BATTLE ROYALE 2
〜
The Final Game 〜
[ 第十一部 / Finish ] Now 7 students remaining...
< 54 > フィニッシュ(1)
カッ、と強烈なフラッシュのような閃光があたりを一瞬照らし出し、それにわずかに遅れて雷鳴が轟いた。
先程までしとしとと降っていた小雨は徐々に勢いを増して、またもとの豪雨に戻りつつあった。
風がびょうと大気を振動させ、暗闇の中に亡霊のように立ち尽くしているさまざまな木々が、狂ったように激しいジルバを踊っていた。
電柱のあいだに張り巡らされている、いまはもう何の役にもたっていない電線が、上下左右に激しく弄ばれていた。
荘厳な雰囲気さえ漂わせながら暗闇にそびえ立つ国立総合病院の大きな窓ガラスに、吹きつけられた雨の水滴が滝のように流れ落ちていた。
その白い清潔そうな建物はしかし、一部の側壁が完全に崩壊しており、建造物の内部をスキャニングしたかのように断面が丸見えだった。
どんな人物が使っていたのであろうか、白かったシーツはほとんど引き裂かれていたが、一台のベッドがちょっとした振動でも落下しそうな感じで不安定に揺れていた。
爆発の際に小さな火災が起きてはいたが、ほとんどは突然強く降り出した雨によって自然鎮火の方向に向かいつつあった。
空が荒れ狂っていた。
まるでいままでの静寂が嘘のようだった。
もっとも、その静寂は偶然この会場が台風の中心に入り込んだために作り出された気候状態であって、本来はこの状態が自然なものであったのだけれど。
その雨の中、秋也は静かに佇んでいた。
秋也の足元には、仰向けになって地面に横たわっている旗山快が――正確には快の死体が――あった。
白かったはずのワイシャツは、ほとんど最初から赤かったのではないかと思うぐらい血に染まっていた。
適当に上げられた比較的長めの前髪が、いまでは雨に濡れて快の目の下あたりまでを隠していて、快の死に顔はまるで誰かを待ちくたびれて眠ってしまったかのような、そんな雰囲気さえ漂わせていた。
そして――やはりその首にはアクセサリーとしては不自然な、金属製の首輪が冷たい光を反射していた。
快がどうして最期になって、あんなことを教えてくれたのかは、秋也にはわからなかった。
自分たちを助けるためのヒントを与えてくれたのか、はたまた快が死んだ後になっても任務をまっとうするためについた嘘なのか、それすらも見当がつかなかった。
秋也は快についてなんの知識もなかったし、逆に知っていてもどうすることもできなかっただろう。
どうして快がこの“プログラム”に参加させられたのか(自分を暗殺するためというだけでは説明がつかなかった)、どういうつもりでこの“プログラム”に臨んだのか――それはとても知りたいところであった。
だがしかし、快の生命は永遠に失われ、それとともにその真相も深い謎に包まれて残ったままだった。
つまるところ要約すると、――最後の最後までわけのわからないやつだった、ということだろう、旗山快という男は。
秋也は、うっすらと開かれた光のない快の瞳から、自分の右手に握られている22口径2連発デリンジャーへと視線を移した。
銃口からは蒼白い煙がまだ立ち上っていたが、それもすぐに消えてしまうだろう。
装弾数はたった2発のポケットピストルなので、もう弾倉の中には空の薬莢しか入っていないはずだった。
秋也は膝を折って姿勢を低くし、快の硬直し出した両手を胸の上で組ませ、その命を奪った小さな拳銃を快の手の中に握らせた。
最後まで戦い抜いて死んでいった軍人への、それが秋也なりの手向けだった。
どうして最後に俺は旗山を撃ったのだろう。
不意にそう思った。
その前の時点で快は頚動脈を傷つけられていて、もう先は長くないことはわかっていたのに。
それにもかかわらず、秋也は快を放ってはおかずに、最後に眉間を打ち抜いたのである。
けじめをつけた――と言ってもいいのかもしれない、快との戦いに、そしてこの“プログラム”という存在自体に。
快は政府から秋也を殺すために送り込まれた正規な軍人であり、その快に勝った秋也は、政府に勝ったと言い換えることもできるのだ。
3年前、大阪駅梅田の私鉄ターミナルで心に誓った一言――こっちが勝つまで続けてやる――というのは、とりあえず果たしたような気がしないでもなかった。
もっとも、この“勝つまで”というのがどういう意味なのか、それにもよるかもしれないけれど。
そして秋也自身、最後に快にとどめをさしたのは、けじめというよりもこれ以上快を苦しませたくないという考えがあったのかもしれない、と思っていた。
戦場での優しさというのは、単に相手を助けることだけを指す言葉ではないということなのだろうか。
秋也はそう考えたが、大きく頭を振ってその思考を追い払った。
優しさなどというものはただの偽善に過ぎない、この場合、それに――もう考えるのも億劫だった、実のところ。
旗山快は死んだ、――そしてそれは、秋也たちに敵対する可能性のあるクラスメイト全員がこの地上から消滅したことを意味していた。
もうこの会場内には、秋也たちの他に生きている生徒はいないということである。
ぎゃあぎゃあと遠くで鳥――ああ、またかよ、ちくしょう、最低だ、鳥なんて――が鳴いていた。
秋也は快の死に顔から視線をはがした。
振り向いたその先に、典子が秋也の方をまっすぐに見つめて立っていた。
典子の艶やかだった黒い髪は雨に濡れ、ところどころに泥がついていた。
淡い赤色のリボンが特徴的だった第弐中学校のセーラー服は見る影もなく汚れ、赤黒い血痕が微かに付着していた。
茶色い指定の革靴は泥にまみれ、膝には擦りむいたような傷に血が滲んでいた。
頬の肉は微かに削げ、目元には隠しきれない疲労の色が現れていたがしかし――黒くて大きな美しい瞳には、まだ輝きが残っていた。
