BATTLE ROYALE 2
〜
The Final Game 〜
[ 第七部 / 中盤戦(後編) ] Now some students remaining...
< 32 > 急襲
ぱらぱらと、天井から砂が落ちてくる。
室内には、もうもうと煙が立ち込めていた。
穴だらけになった小さな薬局が、みしみしと鳴る。
まるで悲鳴を上げているようだった。
カウンターの裏側で、由香利は頭を持ち上げた。
弾には当たらずに済んだらしい、どうやら。
「奈津子ちゃん? 大丈夫?」
由香利は、呼びかけた。
自分のすぐ横から、返事が聞こえた。
「大丈夫――だと思う。なんとかね」
それで、由香利は、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。
「2人とも、無事か!?」
薬品棚の陰から、貴志の声が、した。
どうやら咄嗟に棚の影へ身を隠したらしい、健司の残したあの薬品を抱えて。
健司が言ったことが本当だったならば――衝撃を与えると大爆発を起こす、という言葉だ――それに弾が当たっていたら、おそらくこの薬局は、文字通りこの世から消滅していたのかもしれなかった、由香利たちとともに。
しかし、とにかく、その薬品は貴志が守ったようだ、とりあえずは。
「うん」
「ええ」
貴志の質問に、由香利と奈津子が、答えた。
「ちくしょう、なんなんだ、一体? 誰なんだ、あいつは?」
貴志が、呟いた。
あまりにも一瞬の出来事だったため、誰に攻撃されたのか、確認する余裕がなかったのだ。
貴志が棚の影からちょっと覗いてみようとすると、それを察したように甲高い連射音が、した。
慌てて顔を引っ込めた貴志の眼前を、弾丸のシャワーが通過する。
第二ラウンドの始まりだ。ちくしょう、ちょっとくらい、休ませてくれないか?
しかし、それは、無理な注文だった。
由香利と奈津子も、慌ててカウンター裏の床に伏せ、両手で頭を抱え込んだ。
その上から、ぱらぱらと粉砕された薬瓶の破片が落ちてくる。
弾と、その破片が当たらないことを、必死に祈るしか手立てはなかった。
思った。
こんなとき、黒澤と三村さんがいてくれたら――
あの2人がいれば、なんとなく、どんなこともなんとか切り抜けてしまえそうな気がする。
健司の冷静さと、慶吾の判断力があれば。
しかし彼らは、いない、今のところ。
とにかく、この場は、自分たちで切り抜けるしかないのだ。
でもどうやって・・・・・・?
貴志は、考えた。
反対側の窓ガラスを割って、そこから逃げ出すか?
いやダメだ。それはおそらく、無理だろう。
薬品棚の陰にいる貴志ならば可能だが、カウンターの裏に隠れている由香利と奈津子は、その場を動くことはできない。
奈津子たちが安全な窓まで移動するのには、どうしてもカウンターの影から出なければならないのだ。
そして、おそらく、襲撃者は、奈津子たちがカウンターの影から顔を出した瞬間に、連射して撃ち込んでくるだろう。
どんなに速く走ったとしても、その弾丸のシャワーから逃れることは、できないのだ。
例え防弾チョッキを着ていたとしても、あの連射速度だと、何発かは同じ場所に当たる可能性が大きい。
いくら弾丸を貫通させない防弾チョッキでも、同じ場所に何発も食らうと、いつ貫通しないとも限らない。
単発の銃には有効な防弾チョッキでも、連射機構を持つ銃器には敵わないのだ、結局は。
これは――危険すぎる。
「くそ、どうすりゃいいんだ!?」
貴志は、唸った。
貴志だけこっそり窓から抜け出して、襲撃者の背後に回って撃つか?
しかし、一直線で隠れることの出きる場所が少ない商店街のこと、見つかったが最後、おそらく貴志はぐちゃぐちゃの蜂の巣にされてしまうだろう。
どうですか、この蜂蜜は? 粘着質なこのドロドロ感がたまらないでしょう? 新鮮ですからね。お安くしときますけど?
