BATTLE ROYALE 2
The Final Game



       [ 第十部 / 終盤戦(後編) ] Now 11 students remaining...

          < 48 > 二律背反


  奈津子の身体を、強い衝撃が続けざまに襲ってきた。
  右胸から左の脇腹にかけて、一列に痛みが跳ねた。
  奈津子は思わず後ろによろけたのだけれど――倒れることはなかった。
  イングラムから放たれた弾丸は、制服を突き破ったたけで、奈津子の身体に影響を与えることはなかったので。
  セーラー服の下に着た、防弾チョッキの効果だった。
  イングラムは、その軽量小型の機動力がウリなのだが、それはすなわち他の銃器と比べると殺傷能力はきわめて低いのである。
  もちろん、それでも、生身の人間を殺すには十分すぎる威力を持っていたのだけれど。
  シグ・ザウエルの9ミリショートを止めたこの防弾チョッキが、イングラムのパラベラム弾を止めるのは、造作もないことだった。
  それだから、内臓や肋骨への影響も、あまりなかった。
  そんなことは、奈津子は考えていたわけではなかったのだけれど。

  奈津子の心臓が、どくんどくんと激しく脈打っていた。
  血液が全身に駆け巡り、耳の奥でごおっという唸りが響いていた。
  思った。
  人を、クラスメイトを、殺してしまった・・・・・・。
  不意に、がくがくと奈津子の身体が小刻みに震え出した。
  怖かった。
  めちゃくちゃに怖かった。
  赤木真治を殺してしまったときは、貴志を失った悲しみのせいか(実は貴志は死んでいなかったのだけれど、奈津子はそれを知らなかった)、あまりそのことで怖いと思ったことはなかった。
  今回のことにしても、『やる気』になっている華江を殺してしまったのは、仕方のないことだとはわかっていた。
  だがしかし、頭で理解はできているのだけれど、精神的に、もうその現実についていく力はなかった。
  理由はどうあれ――人殺しだということは、事実なのだから。
  まあまあ、おねえちゃん、そう気にすることもありませんよ。いい経験だったと思えば、いいじゃないですか、そう思いません?

  いい経験――。
  冗談ではなかった。
  いい経験ですって? 人を殺すことが?
  とてもではないが、そんなふうには思えなかった。
  もちろん、このクソゲームでの殺人は罪にはならないし(それがルールのなのだから、当然だ、バカバカしいことに)、法的にもほとんど正当防衛だったのだから、奈津子は別に、悪くないのだ。
  もしこれが裁判にでもなったとしても、奈津子は無罪放免だろう、おそらくは、陪審評決12対0間違いなし。
  そう、悪くない、私は悪くないんだ。
  そう考えたのだけれど、やはり、人を殺してしまったという現実は変わらないし、なんとなく(いや実のところかなり)後味の悪い気分が払拭できるわけでも、なかった。
 「あの、稲山さん、気にしないほうが・・・・・・」
  歯切れの悪い口調で、起き上がったばかりの沙利美が、言った。
  それはもちろん、奈津子を励まそうとして言ったのだろうが、今の奈津子にとっては、非常に聞きたくない台詞だった。
  思った。
  人を殺して、それで気にしないでいられるやつなんか、いるわけないじゃないの。
 「うん――」
  しかし、それはそれとして、奈津子としては当座、小さく頷いておくしかなかった。
  身体の震えはいくぶん収まったのだけれど、ちょっと気を抜くと、また脚が自然に揺れてきそうだった。
  関東中部全域に地震発生の恐れ。住民の皆さんは速やかに避難してください。

  奈津子は、自分の手の中に収まっている拳銃に目を落とし(銃口からは蒼白い煙が上がっていた)それから華江がいた方に目を向けた。
  華江は――植え込みの中に突っ伏すようにして、倒れていた。
  その頭部は、半分がどこかに消え失せており、穴の空いたこめかみのあたりからはどす黒い地がどろどろと流れ出して、植え込みの地面を赤く染めていた。
  まるで、ジョロで植え込みに水をあげているようだった、それはもちろん水ではないのだけれど。
  その植え込みの影に隠れていたのか、それまでは気づかなかったのだけれど、郁美がびっくしりたような表情で、奈津子の方を見つめていた。
 「あ――」
  奈津子は、一瞬、なにかを言いかけたが、結局なにを言いたいのか自分でもわからないまま、口を閉ざした。
  いいわけをするなどということは、無駄なことだとわかっていたので。
  第一、郁美にいいわけをしても、それこそ意味がないことなので。
  奈津子が黙っていると、郁美もなにかを悟ったように小さく溜息をついた。
  ものすごい疲労と脱力感が奈津子を襲っていた。
 「あの――」
 「なにか、言いたいことがあるのか?」
  奈津子が郁美に声をかけようとしたとき、男の声が聞こえて、奈津子は思わず飛び上がりそうになった。
  郁美も、少し驚いたように立ち上がり、振り返った。
  沙利美だけは、あまり驚いたふうはなかった。
  ただ、びくっと身体を硬直させ、小さく震えているようだった。
  木の陰から、旗山快が姿を現した。
  別に隠れていたわけではなく――ただ奈津子のいる位置からは、死角になって見えなかっただけだったのだ。
  快は、とても冷たい目で、奈津子の方を見つめていた。
  それで、奈津子は少し、たじろいだ。
  彼は、あんなに冷たい目を、する人だっただろうか、いつも教室では?
  考えた。
  しかし、奈津子の思い出せる記憶の中には、快の明確な姿はなかった。
  クラスメイトの中には確かにいたのだが、そのことを改めて理解するほどのことではなかったので。
  それは奈津子の記憶力が悪いからではなく、快が努めてそのようにしていたからに過ぎなかった、つまるところ。
  快は仕組まれた参加者であるから、なにもクラスに馴染む必要はなかったのである。
  ただ、このプログラムが始まったときに、このクラスにいればいいというだけの存在だったのだから。
  クラスメイトでもない人間が、ゲーム当日に姿を現したとしたら、政府が怪しむのは当然の結果である。
  トトカルチョの不正をするために特別に参加しにきました、とは言えるはずもない。
  だから、快は、このゲームの1年も前から、転校ということでこのクラスに紛れ込んでいたのである。
  それも目立った行動は極力慎み――学校で不良にからまれたり、街で変な言いがかりをつけられたりしたら、相手を迅速かつ的確に『処理』してきたが――誰の記憶にもとどめないようにしなければならなかった。
  成績は中の下くらいに抑えておいたし(実際は、クラストップである委員長の佐々井博文が逆立ちしても敵わないほどだったのだけれど)、文化祭や体育祭でも、目立った活躍はしなかった(健司や直、秋也がいたので、これに関しては特に苦労はしなかった)。
  そういうわけだから、別に奈津子が快のことをあまり記憶していなかったとしても、不思議はないのである。
  もちろん、誰もそんなことに気づいてはいなかったのだけれど。

