BATTLE ROYALE 2
〜
The Final Game 〜
耳をつんざく不快な音が響き渡っていた。
アイドリング状態の自動車のエンジン音をかき消してしまうほどの大音響だった。
目も眩むほどの強烈な閃光があたりを照らし出していた。
ヘリコプターの探照灯だった。
台風なみの突風をともなう大音響は、巨大なプロペラがまわるローター音に違いなかった。
石田は軍服のポケットに両手を突っ込み、その巨大な機体を眺めていた。
超低空飛行で飛来したヘリの探照灯が、しっかりと石田を照らしつけていた。
ヘリコプターの側面には、ご丁寧にも政府の印である桃の花のマークがついていた。
「やれやれ・・・・・・」
石田は小さくため息をついた。
地上から60センチほど浮いた状態で、ヘリ側面の重そうな鋼鉄の扉が開いた。
そうかと思うと、五、六人の迷彩柄の戦闘服を身にまとった兵士が地面に降り立ち、石田を取り囲むように周囲に散った。
彼らの肩には、5.56ミリNATO弾を連射するアサルトライフルがストラップで吊られていた。
その銃口はもちろん、すべて石田に向けられていた。
兵士たちに一足遅れて、ヘリの中から黒い背広を来た男がひとり、地面に降り立った。
上等な革靴の下で濡れた地面がじゃりっと鳴った。
「こんなところにおられたのですか。一体どういうつもりです?」
その男が口を開いた。
堅苦しい敬語を使ってはいたが、その口調からはあからさまな苛立ちが感じられた。
石田にはそれがわかったが、敢えて答えてやる義理はなかった。
首を動かして自分に向けられている銃口をそれぞれ眺め渡し、口元に笑みを湛えながら、おもしろそうに言った。
「そっちこそ、なんのつもりです? 政府から暗殺指令でも受けてきたんですか?」
「なにをばかなことを・・・・・・」
男は苦笑というには渋すぎる表情を湛えて、そう呟いた。
そうして、右の手のひらを空中にさっとかざした。
するとそれまで石田を取り囲んでいた兵士が、一斉にライフルの銃口を上に向け、気をつけの姿勢をとった。
担え銃の姿勢だった、下級兵士の最敬礼だ。
「この“ゲーム”はもう限界です。我々の方で事態収拾のための最終決議が終了しました」
男の言葉に、石田はちらっと眉を上げた。
男が続けた。
「あとは正式な承認だけです。お戻りください」
「正式な承認ですか・・・・・・。いまさら伝統的な形式にならっても意味はないと思いますがね。勝手にやったらどうです?」
石田の刺のある口調に、男はいささか太めの眉を寄せ、口を結んだ。
「――とにかく、官邸には戻っていただきます。この国では最高指導者の承認がないとなにもできません」
「飾りだけの独裁者は必要ないでしょう?」
「・・・・・・閣下。お戻りを」
男の頑なな口調に、石田はわざとらしくため息をついた。
「いいでしょう。飾りは飾りらしく鳥かごの中に、――自分のいるべき場所に戻りましょう」
言いながら、それはおそらく地獄だろう、と微かに思った。
男は小さく息を漏らした。
それから、一歩うしろに下がり、右腕を真っ直ぐ伸ばして斜め前方に向けて突き上げた。
大東亜共和国独特の一風変わった敬礼だった。
「総統閣下に――敬礼!」
男が叫んだ。
石田を取り囲んでいた兵士が、ふたたび担え銃でそれに倣った。
驚いたふうもなく、石田は悠然とその兵士の列の中央を歩いてヘリに乗り込んだ。
数回ホバリングをしたあと、要人輸送用の大型軍用ヘリが一気に空に舞い上がった。
その強化ガラス越し、石田の視界に花火のような微かな閃光がひらめいた。
サブマシンガンかなにかのマズルフラッシュだろう、と石田は思った。
しかし、それを確認することはできなかった。
ターボチャージャーを搭載した軍用ヘリは、そのときにはもう機体を前方に大きく傾けて最大航行速度に移っていたので。
「飛べない鳥は鳥かごの中が妥当だが、翼を持つ鳥は高みを目指してもらいたいものですね・・・・・・」
もう暗闇しか見えなくなった窓ガラスに向かい、石田は小さく呟いていた。
耳をつんざくようなヘリのローター音が、石田の声を暗闇へとかき消していった。
そして、様々な思いを巡らせて、“プログラム”最後の幕が、いま、開かれようとしていた――
[ 第十一部 / Finish ] Now 9 students remaining...
< 51 > ファイナル・ラウンド(1)
ぱららららららららららっ――
イングラム・M11サブマシンガンの撃発音が、暗闇の中で反響した。
旗山快は目を細め、銃身が焼けてチリチリと音を立てているイングラムをすっとおろした。
しばらくは着弾の煙で視界が悪かったが、それもすぐに湿気を含んだ夜風に洗われていった。
つんと鼻をつく硝煙のにおいが漂っていた。
快は「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らした。
杉山貴志は、9ミリパラベラム弾がその身体を蜂の巣にする直前に、秋也に突き飛ばされていた。
秋也と貴志は地面に伏していたが、そのためいまの攻撃で弾丸が当たることはなかったようだった。
もし、秋也が貴志を突き飛ばしていなかったら、貴志はいまごろ肺に空いた穴で呼吸をしていたに、違いなかった。
もっとも、呼吸をしていればの話だが。
「くそッ――!」
「やめろっ! 落ち着け、杉山」
なおも起き上がり、快にスミス・アンド・ウェスンを向けようとした貴志の腕を秋也が掴んだ。
貴志が振り返り、秋也を睨みつけた。
その目には、涙がいっぱいに溜まっていた。
「なんでだ? なんで止めるんだ!? あいつは、あいつは奈津子を――」
語尾が震えた。
しかし、貴志がそれから先の言葉を発することはできなかった。
その前に再び、快のイングラムが咆哮をあげていたので。
眩いばかりのマズルフラッシュが、あたりを一瞬、照らし出した。
貴志は、反射的に病院の建物の方に飛び、快から死角になっている壁の一角、窪んだスペースに逃げ込んだようだった。
秋也は貴志とは逆方向に飛び、病院の入り口付近に駐車してあった救急車の陰に飛び込んだ。
そこには負傷した諒子を含めて、典子や健司、由香里と浩太郎が身を隠していた。
「秋也くん、だいじょうぶ?」
気遣わしげな口調で、典子が声をかけてきた。
秋也は軽く頷きながら、「だいじょうぶだ、当たってない」と呟いた。
声が震えていた。
思った。
なんだってあいつは、あんなに銃器の扱いに長けているんだ――?
