犬の糞ではなかった、それは。
 「う、うわああぁっ!」
  芳明は思わず、声を上げてしまった。
  それが、人間の血と脂の固まりだとわかったので。
  あの巨大ソーセージが、誰かが肉片と化したなれの果てだということがわかったので。
  まあ、今週はとことんついていますね、奥様。“プログラム”御招待+ソーセージ1年分。これで当分食事には苦労しませんね、いやはや。

 「うっ・・・・・・!」
  強烈な嘔吐感が芳明を襲った。
  芳明は慌てて口元を抑え、食道を駆け上がってくる熱い液体を喉の奥でやっつけた。
  ここのところ政府支給のクソまずいパンとミネラル・ウォーターしか口にしていなかったので、胃の中にはろくなものが入っていないはずだった。
  胃液をゲロしても建設的ではない、この場合。
  それにこれ以上、体力を消耗することはできなかった。
  ああ――思った。
  ソーセージは前々から好きじゃかったが、しかしこれでハッキリした。俺は、ソーセージは、嫌いだ。二度と食べないぞ、ちくしょう。
  芳明は靴の裏についている血と脂を引っぺがしてから、その巨大な肉の塊の方にそろそろと歩いていった。
  アスファルトが抉れたそのすぐそばに、それは、あった。
  まわりはなんだか、どす黒い染みができていたが(たぶん血液だろう)ほとんど蒸発してしまったのか、湿った感じはしなかった。
  中心のソーセージ・・・・・・ではなく、誰かの死体は、まだ赤黒い液体で濡れていた。
  都立第壱中学校の黒い詰襟の学生服が、ずたずたに切り裂かれて、ボロ雑巾のようになっていた。
  下半身と胴体はかろうじて残っているようだったが、胸部から上はまるで心霊写真のように綺麗さっぱり消え去っていた。
  炎を撒き散らす火炎型手榴弾ではなく、物体を粉砕するために作られた破砕型手榴弾だったため、上体は爆風と金属片によってすっかりと砕け散ってしまったためだ。
  顔がなかったのでそれが誰なのかはわからなかったのだけれど、死体からそこそこに大き目の体格の奴だということがわかった。
  芳明の脳裏に、クラスの中で比較的大きめの男子生徒の顔が浮かんでは、消えていった。
  考えた。
  誰なんだ、これは? 倉沢か? いや、あいつはもう死んでいる(俺が殺したんだから)。
  そうだとすると、七原光平か――もしくは沼田正樹あたりだろうか?
  ごくっと唾を飲み下し、芳明はそろそろとその死体に手を伸ばした。
  変な形にひしゃげた学生服のボタンに手をかけ――芳明は悪夢を見ているような錯覚に捕らわれた。
  この巨大なソーセージが今にも起き上がり、芳明に声をかけてきそうだった。
  なにしろこれは、つい先程までは、以前、芳明が教室で話したことのあるだろう誰かだったので。
  いやそんなことよりも、ほんの数分前まではこのソーセージは生きていて、自分と同じように歩いて、自分と同じようにこの空気を吸っていたはずなので。
  芳明は、小さく首を横に振った。
  ボタンにかけるつもりだった手を、すっと引いた。
  思った。
  この死体が誰だって、もうどうでもいいじゃないか、そんなことは。
  その通りだった。
  これが誰だかわかったところで、もう何にもならないのだから。
  問題は、誰にやられたかだ、この場合。
  手榴弾か爆弾かは知らないが、とにかくこれだけの爆発だ、簡単に使おうとするはずがなかった。
  下手に近くで使えば自分もその爆風に巻き込まれるだろうし、そもそも使ったときの大音響、そして炎上した煙が上がれば、自分がここにいると他のやつらに教えてしまうようなものだった。
  仮に使ったとしても、その本人はもう遠くへ逃げているだろう、おそらくは。
  もしくはどうしても使わざるを得ない状態にまで追い込まれていたか――。
  芳明は、ちらっと自分の足元に落ちている死体に視線を落とした。
  ひょっとしたら、自殺だったのかも、知れない。わからない。
  しかしあの銃声は――?

