BATTLE ROYALE 2
The Final Game



       [ 第八部 / 終盤戦(前編) ] Now some students remaining...

          < 36 > 障害


  雨が勢いを増してきていた。
  先程まではさして感じられなかった風も、今は歩くのさえ困難なほど強く吹いている。
  電柱の間に渡されている電線が、強風に煽られ踊りまくっていた。
  商店の看板がぎしぎしと音を立て、今にも落下してきそうだ。
  どこかのゴミ箱がひっくり返ったのか、それとも路上に落ちていたゴミなのか、空き缶やらコンビニエンス・ストアの弁当のビニール・パックやらが、強風に飛ばされてばらばらと散乱していた。
  日はとっくに沈み、あたりはもう暗闇に包まれている。
  会場の中央付近、市立図書館と文化会館が隣接している灰色の建物の壁に、幾筋もの水滴が垂れていた。
  規模こそ小さいながら、収容人数1000人を誇るその文化会館の中には、もちろん誰もいるはずがない。
  降り続く雨の音と、時折強く吹く風の音などを除くと、シンとした無人のホールだった。

  夏休みの卒業旅行かなにかで来ているのであったなら格好の肝試し場所になるだろうな、と七原光平(男子十五番)は思った。
  だが、そんな呑気なことを言っている場合ではない、今は。
  肝試しなどという、ガキの遊びではないのだ。
  どこから敵――そう、敵だ。昨日まではクラスメイトとか言ってわいわいやっていたのが! 信じられるか? ジーザス――が現れるかも分からない状況で、光平は極度に緊張していた。
 「クソッ・・・・・・」
  光平は、支給された武器(太めのワイヤーロープだ。こんなものが、なんの役に立つ、一体?)を握り締めた。
  手の平に、雨の雫とは違う、少し脂っこい冷汗が浮かんでいた。
  冷汗だった。
  光平は、試合開始からずっと、この文化会館の裏に隠れていたのだ。
  大半のクラスメイトがすぐに本部を離れてしまい、中学校のすぐ近くにあるここには誰もいない状況だということを知っていたわけではない、もちろんのことながら。
  とにかく光平は、まったく『運が良かった』だけである。
  しかしそのお陰で、とりあえず禁止エリアとやらの指定はないし、誰とも遭遇していないのだった、現在まで。
  光平は、クラスの中では倉沢圭吾(男子八番)に次いで身体が大きいうえに、サッカー部のエースということで脚力が強く、それなりにケンカもできた。
  瀬戸雅氏をいじめてやったこともあったが、あれは雅氏がなんの抵抗もしなかったので、光平としては遊んでいた感覚だ。
  しかし、その瀬戸雅氏はもう、いない――消えてしまった、この世から。
  べつにそのことで光平が負い目を持っているわけではなかったけれど(どうせ早々に死ぬだろうとは思っていた。だが、結構ねばったようだ。やれやれ、ご苦労さんだぜ)どうせだったら弾除けくらいに使えたかもしれないのに。
  だが、まあ、どうでもいい、そんなことは。

  ぐう、という音が、しんとした会館の裏側に響いた。
  腹の音だ。
  もちろんそうたいして大きい音ではないが、光平はちょっと、ぎくっとした。
  慌ててあたりを見まわし――誰もいないことを確認すると、「ぐはぁ」と大きな溜息をついた。
  身体が大きい光平は、見かけ通り豪快な性格だった。
  小学校の頃はガキ大将と呼ばれる地位にいるような、そういうタイプの人間である。
  だから、こんな状況でも腹は減るし、今後のことを考えて食事の量を減らすなどということはしなかった。
 「ちくしょう、腹、減ったな・・・・・・」
  光平は呟いた。
  唾を飲み下しながら、支給されたディバッグを漁ってみたが、地図やコンパスの他には、空になった数本のミネラル・ウォーターのボトルと、パン屑しかなかった。
  これまでに、支給された食料と水を、すべて食い尽してしまったのである。
  ちっ、と舌打ちをしてから、光平は立ち上がった。
  無闇に動くのは危険であるということはもちろん承知しているが、しかし仕方がない。
  光平は、もう半日も水分を補給していなかった。
  唇が乾いてかさかさになり、喉が乾きを通り越して痛んでいた。
  ほんの少しでも水分を補給しないと、脱水症状で死んでしまう。
  七原光平、脱水症状で死亡。享年15歳――まったく、ろくでもない。