その瞳にはうっすらと涙の幕がかかっているようだった。
ああ、典子、泣かないでくれ。俺、パーだから、こういうときどう言ったらいいのかわからない。
秋也が口を開こうとしたとき、典子が秋也に抱きついてきた。
秋也は典子の細い腰に腕をまわし、その身体を抱きとめた。
言葉などはいらない、それで十分だった。
典子の身体は、全身が雨に濡れて水浸しだというのに不思議と温かかった。
「秋也くん――よかった――ほんとうに、無事でよかった――。あたし、今度ばかりは本当に――」
典子が言った。
それはほとんど呟くような声だったのだけれど、秋也にははっきりと聞き取ることができた。
心がぽうっと温かくなるような声だった。
脇腹の痛みすら忘れさせてくれるような、そんな声だった。
「典子・・・・・・」
秋也は典子の名を呼んだ。
とても懐かしい、そして暖かい響きのように感じられた。
ぎしっ、と身体中が悲鳴を上げていた。
「あたし――秋也くんが怪我をしてるって聞いたから、このまま死んじゃったらどうしようって――思って。傷の方は、だいじょうぶなの?」
典子が身体を離し、心配そうに秋也の瞳を見上げていた。
秋也は典子の瞳から視線をそらした。
べつにやましいことがあったわけではなかったのだけれど――少し心苦しかった、たとえ相手のためを思ってだとしても、嘘をつくということは。
「――だいじょうぶだ。ここのところ寝不足だったから、少し疲れただけだ」
秋也は言った。
まあ、それもまるきり嘘というわけではなかったけれど、根本的な部分では大嘘だった。
しかし――時間がない。それも、かなり。
タイムリミットまで、あと30分とないはずだった。
急がなければならない。
自分のやるべきことは――実のところわからないのだけれど、でもしかし自分のできる限りのことはしておきたかった。
このままでは全員がここで死んでしまうだろう。
秋也はかなり無理をして、足を一歩踏み出した。
典子が秋也の身体を半ば支えるように寄り添ってきた。
秋也は、その典子に視線を向けた。
言った。
「典子。中山サンは? 彼女は無事なのか?」
何よりもそれが心配だった。
典子は秋也の瞳を見返し、こくりと小さく頷いた。
「あのこは――だいじょうぶだと思う。かろうじて動脈からは逸れていたから。でも出血がひどくて、まだ意識は戻っていないの」
「クソ――もう少し時間があれば、まだマシな設備が使えたかもしれないのにな」
秋也は憎々しげに、白い壁の(ほとんどが崩壊していたけれど)病院を振り返った。
もしあと1時間、いや30分あれば、病院内にある設備を使ってもう少し有効な治療ができたかもしれないのに。
そう思った。
それが限りなく非建設的な思考であることは理解していたのだけれど、そう思わずにはいられなかった。
「まあ、過ぎたことを言っても仕方ない。で、これからどうするんだ?」
腕を組みながら、健司が口を挟んだ。
その通りだった――過ぎたことを悔やんでいるよりも、これからのことを考えなければならない、この場合。
健司のワイシャツはもうボロボロで、諒子を運んだときに付着したのか、黒々とした血痕がべったりとついていた。
まるで道路工事をしたあとの作業員のようだった、まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど。
秋也は健司の視線を受け、わずかに逡巡した。
健司から視線を外し、自分のスニーカーの爪先を眺めた。
やはりどろどろに汚れていたがとにかく、これもどうでもいいことだった。
言った。
「まずはこの首輪を外す。それが先決だ。ここから脱出してから外すという方法もあるが――」
そこでいったん言葉を切った。
「なんだ? なにか問題でもあるか?」
健司が先を促した。
秋也は視線を健司に戻した。
「いや、これは俺の推測だが・・・・・・、会場の外に生徒が逃げ出したときのために、戦車が配備されていると言ってただろう?」
「ああ、言ってたような気もするな。真偽は知らないが――、それで?」
健司が顎に手を当て、考える仕草をしながら、言った。
秋也が続けた。
「このクソ政府のことだ、戦車の2台くらいは本当にあるだろう、実際に二人やられたらしいしな。で、俺の推測では、俺たちのこの――」
言いながら、秋也は自分の首に巻きついているクソやくたいもない金属製の首輪をコンコンと2度、人差し指で叩いた。
「この首輪から発信されている電波が、そっちの奴らにもモニターできるようになってると思う。でないと、逃げ出した生徒の位置が正確に把握できないだろうからな」
それで健司は、なるほど、と頷いた。
「つまり、首輪をつけたまま逃げ出そうとしても、俺たちの位置は手に取るようにわかってしまうということか・・・・・・」
「たぶんな」
健司の呟きに、秋也は頷きながら答えた。
それを承知で無理に脱走を図っても、向こうはこちらの位置を完全に割り出して追ってくるだろう、しかも戦車でだ。
それに比べると、こちらはいつどこから襲われるかわからない恐怖にビクビクしながら逃げなければならない。
まるっきり勝ち目がないことは目に見えていた。
まったく、ろくでもないところに税金を使いやがって、もっと有効な使い道がいくらでもあるだろうに。
秋也は心の中で悪態をついた。
まあもっとも、そういう国だからこそこのクソゲームが続いているのだろうが(プログラムに必要な予算はかなりの額になるはずだった、当然だ、街ひとつを強制的に使うのだから)。
秋也と健司の会話に、典子が口を挟んだ。
「戦車って? ひょっとして見張りの兵士がまだいるってこと? あたしたちのときは、島だったから、船で見張りをしてたらしいけど・・・・・・」
健司はちょっと肩をすくめた。
「そうか、あんたは知らされてないのか。今回はミサイル撃ち込むろくでもない鉄屑2台と対人用戦車が2台だけらしい」