そんなことはともかく、襲撃者は、連射機構を持つ大型の銃器(機関銃の類か?)を持っている。
こちらはと言えば、健司が持って行ったキャリコを除くと、9ミリショートのシグ・ザウエル、357マグナム・リボルバーのスミス・アンド・ウェスン・M586の2丁だけだ。
総弾数は、シグが7発、M586が6発である。
向こうは少なく見積もっても、マガジンひとつにつき20発以上は装填できるはずだった。
どう見ても、分が悪い。
貴志が考え込んでいると、カウンターの影から、声が聞こえた。
奈津子だった。
「ねぇ、ちょっと提案、あるんだけど?」
「なんだ?」
貴志は、呟いた。
苛々していたためか、少しつっけんどんな口調になってしまった。
しかし、そんなことは無視して、奈津子は言った。
「あたしが、囮になる。多分向こうは――あたし、女だし、そんなに力も強くないし――油断するはずよ。だから――」
その言葉を聞いて、貴志はかっと頭に血が上った。
眩暈がした。
およそ健全な中学3年生のする会話とは、こっちの銀河からあっちの銀河ほどかけ離れていたので。
「バカッ!」
貴志が思わず怒鳴り、由香利がびくっと首をすくめた。
奈津子は、貴志の言葉にむっとしたようだった。
「ちょっと貴志くん、バカってことはないでしょ? 一応、あたしなりに真剣に考えたんだからさ」
「だったら余計バカだ」
口を尖らせて言う奈津子の言葉を、貴志は一刀両断にした。
思った。
なに言ってるんだ、特攻作戦じゃあるまいし。第一、のこのこ出て行ったらすぐさま撃ち殺されるのがオチじゃないか!
特攻志願者、稲山奈津子?――ハン! 馬鹿げている!
しかし、奈津子は、聞かなかった。
「じゃあなに? 他にこの危機的状況を打開するような名案があるんですか、杉山司令官どの?」
芝居がかった口調に、今度は貴志がカチンときた。
どんな状況でも、なんとなく茶化して誤魔化してしまう、奈津子の悪い癖だ。
それは時に長所となるが、時には短所となる――そしてそれが短所となる場合は、いつも事が大きくなるのだ。
以前――何億年前の話だ? 原始海洋にクラゲがぷかぷか浮かんでた時代か、それは?――野球部員の打球が飛んできて、運悪く女子更衣室の窓ガラスを割ってしまったことがあった。
そのとき更衣室にいたのは奈津子だけで、ぺこぺこと頭を下げる野球部員を笑って許してあげたらしい。
そこまではよかった。
しかし、その野球部員が処分されるのは可哀想だと言って、奈津子は嘘の証言をしてしまったのだ。
つまり――いきなり窓が割れたと思ったら、誰かが逃げて行ったんです。多分痴漢とか、そういう人じゃないでしょうか――というようなことを。
それが学校中に広まって、一時は警察まで駆けつける大騒ぎとなったのだ。
痴漢が学校を襲ったと言うのだから、それは新聞の一面記事とまではいかなくても、暇なローカル放送のニュース番組に取り上げられるくらいの結構な事件になってしまったからと言って、何ら不思議ではない。
もちろん、犯人は見つからず、一週間ほどで警察の厳戒体勢は解けたのだが。
この事実を知っているのは、奈津子と、それを聞かされた貴志と、ガラスを割ってしまった野球部員の3人だけである。
とにかくも、そういうことが度々あって、貴志が不安がるのももっともと言えた。
それだけではない。
先の、芳明の件のことが、まだまだ吹っ切れていないのだ。
せっかく一つにまとまっていたチームを、誤解とはいえ、奈津子がばらばらにさせてしまったのだから。
そのために、芳明は失踪してしまったし、貴重な戦力である健司が芳明を追っていなくなってしまったのだ。
おそらく奈津子は、その事実を人以上に気に病んでいるのだろう。
そして、その責任を取るとか何とか言って、自ら危険なことに首を突っ込んでいく。
誰もやりたがらないトイレ掃除を自分から進んでやるような奴である、ということは、貴志は十分承知していた。
