BATTLE ROYALE 2
〜
The Final Game 〜
[ 第八部 / 終盤戦(前編) ] Now
some students remaining...
< 39 > 余興
パァン――
パァン――
ザァザァと降りしきる雨の中、冷たいコンクリートの階段に腰を下ろして俯いていた典子の耳に、乾いた銃声が二発、響いた。
今までも銃声は聞こえていたけれど、その二発だけは、どういうわけか、典子の心にずしりと重く響いて聞こえた。
それで、典子は、思わず腰を浮かせかけた。どきっとして。
しかし少し思いなおすと――ゆっくりともとの階段に腰を下ろした。
待ち合わせ場所である、総合病院の入口の階段だった。
典子がメッセージを発してから、既に一時間が経とうとしている。
しきりに腕時計に目をやりながら(17歳の誕生日、アメリカのロス・アンゼルスで秋也に買ってもらった、典子の宝物だ)典子は微かに、溜息をついた。
「大丈夫、秋也くんならきっと。大丈夫。大丈夫、大丈夫だから・・・・・・」
典子は、呟いた。
溜息と同様、これももう何十回と発した台詞だった。
おねえちゃん、そんなの、分からないじゃあないですか。死んでるのかもしれませんよ、ひょっとして? だって、まだ来ないじゃないですか。
耳元で、意地の悪い囁きが聞こえた。
典子はその声を無視し、またちら、と腕時計に目を落とした。
銀色のフレームに茶色い革のバンド、丸い小さめの文字盤の中にオシャレに月があしらってある、アナログ式だ。
長針は、さっき見たときと同じ所に留まっていた。
そのかわり、秒針は180度回転していた。
思った。
もう30秒も経ってる・・・・・・。
まだ? 秋也くん、まだなの?
典子の頭の中に、ふっとなにかのイメージが割り込んできた。
あの、悪夢だった。
秋也の額に小さな穴が空いており、そしてそこから――
典子は慌てて、頭を何度も激しく振った。
思った。
あるわけがない、そんなこと、絶対に。絶対にだ。
スカートの中に顔をうずめ、典子はゆっくりと呼吸を整えようとした。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。秋也くんは、生きてる。絶対、生きてる・・・・・・。
壊れたテープレコーダーのように、同じ言葉を繰り返した。
それでどうなるというわけではないのだけれど、とにかく、そう呟いていないと、焦りと不安で押し潰されてしまいそうだった。
手の中で、ぎゅっと握り締めていたスミス・アンド・ウェスンのチーフスペシャルが、異様に重く感じた。
三年前、城岩中学のプログラムが行われたとき以来、ずっと典子が持っていたものだった。
それは――そう、ただの道具だ、人殺しの。
こんな典子の手の中に収まるほどの小さい道具が撃ち出す、さらに小さな石ころほどの鉛弾が、殺すのだ、人を。
「・・・・・・」
典子は手の中のチーフスペシャルを、ぼんやりと見つめた。
銀色に光る銃身が、怪しい光を放っていた。
典子はふと、黒いグリップに微かな血痕がついているのを見つけた、典子は今まで気がつかなかったのだけれど。
あれ、あたし、どこか怪我したっけ、今回?
典子は不思議に思い、両方の手の平を交互に見てみた。
怪我はしていなかった。
前回のプログラムのとき、あの桐山和雄が仕掛けたワイヤーの罠にかかってしまったときの傷痕が、微かに残っているだけだ。
では、誰の――?
そう考え、典子はちょっと、どきっとした。
『銃を見せてくれ。チェックしとかなきゃならない』
そんな、しっかりした頼りになりそうな声が、ふと頭を過ったので。
そして典子は、言う通りにスミス・アンド・ウェスンを彼に渡したので。
ひょっとしたら、これはもしかすると――
「川田くん・・・・・・の、血?」
典子は呟いた。
呟いてから――ぞっとした。
彼はもう死んでいる、しかも三年も前に。
その、今はもうこの地上のどこにもいるはずのない人物が生きていた頃につけた血が、まだ残っていたのだ。
川田章吾――死人の名前。
もう存在しないものに、どうして名前があるんだろう。
ごくっ、と喉を鳴らした典子は、自分ががたがたと震えているのに気がついた。
どうしたんですか、おねえちゃん。怖いんですか、それとも、寒いんですか? 毛布、いります?