多少訓練された者でさえ扱いにくい、命中率が悪くて撃発時の安定性に欠けるイングラム系サブマシンガンを、まるで玩具のように片手で扱っているのだ、快は。
しかも、それは熟練した兵士並みに――実は彼は熟練した兵士なのだけれど、そんなことは秋也が与り知るところではなかった――命中率が高かった。
いまの攻撃も、あと半瞬でも逃げるのが遅れていたら頚椎か、もしくは頚動脈あたりを貫かれていただろう。
狙いがすべて急所なのだ、寸分の狂いもなく。
それは、針の穴に糸を通すような、ちょっとコツを掴めば誰にでもできるというものではない。
それに――人質をとられているというのは、少なからず厄介だった。
秋也は健司に視線を移した。
「彼女だろ、おまえの言ってた――郁美サンだっけ? なんで、あんなアブナイやつと一緒にいるんだ?」
「そんなこと俺が知るはずないだろう。こっちが聞きたい」
健司が、こちらは苦虫を何万匹も噛み潰した苦々しい表情で、答えた。
「それよりも――」
健司が言いかけたとき、またもイングラムの撃発音が聞こえ、秋也ははっと気を取り戻した。
このままでは、貴志がやられてしまう。
「無駄弾の消費はこの際、仕方ないな・・・・・・」
秋也はそう呟き、典子に言った。
「典子、南サンと協力して、中山サンの手当てを頼む。こっちに撃ち込まれないように、できるだけ俺たちが注意を引きつけておくから」
「わかったわ。でも――」
典子は頷いたが、しかしすぐに目を伏せた。
言った。
「できる限りのことはやってみるけど、それでも、もしかしたら――」
典子はそう語尾を引っ張った。
それで、秋也は、自分の頬の筋肉が引きつるのがわかった。
もう諒子は助からないかもしれない――と言っているのだ、典子は。
秋也は、濡れた地面に寝かされている諒子に、視線を移した。
スカートの太股のあたりが、ぐっしょりと血で濡れていた。
少なからぬ量の出血だった。
万が一、動脈や静脈なんかをやられてたら、もう取り返しがつかない、おそらくは。
どうしてもっと注意して周囲を確認しておかなかったんだろうか、と悔恨の念が頭をよぎったが、秋也はすぐにその考えを振り払った。
いまさらそんなことを言っても、意味のないことだったので。
「は・・・・・・うぅ・・・・・・」
諒子は苦しそうに胸を上下させて、呼吸をしていた。
まだ――まだ生きている。
だが、それがなんだというのだろう。
ちょっと瞬きをする間に失われてしまいそうな、か弱い生命だった。
諒子がわずかに身じろぎしたとき、スカートに隠れていた太股が露になった。
そこには破ったワイシャツがきつく巻かれていた。
白いワイシャツにはじわじわと血が滲んでいて、もうほとんど赤く染色されていたけれども、出血は最初のときほどではないようだった。
的確な止血のための処置だった。
秋也は、ちょっと眉を上げた。
「おまえがやったのか?」
秋也は、健司に視線を移した。
そういえばいつの間にか半袖になったワイシャツを着ていた健司は、小さく肩をすくめた。
「俺はガーゼの代行品を提供しただけだ。応急処置は、みんな南と――そこにいる、中川って人だ。俺は何もしてない」
「――そうか」
秋也は頷いた。
「もう消毒はしたのかい?」
健司から由香里に視線を移すと、由香里は切迫した表情で、こくっと頷いた。
傍らに、手提げ金庫のような取っ手のついた救急箱が置いてあった。
おそらく救急車に積まれていた常備品なのだろうが(ドアはロックされていなかったのだろうか?)、そこには消毒液からちょっとした痛み止めまで、かなりの種類の薬品が詰め込まれていた。
痛み止めくらいは飲んでおきたいな、と秋也は思ったのだけれど、そんな余裕があるはずもなかった。
案の定、ぱらららららっと短い連射音が聞こえ、秋也たちは反射的に、首をすくめた。
秋也たちの隠れていた救急車のフロントガラスに穴が空いて、蜘蛛の巣状のひびが入った。
「くそっ――」
秋也は、強く唇を噛んだ。
傷ついた諒子たちをこのままにしておくわけにはいかない――いつ弾が飛んでくるかもわからないのだ、ここでは。
もちろん、ここから離れたところで、そこが安全だという保障はどこにもないのだけれど。
当座のところ、快の注意をここに集中させないことが重要だった。
それから、人質もどうにかしなければならない。
最初のハンドガンとイングラムの他にも、快がまだなにか持っているかもしれなかった。
総力戦になるな、と秋也は思った。
秋也たちに残された弾数は、もう残り少なかった。
それに加えて、秋也自身、そろそろ体力が限界にきていた。
腹の傷がじくじくと妙な熱を帯びて痛みにともなってきていたのだ。
これ以上は、もう、戦えないだろう。
秋也は、なんとなく、そう思った。
「ファイナル・ラウンドか・・・・・・」
秋也の微かな呟きは、誰にも届くことなく、夜の闇の中に消えていった。
§
先程からぱらぱらと雨が降り続いていた。
もっとも、少し前(少し前がいつのことなのか、もうわからなくなっていたけれど)の集中豪雨のような勢いではなく、気持ちのよい秋雨といった感じだった。
しかし、もちろん、そんなことを言っていられる状況ではなかった、とてもではないが。
その雨音に混じって、快の落ち着いた声があたりに響いた。
「たいした反射神経だな、七原秋也」
快はそう言って、小さく笑ったようだった(隠れているので顔は見えなかったけれど)。
なんとなく満足感をともなった、そんな口調だった。
「いまこの場で、君たちをいっぺんに殺してしまうことも可能なんだ。しかし、それじゃおもしろくない」
快のどちらかというと低い、それでもよく通る声が、病院の壁に反響して響き渡った。
今度は秋也が口を開いた。
「おまえは、なにが望みなんだ? なにをしたい? 優勝することか?」
「優勝だって?」
反響してエコーのかかった快の声が、秋也の耳に届いた。
快は、平然として答えた。
「冗談じゃない。ぼくには優勝する選択肢など与えられていないし、ましてや生き残る可能性なんてものもないよ」
事情を知らない秋也には、快の言葉はわけがわからなかった。
生き残る可能性がないというのは、一体どういうことなのだろうか。
秋也が答えきれずにいると、それを察したのか快が説明的な口調で言った。
「ぼくは防衛軍の工作員でね。肩書きは少し長くなるけど、大東亜共和国専守防衛陸軍特殊工作部伍長だ。これで理解してもらえたかな?」
快の言葉で、秋也の瞳に理解の色が浮かんだ。
なるほど、つまりこいつは――軍人だったってわけか。
それで銃器の扱いに異様に長けていることも納得がいく。
なにしろ、ふつうの中学生が一次関数とか大東亜共和国史とか古典文学とかを勉強しているのと同じように、軍人は銃器の扱い方や薬になる雑草の食べ方やナイフをどこに刺せば心臓を一撃で突くことができるかなどを学ばされているのだから。
そもそもペットボトルがサイレンサーの代用品になるということなど、秋也ですら知らなかった。
快の声が大きく響いた。
「そういうわけだから、任務遂行の邪魔はしないでもらいたいんだけどな」
どういうわけなのかは知らないが、秋也の方も、はいそうですかと納得できるわけはなかった。
たとえ相手が人を殺すことを職業としている軍人だったとしても、いまさら逃げるわけにはいかないのだ。
首輪のロックを解除することができるというリモコンは、もうただのガラクタになっていた。
本部のコンピューターが復旧する前に、なんとか首輪だけでも外しておかなければならなかった。
しかし、どうすればいいのだろうか。
秋也は電気回路などは得意ではなかったし、コンピューターを習った典子も内部構造までは理解していなかった。
つまり――外し方がよくわからない、というのが本当のところだった、情けないことに。
まったく、本当に情けないな。なにが『俺を信じればたぶん助かる』だ、口から出任せもいいところじゃないか。
秋也は思った。
そのときだった。
ぶつっという、虫が潰れたような、あるいは何かがちぎれたような、耳障りな音が聞こえた。
秋也が、それがマイクのスイッチが入る音だと気付いたとき、どこかに設置されている拡声器から声が聞こえた。
『あ〜あ〜。マイクテス、マイクテス。聞こえるかお〜い?』
カリカリというノイズ混じりの声が、会場中に響き渡った。
坂待の声だった――いったい誰がこんな声を間違うはずがある?