「だいじょうぶなの?」
「ああ。いや、むしろ好都合だな。なまじっか戦車4台も配備されてたら、それこそ逃げ出すのは無理だろうが」
心配そうに聞いた典子に対して、秋也は淡々と答えた。
これ以上の会話は、首輪の盗聴器が完全に機能しているいまとなっては、危険過ぎた。
計画をわざわざ教えてやるようなものだったので。
もっとも、もう本部の中学校には誰もいなかったのだけれど、そんなことは秋也たちが知る由もなかった。
「でも、本当に外せるの、この首輪を? それに、あたしたちがいま話していることもわかっちゃうんでしょう?」
典子が秋也に尋ねた。
その瞳は、ちょっと不安そうに揺れていた。
まあ無理もないかもしれない、政府の中央演算処理センターからハッキングしたデータからは、ロックの解除の仕方まではわからなかったのだから。
秋也はちらっと笑んで、首を振った――笑いごとじゃないんだろうけど、いやはや、苦笑というやつだ、これは。
「正直なところ、わからない。しかし首輪に内蔵されているマイクやカメラの情報がそこまで端末の兵士に流れているかというと、俺は怪しいと思ってる。だいいち、本部の兵士ならともかく、逃げ出そうとする生徒を殺すためにいる兵士に、そんな情報を与えても意味がないはずだ。居場所だけわかればいいんだからな。首輪からの位置以外の情報は本部にだけ送られると見ていいと思う」
ハッキリ言って確信はこれっぽっちも持っていなかった
だがしかし――だからといって何もしないまま全員で仲良く死ぬまで待っているほど、秋也は気長ではなかった。
ちら、と病院の壁に埋め込まれた時計を見ると、長針が35分のところにがこっと大きく動いたところだった。
あと――25分。
「時間がない。典子、黒澤、俺の指示するとおりに準備をしてくれ。南サンと、あと飯田にも手伝ってもらおう。ひとまずあの救急車の中へ。急いでくれ」
秋也は南由香里たちが隠れているはずの、病院の片隅に停まっていたもはや穴だらけの救急車を指して、言った。
「あのクルマへ?」
典子が聞き返した。
「ああ。あいつが今回、ここから逃げ出すための希望の綱になる」
「なんであんなポンコツが?」
健司も理解できない、というふうに眉を寄せた。
「こいつはおそらく消防署に属してる車輌じゃなくて、この病院が持ってる民間のやつだ。しかも災害救助用の特殊車輌だ。かなりの設備が整ってると思う。そいつを使う」
救急車の側面に貼ってある『国立植田総合病院』のステッカーを示しながら、秋也は言った。
こんなところで井戸端会議をしている場合ではない、もう一刻の猶予もなかった。
急いで全員の首輪を外して、この会場から脱出させなければならないのだ。
そう、なんとしてでも、とにかくせめて典子たちだけは――。
§
「・・・・・・本当に、こんな装置でこの首輪が外れるの?」
南由香里が、ちょっと信じられない、といったふうに呟いた。
それに対して、秋也はやっぱり首を横に振るだけだった。
「それはわからないんだ。しかし試している時間もない」
典子はそれを聞いて、また不安になった。
いや、秋也のことを疑っているわけではもちろんないし、秋也のやることならば信じられる。
典子が気にしているのは、秋也の言葉にいつもの力がないことだった。
秋也の言葉は、いつも力強くて、いつも典子をほっとさせてくれた。
だが、典子にはいまの秋也はどこか疲れているような、無理をしているような、そんな感じがしてならなかった。
それはもちろん、疲れているに決まっている、この“プログラム”を生き抜いたのだから。
疲れていてもなんら不思議ではない、けれど――。
どうしてだろう、典子には秋也の姿が、ひどく儚げに映って見えた。
まるでもうすぐ消えてしまうロウソクの炎のように。
そう考え、典子は小さく頭を振った。
伸びかけの中途半端な長さの前髪から、雨の雫が少し飛んだ。
ばかばかしい――そう思った。
秋也はまだ生きようとする意思(プラスのエネルギーと言ったこともある、むかし)を持っていた、それが証拠に旗山快との戦いにも勝ったし、いまも生きるために画策をしている最中だ。
余計なことは考えないようにしよう、これからは。
典子はそう心に決め、計器を前にごそごそとやっている秋也の背中に視線を戻した。
典子たちは、例の救急車の中にいた。
イングラム・サブマシンガンの餌食になったのだろう、フロントガラスはほとんどが砕かれ、ミラー類が吹き飛ばされていて、シートは穴だらけだった。
外板にも幾つか穴が開いているのか、雨がぽたぽたと天井から滴り落ちていた。
秋也は側面のスライド・ドアから救急車の中に入ると、すぐにリヤハッチを開けて、積んであった救急救命具やタンカなど邪魔なものをすべて外に放り出すように指示した。
それから、後部に設置されている幾つかの装置をひとつずつ調べはじめた。
たくさんの計器だか装置だかが搭載されていて、それほど広くはない車内はちょっとした治療室のようだった。
左側には薬品のアンプルや酸素吸入装置、それにおそらく麻酔用の小さい注射器など、ある程度の事態に対処できるような薬品が整っていた。
車内の右側には細長いベッドが太いボルト4本で床に固定されていて、その右の側面にはまるでICU(集中治療室)にあるような心電図などの装置がきっちりと壁面に埋め込まれ、こちらも固定されていた。
固定されているベッドには諒子を、さらにその隣の空いているスペース、積んであったストレッチャーの上に気を失っている郁美が寝かされていた。
秋也はやがて目的の装置を発見したのか、小さく頷いてから、ずっと何かのセッティングをしているようだった。
典子には秋也が何をしようとしているのか見当がつかなかったが(もちろん首輪を外すための準備だということはわかる)、とにかく秋也を信じてみようと思った。