  とりあえず水は――ないこともない。
  今も降り続いている、大量の水が。
  ただし、飲み水ではないけれど。
  だがこうなった以上、もうそんなことを言っている余裕はなかった。
  思った。
  いくら工業国の薄汚れた酸性の強い雨だからと言って、少し飲んだくらいでは死にはしないだろ?
  せいぜい腹を壊すか、そういったところだ。
  オーケイ、いいぜ、飲んでやる。下痢がなんだってんだ、死んじまったら、どうせ関係なくなっちまうんだから。

  光平は、空のペットボトルのキャップを開けて、会館の壁に沿って備え付けられている雨樋の排水口の所に置いた。
  どばどばと水道並みの勢いで水が溜まり(ちなみに光平は、工業団地の貯水タンクもない小汚いアパートに住んでいたので、学校で水道のバルブを捻るまで蛇口から水が勢い良く出るなんてことは知らなかった)一瞬で溢れ出した。
  光平は、それを一気に煽った。
  そこそこに冷たい水(雨水だけど。まあいいじゃん)が、乾いた喉を潤した。
  少しじゃりじゃりしたけれども、とにかく、水が飲めた。

 「――ぐっ、げほっ!」
  少し勢い良く飲み過ぎた光平は、思わずむせてしまった。
 「ごほっ、ごほごほっ! ・・・・・・クソッ!」
  ようやく呼吸を整え、一息つく。
  そして、残りのボトルにも水を入れ、また会館の裏の茂みに身を隠そうと姿勢を低くして歩き始めたとき――光平は見た。
  セーラー服を着たクラスメイト(他に誰がいる、こんな所に? 別の学校の生徒でもいるってのか、チクショウ)が、ちょうど茂みから出てきたところを。
  そして光平がそれと認識する前に、その女生徒と真正面から視線が合ってしまった。
 「あ――」
  その女生徒が、とぼけたような声を上げた。
 「あ――」
  光平も、同じような声を出した。
  双方にとって、この遭遇はまったく予想していなかった事態であり、咄嗟のことに思考が乱れたのだった。
  その女生徒は髪が短く、しかしかと言ってボーイッシュな感じではなく、比較的可愛い部類に入る女の子だった。
  艶のある黒髪が、雨に濡れてべったりと額に貼り付いていた。
  そして首にはもちろん――銀色に光る首輪が、何かのアクセサリーのように時折、ぎらぎらと怪しく光っていた。
  そこでやっと、光平はその女生徒が野口千沙子(女子十七番)だということに気が付いた。




       §

  野口千沙子(女子十七番)は、光平と視線が合った瞬間しまった、と思った。
  不思議なことに、どうしてもっと周囲の確認をしなかったのだろう、などということは咄嗟に思い浮かばなかった。
  よかったクラスメイトだ――とも思わなかった、もちろんのことながら。
  目の前にいる学生服を着ている人物を見て千沙子が真っ先に思ったことは、なんでよりにもよってこんな奴に――ということだった。
  千沙子にとって、身体が大きく意地が悪そうなぎょろっとした目つきの光平は、苦手なクラスメイトのナンバーワンだ。
  光平については――千沙子自身はいじめられたことはなかったのだけれど――あまりいい噂を聞かなかったので。
  現に、瀬戸雅氏はいじめられていたようだったし(光平は別にそのつもりはなかったのかもしれないが)、隣町の高校生とケンカをしたとかいう噂も絶えなかった。(もっとも、それが本当のことなのか、それともただサッカーの練習かなにかで怪我をしたのを誰かがおもしろ半分に噂でも立てたのか、その真偽は明らかではなかったが)
  しかしとにかく、比較的おとなしい千沙子にとって、光平の存在は恐怖以外の何者でもなかった、この状況では。
  殺し合いなのよ、これは、誰が何と言おうと――他人なんて信用できるわけないじゃない、天使ばかりの天国じゃあるまいし?
  そう、信用はできないのだ、たとえ親友の(そしてお人好しで到底、人殺しなんてできそうにない感じの)稲田奈津子であったとしても。
  千沙子はこのゲームが始まってすぐ、親友の奈津子を見たのだが(ああ、貴志くんに言ったら怒られそうだ、とても)声をかけなかったのだ。
  それはもちろん怖かったからなのだが――光平ほどではなかった、もちろん。
  
