BATTLE ROYALE 2
The Final Game



       [ 第七部 / 中盤戦(後編) ] Now some students remaining...

          < 34 > ビフォアー・ストーム


  旗山快は、試合会場のちょうど中心付近にある、高等学校の大講堂の中にいた。
  目の前には、鎖で拘束されている女生徒が2人腰を下ろしているが、暇そうにぼんやりと雨が叩きつけている窓の外を見ている。
  快は、ちらっと腕時計を見た。
  専守防衛軍に入隊するときに貰った、ダイヴァーズ・ウォッチである。
  アナログとディジタルの両方で、世界標準時と大東亜標準時を表示できるものだ。
  その時計が、18時10分を示した。
 「――ふむ」
  快は、顎を手でなでながら、考え込んだ。
  放送の予定時刻は、6時間に一度――つまり、18時ちょうどに3回目の放送が入るはずなのだが、今のところその気配はなかった。
  あの、やたら細かいことに気を使う桃色政府のことだ、予定された放送の時間は、きっちりと守るはずである。
 「何かトラブルでも起こったのかな――?」
  快は、呟いた。
  この大雨の中だ、拡声器のケーブルが断線したとか、本部の学校が停電したとか、そんなことはいくらでもあるだろう。
  しかし、拡声器のひとつにつながっているケーブルが切れたとしても、他の拡声器は生きているはずだし、すべての拡声器を総括しているケーブルが断線しているとしても、この首輪へ直接電波で送信すれば済むことだ。
  停電にしているとしても、主電源の他に、副電源、予備電源、非常用電源の三つくらいは、最低でも準備されているはずだった。
  このプログラムというやつは、ハードウェアとしては、非常にセキュリティが固いことで有名である。
  快は、考えた。
  だとすると、イカれたのはハードウェアではなく、ソフトウェアの方か――?
  郁美の送信したコンピュータ・ウィルスが、管理者のミスで解凍されて、コンピュータを狂わせたのだろうか?
  しかし、郁美の行なった作業は、すべて録画されているはずなのだ。
  それを確認していないわけではないだろう。
  確かめてみる必要がある――
  快は、思った。
  言った。
 「ちょっと気になることがあるから、移動してもらうよ、悪いけど」
  すると、藤本華江があからさまに嫌な顔をし、榊原郁美は不思議そうに首を傾げた。
  華江が言った。
 「嫌よ、こんなに雨が降ってるっていうのに、どうしてわざわざ動かなきゃならないの?」
 「なにか理由でもあるのかしら?」
  郁美が、訊いた。
  両方とも、至って冷静な反応である。
  快は、ひょいと肩をすくめた。
  思った。
  まったく、この女の子たちは、自分が殺されるかもしれないことに恐怖を抱いていないのだろうか?
  それともやはり、それなりの覚悟はできているのだろうか、このプログラムが始まったときに?
  自分が、専守防衛軍に入隊させられたときのように――?