典子は、とにかく震えを止めなきゃ、と思った。
しかしどうやってとめたらいいのかさっぱり分からず、ただ、震え続けた。
怖いわけではない、まして、寒いわけでももちろんなかった。
どうして震えてるんだろう、あたし?
そう考えていた典子の視界の隅に、微かな光りが一瞬映った。
それはすぐに消えたのだけれど――典子にはすぐにわかった、それが、金属光沢だということが。
気づいたときには、身体の震えはすっかり消えていた。
そのかわり、典子の大きめな瞳は、獲物を探る鷹のような鋭い目つきに豹変していた。
それは、そう――プログラムの出場経験のある“選手”の目だった。
§
相本晴美(女子十一番)は、白い清潔感のある総合病院の壁の影から、ちらと様子をうかがった。
そしてすぐに頭を引っ込め、ごくっと喉を鳴らすと、ぎゅっと武器――大ぶりなダイバーズナイフだった。けれど晴美にはナイフの種類などは判らなかったので、とにかく、ああ刃物か、と思っていたくらいだった。どうせなら、拳銃とか、そういったものが欲しかったのに――を握りなおした。
思った。
どうして弐中(私立第弐中学校の略称だ。地元では、みんな学校は略称で呼ばれている)の制服着たコがここにいんのよ!?
今回、プログラムの実験対象になった都立第壱中学校と、私立第弐中学校は、距離的にたいして離れているわけではなかった。
だから、よく部活などで対抗の練習試合をしたり(晴美は弓道部に所属していた。拳銃がダメなら、せめて弓でも“当たって”くれれば良かったのだけれど)近くのファーストフード・ショップ(ヤクドナルドが安くていい。けど、味はなんてったってマス・バーガーよね)で行き会ったりして、学校同士の交流はかなり盛んであった。
だから、とにかく、少し遠くからでも第弐中学の特徴的なセーラー服(スカートが短く、淡い色の胸当てがとても素敵だと羨んでいた。あ〜あ、ウチの中学、センスないよ、もう)がはっきり認識できたし、すぐに判った。
ただ――問題は、どうして別の学校のヤツが紛れ込んでいるのか、ということだ。
いつからプログラムって、二校合同になったの? それとも対抗戦ですか? まあどっちでもいいんだけど。
晴美は、病院の白い壁に背中をもたれさせ、微かに呼吸を整えた。
身体を動かす際、雨でドロドロになった地面がぐしゅっ、という小さな音を立てた。
それで、晴美は、びくっと硬直したのだけれど――気づかれてはいないようだった、まだ。
ほっと安堵の溜息をついたあと、考えた。
どうするべきか、これから?
18時きっかりに聞こえるはずの放送はないし(最初は聞き逃したのかと思って慌てたけれど、やっぱり放送はされていない、どう考えても)自分のクラスメイトだけだと思っていたら別の学校の生徒が来ているし。
ホント、どうなってんの、このゲーム? 途中でルールの変更なんて、あったかしら?