  しかし、そいつが――ゲームが始まってから一番会いたくないと思っていたそいつが、いるのだ、目の前に。
  そう思うと、途端に足ががくがくと震え出した。
  ぼけっと突っ立っている光平の手には、怪しく鈍い金属光沢を放つ、太いワイヤーロープのようなものが握られている。
  ちなみに、千沙子に支給された武器(武器、と言えるのだろうか、これは?)は、ただの金属製の板だった。
  ただし、異様に固いうえに鈍く光っており、弧の形に歪んだような長方形の中心の少し上のあたりにはスリットが設けてあり、透明で小さく四角い教化プラスティックのプレートがしっかりとはまっていた。
  形こそ標準のものよりもかなり小さいが、それは紛れもなく、テレビなどで警察がよく使っているジュラルミン製の防護盾だった。
  だが、はっきり言って、重いだけで役に立つとは思えない、どう考えても。
  それとも、お皿にでもすればいいんですか、食事のときの? ああ、そうなんですか。でも、ちょっと大きいと思いますけど?

  とにかくも、千沙子は迷わずに、そのジュラルミン防護盾を放り投げた。
  そして、それが地面に落ちるよりも早く、くるっと光平に背を向けると全速力で茂みの中に走りこんだ。
  背後でガコンと、金属が地面に落ちる音がしたが、どうでもよかった。
  尖った枝や棘のある蔦などが身体に絡み付き、そこらじゅう切り傷だらけになったが、とにかく、走った、思い切り。
  スカートの裾が枝に引っかかり、ピッと縦に長く裂けた。
  やれやれ、スリットができてしまった、チャイナ服じゃあるまいし。
 「ハッ、ハッ、ハッ・・・・・・!」
  千沙子は走りながら、少し後ろに注意を向けた。
  すぐに、ざざっと言う茂みが揺れる音が聞こえた。
 「!」
  千沙子の表情が、一気に強張った。
  ちくしょう、追って来ている!?

 「待てよっ! 別に殺しはしねーよ!」
  光平の声が、すぐ近くに聞こえた。
  茂みで見えなくなっているだけで、実際の距離は10メートルもないだろう。
  その口調が少し――本気のような気がした。
  それで、千沙子は、一瞬逡巡したが――結局、走り続けた。
  光平に大声を出されて別の誰かに見つかってしまうとまずいし、なにより脚力で光平に敵うはずもないのだが、走った、とにかく。
  しかし、サッカー部のエース級というのは、ときとして本職の陸上部よりも、足が速いことがある。
  まして男女の差がある上に、短距離だろうが長距離だろうが走ること全般が苦手な千沙子にとっては、もともと振り切れるはずもなかった。
  どんどんと足音が迫っていた。
 「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・・・・!」
  呼吸がめちゃくちゃに乱れていた。
  千沙子が精一杯で走っているにも関わらず、光平の足音は背後にピッタリとくっついてきて離れていない。
  それどころか、気のせいかさっきよりも大きく感じる。
  その、背後から追われる恐怖に、千沙子はだんだん泣きたくなってきた。
  なんでわたしは、こんなことをしているんだろう?
  どうしてこんなことになってしまったんだろう?
  ――わけが分からない。
  そして、思った。
  これは――
  これは夢だ、そうに違いない。
  わたしはきっとまだ家のベッドの中にいて、ただちょっと悪い夢を見ているだけなんだ。
  早く起きなきゃ、早く――

 「・・・・・・っ!」
  千沙子の腕が、野バラの棘に引っかかった。
  そこがすぅっと裂け、血が滲み出した。
  ズキンという鈍い感覚に、千沙子は思わず顔を歪めた。
  痛かった。
  確かな現実が、そこにはあった。
  脇腹も、ずんずんと突き上げられるように痛みだし(ああ、運動不足のせいだ。こんなことなら、もう少し部活を続けていればよかった――あ、茶道部じゃ関係ないか)、苦味のある唾液が口の中に充満して、内臓が引っ掻き回されているような嘔吐感が込み上げた。
  そのときだった。
  今まで必死に動かしていた脚を誰かに、ぐいっと引かれたような感覚がした。
  あっ、と叫ぶ間もなく、千沙子は思いきり地面に倒れ込む羽目になった、ヘッド・スライディングにしては、あまり格好よくなかったけれども。
  地面に肘を打ち付けてしまい、雨でドロドロになった土が派手に飛び散り、口の中に入ってじゃりっとした。
  見ると、そこらじゅうにバラのような棘のある蔦が生い茂り、千沙子はその蔦に足を絡めとられたのだということに気が付いた。
  白かったソックスは泥で汚れ、赤い血が滲んでいた。
  に、逃げなきゃ――!
  千沙子は思った。
  ぐしゃっ、ぐしゃっという重たい湿った足音が、すぐ近くに聞こえていた。
  千沙子は慌てて立ち上がろうとし――立ち上がれないことを悟った。
  動くたびに足に激痛が走り、走ることはおろか、立ちあがる事すらままならない状態だった。
  倒れたときに、捻ってしまったらしかった。
  どうしてわたしばっかりがこんな目にあうの? どうして――?
  千沙子は歯噛みをしたが、どうしようもなかった。
  千沙子の目の前で、黒服で黒帽子――喪服のようなものを着た男が、微笑んだような気が、した。
  やあやあ、あなたは野口さんでしたっけ? よくここまで生き残りましたねえ、しぶといなあ。でも、もうそろそろ時間ですね。
  それは、世に言う、死神――というヤツなのかも、知れない。わからない。
  そしてそいつは、学生服姿の大男に姿を変えて、千沙子の前に現れた。
  七原光平だった。