       §

  快が専守防衛陸軍に入隊したのは、1995年――つまり5年ほど前のことだった。
  その頃、快は神戸に住んでいた。
  もちろん、以前のように眩しくネオンが輝き、高層ビルが林立している、大都会『神戸』ではない。
  新年の始めに阪神・淡路一帯を襲った『阪神大震災』の痕を色濃く残している、瓦礫と廃墟の山の中だ。
  快には父親がいたのだが(母親は、なんだか知らないが快が物心ついたときにはもう死んでいた。父親は、母親のことは口に出そうとしなかったので、快も敢えて訊こうとは思わなかった)その地震の際、寝ている間にマンションの瓦礫の下敷きになって、死んだ。
  別段、旗山親子が、その大きなマンションに住んでいた、というわけではない。
  そのマンションの脇――小汚いスラム街の一角に、住んでいたのである。
  もちろん、ダンボールの家とまではいかないまでも、『家』と形容し得るかどうか怪しい建造物の中で、だ。
  そのとき快はたまたま、毎朝の日課である新聞配達のアルバイトをしていたので、助かったのである。
  実の父親の死は、幼い快にとってはショックだった、もちろんのことながら。
  しかし快は、今になっても、時々思うことがある。
  あのとき、自分は父親と一緒に死んでいた方が実は幸運だったのかもしれない――と。
  身寄りを失い、親戚をたらい回しにされたのち、けっきょく快はなんだかよくわからないまま、親戚の一人(たぶん伯父さん)に専守防衛軍の入隊志望者窓口に連れて行かれた。
  おそらく施設に預けておくよりは軍隊にでも入隊させた方が世話がかからないし、軍人の家族は税金がいくらか安くなるからという理由だったのだと思う。
  その窓口では、無精髭を生やした見るからにやる気のなさそうな男に、幾つか質問をされた。
  陸海空軍のどれに入りたいかとか、配属部署はどこがいいとか、敵は何人くらい殺したいかとか・・・・・・、まあとにかく、そんなつまらない質問だ。
  そうして、快はとにかく専守防衛陸軍の工作部隊に配属された。
  子供なら敵を欺きやすいとか、そういう安っぽい打算が働いたのは明らかだった。
  それからというもの、毎日が訓練と体力作りの連続だった。
  大人の兵士でさえ音を上げて次々と軍医部に担ぎ込まれていくなか、快は黙々とその日の訓練メニューをこなした。
  身体の方が先に限界を迎えていたが、それでも快は半ば無理やりに訓練をし、人体の構造を学び、ナイフで急所を確実に仕留める練習や射撃訓練を繰り返した。
  そうしているうちに、いつのまにか快は一人前の工作員になっていたのである。
  もちろん大体は訓練だが、入隊から数ヶ月で幾つか命令を受けて動いたこともあった。
  その中には、回数はそれほど多くないものの、暗殺指令も含まれていたのだけれど。
  当然のように、快は命令された任務をそつなく、しかし確実に遂行していった。
  絶え間なく銃弾が飛び交う東南亜細亜の辺境への海外派兵も経験した。
  たった一年足らずで、快は多くの戦果を上げていったのである。
  その報酬なのか何なのか、快は1ヶ月間の特別休暇を命じられた。
  軍の寮は増改築のために追い出されてしまい、仕方なく快は、もともと住んでいた神戸のスラム街に戻ってきた。
  もっとも、親戚なんかはもうとっくにどこかへ引っ越してしまっていたし、あてなんてものはまったくなかったのだけれど。
  震災から1年後の、1996年のことである。
  そのときに、そのスラム街で小さな診療所をやっている、一人の外科医に会ったのだ。
  名前は、確か――ダメだ、思い出せない。
  まあ仕方ないかもしれない、たった数時間くらいしか顔を合わせていなかったのだから。
  とにかく、おそらく生きていれば、快の父親と同じくらいか、少し年上のような感じだった。
  その外科医が、空腹で快が倒れそうになっているところを見つけて、その診療所まで運んでくれたのだ。
  そして、快に食事を――と言っても、朝食の残りらしい硬くて乾いた御飯(しかも麦飯だった)と、味噌汁を更にお湯で薄めたようなものだけだった。しかしそれでも、3日間なにも口にしていなかった快にとっては、最高級の神戸牛のステーキよりも美味く感じたが――振舞ってくれたのである。
  その外科医は、言っていた。
 「俺には、お前さんよりも3〜4歳ばかり年上の息子がいるんだがな。まったく、生意気で困ったもんだ」
  困ったもんだと言っている割には、どこか楽しそうな感じだった。
  不思議に思った快は、訊いた。
 「どうしておじさんは、そんなに楽しそうなんだい?」
  外科医は、おいおいおじさんはねえだろう、と心外そうな顔をしてから、言った。
 「いまな、その息子が修学旅行に行ってんだ。こんな貧乏な診療所やってる俺にゃ、旅行になんか連れてってやれんかったからな」