だがまあ当座大切なのはルールよりも生き残ること、ただ、それだけだった。
自分が優勝するには、どう動けばいいか。
クラスの人数も、もうかなりの数に減ってきているはずだった。
晴美は動かないのが得策と見て、ゲーム開始以来ずっと、この会場ギリギリに建っている総合病院の裏の山に隠れていたのだけれど――それももう限界だと直感していた。
病院の入口にいる女生徒は頻繁に腕時計を見ていて、どうも誰かを待っているようにも見えなくもなかった。
あら、デートの待ち合わせですか? こんな病院の前で? 相手はお医者さんですか。そうですか。
だから、ひょっとしたら、まだ誰か来るのかも知れない。わからない。
しかしそうなると、非常に厄介だ、自分にとっては。
いや、人間が一ヶ所にかたまるということは、それ自体は悪いことではない、少なくとも。
なにしろ、一度に数人の人間が殺せる絶好のチャンスなのだから。
しかし問題は――その方法だった。
見たところ、いま病院の入口に座っている女生徒は、拳銃を持っている、小さいけれど。
しかも、その他にもなんだか四角い黒い物体も持っているようだった。(それは、ヘッケル・アンド・コックのMP−5クルツ・サブマシンガンだった。“ふつう”の中学生の晴美には、それがなんであるのかまでは判らなかったのだけれど、しかし雰囲気から、なんとなくヤバイものだという察しはついていた)
一方、こちらはといえば、なんの変哲もないダイバーズ・ナイフだ。
戦力で言えば、てんで相手にならない。問題外だ、ハッキリ言って。
しかし、やり方さえ考えれば、始末できないこともないはずだ。
ただ、相手はクラスメイトではない――というよりも、同じ学校の生徒ですらない。
見たところ、このプログラムのルールに“のって”いるような雰囲気ではなかったが、しかし不確定要素が大き過ぎる。
慎重にいかなくてはならない、自分が生き残るには、とにかく、無駄なハイリスクを背負うのはまずかった。
さいわい、相手は何か考えているのか、どうも周囲への注意力が散漫になっているようだった。
少し近付いてみて、それから決めた方がいいかもしれない、ちょっと危険かもしれないけれど。
まあ、それくらいなら大丈夫でしょ。なに考えてるかしらないけど、こんなクソなゲームの最中にぼーっとしてちゃ、殺してくださいって言ってるようなもんよ、そう思わない?
晴美は、ひとつ深呼吸をすると、背中と壁をピッタリ合わせながら、再び正面玄関の方を覗いた。
そして――目を見開いた。
先程までぼんやりと座っていた女生徒の姿が、忽然と消えていたので。
正面玄関の階段は、そこにはもとから誰もいなかったかのように、まったく人の気配をうかがわせていなかったので。
「ど、どういうこと・・・・・・?」
晴美は思わず、呟いていた。
ちょっと目を離したと言っても、ほんの30秒とか、そのくらいのわずかな時間だったはずだ、多分。
その間に、どこか別の場所へ移動したとでも言うのだろうか?
しかしこの雨のせいで、天気のよい日に患者たちが散歩したであろう小さな庭はぐちゃぐちゃだったし、アスファルトで舗装してある部分にしても、歩いたら足音ぐらいはするはずである。
晴美は、そんな音は聞いていなかった、少なくとも、晴美に届く範囲内の音のなかでは。
では、最初から誰もいなかったのだろうか?
病院に出没する美少女の霊の正体を探れ――とかなんとか。夏場によくやるつまらない怪奇番組のようだ、まったく。
「・・・・・・ふぅ」
晴美は溜息をつき、軽く苦笑した。
思った。
バカみたいだ、あたしってば。思いっきりバカじゃん。
そもそも、別の学校の生徒が入って来れるはずがないではないか、この桃色政府が完全に制御しているクソゲームに。
バカバカしい、あたしともあろう者が、疲れて幻覚を見たなんて。
ちょっと寝た方がいいのかな、やっぱり。
そう考え、また病院の影に身を隠そうと晴美がうしろを振り向いた、そのときだった。
「動かないで・・・・・・」
そんな声とともに、いきなり目の前に細い筒がつきつけられた。
黒くツヤ消しが施された、その不気味な筒の内部の、螺旋溝までもがはっきりと見えていた。
それは――銃口だった、どう見ても。
さっき見た銀色の小型拳銃ではない。
銃床がなく、銃口のすぐ上に棒状のグリップを備えている“それ”は、大型の拳銃程度の大きさしかない。
しかし、そこから毎秒16発の速度で連射される9mmパラベラム弾は、晴美の頭蓋骨を砕き、大脳を粉砕し、頭部全体をストロベリィ・パイにするためには充分過ぎるほどの威力を持っていた。
すなわちそれは――旧・米帝陸海軍も大東亜共和国の専守防衛軍も、反体制ゲリラすら使っている強力な武器、MP−5クルツ・サブマシンガンであった。
晴美の、雨に濡れて冷えた身体から、一気に冷汗が噴き出した。
「動かなければ殺しはしないわ。持っている武器を捨てなさい」
クルツの銃口を微かに下げて(それでもまだ、晴美の身体からポイントは外れていなかった)女生徒が言った。
それで、晴美は、微かに片方の眉を上げた。
バカ言ってんじゃないわよ。そんなことしたって、何の得にもなんないでしょうに。
いまここで、あたしを殺した方が利口ってもんよ。そう思わない?