 「あ――」
  千沙子は、声を上げた。
  恐怖のためか、それとも絶望のためか、自分でもよく分からなかった。
  光平が、言った。
  忌々しそうに。
 「クソ、逃げるんじゃねーよ・・・・・・」
  言いながら、光平の視線は千沙子の脚のあたりに固定されていた。
  それで、千沙子は、スカートにスリットができていて、それで太腿のあたりまでめくれ上がっていることに気が付いた。
  慌ててそれを、手で直した。
  そして、哀願した、できる限り弱々しく。
 「や、やめて、殺さないで・・・・・・」
 「うるせーよ。おまえ、さっき俺が待てって言ったのに、止まらなかったじゃねーか」
  光平は、一歩ずつ千沙子の方に向かってきた。
  ぐじゅっ、という音が、光平の大きなスニーカー(カゲボシの新製品だ。どうでもいいことだが)の下から聞こえた。
 「あ、ああ・・・・・・やめて、来ないでっ!」
  千沙子は、捻った足に鞭打って、立ち上がろうとした。
  しかし、すぐに光平に捕まってしまった。
  ぐいっと凄い力で、千沙子は仰向けに押さえつけられた。
  黒い泥水が、セーラー服の背中に染み込んで冷たかったが、そんなことは問題ではなかった。
  ただ――怖かった、ひょっとしたら、このまま犯されて、殺されてしまうのではないかと思うと。
 「やめて・・・・・・助けてっ! お、お願い殺さないでっ!」
 「暴れるんじゃねえよっ! ぶっ殺すぞ!」
  じたばたと暴れる千沙子に、光平が怒鳴った。
  それで、千沙子は、少しむっとした。
  さっき追いかけてくる最中、『別に殺しはしねーよ!』とか言っていたのは、どこのどいつだったのか?
  いやいや、ときにはウソも必要ですよ。特にこういう場合は。仕方のないことですよ。そう思いませんか、おねえちゃん?

  それは――そうかもしれなかった。
  だが、もうどうでもいいことだ、そんなことは。
  なにはともあれ、現在のところはそれ以上に――
  ――怖かった。
 「ぶっ殺すぞ」などという言葉は、最近の中学生ならば別に普段でもふざけあって使う言葉なのかも知れない。
  しかしこのとき、この状況のもとでは、その言葉は冗談でもふざけあいでもない――そのままの意味なのだ、冗談ではなく。(冗談だったらどんなによかったことだろう)
  その言葉にびくっとして、千沙子は大人しくなった。
  そのときだった、その音が聞こえたのは。
  ぱぱぱ、という聞いたこともないような音が、千沙子の耳に飛び込んできた。
  なんだか――軽いタイプライターを打つような音だった。
  そして、凄い形相で千沙子を押さえ込んでいた光平の表情が、びくっと引き攣り――なんだか、ぼんやりと遠くを見ているような感じで、ぽかんと口を開けた。
  ごぼっという音とともに、その口の中からどす黒い液体がこぼれだし、千沙子の顔に降り注いだ。
  その光平の身体が、不意にぐらっと傾くと、そのまま千沙子にのしかかってきた。
  一瞬遅れて、鼻と耳の穴から、つらつらと血が流れ出した。
  不気味な粘着質のある赤い液体が、千沙子の顔にまとわりついた。
  千沙子は一瞬、状況が理解できなかったが、それでもその生温かい感触と血の臭いが、千沙子の脳裏にアラームを点灯させた。
 「いっ・・・・・・いやああああぁぁぁッ!」
  叫んだ、思いきり。
  もう何がなんだか分からなかった。
  7〜80キロはありそうな巨漢を無理やり押しのけようとしてもがいたとき、千沙子は、見た。
  光平の黒い学生服の肩口の向こう、会館の壁の影から、白いワイシャツ姿の旗山快が立っているのを。
  そしてその手には――煙草のカートン箱ほどの大きさの黒い物体が握られていた。
  それはもちろん、イングラムM11サブマシンガンだったのだが、千沙子にはそれと知覚することはできなかった。
 「あ――」
  千沙子が声を上げたそのときにはもう、単発射撃モードに設定されたイングラムから、3点バーストで打ち出された9oパラベラム弾が千沙子の思考中枢を刺し貫いていたので。
  千沙子は、自分の頭蓋骨に穴があいて大脳がまわりに飛び散ったなどということを感じ取ることはもちろんできなかったが――しかし撃ち抜かれる直前、こう思った。
  これで悪夢も終わりだろうな・・・・・・と。
  そして、千沙子は、今度こそ本当に、眠りについたのだった。