  芳明が考えていた、そのときだった。
  まだちらちらと燃えている植え込みのひとつが、がさっと揺れた。
  風は――吹いていなかった。まったくの無風。
  芳明は、重い杖がわりのアサルトライフルを持ち上げ、その音のした方に銃口を向けた。
  アサルトライフルを構えた場合、脇の下に抱え込むような姿勢になるので、銃把が腹の傷にあたって痛かったが、そんなことは気にしていられなかった。
  恐怖と、不安と、焦燥感が、じりじりと芳明の上に降り積もっていった。
  植え込みが、またがさっと揺れた。
  そしてすぐに、その植え込みの向こうに人影が見えた。
  思わず芳明は目を見開いた。
  その顔に見覚えがあったので(同じクラスメイトだ、当たり前だろ?)。
  そして芳明は、その人物を一度見かけていた、このクソゲームが始まってすぐに。
  白い薄手のセーラー服の左袖が破れて、血でべったりと染まっていた。
  小柄で、顔もそこそこに可愛くて、ポニーテールが特徴的なその人物は――芳明と目が合うと、ばっと植え込みの向こうに姿を隠した。
  藤本華江(女子十八番)だった。
  一瞬、逃げたのかと思ったが、華江はすぐに植え込みから顔を出した。
  手にはイングラムM11サブマシンガンが握られていた。
  華江の指が微かに動き――そのイングラムが、火を吹いた。
  芳明はアサルトライフルのトリガーを引き絞ることに、もう躊躇いを覚えなかった。




       §

  華江は、手榴弾の炸裂した爆音で、意識を取り戻していたのだった。
  最初は何がなんだか、よくわからなかった。
  華江が目を開いたときにはもう、周辺の木々の枝は圧し折れ、あちこちで小さな炎がちらちらと上がっていた。
  微かに混乱した華江だったが、すぐに冷静さを取り戻すことができた。
  これと同じような光景を、一度目にしたことがあったので。
  それは――そう、この面倒なゲーム会場の中心よりも少し南、とある国立大学のキャンパス内だった。
  華江は、瞬時に理解した、これが手榴弾か――もしくはそれに類する爆発物が炸裂したあとだということを。
  自分を吹き飛ばした爆発とはまた違うものであることは、明らかだった。
  あの爆発は、木が傾斜しているのとはまた別の方向から起こったものだったので。
  華江は呟いた。
 「ちくしょう、なんだってのよ、もう・・・・・・」
  後頭部がズキズキと痛み、頭の中がミキサーで引っ掻き回されたあとのようだった。
  正樹が仕掛けた爆弾の強烈な爆風で吹き飛ばされた際、華江はアスファルトの地面に後頭部を強打していたので。
  華江は起き上がり、周囲を確認した。
  すぐに、すっとその目が細まった。
  少し離れたところ、丈が華江の膝くらいまである草の中に、ワイシャツを着た旗山快が仰向けになって倒れていた。
  白いはずのワイシャツが、もうほとんど赤く染まっていた。
  そして快からもう少し向こう、背の低い植え込みのすぐ横あたりに、榊原郁美が倒れていた。
  郁美の方は、セーラー服の前が破れていて、膝には固まった血がこびりついていた(あらあら、お二人さん、何かしてたのかしら?)。
  快はともかく――郁美の方は大した怪我はしていないようだった、どうやら。
  そして郁美のすぐ近くには、イングラム・サブマシンガンが落ちていた(快の持っていたスミス・アンド・ウェスンは、丈の高い草に隠れて華江は気がつかなかった)。
  華江の口元が微かに歪んだ。
  笑ったのだ。
  思った。
  絶好のチャンス到来ってところかしら、どうやら?
  快が起きているうちは、正面から戦おうが不意をついて攻撃しようが、華江に勝ち目はまったくなかった、はっきり言って。
  当然だ、なにしろ相手は職業軍人で、人を殺すことが仕事なのだから(まあ、あまりいい仕事じゃないわね、あたしが言うのもなんだけど)。
  それにただの女子中学生が勝とうというのが、そもそも間違っているのである。
  だがしかし――その快が気を失っていれば?
  20秒、いや10秒もあれば、額に一発、鉛玉をぶち込むだけで勝てるのだ。
  そして――人が死ぬたびにぎゃあぎゃあと騒ぐ、鬱陶しいことこのうえない女も眠っている、今は。
  他人が死ぬのにあんたに何か問題でもあるわけ? ないでしょ、はっきり言って。いちいち騒ぐんじゃないわよ、まったく。