それで、秋也は、思わず顔を空に向けた。
真っ黒な雲が暗闇に立ち込めていた。
冷たい雨が、秋也の顔を軽く叩いた。
スピーカーが震えた。
『みんな〜。よくここまで生き残ったな〜。すごいぞぉ。実はさ、ちょっとこっちでトラブっちゃってさぁ、放送、かけられなかったんだー。ごめんな〜』
秋也の脳裏に、顔をくしゃっとさせて頭をかいている坂待の様子が浮かんだ。
それで秋也は少し――いや実のところかなり――不快な感じがしたのだけれど、とにかく、そんなことを考えている場合ではなかった。
問題は、また別のところにあった。
なぜ坂待は、放送ができるのだろうか。
「・・・・・・システムが復旧したってのか?」
秋也は眉間にしわを寄せて、典子を顧みた。
典子はというと、半ば蒼ざめた、愕然とした表情で、秋也を見返していた。
「そんな――少なくともあと2時間は、システムが復旧することはないはずなのに・・・・・・」
信じられない、という声で、典子が呟いた。
首輪を通してそのやり取りを聞いていたのか、坂待が、『ハハア』と声を出して笑った。
『あまいよ、中川ぁ。政府だって馬鹿じゃあないんだ。3年前のプログラムでさ、同じようにウィルス使って、脱走しようとした生徒がいたんだよ。おまえらはもう知ってるみたいだけどさ。それからはさ、プログラムの進行にあたって、メインコンピュータのほかに、もう一台サブコンピュータを導入することになったんだよ。まあ、メインとサブはLANでリンクしてるわけだから、そっちもウィルスに犯されて少し時間がかかっちゃったけど、すぐに信号をカットしたからさ、自己診断システムで、なんとかウィルスは駆逐できたんだよ。どうだー、少しは感心したかぁ?』
そう言って、坂持はまた小さく笑った。
それから、続けた。
『うん、まあ、いいや。でさ、今回のプログラムさ、どうにもこれ以上続けることができないみたいなんだよな。ついさっき、ちょうど外部回線が復旧したときに電話がかかってきてさ――ああ、政府のお偉いさんじゃないかなあ、名前、聞かなかったからわからないけど。でさ、とにかく、今回のプログラムは、中止せざるを得ないってことになったんだよ。なんでも、政府の方で正式に決議されて、総統閣下の承認ももらったらしいんだよなあ、これが』
「中止って――」
救急車の薄汚れたタイヤに力なくもたれかかっていた浩太郎が、いきなり立ち上がって言った。
「中止ってことは、おれたち、帰れるのか? 帰してくれるんだろ? なあ、どうなんだ!?」
空に向かって、まるで天に伺いを立てるかのように叫んだ浩太郎に対して、坂待は『はあ』と溜息をついた。
ざざっとノイズが混じり、病院の近くのどこかに取り付けられたスピーカーから響き渡った。
『残念だけどさ、それは無理だ。無理なんだよなあ。それはもう先生が決められないんだよ。さっきの電話さ、本プログラムの全指揮権を専守防衛陸軍へ委託しろっていう命令だったんだよ。つまりさ、先生はさ、もうプログラムの担当官じゃあないんだ。当然だよな〜、先生、おまえたちを完全に管理しきれなかったんだもんな。先生にとっては不本意だけどさ、政府の決定もわからないでもないよ。いま、このゲームに対する国民の意識が変わってきてる。そんなときに、こんなめちゃくちゃなプログラムの情報を国民が知ったら、大変だろ〜? 下手したら、クーデターとか、起こっちゃうかもしれないもんなあ』
坂待の乾ききったような笑い声が、スピーカー越しに聞こえた。
その笑い声は、もう以前のようないやらしい響きはまったくなく、ただなにかに疲れ果てたような、中年のそれだった。
それで、秋也は、なんとなくずっと昔に死んだ自分の父親のことを、ちらっと思い出した。
ほんの少しにしておいた、ちょうどひとつまみぐらい、この期に及んで余計なことは考えたくなかったので。
よく覚えていないが、父親はたまに――母親のいないところ、台所でひとりウィスキーを飲みながら――こんな笑い方をしていたような気がした。
気力を失った人間の笑いだった。
坂待が続けた。
『それでさ、軍の決定では、“今回のプログラムに関連したすべてを抹消する”ってことになったらしいんだよ。いまからちょうど1時間後にさ、会場の外に待機させてあるMLRS――覚えてるかあ? あれでさ、ミサイル打ち込むから。ああ、会場中のどこにいようと射程範囲の内だから、心配しなくていいよ、な? ちなみに、いま生き残ってるのはおまえたちだけだから、他の連中のことは気にする必要はないよ。わかったかあ? じゃあ、先生、みんなの行動をしっかり見てるからな〜。どうするかは知らないけど、まあ、頑張れよ〜』
一方的にそれだけ言うと、ぶつっと音がして、臨時放送は途切れた。
あとは、またもとのぱたぱたという小さな雨音だけが、あたりに響き渡っていた。
「そ、そんな・・・・・・」
絶望に打ちひしがれた声をあげて、浩太郎がぺたりと濡れた地面にへたり込んだ。
蒼ざめた顔をしていたのは、浩太郎だけではなかった。
全員が、いまの放送に絶望に近い気持ちを覚えていた。
どこか心の中、あと1時間という現実的な数字を掲げた砂時計が、さらさらと砂を落とし始めたようだった。
「本当に――もうここまでなのかしらね、わたしたち・・・・・・」
由香里が、ため息のような、疲れきった声で呟いた。
微かに語尾が震えていた。
健司は、ちらりと腕時計に視線を落とした。
冷静な口調で言った。
「あと1時間か。0時ぴったりだな」
どうする? という意志のこもった健司の瞳を受け、秋也は小さく息を吐いた。
思った。
いやはや、今回のプログラムはどこからどこまでも異例づくしだ。
まあもっとも、例えまともなプログラムであっても参加したいとは思わないけれども。
とにかく秋也は、落ち着いた口調で(それは無理に、落ち着いているふうを装っていただけなのだけれど)、言った。
「確かにミサイルは厄介だが――最初に考えていたプランを適応すれば、まだ手がないこともない・・・・・・と思う」
「それって――」
由香里が首を傾げながら、訊いた。
「まだ助かる可能性があるってこと?」
「そうだ。確率は限りなくゼロに近いかもしれないけれど、ゼロではない。方法とタイミングによっては、あるいは――」
秋也はそこまで言い、口を噤んだ。
いまではもうこのクソやくたいもない首輪は、完全に稼動しているのだ。
迂闊なことは言うことはできない、これからは。
それに、本部のコンピューターが完全に復旧したそのときに、秋也たちは死んでいたかもしれないのだ。
首輪をぶっ飛ばされて、頭部と胴体が離れていく自分の姿を想像して、背筋にぞわっと悪寒が走った。
冗談ではなかった、ロケットの切り離しじゃあるまいし。
そう考えると、あと1時間というのはとてもありがたいことなのかもしれなかった、どっちにしろ殺される可能性はとても高いのだけれど。
だがそれは――どうでもいい、この期に及んで意味のないことだ。
「とにかく」と秋也は言った。
「さしあたっては、目の前の問題を解決しないといけないな」
秋也は、そっと救急車の陰から、顔を覗かせた。
すっと目を細めた。
快の姿が、どこにも見当たらなかったので。
郁美の姿もまた、消えていた。
放送がかかっている間にどこかに逃げたのだろうか?
秋也は考えた。
しかし、放送の内容を聞いていれば、どこへ逃げても無駄だということくらいわかるはずだ。
そもそも、わざわざ向こうから仕掛けてきたのだ、いまさらになって逃げ出すはずがない。
とすると――。
秋也は振り返って典子の方を向いた。
「典子、それ以外になにか持ってるかい?」
秋也は典子が持っているクルツを顎で示しながら、訊いた。
典子は頷いて、スカートのウェストのあたりに突っ込んであったチーフスペシャルを出した。
「あと、デリンジャーが一丁。あたしが持ってるのはこれだけだけど――」
典子の言葉に、秋也は頷いた。
「十分だ、とは言わないが、まあそれだけあればなんとかなるかな。典子、そのサブマシンガン、黒澤に渡してもかまわないかい?」
秋也が言うと、典子は健司をちらっと見た。
それからわずかに逡巡し――こくりと小さく頷いた。
「秋也くんが信用している人なら、あたしも信じられる」
そう言って、典子はクルツのストラップを肩から外し、銃身を持って健司の方に差し出した。
健司は、無言でそれを受け取った。
「あと、デリンジャーを俺に貸してくれ。レンタル料は全部片付いたら一括して返すから」
秋也の言葉に典子はちらっと笑みをこぼし、言われたとおりにデリンジャーを秋也に渡した。
「ウージーも使いたい。こっちの防御が薄くなるけど、どうかな?」
その言葉を受けて、由香里が頷いた。
「どうせわたしじゃ使いきれないし、わたしもそうしてもらおうと思ってたから」
「そうか」
秋也はそう言って、ウージーをストラップで肩から吊るした。
腰のあたりにはベレッタを突っ込み、デリンジャーは学生服のポケットに入れた。
言った。
「とにかく、中山サンの手当てが先だ。もし薬が必要になったら、この救急車の中にあるやつを使えばいい。ある程度のものは、たぶん、ある。いいかい、南サン?」
「わかったわ。あたしも手伝う」
由香里が頷いた。
秋也はそれから、浩太郎の方に視線を移した。
「おまえは、南サンたちの護衛だ。気を抜くんじゃないぞ。いいな?」
「あ、うん――」
浩太郎は頷いたが、どことなく力なさげだった。
秋也はがしゃっとショットガンのポンプを動かし、健司に言った。
「俺が旗山をなんとかするから、おまえはバックアップしてくれ。旗山に一発たりとも撃たせるな。キャリコの方は最後まで弾を使い切ってもいい、絶対にだ」
健司がちょっと肩をすくめた。
「撃つか撃たないかは向こうが決めることだ。だが――わかった、やってみるさ」
「よし」
小さく頷き、必要なことを手短に指示すると、秋也はショットガンを構えた。
もう一度、救急車の割れた窓越しに周囲を注意して見渡してみたが、やはり快は見当たらなかった。
「それで?」
健司が、秋也に説明を求めるように視線を向けた。
秋也は健司の方は向かず、ショットガンを構えた姿勢のまま、言った。。
「まずは俺が飛び出す。旗山は俺を狙って撃ってくるだろうから、できるだけあいつの攻撃を妨害してくれ」
「俺はいいとして、あんたはどうする?」
健司が、クルツのストラップを肩にかけ、キャリコのセーフティを解除しながら、訊いた。
