BATTLE ROYALE 2
〜
The Final Game 〜
[ 第十部 / 終盤戦(後編) ] Now 12 students remaining...
< 47 > もうひとりの死者
芳明が地面に崩れ落ちたとき、沙利美は、震えていた。
目の前で起こった出来事が、信じられなかった。
いや信じたくなかっただけなのかも、知れなかった。
わからなかった、そんなことは。
ただ、頭のすみっこ――思考回路のほんの一部で、これは紛れもない現実なんだと誰かの冷静な声が聞こえた。
華江の手元から放たれた、眩いばかりのマズルフラッシュ。
それに続いた、タイプライターを打つような、軽い音。
芳明に向かって伸びていく、火線。
それが身体に突き刺さったときの、芳明の空白の表情。
そして――再び響く連射音。
鼻を刺激する硝煙の匂い。
仰け反ったまま、ゆっくりと地面に崩れ落ちていく――芳明の身体。
すべてが――そう、すべてが現実だった。
それはもちろん、わかっていた、沙利美にも。
しかし、受け入れることはできなかった。
到底、受け入れられることはできなかった。
その光景を、沙利美はぼうっとした頭で眺めていた。
ひょっとしたら、ぽかんと口を開けていたかもしれない、馬鹿みたいに。
そして、地面に仰向けに倒れている芳明と、蒼白い煙を吐き出しているイングラムを構えた華江を、ゆっくりと交互に見やった。
白かったはずのワイシャツは、今ではすっかり赤いシャツになっていた。
芳明の身体には無数の穴が空いていて――そこから水道のようにどす黒い血が溢れ出していた。
それが雨に濡れた地面にどんどん広がっていって、大きな池を作っていた。
芳明の上に枝を広げた木の葉から垂れた雨の雫が赤い池の中にぽたっと落ちた。
ああ、と沙利美は思った。
これは――夢だ、そうに違いない。
わたしはまだ、自分の家の温かいベッドの中にいるんだ、きっと。
朝起きたら7時を回っていて、わたしはトーストをかじったまま家を飛び出すに違いない。
ギリギリで教室に入ったら、きっと芳明くんが貴志くんたちと笑い合っているはずだ。
そしてわたしは、いつものように、特上の笑顔で「おはよう!」と言おう。
そうすれば、きっと芳明くんも笑顔で答えてくれるだろう――。
しかし、目の前に広がっている光景は、いつまで経っても薄れることはなかった。
やっぱり頭の隅っこで、黒服の男がいやらしい薄笑いを浮かべながら、言った。
当然でしょう、こっちが現実なんですから。いい加減、そんな叶わない夢を見るのは、やめたらどうです?
それで、ようやく、沙利美は理解しはじめた。
これは夢・・・・・・ではない、の?