  さっきの爆発を起こした奴が近くにいるかもしれなかったので、華江は腰を屈めて姿勢を低くし、郁美の方に歩き出した。
  正確には、郁美のそばに落ちているイングラムに向かって。
  まだ頭がくらくらしていてまっすぐに歩けなかったが、とにかくイングラムまで辿り着ければ、それでいいのだ。
  華江は細心の注意を払い、音を立てないように進んでいった、快が目を覚ましてしまうと厄介なので。
  前屈みで歩いていたのでポニーテールにしてある髪がうなじに触って、少しくすぐったかった。
  左腕はまだよく動かなかったが(中山諒子に撃たれた傷は簡単には治りそうになかった)別に問題ない、右手でイングラムを保持すればいいだけのことだ。
  華江は、郁美のすぐそばまで近づいた。
  郁美の特徴的な丸い眼鏡は、爆風でどこかに吹き飛んだのか、持ち主のそばには見当たらなかった。
  眼鏡をかけていない郁美ははじめて見たのだけれど、華江は何となく、眼鏡のない郁美の方に微かな親しみを覚えていた、どういうわけか。
  榊原さん、あなた、眼鏡してない方がずっと魅力的よ。コンタクトにしたら、この際?
  しかしそれでも、クラスの男子のなかでは郁美はけっこう人気があったのは知っていた(眼鏡がチャームポイントらしい、男子によれば、まあ直接聞いたことはないけど。そして別に興味もないけど)。
  華江自身も、クラスメイトの顔をこんなにまじまじと見たことはなかったのだけれど――郁美がもてるのも頷ける気がした、なんとなく。
  郁美は女子バスケットボール部の部長だったし、成績も優秀で、容姿も一般的には『可愛い』と言われるレベルだった。
  だが、華江は授業でバスケットボールをしている郁美を見たことがあったのだけれど、髪をまとめて必死にボールに食いついているその姿は、可愛いと言うよりも鋭い鷹のような精悍さがあったように思う、今となっては。
  華江はいつのまにか、郁美に妙な近親感を覚えている自分に気がついた。
  郁美は日々の『生活』を、そして華江は『人生』そのものを、自分なりに必死で生き抜こうとしているところが共通していたからかも、知れない。わからない。
  そして、『大切なひと』を誰かに奪われた経験があるということもまた、共通点だった、華江は知らなかったのだけれど。
  華江は微かに、あまり殺したくはないな、と思った。
  しかしもちろん、ただそれだけのことだったのだけれど。
  自分が死ぬ危険性を増やしてまで他人を生かしてやるほど、華江は甘くはなかった。
  華江がイングラムを拾おうと手を伸ばしたとき――セーラー服の裾が植え込みの枝に引っかかり、がさっと植え込みが小さく揺れた。
 「う・・・・・・」
  郁美が小さくうめいた。
  それで、華江は、イングラムに伸ばしたその手を硬直させた。
  郁美は目を覚まさなかった。
  ほっと溜息をついたのも束の間、華江はセーラー服の裾が枝に引っかかったままだったのを思い出した。
 「ち」
  華江は小さく、舌打ちをした。
  最初は起きなかったが、また音を立ててしまったら、いつ郁美が目を覚ますとも限らなかった。
  だが、いつまでもこうやっているわけにもいかない(中腰の姿勢をいつまでも保持できるほど筋肉質じゃないのよ、あたしは)。
  華江は意を決して、ぐいっとセーラー服の裾を引っぱった。
  ぴりっと布が裂ける音がして、また植え込みの枝ががさっと揺れた。
  今度も郁美は、微かに身じろぎをしただけで目を覚まさなかった。
  すうすうという寝息が、今にも聞こえてきそうだった。
  思った。
  呑気なものね、今からあたしに殺されるっていうのに。まあ、眠っていれば痛みもないだろうけど。
  郁美が起きなかった安堵感からか、華江は少し、上体を起こした。
  さすがにいつまでも中腰を保ってはいられなかったので。
  そして、気なしに植え込みの向こうに視線を移したとき、華江は思わず目を見開いた。
  ワイシャツを着た男子生徒が、華江に向かってアサルトライフルを構えていたので。
  そのワイシャツは快と同じように血に染まっていたが――しかしその男子生徒は、しっかりと銃口を華江の方に向けていた。
  華江はすぐにわかった、その男子生徒が太田芳明だということが。
  平均的な身長に、軽くウェーブがかかった長めの髪、優しそうな瞳をした、いつも人を笑わせることが得意な男子だった、芳明は。
  しかし――それは平和だった頃の話である、もちろん。
  相手がどんな奴であれ、自分が生き残るためには障害となるただの邪魔者だった、今となっては。
  華江は反射的に屈み込むと、郁美の横にあったイングラムを掴み上げた。
  ストラップが郁美の腕に引っかかっていて、すぐには持ち上がらなかったが、華江は強引にひったくった。
 「う・・・・・・うん?」
  郁美が目を覚ましかけているようだったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
  華江と芳明を隔てているのは、この植え込みひとつだけだった。
  そしてもちろん、こんな植え込みに防弾能力など欠片もない。
  いま撃ち込まれれば、華江も郁美も蜂の巣になるしかなかった。
  ああ、お客さん、今日はいいのが入ってますよ。産地直送、採れたて新鮮の蜂蜜トマトジュース。真っ赤な色がたまらないでしょう? ダイエットに最適ですけど?

