BATTLE ROYALE 2
The Final Game



       [ 第九部 / 終盤戦(中編) ] Now some students remaining...

          < 41 > 離反


  職員室の隣、進路指導室の防弾ガラスがはめ込まれた窓に、強風で飛ばされてきた木の枝がばしんと当たった。
  もちろん、重装甲車の視認窓用に開発された耐衝撃防弾ガラスを破ることはできなかったのだけれど、しかしそれで坂待は、お茶の入った湯飲みを机の上に置いて長い髪をうざったそうにかき上げながら窓の外に視線を移した。
  いつのまにか、あれほど強く降っていた雨は止んでいた。
 「雨、止んだなあ・・・・・・」
  坂待はそう呟いて、窓のそばに歩み寄った。
  夜間照明すらついていない真っ暗な校庭の隅で、枝は細いがそれでも幹はしっかりした松の大木が、吹きつける強風にあおられて不思議なダンスを踊っていた。
  それはまるで――死神かなにか、とにかく、この世のものではないものが手招きでもしているように、坂待には見えた。
 「みんな、頑張っているかなあ。いま何人ぐらい生残ってるんだろうなー?」
  ぼそぼそと囁くように、坂待はまた、呟いた。
  しかし、すぐに髪を揺らして、頭を左右に振った。
  妻が二人目の子供の出産と同時に死んでから、坂待は自分でも気付かないうちに独り言が多くなっていた。
  その子供も、長女(乙女という名前だ)は京都の大学で教育学を学びたいからと言って一年前に家を出て行ったきり連絡もこなかったし、母親の命と引き換えに生まれてきた長男も高校3年のときに自殺をしてしまった。
  自殺の原因は同級生によるいじめだったらしい(もっとも遺書も残っていなかったし、いじめていたらしい子供の親が大きな企業の重役であったので、うやむやのまま受験ノイローゼによる自殺ということで事件は収まってしまった)。

  自殺をする前日、彼は父親にこう尋ねた。
 「なあ、俺が母さんを殺したのか? 俺を生んだから母さんは死んだんだろ? 俺が殺したも同然じゃないのか?」
  父親は答えた。
 「んー? そんなことはないぞー。いいかあ、耕太? 人ってのはなー、いつかは死ぬんだ、いいかー?」
  耕太は頷いた。
  坂待は続けた。
 「だからなー、母さんが死んだことで耕太がそんなふうに考えることはないんだぞー? 父さんも、耕太も、いつかは死ぬんだからなー。それがちょっとばかり早いか、またはちょっとばかり遅いか、たったそれだけの違いなんだよ。わかったかんー?」
  坂待が言い終えると、耕太は小さく溜息をついた。
  期待した答えとは違うようだった、どうも。
  そういうことを訊くことで、自分がいじめられていることを、父親にわかってもらいたかったのかも、知れない。
  わからない、もう。
 「・・・・・・いいよ。ごちそうさま」
  そう呟くと、夕食の片付けもそこそこに、さっさと二階の自分の部屋にこもってしまった。
  坂待はこのとき息子がいじめを受けているなどということはもちろん知らなかったし、例え知ったとしてもどうすることもできなかっただろう。
  もちろん普通の親ならば学校に相談するとか、いじめた子の親に抗議するとか、そういうこともするだろうが、耕太の通っている学校は少しばかり普通の学校とは違っていた。
  そこに通っている生徒は、ほとんどが国会議員、専守防衛軍の将校、大企業の重役の子供などで、当時は文部省に勤める一介の国家公務員でしかなかった坂待などは学校に掛け合ったとしても、もともと学校側が真剣に調査するほどの権力はなかったのである。
  だから、とにかく、その事実を知ったとして、学校に相談しても「何かの間違いでしょう」と取り扱ってももらえなかっただろうし、ましてやその子の親に抗議に行くなど問題外だった、当然のことながら。
  そういうわけで、その日は坂待が夕食を片付ける羽目になってしまった(男手ひとつで子供二人を育ててきたのだから、家事はかなりの腕だった、外見からは想像できないかもしれないけれど)。