やがて秋也が頭を上げた。
「黒澤、あったか? クソ、迂闊だったな。キーがなけりゃ、話にならない」
秋也が、運転席の足元で、こちらもなにかやっている健司に向かって言った。
「いや――」
健司がため息交じりの返事をした。
続けた。
「仕方ない、オーケイ。別に鍵がなくったって、直結させればエンジンはかかる。バッテリーが死んでいなければな」
健司の言葉に、由香里が少し驚いたように健司の顔をじっと見つめた。
訊いた。
「黒澤くん、そんなことできるの?」
「できたら何かまずいことでもあるのか?」
健司が言うと、由香里は首を左右に振った。
「別にないけど・・・・・・」
煮え切らない由香里の態度に、健司はちょっと眉を寄せた。
由香里は何か言おうとして口を開いたが、躊躇ったようだった。
なにかを考えているふうに首を傾げ、それから、訊いた。
「黒澤くん、ひょっとして――車盗んだ経験とか、ある?」
「・・・・・・」
健司は一瞬ぽかんと口を開け――くくくっと小さく笑った。
口を開いた。
「勘弁しろよ」
「ごめんなさい。なんか、手馴れてるみたいだったから・・・・・・」
随分な言われようだな、と言って健司はくさった。
もちろん、由香里が心からそう思っているわけではないことくらい、よくわかっていたけれど。
冗談でも言っていないことには、この重圧に押し潰されてしまいそうだったのだろう、由香里は。
あと20分ちょっとで自分たちが死んでしまうかもしれないという現実。
だが、ミサイルなどという言葉は知っていても、健司たちにはまったく縁のないものと言っても過言ではなかった。
もうすぐミサイルが空から降ってくる、などと聞かされたところで、いまひとつ実感が湧かないのも確かだった。
おそらく撃ち出されたミサイルが地面に落ちて、そして自分たちを肉の塊にしてしまうその瞬間まで、実感など湧かないだろう。
ただし、秒針が進むにつれて増加していくこのプレッシャーだけは、嫌というほど実感しているのだけれど。
とりあえず、現在は自分のできることをやるしかなかった。
「黒澤、まだか?」
秋也が少し焦れたように健司に言った。
「いや、もう少しだ。任せとけ。こういうのは得意じゃないが不得意でもない」
健司が運転席の足元で作業を続けながら、答えた。
「よし」と健司が言った。
その瞬間、ぱちっという静電気が流れたときのような微かな音がした。
きゅきゅきゅきゅっという音とともに車体が大きく横に揺れ――プラグの先端からスパークが飛んでシリンダー内で圧縮されたガソリンと空気の混合気体に火がついた。
排気口から真っ白な煙が排出され、救急車のエンジンがかかった。
この車にはキーがついていなかったのだが、健司がセルモーターの電極を直結させてエンジンをかけたのだった。
一時的に上昇していたエンジンの回転数がアイドル値に落ち着き、オルタネーターで電力が供給され、車輌後部に備え付けてあった幾つかの装置類の電源が入ったことを示すLEDが点灯した。
秋也は目的の装置に電源が供給されたのを確認すると、満足そうに頷いた。
「燃料が残っていてよかった。なんとなかりそうだ」
「そ、それでどうするんだ?」
飯島浩太郎が、秋也の背中ごしにそれを覗き込み、明らかに不安そうな表情で尋ねた。
「時間がないから手短に説明するけど、こいつは民間の災害救助用の特殊救急車で、地震とかの災害の際は現地で治療ができるようにちょっとした装置を積んでいる。で、俺が使いたかったのが、この除細動装置だ」
秋也が指を指した装置に、全員の視線が注がれた。
何のことはない、ただのケースの裏側から太いコードが2本延びているだけで、あとは側面に金庫のようなダイヤルと電圧計のモニターがついているという素っ気ないものだった。
「ジョサイドウ装置?」
由香里が聞き返した。
秋也が答えた。
その両手には、その装置から伸びた2本のコードの先端につながっている、取っ手のついたプレートのようなものを握っていた。
「そう。つまり――なんて言うのかな、簡単に言うと心停止した患者に電気ショックを与えることで、細動状態の心臓の機能を復活させる装置だ」
「あの病院の手術室とかにあるような?」
「ああ。同じもんだ、基本的にはな。こっちのほうが規模は小さい」
由香里の言葉に小さく頷きながら、秋也は言った。
それから、続けた。
「俺たちがはじめに参加したプログラムでは、ガダルカナルとかいう別のタイプの首輪が使われていた。それには盗聴器だけが組み込まれていて、これよりももっと単純な――それでもかなり複雑な部類に入るんだろうが――とにかく、これよりは単純な回路が組まれていたんだと思う」
「で? そいつはどうやって外したんだ?」
健司の言葉に、秋也は軽く肩をすくめた。
「それがわからない。あのときは――」
秋也が少し、口を閉ざした。
すぐに続けた。
「あのときは川田に任せきりだった。だからわからない。でも、ラジオかなんかの、小さな部品を使っていたと思う」
「ということは、外部からの電波でロックを解除したのか。なら今回も――」
健司がそう言うと、秋也は首を横に振った。
言った。
「政府もそこまで馬鹿じゃないだろう。過去にいったん事例ができると、それは完全に解消してあるはずだ。この首輪は外部からの電波じゃロックの解除は無理だ」
「クソッ! じゃあどうするんだよ?」
浩太郎が苛立ったように、救急車の内壁をドン、と叩いた。
由香里が、「落ち着いて」と言って浩太郎をなだめた。
秋也は続けた。
「外部からのロックの解除は無理、分解も回路の解析も不可能。しかしそうすることで別の部分にしわ寄せが出るんじゃないかと俺は思った。さっきも言ったように、こいつは俺が――」
言いかけて、ちらと典子に視線を向けた。
言い直した。