  そんなことはともかく、華江はすぐに立ち上がった。
  打ちつけた後頭部に鈍い痛みが走り、くらっとしたが、華江は構わずイングラムを右手で保持して引き金を引き絞った。
  ぱららららららららっと軽快な音がして、右腕に強い反動がきた。
  イングラムから吐き出されたパラベラムの火線は、一直線に芳明に向かっていき――すぐ脇の木の幹にいくつかの穴を穿った。
  ちくしょう――外した!
  華江がぎりっと奥歯を食いしばったときにはもう、芳明のアサルトライフルが唸りを上げていた。
  ドガガガガガガガガという甲高い音と共に、マズルフラッシュがあたりを照らし出した。
  強力な貫通力を有する高速弾――5.56ミリNATO弾の束は、華江の頬を掠めて背後にある細い木の幹に命中した。
  その木を貫いた弾丸は、そのまた向こうの木の幹に突き刺さり、やっと止まった。
  高速で弾丸が貫通した木は、メキメキと音を立てて後ろに傾き――ざざあっと地面に倒れた。
  やはりと言うべきか、それともやっとと言うべきか、「は」と郁美が声を上げた。
  目を覚ましたのだ。
  快もまた、頭を小さく振って起き上がりかけていた。
  サブマシンガンとアサルトライフルの撃発音が鳴り響くなかのさわやかな目覚め。グレイト。
  華江は、思った。
  チッ――このくそ忙しいときに! 子供が起きてていい時間じゃないわ、もうちょっと寝てなさいよね!
  芳明の方も腹と肩の怪我のせいで正確にポイントできなかったのは、華江にとっては幸運と言えた、もちろんそれが二度続くとは思えなかったけれど。
  アサルトライフルが、また甲高い音を立てて弾丸を吐き出した。
  華江は反射的に横に跳び――木の陰に飛び込んだ。
  華江の頭上数センチのところを、木を貫いた弾丸が通過していった。
  威力が桁違いだった、イングラムとは。
  それでも華江は、木の影から腕だけを出して引き金を引いた。
  ぱららっと軽い音がして反動が来たのもほんのわずかな時間で、すぐにイングラムの撃発機構ががちっという音をたてて、弾切れを示した。
  予備マガジンは、ない――どこかにあるのかもしれないが、とにかく、華江は持っていなかった。
 「この役立たずッ!」
  華江はイングラムを地面に叩きつけた。
  顔を上げた華江の視線が、目覚めたばかりの快の冷ややかなそれと重なった。
  やれやれ何をやってるんだか、と言っているような目だった、それは。
  快がなにか言った、華江に向かって。
  しかし、そのときにはもう芳明のアサルトライフルが火を吹いており、その甲高い撃発音に快の声はかき消されていた。
 「なによッ!? 聞こえるわけないじゃないのッ!」