 「あ、は、旗山――くん。ずっと、そこにいたんだ?」
  奈津子は、快に話し掛けた。
  無理やりに軽い笑顔を作って見せたつもりだったのだが、顔の筋肉がうまく動いてくれたかどうかは、自信がなかった。
 「いたさ。ずっと。気づかなかったのは、君の注意力が足りないからだ」
 「そ、そうよね。うん――」
  にべもない。
  瞳と同様、いやそれ以上に冷たい返事が返ってきた。
  奈津子がどうしていいかわからないでいると、いつのまにか奈津子の背後にまわった沙利美が、小さく服の裾を引っ張った。
 「はやく、逃げよう」
  沙利美は小さな声で、奈津子に耳打ちをした。
  服の裾を掴んでいる沙利美の手が、微かに震えているようだった。
  奈津子はちょっと眉を寄せた。
  怖がって、いるのだろうか、彼のことを?
  奈津子はもう一度、快をよく観察した。
  白いワイシャツは血だらけだったのだが、快は別に気にしたふうもなく、しっかりと立っていた。
  真ん中から軽く分けた髪型は、別段崩れていたわけではなかったのだけれど、なんとなく、雰囲気が違って見えた。
 「どうして? ちょっと怖いけど、武器とか、持ってないみたいだし。郁美ちゃんとも、一緒にいたみたいだし――」
  奈津子は、快から視線をそらさずに、声をひそめて言った。
  裾を握っていた沙利美の手の力が、ぎゅうっと強くなった気が、した。
 「違うの――」
  沙利美が、言った。
 「彼は、藤本さんの、仲間なの!」
  沙利美の掠れた声は、半ば悲鳴に近かったかもしれない。
  しかし、とにかく、それで奈津子は、目を見開いた。
 「藤本さんが、あたしを、撃とうとして、でも、弾がなくなったみたいで、そのとき――」
  泣きそうな声で、沙利美が言った。
  語尾の方は掠れて聞き取れなかったが、沙利美の言いたがっていることは、大体わかった。
  おそらく、そのとき、快が華江に協力をした、ということだろう。
  奈津子はここに着いたばかりで、その場面を見ていたわけではなかったのだけれど、先にいた沙利美がそう言うのであれば、間違いはない。
  ちくしょう、一難去ってまた一難か・・・・・・。
  心の中で舌打ちをした奈津子だったが、しかし、考えた。
  華江と快は『やる気』だったとして、では郁美はどうなのだろう?
  たまたまそこに居合わせただけなのか、それとも彼女も実はこのゲームに乗っているのだろうか?
  わからなかった、そんなことまでは。
  ともあれ、快がやる気になっているとすれば、どうやってこの場から逃げればいいだろう?
  いきなり背を向けて逃げれば、どうだろうか?
  もし追いかけてこなければ、逃げ切れるかもしれない。
  しかし、万が一それで快を刺激するようなことになったら、追いつかれるのは時間の問題だった。
  いくら快が手負いだったとしても、男子と女子の基本体力の差は、それで埋まるものではないだろう。
  今後のことを考えると、予想不能な未確定要素が多すぎる選択のように思えた、それは。
  ちくしょう、どうすれば――