「俺たちがはじめて参加したプログラムで使った首輪よりも、はるかに精密な回路が組まれている。そこが狙い目だ。俺もそれには気づいていたが、具体的な方法はわからなかった。俺がいったん、おまえたちと薬局で別れたのも、ひとりで色々とこの首輪の外し方を調べてみたかったからだ。下手をすると、俺のせいで全員が、首輪を爆発させられるかもしれないからな」
もっとも、それは滝川直の襲撃で中止せざるを得なかったのだが、それを知っている者はいなかった、もう、誰も。
そのことまでは説明せず、秋也は続けた。
「だが、この方法を思いついたのは、ついさっきだ。旗山が、死ぬ直前でヒントをくれた」
「旗山くんが・・・・・・?」
由香里が、ちょっとトーンを落として呟いた。
微かに哀愁を帯びた口調だった。
当然と言えば当然かもしれない、たとえ快が軍人で仕組まれた生徒だったとしても、1年も一緒にいた由香里たちから見ればクラスメイトの一員に違いないのだから。
秋也にしてみればいい気持ちはしないだろう、と典子は思い、秋也の顔をじっと見つめた。
しかし秋也は、そんなことを気にしたふうもなく――もしかしたらあえて表情に出さなかったのかもしれないが――とにかく、続けた。
「これにはカメラだのマイクだの、余計なものが内蔵されている。当然それにも電力は供給されているわけだから、いつかはバッテリーが切れるはずだ。しかし俺たちにそれまで待っている時間はない。電池切れじゃ助からない。だったら逆のことをしてみたらどうかと考えた」
「電力を、逆に?」
典子が聞き返すと、秋也はしっかりと頷いた。
いつもの力強さがそこにはあった。
「こいつに強力な電圧をかけて電気的にぶっ壊す。と言っても、電磁ロックを狂わせるだけだ、回路が壊れてくれりゃなおいい」
秋也が言った。
さらに続けた。
「こいつは幾つかのシステムを――旗山は6系統だと言っていたが――リンクさせてあるらしいが、そんなことは問題にならない。爆弾の起爆装置が作動するのは、本部からの電波信号を受信したときか、あるいは首輪を外そうとして特定の内部のケーブルを断線させたときだけだ」
「さらに電圧をかけても問題ないってことか? しかし最終的には外さなきゃならないんだろう? 回路がいかれたって、爆弾はまだ――」
健司の言葉に、秋也は首を左右に振った。
「時間的に見て本部から電波信号が送られてくることはまずないと見ていいだろう。つまり内部に張り巡らされてるケーブルに電気が流れてればいいんだ、早い話。それなら爆発はしない。仮に過電流で断線したとしても、首輪自体に電気が流れるから問題ないし、真っ先に断線するとしたら一番熱を持ちやすいコイル部分だ。それに――」
そこで秋也は息をついた。
唇を、ちょっと舐めた。
続けた。
「それに位置的に言って、パルス感知センサーが先にいかれることも十分考えられる。そうすれば、俺たちは死んだことになって、爆弾は無効化されるはずだ」
秋也の言葉に、浩太郎が眉を寄せながら、言った。
「そんなにうまくいくかな・・・・・・?」
秋也はあっさり首を振った。
続けた。
「だから言っただろう、わからないって、未知数は確かに多い。だが――もうそれしか、俺たちが助かる可能性は、ない」
狭い車内に、秋也の声が響き渡った。
車内に設置されているデジタル時計が、『23:40』という数字をはっきりと表示させていた。
シン、と静まりかえった救急車の車内には、ざあざあと強く外板を叩く雨の音が妙に大きく聞こえていた。
ごくっと誰がの喉が鳴る音がした。
典子はひとりずつ順番に、秋也とともにこのプログラムを勝ち残ってきた生徒たちの顔を眺めた。
秋也の向かって左側、ベッドサイドに腰を下ろしている黒澤健司は、腕を組んだままじっと考え込むように視線を床に固定させていた。
身長は決して大きくはないけれど、その眼光の鋭さと冷ややかさが印象的だった。
長髪とも短髪ともとれない中途半端な長さの髪は、雨に濡れて額に貼りついていたが、それでもその精悍な顔つきは崩れることはなかった。
健司の冷静さとよく切れる頭脳が、いままで秋也の危機を救ったことは想像に難くなかった。
秋也の向かって右側には、南由香里が立っていた。
都立第壱中学校の素っ気ないセーラー服を着ていたが、それは所々黒く焦げたり、破れたり、胸のあたりには弾痕のような小さな穴まで開いていた。
決して目立つタイプではないけれど、その瞳には優しさと強さが見てとれた。
典子が由香里とはじめて会ったとき、由香里のスカートのウェストには中山諒子に支給されたステンレス製の大型回転式拳銃、カースル454が差し込まれていた。
男子がこれだけ揃っている中でも、決して女の子だからという理由で銃を持たないということはしないようだった。
典子は、由香里の秋也に対する気持ちにすぐに気づいていたが、それは典子がどうこう言うべきことではなかったし、また何と言っていいのかもわからなかったので、とりあえずは保留状態だ、いまのところ。
そして、その由香里の隣には、身長はかなりあるのだけれど、どこか頼りなさそうな感じの飯田浩太郎がしゃがんでいた。
天然パーマのかかった髪形は雨に濡れて乱れていたが、それがいっそう薄弱した不安定な精神を象徴しているような感じだった。
浩太郎は右手に怪我をしているようだった。
もっとも、それが秋也を撃ち殺そうとしたときに、杉山貴志の逆襲を食らって負った傷だということまでは、典子には知る由もなかったけれど。
それから――浩太郎の隣には、中山諒子が寝かされていた。
見るからに顔面は蒼白で、右足の太腿から下は流れ出た血液で真っ赤に染まっていた。
典子自身は、諒子とはまだ直接会話をしたことはなかったのだけれど、きっと彼女も強い人間なのだろうと思っていた。
この“プログラム”で、女子が最後まで残ると言うことがどれほど難しいことか、典子は身をもって知っていたので。