トイレ掃除ならまだいい。誉められることなのだから。
しかし、今回の場合は、ちょっと違う。
一歩間違えば、それは即、死に直結する。
トイレ掃除に命をかけるって? ハハア、そうなの。頑張ってね。
そう言えないのが、現状である。
だから、今回の提案だって、いい作戦があるとかないとか以前に、何とかして貴志や由香利の役に立ちたいという思考の方が強いことが見え見えなのだ、長年(といっても、まだ3年も経ってないが)付き合ってきた貴志には。
認めるわけにはいかない。
しかし、だからと言って、このまま膠着状態を続けているわけにもいかないのも、また事実だった。
盾となって弾丸のシャワーから奈津子たちを護っているこのカウンターの板だって、いつまでもつか分からないのだ。
この板が割れるか、弾丸が貫通するか――そうなったが最後、奈津子たちの盾となるものは、なくなってしまうのだから。
貴志も必死に考えてはいるが、どれもこれも非常に危険を伴う方法なので、さすがに決断できない。
このままでは、奈津子の提案を受け入れるしか方法がなくなってしまう。
――クソッ、仕方がないか。
貴志は、唇を固く結んだ。
言った。
「分かった、その方法でいこう。だけどな、囮役は、俺がやる。いいな?」
「よくないわよ」
奈津子が、即座に言葉を返してきた。
「そうね。杉山くんじゃ、ちょっとね・・・・・・」
由香利までもが、奈津子に同調した。
役不足だと言われたような気がして、貴志は、むっとした。
「なにがいけないんだよ?」
「だって、男子だもの」
あからさまに不機嫌な声で貴志が言うと、由香利がすぐに答えた。
意味が分からず、眉を上げた貴志に、由香利が説明した。
「つまり、男子が出て行っても、相手は油断しないってことよ。逆に警戒されちゃうわ。特に、貴志くんみたいな、頭脳も運動能力も優れた人じゃね」
「あ・・・・・・」
貴志は、納得した。
それは一理ある。
敵が男であれ女であれ、貴志が出て行けば、例え貴志が何の武器を持っていなかったとしても、警戒されるだろう。
それは健司や慶吾でも同じことで――つまり、男では相手を油断させることはできそうにない。
一方、出て行くのが奈津子や由香利だったら、襲撃者が女だった場合でもそれなりに、男だった場合はかなり、油断を誘うことができるはずだった。
しかしもちろん、それで危険がなくなるわけではない。
相手が投降を受け入れず、近づいたところでいきなり撃ち殺されることもあるのだ。
「そうか、チクショウ。だが、しかし――」
貴志がなにか言おうとしたところで、突然、雨の降る音に混じって声がした。
この薬局を蜂の巣にしてくれた、襲撃者の声に違いなかった。
「出て来いよ! 南さんと稲山さん、それに杉山も、そこにいるだろ!?」
その声は、表面上は平成を保ってはいるが、内心ではとても動揺しているらしく、時々声が裏返っていた。
それで、貴志は、この声の持ち主が、赤木真治(男子一番)であると分かった。
勉強家で、内向的で、コンピュータが趣味だという、まぁ言ってみれば3年B組のオタク代表みたいな暗い奴である。
クラスの中でも体格がでかく、よく瀬戸雅氏をいじめていた七原光平(男子十五番)などは、「地味で暗くて陰険で目障りな奴だ」と一刀両断にしていじめもしなかったし、あの黒澤健司すら、「あまりいい奴とは言えないな」と言っていたほどだ。
女子の人気も、慶吾や貴志、健司と比べると、まるで東京タワーと鉛筆(言い過ぎか、ちょっと?)と言ってもいいくらいだ。
なにしろ、言うことは厳しいがあまり人を非難することはない中山諒子ですら、「あたし、あいつ、嫌い」と、凄まじい言葉を吐いたのだから。
まあ、とにかく、クラス内の評判は、決していいとは言えない――と言うか、悪いと断言できる――奴だ。
その日頃の恨みですか、いきなり襲ってきたりしたのは? 信用できる人がいなかったとか? なるほど?