  そして翌日――
  坂待が前日の試験の採点を終え(ひどい点数だった、いやはや。まあ、実際に試験を受けてくれただけマシな方だ、大半の生徒はサボって来なかったのだから)家に帰ってくると、そこにはカッターナイフで頚動脈を切り裂いて事切れている耕太がいた。
  耕太は、居間の仏壇の前で仰向けにひっくり返っていた。
  あたりは一面、血の海だった。
  畳には真っ赤な池ができていて、もちろん、血飛沫が部屋中に飛び散っていた。
  坂待は、しばらく呆然とその光景を眺めていたが、ゆっくりと血の池の中に足を踏み入れると、耕太の硬くなった顔に触ってみた。
  その顔は奇妙に引きつっていて、とても、とても、冷たかった。
  それから、坂待は、ゆるゆると立ち上がると、今はもうめっきり見なくなった黒いダイヤル式の電話の前に立った。
  人差し指で、不器用そうにダイヤルを回した。
  ジーコ、ジーコ、とダイヤルが戻る音がして、プッという音が受話器の向こうから聞こえた。
 「・・・・・・あ、乙女か――?」
  坂待が言葉を発したすぐあとに、録音された無機質な女の声が、受話器から流れ出した。

 『お客様のおかけになった電話は現在使われておりません。番号をお確かめのうえ、もう一度――』

  坂待は、受話器を戻した。
  黒電話が、チン、と鳴った。
 「なんだよ――」
  坂待は、呟いた。
 「なんだよ、乙女・・・・・・。父さん、電話番号、勝手に変えるなって言ったじゃないか・・・・・・」
  かなり後になってわかったことだが、学校は入学直後から休学し、同じ大学の教授と同盟国であるドイツへ行ってしまったらしい(駆け落ちだという噂もあった)。
  しばらく電話の前でぼーっとしていた坂待は、やっと思い出したように、再びその受話器を上げた。
  そして、はじめてまわす三桁の数字――110をダイヤルした。
  受話器の向こうの警官が面倒くさそうに、事務的な声で訊いてくる質問に答えながら、坂待は、何度も大きな溜息をついていた。




       §

  ――コンコン。

  ドアがノックされる音が聞こえ、坂待は、進路相談室のソファから身を起こした。
  どうやらいつのまにか、眠ってしまっていたらしかった。
  思った。
  やっぱり二日連続で徹夜はできないなあ、もう歳だからなあ。
 「う〜ん・・・・・・」
  唸りながら髪をかき上げ、首をぐるっと回した。
  首の骨が、ぽきっといやな音を立てた(運動不足だ、まあこんな所では運動しようもないのだけれど)。
  ドアの方に視線を移した。
  視界がぼやけていた。
  坂待は、ちょっと目を擦ってから言った。
 「入ってくれー。鍵はかかってないぞー」
  すると軋んだ音を立ててノブが回り、A4の大きさの書類の束を持った兵士石田が、顔を出した。
 「お休みのところ、失礼します。システム復旧の目処が立ったので、お知らせに参りました」
  共和国特有の一風変わった敬礼をしながら、石田は言った。
  書類の束を机の上に置いた。
  少なめに見ても30枚近くはあった。
 「これが破損したデータとファイルの一覧です。で、こちらが現在の復旧状態、こちらがプログラムを進行するにあたって最低限必要なシステムのリストで――」
 「ああ、もういいよ、うん、わかったから」
  坂待は右手を振って、石田の言葉を遮った。
  訊いた。
 「で、つまるところゲームに支障が出ない程度にシステムが復旧するまでにどれくらいかかりそうなんだ、んー?」
  それで、石田は、ちょっと書類を見た。
  言った。
 「今はまだ生存者が表示できる程度です。まあ早くてもあと5時間くらいは・・・・・・。そうですね、〇二〇〇時までにはなんとか」
 「午前2時かあ、深夜じゃないかー。これじゃあさ、ゆっくり眠れないよなー」
  坂待は言った。
  それで、石田は、ちらっと笑んだ。
 「別に眠ってていただいても構いませんよ」
  坂待の眉が、微かに上がった。
 「どういう意味だ、んー? 一応はさ、このプログラムの担当官なんだからさ、起きてなかったら、まずいんじゃないかー?」
  石田も、ちょっと眉を動かした。
 「そうですね、そうかも知れません」
  そして、石田は、書類の中に埋もれている坂待の湯飲みに視線を落とした。
  なんと言うか――年寄りくさかった、それも、かなり。
  ずいぶん使い古しているらしく、それ自体の色は黄色っぽく変色し、縁の部分に小さなひびが幾つも入っていた。
 「お茶、入れ替えてきますか、なんでしたら?」
 「んー・・・・・・。いや、いいや」
  坂待は、湯飲みの中にまだ残っていた冷たいお茶を飲み干した。
 「そうですか。では私はこれで・・・・・・」
  石田は敬礼をし、坂待に背を向けてドアのノブに手をかけた。
 「待てよ、石田ぁ。もうちょっと付き合ってくれないかー?」
  坂待が言った。
  その声が、先程とは違う感じに聞こえた、少しばかり。
  それで、石田は、振り返った。
  片方の眉を上げた、今度は幾分、あからさまに。
  そこには、イスに座ったままコルト・ガバメントを向けている、坂待の姿があったので。
  ガバメントが、石田の眉間を確実にポイントしていたので。
  坂待の口元は、いつものように、微かに歪んだ形をしていた。