以前、坂持は女子の優勝する確立は49パーセントだと言っていたが、調べてみたところによるとその数字に間違いはないにしても、女子校やクラスのほとんどを女子が占めている被服や製菓などの専門科(中学にも専門クラスがある学校がある)のデータも複合した総数であるので、実はそんなに多くはないのだ。
運がよかったのか、相当の努力をしたのか――諒子の場合はおそらく両方だろうが――とにかく、女子がここまでくるのは並大抵ではなかったはずだ。
そんな人間を、こんなところで失うわけにはいかなかった。
典子は、諒子に無条件で最後まで生き残ってほしかった。
そしてもうひとりの女子――旗山会の人質になっていた子だ。
たしか――健司と秋也は子のこのことを『郁美』と呼んでいたはずだった。
郁美は先の爆発で気を失ったまま、まだ目を覚ましていなかったが、外傷は(脚の擦り傷以外は)見当たらなかった。
典子は諒子の隣に寝かされている郁美の横顔を見て、ふと概視感にとらわれた。
なにか、とても懐かしい人を見たような、あるいは昔に会ったことのあるような、そんな感じだった。
もっとも典子は実際、郁美と一度だけ言葉を交わしたことがあったのだけれど、それは5年ほど前のしかもやたらと騒がしい城岩中学校の体育館のことであったし、そのころ典子はほとんど秋也に意識を向けていたので、気がつかないとしても無理はないのだけれど。
そんな一瞬の感覚を、典子は微かに気にとめながら、しかし気のせいだろうと結論づけた。
そんな概視感は、よくあることだ。
そう思った。
典子は最後に、秋也の瞳へ視線を向けた。
秋也は、典子の視線を受けて瞳を見返した。
その瞳にはまだ――やはり微かに疲労の色は見えるけれど――まだ、力があった。
絶対に生きるという強い意思、プラスのエネルギーだ。
典子の心はこのとき、決定した。
「・・・・・・あたしは、秋也くんの意見に賛成するわ」
典子は言った。
秋也が考え抜いて出した答えならば間違いはないだろうと思った。
それはしかし、秋也にすべてを任せているということではなかった。
もちろん、秋也のことは信用しているし、信頼している、これだけは間違いない事実である。
しかしそれだけでは、秋也という一個人に仕える忠実な従者に過ぎないし、そうなることは典子の望みではなかった。
典子は、自分の意思でこの重要な局面における自らの方向を決定したのだ。
秋也の方法ならば間違いないと思った、いやたとえそれが間違いであったとしても、典子はそのことに関しては後悔しないだろうという自信があった。
典子も首輪の外し方について、この“プログラム”を知らされたときから――そう、あの、いやらしい役人の眉間に向かってクルツ・サブマシンガンの引き金を引き絞ったあの瞬間から――考えていたのだけれど、どうやっても答えは出なかったのだ。
それならば、秋也が出したその方法が正解であれ不正解であれ、それ以上の良案があるとは思えなかった、到底。
そういうわけで、簡単な消去法から、典子は秋也に従うことを決心したのだった。
自分の生き方は自分で決定しなければ、この国の多くの国民と同じになってしまう、と思った。
坂待にあんな偉そうなことを言った手前、それだけは嫌だったのかも、知れない、わからない。
「・・・・・・俺もそれでいい。と言うか、それ以上の方法は思いつかない」
健司も腕を組んだまま、静かに言った。
由香里も小さく頷いた。
浩太郎は――飯田浩太郎は、少し動揺した瞳を中に泳がせ、そして言った。
「そうすれば、僕たちは助かるのか? ほんとうに生き残れるのか?」
秋也は首を横に振った。
「だから、それは、わからない。失敗しないという保障もない」
「しかし可能性はゼロではないんだろう?」
浩太郎は、秋也の瞳を正面から見据えた。
「ゼロではない。限りなくゼロに近似しているというだけだ」
「・・・・・・」
浩太郎はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「――少しでも生き残れる可能性があるんなら、僕もそっちにつく。このままだと確実に可能性はゼロみたいだから・・・・・・」
そう言った。
秋也はちらっと笑んで、「そうか」と言って頷いた。
「そうと決まれば、急いだ方がいいな。・・・・・・典子」
「なに?」
言いながら、典子は首を傾げた。
秋也が訊いた。
「準備はいいかい?」
それはつまり、――トップバッターということだ、典子は。
典子は、べつに驚いたりはしなかった。
ただ、笑った、典子の中では最上級に値する笑みだった。
答えた。
「もちろんよ」
由香里がなにか言おうと口を開きかけたが、言葉を発することなく口をつぐんだ。
健司は腕を組んだまま、やはり黙っていた。
そのかわり、ちらりと車内のデジタル時計に視線を移した。
「――23時41分だ」
健司が言った。
§
「よし、急ごう」
秋也はそう言って、典子から視線を背けた。
苦しかった――身体中の傷のせいもあったが、それ以上に、心が痛かった。
自分の言葉は、典子を突き放すように聞こえたかもしれない、と思った。
有無を言わさずに、典子を一番はじめに選んだのは、他ならぬ自分なのだから。
できることならばそんなことはしたくはなかった。
精密回路が組まれていることを利用し、首輪に大電流を流して電磁ロック部分のコイルを切断させるか、パルス感知回路を壊して機能を停止する――言うのは簡単だ、こんなことは。
だが、それは秋也の推測の上に立つ仮説のようなものであり、成功する確率よりは失敗する確率の方が遥かに高いのである。
もしそれで回路がショートしてしまったら?
そんなことよりも、回路が誤作動を起こして、内蔵されている爆弾に信号が送られてしまったら?
いやいやそれどころか、首輪の内側は一応絶縁されてはあるけれど、しかし万が一、通電する電流自体が典子自身に危害を加える要因となってしまったら?