  そのとき、快が、すっと歩き出した。
  しっかりとした足取りだった。
  奈津子は思わず、一歩退いてしまった。
  快はしかし、奈津子たちの方を見ようとはせず、まっすぐに赤く染まった植え込みに向かって歩いて行った。
  いや、正確には、植え込みに突っ伏している華江の死体に向かって。
  奈津子は、ぎゅっと手を握り締めた。
  右手に持った拳銃が、ずっしりと重かった。
  グリップの形状が、手の平にそっくりコピーされてしまいそうだった。
  もし、快が華江の持っていたイングラムを拾って自分たちに向けたら、また使わなければならないかもしれない。
  そう思うと、いっそのこと、こんなものはとっとと捨ててしまいたかった。
  しかし、もちろん、できるはずがない、そんなことは。
  快は、華江の首筋にちょっと触った。
  脈を取っているようだった。
  もちろん、脈など、あるはずもないのだけれど――とにかく、それで快は小さく溜息をついた。
  快が奈津子の方に向き直り、言った。
 「正直、不意を突かれたとはいえ、彼女が君みたいな甘っちょろい人間にやられるとは、思わなかったよ。感嘆だね」
  褒められているのか、それともけなされているのか、奈津子にはわからなかった。
  甘っちょろい人間――なのかしら、私は?
  奈津子は、思った。
  わからなかった。
  快が続けた。
 「君はこれまでに誰か処理したのか? 藤本で何人目だい?」
 「処理って――?」
 「ああ、処理ってのはこっちの業界用語みたいなものだから、君にはわからないか。つまり、何人殺したのか、って訊いてるんだ」
  快の質問に、奈津子は絶句した。
  まるで生ゴミでも数えるような軽い感じで、快が言ったので。
  あら奥さん、あなた、いくつゴミを出してるんですか。1人2袋までって、決まってるんですから。しっかりしてくださいよ、もう。

  思った。
  それは――私は、もう赤木を殺しているけれど、でも、そういう言い方って、デリカシーがなさ過ぎるんじゃないの?
  まあ、別にデリカシーどうこうと考える必要のある話題では、ないのかもしれないけれど。
 「わ、私は・・・・・・」
  奈津子はそこまで言って、言葉に詰まった。
  考えた。
  もう赤木を殺しました、と正直に言わなければならないという義務は、奈津子にはない。
  それで、快がどういうリアクションを示すのか、予想ができなかったので――ひょっとしたら、それで今度こそ自分たちを殺しにかかるかもしれない。
  余計なことは言わない方がいいだろう、この場合は。
  どうせ人殺しで地獄に落ちるんだろうから、別に嘘をついたという軽いオプションがついたところで、どうってことないでしょ、この際?
 「べつに、誰も――」
  奈津子は、言った。
  言ってから、奈津子は少し眩暈を覚えた。
  これで、真二は誰にも殺されていないことになる。
  赤木真二、原因不明の爆発で死亡。アンビリーバブル。

 「ほお? じゃあ、初体験ってわけか。どうだった、感想は?」
 「私は、やりたくて、藤本さんを殺したわけじゃ、ないわ」
  快が面白そうに言ったので、奈津子は思わず、かっとなった。
  自分が華江を殺したことにわざわざ触れてくることもそうだったし、なにより人が死ぬのを面白がっているかのようだったので。
  しかし快は、なおもにやにやと口元に笑みを湛えたまま(その表情は、なんとなく、無理に作っているような感じがしたけれど)、言い返した。
 「いまさら弁解する気かい?」
 「そんなつもりはないわ。それに、もしそうだとしても、それはあなたに言っても仕方のないことだもの」
 「ごもっともだ。言うなら、そこにいる藤本に言うんだな。耳がないけどね」
 「わ、私は――ただ、少なくとも、クラスメイトが死ぬことを嬉しがるあなたと一緒だと、誤解されたくないだけよ!」
  奈津子は、つい声を荒上げてしまった。
  はっとして快を見ると、もうそこには、さっきの余裕の笑みのようなものはすっかり消え失せていた。
  そのかわり、最初に見たときと同様――いやそれ以上に冷たい瞳が、奈津子の方を睨みつけていた。
  奈津子は無意識のうちに、眠っていた虎の尻尾を踏みつけてしまったことを悟った。
  しまった、言い過ぎたかも――。
  後悔したが、もうどうしようもならなかった。
 「ぼくが、藤本の死を喜んでいる、と言うのかい、君は?」
  快の冷たい声が、奈津子の胸に突き刺さった。
  しかし、ここまできてしまった以上、もう後戻りはできなかった。
  奈津子は意を決して、大きく頷いた。
 「ええ。そうよ。少なくとも私には、そういうふうに見えたの、悪いけど」
 「ふぅん、そうかい。殺したのは君なんだけど、それでもそういうことを言える立場にあると思っているのかな?」
  快の仕返しに、奈津子はぐっと言葉に詰まった。
  快の一言一言が、鋭いナイフとなって奈津子の胸を抉りにかかっているようだった。
  今更になって、奈津子の額には微かに冷や汗が噴出していた。
  ひょっとして私は、とんでもない奴を相手にしているのではないのだろうか。
  そんな気がした。