  華江が、怒鳴った。
  胸元についたセーラー服の赤いリボンが、一瞬のうちにちぎれ飛んだ。
  思った。
  リボンのないセーラー服ってすっごく間抜けに見えない? もともとセンスないデザインなんだから、これ以上変なカッコさせないでよね。まあ、別にどうでもいいんだけど。
  快がまた、口を開いた、今度は幾分大きめの声で、言った。
 「それ、こっちに投げてくれないか。八つ当たりしたって、どうにもならないぜ、このままだと?」
  落ち着いた口調だった。
  それが、華江の苛立ちをさらに募らせた。
  自分のすぐそばにも流れ弾が着弾しているというのに――なんで平然と立ってるのだろうか、あの男は?
  華江は怒鳴った。
 「いやよ! 欲しければ自分でとりに来れば!? あたしは――」
  ばきん、と華江のすぐ耳元にあった枝が吹き飛んだ。
  華江は姿勢を低くし、イングラムを掴み上げると隣の木まで走り込んだ。
  その木もすぐに蜂の巣にされた。
  もう逃げ場はなかった。
 「藤本・・・・・・。無駄な抵抗は止めておとなしく出てきてくれ」
  アサルトライフルの撃発音が止まり、芳明の静かな声が華江の耳に届いた。
  あたりには蒼白い煙が漂っていて、視界があまりよくなかった。
  つんとする硝煙の匂いが風に乗って漂ってきて、華江の鼻を刺激した。
  華江は、言い返した。
 「冗談じゃないわ。あたし、他人に指図されるのって、一番嫌いなの。あたしはあたしの意思で生き残ってみせる。オーケイ?」
 「それが自己中心的って言うんだ。自分が生きるためなら、クラスメイトも平気で殺せるのか?」
  芳明が、言い返した。
  華江は意を決して、穴だらけの木から一歩横に踏み出した。
  芳明の少し怒ったような顔が、見えた。
  アサルトライフルの銃口は、まっすぐ華江を捕らえていた。
  もう、華江をその弾丸のシャワーから守るものは、なにもなかった。
  それでも華江は、せせら笑ったような声で言った。
 「そうよ。それがあたしのやり方なの、悪いけど。自分の大切なものを守るためには、それに相当する別の何かを犠牲にしなければならない。あなたなら、わかるんじゃない?」
 「・・・・・・」
  芳明は、なにも言わなかった。
  真由美が死んだことを言っているのだ、華江は。
  芳明が真由美よりも先に何らかの行動を起こしていれば、真由美は死なずに済んだかもしれなかったので。
  しかしもちろん、それは芳明が犠牲になるということなのだけれど。
  そして華江の場合、乱暴な父親から解放されるために、大好きな母親を失わねばならなかったということだった、それは。
  華江は、言った。