脚が、いや全身が、震えていた、がくがくと。
がくがくがくがく――まるで道路工事でもしているかのように。
ああ、すいません、この道は通り抜けできないんですよ、今。向こうから迂回してもらえます? 面倒でしょうけど。
沙利美は、震える脚を一歩前に踏み出した。
芳明のところに駆け寄りたかった。
駆け寄って、手当てをしてやりたかった。
しかし――とてもではないが、できそうになかった、それは。
芳明は、うっすらと瞼を開けたまま、ゆっくり胸を上下させていた。
呼吸はしている――生きているのだ、まだ。
だが、誰が見ても長くは持つはずがなかった(身体に20発も鉛弾を撃ち込まれて、誰が生きていられるだろう?)。
それはもちろん、沙利美にもわかっていた。
だから、身体が言うことをきかなかった。
運動神経がバラバラに切り刻まれたようだった。
芳明は、もう死ぬ、助からない――そのことを完全に理解してしまうことが、怖かった。
沙利美はもう一歩踏み出そうとし――しかし脚がもつれて転んでしまった。
ばしゃっと、温かい液体の中に手を突っ込んだ感じが、した。
真っ赤な血液が、沙利美のところまで広がってきていた。
「いっ・・・・・・いやああああァァッ!」
叫んだ、思いっきり。
そのとき、ぱらららっという軽い連射音がし、目の前の地面にパラベラム弾が撃ち込まれた。
血の池の中に着弾した弾丸は、一瞬、ぱあっと生暖かい血を飛び散らせたが、すぐに地面に開いた穴に真っ赤な液体が流れ込み、見えなくなった。
沙利美は撃発音がした方に顔を向けた。
そこには、うっすらと蒼白い煙をあげているイングラム・サブマシンガンを持った華江が、立っていた。
この距離ならば、すぐにでも華江は沙利美を撃ち殺せるはずだった。
サブマシンガンが発射された瞬間、芳明と同じ運命を沙利美も辿ることになるはずだった、本来ならば。
しかし、そうはならなかった。
沙利美はすぐに理解した、そうならなかった理由を。
イングラムを握っている華江の右腕に、沙利美の同じくらいの体格の女生徒がしがみついていたので。
そのおかげで、沙利美の頭部を狙っていたイングラムのポイントがずれたのだ。
眼鏡をかけていなかったのだが、それが誰であるのかはすぐにわかった。
郁美だった。
艶のある黒い髪はすっかり煤けてしまっていて、なにか鈍器で殴られたのか、頬には青い痣ができていたのだけれど。
間違いなかった、郁美が、助けてくれたのだ。
「もうやめて! どうしてこんなことをするの!?」
郁美が、叫んだ。
華江からイングラムを奪い取ろうとしていた。
「うるさいわねッ! あたしが何しようとあんたには関係ないでしょう!」
華江も怒鳴り返し、イングラムを奪われるまいと右手で思い切りグリップを握り締めていた。
今しかなかった、沙利美が逃げ出すことのできるチャンスは。
二人がイングラムを奪い合っている間になら、無事に逃げることができるはずだった。
しかし沙利美は――逃げなかった。
いや、そんなことは考えつきもしなかったのだ、実のところ。
沙利美の瞳には、目の前に倒れている芳明しか映っていなかった。
華江や、郁美なんか、どうでもよかった、はっきり言って。
沙利美は横たわっている芳明の身体にしがみつき、必死になって名前を呼んだ。
「芳明くん・・・・・・お願い、死なないで! お願いだから、ねえ、返事をして! 芳明くん!」
沙利美の声が聞こえたのか、それともしがみついたときの痛みのためか、芳明は微かに身じろぎをした。
死んではいなかった。
だが――それが、なんだと言うのだろう?
芳明の心臓が動いていられるのは、あとどのくらいなのだろうか。
5分? 3分? いやあと1分くらい、それとも――?
わからなかった、そんなことは。
しかし、これだけはわかっていた。
芳明はもう、長くはない・・・・・・。
それが証拠に、芳明の身体は、どんどん冷たくなっていた。
まわりに広がっていく血液ばかりが温かかく、芳明の手も、顔も、首筋も、もうすっかり体温を失っていた。
もし、この溢れ出した血を手ですくって、身体に空いた穴からもとに戻せるならば、沙利美はそうしたかもしれない。
それが気の遠くなるような無駄な作業だったとしても、芳明が助かる可能性が1パーセントでもあったとしたら――とにかくゼロではなかったら――沙利美はそうしたかもしれない。
しかし、そんなことができるはずがなかった、もちろんのことながら。
地面に膝をついていたために、沙利美のスカートはすっかり血で濡れてしまっていた。
そんなこともどうでもよかった。
沙利美は、芳明の身体に抱きついた。
抱きついたまま、泣いた。
涙が止まらなかった。
芳明は、微かに呼吸をしていた、それももう、いつ止まってもおかしくはないのだけれど。
なにも言うことはできなかった。
ただ、悲しかった。
芳明が、死んでしまうのが。
自分が、それを見ていることしかできないのが。
思った。
ちくしょう、わたしは、なんて、役立たずなんだろう・・・・・・。
「きゃあっ!」
郁美の叫び声が聞こえた。
それで、沙利美は、ゆっくりとそちらの方向に視線を向けた。
華江が郁美をイングラムから引き剥がしたところだった。
郁美はその勢いで、後ろにしりもちをついていた。
すぐさま華江が、イングラムを構えた、こちらに向かって。
小さな、小さな銃口が、まっすぐに沙利美を狙っていた。
郁美が慌てて起き上がろうとしていた。
しかし――間に合わないだろう、とても。
沙利美はそれを、なんの表情もなく眺めていた。
このまま、ここで死ぬのかもしれない――いや、たぶん、そうなるだろう。
だけど、それがなんだと言うのだろう、この際?