       §

  快のすぐ後ろにいた榊原郁美と藤本華江は、快が二人を撃つのを止めることができなかった。
  もっとも、華江には止める気はなかったのだけれど。
  仕方のないことでしょ、弱いものが強いものに殺されるのは? あたしはなぜか生きてるけど。

  しかし、郁美は、止めなければならないと思っていた、少なくとも。
  誰かがむせるような咳が聞こえ、郁美がどきっとして身を強張らせたときには、快はもうその音がした方向に走り出していた。
  快のあとを追って会館の裏から顔を出したときには、光平が千沙子の上に倒れ掛かるところだった。
  だから、彼のことに関しては――仕方がないと思った。
  ちょっと薄情かもしれないけれど、でも、もう遅い、死んだのだから。
  それに、よく分からないけれど、千沙子を襲おうとしていたようだったので。
  だが、このとき郁美は、ちょっとした勘違いをしていた。
  快は光平を殺しただけで、千沙子の方は殺そうとはしないだろうと思っていた。
  どういう理由かは分からないが、とりあえず快は自分と華江を殺そうとはしなかったので。
  光平に襲われていた千沙子を、快が助けたものだとばかり思っていたので。
  快は、郁美の親友の北上彩(女子六番)を殺したが(いま思い出しても、あれは許せない、どうしても)、それは彩が拳銃を持っていたからで、快は自分が危険になるかもしれない原因を排除するために、やむなく殺したのだと思っていたのだ。
  でも目の前の千沙子は――明らかに怯えきっていて、快に刃向かえる状態ではなかった、どう考えても。
  だから、快は、自分たちと同じように千沙子は殺さないだろうと思ったのだ。
  だが――
  快は、殺した、躊躇いもなく。
  イングラムの銃口が千沙子に向いたとき、郁美は「あっ」と声を上げた。
  そして、ぱららっという音が響き――千沙子の頭部が、きれいに爆発した。
  イングラムが撃ち出した三発のパラベラム弾が、千沙子の額にほくろのような小さな穴を空けていた。
  脳だかなんだか分からないピンク色のゼリー状のものが、ぱぁっとあたりの木々に飛び散った。
  それは、見ようによっては、花火のように見えたかも、知れない。あまり美しくはないけれども。
  そしてもちろん千沙子は――死んでいた。

 「あ・・・・・・」
  弱々しい声が、喉の奥から出た。
  目の前で人が死んだ――それも、昨日まで仲の良かったクラスメイトが撃ち殺されたのだ、しかも同じクライスメイトに。
  信じられなかった。
  いやはや、本当に信じられない。
  まるで自分が、出来の悪いホラー映画のワンシーンに入りこんでしまったような気分だった。
  あー、ダメダメ。もっとカメラの方を向いて、死体の角度はこんな感じ。そうそう、じゃあテイク・ツーいきますよ?
  しかし――その鼻にまとわりつく血の臭いと、周囲に飛び散った人間の肉と脂の破片が、確かな現実味を帯びて垂れ下がっていた。
  郁美はプログラムが始まって以来、はじめて目の前で人が死ぬ光景を目の当たりにしたのだった。
  彩のときは――目の前というよりも郁美の知らないうちに彩は殺されてしまっていて、殺される瞬間は見ていなかったので。
  それがどうだ、今のは、人間の頭が(それも見知ったクラスメイトの)木っ端微塵に砕け散ったのだ、目の前で!
  奥さん見ましたか、いまの? すごいでしょう、滅多に見れるものじゃありませんよ。いや運が良かったんですね。