 「あ、あれは、藤本さんが銃を向けたから仕方なく――」
 「ほう、あくまで正当防衛だと言い張るつもりらしいな? 銃を向けられれば、誰を殺してもいいってのかい?」
  苦し紛れの発言に、快は徹底的に食いついてきた。
  やれやれ、まるでピラニアだ。
  奈津子はちらっと、頭の隅でそう思った。
  相手がなんであろうと、自分が死ぬか、相手が死ぬか、そのどちらかになるまで喰らいついて離さない。
  快は、ピラニアのような鋭い牙を持った言葉で、奈津子をじわじわと精神的に痛めつけていた。
 「それなら、君は銃を向けた相手を無条件で殺すわけだね?」
 「だ、誰もそんなことは――」
 「そう言っているんじゃないのかい? ぼくには、それ以外の捉え方はできなかったね」
 「だから、あのときは――天道さんが危なかったから――」
  奈津子が言うと、快は眉を微かに上げた。
 「へえ。じゃあ、彼女が危なくなると君は人を殺すわけか」
  快はそう言って、すいっとその場にしゃがむと、華江の手からイングラムを抜き取った。
  微かに死後硬直が始まっていたようだったが、華江はあっさりと快にイングラムを渡した。
  それから、すっとその銃口を、奈津子の横に立っていた沙利美に向けた。
  奈津子は一瞬、快が何をしたのかわからなかったのだけれど――すぐにはっと目を見開いた。
  快の動作があまりにも自然だったので、快が銃を手にしたことを咄嗟に理解できなかったのだ。
  なにか、落ちているゴミを拾い上げたような、そんな感じだった。
  慌てて右手を前に突き出した。
  もちろん、その手には、黒くて重いルガーが握られていた。
  ぴたっ、と銃口を快の額にポイントした。
  快はまた、今度は両方の眉を幾分、持ち上げた。
  言った。
 「ぼくは天道さんに銃を向けているけど、君はぼくを撃たないのかい?」
 「だから――それは――」
 「さっきと、言っていることが違うんじゃないか?」
 「私は、べつに――」
 「なにを躊躇う必要があるのかな? さっさとぼくを殺してみたらどうだ?」
  快が言い放った。
  奈津子は、混乱した。
  なにを言っているの、あのひとは?
  自分を殺してみろ、と言っているようだった(実際、そう言っていた)。
  しかしもちろん――できるはずがない、そんなことは。
  奈津子は言葉につまり、黙り込んだ。
  小さな沈黙が、銃を向け合っている2人のまわりを、包み込んでいた。

  先にその沈黙を破ったのは、快だった。
  快は、しばらく奈津子を見ていたが――やがてふうっと溜息をついて、小さく肩をすくめて見せた。
 「やれやれだ。ぼくの見当違いだったか。藤本華江を殺した人間だったら、もしかしてと思ったんだけどな」
 「どういう――意味よ?」
  ルガーのポイントをずらさないまま、奈津子は訊いた。
 「どうって、そのままの意味さ。わからないかい?」
 「ええ。全然」
  ルガーの黒い銃口が、小さく震えていた。
  さすがに片手だけで重い拳銃を保持するのは辛かったので、左手も使って、両手でグリップを握り直した。
  銃口のぶれがなくなり、よりしっかりと快を捕らえることができた。
  一方、快もイングラムを沙利美にポイントしたままだった。
  沙利美は――泣きそうな表情で、奈津子を見ていた。
  奈津子はそれを横目で確認し、小さな声で「大丈夫だから」と呟いた。
  それで、沙利美が、いくぶん安堵した表情で、小さく頷いた。
  奈津子は、快の方に視線を移した。
  快は、微かに笑んでいた。
  言った。
 「ひとつ訊くけど、もしぼくがこのまま引き金を引いたら、君はどうする?」
  奈津子は、ちょっと、顎を引いた。
 「私も、たぶん、そうするわ」
 「そうだろうね。この状態なら、死ぬのは君じゃない、天道だからな。そういうこともできる」
  快の言葉に、沙利美は身体をがびくっと硬直させた。
  そんなことは知ったことではない、という感じで、快は続けた。
 「じゃあ、もしこの銃口が君に向いていたら? ぼくが撃ってからでは、間に合わないよ? 先に撃たないと、勝ち目はない。さあ、どうする?」
 「そ、そんなこと――」
  できるだろうか、自分に?
  自分が助かるために、快を殺せるだろうか?
  いや、殺せるかどうかではない、殺さなければならないのだ。
  こちらには、沙利美もいるのだから。
  自分がやらなければ、二人とも、殺されてしまう。
  やらなければならないのだ。
  でも、それでは――それが許されるのだとしたら、このゲームでは、誰を殺してもいいことになってしまうのではないのか?
  奈津子の脳裏に、あの言葉が浮かんだ。

 『わたしたちは、殺し合いを、する』

 『やらなきゃ、やられる』

  教室を出る前に、たった3回書いただけの言葉なのに――。
  何故か、今の奈津子にはとても重くのしかかっているような気が、した。
  自分を守るためだろうが、人を守るためだろうが、人殺しには違いないのではないのだろうか?
  それでも、仕方のないことなのだろうか、人を殺すということは?
  そもそも人を殺すということは、どういうことなのだろう?
  私は、もう、実に2人ものクラスメイトを殺してしまったけれど、それでなにかが変わったのだろうか、果たして?