  ――なるほど。
  快は、納得した。
  以前の自分も、似たような立場にあったので。
  外科医の息子が修学旅行から帰ってきたら、きっと仲良くなれるだろうと思った。
  その夜のことである。
  その外科医が布団を貸してくれ、快は早々に床についた。
  布団で寝るのは、実に1ヶ月ぶりだったので。
  快が、継ぎはぎだらけの布団の中でうつらうつらとしていると、突然、大きな物音がした。
  外科医の、いきり立ったような怒鳴り声が聞こえた。
  なにを言っているのかは、よく聞き取れなかった(『プログラム』がどうこう、という言葉だけ、微かに聞こえた)。
  そしてそのすぐあとに――たららららららっという、なんだかよく耳にしたことのある音が、した。
  快は慌てて、布団を飛び出した。
  戸を開けて――そして立ちすくんだ。
  あの外科医が、血まみれになって診療台の上に仰向けに倒れていたので。
  軍服の兵士が実践でお馴染みの銃器、ヘッケル・アンド・コックのMP−5K・クルツ・サブマシンガンを構えて、戸口に立っていたので。
  快は、悟った。
  この外科医は、殺されたのだと。
  このなんだか分からないがとにかく、この世から消されてしまったのだと。

 『俺には、お前さんよりも3〜4歳ばかり年上の息子がいるんだがな。まったく、生意気で困ったもんだ』

 『いまな、その息子が修学旅行に行ってんだ。こんな貧乏な診療所やってる俺にゃ、旅行になんか連れてってやれんかったからな』

  自分のことを嬉しそうに語る外科医の姿が、快の心の中に浮かんでは、消えていった。
  そして、最後に、快の心の中には、ひとつの感情が生まれていた。
  はじめての感覚だった、それは。
  それは中川典子が、七原秋也のプログラム参加を聞かされたときに生じた、あの感情とまったく同じものだったのだが、もちろん快がそんなことを知るはずもない。
  それで、とにかく、目の前が真っ白になった快は――気がついたら、血まみれの兵士を足蹴にして、立っていた。
  手にはいつの間にか、診療台の隣に置いてあったはずのメスを、握っていた。
  そいつは、血でべたべたに濡れていた――兵士の血で、だ。もちろん。
  快は、思った。
  ああそうか、なるほど? この人たちを殺しちゃったのはぼくなんじゃないかな、ひょっとして?
  快は外科医と兵士の死体を眺めながら、遠くからパトカーのサイレンと音が響いてきても、じっとそこでぼんやりと座っていた。
  別段、取り乱したりはしなかった、ただこれからどうなるんだろうということは、おぼろげながら考えていたのだけれど。
  しかしそれも、まあどうでもいいや、と感じたそのときには、考えるのをやめていたのだけれど。

  その後、軍部がどうしてそういうことをしたのか、快は知らない。
  訓練された兵士をちっぽけな刃物だけで殺すことができた、さすがは専守防衛陸軍が誇る優秀な少年工作員だ、素質があるに違いない、――そう言われて、快は次の日には無罪釈放になっていた。
  工作員の素質? ぼくに? ふぅん、そうなの?
  しかし、それからというもの、快はいままで以上に何も考えず、拷問とも言える厳しい訓練に訓練を重ね、ほぼ完璧に任務を遂行し、気がついてみたら立派な軍隊の一員となっていたのだった。
  実のところ、快は父親が死んで親戚をたらいまわしにされているときにはもう、すべてのことを認める覚悟ができていたのだ。
  いや、正確に言うと、少し異なる。
  すべての現実を受け止める姿勢――、どんなことも何も考えずにに受けとめられる心――、そんなものが、まだ幼い快の中に形成されていた。
  けれどそれは、大人が見たらどこにでもいるふつうの素直な子供に見えていたのかもしれない、あらゆることを黙々と言われたとおりにする快のことを。
  だが実のところ、快の思考はどんなにつらいときも、苦しいときも、いつもただひとつの解答に収束していたのである。
  それはすなわち――、どうだっていいじゃないか、ぼくがいつ死んだって、なにがどうなるわけでもないんだから、という思考だった。
  だから、このプログラムの任務を受けたときも、別にどうとも思わなかった。
  リストアップされているクラスメイトを殺し、最後に自分が死ぬ――それだけの、実に簡単な任務ではないか。