そう考えると、秋也はどうしようもなく不安だった。
こんなことならば、いっそ自分が一番はじめに――とも思うのだけれど、それは、できなかった。
死ぬのが怖いとかそんなことではない、もちろんのことながら。
秋也は――秋也自身の生命は、最後まで残しておかなければならないのだ、そう、このクソゲームに本当の終わりが訪れるまで。
だから、秋也は、死ねなかった。
秋也が死んでしまえば、典子も、他の仲間も、助かる確率はなくなってしまうのだ。
だから秋也は、典子を選んだ。
健司でも、由香里でも、浩太郎でもなく――自分の一番大切なものを、すなわち典子を、選んだのだった。
そんな秋也に、典子は言った――、『もちろんよ』。
涙が出そうだった。
微かに潤んだ瞳を見られないように、秋也はその装置の操作に集中した。
電源は十分、機能も正常に働いていた。
秋也が除細動装置の側面にある金庫のダイヤルのような環をまわすと、カチカチという音がして、電圧計の針がぐんと振れた。
右にめいっぱいまでまわすと、電圧計は最大電圧の表示を超え、振り切れた
ぶうううぅぅぅん、という除細動装置の音が大きく響いた。
人間の身体内の電気抵抗は、高電圧の場合だとせいぜい100オームがいいところだと言われている。
つまり人間は電気に対してはほぼ無防備であるということだ。
しかしながら、その人体のもっとも外側を守っている皮膚の電気抵抗だけが著しく大きく、さまざまな条件で異なるのだけれど、最低でも4万オーム、条件がよければ10万オームだ。
10万オームと言えば相当な抵抗値だが、だからと言って生命に危険がないわけではなかった。
特に首輪は、当然のことながら頚動脈が通っている首に巻かれている。
危険かもしれないと言うより、はっきり言って危険なのだ、それも、かなり。
もちろん、何の計算もなくこんな無謀なことをしているわけではなかったが、それでももしかしたらと言うこともあり得る。
秋也は、通電するパッドに医療用のクリームを十分塗りこんだ。
「典子、身体の水分を取っておいてくれ。特に髪とか首とか、首輪についている水滴もしっかり拭き取っておかないとだめだ」
秋也は作業をしながら、背中ごしに典子に言った。
雨に打たれ続けた典子の全身は、びしょ濡れのはずだ。
それでも自分を待っていてくれた典子に、また危うく涙がこぼれそうになった。
「うん。わかった」
返事が返ってきた。
「はい、あの、これ、タオル・・・・・・」
由香里の声が聞こえた。
秋也はそちらを向かないまま、作業を続けた。
もっとも、作業と言っても、ただパッドにクリームを塗り続けるという誰にでもできそうな作業なのだけれど。
それでも秋也は黙々と、ただ馬鹿みたいにパッド同士を擦り合わせ続けた。
なにかやっていないとやっていられなかった、言葉はヘンかもしれないが、ほんとうにそんな感じだ。
思った。
まったく、俺は、いつになってもパーなんだな。
ええ、そのとおりですよ、おにいちゃん。進歩、ないんですね、いやまったく。
カチッと車内のデジタル時計が『23:43』を表示した。
ここにミサイルが打ち込まれるまで、あと15分ちょっとだった。
間に合うか・・・・・・?
秋也は焦りを覚えた。
いくら首輪を外せても、その瞬間に全員爆死などというストーリーではたまらなかった。
ちくしょう、もっと時間があれば――・・・・・・。
「準備できたわ。急いで」
思わず歯を食いしばった秋也の背中に、典子の声が届いた。
どくん、と秋也の心臓がジャンプした。
ちくしょう――ほんとうに最低なヤツだ、俺は。
秋也は自分を呪い殺したくなったが、とにかく、それは後まわしだ、この際は。
「わかった」
せいいっぱい落ち着きを装った声でそう言うと、秋也は典子に向き直った。
典子は、まっすぐに秋也を見返した。
澄んだ色の、綺麗な瞳だった。
目を背けたい衝動を必死に抑え、秋也は言った。
「典子、その、制服の襟のところをちょっと開けてくれ。ちょっとだけでいい」
「――こう?」
典子はセーラー服の襟を少し広げた。
首輪の少し下あたり、典子の白い肌に包まれた健康そうな鎖骨が見えた。
秋也はその典子の首に巻きついている忌々しい金属の環を、右の人差し指でそっと撫でた。
金属特有の、冷たい感触が神経を伝わって感じられた。
確かバッテリーと電磁ロック部は・・・・・・。
秋也は先ほどの、杉山貴志がつけていた首輪の残骸の映像を思い出しながら、その指をゆっくりと首輪の表面に沿って動かした。
ぴた、と動きを止めた。
首輪の一部分だけ、微かに暖かくなっている部分があった。
それは典子のうなじのあたりだった。
ここに、おそらくは、小型のバッテリーとともに、電磁ロックのコイルが内蔵されているのだろう。
爆弾はその反対側――ちょうど喉もとのあたりのはずだ。
その左側に超薄型のカメラ、右側には盗聴用マイクがあるはずだった。
首輪の右側面、ちょうど耳の下にあたる部分には小さなスリットがついていて、これがスピーカーだった(ここから坂待のあの声が流れたのだ、『あー死んだひとは以上で〜す』、クソ)。
スピーカーとバランスをとるように、首輪の右側面には確かチップの載った基盤がついていたはずだが、それはおそらく本部に電波を飛ばすための無線に違いなかった。
いやはや、そう言えばこんな携帯電話が最近普及しているような気がする、超高性能マイクとスピーカーにカメラまで搭載された超薄型の携帯電話、次の世代に必需品ですよ、いまがお買い得だと思いますけど、お客さん。
「・・・・・・ここだな」
秋也は典子の首輪の一点を、人差し指でこんこんと二度叩いた。
バッテリーとコイルが内蔵されていると思われる箇所の両サイド、スピーカーと無線基盤の少し後ろあたりだった。
首輪に垂直にわずかな縦線が入っているが、これは首輪の接合部に違いなかった。
もしこの配置がまったく違っていて、その接合部が典子の正面にでもあろうものなら、秋也は向かい合いながら電極のスイッチを押さなければならなくなるところだ。
それは、秋也にとっては、典子に向けた銃の引き金を引くようなことであって、もしそうだったとしたら秋也が果たしてスイッチを押せたかどうかわからなかっただろう。
まあもっとも、典子と向かい合っているか、そうでないかの差しかないのだけれど。
躊躇っているのが典子にも伝わったのだろうか、典子は優しく微笑みながら、秋也に言った。
「はやくしないと。あたしなら、だいじょうぶだから。ね?」
「あ、ああ・・・・・・・」
秋也はぎこちなく頷いた。
それから、除細動装置から伸びている2本のコードに接続されているパッド(すなわちこれが電極になる)を、典子の首輪のさっき特定したばかりの場所に押しつけた。
塗り込みすぎたのか、パッドの隅から電導性をよくするための医療用クリームがはみ出していた。
典子の髪は、上でしっかりとまとめられていたので、邪魔にはならなかった。
あとはこのまま――除細動装置のスイッチを押すだけだった。
「ちょっと、待って」
典子が言った。
秋也は思わず手を引っ込めてしまいそうになった。
「なんだい?」
秋也が訊き返すと、典子はくるりと振り向いた。
しっかりと押さえていなかったせいか、秋也の手からパッドが離れ、ぺたっと床に落ちた。
典子はそれを拾うことはしないで、秋也の背中に腕をまわした。
秋也も典子の身体を抱きしめた。
「ごめんなさい、時間がないのはわかってるんだけど、ちょっとだけ・・・・・・」
典子が言った。
声が、震えていた。
これで最後になるかもしれない――そう思ったのだろう、典子はまるで繊細なガラス細工を抱くように、秋也を抱きしめていた。
・・・・・・時間が過ぎた。
30秒? 1分? それともこれは永遠に続くのだろうか、すべてが消えてしまうまで?