  わからなかった。
  それは、一生わからないことなのかも、知れない。わからない、そんなことすら。
  不意に奈津子の瞼の奥に、貴志の笑顔が見えた気がした。
  馬鹿だなあ、ぐちゃぐちゃ考えたりするのって、おまえらしくないぞ?
  そう言っている気がした。
  それで、奈津子は、思い出した。
  真由美が『あの事件』に巻き込まれた次の日、奈津子は教室で一人、どうしたらいいだろうと悩んでいたときのことだった。
  不意に、ぽんと背中を叩かれた。
  その力が思ったより強く、小さな痛みに顔をしかめて振り返ると、そこにはバスケットボールを脇に抱えている貴志が立っていた。
 「ちょっと痛かったな、今のは。なにか用?」
  奈津子が言うと、貴志はちらっと苦笑した。
  言った。
 「わりぃ。ちょっと、バスケやったあとだったから、手加減できなかったんだ。ところで、どした? 浮かない顔して、なんか悩みごとか?」
 「べつに・・・・・・。なんでそう思うの?」
  平静を装って奈津子が言うと、貴志はバスケットボールを人差し指の上でくるくると回しながら、言った。
 「いや、思いっきり、私は悩んでます、みたいな顔してたからさ。なに考えてんだろうなーと思ってな」
 「・・・・・・私、そんな顔してた?」
 「ああ。もう眉間にしわ寄せちゃってさ、うちの婆ちゃんみたいだったぜ?」
 「なによ、それ?」
  奈津子が口をすぼめると、貴志はくくっと小さく笑った。
  それから、バスケットボールを床に落とした。
  ボン、と跳ね返ったボールを掴むと、貴志は笑いながら奈津子を見つめ、言った。
 「おまえ、ぐちゃぐちゃ悩むような性格じゃねーんだから、そんな考えごとしてるフリはやめとけっての」
  なにを悩んでいるのかとか、どういうことを考えているのかとか、そんな言葉は一切なかった。
  ただ、ボールを持っていない方の手で奈津子の髪の毛をくしゃくしゃにしてから、貴志は続けた。
 「もっと自分のことを信じろよ。おまえは、そういう奴なんだから、郁美さんみたく、考えごとが似合うクールな女じゃないんだぜ?」
 「ちょっと、それ、なんか私のこと、馬鹿にしてない?」
  奈津子が突っ掛かると、貴志は笑いながらさっさとどこかへ行ってしまった。
  そのときは、どうして悩みを聞いてくれないのだろうと少し腹を立てたものだが――いま考えると、貴志はあのときの奈津子に一番必要なことを、言ってくれたような気がした。
  ――もっと自分を信じろよ。
  


  そうだ、と奈津子は思った。
  私は、私なんだから。
  それでどうなろうと、それは私が決めたことなんだから。
  私は、いつまでも、何があっても、わたしなんだから――。
  奈津子は快を見据え、そして言った。
 「そんなことは、わからないわ、私には。でも、進んで人殺しは、したくない」
 「欺瞞だな。それは、わがままなだけだよ」
 「そうかもしれないけど――私は、このクラスが、このクラスのみんなが、好きだから。できることなら、戦いたくはないの」
  奈津子の言葉に、快はすっと目を細めた。
  吐き出すような口調で、言った。
 「でも現に、クラスメイトは死んでいるじゃないか。言っとくが、これは同じクラスメイトが殺したんだ。君は、そんな彼らを信じると言うのかい?」
 「信じるわ。私は、みんなを信じる――信じたい。信じるしかないじゃない。私は、もうこれ以上、人を殺したくはないんだもの」
 「それは自分のためにだろう?」
  快が言った。
  奈津子は、大きく頷いた。
 「そうよ。私のため、私が人を殺したくないからっていうためだけに、私はみんなを信じるの。悪い?」
 「ずいぶんと殊勝だね。べつに悪くはないよ、ひとそれぞれだ」
 「そうでしょう? だから、私はあなたも、殺したくはないわ」
  快がちょっと唇を舐め、言った。
 「呆れたな。どこまでも楽天主義を貫くわけか。それとも、人を信じる心、とでも言い替えられるかな? それなら、君はぼくを信じるわけかい?」
 「ええ・・・・・・。できることなら、あなたとも、戦いたくはない。一緒に考えて、なんとかここを抜け出す方法を――」

  ぱららららららっ――奈津子の言葉は、軽快なイングラムの撃発音でかき消された。
  次の瞬間、奈津子の横にいた沙利美の身体が、なにかに弾かれたように後ろに吹き飛んだ。
  沙利美の額から下腹部にかけて、小さな穴が一直線に穿っていた。
  弾が外れる、などということはなかった。
  イングラムから放たれたパラベラム弾は、一発も逸れることなく、すべて沙利美の身体に叩き込まれた。
 「・・・・・・ッ!」
  ちきれた沙利美の唇が、声なき叫び声を上げたようだった。
  髪が乱れ、芳明の血がべったりと付いた制服が、今度は沙利美自身の血で塗り替えられることとなった。
  沙利美はそのままバランスを崩し、頭から、鉄筋やコンクリートが散らばっている瓦礫の上に倒れ込んだ。
  その際、ぐじゃっ、という、ひどく美的でない音が、した。
  潰れた音だった。
  もちろん、それまでに沙利美は既に事切れていたのだけれど、しかしとにかく、尖ったコンクリートの破片で頭部がぱっくりと割れた。
  血が放射状に飛び散り、あたりに赤い花を咲かせた。
 「えっ――?」
  奈津子は、沙利美の死体に、釘付けになっていた。
  全然、予想もしていなかったときに撃ち込まれて、頭が混乱していた。
  快にポイントしていたルガーの銃口は、いつのまにか空を向いていたのだけれど、そんなことはどうでもよかった。
  沙利美の口元にぶくぶくと血の泡が立っていたが、それもすぐに、ぱちんと弾けて、消えた。
  奈津子の顔から、さあっと血の気が引いていった。
 「ど、どうして――」
  奈津子は、快の方を向いた。
  さっきまで――本当に、ついさっきまで呼吸をしていたはずの人間が、一瞬にしてこの世から消滅してしまったのだ。
  その、非現実的な現実の前に、奈津子は軽い眩暈を覚えていた。
  いつのまにか、目からはぼろぼろと涙がこぼれていた。
  沙利美が死んだことに対して出た涙なのか、自分が裏切られたことに対して出た涙なのか、奈津子にはわからなかった。
  もしかしたら、自分のせいで彼女が殺されてしまったことに対する涙だったのかも、知れない。
  わからない、そんなことは。
  とにかく、それで、快の姿が、うにうにと歪んで見えた。
 「もしも、君があのとき、先に引き金を引いていたら、彼女は死なずに済んだだろうね」
  快は冷たく、言い放った。
  奈津子には返す言葉がなかった。
  快の口調は明らかに、奈津子を叱責しているような口調だった。
 「だから、君は甘っちょろいと言ったんだ。君を頼った彼女の信頼を、君は自分が人殺しをしたくないという勝手な理由で、踏みにじったんだ」
 「そんな――違う――私は――」
 「違わないさ。彼女のことを信じるのなら、ぼくがこれを手にする前に迷わず撃って然るべきだったんだ。ぼくを信じた時点で、君は負けていたんだよ」
  轟然と言い放つと、快はイングラムの銃口を奈津子に向けた。
  はっとして、奈津子も快にルガーを向けた。
  もう、迷っている暇はなかった。
  撃たなければならない、彼よりも先に!