 「・・・・・・そ、そんな――なんで!?」
 「ん?」
  震えが止まらない郁美に、快が振り返った。
  手に持ったイングラムからは、未だに蒼白い煙が立ち昇っていた。
 「どうしたんだい? 震えてるようだけど――」
 「――っ!」
  快のあまりのとぼけたような口調に、郁美はかっとなった。

  ぱん!

  軽い音が、周囲に響いた。
  銃声に似てはいたが、まったくの別物だった、今回ばかりは。
  快が、びっくりしたような表情で、いま郁美に叩かれた左の頬を押さえていた。
 「どうしてっ!? どうして殺したの、千沙子ちゃんを!?」
  郁美が、怒鳴った。
  もう気が狂いそうだった。
  しかし、一方の快は冷静に答えた。
 「ここで見逃しても、いずれ殺さなければならなくなるかもしれない。今のうちに処理しておくのが最善策だと思ったんだけど」
 「でも、だからって――あなたは、どうしてそんな簡単に人が殺せるの!? 哀しいとか、苦しいとか、そういう感情はないの!?」
 「さぁね。哀しい、とは思わなかったな。それに、これは任務なんだ、説明しただろう?」
  快は、郁美の方に向き直った。
  その表情には、感情らしいものがまったくなかった。
  まるで機械のような無機質な顔――さっき郁美に笑いかけた顔とは、まったくの別物のようだった。
  続けた。
 「ぼくには軍の命令がすべてなんだ。人ってのは、それぞれ考え方が違うし価値観も違う。君の価値観を押しつけられても困るよ」
  快が言い終わると、今まで黙って会館の壁に背を預けていた華江が、せせら笑った。
  言った。
 「軍の命令なんか、いくらでも逆らえるじゃない。この国にはいにくくなるだろうけど、死ぬよりマシでしょ、実際?」
 「そ、そうよ!」
  郁美も幾分、同調するように頷いた。
  快は、肩をすくめて、苦笑した。
 「うん。そうかもしれない。でも、生きている意味がないのなら、死んでも何も変わらないだろう? きみは、人間は何のために生きているか、知っているのかい?」
 「生きる理由を探すために――とか、世間ではよく言うけどね」
  投げやりな口調で、華江が言った。
  よく聞く言葉ではあるが、実際、華江自身がそうだったのだ。
  母親を父親に殺され、その父親を自分が殺し、それでもなお生きる理由があるだろうか?
  だから、華江は、戦っている、その理由を探すために。
  いやはや、なんとも波乱万丈な人生だと思わない? こう見えてもあたし、苦労してんのよ、ホント。

 「ハハア、なるほど?」
  快は頷きながら、口元を歪めた。
 「しかし、それでは結局最後が見えているじゃないか。死んだときが、理由を見つけたときだ。はっきり言って、死ぬために生きているようなものだとは思わないかい、ん?」
  人を馬鹿にしたような、しかしそれでも大切な部分では真面目なような、何とも言いがたい表情で快は言った。
  それで、華江は、むっとした。
  どうでもいいけど、どうしてこいつ、いちいちこんなにムカつくんだろう。
  華江は、訊いた。
 「じゃああんたはどう考えてんのよ?」
 「ぼくは――そうだな、生きる理由なんてものはないよ。ただ、とりあえず死んでないから生きている、って感じかな。ぼくはいつ死んでもいいと思っている。だから、それまでにできるだけいっぱい生きる理由を作っておきたいと思ったんだ」
 「な、なにそれ、どう言う――」
  郁美の言葉を遮って、快は続けた。
 「つまりだ。ぼくが生きた証、って言うのかな。そう言うものを残しておければいいなあ、と思ってるだけだよ。だからぼくは、ぼくがクラスメイトを殺したという事実が、生きた証だと思ってるんだ。もう生き残ってる人も少ないし、ぼくがこの世から消えるのは時間の問題だからね。上層部からは、プログラム終了直前に自決しろ、っていうような命令が下されているわけだから・・・・・・」
 「なッ!?」
  快の言葉に、逸早く反応したのは、意外にも華江の方だった。
  華江は声を荒上げて、怒鳴った。
 「じゃあ、あんたもともと死ぬためにこのゲームに参加させられたようなもんじゃない! それでものこのこ来たわけ!? バッカじゃないの!?」
 「・・・・・・声が、大きいよ」
  快に言われ、はっと華江は口をつぐんだ。
  快は溜息をつき、口を開いた。
  そのときだった。