 「なんのつもりです?」
  落ちついた声で、石田が訊いた。
  坂待は、ゆっくりと立ち上がった。
  そしてのろのろと石田の方に歩み寄り――兵士石田がつけている腰のホルスターから、コルト・ガバメントを抜き出した。
 「ほら、万が一のことがあるといけないからさ、一応銃は取り上げさせてもらうけど、悪く思わないでくれよな、な?」
  典子あたりが見たらぞっと身をすくませることうけあいの笑顔で、坂待は言った。
  ハハア、なるほど、万が一のことね? なんですか、その万が一ってのは? 理解できませんよ、ホント。
  坂待は、石田から取り上げたばかりのコルト・ガバメントの側面についているボタンを押し、なかに入っていたマガジンを抜き出した。
  そのマガジンには、3発の45口径ACP弾がきちんと収まっていた。
  ガバメントのマガジンの総弾数は7発のはずだったので――つまり、4発ほど足りなかった。
  坂待はそれを確認すると、マガジンの抜けたガバメントを兵士石田の方に放った。
  石田は、それを片手で受けとめた。
 「なあ、石田さ、このゲームが始まったときはさ、普通さ、総弾数いっぱいに弾丸を装填してあるはずだよな? 当然だよな、軍の規則なんだからさ」
  坂待はガバメントのマガジンを、しわだらけになった背広のポケットに入れながら、言った。
  石田は肩をすくめた。
  言った。
 「そうですね。そういう規則もないことはないと思いますよ、この国の防衛軍なら」
  どことなく伝聞口調な言いまわしだったが――しかしとにかく、坂待は気にとめたふうもなく、頷いた。
  続けた。
 「じゃあさ、この無くなった4発ってさ、どこで使ったんだろうな?」
 「さて、わたしには銃なんか使った記憶はありませんね。もともと入ってなかったんじゃないですか、確認してませんから」
  石田は答えた。
  妙に落ちついた声だった、目の前で拳銃を向けられているにしては。
  それで、坂待は、ふふっと笑った。
  言った。
 「ふ〜ん、そうかぁ。まあそういうこともあるかもなー。ああそうそう、もう一つ、聞きたいことあるんだー」
 「なんです?」
  石田はマガジンの入っていないガバメントを右手に持ちかえながら、聞き返した。
  坂待は気だるそうに前髪を払い、溜息をつきながら頭を小さく左右に振った。
  中年男性には相応しくない長髪が、ふわふわと広がった。
  続けた。
 「あのさ、このゲームが今こんな状況なのはさ、プログラムの進行を制御するコンピュータがいかれちゃったせいだよな、な、そうだよな? そう、そうなんだよ。でさ、こうなった原因ってのはさ、何なんだろうな?」
  意味ありげな表情で、坂待は訊いた。
  石田は、ちらと机の書類に視線を落とした。
  言った。
 「何者かによるメイン・コンピュータへのハッキング、及びその人物が残したコンピュータ・ウィルスによるデータ破損が直接的な原因ですね」
  坂待は頷いた。
  そんなことは坂待も知っていることだった、当然のことながら。
  坂待が問題にしているのは、『誰が』という部分だった。
 「確かさ、え〜と、うん、あれ――?」
  坂待はなにか言いかけたが、しかしそれは最後まで言わず、おもむろに背広の内ポケットからくしゃくしゃになった煙草(ナインスターという比較的中高年に人気がある銘柄の煙草だった。ワイルドセブンよりも少し大人の味がするらしい、よくはわからないが)を取り出した。
 「ごめんなー、話の途中で。煙草、吸ってもいいかあ?」
 「かまいませんよ。どうぞご自由に」
  石田は、答えた。
  坂待はくしゃくしゃの箱の中から、まだ折れていない一本を取り出すと、丁寧にしわを伸ばしてから口に咥えた。
 「え〜と・・・・・・火、火、ライターはどこに入れたっけかなあ、んー?」
  右手でガバメントを構えつつ、左手で背広のポケットをまさぐっていた坂待だったが、やがて諦めたように溜息をついた。
  火、自分で起こしたらどうです、木と木を擦り合わせて、原始人みたいに? 先生、これがピテカントロプスの頭蓋骨です。オーケイ、原始人だ、原始人に気をつけろ。