だがまあ、どうでもいい、そんなことは。
真治が、また、怒鳴った。
教室では一度も発したことのないような、よく聞こえる、大きな声だった。
「早く出て来いよ、チクショウ! そうだ――稲山さんでいい! 稲山さんを出せ! さもないと、全員ぶっ殺してやるからな!」
真治の言葉に、奈津子は、「ほら」と言った。
「どうやらご指名らしいんだけど? どうする? 行ってもいい?」
貴志も、今度ばかりは黙り込んだ。
まさか名指しで呼び出されるとは・・・・・・。
ひょっとしたら、真治は芳明が起こした騒動の一部始終を、どこかから見ていたのかもしれない。
それで、芳明と健司がいなくなって、防御が薄くなった時期を狙って――
十分考えられることだ。
しかし、とにかく、問題はこれからどうするかということだ。
真治の言うことを聞いて、奈津子が囮に出て行くか、それともこのまま膠着状態を続けるか?
どちらにしても、危険な賭けであることに変わりはなかった。
貴志は、思った。
どうでもいいが、なんで奈津子なんだ? 南さんだってかなり可愛いってのに。あいつ、奈津子のことが好きなんじゃないか?
おにいちゃん、そりゃ嫉妬ってやつですよ。彼女のこととなると過剰に反応するんだから。もう、まったく。
だが、その考えが間違っているとは、誰も断言できるはずもなかった。
そんな貴志の思考を知ってか知らずか(知らないだろう、もちろん)、真治の声がだんだん荒くなっていった。
「チクショウ! 出て来ないんなら、皆殺しだからな!? 稲山さんが俺のものにならないって言うんなら――」
どこかの恋人同士の人間関係を描いた、三流のテレビドラマのような台詞だ、冒頭部分がえらく物騒だが。
とにかく、真治が言っていることは、欲しいものがあって母親に駄々をこねている、小さな子供と同じなのだ。
ママ、あれが欲しい! あれ買ってよ。ねぇ、ママ! あれ買ってくれないんだったら――
そのあとに続く言葉は、もちろん決まっている、この状況下では。
真治の口調が、よりいっそう険しくなった。
「お前ら全員、死んじまえ!」
型通りの台詞だった。
もしこれが茶の間の前のブラウン管の中――本当にテレビドラマかなにかであったなら、おそらくこのドラマの視聴率は、1パーセントにも満たないかもしれない、どうでもいいことなのだが。
そして予想通り、その言葉のあとからは、5.56ミリNATO弾が、恐ろしい速度で薬局を襲った。
天井の蛍光灯が割れ、貴志の眼鏡のフレームに破片が当たった。
目に当たらなかったのが幸いだった。
しかし、とにかく、もう限界だった。
薬局とその隣の商店の壁の隙間に、灯油をいっぱいに溜めたタンクがあるのだ。
それは木の板で隠れていたのだが――今の攻撃で木の板がボロボロになって割れてしまった。
割れた木の板の隙間から見える灯油タンクに真治が気付いてしまったら――もうどうしようもない。
その前に、行動を起こす必要があった。
奈津子が、貴志に目で合図をした。
大丈夫だから。これ以上迷惑はかけれない、私が出て行くから。
その目は、そう言っていた。
貴志は苦々しそうに唇を噛み締め――小さく頷いた。
苦渋の決断だった。
自分の大切な人を、どんな理由があってむざむざあんな奴に渡さなければならないのか。
そう思いながら、言った。
「気をつけろよ。もし危なくなったら、俺たちに構わず逃げろ? いいな?」
奈津子は頷いたが、そんな忠告を聞く性格ではない。
貴志が、ドリンク剤の瓶から別の小さな容器(大きめの目薬の容器だ)に移し替えたあの薬品を、床の上を滑らせて渡した。
それから、重苦しい口調で、言った。
「マジでヤバくなったら、それ使っちまえ。ただし、気をつけて、よく考えて使うんだぞ?」
奈津子が、その容器を拾い上げて、小さく頷く。