晴美はそう思ったが、口には出さなかった、もちろんのことながら。
そして、こうも思った。
なんだかわからないが、この女を利用しない手はない、と。
言っとくけど、あたし、中学で弓道はじめる前は、演劇部で慣らしてたんだから。相当なもんよ、あたしの演技力?
イッツ・ショータイム! 相本晴美のワンナイト・ステージ。さあ、お楽しみはこれからよ。
「お願い、こっ、殺さないでッ! わ、私だって、誰も殺す気なんてないわ!」
晴美は今にも泣きそうな声で、一歩うしろにあとじさった。
もちろん、弱々しく、ちょっとよろけて見せることも忘れなかった。
「ほ、本当よ! ほら、ぶ、武器も捨てるわ! あたし、ホントに戦う気なんてないの・・・・・・!」
ちょっと大袈裟に、持っていたダイバーズ・ナイフを、足元に落とした。
銀色に光る刃の部分が、すとっと濡れた地面に突き刺さった。
そしてさらに後退しようとし――脚をもつれさせて泥の上にしりもちをついてしまった。
雨に濡れたスカートが、晴美の脚にぴったりと貼りついて、そのほっそりとしたラインを浮かび上がらせていた。
それは、もちろん、演技のうちだった。
思った。
ちぇっ、これが男子だったら、効果は抜群なのにな、あ〜あ・・・・・・。
ええ、ダントツですよ、おねえちゃん。女優志望なんですか。歌でも歌ってみたらどうです? マイクとスピーカー、用意します?
晴美は、潤んだ瞳で、クルツを構えながら自分を見下ろしている女生徒を見つめた。
その表情に、微かな困惑が見てとれた、涙目ごしでちょっと視界が悪かったのだけれど。
「・・・・・・わかったわ。いいから、ほら、立って」
女生徒が、晴美に左手を差し出しながら、言った。
その間でも、右手で保持されたクルツの銃口は晴美を向いていたのだけれど。
まあ、ともかく、これで相手に弱々しい印象を与えることができただろう。
晴美は内心で笑い出したい気分だったのだけれど、そんなことはもちろんせずに、おずおずと自分の手を差し出した。
「た、助けて――くれるの、あたしを?」
念のために、聞いてみた。
女生徒は、頷いた。
「大丈夫、殺しはしないわ。あなたがこのゲームで“やる気”になっているのじゃなかったら、あたしは、あなたを傷つけない」
そう断言した。
その口調は、晴美にすらも、ああそうなんだと納得させるだけの力があった。
だがもちろん、思っていた。
残念だったわね。“やる気”十分なのよ、あたしは、悪いんだけど。
女生徒の手を借りて立ち上がった晴美は、とりあえず、そいつのことを観察してみた――弱々しい涙目のままで、だ、当然。
なんとなく晴美よりも大人っぽい雰囲気で(でも年齢はそう違わないはずだ、晴美は中学三年生なのだから。制服を着ているということは、もちろん、向こうも中学生なんだろう)身長はクラスの中であまり背の高い方ではない晴美よりも少し大きいくらい(157センチくらいかしら?)で、髪は肩にかかるくらいで比較的長く、黒くて大きめな瞳がとても印象的な――そう、同姓である晴美ですら、きれいな人だな、と思ってしまうような感じだった。
「あの・・・・・・」
晴美は、わざとしどろもどろした口調で、話しかけた。
ああっと、声も少し、震わせとかなくっちゃね。
「そ、その制服・・・・・・弐中のひと?」
今度はうまくできた――と思う。声も震えてたし。
女生徒は、ちょっと晴美の瞳を見つめ、微かに頷いた。
言った。
「そう。ちょっと事情があってね、ここに来たの。ううん、連れて来られたって言うべきかな」
「連れて来られたって――政府に?」
「うん、そう」
びっくりして訊き返した晴美に、女生徒は軽く笑って頷いた。(サブマシンガンのポイントは、いつの間にか晴美から外れていた)
それが、とても自然な言葉のように、晴美には聞こえた。
次の授業って体育だよね? と友達に訊いたときに返ってきそうな、そんな感じ。
晴美が黙っていると、女生徒は晴美の瞳を見つめながら、くすっと小さく微笑んだ。
それで、晴美は、慌てて目をそらした――どきっとして。
「あたし、三村・・・・・・ううん、中川典子っていうの。あなたは?」
