BATTLE ROYALE 2
〜
The Final Game 〜
[ 第九部 / 終盤戦(中編) ] Now 15 students remaining...
< 42 > 最後の約束
清水奈緒美(女子十番)は、あまりの息苦しさに、目を覚ました。
最初は、なにも見えなかった。
別に目を閉じているからではない、当然のことながら。
しばらく意識を失っていた奈緒美がああ、今は夜なんだなと認識するまでに数秒を要したのは、仕方のないことかもしれない。
あれほど激しく降っていた雨はいつのまにかやんでいて、空には雲がかかっていて寝ぼけたような微かな星も見えていた。
奈緒美は、ぐすっと鼻をすすった。
制服はびしょびしょだった。
いや制服だけではない、トレーナーも、下着も、靴下も、靴の中まで水浸しだった。
しかも、今まで冷たいアスファルトの上に寝ていたせいか、指先がかじかんでいる感じで思うように動かなかった。
思った。
なんでこんなことになってんだろ、わたし・・・・・・?
朝起きたら、清水奈緒美はホームレスになっていました。めでたしめでたし。
とにかく、こんなところで寝ていても仕方がなかった。
とりあえず奈緒美は、立ち上がろうと思った。
片足を地面と垂直に立て、踏ん張って立ち上がろうとした。
立ち上がれなかった。
力が入らないのだ、まったく。
思った。
いつからこんなに体重増えたの、わたし? 自分でも立ち上がれないくらいに? そりゃあ、最近ちょっと食欲あるかなと思ってたけど、まさかこんなに太ってたわけ?
ええ、そうですよ、おねえちゃん。過食は身体によくありませんよ、ホント。体重計いります、念のため?
奈緒美は少し頭を振った。
髪の毛から水が飛び散った。
とにかく、立ち上がれないことには、動きようがなかった。
まさか、この濡れた地面を這って行くわけにもいかないし(まあどっちにしろびしょ濡れなんだけど)第一どこヘ行こうという目的もなかった。
奈緒美はしばらく、ぼうっとした頭を傾けて考えた。
なにがどうなっているのか、まったくわからなかった。
実際、なにも考えられなかった。
身体が異様に火照っていて、手足を動かすことすらだるかった。
それでも、なんとか手を動かしてもう一度立ち上がろうとしたとき――なにか、冷たい金属が、奈緒美の指先に触れた。
「なんだろう、これ?」
奈緒美は呟き、それを掴み上げた。
なんだか――L字型の金属のようだった。
奈緒美は一瞬、金槌だろうか、と思った。
しかし、金槌とは違っていた、どう見ても。
とにかく、金槌なわけはない。
大きなグリップと回転弾倉の先端にすらっとした長い筒を備えたそれは――拳銃のようだった、どうやら。
モデルガンかなにかだろうか、と奈緒美は思った。
だが、それには、モデルガンなんかとは比べものにならないくらいの迫力と重量感があった。
「なんで拳銃がこんなところに・・・・・・?」
奈緒美は小さく首を傾けていたが――徐々に、その蒼白になった表情が引きつっていった。
思い出した、どうして、自分が、こんなところに寝転がっていたのか。
そして、どうして、拳銃なんかが、ここにあるのかも。
続いているのだ、あの悪夢は、まだ・・・・・・。
奈緒美は、その拳銃からぱっと手を離した。
落下した拍子にシリンダーが開き、金色の大きな銃弾が散らばった。
ひとつだけ、奇妙に歪んで弾頭がなくなった弾丸があった。
チリンチリンという鈴のような音が、奈緒美の耳に、大きく響いた。
奈緒美は、慌てて自分の首に手をやった。
あった。
それは、まぎれもなく、そこにあった。
金属製の――首輪だった。
「う、嘘・・・・・・。だって――あたし――そんな――」
思い出した、すべて。
自分は、委員長を――佐々井博文を、殺したのだ、この銃で。
そして――それから――
そこまで考え、奈緒美ははっと目を見開いた。
「太田くん・・・・・・太田くんっ!?」
奈緒美は、あたりを見まわした。
太田芳明(男子三番)は、すぐに見つかった。
ほっと安堵の溜息をついたのも束の間、奈緒美は、ひっと小さく叫んで息を呑んだ。