沙利美は、そっと瞼を閉じた。
芳明と死ぬのなら、別に怖くはなかった。
一瞬の静寂のあと――びりびりと空気を震わせて、甲高い連射音が響き渡った――
「・・・・・・」
撃発音が止んでしばらくしても、沙利美はぎゅっと瞑ったままの目をあけることができなかった。
つんと鼻を刺激する硝煙の匂いが、立ち込めていた。
湿度の高い冷たい風が、沙利美の頬をさあっと撫でていった。
それで、火照っていた身体が、一気にクールダウンしていくようだった。
沙利美はそっと、目を開いた。
身体のどこにも痛みはなかった、転んだときに擦りむいた膝がひりひりしていたのだけれど、撃たれてはいなかった、とにかく。
ゆっくりと顔を上げた。
一番はじめに飛び込んできたのは、芳明の顔だった。
優しそうに微笑んだその顔は、もう真っ青になって血の気を失っていた。
芳明は――小さく呼吸をしていた、まだ。
沙利美はそれから、ゆっくりと、芳明の力なく伸ばした腕の先――すなわち手に、視線を移した。
その手は――いまもしっかりとアサルトライフルの銃身を握っていた。
そして、芳明の親指は、銃身と銃把の接合部分にあるトリガーをしっかりと押し込んでいた。
沙利美の周囲に、ぎらぎらと金属光沢を放つ空薬莢が、散乱していた。
芳明の血が、その金色の薬莢を赤く染めていた。
アサルトライフルの銃口からは、蒼白い煙が空に向かって立ち昇っていた。
度重なる連射で加熱された銃身が、沙利美の脚に触っていて、ちりちりと痛んだ。
さらにその銃口の向いている方向には――サブマシンガンを構えた華江が、びっくりしたように目を見開いてこちらを眺めていた。
白いセーラー服には幾つかの穴が空いていて、そこからじわじわと血が染み出していた。
華江がゆっくりと自分の身体に空いた穴に視線を落とした。
信じられない、という表情だった、距離があったのでよくわからなかったのだけれど。
沙利美の視線が、再び顔を上げた華江の視線と重なった。
「あ――」
驚きの声を漏らしたのは、沙利美だった。
華江がまだ死んでいないというのもそうだったし、なにより、華江の口元がきゅうっと吊り上がったからだった。
笑ったのだ、華江は、身体に何発もの銃弾を受けている状態で。
信じられなかった、とても。
華江が、口を開いた。
その唇の端から血がゆるゆると垂れていたが、気にしたふうもなかった。
華江が言った。
「わから――ないわ。どうして、そこまでしてひとを・・・・・・他人を助けようと、するのか。太田くん?」
はっきりと聞こえる声だった。
それは、とても、苦しげではあったけれども。
沙利美は、それで、芳明の顔をもう一度見た。
いつも見ていた顔だった、それは。
面長な輪郭の顔に、だいたいは整った眉と鼻、そして微かに開いている瞼と、今にも何か言いたそうな口。
沙利美が、いつも授業中、ぼんやりと見ていた顔だった。
はっきりと理解できた、今になって。
芳明くんは、助けてくれたのだ、わたしを。
トリガーを引くだけの実に簡単な動作だったのだけれど――しかしそれは、体力を使い果たしてしまうほど過酷な動作だったに違いなかった、今の芳明にとっては。
それなのに――どうして?