 「もうやめてっ!」
  叫んだのは、郁美だった。
 「もうこれ以上、酷いことしないで! 旗山くんッ!」
  郁美は、快が持っていたイングラムに掴みかかった。
  膝を怪我しているのか、少しよろけてはいたけれども、快のイングラムをしっかりと掴んでいた。 
  奈津子にポイントされていた銃口が、上下左右に行き場なく揺れた。
  いましかない!
  奈津子は、思った。
  旗山快を殺すには、いま、このチャンスを利用するしか手はなかった。
  正面から戦ったところで勝ち目がないことは、直感的に察しがついていた。
  もちろん、快が職業軍人だということは、郁美と華江しか知らないのだけれど(そして華江はもうこの世にはいないのだけれど)。
  とにかくも、快ははっきりと『やる気』になっているのだ。
  ここで始末してしまわなければ、また誰か別のクラスメイトが、殺されてしまうかもしれなかった。
  私がやるしかないんだ、いま、ここで!

 『やらなきゃ、やられる』

  あの文字が、頭に浮かんだ。
  それしかないのだ、つまるところ。
  奈津子は、ルガーの引き金にかかった人差し指に、力を加えかけた。
  しかし――奈津子はそうすることに躊躇いを覚えた。
  どうしたんです、早く撃ってくださいよ。簡単でしょ? 人差し指をほんのちょこっと動かすだけですよ。チャンスじゃなかったんですか?

  それは、その通りだった。
  いまやらなければ、もう永久に、チャンスは訪れないだろう。
  すなわち、自分はここで、快に殺されることになる。
  快を殺さなければならない、いま、ここで。
  しかし――
  そう、しかしだ。
  この状態で撃ったとして、郁美はどうなるのだろう?
  揉み合っている2人のうちで、どちらか片一方を狙って撃つなどという高度な技量も、それができるという自信も、奈津子にはなかった。
  うまくいけばそうなるかもしれないが――それは極めて不確定要素が多すぎる、運次第だ、はっきり言って。
  下手をすれば郁美に当ってしまうかもしれない。
  また、快に当ったとしても、その弾丸が身体を貫通して郁美を傷つける恐れもあった。
  357マグナム弾には、それだけの威力が、あるのだから。
  ちくしょう、ちくしょう、どうすればいいの? どうすれば――?

  奈津子の葛藤は、時間にすると、1秒か、それに満たないくらいのわずかな時間だった。
  しかし、はっと奈津子が我を取り戻したときには、快は郁美の首に腕をまわし、片手でがっちりと固定してしまっていた。
  空いているもう一方の手は、もちろん、イングラムを持っている。
  郁美を人質にとっているような状態だった。
  奈津子と、快の視線が、かち合った。
  快が、ふっと小さく笑んだ。
  馬鹿にしたような笑みだった。
  撃てるもんなら撃ってみろ、という挑発的な瞳だった。
  しかし――快の前には、郁美がいる。
  快を撃つことはすなわち、郁美を撃つことと同義である。
 「だから、言ったろう? “やらなきゃ、やられる”。わかったかい?」
  快がそう言ったのとほぼ同時に、イングラムが再び咆哮した。
  奈津子の下腹部から太股にかけて、突き抜けるような痛みが走った。
  防弾チョッキは、腹から胸を保護するのには効果的だが、それ以外の部分を狙われては意味がなかった。
  苦痛に顔を歪めた奈津子だったが、フィラメントが切れそうな電球のように明暗する意識の中で、考えた。
  どうして快は、はじめから頭を狙わないのか。そうすれば、もっとはやくに決着がつくだろうに――。
  そして、気づいた。
  これはきっと、快の最後の試験なのだ。
  敢えて即死させないことで、最後の反撃をするかどうか、確かめようとしているに違いない。
  腕はまだ動くのだから、撃とうと思えば、できないこともないはずだった。
  結局、最期まで快のいいようにされてしまったということだ。
  そのこと自体にも腹が立ったし、他にも色々と、むかついていた。
  最期に一発、強烈なカウンターを食らわせてやるのも、悪くはないだろう。
  しかし奈津子は、そうしなかった。
  そんなことをしても、もう、どうにもならないのだから。
  最期の最期で、快の期待を裏切ってやるのも、それはそれでいいだろうと思った。
  私は、赤木くんや、藤本さんや、それに、天道さんも死に追いやってしまったけれど――最期まで、人を信じられたことに関しては、胸を張って誇れるから。
  その誇りを持って・・・・・・死ねるから。
  そして、思った。
  貴志くん――私、間違ったこと、したのかな?
  人を信じたつもりだったのに、それが、他の人の信頼を裏切ることに、なるのかな?
  貴志の笑顔が、脳裏に浮かんだ。
  優しい、いつもの笑顔だった。
  デートのとき、人目を忍んで2人でひっそりと、コンビニのクレープを食べながら話し合った、あのときの笑顔だった。
  だから、奈津子も、微笑んだ。