優しい声で訊かれ、晴美はさらにたじろいでしまった。
さっき、サブマシンガンを突きつけながら鋭い瞳で晴美を見つめていたのと同一人物だとは思えなかった、とても。
なんというか――雰囲気がまったく違った。
昼と夜。天国と地獄。いや、天使と悪魔か。どこかの映画のタイトルみたい、ワ〜オ。
「あっ。えっ、あのそ、相本晴美・・・・・・です」
典子の問いに、晴美は焦りながらもなんとか答えた。
舌がうまく回らなかった、どういうわけか。
ハハア、そりゃあきっと油切れですよ、お客さん。潤滑油を塗った方が良いんじゃないですか? これなんてどうです、共和国領ブルネイ産の天然オイル。極上ものですよ、お安くしときますけど、お客さん。
「相本さん、ね? 相本さんは、ずっとここに隠れていたの? この――」
典子の声が、少し詰まった。
続けた。
「――この、プログラムが始まってから?」
「は、はい」
「その間に、誰かに遭わなかった? 男子でも、女子でも、とにかく、クラスメイトに?」
そう訊かれ、晴美は左右に首を振った。
思った。
あたし、誰とも遭ってないし、だいいち誰かと遭ってたら、そこらへんに死体が転がってるわよ、多分。
しかしそんなことは言わなかった、もちろん。
「あたし――怖くて、ずっとここに隠れてて――ほんとに、怖くて、どうしようか迷ったんだけど、でも、やっぱり出ていけなくて――それで、な、中川さんを見たとき、声、かけようか考えたんだけど――でも、なんか制服違うみたいだったし――だから――」
言いながら、晴美は目に、涙を溜めていた。
もちろん、演技だった――いや、演技のつもりだった。
ところがどう言うわけか、しゃべっているうちに、あとからあとから涙が溢れ出してきた。
あれれ、ちょっと待ってよ、なんで泣いてんの、あたし? これ、演技だったはずでしょ、確か。
「あ、あたし――あたし――ほんとは怖くて――ふだん友達とか言える人――あんまりいなかったから――だから――」
ボロボロと涙を流しながら、晴美は、自分でも言うつもりのないようなことまでも言っていた。
思った。
ちょっと、ホントに泣いてるの、このあたしがこんなことで? 演技よ、これは。でも――
間違いなかった。
晴美は、いつのまにか、その場にしゃがみ込んでう「うっうっ」と短い嗚咽を繰り返していた。
思った。
カッコ悪いなあ、誰だかわかんない人の前で。こういうの、みっともなくて、嫌だ。
でも、涙は止まらなかった。もう、止まらなかった。
泣き伏している晴美は、なにか、そう、とても温かいものに、ふわっと包み込まれたような気がした。
典子だった。
典子が晴美の背中から手を回し、晴美を抱き込んでいるのだった。
ちょっと、あたし、レズっ気なんてないんだけど。誰かに見られたら、変な誤解、されるじゃない。
晴美は思ったが、しかし――典子の身体は、温かかった。
とても、温かかった。
「大丈夫・・・・・・」
典子が、晴美の耳元で囁いた。
晴美はなんだか、どきどきと心臓が飛び跳ねまわっているような感覚に、慌てて両手で胸を押さえた。
この鼓動が、自分の背中を伝って、背中にぴったりと身を寄せている典子に届いてしまいそうな気がして。
そんなことはおかまいなしに、典子は、続けた。
「大丈夫よ、相本さん。あなたには、いい友達はたくさんいるわ。あなた自身が、それに気づいていないだけ――」
典子の吐息が、晴美の耳をくすぐった。
晴美には、それがなぜか、とても心地良く感じていた。
思った。
ああ――そうだ、この匂い、この感覚・・・・・・お母さんだ。お母さんの匂いだ。
間違いなかった――晴美がまだ小さかった頃、母親を見つけた嬉しさのあまり、思わず車道に飛び出してしまった晴美を、自分の命と引き換えに助けてくれた母親の匂いだった。
とても、優しい、母親の匂いだった。
それで、晴美は、さっきまでどきどきと激しく動いていた心臓が、いつのまにか収まっていることに気がついた。
そのかわり――なにか温かいものが、身体の奥、心の中に宿ったような気が、した。
典子は、小さな声で、それでも力強く、囁いた。