かちっという音が妙に大きく聞こえた。
「俺は杉山のところへ行く。あそこじゃ動くに動けないだろうからな」
秋也は言いながら、健司の持っているキャリコに視線を落とした。
ふつうの拳銃とは明らかに違う、先端が鋭角的な独特のシルエットをもつキャリコには、そのスリムなスタイルとは対照的な図太い円柱のマガジンが装備されていた。
それには22口径ロング・ライフル弾が100発、フル装填されているはずだった。
しかし、それはキャリコの最後のマガジンなのだ。
もし、その100発を撃ち尽くしてしまえば、あとはもういくら威力のある機関銃といえども、何の役にも立たなくなってしまう。
これから先、もうこの銃はあてにはできないだろう、おそらく。
快のイングラムに対抗できる銃は、健司がストラップで肩から吊っているクルツとウージーくらいだ。
しかも、相手がどれだけの武器を持っているのか、まったくわからない。
まだ他にも銃を持っているかもしれない。
念には念を入れて、秋也は諒子の持っていたカースルを健司に持たせることにした。
昔の西部劇に出てくる銃を思わせるような、銀色の美しいステンレス製の大型回転式拳銃だった。
454マグナム弾という恐ろしいほどの大口径を誇る銃だが、その銃弾の大きさゆえにシリンダーには5発しか弾丸を装填することができない。
しかも、弾丸を一度に込めることができるホルダーがないため、一発ずつ手で込めなければならないのだ。
どちらにせよ、撃ち合いに向く銃とは思えなかったが、何もないよりはましだった。
キャリコやクルツは、数秒で全弾を撃ち尽くしてしまう可能性もあった。
健司に単発の大口径を持たせておいても、間違いはないだろう。
典子が38口径チーフスペシャルを持っているし、ニューナンブもある。
浩太郎のニューナンブも38口径なので、チーフスペシャルと弾丸を共用できるはずだ。
守備ならば、健司のクルツも含めれば十分だろう。
秋也はズボンのベルトのあいだ、ベレッタが突っ込んであるところを軽く抑えた。
さすがに拳銃を挟むと腹のあたりがきつかったので、ベルトの穴の数をひとつ増やした――まさか拳銃を抜いたときにズボンが落ちるなどという情けないことにはならないとは思うが。
「黒澤は、とりあえず旗山を牽制しろ。あいつが俺に向かって撃ってくれば、場所が特定できる。そこに向かって撃ちまくれ」
秋也がせわしなく周囲を確認しながら言った。
これ以上、井戸端会議で快に時間を与えることは危険だった。
快が場所を移動して、こちらに先制攻撃をかけてくる恐れがあったので。
そう、3年前の桐山のように――。
だが必要最低限のことは言っておかなければならなかった。
秋也は、続けた。
「ただし威嚇だ。郁美サンに当たる可能性がある。俺が杉山のところに逃げ込んだら、おまえもこっちの防御に徹しろ。いいな?」
「ああ。わかってる」
落ち着いた、低い声で健司が言った。
「秋也くん――」
背後から、典子の声がした
「ん?」と言って、秋也は振り返った。
目の前に、典子の綺麗な、しかし真剣な瞳があった。
典子の唇が小さく動いた。
「気をつけて」
それで、秋也は、微かに笑んだ。
「オーケイ」
秋也は、由香里に視線を移した。
微かに濡れた瞳が、心配そうに揺れていた。
秋也は言った、優しい声で。
「だいじょうぶだ。きっと助けるから。全員をここから逃がしてやるから。中山さんのこと、よろしく頼む」
「うん・・・・・・」
由香里は小さく二度、顎を引いた。
「わかった」
秋也は微笑み返し――しかしすぐに表情を引き締めた。
健司はもうすっかり準備はできているといった感じで、キャリコのトリガーに指をかけていた。
秋也は目で健司に合図をした。
健司が頷いた。
「――いくぞ。3・・・・・・2・・・・・・1・・・・・・」
ゼロ、と同時に、秋也は足に思い切り力を込めて走り出した。
100メートルを11秒フラットで走り抜けることができる自慢の脚力だ(もっとも、負傷している状態では相当タイムは落ちるだろうが)。
救急車の陰から飛び出した瞬間に、ぱららららららっというイングラムの撃発音が轟いた。
秋也の走る踵の5センチほど後ろを、一列に弾丸の束がめり込んだ。
角度からすると、かなり場所を移動しているものの、救急車の陰に撃ち込めるほど大きく動いてはいないようだった。
秋也は後ろを振り向かずに、ひたすら走った。
左手に持ったショットガンと右肩に吊ったウージーのせいでバランスがとりづらかった。
背後で、イングラムの撃発音とはまた別の、機関銃のような連射音が響き渡った。
キャリコの撃発音に違いなかった。
秋也はそれで、快は撃つのをやめるだろうと思ったが、予想に反してイングラムの撃発音は止まらなかった。
まるで健司が自分に向かって撃っていることなど知ったことではない、というふうに。
もっとも、健司の射撃が威嚇であることがわかっているからこそなのかもしれないけれど。
だが、もちろん、撃ち続ければ弾丸は切れる。
秋也の思ったとおり、しばらくしてタイプライターのような軽い連射音がぴたっと止まった。
弾切れに違いなかった。
秋也は走りながら腰だけをうしろに捻り、左手でショットガンを快がいると思われる方向に一発撃った。
どぉん、という図太い音がし、強い反動が腕にかかった。
それによって銃口が跳ね上がり、ぐらりと身体のバランスが崩れた。
ベレッタなどと違って片腕だけで撃てる代物ではなかった、とてもではないが。
すると、ぱらららっという連射音がし、今度はつんのめりそうになった秋也の目の前、濡れたアスファルトの地面が一列に抉れた。
頭の隅っこで、秋也は小さく舌打ちをした。
ちくしょう、まだマガジンに弾丸を残していたのか――!
弾切れだと思わせて相手(この場合は自分だ)を油断させるのは、戦闘の常套手段だった。
秋也は慌ててバランスを建て直し――秋也の耳に「こっちだ、はやくしろ!」という声が聞こえた。
それが誰の声なのか一瞬で判断することはできなかったが、なりふりかまっていられる状態ではなかった。
秋也が声のした方に視線を移すと、病院の壁が少し窪んだスペース――タンクだかボンベだかが収められているところだ――が目に入った。
まるきりヘッドスライディングの要領で、秋也はそこに滑り込んだ。
イングラムの火線がそれを追い、病院の純白の外壁をいくぶん削り取っていった。
ぱらぱらとコンクリートの破片が落ちた。
「はあっ、はあっ・・・・・・」
ひとまず安全なところに隠れることができたと思い、秋也はほっと息をついた。
それから、ゆっくりと目をあけた。
見覚えのある顔が見えた。
杉山貴志だった。
「あれはちょっと無茶だろ。弾、当ってないか?」
貴志が、ぜえぜえと情けなく肩で息をしている秋也に聞いた。
何か言おうと口を開いた秋也だったが、心拍がめちゃくちゃに乱れているうえに咄嗟に言葉が思いつかず、ただ頷くことしかできなかった。
ほうっと秋也は大きく息を吐き出した。
それで、呼吸が幾分、落ち着いたようだった。
壁に寄りかかるようにしてゆっくりと立ち上がり――目の前のボンベに書かれている文字が視界に飛び込んできた。
ぎょっとした。
そこには、はっきりと『医療用圧縮水素』という文字が、特殊なインクでボンベの側面にプリントされていた。
勘弁してくれ、と秋也は心の中で神(もうそんなものは全然あてにしていなかったのだけれど)を罵った。
水素はそれ自体が揮発性を持っており、早い話が爆発物である、誰もが知っているように。
秋也は、いつかどこかで、水を電気分解する方法で酸素と水素を生成するという理科の実験を思い出していた。
だが――それは一体、いつの話だろうか。
人間が石の槍と斧を持ってナウマン象を追いかけていた時代か? はは、もう忘れたぜ、そんな太古の昔のことは。
とにかくも、笑っている場合ではなかった。
秋也は、せわしく視線を周囲に泳がせた。
どうやらこのスペースは、あらかじめ医療用のボンベなどを設置するために作られているようだった。
家庭用のPLガス程度の大きさの水素ボンベが6本、金属のチェーンと大きな南京錠でしっかりと固定されていた。
そのとき、またイングラムの連射音が轟いたかと思うと、カカカカカカンという音がして目の前で小さな火花が飛び散った。
イングラムから放たれた9ミリパラベラム弾が、ガスボンベに弾き返されたのだった。
秋也は、身体中に冷たい汗をかきながら、ほうっと大きく息を吐いた。
9ミリパラベラム弾の威力では、分厚いボンベの鉄板を貫通することは難しいようだった。
だが、いくらある程度の衝撃に耐え得るようにボンベが設計されてあったとしても、サブマシンガンを撃ち込まれたときの衝撃力などは計算に入っているはずもない、もちろんのことながら。
いつ撃ち抜かれても、まったくおかしくない状況だった。
秋也の表情を見たのか、顔をしかめて貴志が言った。
「飛び込んできたのはいいが、ちょっとここはいい場所じゃないぜ、隠れるには」
「ああ・・・・・・わかってる」
秋也は軽く嘆息して、返事をした。
ちょっとどころじゃないってこともな、と心の中で付け足した。
そのときだった。
ぼん、というシャンパンのコルクを抜いたときよりも幾分低い音がし、それに続いてしゅぱあっと空気が唸る音が聞こえた。
その直後、耳をつんざくような爆音が轟いた。
秋也は一瞬、鼓膜がぶっ飛んだかと思った。
それに続いて熱風の渦が巻き起こり、まるで熱湯を前身にかぶってしまったかと思うくらいに皮膚がチリチリと痛んだ。
しかしその熱風もほんのわずかな時間だけで、それが収まったあとに聞こえるのはまたもとの雨音だけとなった。
雨が降っているにも関わらず、周囲にはもうもうと砂埃だか着弾煙だかわからない煙が渦を巻いていた。
むっとする熱気があたりを包み込んでいた。
咳き込みながら目を開けてみると、秋也たちが隠れていた壁、窪んでいるスペースの角ところが、なにかに抉られたように粉々に吹き飛んでいた。
そして抉れた壁の隙間、その向こうには――左手にイングラムではない、なにか筒のようなものをこちらに向けて立っている、旗山快の姿が見えた。
Hk-pグレネード・ランチャーだった。
秋也は、なんだか笑い出したい気持ちに駆られていた。
おいおい――冗談じゃない、なんであんなものが支給武器の中に入ってるんだ。反則だろ、そりゃいくらなんでも?