       §

  そこまで考え、ふと、快は笑いそうになった。
  どうしてなんだか、よく分からない。
  とにかく、結構――いや、実のところめちゃくちゃに――可笑しかった。
  思った。
  だったらどうして――ぼくはそのリストに載っているこの2人の女の子を、まだ殺せていないのだろうか?
  命令違反は、すなわち国家反逆罪と同類の大罪である。
  もちろん快は、そんな処分などはどうとも思っていなかったが。
  まあ、いい、そんなことは、どうでも。
  思った。
  政府が管理しているこの『プログラム』には、軍部は簡単に介入できない(協力というかたちで、人員と兵器は提供しているが)。
  まさか、「トトカルチョの不正をさせている兵士を紛れ込ませているが、任務を遂行しようとしない。処分せよ」とは言えまい。
  このまま事態がどう転がっていくか、自分が死ぬべき時期がくるまで、傍観しているのもいいだろう。
  だがまずとりあえずは――当座気になっていることを、確認することが優先であった。
  ひょっとしたら、この隙に乗じて、この2人を逃がしてやることができるかもしれなかった。
  言った。
 「ほら、立って立って。少し濡れるけど、まぁシャワーを浴びるんだと思って、我慢して欲しいな」
 「この鎖、解いてくれないと立てないんだけど?」
  華江が、つっけんどんな口調で、言った。
 「ああ、ごめん、気がつかなかったよ」
  快はそう言いながら、しかし心の隅で、少し驚いていた。
  華江の口調に、ではない――この2人を逃がしてやれるかもしれないと、ほんの一瞬でも考えた自分に。
  ぼくは――彼女たちを殺したくないのだろうか?
  郁美と華江を拘束している鎖を解きながら、快は自問した。
  いくら考えてみても、答えが出るような気はしなかった。

  


      §

  その頃、プログラム本部が設置されている植田市立第壱中学校は、大混乱の真っ只中にあった。
  坂待の声が、職員室中に響く。
 「なんでこんなことになったんだー、ええっ!? これじゃあさ、プログラム自体が進行できないだろう! 責任者は誰なんだ!?」
  珍しく、坂待は怒りを露わにしているようだった。
  それは当然のことと言えるかもしれない。
  なにしろ、プログラムを管理するすべての端末がハングアップしてしまい、スピーカーからは延々と『スタースパングルドバナー』が演奏されていて、どうやっても止まらないのだから。
  米帝のバカバカしくて騒がしい曲なんか、坂待にとっては精神衛生上、一番好ましくないものだった。
  だがしかし、もしこれが本当にコンピュータ・ウィルスの仕業だとすると――妙だ。
  榊原郁美が仕掛けたウィルスは、完全に無効化されているはずなのだ。
  何故なら、郁美がコンピュータ・ウィルスを仕掛けたファイルは、坂待が郁美の行動を見抜いて、あらかじめ用意しておいたダミーのディレクトリの中なのだから。
  まさか、別の誰かが同じ手を使って別のファイルに仕掛けた、などということがあるのだろうか、この完璧な監視網をかいくぐって?
  そんなことはあり得ない――はずだ、多分、おそらくは。