逃げろ――。
芳明の顔をじっと見つめている沙利美の耳に、ふと、声が聞こえた。
懐かしい声だった、それは。
優しい、温かい声だった。
空耳だったのかも、知れない。わからない。
沙利美は芳明の顔を見直した。
先程と何も変わっていなかった、血の気を失った唇も、微かに開いた口も、何もかも。
しかし、確かに聞こえたのだ、芳明の声が。
“逃げろ”と、そう言っていた。
逃げろ、天道。俺なんかにかまって、みすみす殺されるようなことはしないでくれ。それじゃ、俺、なんのために頑張ったのか、わからないじゃんか。
芳明はなにも言っていなかった、実際は。
だが、芳明の表情は、そう沙利美を叱咤しているかのようだった。
それも、目の錯覚なのかも、知れない、さっきの声が空耳だったように?
しかしとにかく――それで沙利美は、ああ、と思った。
わたしの命は、もう、わたしだけの命ではなくなっているのだ。
はっきり聞こえた、今度は。
それは、紛れもなく、芳明の『声』だった。
“生きろ。俺や、それに、真由美のぶんまで。生き抜いてくれ、それが、俺の、望みだから――”
空耳ではなかった。
沙利美には、芳明の声が聞こえていた。
どこから聞こえてくるのかはわからなかったのだけれど――空の彼方からかも知れない、地の底からかも知れない、わからない、そんなことは――とにかく、聞こえた。
「お別れは――済んだのかしら?」
華江の声がした。
沙利美は、視線を芳明の顔からそらし、華江の方に向けた。
華江がすっと、イングラムを持ち上げた。
その口元が、微かに歪んでいた。
言った。
「太田くん、この勝負、わたしの勝ちのようね――悪いけど。2人仲良く・・・・・・殺してあげるわ」
吐き捨てるような口調だった。
そして、おもむろに、イングラムの引き金を引いた。
ぱららららららっと軽快な音を立てて、イングラムが火を吹いた。
しかしそのときにはもう、沙利美は芳明にも華江にも背を向け、全速力で逃げ出していた。
いや違う――沙利美は思った。
逃げるわけじゃない、生きる――そう、生き残るんだ。
芳明を見捨てたとは思いたくはなかった、決して。
背後で、ストロベリィ・パイが潰れたような、あるいは濡れた雑巾を地面に叩きつけたような、ひどく美的でない音が、した。
沙利美にはわかっていた、それが何の音であるか――それが何を意味するのかも。
芳明は――この瞬間に、死んだのだ、きっと。
しかし沙利美は、振り返らなかった。
ただ、必死に、制止しようとする奈津子の手を振り払って走ってきた、そのルートを逆に駆けていた。
ぱらららららっという音が、背後で聞こえた。
自分の足元に弾丸が撃ち込まれるのを感じたが――それでも足を止めなかった。
沙利美はもう、一つのことしか考えていなかった、先程は芳明のことしか考えていなかったのと同様に。
それはつまるところ――“死んでたまるか!”ということだった。
思った。
死んでたまるもんか、こんなところで! わたしは、芳明くんに助けられた命を、無駄にはしない、絶対に!
おやおや、さっきとはまるで違うこと言ってませんか、おねえちゃん? 死んでもよかったんじゃないんですか、彼となら? どっちが本心なんですか、実際?
どっちが――ですって?