  坂待は口に咥えた煙草を、大切そうにもとの箱に戻した。
  それを机の上に置いて、自分はソファにどかっと腰を下ろした。
  ガバメントの銃口はまだ石田のほうに向いていたが、正確にポイントをするのはやめたようだった。
  まあ、この距離ならば、45口径もあるACP弾が身体のどこに当たっても致命傷となるはずだったので、正確にポイントする必要は最初からなかったのだが、とにかく、坂待は話を元に戻すことにしたようだった。
  言った。
 「ごめんなー、ライター、忘れてきちゃったみたいなんだ。もう歳かなー、ははは。うん、まあ、いいや。でさ――」
  坂待の表情が、微かに変わった。
  それは、見ようによっては、どこか物悲しい、また、どことなく寂しげな表情に見えたかも、知れない。
  それが煙草が吸えなかったためなのか、それともまた別の理由があるのか、石田にはまったく見当もつかなかったが。
  坂待が、続けた。
 「あの石田さ、コンピュータが一斉にハングしたのってさ、確か幕僚監部からのメールを開いたのと同時刻だって言ってたよな、おまえ?」
  え? そんなこと言いましたっけ? ああ、そう言ったこともあったかもしれませんね、もう覚えてませんけど。
  しかしとにかく、兵士石田は、首を傾げながら肩をすくめた。
 「さぁ・・・・・・そんなようなことも、言ったような気がしますね。あまり記憶に残ってないんですが」
 「言ったんだよ、うん、そう言った。でさ、気になることってのはさ、なんで幕僚監部からのメールをさ、情報担当の奴はプログラム担当官の了解もなしに開いたんだろうな?」
  坂待は、くしゃっと笑った。
  しかし、そのとき、坂待は、兵士石田の目がすっと細くなるのを見逃さなかった。



  そう――つまるところ、坂待は兵士石田を疑っているのだった。
  そもそも、プログラム進行中に幕僚監部からメールが来るということ自体、不自然だった。
  いくらプログラムは専守防衛陸軍幕僚監部が実施していると言っても、実際に管理をしているのは総統府官房特殊企画部(それにしてもくだらない部署があるものだ、まったく)であるし、プログラムの指揮権は総統府のある政府にあって、幕僚監部のある専守防衛軍は協力という形でしか介入できないはずなのだ。
  幕僚監部から来たメールと言うのは、おそらく偽装に違いない、コンピュータ・ウィルスの組み込まれたファイルを開かせるための。
  榊原郁美(女子九番。3年前の例のプログラムでは兄が“当選”したらしい。どうもくじ運に恵まれている兄妹だ、いやはや)が、光ファイバーを使った試験的な高速回線(これに関しては本当にまったく知らなかった。このゲームが終わったら、高校と大学の情報関係の担当者を処分しなければならない)で送ってきたウィルスのほうは完全に無効化してあるのだから、やはり問題のウィルスはメールの方に添付されていたと考えるのが妥当である。
  しかし、例えそれが本当に幕僚監部からのメールだったとしても、プログラム担当官である坂待以外それを読む権利はないはずであった。
  それなのに、なぜ情報担当の兵士はそれを勝手に開いたのか――?
  考えられるパターンは、幾つかあった。
  一つ目に、その兵士の独断で勝手に開いてしまったという場合。
  二つ目に、作業中にたまたま開いてしまったという場合。
  そして三つ目は――自分よりも上の階級の者に命令されて開けた場合である。
  本当ならば、その情報担当の兵士に直接聞けば早いのだけれど――その兵士は端末のキーボードに突っ伏したままぴくりとも動かないので、それはできそうになかった、どうも。
  もちろん、心臓に大きな穴を空けた状態で、だ。