 「あたしは、死ぬとしたら、自分のために死ぬ。あなたにあたしの生き方をどうこう言われる筋合いはないわ」




       §

  芳明は眉間にしわを寄せて、華江を見つめていた。
  死ぬとしたら自分のために死ぬ。
  華江の言葉が、芳明の背中をぞっと震えさせた。
  芳明は、言い知れぬ恐怖を覚えた。
  自分と同じ年の、自分と同じクラスの、自分と同じ教室で勉強していた、自分よりも小柄な女子を怖いと思ったことは、はじめてだった。
  思った。
  なにを怖がっているんだ、俺は? いやそもそも怖がっているのか、俺は藤本を? なぜ?
  わからなかった。
  しかしとにかく――芳明はなんとなく感じていた、華江の意見が間違ってはいないということを。
  それは、この国のほとんどの人間が思っていることだった、つまるところ。
  この国に、他人のために死ねる人間など、何人いるだろう・・・・・・?
  もし、万が一この“プログラム”が全国的に適応されたとしたら――?
  人々は、どう動くだろうか、国中で殺し合いが始まったとしたら?
  懸命に自分の家族を守ろうとする父親も、いるかもしれない。
  必死で恋人を守ろうとする男も、いるかもしれない。
  だが、おそらくは、いや十中八九――家族すら殺して生き残ろうとする者の方が多いだろう、きっと。
  妹を犠牲にして助かろうとする兄も、いるだろう。
  恋人を置いて逃げ出す男も、いるかもしれない、もちろん。
  自分のことだけが大切なのだ、結局のところ。
  本当に人を守ることのできる人は、少ないのではないか、とても。
 「それは――」
  芳明は、口を開いた。  
  そのときだった。