  ピッ・・・・・・ピッ・・・・・・ピッ・・・・・・ピーッ・・・・・・

 「え?」
 「なに、いまの音?」
 「この音・・・・・・ヤバイな」
  快は、苦笑とも歯噛みともとれない微妙な表情を見せて、呟いた。
 「伏せろっ!」
 「えっ?」
 「いいから、言う通りにしろっ!」
  快が、はじめて怒鳴った。
  意味が理解できない郁美と華江を、快が無理やり抱え込み、跳んだ。
  そして次の瞬間――
  文化会館が、轟音とともに爆発した。
  発火でも、炎上でもなく――爆発だった、それもかなり大きな。
  その爆風は凄まじく、文化会館の外壁はおろか、建物自体の鉄骨を引き千切ってしまうほどであった。
  あまりの至近距離での大爆発に郁美は、あ、これはひょっとすると鼓膜が破れたな、と思った。
  郁美と華江を抱えた快も、この爆風に煽られて思いきり吹き飛んだ。
  女の子を抱えながら空を飛ぶ男。
  いやはや、朝起きたら旗山快はスーパーマンになっていた。グレイト。

  どれくらい空中を漂っただろうか。
  実際には、たいした時間ではなかったのかも知れない。
  コンマ数秒くらいなのかも、知れない。わからない。
  ただ、郁美にはものすごい長時間(そう、まるで地球が誕生してから現在に至るまで――いや、もっともっと未来、クルマが空を走って、スペースシャトルが隣の銀河に行けるころ)吹き飛ばされていたような気がした。
  もちろん、いつまでも浮いていられるわけがなかった、当然のことながら。
  すぐに郁美たちは、固いアスファルトで舗装された地面に叩きつけられた。
  膝を強打して、郁美の脳に突き抜けるような痛みが走った。
  そのままの姿勢で数メートル地面を滑り、近くに停まっているハンダ自動車の軽トラックのタイヤにぶつかって止まった。
  膝が擦り剥け、皮が剥げて肉が見えていた。
  ひょっとしたら骨が折れているかもしれなかったが、わからなかった、あまりの痛みで。
  血が、だらだらと流れ出していた。
  音が収まったと思ったのも束の間、今度は飛び散った建物の破片が郁美たちに降り注いできた。
  コンクリートの破片やら、ガラスの破片やらが、勢いよく散乱した。
  まるで夕立だ、これは。
  みなさん、今日の天気は雨、ところによりコンクリートなどの破片が降るでしょう。お出かけの際は傘をお忘れなく。

  郁美はその姿勢のまま、両手で頭を抱えて飛び散ってくる破片が当たらないように祈るしかなかった。
  その破片も次第に数を減らし、数秒後にはぱらぱらと細かい砂が落ちてくるほどになった。
  恐る恐る目を開けた郁美の目に、壁の一部が跡形もなく吹き飛ばされて内部の鉄骨がひしゃげているのが見える会館と、その傍らに立つ人影が飛び込んできた。
  その人影は、どうやら学生服を着ているらしかった。
  郁美は、思い出した。
  ・・・・・・殺さなければ、殺される。
  あの坂待とかいうふざけた名前の(そしてふざけた格好の)役人の言葉だった。
  それが、プログラムの、簡単な法則だった、つまるところ。