おにいちゃん、ちゃんと説明、聞いてなかったんですか? ルール無用の殺人ゲームなんですよ、これは。反則なんて、あるわけないでしょう。
それで、秋也は、思い出した。
このクソゲームが始まる前、あのうざったい髪型をした坂待の言葉だった。
『今回の支給武器にはぁ、すごいのも入ってるからな〜。みんな気をつけろよ〜』
秋也は坂待のあの薄笑いを思い浮かべ――慌てて首を振った、精神衛生上あまりにも好ましくなかったので。
それで、とにかく、脳裏に浮かびかけていた坂待の表情が、水に溶けたワタアメみたいに散っていった。
オーケイ、わかった。了解した。“アレ”が、それなんだな、早い話?
秋也は思った。
そういうことだった。
グレネード・ランチャーは、その名の通り、グレネード(榴弾)を撃ち出す装置である。
一般的には無反動砲とも呼ばれ――ふつう拳銃やその他の重火器は撃発時にその威力に比例する反動を受けるものなのだが、この無反動砲は弾丸の役目をする榴弾自身が推進力を有しているので、使用する者にはまったくと言っていいほど反動がないのが特徴だった。
そういうわけで、比較的力のない女子でも扱いやすいのだが、射程距離が400メートルと短いうえに、『砲』というだけあって口径が大きく、慣れた者でなければ取りまわすのは困難な代物なのだ。
しかし、もちろん、銃弾のような高速で目標を貫通するのではなく、爆発を起こすことによって広範囲に被害が広がる無反動砲は、ある意味非常に強力な武器と言えた。
事実、コンクリートで作られた壁の一部がきれいさっぱり吹き飛んでいたので。
そして、それはつまり――快からは、いままでほとんどが隠れていた、水素の入ったボンベが丸見えになっているということだった。
コンクリートでさえ抉れるグレネードのこと、ボンベに命中すれば外側の鉄板を引き裂くくらいどうということはないはずだった。
しかもさらに悪いことには、グレネードは『爆発する』ということだ。
銃弾ならばボンベに穴が空くだけで済むだろうが、そこに炎が加わるとなるとまた別問題である。
水素は一気に燃え上がり、6本の水素ボンベはいっぺんに誘爆してしまうかもしれなかった。
そうなれば、秋也と貴志はもちろん、この病院の建物の一角が消し飛んでしまうだろう。
秋也はどこか心の中、ここまでだ、と呟く声を聞いた気がした。
それが自分の声なのか、それともあの黒服の男(あいつは死神らしい、どうやら)の声なのかは、わからなかった。
ロックの新星(自称)は、ついに大爆発を起こしてスーパーノヴァ(超新星)となったのだった。めでたし、めでたし。
「チェックメイトだ」
涼しい声で、快が言った。
まるで本当のチェス・ゲームを楽しんでいるかのような声だった。
快の人差し指が、グレネード・ランチャーのトリガーを押し込もうとし――すぐにやめた。
イングラムとはまた別の、低い連射音が聞こえたので。
連射速度こそイングラムには一歩劣るものの、連射時の安定性と命中率は数段上を行く高性能サブマシンガン――MP−5K・クルツだった。
健司だ。
秋也は思った。
クルツに続き、また別の銃声が響いた。
ぱん、ぱん、ぱん、と単発の銃声。
3年前、桐山和雄を殺した、あの音だ。
典子のチーフスペシャルに違いなかった。
「逃げてッ、秋也くん!」
典子の声が聞こえた。
快が、郁美をばっと草むらに突き飛ばし、自分はすっと腰を落として姿勢を下げた。
クルツとチーフスペシャルから射出された銃弾の束が、快の頭上で交錯した。
右手に持ったイングラムを健司たちの方に向けて乱射しつつ(救急車のルームミラーが吹っ飛んだ)、快はすかさずグレネード・ランチャーのトリガーを引き絞っていた。
しかし、ぼん、という音がして榴弾が撃ち出されたときにはもう、秋也はボンベの影から飛び出していた。
それとほぼ同時に、既にシェルを装填済みのショットガンを立て続けに撃ち込んだ。
火炎放射器のような炎が伸び、散弾の群れが快の左手からグレネード・ランチャーを吹き飛ばした。
弾き飛ばされたグレネード・ランチャーから、細かな金属の部品が飛び散ったのがわかった。
「急げッ! 杉山!」
秋也が叫んだ。
しかし貴志は、秋也を穏やかな瞳で見返しただけで、その場を動こうとはしなかった。
秋也の視線が貴志の視線と重なった。
貴志は小さく微笑んだようだった。
それから――ゆっくりと腕を上げた、まるでバレエかなにかのダンスのように。
貴志の手には、しっかりとスミス・アンド・ウェスンが握られていた。
その銃口はまっすぐ快に向けられていた。
秋也には、すべてがわかった。いや、わかったような気がしただけだったのかも、知れない。
だがとにかく――これだけは確かだった。
貴志は、死ぬ気だということ。
自分の命と引き換えに、快を屠ろうとしていること。
それが、稲山奈津子に対しての負い目からなのか、それとも秋也たちを助けようとしての行動なのかは、わからなかった。
シュルシュルという榴弾の音が迫ってきていた。
秋也は、叫んだ。
「止めろっ! いいから逃げてくれ、杉山ッ!」
その声は、しかし貴志には届かなかった。
貴志の指が微かに動き、スミス・アンド・ウェスンの引き金を引き絞っていたので。
ばん、という乾いた音が響き、その銃口から火炎が上がった。
そのときだった。
秋也は見た、快が撃った一発のグレネード弾が、固定されているボンベの一本に一直線に向かって行くのを。
弾頭がそのボンベに命中し――次の瞬間、それは、炸裂した。
§
馬鹿なことをしているな・・・・・・。
秋也の動揺した瞳を見返しながら、貴志はそう思った。
正気の人間がやることではなかった、とてもではないが。
自分でも、どうしてこんなことをしているのか、よくわかっていなかった。
ただ――ただひとつだけ言えること。
それは、自分がこんなことをしている原因は、奈津子への想いに他ならないということだった。
快の口から奈津子の死を知らされたとき、貴志は自分の半身が永遠に失われたような感覚に陥った。
いや、実際そのとおりだったのかもしれない。
いままでの貴志は、ほとんど奈津子と共にあったと言っても過言ではなかった。
以前、噂になったホラー映画を見に行った帰り道、恐怖のあまり半泣きになっていたあの表情が。
夏休み、二人で一緒にアイスクリームを食べているときの、あの眩しい笑顔が。
植えられている木々が仄かに色づき始めたあの公園のベンチで、貴志のためにマフラーを編んでいるあの真剣な表情が。