今まで黙ってそれを見ていた由香利が、いきなり制服を脱ぎ出した。
貴志はちょっとドキッとした(もちろん、制服の下にはシャツを着ていたし、その上には防弾チョッキも着ていたので、すぐにほぅと溜息をついた)。
その溜息は、大半は安堵のためだったけれど――ひょっとしたら、ほんの少しだけ、残念がっていたのかもしれない。
こんな状況であるにも関わらず、男というものは、なんといい加減なのだろう。
仕方ないだろ、そんなこと。男のサガってやつなんだから、どうしようもないんだよ、ホントに。
そんなことはともかく、由香利は防弾チョッキを脱いで、奈津子に渡した。
言った。
「ホントに――気をつけてね、奈津子ちゃん」
声が、少し、震えていたように感じた。
奈津子は、わずかに戸惑ったが――結局、頷いてそれを受け取った。
制服を脱いで、シャツの上にそれを着てみた。
まあまあだった。着心地はそれほど悪くない。
奈津子はひとつ、溜息をついた。
貴志の心配そうな表情を、じっと見つめた。
最後の見納めになるかもしれない――などとは思っていないが、少なくとも、そうなる可能性は皆無ではない。
奈津子は、目を閉じて、すぅっと大きく息を吸いこんでから――よく通る声で、叫んだ。
「いま出て行くから、ちょっと待ちなさいよッ!」
それで、奈津子は、思いきって立ち上がった。
上半身が、カウンターの盾のない部分にさらされた。
穴だらけの壁の向こうで、真治が、無気味に笑っていた。
弾丸は飛んでこなかった――今のところ。
奈津子は一歩ずつ、足を進めた。
薬局の外に出ると、冷たい雨が容赦なく制服を濡らしていった。
怪しまれないように、振り向かずに薬局をあとにする。
どんどん真治のいやらしい顔が近づいてくる。
どんどんどんどん――あと10歩、9歩、8歩、7歩・・・・・・。
§
真治は、強張った表情で自分に近づいてくる奈津子を見つめながら、思った。
女の子が僕を見てくれている――今まで見てもくれなかった、しかも前から好きだった稲山さんが――
つまるところ、真治は、稲山奈津子のことが好きだったのである。
しかし、クラスの大半の人間に嫌われている上に(面と向かってそう言う人はいなかったが、なんとなく雰囲気で分かるものだ)、内向的な性格であるために、女子に声をかけたことなど、ほとんどなかった。
そんな自分に、好きな女の子が近づいてきてくれる――自分のためだけに。
それは真治にとって、何よりも願っていたことだったのだ。
その夢は現実となったわけである、多少、シチュエーションが特殊であるけれども。
そうこうしているうちに、奈津子は、もう目の前まで来ていた。
3割の恐怖と、6割の侮蔑と――あとの1割は、なんとも形容のしがたい要素を含んだ瞳を、真治に向けていた。
この状況につけ込んで、奈津子を言いなりにさせようとしている自分を軽蔑しているのだろうが、そんなことはどうでもよかった。
もう真治は、そんな瞳で人から眺められるのには、馴れていたので。
自分の願望さえ叶えば、相手が自分をどう見るかなど、考えるに値しないものなので。
奈津子が目の前にいる。
手を伸ばせば、届く位置にいる。
それだけで、真治の心臓はスキップしていた。
しかも、手の中には、最強のM4A1アサルト・ライフルがある。
これがある限り、奈津子はもう自分の言いなりなのだ。
そう思うと、いつもの内向的な性格はどこへやら、やたらと傲慢な感じになってきた。
「稲山さん――」
真治が、言った。
優位な状況にいるにも関わらず、『さん』付けをして呼ぶのは、真治の真治らしいところかもしれない。
「なに?」
奈津子が気だるそうに、返事をよこす。
真治は、続けた。
「あの、俺さ――」
思った。
おやおや、僕はいつから自分のことを『俺』と言うようになったのだろう?