走りながら、沙利美は心の中で小さく笑んだ。
決まってるじゃない、どっちも、本心よ、わたしの。
瓦礫の山が近づいていた。
あそこまで行けば、なんとかマシンガンからは逃れられるかもしれない。
もちろん――そこまで無事に辿り着ければ、の話だが。
背後でまた、短い連射音が、した。
沙利美は少しだけ走る方向を右に変えた。
弾丸の束は沙利美のすぐ左脇を通り過ぎた。
かわした、と思った次の瞬間、左足の内股のあたりに鋭い痛みが走った。
避け切れなかった一発が、沙利美の腿の肉の一部を削ぎ取っていったのだった。
「あぐっ!」
激痛のあまり沙利美が叫び、脚がもつれた。
しまった、と思ったときには、沙利美は崩れた瓦礫の上に倒れ込んでいた。
セメントとひしゃげた鉄の棒がむきだしの瓦礫に突っ込んだ沙利美は、腕と肘を馬鹿みたいに強く打ちつけた。
じん、と痺れと痛みが、脳天を突き上げた。
皮膚が破れ、そこからすうっと血が滲み出てきた。
思った。
ちくしょう――あともう少しのところだったのに・・・・・・!
沙利美が歯を食いしばった、そのときだった。
「天道さん! 立って、はやくッ!」
高い声が聞こえた。
すぐにわかった。
稲山奈津子の声だった。
§
華江は、イングラムの引き金を引いた。
次の瞬間、芳明の頭部がまるでジャムのように粉砕された。
血は既にほとんど流れ出てしまったのか、赤いようなピンクのような固体があたりにぱあっと散らばっただけだった。
しかし――弾丸が命中したのは、芳明だけだった。
沙利美は、華江が引き金を引く前に背中を向けて逃げていたので。
華江は、沙利美が芳明を置いて逃げたのだ、と思った。
そう思った瞬間、かっとなった。
ここまできて・・・・・・! と、そう思った。
「ふざけるんじゃ――ないわよッ!」
イングラムを、ぐんぐんと遠ざかっていく沙利美の背中にポイントしなおした。
身体を動かすたびに、撃ち抜かれた(文字通り、芳明が撃った弾丸は華江の身体を貫通していた)傷がぎりっと痛み、失神しそうになった。
しかし――耐えた、華江は。
幸い(と言えるのだろうか、これは?)その弾丸はどれも臓器を傷つけるには至らず、即死につながる致命傷とはなっていないことは、華江自身が一番よくわかっていた。
だがもちろん、それで死なないという保障はどこにもないのだけれど。
どうです、今から生命保険にでも入りませんか、お客さん? 死亡すれば5千万円、無償で手に入りますけど? もっとも、自分にはあまり意味はありませんけどね、当然。
どうでもよかった。
そう、先のことなんかどうでもいいのだ、実際。
今、この瞬間が、大切だった、華江には。
思った。
あたしは、この時間を――この瞬間を必死に生きてやる、絶対に、死んでたまるもんか。
全身の力を総動員して、イングラムの引き金を引き絞った。
もうすっかり慣れてしまった軽い連射音と、鼻を刺激する硝煙の匂い、そして強い反動がきた。
華江は微かに後ろによろけたが――それでもなんとか、耐え切った。
がちっという音がして、イングラムの撃発機構が弾切れを示した。
弾丸は、こちらに背を向けて走っている沙利美の足元に着弾し、アスファルトを削り取った。
沙利美はそれでも走り続けていた。
命中した様子はなかった。
「ちくしょうッ!」
華江はきっと、背後の快の方に身体を向けた。
快は、立ったままだった――手にスミス・アンド・ウェスンを持っていたが、弾が入っていないので役に立たない、はっきり言って。
今までのやり取りを(華江が撃たれるところも、だ、もちろん)じっと見ていた快が、口を開いた。
「もうそのへんでやめた方がいいよ。致命傷にはなってないだろうけど、下手に動くと取り返しがつかなくなるかもしれない」
「うるさい・・・・・・わねッ! あんた、黙って見てないで、加勢、しなさいよ。あんな、女なら、すぐに、殺せるんでしょう?」