  だが、それは――妙だった。
  あの典子という少女にやられたのなら、心臓に大きな穴がひとつ空いているだけというのは、不自然だった。
  他の殺された兵士は皆、何発もの銃弾を受けて死んでいたので。
  まあ、それは、典子が逃げる際、クルツ・サブマシンガンを乱射したのだから当然のことかもしれないけれど。
  しかし情報担当の兵士だけが、単発で――しかも大口径の拳銃で――殺されていたのだ。
  ただ、典子のディバッグの中には大口径の拳銃は入っていなかったし(38口径のチーフスペシャルと22口径のデリンジャーだけが単発の拳銃だった)そもそもサブマシンガンを持っているのにわざわざ拳銃を使うはずがなかった。
  とすると――考えられるのは、別の誰かと言うことになる、当たり前だが。
  そこで、坂待が目をつけたのが、兵士石田だった。
  情報担当の兵士は、45口径のACP弾で撃ち抜かれていて、必然的にこのプログラムに出動している兵士の中に犯人がいることは明らかだったので(今回は生徒たちへの支給武器の中に、コルト・ガバメントは入っていなかった)。
  そして、本部の外、典子を乗せてきた大型トレーラーのところに、45口径3発で頭部を撃ち抜かれている兵士が見つかったので。
  そのとき外部の警戒に当たっていたのは、兵士石田だった。
  そこで坂待は、こうして石田の拳銃を取り上げ、残弾数を見たのである。
  外の兵士に3発、情報担当の兵士に1発――計4発減っているはずだった。
  結果、坂待の予想はぴたりと当たっていたのだ。
  7−3=4、簡単な算数の計算じゃないですか、国語の教諭にもわかりますよ、これくらい。



 「なるほど? 担当官どのは私を疑っておられるわけですか」
  石田は、言った。
  先程と同じように、声も表情もまったく落ちついたものだった。
  坂待は、笑顔のまま頷いた。
  長い前髪が、ぱらっと落ちた。
 「そうなんだよー。石田さぁ、おまえ、自分のしてることわかってるのかー? スパイ行為じゃないかぁ」
  坂待が、前髪を払いのけながら言った。
  ガバメントの撃鉄を親指で起こした。
  かちっという音がした。
 「国家反逆罪だよなー。これは重罪だぞー? だからさ、死んでもらうよ、悪いけどさ。国家は絶対なんだよ、わかるだろんー?」
  坂待は、ガバメントを少し突き出して、言った。
  それを聞いた石田の口元が、微かに歪んだ。
  笑ったのだった。
  それで、坂待は、ちょっと目を細めた。
  石田が言った。
 「国家反逆罪ですか? ハハア、面白いこと言いますね。反逆罪になるのはどちらでしょうかね、坂待先生?」
  坂待は、眉を寄せた。
 「どういう意味だー、おい?」
 「そのままの意味ですよ、先生。私に銃を向けたあなたは――もうその時点で大逆者です」
  石田は、静かに言い放つと、右手に持っていた随分と軽くなったコルト・ガバメントをすっと持ち上げた。
  右手の親指でかちっと撃鉄を起こすと――銃口を坂待の方に向けた。
  坂待は、くしゃっと笑った。
  言った。
 「おいおい石田ぁ、おまえ、どうしたっていうんだよー? さっきからわかんないぞー? 先生のことバカにしてるんなら、先生、本気で怒るぞー? そんな弾も入ってない銃向けたってさー、全然、怖くないぞー?」
  あれ、この銃、弾入ってないんですか? じゃあ使えませんね、どうします? 金槌にでも使えますかね、これ?