そう思ったころだった。
典子の腕の力が、ふっと緩んだ。
それで秋也も、典子の身体を離した。
ゆっくりとした動作でしゃがみ、床に落ちたパッドを拾い上げた。
表面についた汚れをふっと息で吹いた。
典子は、さっきと同じように、秋也に背を向けて立っていた。
「いいわ」
典子が言った。
秋也は額の汗を学生服の袖で拭い、それから腕を伸ばしてパッドを典子の首輪に押し付けた。
「ほんとうに――」
「かまわないから。やって、秋也くん」
秋也の言葉を遮って、典子が言った。
秋也は、電極の柄の部分についている通電スイッチに指をかけた。
『典子サンを守れよ、七原』
川田の声が聞こえた気がした。
果たして俺は典子を守ってやれるのだろうか――?
秋也は思った。
わからなかった。
小さく首を振った。
すべての思考を追い払った、川田のことも、負傷した諒子のことも、郁美のことも、ミサイルのことも――。
全神経を典子と、その首に巻かれている首輪に集中させた。
「・・・・・・典子」
秋也は典子の名前を口にした。
唇がかさかさに乾いていて、声もうまく出せなかったけれど。
「秋也くん」
典子も、秋也の名を呼んだ。
それから、言った。
「・・・・・・ありがとう」
ありがとう、というのは一般的にみて適切な言葉ではないのかもしれない、この場合。
しかし秋也と典子には、その一言で十分だった。
典子が口にしたその感謝の言葉は、これまでと、これからに続く言葉に、違いなかった。
そして――。
秋也は、右手の人差し指でパッドの柄についているスイッチを、押し込んだ。
拳銃の引き金を引き、何人かの生命を奪ってきた、その指で。
自分の一番大切なものを、守るために。
ビーッという警告音が車内に響いたかと思うと、次の瞬間、どん、というくぐもった音がそれに続いた。
秋也は思わず目をつむった。
いまの音は――爆弾が爆発した音なのか、それとも――?
秋也が目を閉じたまま硬直していると、その胸に、誰かが倒れ掛かってきた。
いや――それが誰なのか考えるまでもなかった、典子に決まっている、自分の目の前には典子しかいないのだから。
ああ・・・・・・ちくしょう、俺は――俺は――もしかしたら――とりかえしのつかないことを、してしまったのだろうか。
何もかもをめちゃくちゃにしてしまいたい、という衝動に駆られた、そのときだった。
ばちっと火花が飛ぶような音がしたかと思うと、――カランと足元に何かが落ちた。
秋也は、ゆっくりと目蓋をあげた。
それとほぼ同時に、秋也の胸にもたれかかるような格好でいた典子が、ゆっくりと目を開いた。
秋也ははっとして自分の足元に視線を落とした。
果たしてそこには――。
そこには、金属製の丸い首輪が、まるでナイフで真っ二つに切られたバウムクーヘンのように割れた状態で、床に転がっていた。
首輪からはしゅうしゅうと白い煙が立ち昇っており、回路が断線したときに出る独特のにおいが秋也の鼻腔を刺激した。
しかしとにかく、どうでもよかった、そんなことは。
秋也は、すぐに典子の顔に視線を戻した。
典子の首には、もうなにもついてはいなかった。
「は・・・・・・」
笑いの衝動がこみ上げてきた。
成功だ! 成功だ、成功だ、成功だ!
「イャア!」
そう叫んだ秋也は、右手の親指と小指を立て、それ以外の指は全部折り込んだ格好の拳を、思い切り真上に突き上げた。
がん、という音がして救急車の天井に思い切りパンチをぶち込むことになったが、どうでもよかった。
右の拳に少しと、右の脇腹にそれに10倍する痛みが跳ねたが、そんなこともどうでもよかった。
ただ、嬉しかった、首輪が外れたということよりも、典子が無事だということが。
「あたし――生きてる・・・・・・?」
典子が、半分驚き、半分はまだ信じられないという表情で、呟いた。
そんな典子の両手を、秋也が握った。
言った。
「もちろんだ! 生きてるんだ、死なせてたまるもんか! 成功だ、典子、やったぞ!」
「え、ええ・・・・・・」
生きていることがさぞ意外だったのだように、典子はまだぼうっとした表情だった。
「さあ、早いところみんなの首輪もぶっ壊そう! 時間がないんだ、嬉しくってつい忘れるところだった!」
秋也がまだ興奮冷めやらぬといった呈で、そう叫んだ。
「勘弁してくれ、いままで忘れられてたのかよ、俺たち・・・・・・」
健司が腕を組んだまま、苦笑しながらぼそっとそう呟いた。
由香里がくすくすと笑みを漏らし、浩太郎もほっと安堵の表情を浮かべた。
カチッという音がして、車内のデジタル時計が『23:45』を指したところだった――。
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