       §

 「は、ははっ・・・・・・」
  沼田正樹(男子十七番)は、引きつった笑いを浮かべていた。
  目の前に、榊原郁美と藤本華江、そしてそれを庇うような体勢で旗山快が倒れていた。
  郁美は膝に怪我をしたらしく、残骸が散らばる地面には、すでに小さな血溜まりができていた。
  華江は外傷は特に見当たらないが、頭を打ったのかもしれない、小さくうめきながら気を失っていた。
  そして快は――二人を庇うように覆い被さる格好をしていたので、ワイシャツを突き破ってガラスの破片やら引き千切られた鉄骨の一部やらが背中に突き刺さっていた。
  到底、無事とは思えなかった。
 「ま、まさかこれほどの威力があるなんて・・・・・・な」
  正樹は振り返って、破壊された会館を見つめた。
  彼に支給された武器は、HMXオクトーゲンという特殊な火薬を使用した爆弾だった。
  HMXオクトーゲンは普通、巡航ミサイルの弾頭などに使われる高性能火薬で、秒速9200メートルの爆風を発生させる威力を持つ。(ダイナマイトの数倍の威力だ)
  叛乱防止用に火薬量を抑えられてはいたが、時限装置もついていて、小さなアパートくらいなら一発で吹き飛ぶほど代物だ。
  まあ、今回は文化会館ということで、コンクリートで作られた頑丈な建物なので壁の一部が破壊されるに留まったが――それでも凄まじい威力だった、なにしろ会館の側面がすべて消し飛んだのだから――とにかく、その威力を目の当たりにした正樹は、震えていた。
  ちくしょう、俺はすごい武器を手に入れた!

  実際、今回のプログラムでは正樹に支給されたこのオクトーゲン爆弾が最強であることは、事実だった。
  しかし、数量が限られていた。
  500gの火薬を使用した爆弾が、二つだけなのである。
  今ひとつ使ってしまったので、残るはひとつだけだった。
  だが、まあ、人が集まっているところに仕掛ければ、一度に10人や20人を殺すことは造作もない。
  それに――

  正樹は、ゆっくりと意識を失っている3人のそばに歩み寄った。
  そして快の手からイングラムをもぎ取り、快に支給されたHk−pグレネード・ランチャー、郁美に支給されたスミス・アンド・ウェスン、矢島優希が持っていたM26A1破砕型手榴弾や、北上彩のディフェンダーまで、すべての武器をかき集め出した。
  思った。
  これだけあれば――俺の優勝は間違いない、確実だ。俺は生き残るんだ。
 「はっ! はははっ! あーっはっはっはっはっはっ・・・・・・!」
  正樹は、笑った。
  おかしかった。
  めちゃくちゃにおかしかった。
  だって見ろよ、こいつら誰を殺したのか知らないけど、せっかくこんなに武器を集めたってのに、全部俺が頂いちまうんだ。
  水の泡ってわけだ、間抜けだよな、そう考えると。
  やっぱりこの世界、選ばれたヤツだけが生き残るんだ。
  そしてもちろん、この俺は選ばれたんだ!

  正樹は、ひたすら笑い続けていた。
  だから、気が付かなかった。
  快のその冷めた瞳が、じっと正樹を映し続けていたことに。
  ついさっき、快は正気を取り戻したのだった。
  もちろん、背中に刺さったガラスやら鉄骨やらのお陰で、すぐに正樹を殺して武器を奪い返すなんてことはできそうになかったが。
  しかしとにかく――
  快は、目覚めていた。
  思った。
  やれやれ、どうやらまだ死ねないらしい。
  溜息をつきたいと思ったが、しかし息をする度に背中に激痛が走るので、やめておいた。
  まあしばらくはこのまま転がっていようか。
  ここのところずっと睡眠をとっていなかったし、この辺で一眠りしておくのも悪くはない。
  どうせ沼田は、自分の手で人を殺せるほどの度胸はない。(爆弾、という間接的な手段でなら殺せるんだろう、まったく)
  しかしそれにしても――
  血がこぼれ出している快の口元が、微かに歪んだ。

  どうしてぼくは、彼女たちを助けたのだろうか・・・・・・?

  考えてみたが、どうもすぐに答えは出そうになかった。
  やれやれ、どうもみなさん、なかなかしぶといんですねえ。
  快の視界の中で、黒服の男がにやりと笑ったような気がした。
  それは、錯覚だったのかも、知れない。
  それは、幻聴だったのかも、知れない。
  分からない。
  だが快には、不思議とその声が、快く感じていた。

  ・・・・・・いつになったら、ぼくを迎えに来てくれるんだ・・・・・・?

  ぼんやりとした意識の中、快は、そう呟いている自分を見つけていた。
  それは、誰にも分からないことだった。
  快は、とりあえず目を閉じた。
  それからすぐに、浅い眠りに落ちていった。
  眠りにつくまぎわ、快は思った。
  ああ、これじゃあ病院に着くまでに時間がかかるかもしれない。
  ぼくは三村慶吾を――いや、七原秋也を殺さないといけないのに。
  快にはそれが多少、心残りだった。
  
  【残り**人/端末損傷の為、モニター不可】


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