  坂待の言葉を聞いて、石田は、また、微かに笑んだ。
  言った。
 「そういう、早とちりなところが大きな欠点ですよ、坂待先生?」
  坂待はまだ、笑っていた。
 「えー?」
 「これから私は、ちょっと一仕事ありましてね、おとなしく眠っていて貰えますか、先生?」
  石田はそう言うと、おもむろにガバメントの引き金を引き絞った。

  ぱんっ!

  乾いた音が狭い部屋に響き渡り、石田のガバメントが炎を吹いた。
  刹那、坂待は笑顔のまま、突き飛ばされたようにソファごと後ろにひっくり返った。
  ガシャンと音がして、坂待の湯飲みが床に落ちて、砕け散った。
  坂待のだらしなく着た背広の胸のあたりに、煙草の焦げ痕のような小さな穴が、ぶすぶすと煙を上げていた。
  坂待は知らなかったのだ、コルト・ガバメントの総弾数が“8発”であるということを。
  確かにガバメントの“マガジンの総弾数”は7発なのだが、オートマティック拳銃であるこの銃の場合“チェンバー内に1発装填されている”のである。
  だから、銃自体の総弾数はマガジンの総弾数7発+チェンバー内の1発で、8発になるのだ。
  坂待はマガジンの残弾数を確認したあと銃を石田に返してしまったのだ、チェンバー内に1発入っていることに気付かずに。
  それは、マガジンが入っていようがいまいが、弾の入った拳銃を返したということだった、迂闊にも。
 「やれやれ――」
  兵士石田は、疲れたように溜息をつきながら肩をすくめた。
  実際、少し疲れていた。
 「思ったよりも早くばれましたね・・・・・・。この坂待担当官、なかなかの敏腕じゃないですか。殺すには惜しい」
  そう呟くと、床に仰向けに転がっている坂待の背広のポケットから抜き取られたマガジンを取り出し、自分の銃に入れた。
  スライドを引いてから、少し考えるような仕草をして――坂待の拳銃から予備マガジンも抜き取った。
 「じゃあ、坂待先生、よい夢を――」
  石田は転がっている坂待に言うと、相談室のドアを開けた。
  ドアの外には、二人の護衛兵士が立っていた。
 「い、今の銃声は一体――?」
  ドアのなかの光景と、兵士石田の顔を見比べながら、護衛兵士の一人が言った。
  明らかに動揺しているようだった。
  石田は、その兵士の目の前にガバメントを突き出した。
  言った。
 「ああ、気にしないでください」
  兵士の目が見開かれた。

  ぱん!

  ガバメントが火を吹き、護衛兵士の一人の頭部が、爆発した。
  右目から入った45口径ACP弾が、視神経と大脳の中枢を巻き込んで、後頭部を貫いたのだった。
  目からだらだらと血を流しながら兵士は、後ろの壁に寄りかかり、そのままずるずると崩れ落ちた。
  おやおや、なにを泣いているんですか、いい年した兵士が? 感動する映画でも見ました? クラスメイト同士が殺し合うような?

 「な、な、なんだ、何をするんだ貴様!?」
  もう一人の兵士が、狂ったような叫び声をあげて、ストラップで肩から吊るしているMP−5K・クルツ・サブマシンガンを石田に向けた。
  しかし、兵士がその引き金を引くよりも早く、石田のガバメントが轟音とともに弾丸を吐き出していた。
  クルツと同じくらいの大きさの拳銃が撃ち出した弾丸は、兵士が着ている軍服の胸に突き刺さった。
  その衝撃で、兵士は「あう」とうめいて後方に吹き飛んだ。
  それから、床の上に背中から落ちた。
  木造で、もうボロボロになった床が、みしっと悲鳴を上げた。
  クルツ・サブマシンガンが、兵士から離れた所に、がしゃっと落ちた。
 「う、ううぅ・・・・・・」
  兵士が苦しそうな呻き声をあげた。
  防弾チョッキを着ていたので、命に別状はなかったようだ。
  もちろん、ゼロ距離射程で大口径の銃弾を食らったのだから、内臓のひとつも潰れているかもしれなかったが。
  兵士石田は、仰向けになっている兵士の身体の上に片足を乗せ、ガバメントの銃口をその顔に向けた。
 「う、うああああぁぁぁ! た、助けてくれぇ!」
  兵士は、叫んだ。
  一方、石田は落ちついた声で、言った。
 「さっき、何をするんだ、と言いましたね?」
  石田が足に力を込めると、その下でごりっという音がした。
 「ぎゃあああああああぁぁぁぁ!」
  兵士が、叫び声をあげた。
  どうやらアバラが砕けているようだった、まあ無理もないのだけれど。
  石田はガバメントの銃口を、ぴたっと兵士の額に押しつけた。
  言った。
 「決まっているじゃないですか。“プログラム”ですよ。知りませんでした?」
  そして、微かに引き金にかけた指に力を込めた。