しかし、まあ、続けた。
「俺さ、ずっと――その、俺の言うことを聞いていれば、殺しはしないから。安心してくれ」
一番言いたかった言葉とは少し異なるが――それでもなんとなく、それなりのことは言えたような気がした。
言い切ったあと、奈津子の表情を見てみると、なんだかバカにしたように笑っていた。
笑いながら、前髪を右手でかき上げた。
黒くて長い髪が雨に濡れて、真治を必要以上に興奮させる。
それでも真治は、精一杯しかめつらしい表情を作って見せた。
言った。
「なにが可笑しいんだ?」
奈津子が、乱れていたセーラー服のリボンを整えた。
どうやら先程の真治の攻撃で乱れたらしかった。
そして、アサルト・ライフルを示しながら、言った。
「あなたは、こんなもので脅しながらでしか、自分の考えを伝えられないわけ? それじゃあ、クラスメイト全員に嫌われてたって、文句は言えないわよね? 自分でそう思わないの?」
面と向かって『嫌いだ』と言われ(少し迂遠な言い方ではあるが、『クラスメイト全員』という中に、当然、奈津子も入っているはずであった)、真治は鋭く、唇を歪めた。
「う、うるさい! お前なんかに何が分かるって言うんだ!」
叫んでみたものの、その言葉は、奈津子の「ふん」という言葉で一蹴された。
「分からないわよ、あなたのことなんて。他人なんだもの、分かるわけないわ」
「だ、だったら――す、杉山のことなら、分かるって言うのか!?」
真治は言ってから、後悔した。
何故こんなところで、杉山貴志の名前が出てくるのだ、一体!?
稲山はもう俺のもので、杉山なんかには関係ないのに!
しかし、貴志の名前が出た途端に、奈津子の顔色が変わっていった。
今さっきまでのバカにした笑いが消え、じっと真治を睨みつけていた――それで、整った顔立ちが崩れることはなかったけれど。
奈津子は、声を押し殺して、言った。
「それが、あなたとなんの関係があるわけ?」
明らかに、怒っていた。
真治は思わず、笑ってしまった。
そう、所詮は奈津子も、ただの中学3年生にすぎないのだ。
好きな奴の悪口を言われれば、普段は見せない表情も見せてくれるに違いなかった。
事実、奈津子が怒っている表情は、普段の学校生活の中では滅多に見ることがなかったので。
真治は、もっとからかってやりたいと思った。
もっともっとからかって、見たことのない表情を見てみたい、と。
その思考は、気に入った相手の恐怖の表情を見て面白がる、ストーカーの初期症状と言ってもいいものだった。
真治は、思いきり蔑む口調で、言った。
「そうか。そうだよな、稲山さんは、杉山と付き合ってたんだっけな」
「だから、それがあなたとなんの関係があるって言うのよ!」
奈津子が、叫んだ。
真治はまた、笑みをこぼす。
これも、見たことのない表情だったので。
だがまあ、続けた。
「別に? たださぁ、あんな奴、格好ばっかりで頭悪いだろ? そんな奴となんか、とっとと別れればよかったのに」
奈津子は、すぅっと息を吸いこんだ。
必死に怒りを耐えているようだった。
実のところ、貴志が頭が悪いと言うのは、事実ではない。
貴志の成績の順位は、常にクラスで一桁をキープしていたし、科目によってはクラス最高点を叩き出すことも珍しくはない。
しかし、総合的な順位は、いつも真治の方が上なのだ。
1位ならば当然、2位だったらまだまだ勉強が足りない。
そう言う固定観念のある真治から見たら、貴志など取るに足らない存在なのだ――もちろん、成績に関して言えばだが。