  信じることって、難しいよね、ホント――。

  次の瞬間、快のイングラムから、火炎が吹きあがった。
  奈津子の美しかった顔が一瞬にして砕かれ、自慢の長い黒髪が真っ赤に染色されるまでに、10秒とかからなかった。
  沙利美の死体に折り重なるようにして、奈津子の身体は地面に崩れ落ちた。
  その顔は、すっかり原形を失って、もう誰だかわからなくなってしまったのだけれど――もし仮に顔が残っていたとしたら、それはとても穏やかな表情をしていたに、違いなかった。
  最期まで、人を信頼できたことに満足した表情なのかも、知れない。
  最期まで、好きな人に微笑んでいたかったのかも、知れない。
  もう、わからない、そんなことは――。




       §

  どさっ、という音を立てて、奈津子が瓦礫の上に崩れ落ちた。
  あたりには鼻を刺激するような硝煙のにおいと、イングラムの銃身が焼けるチリチリという音が空しく響いていた。
  快は小さく溜息をつくと、奈津子が倒れている方向を呆然とした表情で眺めていた郁美の首から、腕を離した。
  解放されてからも、郁美はしばらく動けずにいた。
  哀しみとか、怒りとか、そんな感情はもう感じられなかった。
  心が麻痺してしまったのかも、知れなかった、このゲームをやっているうちに。
  あまりにも当然のように人が死んでしまうことに、慣れてしまったのだろうか、あたしは?
  それは、とても情けないことのはずだった。
  だが、それすらもう、郁美には感じられなくなっていた。
  郁美は思った。
  いっそのこと、もう何も感じられなくなってしまえばいいのに――。
  そうすれば、もうクラスメイトが死んでしまったことも、3年前に突然消えてしまった兄のことも、忘れられるかもしれない。
  しかし、それは大好きだった兄の――信史の存在を、そして3年B組のクラスメイトの存在を、自分の手で消してしまうことと同義だった。
  そんなことは――死んでも、できない、絶対に。

 「後味の悪いことをさせてしまったね。すまなかった」
  快が、郁美の背後から、声をかけた。
  郁美は、ゆっくりと後ろを向いた。
  そこには、いつも通りの快が立っていた。
  たったいま、クラスメイトを殺した快が、平然と、そこに。
  郁美は思った。
  ひょっとしたら、このひとももう、人を殺すことに慣れてしまったのでは、ないのだろうか。
  殺人も、二度三度と繰り返すうちに、慣れてしまえるものなのだろうか。
  いまはまだわからなかった――郁美は、人を殺したことなど、一度もなかったので。
  いまは、まだ――。
  いつか――いつとはわからないけれど、とにかく近い将来――あたしも人を殺さなければならないことに、なるのかもしれない。
  もし、万が一、このゲームに自分が優勝するとしたら(ああ、そんなことは考えたくなかった、できることならば)、とにかく確実に、一人は殺していることになる。
  まあ相手が自殺した場合は、その範囲ではないけれど、とにかく――そういうことになる。
  自分が優勝するなどということは今まで考えたことはなかったけれど、しかし、もうそういうことが一つの可能性として、眼前に見えているのだ。
  いま残っているクラスメイトは、おそらく、そう多くはないだろう。
  ひょっとしたら――ありえないとは思うけれど、もしかしたら、いまこの会場で残っているのは、郁美と快だけだということもあるかもしれないのだ。
  放送がないので、わからないけれど。
  郁美は小さく、頭を振った。
  そんなことはない、と思った。
  健司くんは、たぶん、生きている。
  郁美は根拠もなく、そう確信していた。
  それに――別に、優勝したいとは思わない、あたしは。
  3年前、自宅に桃の印がついた青い紙切れが一枚送られて来たとき(死亡報告書と死因鑑定書だった)、郁美は自分の大切なものを永久に失ったことを、知った。
  それから失意のうちに、なにも考えないまま過ごしたあの日々に、また逆戻りなどしたくはなかった。
  表面上は笑顔を作って友達と何気ない世間話をしながら、ただ時間が流れるのを待っていた、あの日々に。
  そんな状態を打開してくれたのは、他でもない、健司だった。
  健司の前では、なぜか、自然と笑顔になれた(作った笑みではなく、本当の笑顔だ、それは)。
  健司との会話は、他の友達との会話に比べたら圧倒的に少なく、またそっけないものだったのだけれど、それでもよかった。
  しかし――もし健司までもが、信史と同じように消えてしまったら・・・・・・?
  いやそれだけではない、今までクラスメイトだった仲間たちが、一瞬にしてみんないなくなってしまったら・・・・・・?
  郁美はまた、あの世界に、引き戻されてしまうだろう。
  それがいつまで続くかはわからない、1ヶ月で終わるかもしれないし、1年かかるかもしれない、はたまた一生そんな日々が続くのかも、知れなかった。
  そんな世界にはいたくない。
  だから、郁美は、これっぽっちも、自分だけが生き残るつもりは、なかった。
  それなのに――。