  ぱん!

  音と同時に、兵士はびくんと飛び上がった。
  硝煙の匂いがツンと鼻に痺れた。
  痙攣しながら床に寝転がっている兵士の額には、ヒンズー教徒のような小さな点がついていた。
  その穴から、真っ赤な粘着質の液体が駆け上ってきて、思い出したようにドロドロと溢れ出した。
  後頭部はもうほとんど砕けていて、今まで何千人もの生徒が雑巾がけをしたであろうその古びた廊下に、大きな水たまりを作っていた。
  もっとも、床板の間が隙間だらけだったので、どんどん縁の下に流れ込んでそれ以上は大きくならなかったのだけれど。

  石田は、拳銃の銃口についた血痕を袖で拭うと、そのまま何事もなかったかのように昇降口に向かって歩き出した。
  歩きながら、考えていた。
  さて、何人残っているのだろうか――?




       §

 「うう〜ん・・・・・・」

  相談室の床に転がっていた坂待は、微かに身じろぎをした。
  そして、ゆっくりと目を開いた。
  胸のあたりに、ずきっと重い痛みが走った。
 「あたたたた・・・・・・」
  胸をさすりながら、坂待は身体を起こした。
  ちょっとあたりを見まわして――坂待はまた「はあ」と溜息をついた。
  兵士石田は、もういなくなっていた。
  そのかわりに、戸口のところで兵士が二人、頭部を撃ち抜かれて事切れていた。
  その周囲に飛び散った血は、乾燥してわずかに固まっていた。
  死んでから、少し時間が経っているようだった。

  坂待は立ち上がり、パンパンと背広についた埃を払った。
 「――ん? あれ?」
  防弾チョッキの下に着たワイシャツの胸ポケットに、なにか硬いものが入っていることに気が付いた。
  取り出してみると、それは、金属性のジッポーだった。
  銀色で、なんの彫刻らしい彫刻も入っていない。
  ただ、その側面が、なにか硬いもので叩いたように潰れて湾曲していた。
  坂待は、ああそうかと思った。
  石田が撃った弾丸が当たった痕だとわかったので。
  背広の下に着ていた防弾チョッキが弾丸を止め、その下に着ていたワイシャツのポケットの中に入っていたジッポーが、その衝撃を吸収したのだった。
  おかげで、坂待自身は死ななかったし、内臓に損傷もなかったのである。
 「あー、こんなところにあったのかー・・・・・・」
  坂待は呟き、先程吸えなかったナインスターを咥えると、そのジッポーで火をつけた。
 「ふー・・・・・・」
  蒼白い煙が、相談室の蛍光灯のところまで昇っていった。
  坂待がふと視線を落とすと、床で割れている湯飲みが目に止まった。
  そのちょっと黄ばんだ色の湯飲みは、ばらばらに砕けていて、とても直せそうにはなかった。
 「あ〜あ・・・・・・」
  坂待はそこにしゃがみ込んで、ゆっくりとその割れた破片を集め始めた。
 「せっかく耕太が父の日にくれたのになあ。悪いなあ、耕太ぁ・・・・・・」
  そう呟くと、長くなった煙草の灰が、ぽたっと落ちた。
  坂待はそんなことは気にかけず、あとは黙って、破片を集め続けた。

  
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