華江が、途切れ途切れな口調で苦しげに怒鳴ると、快はちょっと肩をすくめて見せた。
言った。
「彼女は今回、ぼくの任務遂行のリストに載っていない。彼女の処理は、君に任すよ」
快はポケットの中からイングラムの予備マガジンを取り出し、華江の方に放った。
「それに――」と、快が続けた。
「それに、ぼくが手出しをすると、きみは怒るんじゃないか? 違うかい?」
華江はマガジンを受け取り、イングラムに詰めなおした。
「ち」と小さく舌打ちをした。
図星だった、それは。
おそらくこの場で快が手出しをしたら、自分は激怒するだろう、間違いなく。
しかしそれは――こちらが手負いでないときの場合だ。
今はとにかく、一人でも多くのクラスメイト――否、“敵”を殺しておくべきだ、今後のためにも。
華江は再びイングラムを構えた。
ぎりっと身体がきしんだが、歯を食いしばって、耐えた。
沙利美はもう随分と遠くへ行っていた(と言っても、距離的にはそう遠くない、50メートル足らずだ)。
沙利美の背中にポイントしなおし、引き金を引いた。
新たな弾丸を補充されたイングラムが、再び唸りを上げた。
沙利美はすっと横に動き――まっすぐ沙利美の背中を狙っていた弾丸は、虚しく宙を切った。
だが、そのうちの一発が沙利美の太股のあたりに命中し(命中と言うよりは、掠めたくらいだった。まあ、どっちでもいいのだけれど)、沙利美が前に倒れ込んだ。
華江の口元が、きゅうっと上がった。
バカね、あたしから逃げられると思ったの? あたしは、容赦はしないわよ、言っとくけど。
イングラムの銃口を、今度はぴたりと沙利美の頭部にポイントした。
引き金を引こうとした――そのときだった。
「天道さん! 立って、はやくッ!」
声が、聞こえた。
その声に気をとられて、一瞬、華江の視線が泳いだ。
瓦礫に倒れ込んでいる沙利美のすぐ上に、人影があった。
稲山奈津子だった、それは。
クラスの中でも一、二を争うほどの長い(そして美しい)黒髪が、夜の風になびいて広がっていた。
華江の視線は、奈津子に釘付けにされた。
月光のもと、奈津子があまりにも美しく見えたから――ではない、もちろんのことながら。
正確に言うとすれば、奈津子の手元に、華江の意識は集中していた。
奈津子は――拳銃を持っていた、それも大型のリボルバーだった。
黒いその銃身が月明かりに照らされ、ぎらぎらと不気味に輝いていた。
もう、沙利美なんかを殺そうとする理由はなかった。
沙利美をポイントしていたイングラムをそのまま上方向にあげ、奈津子をポイントしようとした。
しかし、イングラムの銃口が奈津子を捕らえる前に、奈津子の右手がすっと上がった。
そしてもちろん、その手には、しっかりと拳銃が握られていた。
その銃口が、ぴたっと、華江の方を向いた。
発射される弾丸は、50メートルたっぷりは空いているだろうその距離を、一瞬にして無効にしてしまうだろう。
「もういい、逃げろ!」
背後で快の声が、した。
その声は、さっきとは打って変わって、少しばかり――いや実のところかなり、焦りの感情が混じっていた。
それは、とても珍しいことではあったのだけれど――とにかく、そんなことを気にしている状態ではなかった。
逃げるのが一番賢い選択だ、ということは華江にはわかっていた、と言うよりも、それ以外の選択肢がなかった、華江には。
しかし華江は――動けなかった。
いや、動かなかったと言った方が正確かもしれなかった、この場合は。
逃げようと思えば逃げれたのだ、実際。
華江の神経は張り詰められ、筋肉は緊張し、身体はいつでも逃げ出せる状態になっていたので。
だが、華江の思考が、それを拒んだ。
“逃げること”それ自体に、激しい嫌悪を示したのだ。
だから、華江は、逃げなかった。