 「・・・・・・ん? 待てよ?」
  ディスプレイいっぱいに、米帝の国旗である赤と白のストライプが表示されているのを眺めながら、坂待は考えた。
  言った。
  幾分落ち着きを取り戻しているようだった。
 「なあ、石田さ。こうなったのはさ、どういう理由でだか、知っているか?」
  兵士石田は、首を傾げた。
  言った。
 「担当の技術員が死亡したので詳細は知りませんが、なんでも、軍の幕僚監部からの電子メールを開いたのと、ほぼ同時刻だそうです」
 「ふぅん・・・・・・。幕僚監部からの電子メール、ねぇ・・・・・・」
 「それがなにか?」
  坂待は、前髪をうざったそうにかき上げながら、頭をゆっくり左右に振った。
 「いいや。別になにも。ところでさ、いま残ってる兵士はさ、どのくらいいるんだ?」
  石田は眉を寄せた。
  言った。
 「多分、10人に満たない程度でしょう。あの子も可愛い顔をして、相当なものですね」
  あの子、というのは、つまり中川典子のことである。
  坂待はあからさまに顔をしかめながら、じろりと兵士石田を睨んだ。
  言った。
 「石田ぁ、軍人は軍人らしくしてもらわなきゃなぁ。出過ぎた発言は、今後処分の対象になるぞ? 気をつけろよー?」
  それで、石田は、手で敬礼の形を取った。
 「はっ! 申し訳ございませんでした、担当官どの」
  坂待が手をひらひらさせたので、石田はもう一度敬礼をすると、坂待の前から去っていった。
 「中川典子――か。ふぅん・・・・・・」
  歩き去る際、坂待の面白くなさそうな呟きが、石田の耳に届いてきた。
  それで、石田は、小さく溜息をつき、必死にシステムを復旧させようと懸命になっている技術員の方に歩いていった。
  圧倒的に、人員が足りなかった。
  兵士石田は、システムの復旧作業を手伝っている(フリをしながら)、今後のことを考えた。
  さて――彼女は、うまくやってくれるだろうか?
  そして石田は、周囲の警備を装いながら、典子が飛び出していった昇降口の方へ向かって行った。




       §

  三村秋子――ではない、中川典子は、まだ中学校の近くにいた。
  むやみやたらに動いても、七原秋也と遭遇できる確率は、かなり――いや、ほとんど皆無と言ってよい。
  第一、典子はクラスが違うのはもちろん、学校までもが違うのだ、この選ばれたクラスとは。
  制服も違う、見たこともない生徒がプログラム会場に紛れ込んでいたら、例えばったり出くわしてしまった人物が『やる気』になっていなくても、どういう行動に出てくるか分かったものではない。
  なんとか連絡と言うか、秋也と合流する手段を考え出さなければならなかった。
  当座は、政府の追っ手は、もう心配する必要はない。
  本部の中学校には、兵士が5人、技術員が3人ほどしかいないはずだ。
  典子たった一人を追跡できるほど、本部に余力は残っていないだろう。
  中央政府に応援を要請されるとちょっとツライが――しかし、それでも即座に人員の投入はされないはずだ。
  ざっと見積もって、プログラムを管理しているコンピュータが復旧するまで、およそ10時間。
  それまでに秋也と合流を果たし、なんとかこの状況を切り抜けなければならなかった。

  実のところ、今では誰もが(まだ生き残っている誰もが、という意味だ、もちろん)逃げようと思えば逃げられる状態にあるのだ。
  コンピュータが完全に無効化されたことで、現在指定されているすべての禁止エリアが解除されることになるし、生徒の行動を制限しているこの首輪(ミッドウェー23号、とか言った?)も、今はただのアクセサリーと化しているのだから。
  内蔵された小型カメラも、マイクも、スピーカも、完全に機能を失っているので。
  しかし、無理に首輪を外そうとすると、やはり爆発してしまうような構造にはなっていたが。
  とにかく、逃げる手段はいくらでもあるのである、現在ならば。
  ただ、問題は、誰もそうなっていることに気がついていないということだ。
  それを誰かに知らせない限り、典子が必死で作り出したこの空白の10時間は、無駄なものとなってしまう。
 「何かいい方法は――どうやったら秋也くんに、このことを伝えられるかしら――?」
  典子は、呟いた。
  そこでふと、暗い思考が頭を過る。
  坂待が言っていたことが本当だとすると――秋也は重傷を負っているらしい。
  ひょっとして――ううん、そんなことはない、と思うけど、でも――もしかしたら、もう死んでしまっていたら?
  典子がいくら呼びかけても、もうそれが届かない場所に秋也が行ってしまっていたとしたら?
  そんなことを考え、典子は慌てて頭を振った。
  思った。
  あり得ないもの、そんなことは。この世界が例え滅んだとしたって、そんなことはあり得ないわ。
  それは、不安を打ち消すための、ただの欺瞞であることは、典子はとっくに承知していた。
  しかし今は――信じるしかないのだ、秋也を。
  秋也はいまも、必死に戦っているに違いない――襲い来るクラスメイトと、ではなく、いつ訪れるか知れない死の恐怖と。
  ならば、典子はそれを助けなければならなかった。
  約束したではないか――3年前、大阪の梅田にある私鉄ターミナルの雑踏の中で。