深々と雪が降るクリスマス・イブ。貴志が贈った小さな(それでもそれなりに高価な)十字架のペンダントを受け取ったときの少し驚いた表情が。
そして、どこだかわからない商店街にある薬局の薄暗い部屋の中で、貴志を見つけたときのあの安堵に満ちた瞳が。
それらがすべて、しかも貴志の知らない場所、知らないうちに、永久に失われてしまったのだ。
貴志に残されたのは、膨大な量の奈津子と作った色あせない思い出と、途方もない喪失感、虚無感、そして自分に対する怒りの感情だけだった。
どうしてあのとき、奈津子と離れてしまったのだろうか。
どうしてあのとき、奈津子を行かせてしまったのだろうか。
どうしてあのとき、奈津子を守ってやれなかったのだろうか。
どうして――・・・・・・。
おそらくそれらの感情が複雑に絡み合って、いまの自分の行動があるのだろう、と貴志は考えた。
べつに奈津子の死に殉じるつもりはまったくなかった。
秋也たちが生き残る確率をわずかでも上げてやりたいと思ったわけでもなかった。
自分が死を選んだのは――そう、ただ、自分のわがままに過ぎないのだから。
そう考えると、なんだか身体の力が抜けて、リラックスした気分になった。
肩の荷が降りた――そんな言葉はこういうことなのかもしれない。
目の前に、秋也がいた。
だから、貴志は、小さく笑んだ。
それはおそらくいままで奈津子に向けていたそれと同じものか、またはほとんどそれに近い要素を持った笑顔だった――と思う。
それから、視線を移した。
快の姿が見えた。
そして、視界の隅、高速で近づいてくる榴弾も。
怖くはなかった。
ただ、貴志は落ち着いた気持のまま、ゆっくりと右手を水平に上げた。
右手の中には、この“プログラム”開始当初に支給された拳銃――スミス・アンド・ウェスンがあった。
銃口の上部についている簡単なサイトの中心が、快の身体に合わさった。
それなりに距離はあったが、この落ち着いた状態で撃てば、当たると思った。
「止めろっ! いいから逃げて――」
秋也の声が聞こえた気がした。
どうでもよかった。
どのみち、いま逃げ出しても、間に合わない。
だから貴志は、引き金を引いた。
冷たい金属の感触が人差し指に伝わり、それに微かに力を込めただけだった。
かちん、と撃鉄が放たれ、装填されている弾丸の底部を強く叩いた。
ばん、と乾いた音がしたかと思うと、右腕に衝撃がきた。
銃を握った腕ごと上に跳ねあがった。
傷を負った肩にずきっと痛みが走った。
貴志の右手から放たれた弾丸は、自分に近づいてくる榴弾の数倍の速度で飛んで行き、まっすぐに快の左胸に突き刺さっていた。
快が上体を仰け反らせ、仰向けに地面に崩れ落ちるのが見えた。
それだけだった。
たったこれだけで人が死ぬのか――?
貴志は一瞬、そんな気持にとらわれた。
ひとの生命とは、こんなに簡単に失われてしまうものだったのか。
ほんとうに人間は、こんなにも強くて、弱くて、丈夫で、脆くて、そして儚いものだったのか。
奈津子もこんなふうにして、簡単に、死んでしまったのだろうか。
思った。
もしまた再びこの星に生まれてくるようなことがあったとしたら、――ああ、なんて非科学的なことを考えているんだ、俺は。馬鹿らしい。
それでも、思った。
そのときは必ず守ってみせる。
だから――。
だから待っていてくれ――。
奈津子・・・・・・。
貴志は目を閉じた。
目の前に光が見えた。
そしてその光は徐々に輝きを増し、そして貴志の身体を包み込んだ。
暖かくも冷たくもなかった。
ただ、それだけだった。
そして貴志は、なにも感じられなくなった――。
§
まるでビデオをスローモーションで見ているように、秋也にはいま起こっている光景が非常にゆっくりと進んでいるように見えた。
そう、まるで、子供の頃に見た交通事故のように、あるいは3年前、目の前で南佳織が清水比呂野に頭部を撃ち抜かれる瞬間のように。
ボンベが赤い炎に包まれたのは、ほんのわずかな時間だった。
その赤い炎は、すぐに真っ白な球形に変化して、残りの5本のボンベを飲み込んだ。
そして見る見るその白い球形が膨張し――ぼうっと突っ立っていた貴志の身体を飲み込んだ。
それにわずかに遅れて、耳をつんざくような轟音が轟いた。
秋也の身体は、先程の熱風とは比べものにならない威力の爆風に煽られ、一気に宙に吹き上げられた。
一緒に巻き上げられた病院の壁の一部やコンクリートの破片が、秋也の腕にぶつかった。
痛みは感じなかった――感じたのかもしれないが、そんなことにかまっていられる状態ではなかった、とてもではないが。
空中に浮いているという物理的にあり得るはずのない現象と、脳細胞をバラバラにしてしまうような大音響が、秋也の思考力を奪い去っていた。
航空ショーの戦闘機のアクロバットなどとは比較にならないくらいに身体が上下左右に弄ばれ、秋也はいま自分が上を向いているのか、それとも下に向かって落ちているのか、まったくわからなくなっていた。
どのくらい宙を漂ったのだろうか――時間的にはたいしたことはないのかもしれない、ほんの1秒とか、コンマ数秒とか、それくらいなのかも、知れない。わからない。
しかし秋也には、自分が相当長い時間、空に舞い上がっていたような気がした。
目を開いたときには、地面はもう、目の前だった。
秋也は、豆腐のようになった脳細胞をフル稼働させ、同時に運動神経をいっぱいに使って、頭と上体を思い切りひねり身体を回転させていた。
今度は仰向けになって、空が見えた。
仄かな光を帯びた雲の間から純白の月が見えていた。
次の瞬間、秋也はコンクリートで舗装された駐車場の地面に背中から叩きつけられていた。
「ぐッ・・・・・・!」
強烈な衝撃に、呼吸が一瞬、停止した。
喉の奥から酸味を帯びた熱い液体が競り上がってきた。
秋也は上を向いたまま、それを吐き出した。
胃液なのか何なのかはわからないが、赤い血液が混じっていた。
地面に叩きつけられたはずなのに、身体がまだ宙を漂っている気分だった。
秋也は必死になって、深遠に落ち込みそうになる自分の意識を呼び戻そうとしていた。
眠かった――いままでに経験したことのないくらいに眠かった。
秋也は思った。
俺は――死ぬのか?
俺は、このまま死ぬのか?
俺は、こんなところで死んでいいのか?
もし俺が死んだら、典子は――俺を助けようと必死になってくれた典子の頑張りは、どうなってしまうんだ?
杉山は?
黒澤や、飯田や、南サンや――それに、中山サンは、誰が助けるんだ?
誰か、あいつらの命を守るんだ?
俺は――俺は死なない、死ぬわけにはいかない、死んでたまるか!