ばん、ばん、と奈津子の手元から炎が吹き上がったかと思うと、その銃口から放たれた357マグナム弾が、回転しながら華江に迫ってきた。
その光景はなぜか、とてもゆっくりと、まるでビデオのスローモーションでもかかっているかのように、華江には見えた。
実際は、その弾丸はとてつもない速度で、華江に向かってきているはずだった、もちろん。
しかし華江には、それが回転しながら、ほとんど亀のようなスピードで近づいてきているように見えていた。
それでも、身体は動かなかった。
そんななか、ふと華江の脳裏に、あの光景がよみがえった。
華江は、呆然と立ち尽くしていた。
その足元には動かなくなった父親の――いや、ただのごく潰しの大きな身体が、血まみれになって横たわっていた。
その胸には、深々と包丁の鋭い刃が突き刺さっていた。
刃の部分は分厚い脂肪にすっかりとめり込んでいて、柄の部分だけがまるで身体から生えているように見えた。
包丁は、肋骨と肋骨のあいだをうまくすり抜け、その刃先は心臓の一部に大きな切れ目を作ったのだった。
致命的な切れ目だった。
息は、もちろん、していない――しているわけがない。
心臓を包丁で切り身にされて、誰が生きていられるだろう、一体?
「・・・・・・」
華江は黙って“それ”を見下ろしていたが、小さな物音にはっとして後ろを振り返った。
「は・・・・・・なえ、ちゃ――」
母親が、苦しそうな目で、華江を見ていた。
包丁が刺さっていた首からは、どくどくととりとめもなく血が流れ出していたが――しかし奇跡的にも、頚動脈や神経系を傷つけられてはいなかったのだ。
もちろん、それは、死ぬのが少しだけ、伸びたというだけに過ぎないのだけれど。
華江は、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
あの、あの人間の屑は、どこまで母を苦しめれば、気が済むのだろうか。
即死だったら、母も苦痛にもがく必要はなかったというのに――。
「だ、だいじょ・・・・・・ぶだった?」
眉根を寄せ、血を吐きながら、母親――理恵はそう言った。
華江の胸がずきんと痛んだ、実の父親を殺したときでさえ、なんとも思わなかったはずなのだが。
咄嗟に返事ができず、華江はただ、がくがくと震えるように頷くことしかできなかった。
それは、端から見れば、腹話術の人形のように滑稽な動きだったかも知れない。わからない。
実際、華江は自分の意思で身体を動かしている気がしなかった。
まるで、誰かが勝手に乗り移ったような感じだった。
だが、それを見て、理恵は、小さく微笑んだ、それはとても、弱々しくはあったけれど。
言った。
「いい・・・・・・華江? お母さんは、もう華江と、一緒にいることはできなくなって、しまうけれど――」
理恵は、そこで、血を吐いた。
真っ赤な鮮血で口紅をほどこした理恵の唇は、それでも何かを伝えようと、開いたり閉じたりを繰り返していた。
華江は慌てて、母親に駆け寄った。
抱き起こしたかったが、下手に動かすと傷口の出血をひどくしてしまうかもしれなかった。
だから、華江は、泣きじゃくりながら、おろおろとすることしかできなかった。
理恵の顔色は、もうほとんど蒼白で、まったく血の気がなかった。
「お母さん、もうしゃべらないで、いいよ。すぐ、病院、連れて行ってあげるからさあ・・・・・・」
華江は泣きながら、そう言った。
今から病院に行っても、母が助かることはないとわかっていたのだけれど。
そう言わずにはいられなかった。
幼い華江には、到底、信じられることではなかった、実の父親に刺されて、自分の目の前で母親が死ぬなどということは。
しかし、現実は、厳しかった。
救急車を呼ぶために電話のある台所へ行こうとした華江の腕を、理恵がしっかりと掴んだ。
理恵は小さく首を振って、華江の黒髪をそっと撫でた。