「ここから逃げよう、あたしと――ううん、あたしたちと。今なら、逃げられるから。ね?」
それは、とても甘美な囁きのように、晴美には聞こえた。
典子が嘘を言っているようには思えなかった。
典子についていけば、助かることができるのだ、多分。
ついていきたかった、助かるとか助からないとかではなく、とにかく、典子について生きたかった。
しかし――それは、できないと思った。
さっきまで、晴美は典子を殺そうと思っていたのだ、隙をついて。
晴美は、それが当然のことのように思っていた。
だが――それは、違った。
晴美は、思い出した。
『私たちは、殺し合いを、する』
『やらなきゃ、やられる』
あの、本部の学校を出る際、坂待とかいう役人に書かされた文字だった。
プログラムという史上最悪のゲームに突き落とされた晴美は、そうすることしかないと思っていた。
それが、絶対にして唯一の法則なのだ、と。
しかしそれは、違っていた。
それを――その法則を作り出していたのは、まさしく自分自身だったのだ。
自分が死にたくなかったら、誰か別の人を殺せばいい。
そんな理屈が、例えこの“特殊な”大東亜共和国にあったとしても、決して肯定されるべきものではないはずだった。
その流れに飲み込まれ、なんとしても生き残ろうとしていた晴美。
その流れにあくまで逆らい、必死に生き抜こうとする典子。
晴美には、その少しの目的の違いが、とても大きなものに思えた。
自分と、いま目の前にいる典子とでは、まったく違う人種――いやそんなもんじゃない、まったく別の人間、まったく別の生き物、まったく違う生命体(そう、月と石ころくらいに違う存在だ、あたしたちは)のような気が、した。
そしてそれは――凄まじい脱力感と無力感になって、晴美を打ちのめした。
左ストレートをモロに食らってふらふらになっているところに、さらに右のアッパーでとどめを刺された――そんな感じ。
「ごめんなさい――」
晴美は、小さく、呟いた。
そしてごしごしと涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳には、もう涙の雫は見当たらなかった。
そのかわり確固たる決意のようなものが宿っているように、典子には見えた。
「ごめんなさいって――どういうこと?」
典子は訊いた、不思議そうに。
晴美は、自分が落としたダイバーズ・ナイフに、ちらっと視線を落とした。
ダイバーズ・ナイフは、晴美が落とした状態のまま、2メートルほど向こうの地面に突き刺さっていた。
晴美は穏やかな、しかし素早い動作で、そのダイバーズ・ナイフを地面から引き抜いた。
言った。
「ありがとう、典子さん。あたしを誘ってくれて。・・・・・・でも、あたしは、行かれない。一緒には、行かれないの」
そう言って、すっとナイフを持ち上げた。
典子の身体が、ぴくっと微かに硬直したのがわかった。
クルツ・サブマシンガンを握る手に、わずかに力が加わったようだった。
典子の優しい目が、一瞬にして、先程までの鋭い目に変化した。
晴美はその様子を見て――ちらっと笑んだ。
そして、大きくナイフを振りかぶると――思いきり振り下ろした、自分の喉に向かって。
勢いよく振り下ろされたナイフはしかし、キィン、という金属が弾かれるような音がして、ぴたっと止まった。
ナイフの先端が、首輪に当たって欠けたようだった。
次の瞬間、ボン! という重い荷物を地面に落としたときのような低い音がし、それに次いで、ばしゃっというバケツの水を辺りにぶちまけたような音がした。
その水は、もちろん、真っ赤な色をした粘着質の水だったのだけれども。
晴美の頭部が、粉々に砕け散ったためだった。
ただ、頭をなくした身体だけが、しばらく硬直したようにその場に立ち尽くしていたが――やがてかくっと脚の力が失われると、へたり込むような格好でその場に崩れ落ちていった。
その、かつて首輪がついていた頭部と胴体との接合部からは、鮮血が飛沫のように吹き上がっていた。
あら奥様、そう言えば病院の庭に新しい噴水ができたそうですよ。なんでも赤い水か吹き上がっている珍しい噴水だとか? 見に行きません、今週の週末にでも?