「くっ・・・・・・」
全身に走る痛みに耐えて、秋也はなんとか身体を起こした。
身体を動かすたびに、関節がみしみしと音を立てているような気がした。
アバラかどこかの骨が、2,3本折れているのかもしれなかった。
ちょっとあたりを見渡すと、周囲にはまだ熱気と爆発の煙が立ち昇っており、視界がまったくきかない状態だった。
しかし、それは秋也にとっては好都合だった、快に自分の居場所を知られる確率が低くなるので(快が生きていればだが)。
だが、煙はすぐに晴れるだろうし、そうなればまたもとの木阿弥だ。
秋也は立ち上がり(背中にめちゃくちゃな痛みが跳ねた。やはり骨が折れているのかもしれない)――自分がショットガンを持っていないことに気付いた。
おそらく吹き飛ばされた際に、手から離れてしまったのだろう。
ベルトの穴を増やしたのが災いしたのか、ズボンの間に突っ込んであったはずのベレッタもなくなっていた。
慌ててあたりを見回すと、秋也のいる位置から5メートルばかり離れたところにコンクリートの欠片があり、その上に銀色に光る物体が落ちていた。
ベレッタだった。
足を引きずりながら、それに近づいて行って拾い上げた。
どこを探してもショットガンは見当たらなかった。
瓦礫の下敷きになってしまったのかもしれない。
秋也は、ちっと舌打ちをした。
それは仕方のないことだった。
確かにショットガンを失うのは痛手だが、命を失わなかっただけありがたいと思わなければならない、この場合。
さいわい、制服のポケットの中のデリンジャーとストラップで吊っていたウージーは、まだあるようだった。
ふらふらと煙の中を歩き出してすぐに、秋也はなにかに脚をとられた。
脚をもつらせて、情けなく転んだ。
見ると、U字形をした金属が足に引っかかっていた。
どうやらこれにつまづいたらしかった。
奇妙にひしゃげた金属は、どうやら片方半分らしく、もうひとつあれば完全なリングになりそうな感じだった。
秋也は憎々しげにそれを睨んだが――すぐに目を見開いた。
どくん、と動悸が激しくなるのがわかった。
それはもう、随分と原型とは違う形になってしまったけれど、秋也はその正体を知っていたので。
そう、これは、いま秋也の首に巻きついているクソやくたいもないものと、まったく同じものだったので。
「首輪――なのか、これは?」
秋也は呟いた。
それは間違いなく、首輪だった。
外装が真っ黒に焼けていて、塗装の一部がちぎれ飛んでおり、中には溶けかけた配線と小さなレンズ、集音マイク、スピーカー、そしてチップの上に赤い色のラバーがかかった小さな物体――おそらくそれが小型の爆弾なのだろう――が見えていた。
それで、秋也は、戦慄した。
これをつけていた人物は、果たしてどこに消えてしまったのか――?
はっとした。
「杉山ッ! どこだッ! どこにいる!?」
秋也は叫んだ。
立ち上がった。
周囲の煙は、徐々にではあるが薄れてきていた。
「杉山ッ! どこだ、返事をしろッ!」
なおも叫んでみたが、返事はどこからも返ってこなかった。
この首輪――ミッドウェー23号は、秋也たちが参加した3年前のプログラムに使用されたガダルカナル22号と同様、無理に外そうとすれば爆発する仕組みになっていた。
だが、この首輪は、かなりひしゃげてはいるけれども、爆弾が爆発した形跡はなかった。
爆弾が無効化されるのは、これをつけていた人物が死亡して心臓のパルス信号が感知されなくなったときだけであるはずだった。
即ち、それはつまり――杉山貴志は、この首輪をつけた状態のまま、“消滅”してしまったということに、なるのだろうか。
しかし、いくら高温に晒されたとは言っても人間が消えてしまうなどということがあるだろうか?
わからなかった。
そんなことは、秋也には考えられなかった。
考えたくなかっただけなのかも、知れない。わからない。
ほんの少し前――自分が空に舞い上がり、そして着地するまでのわずかな時間――まで、貴志の身体が、手が、口が、顔があったはずなのに、それがいまではこの地球上のどこを探してもない、などという現実的ではない現実が、秋也の思考を遮っていた。
・・・・・・まだ生きている。
秋也は思った。
死ぬわけがない、このゲームが始まってからずっと助け合って生きてきた仲間なのだから。
しかし、なにかの拍子に首輪が外れるなどとうことは、あり得るはずもなかった。
貴志の首輪は(他に誰のものだというのだろう)、内部構造を知るうえでは貴重なサンプルになることは確実だった。
けれど――それがなんになるって言うんだ、この際?
あと1時間(実際にはあと50分くらい)のうちにこれを解析して、安全確実に外せる方法を見つけ出せとでも言うのか? はは、冗談じゃないぜ。
「・・・・・・くそッ!」
秋也は左手を堅く握り締め、崩れかけた病院の壁に思い切り拳を叩きつけた。
その壁は呆気ないほど無抵抗に陥没し、ばらばらと崩れ落ちた。
中に埋め込まれた補強材の鉄筋だけが剥き出しになっていた。
そのとき、さあっと湿気を帯びた風が秋也の頬を撫でていった。
立ち昇っていた煙が、その風に乗って東の方へと流れていった。
靄に包まれていた病院の建物が姿を現した。
真っ白だったはずの壁は、大きく裂けて崩れ落ちている部分を中心に、真っ黒に焼け焦げていた。
ボンベが収まっていたスペースの周辺はもう跡形もなく、瓦礫すらもどこかへ吹き飛ばしてしまったのか、なにもなかった。
5階建ての病院の4階までの外壁が消え失せており、3階の病室に置いてあったのだろう金属製のベッドがいまにも落ちてきそうに、頼りなく揺れていた。
秋也はゆっくりと、身体の向きを変えた。
身体を動かすたびに関節がギシギシと音をたてるように痛んだが、それは我慢した。
「秋也くんッ!」
典子の声が、した。
秋也が振り返ると、チーフスペシャルを持った典子と、クルツを肩にかけた健司が、秋也の方に駆け寄ってきた。
「とんでもない跳躍力だな。10メートルは飛んだんじゃないか?」
健司が軽い冗談を言ったが、その瞳は笑っていなかった。
典子がしきりに怪我の具合を心配しているようだったが、秋也は「だいじょうぶだ」と小さく呟いた。
本当は全然だいじょうぶではないのだけれど、そんなことを言っても仕方がなかったので。
秋也はゆっくりと、視線を動かした。
健司も、典子も、秋也の視線の先に目をやった。
爆発の煙が徐々に退いていったその向こう、雨の雫で濡れた駐車場の横の草むらに、旗山快が仰向けで倒れているのがわかった。
白いワイシャツが(ところどころ赤く染まっていたのだけれど)、雲越しに見え隠れする微かな月光に照らされて、不気味に浮かび上がっていた。
その少し手前には郁美が、こちらはうつ伏せになって倒れていた。
「彼は、死んだ――のかしら?」
典子が訊いた。
声が微かに震えていた。
「杉山はあいつの胸を撃ち抜いた。たぶん生きてはいないと思う」
秋也は答えた。
杉山の、文字通り最後の一矢だった。
「あいつは・・・・・・なんだったんだろうな」
秋也は呟いていた。
「それは旗山のことか? それとも杉山のことか?」
健司が訊き返した。
秋也にはどちらなのか、すぐには答えられなかった。
おそらくその両方だろう。
だが、秋也は健司の質問に答えることはせずに、小さく首を振っただけにとどまった。
言った。
「黒澤は郁美サンを見てやってくれ。俺は旗山が死んだかどうか確認してくる」
「死体検分か? あまりいい趣味じゃないな」
健司はそう言い残して、倒れている郁美の方に早足で歩いていった。
秋也はその健司の背中を目で追いながら、呟いた。
「これでよかったのかな、本当に・・・・・・」
「それはわからないけど」典子が答えた。
「でも、それを考えるのはまだ早過ぎるんじゃないかしら?」
秋也はそれで、ふうっと小さく息を吐いた。
言った。
「それもそうだ」
まだやらなければならないことは、山ほどあるのだから――。
§
「はぁ〜・・・・・・」
書類の束が散乱している机上のマイクのスイッチを切り、坂待は大きくため息をついた。
マイクスタンドの横には、電話線がひきちぎられている古い黒電話が無造作に置いてあった。
それは中央政府と連絡をとる唯一の手段であったが、そんなものはもう少しも必要なものではなかった、坂待にとっては。
政府は坂待を見捨てたのである。
いや、もとからたいして必要とはしていなかったのかも知れない。
もうどうでもいい、そんなことは。
灰皿の中で小山を作っているタバコの吸殻のうち、比較的長い一本を抜き取ると、坂待はそれを口に咥えて、背広のポケットからジッポーを取り出した。
石田の銃弾から坂待を守った、あのジッポーである。
奇妙にへこんだ側面のゆがみを気にしたふうもなく、坂待は蓋を開けると、親指でストライカーをしゅっと回転させた。
それが火打ち石と擦れあい、線香花火のような美しい火花を飛び散らせた。