母の手が触れたその部分だけ、髪を染めたように赤くなった。
理恵は、言った。
「もう、いいのよ、お母さんは――。でも、華江、あなたは、生きなさい。生きなければならない・・・・・・」
そこで小さく息をつき、理恵は言葉を切った。
苦しそうだった。
しかし、それでも、昔のように優しく華江の髪をなで続けていた。
華江は母の手が徐々に冷たくなっていくのを感じながら、ただ、泣いていた。
泣くことしかできなかったのだ、そのときの華江には。
理恵が、続けた。
「あなたは、これから先、おそらく、多くの問題を、乗り越えなければならなくなる――。でも、決して、その問題から逃げないで――正面から、向き合う勇気を、持って――」
華江の髪をなでていた手が、ぴたっと止まった。
その手は、華江の頭からずるずると下にさがってきて――華江の頬をそっと包み込んだ。
とても、冷たかった。
理恵が華江の瞳を覗き込んだ。
言った。
「あなたには、絶対に、それが、できるから――」
それは、とても掠れた声ではあったけれど、華江の心にナイフのように深く、深く突き刺さっていた。
母親がふうっと小さな溜息を吐き、華江の頬を包んでいた手が力なく床に落ちたとき、華江は悟った。
たったいま、母親は、死んだのだ――この世界から、消滅してしまったのだと。
そして、その母親が華江に残した最後の遺言を、華江は全力で守り抜こうと、心に決めた。
例えなにが立ちはだかろうとも、華江はそれを乗り越えなければならない。
正面からぶつかって、そして、ぶち破らなければならないのだ。
逃げてはならない、それが、たとえ、クラスメイトであろうと、何であろうと――
弾丸が、ゆっくりと回転しながら、迫っていた。
その向こうには、奈津子の引きつったような顔が見えた。
そして立ち上がろうとしている、沙利美の背中も。
思った。
あたしは、逃げられない、逃げたくない、戦うしかないんだ、この世界では――。
華江は、自分でも気がつかないうちに、イングラムの引き金を引き絞っていた。
その瞬間、世界が、色を、音を――すべてを、失った。
イングラムから来る反動も、聞き慣れた撃発音も、なにも感じられなくなった。
世界は、古いセピア色をした写真のように、その時間を止めたのだった。
なんだか――とても平和な情景に見えた、その、壮絶な殺し合いの風景が。
華江はしばらくのあいだ、止まった時間を、楽しんだ。
徐々にそれらが現実を取り戻していくとき――華江は、その現実から離れることになるだろう。
弾丸が、目の前に迫っていた。
ひとを殺す力を持った、ただの鉛弾だ、それは。
一発が華江の肩に進入した。
それで、華江は、くるっと身体を回転させた。
華江が痛みを感じる間もなく、横を向いた華江のこめかみのあたりに、もう一発が、突き刺さった。
圧倒的な殺傷能力を持つ、その大口径の鉛の弾は、華江の大脳を巻き込みながら、頭蓋骨の中を通り抜けていった。
華江の中で、そのセピア色の記憶が、まるでガラス板を落としたときのように、大きくひびが入ったようだった。
弾丸が、頭部を貫通した。
直撃だった。
弾丸が進入した反対側のこめかみが、きれいに吹き飛んだ。
赤黒い血が、ぱあっとあたりに飛び散った。
大脳だか小脳だか、とにかく何かぐちゃぐちゃとしたものが、頭部の穴からはみ出した。
ポニーテールだったヘアは、もう、なんだかわからなくなっていた。
華江はもちろん、そうなったことを理解できたわけではないのだけれど、しかし、弾丸が頭蓋骨にめり込む直前、こう思った。
あたしも、お母さんのようなお母さんに、なりたかったな・・・・・・。
それは華江の、ささやかな『夢』だった。
もちろん、その夢が叶うことはもうないのだけれど。
華江にはそれだけが、残念だと思った。
あとのことは、もうどうでもよかった。
そして、すべてが、わからなくなった――
【残り11人】