震える声で、それでも奈津子は、精一杯の抵抗をした。
「でも、あたしよりは上だもの」
「しかし、俺よりは遥かに下だろう?」
真治は、轟然と言い放った。
事実である以上、奈津子は反論のしようがない。
面白がって、真治は言った。
「どうせあいつのことだから、まだ一緒に寝たこともないんだろう? きっと遊んでるだけなんだよ。あいつ、バカだから――」
ぱん、と音がして、真治の饒舌は、唐突に終わった。
じんじんと痺れる左の頬に手を当て、真治は奈津子を睨み返した。
奈津子が、真治の頬を平手で打ったのである。
「学校の成績がなんだって言うの!? そんなの、あたしからしたら1ミリグラムの価値もないもの! あんたなんかより、貴志くんの方がよっぽど人間として利口だわ!」
勢いに任せて言ってから、奈津子は、はっと息を呑んだ。
真治の口元が、不気味に吊り上がっていたので。
真治の視線が、奈津子のうしろの方に行っていたので。
奈津子のうしろ――つまり、そう、あの薬局に、だ。
いけない! と、奈津子は思った。
思ったときにはもう、真治の指が、アサルト・ライフルの引き金にかかっていた。
「だ、ダメッ! やめてッ!」
奈津子が叫んで、アサルト・ライフルに手を伸ばした、そのときだった。
ドガガガガガガガガガガガガガガガ――!
M4A1アサルト・ライフルから、5.56ミリNATO弾がフル・オートで撃ち出された。
その弾丸の群れは、一直線に薬局の脇――石油が満載されたタンクに向かって行った。
弾丸がタンクに吸い込まれ、小さな火花が上がったのが見えた――直後、タンクは轟音とともに、爆発した。
ガソリンなどの爆発性の油ではないのだが、量が集まると、それなりに破壊力が増すのは言うまでもない。
タンクは一瞬のうちに火の塊となり、その隣にあった古い薬局は、一気に燃え上がった。
おや、花火ですか? 気が早いですね、まだ夏になってませんよ?
しかし、奈津子は、炎が揺らめく隙間から、見た。
入口まで炎に包まれた薬局の中で、ふらふらと揺れていた貴志の制服と由香利のセーラー服が、炎に包まれて燃え上がるのを。
それは、くるくると悶えるように回りながら、より大きな炎の中に消えてしまった。
制服やセーラー服のスカートは石油製品なので、真っ先に燃え上がるのは当然だった。
奈津子の中で、何かがガラガラと音を立てて崩れていった。
あまりにも呆気なさすぎる、それは、貴志と由香利の最期だった。
へなへなと力なく、奈津子は雨が叩きつけるアスファルトの上に、へたり込んだ。
渦巻く炎は薬局全体を包み込み、この雨でも火は衰えそうにない。
それに――もうどうでもいいことだ、貴志が死んでしまったのだから。
『気をつけろよ』
『バカッ!』
『くそ、どうすりゃいいんだ!?』
貴志の言葉が――ほんの数分前に聞いた貴志の言葉が、頭の中で反芻されている。
現実とは、こんなに厳しいものだったろうか?
生命とは、こんなに簡単に失われてしまうものだったろうか?
心とは、こんなに脆く崩れやすいものだったろうか?
考えてもどうしようもない思考が、奈津子の頭を満たす。
その頭上から、乾いた笑い声が聞こえた。
真治だった。
「ははっ! 見ろ、全部燃えてるぞ! ハハハッ! 俺がやったんだ、この俺が! 凄いぞ、俺はこんなことができるんだ!」
刹那、石油タンクが爆発したときとは比べものにならない轟音がして、薬局の建物が崩れ落ちた。
いや、正確には、吹き飛んだと言うべきだろう。
なにか爆発性のある薬品に引火したのだろうか?