しゅっ、しゅっと、何度が火花を飛び散らせると、もう残りわずかになった芯に炎がともった。
坂待はその炎でタバコに火をつけ、大きく一息で吸い込んだ。
タバコの先端が赤く染まり、じりじりとフィルターの部分まで近寄ってきた。
ジッポーの蓋をカチンと閉めてから、人差し指と親指でタバコをはさみ、口から離した。
「ふぅ〜っ・・・・・・」
大きく息をつくと、鼻腔から青白い煙がぱあっとあたりに広がったかと思うと、渦をかきながら天井まで上っていき、消えていった。
気がつくと、いつのまにかデスクの上に置いてあるDEC社製のノートブック型パソコンの画面が、スクリーンセーバーに切り替わっていた。
青空のような真っ青な背景に、日の出をイメージさせるクリムズンレッドとアイボリーホワイトのストライプ――大東亜共和国の国旗が、画面の中で翻っていた。
坂待がちょこんとマウスに触ると、画面はすぐにもとの素っ気ないデスクトップに変わった。
画面上にはメーラーが起動していて、先ほど読んだ新着メールが、まだ表示されていた。
それは、中央政府から坂待へ送られてきたプログラム担当官解任通知だった。
坂待自身、それはある程度予想していたものだったし、正直なところ、これで肩の荷が下りたと思ったのも、嘘ではなかった。
だが、坂待に追い討ちをかけたのは、解任通知の直後に届いた、軍部からの現地攻撃通告書だった。
いまから1時間後に、共和国政府に悪影響を与えかねない今回の戦闘実験の全証拠を抹消する云々というような内容だったと思う、すぐに削除してしまったのでわからないが。
それだけならば、まだどうということはない、坂待がこの会場の外に逃げればいいだけなのだから。
しかし、坂待はそうすることができなかった。
解任通知の最後の一行に、このようなことが書いてあったからだ。
『なお、本戦闘実験の処理が終了するまでは、貴殿前任担当官は現地残留のこと』
それはつまり――ミサイルが撃ち込まれるその瞬間まで、この会場内に留まっていろと言っているのだ、政府は。
その2通のメールが、坂待の首に目に見えない首輪を巻きつけた。
政府の命令は絶対だった。
そういうふうに、坂持教官に何度も何度も言われていたのだ、昔から。
たとえそれが、自分が命を落とす危険性のある命令であるとしても。
まあ、今回の場合は、危険性があるどころか、死ねと言われているようなものなのだけれど。
それで、とにかく、坂待はフィルターまで焦げ始めたタバコを灰皿の中に突っ込んで、ノートブック型パソコンのディスプレイをパタンと閉じた。
ピッという電子音がして、パソコンが待機状態になったことを告げた。
それから坂待はゆっくりと立ち上がると、それまでついていたデスクのライトスタンドのスイッチを切った。
進路指導室の電気はもともとついていなかったので、それで、室内が真っ暗になった。
坂待はその暗闇を、なにかにつまづくでもなく、すたすたと出入り口まで歩いて行って、部屋のドアを開けた。
入り口のところで血まみれになって倒れている兵士の死体を軽くまたぎ、蛍光灯が割れて(典子がクルツを乱射したときに割れたのだろう)真っ暗になった廊下を、まっすぐ昇降口に向かって歩いていった。
途中、何人か穴だらけで死んでいる兵士がいたが、どうでもよかった。
どうせあと1時間もすれば、こんな死体など跡形もなく消し飛ぶはずなので。
ぎしぎしと音を立ててしばらく廊下を歩いていた坂待は、ある場所に来たところで歩みを止めた。
下駄箱だった。
ところどころ腐っているが、すべて木作りの下駄箱が規則正しく並んでおり、その間にはくたびれたような色のすのこが置いてあった。
少しかび臭いけれど――それは、とても、懐かしい匂いだった。
坂待は、ゆっくりと下駄箱に近づいていった。
下駄箱の側面の板には、聞いたこともない男子生徒と女子生徒の名前が書いてあり、そのあいだに彫刻刀かカッターナイフで傘のマークが掘り込まれていた――むかし流行った相合傘というやつだろう。
ずいぶんと古いものらしく、もうそれはすっかり下駄箱の色と同化してしまって、むしろその落書きがないと違和感すら覚えてしまいそうなくらいに、その場所に馴染んでいた。
その落書きを軽く触って、坂待は靴のまますのこの上に降りた(学校内では靴を履いたままだった)。
誰のものかわからない――もちろんこの学校の生徒のものなのだろうが――ぼろぼろの運動靴が、下駄箱の中にひとつ残されていた。
坂待は、それを横目で見ながら、校舎の外に出た。
ふと視線を落とすと、昇降口を出たすぐのところに大きな赤い水たまりができており、その真ん中に白いセーラー服を真っ赤に染めた女生徒が倒れていた。
松本真奈美(女子十九番)だった。
真奈美の身体にはいくつかの穴が空いていたが、もう血はすっかり固まってしまっていて、流れ出してはいなかった。
坂待は真奈美の死体のすぐ横まで行くと、すっとしゃがみこんだ。
顔をくしゃっとしわくちゃにして、笑っているような、困っているような、そんな表情を作った。
言った。
「こんなとこで死んじゃったのかぁ、松本? まだ学校も出てないじゃないかぁ、ん〜?」
坂待はそう言いながら、真奈美の雨に濡れた長い髪の毛をゆっくりとなでた。
その髪の毛は、もう真奈美が修学旅行へ行く前日に丁寧にブラッシングを施したさらさらとしたそれではなく、ごわごわとしたブラシの毛のようになっていたのだけれど。
真奈美が倒れているそのすぐ横に、小さな水色のラップの包みがひとつ落ちていた。
包みの口は金色の紐で縛られていたが、落ちた拍子にほどけてしまったのか、ラップの中身がわずかに外にこぼれ落ちていた。
雨に濡れてぐちゃぐちゃにふやけてしまっていたのだけれど、どうやらそれはクッキーらしかった。
修学旅行のおやつにと思って買ってきた市販品なのか、それとも誰か――このクラスの誰か、真奈美が密かに想いを寄せていた男子生徒にあげるつもりで、前日に一生懸命に作ったものなのかは、坂待には見当もつかなかった。
ただ、一瞬――ほんのコンマ数秒だけ、翌日の修学旅行を楽しみにして、鼻歌を歌いながらキッチンでクッキーを作る真奈美の姿を思い浮かべて、坂待はどうしようもない罪悪感を覚えた。
なんでもない日常が、こんな凄惨な非日常になってしまうなど、誰が想像できただろうか?
そしてその非日常を作り出したのが、他でもない、大東亜共和国政府であり、坂待自身であった。
真奈美が、楽しいはずの修学旅行が“プログラム”になってしまうなどということを考えていなかったのと同様、坂待本人も、この“プログラム”がこんな結末になってしまうとは思ってもいなかった。
いままでやってきた中学校の教師や、文部省での一官職としてのデスクワークと同様、ただふつうに仕事をこなし、ふつうに政府からの命令どおりに管理をして、ふつうに終了するものだと、思い込んでいたのだ、つい前日までは。
それが、まさか、こんなことになってしまうとは。
坂待は真奈美の死体を見下ろしながら、小さく笑んだ。
「人生はゲームです・・・・・・」
坂待は呟いた。
いつか――いつだったかは覚えていないのだけれど――担任の坂持金発が言っていた台詞だった。
そう、人生は、ゲームなのだ。
自分の『命』を賭けて他人と戦う――それが人生のはずだった。
少なくとも坂待は、そう思っていた。
しかし――いまの状況を見ると、その法則が一概には当てはまらないように思えた。
典子は、秋也を助け出すためだけに、自分の命を危険にさらしていた。
秋也は、典子や、仲間と呼べるクラスメイトを助け出そうと、危険を承知で様々な行動をとっていた。
そして秋也のまわりに集まった仲間たちは、自分たちでも何とかしようと、お互いに助け合い、信じ合って、いまだに生き残っているではないか。
「はぁ〜・・・・・・」
坂待は、また大きくため息をついた。
「最近の子供はわからないなあ・・・・・・」
半ば無意識に口に出した独り言のように、ぼそりとそれだけ言うと、くたびれた背広を肩にかけて歩き出した。
石造りの素っ気ない校門の前で、坂待は足を止め、一度だけ校舎の方を振り返った。
誰もいない、シンとした中学校は、暗闇に薄ぼんやりとそびえ立っており、かつて元気よく生徒たちが走りまわっていたであろう校庭は、雨のためにところどころ大きな水たまりができていた。
運動会かなにかに使うのだろうか、赤い色の三角形のコーンが、ぽつんと誰もいない校庭に残されていた。
坂待はしかし、すぐに顔を前に向けると、ゆっくりと校門を出て行った。
雨の中、生徒が誰もいない学校の校舎から教師がゆっくりと歩き去っていく。
そして、この古びた校舎に、再び教師の怒鳴り声や生徒たちの笑い声が満ちることは、もうこれらから先、一度としてなかったのである――。
【戦闘実験第68番プログラム2000年度第12号中止/東京都立第壱中学校3年B組プログラム中央政府臨時実施本部情報管制センターより/終了まで残り約50分】