典子は、突然のことにぽかんと口を開けたまま、しばらくその光景を眺めていた。
たった今まで、そう、ほんの数秒前まで話をしていた人間が――死んだのだ、目の前で。
いや、それどころか典子の腕の中には晴美の体温の余韻が残っていたのだ。
まだ、残っていたのだ。
それなのに――
「ど、どう・・・・・・して・・・・・・?」
典子は、呟いた。
しかしもちろん、答えはなかった。
そりゃあそうでしょう、おねえちゃん。頭がないんですから、答えようがありませんよ。口の肉片、どれですかね?
もちろん、典子は晴美が隙をついて自分を殺そうなどと考えているとは――そして晴美が、そのことでとても自分に嫌悪感を抱いたことも――思っていなかったから、晴美のこの突然の自殺は、まったく理解ができなかった。
だがしかしひとつだけ理解できることは――
晴美は死んだ、ということだった。それも、自分の意思で。
衝撃や外圧によって起爆コードが接触する仕組みになっている首輪を、ナイフの先端のような一点に荷重が掛かるもので突けば、こうなることは明らかだったはずなのに。
典子は、眩暈に襲われた。
胸のあたりがむかむかして、嘔吐感が込み上げた。
兵士たちと戦ったときとはまた別の感覚が、典子のなかで荒れ狂っていた。
典子は、このときはじめてああ、プログラムなんだなと思った。
自分と同じ中学三年生が――いや自分よりももっと若い美しい生命が、無意味に散っていった瞬間だった。
そう、きれいなガラス細工の人形がちょっとした拍子に床に落ち、粉々に砕けてしまったように――
しかしそれは、人形なんかとは比べものにならないくらいに、大切なものだったのに。
典子は、その場にしばらく立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと頭のない晴美の死体の方に歩みを進めた。
さっきまで首から噴き出していた赤い噴水は、すっかり消えてなくなっていた。
そのかわり、座り込んだ姿勢の死体を中心にして大きな池を作っていた。
典子はその池のなかに、足を踏み入れた。
靴の底でぱしゃっと血が跳ねたけれども、典子は気に留めるふうもなかった。
ただ――その血がまだ暖かいことが、第弐中学校指定の革靴をとおしてでも感じることができた。
典子は首がない、しりもちをついているような死体を、ゆっくりとその場に横たえた。
死体を横にするとき、まだ身体の中に残っていた血が、排水口から出る水のように首の切れ目から溢れ出した。
それで、典子の淡い色の制服を赤く染め上げたのだけれど――どうでもよかった、そんなことは。
「あなたが――」
典子は言った、死体に向かって、先程と同じく、囁くように。
もちろん死体には、耳がなかったのだけれども。
「あなたが、どうして死を選んだのか、あたしにはわからない。けど、それをあなたが望んだのなら――」
ぽろり、と一筋の涙が典子の頬を伝った。
その雫は、降り続いている強い雨と、大量にぶちまけられた赤い液体に混じって、すぐに消えてしまったのだけれど。
典子は、囁いた。
「・・・・・・おやすみなさい」
そして、さっと立ち上がると、クルツ・サブマシンガンを保持して歩き出した。
近くに落ちていた晴美のディバッグを持っていこうかと思ったけれど――やめておいた、食料も水も自分のディバックのながに残っていたので、とりあえずは。
雨の勢いが、少しばかり衰えてきているようだった。
おそらく、台風の中心が近付いてきたのだろう。
典子は、思った、なんとなく。
この嵐はこれからもっとひどくなるだろうな、と。
そして、それは、まったく正しかったのである――
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