ひょっとしたら、貴志が持っていた健司の薬品に引火したのかもしれない。
それで、奈津子は、思い出した。
制服のポケットの上から、手を押し当ててみる。
――あった。
目薬の容器の形をした武器が、ポケットの中にあった。
危険なので至近では使用するなと言われたが、目薬の容器いっぱい程度の量だ、どうせたいしたことはないだろう。
奈津子はポケットからそれを出し、ゆるゆると力なく立ち上がった。
もうどうにでもなれという思考と、こいつだけは許さないという思考が、ともに戦っていた。
しかし、結局、後者の方が強かった。
貴志を失った悲しみは、ベクトルの大きさはそのままで、方向をまったく別の向きに変えたのだ。
真治に対する、憎悪という方向に向かって。
奈津子が、真治の前から、数歩後退した。
真治が、面白そうな目を向ける。
「ん? なんか言いたいことでもあるのか?」
アサルト・ライフルの銃口を奈津子に向け、真治は言った。
こんなものに頼ってしか生きることのできない、軟弱な生物だ。
生きていく価値は――ない。
奈津子は、目薬の容器を手の平に乗せて、真治に見せた。
真治が、つまらなそうに笑う。
「ハッ! なんだそりゃ? 目薬の容器か? 一体そんなもの――」
真治が言い終わらないうちに、奈津子は、それを思いきり真治に向けて投げつけていた。
なるべく振動させないように、それでも、強く。
それを受け取ろうと、真治が手でそれを受け取った瞬間、それは、起こった。
当の真治は、何が起こったか、おそらく理解すらできなかっただろう。
目の前が真っ白に漂白されたと思ったときには、赤木真治はもう、この世の存在ではなくなっていたのだから。
目薬の中の薬品――ニトログリセリンは、起爆温度が30度という極めて低温で爆発する薬品である。
夏場は置いておくだけで爆発するし、衝撃を与えただけでも起爆する。
有名なダイナマイトの材料であるにも関わらず、実は、意外と簡単に作れてしまうものなのだ。
ニトログリセリンを作るためには、農硫酸、濃硝酸、グリセリンという、三つの材料が必要になるのだが、それらはすべて薬局で手に入るものである。
実際に購入するとなると身分証明書や印鑑などが必要になるので手続きが面倒なのだが、もちろんここでは、そのような手続きは一切必要ない。
健司は、薬局にあった材料と計器類を使って、ニトログリセリンを作り上げてしまったのだった。
そしてその威力たるや、爆発を予想していた奈津子の想像を、遥かに超えていた。
目薬の容器が破裂し、凄まじい爆風が奈津子を襲った。
落ちてくる雨が爆風に煽られて、一瞬、方向を変えてしまうほどの威力だ。
そして、もちろん、その爆風の中心にいた人物――赤木真治は、肉の塊となってこの世から消え去ってしまった。
目薬の容器程度でこの威力なのだから、これがビタミン剤の瓶一本分あったらどんな爆発が起きていたか、予想することすら難しい。
しかし、その爆風も、すぐに収まった。
あとは静かに雨が降り続ける、つい先程となにも変わらない風景だった。
変わったことがあるとすれば、それは、古びた薬局と、3人の人間がこの世から消えてしまったということくらいである。
真治と、由香利と、そして――貴志が。
奈津子はよろよろと立ち上がり、数歩歩き、また座り込んだ。
今の爆風と雨の影響で、薬局の炎は鎮火の方向に向かっていた。
ぶすぶすと白い煙を上げる、すっかり炭化してしまった柱の残骸を見ながら、奈津子は、声を出して泣いた。
あとからあとから、涙がこぼれてくる。
ぼんやりとした頭の中、奈津子は、思った。
まったく――涙というのは、本当に限りがないものなんだろうか――?
奈津子はしばらく、その焼け跡の前で、ずぶ濡れになりながら泣いていた。
【残り**人/端末損傷の為、モニター不能】