  郁美は、じっと快を睨んだ。
  それなのに、どうしてこのひとは、あたしを殺してはくれないのだろう?
  いままで出遭ったクラスメイトには、ことごとく『死』をプレゼントしていた快が、なぜか華江と郁美に限っては、例外的に無視し続けているのが気にかかった。
  まるで、よい子にしかプレゼントをくれないサンタクロースだ。
  そのプレゼントを受け取った子供が喜ぶかどうかは、また別問題なのだけれど。
 「顔色が悪いけど、大丈夫かい?」
  快は、郁美の疑問など気にかけたふうもなく、心配そうな表情で郁美を見返していた。
  郁美は小さく溜息をついた。
  このいい加減な状態を、なんとかして打開したかった。
  訊こう、と郁美は思った。
  こういうはっきりしない状態は、郁美は大嫌いだった。
  訊いてやろう、それでどういう答えが返ってきても、それはそれで、いいじゃないの。
  半ば投げやりのような気持ちだったかも、知れない。
  とにかく、もうこんなわけのわからない奴とは、一緒にいたくはなかった。
 「訊きたいことが、あるの――」
  郁美は思い切って、口を開いた。
  ゆっくりと、言葉を選ぶようにして。
 「なんだい?」
  快は小さく首を傾げた。
 「なんで、あたしは、生きているの?」
 「・・・・・・は?」
  快が、眉を寄せて聞き返した。
  郁美は心の中で自分を叱咤した。
  違うわ、そうじゃない、そういうことを訊きたいんじゃないのよ。
  言い換えた。
 「つまり、旗山くん、どうしてあたしを殺さないの? 藤本さんも、あなたは敢えて殺そうとはしなかった――いいえ、逆に命を助けてくれた」
  郁美が快の瞳を、正面から見つめた。
  そうすることははじめてだった。
  吸い込まれそうな黒い快の瞳の奥には、果たしてなにがあるのだろうか?
  郁美は、続けた。
 「あたしたちを殺さなかった理由――それは、なに?」
 「・・・・・・」
  快はしばらく黙っていたが、やがて小さく肩をすくめて、言った。
 「べつに、特にこれといって理由はないよ。もちろん、最終的には殺させてもらうつもり――」
 「嘘」
  郁美は、快の言葉を遮るようにして、言った。
 「嘘よ、そんなこと、絶対にない。あなたは、軍人なんでしょう? そんな無意味なことを、リスクを犯してまでやるとは、とても思わないわ」
 「・・・・・・そうかな?」
 「ええ。そうよ」
 「・・・・・・」
  快はまた、黙り込んだ。
  さっき、奈津子を言葉で追い詰めているときような鋭い語気は、もうなかった。
  快は、視線を華江の死体の方に移していた。
  しかし、華江の死体を見ているわけでも、なかった。
  こちらを見ないようにしていることは明らかだった。
  それでも郁美は、快をじっと凝視した。
  そして、ふと違和感を感じた。
  どこかが、いつもの快と違うような気が、した。
  そりゃ違うでしょう、赤いワイシャツ着てるんですから。赤いワイシャツ着ている生徒なんて、見たことあります?

  違う、そんなことじゃない。
  郁美はもう一度、快の頭のてっぺんからつま先まで、よく観察した。
  べつにどこも変わったことはなかった。
  気のせい――かしら?
  郁美がそう思ったとき、快がこちらを向いた。
  そのとき、わかった。
  いや、わかったような気がした。
  瞳だ。
  快の瞳が、いつもと違っていたのだ。
  高校の体育館で華江や郁美に話し掛けていたときの快の瞳と、いまの瞳には、よくわからないけれどとにかく、確実な違いがあった。
  何というか――冷たく、鋭くなったような、それでいて、どことなくもの哀しげな、そんな瞳だった。
  奈津子を殺したときの瞳だった。
  郁美は考えた。
  あのときから、快の中で、なにかが変わったのだとしたら?
  いや違う、快の『中』ではなく、『外』の環境が変わったのだとしたら?
  快の心が動かされるような、大きな環境の変化が、あったはずだった。
  思い当たる節があった、ひとつだけ。
  それはすなわち――華江の『死』ではないのだろうか?
  そう考え、郁美ははっとした。
 「旗山くん――さっきの質問の続き、いいかな?」
  郁美の言葉に、快はひょいと肩をすくめた。
  どうぞご勝手に、という合図だった。
  郁美は、唾液を飲み込んだ。
  喉が小さく動き、ごくっという音が快にまで聞こえたかと思った。
  不意に、自分たちが修学旅行のために学校を出発したときの、あの感覚がよみがえってきた。
  おそらく、この修学旅行が『本当の修学旅行』だったとしたら、嫌な先生の悪口や最近見たテレビ番組の話題を大きく引き離して、ダントツ一番になったであろう話題だったので。
  しかし、もちろん、そんなふうに心ときめく感覚とは、まるでかけ離れていたけれども。
  郁美は意を決して、口を開いた。

 「旗山くんは、藤本さんのことが、好きだったの・・・・・・?」


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