 「太田くんッ!? 太田くん、どこにいるの!?」

  そんな声が、瓦礫の向こうから聞こえてきた。
  天道沙利美の声だった。
  芳明は、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
  思った。
  銃声が聞こえたらすぐに逃げろと言っておいたのに――!
  芳明は思わず、そちらを向いた。
  怒鳴った。
 「やめろッ! 来るんじゃないっ!」
  はっと気がついたときにはもう、華江は横っ飛びに飛んでいた。
  華江が、叫んだ。
 「マガジンッ!」
 「わかってるよ。ほら、受け取れ」
  呑気そうな声が木の陰から、した。
  旗山快の声のようだった、どうやら。
  快もまた『やる気』になっていたのだ!
  それで、芳明は、しまった、と思った。
  誰かとチームを組んでいたのか、藤本は!? いやしかし――
  果たしてあり得るのだろうか、『やる気』になっているもの同士が一緒にいるなどということが?
  考えている暇はなかった。
  声のしたあたりから、ひゅっと黒いものが飛び出してきた。
  イングラムの予備マガジンに違いなかった。
  今またイングラムを使われると、まずい、それも、非常に。
  ええ、そりゃそうですよ、おにいさん、さっきのソーセージをそのまま食べるのよりも、ずっと。
  芳明は、それに向かってアサルトライフルを連射した。
  再び撃発音が轟き、それを保持した芳明の腕が、大きく上下に揺れた。
  しかしアサルトライフルから放たれた弾丸は、虚しく宙を切った。
  快が投げたマガジンは、高速で回転しながら華江の方に飛んでいった。
  ほんの一瞬――時間にして1秒かかるかどうかくらいの間に、華江は宙を飛んでいる状態でそれをキャッチした。
  華江が、滑り込むように地面に着地した。
  地面につく前、まだ宙に浮いている状態で、華江は既にマガジンの詰め替え作業を終えていた。
  ものすごい早業だった。
  そのすぐあと、華江のイングラムが再び炎を吹き上げた。
  しかしそのときにはもう芳明は、華江に背を向けて走り出していた。
  自分が走っているそのすぐ後ろを、イングラムの火線が追いかけてきていた。
  瓦礫の影から、沙利美が顔を出した。
  芳明は、叫んだ、思いきり。
 「来るなっ! いいから逃げろ!」
 「えっ!?」
  沙利美は、すぐに立ち上がった。
  しかしそれは――まずかった、それも、かなり。
  華江がいる位置から無防備な身体が丸見えになってしなうので。
  イングラムの連射音が一旦、止んだ。
  沙利美にポイントしなおしているのは明らかだった。
 「ちくしょうっ!」
  芳明は立ち止まり、アサルトライフルを構えて華江の方に振り向いた。
  向こうが撃つ前にこちらが攻撃を仕掛ければ、華江は沙利美を狙うのをやめるだろうと思ったので。
  だが、芳明が振り向いたときに見たものは、しっかりと自分にポイントされたイングラムの銃口だった。
 「え――?」
  芳明は思わずぽかんと口を開けた。
  華江の口元が、かすかに微笑んでいるようだった、遠くてよくわからなかったのだけれど。
  しかし、それでも華江の目が、すっと細くなるのだけは見えた、どういうわけか。
  その目は、こう言っていた。
  だから言ったでしょ、太田くん。死ぬとしたら自分のために死になさいって。あたしの言ったこと、了解してくれた?
  直後、華江のイングラムが吼えた。
  眩しいマズルフラッシュが輝き、軽いタイプライターのような音が、それに続いた。
  芳明の右腕が、誰かに呼び止められたように、ぐいっと後ろに引っ張られた。
  しかしそれも束の間、次の瞬間にはもう、芳明の胸から腹にかけて斜めに小さな穴が穿たれていた。
  焼けた金属製の棒を突き刺されたような熱さが芳明を貫き、そしてそれはすぐに強烈な痛みに変わった。
  芳明は仰け反り――苦悶のうめき声を出した。
  口からごぼっと血を吹き出した。
  すぐにまたぱらららっという音が響き、今度は太股から骨盤にかけて、いくつかの穴が空いたようだった。
  身体中にめちゃくちゃな痛みが走っていて、もうどこを撃たれているのか、自分自身わからなくなっていた。
  アサルトライフルのストラップがちぎれ飛び、しばらく蛇のように宙を彷徨ってから、地面に落ちた。
  イングラムの連射音が、止んだ。
  あたりには硝煙の匂いが立ち込めていた。
  芳明は仰け反った体勢で突っ立っていたが――やがてゆっくりと後ろに倒れた。
  倒れる際、後頭部を強く打ったようだったが、なにも感じられなかった。
  身体中が火照っていた、風邪をひいて40度の高熱を出したときぐらいに。
  いやはや、この風邪は手術しないと治りませんよ、おにいさん。なに、鉛弾を20発ぐらいぶち込むだけです、お手間は取らせませんって。