 『典子。ずっと、君と一緒だ』
 『今は、逃げる。――けど、いつか、俺はこの国をぶっ壊したい。・・・・・・みんなのために』
 『そのときは、手を貸してくれるかい?』

  自分はそのとき、何と答えた?

 『もちろんよ』

  そう。
  当然、そう答えた。
  それは――絶対だった、とにかく。
  典子は、思った。
  あたしの全存在を賭けて、秋也くんは、死なせない――死なせはしない、絶対に。
  それで、典子は、クルツ・サブマシンガンの装填済みのマガジン部分を、ぎゅっと強く握り締めた。
  典子の黒いきょろっとした瞳が、輝いた。
  秋也にメッセージを伝える方法を、たった今、思いついたので。
  少し危険だが――しかし、やるしかなかった。
  大丈夫。きっと、成功する――もうすぐ会えるはずだ、大好きな秋也くんに。

  典子は、中学校の駐輪場の横にある、雑草の茂みの中に身を隠した(近くに死体の山があるが、まあ、仕方なかった)。
  それから、ディバッグの中に手を突っ込んで、少し探った。
  あった。
  綺麗に折り畳まれた地図を出し、胸のポケットに挿してあったボールペン(インクが少ないが、大丈夫だろう)を右手に持った。
  地図の裏側に、短く、とても要約された、秋也へのメッセージを、さっと書きつけた。
  それから、顔を上げた。
  ディバッグから、スミス・アンド・ウェスンのチーフスペシャル38口径を出し、シリンダーを開いた。
  38スペシャルの弾が、全弾装填されていることを確認して、典子は頷いた。
  スカートのお腹のところに、チーフスペシャルを挿しておいた。
  銃身が冷たくて、少し、筋肉が引き攣った。
  ハイスタンダード・22口径2連発デリンジャーも、全弾(と言っても2発だけだけど)が装填されていた。
  そのデリンジャーは、太腿につけている、あの茶色いベルト(実はホルスターなのだけれど)の中にしまった。
  最後に、クルツから使用済みマガジンを抜き、予備マガジンを押し込んで、フル・オートの方へスイッチを倒した。
  これで準備完了だ。
  完全武装である。
  典子は、もう一度、ターゲットとなる『それ』に視線を移した。
  大きい、とてつもなく大きいターゲットだった。
  典子は一度、すうっと息を吸い込むと、ターゲットにゆっくりと、死角をついて接近していった。
  クルツを構えた。
  そして、典子は、そのターゲット――自分を乗せてきた大型トレーラーに向かって、9ミリパラベラム弾を撃ち込んだ。
  本部となる中学校の隣を通っている、比較的大きい道の上に、停車してあったのである。
  そして、もちろん、そのトレーラーのキャビンには、典子を運んできた軍の兵士が乗っていた。
  典子はクルツを撃ちまくりながら、思った。
  やれやれ。トレーラーを襲うなんて、まるでどこかの盗賊みたいだ。
  女盗賊、中川典子。本当に、ろくでもない、まったく。
  とにかく、本部の目の前で銃撃戦をやるのだから、それはとても危険な行為と言えるのだが、しかし典子はやるしかなかった。
  早いところ決着をつけないと、秋也に会う前に、典子の方が先に殺されてしまうかもしれなかったので――

   【残り**人/端末損傷の為、モニター不能】


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