  芳明は、ぼんやりと考えた。
  身体中に穴が空いているってのに、まだ生きているのだろうか、俺は?
  考えられる、ということは、生きているのだろう、おそらくは。
  しかし芳明には、もう自分が生きているという実感がなくなっていた。
  視界は白く濁って、なにも見えなかった。
  身体がふわふわと宙に浮いていきそうな感覚がしていた。
  思った。
  最後の最後で、してやられたな、藤本に。
  沙利美のことが、気にかかった。
  果たして沙利美は――逃げてくれたのだろうか、藤本から?
  とても起き上がって確認できる状態ではなかった。
  そのとき、キィンと飛行機が飛んでいるような音が響いている芳明の耳に、声が聞こえた。
  叫び声のようだった、どうも。
  それは、沙利美の声に似ていた、あまりよく聞こえないのだけれど。
  それで芳明は、深く溜息をついた。
  言いたかった。
  逃げろ、俺のことはいいから逃げてくれ・・・・・・。
  だがもちろん――そんなことをする力は、もう芳明には残っていなかった。
  ぱらららっという連射音が、小さく響いた。
  沙利美は――撃たれてしまったのだろうか、華江に?
  芳明は、アサルトライフルのグリップをぎゅっと握り締めた。
  思った。
  ちくしょう――藤本。おまえの思い通りにはさせない、絶対に。俺が死んででも、おまえを止めてやる。
  震える指先をなんとか動かして、芳明はアサルトライフルのトリガーに指をかけた。
  まだ――まだ、いける。俺は、まだ、死んでいない。
  自分に言い聞かせた。
  やれやれ、ここまでしぶとい人も珍しいですよ、おにいちゃん。諦めてくださいって、いい加減?
  しかし、とにかく、芳明は無理やりに腕を動かした。
  筋肉がちぎれているのか、思ったように動かなかった。
  それでも全身の力を込めてやると、アサルトライフルがずるっと動いた。
  方向は、これでいいはずだ。
 「芳明くん・・・・・・お願い、死なないで! お願いだから、ねえ、返事をして! 芳明くん!」
  芳明の耳に、沙利美の声が聞こえた。
  切羽詰まったような声だったが――しかしとにかく、生きているようだった、沙利美は。
  芳明は心の中でほっと溜息をついた。
  思った。
  ああ、わかってるよ、天道。おまえは、俺が守る、そう約束したんだ、あいつに――
  それから――人差し指を動かして、アサルトライフルのトリガーを押し込んだ。
  すぐ耳元で鋭い撃発音が響いた。
  ばたばたと暴れたがるアサルトライフルを、必死に押さえ込んだ。
  そして、すぐに、がちっという音が聞こえて、アサルトライフルは沈黙した。
  弾切れだった。
  しかしそのときには、芳明はもう、深い暗闇の中に落ちていた。

  目の前に、セーラー服を着た女性が立っていた。
  白い生地に藍色の胸当てがついていて、胸元の大きい赤いリボンが特徴的な、都立第壱中学校指定の制服だ。
  そしてもちろん――その人物を、芳明はよく知っていた。
  内村真由美だった。
  真由美は、無表情のままじっと芳明を見つめていた。
  走馬灯――というものとはまた別なのだろう、夢枕みたいなものだろうか。
  芳明は、言った。
 「なあ、真由美。俺は、これで、よかったのかな?」
  真由美は、答えなかった。
  ただ、じっと、芳明を見つめていた。
  芳明は首を振った。
  言った、苦笑しながら。
 「でも、俺、頑張ったんだよ、これでも。それくらい、認めてくれるだろ、真由美?」
  答えは、なかった、先程と同じように。
  芳明はふうと溜息をついた。
  訊いた。
 「意地悪しないで、教えてくれよ。俺は、これからも、ずっと、おまえと一緒に、いることができるのかい?」
  真由美の目が、すっと細くなった。
  口元が微かにほころんだ。
  綺麗な笑顔だった、それは。
  声が、した。

 『お疲れさま。これからは、ずっと一緒だよ、芳くん――』

  芳明は、微笑んだ。
  やっと認めてくれたな、真由美・・・・・・。
  芳明の全身から、力が抜けた。
  どうやらすぐに死ぬらしいが、怖いとは思わなかった。
  これからの時間――時間などという概念はもう存在しない、芳明には――は、真由美と共にあるはずだった。
  それは、芳明にとって、とても、幸福なことだった。
  そして大きく、息を吐いた。
  次の瞬間、がつん、と思いきり頭を殴られたような衝撃がきた。
  痛くはなかった。
  それが、芳明の最期だった。


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