芳明の肩に、すらっとした長い日本刀が、空に向かって突き刺さっていたので。
それはもちろん演劇用の玩具ではなく――本物の真剣だった、この拳銃と同じように。
芳明は、奈緒美から5メートルばかり離れたところに倒れていた。
しかし周囲にできた水たまりの水は真っ赤に濁っており、その出血がかなりのものであることを無言で物語っていた(それは、大半は倉沢圭吾(男子八番)の血であったのだけれど、高熱でぼんやりとした奈緒美にはそんなことまでは理解できなかった)。
「おっ、太田くんっ! いや・・・・・・いやああああぁぁぁぁっ!」
奈緒美は、叫んだ。
絶望的だった、自分が何時間寝ていたのか知らないが、とにかく、芳明は生きていないだろうと思った。
芳明の下には、倉沢圭吾も横たわっていた。
わけがわからない。
いや、本当はわかっているのだけれど。
芳明は奈緒美を助けるために、突然襲ってきた圭吾と、戦ったのだ。
そして――ああ、考えたくもない、そんなことは。
「太田くん・・・・・・わたし・・・・・・」
奈緒美が呟いた、そのときだった。
芳明の肩から生えている――そう、まさに生えているだ、なにかの植物みたいに――長い刀の刃が、きらっと光った。
なにが光源だったのかは、わからない。
あの空に出ている、弱々しい星の光だったのかもしれない、ひょっとしたら。
だが――そんなことはどうでもよかった。
「太田くんっ!」
奈緒美は、叫んだ。
その声に反応するかのように、芳明は微かに身じろぎをした。
・・・・・・生きていた!
奈緒美の心の中は、これまで生きてきた中でも際上級の喜び――そう、それは、体育の時間、バレーのチーム対抗戦の最中に、床につくスレスレのボールを奈緒美が飛び込みでトスを上げたとき、密かに想い続けていた杉山貴志が笑顔で「なかなかやるじゃん、清水」と言ってくれた、あのとき以上の――でいっぱいに埋め尽くされた。
もちろん芳明が大怪我をしているという事実は、依然として変わっていないのだけれど。
とにかく、生きていたのだ、芳明は。
「太田くんっ! 太田くん、目を覚まして!」
奈緒美は、動かない四肢を半ば無理やりに動かし、雨に濡れたアスファルトの上を這って芳明に近づいていった。
真っ白なセーラー服が黒い泥と赤い血で染まり、膝と肘が擦り剥けたが、どうでもよかった。
いやはや、まさかこんな道路のまっただなかで匍匐前進をさせられるとは思わなかった。
「はあ、はあっ・・・・・・」
手を動かすたびに心臓が早くなり、息苦しくなったが、奈緒美は我慢した。
肩を刺し貫かれている芳明の痛みに比べたら、こんな苦痛などは微々たるものだと思った。
ようやく芳明が倒れているところまで辿り着いたときには、奈緒美は全身から冷汗を噴き出し、激しい嘔吐感に襲われ、今にもまた気を失ってしまいそうだった。
しかし奈緒美は、建物の壁にもたれながら渾身の力を込めて立ち上がった。
少しでも気を緩めると、足に入れた力が失われて崩れてしまいそうだった。
「はあっ、はあっ・・・・・・芳明・・・・・・くん」
奈緒美が呼びかけると、芳明は微かにうめいた。
「ま、待ってて。今、刀を抜いてあげるから――」
奈緒美は芳明の肩に刺さっている刀の柄を握ると、ゆっくりと、静かに、それでも全身の力を総動員させて引き抜いた。
包丁で肉を切るときのような感覚に捕らわれ、奈緒美は一瞬、眩暈に襲われた。
はい、かんたんクッキングのお時間です。今日は人肉のミートボールを作ります。まずは人肉を適当な大きさに切ってもらいましょう。
「ぐっ・・・・・・」
芳明の口から、激痛に耐えかねたような呻き声が漏れた。
しかしそのときにはもう、奈緒美は芳明の肩に刺さった刀をすべて引き抜いてしまっていた。
鈍く光るその刀の刃からは、ポタポタと少し粘着質の血が滴り落ちていた。
思った。
ああ、わたし、これからは、もう絶対にお肉料理は食べないようにしよう。
ハハア、菜食主義ですか。健康のためにも、それがいいかもしれませんね、米帝の警官みたいにはなりたくないですからね。
奈緒美は刀を壁にたてかけると、自分ももたれかかるように地面にへたり込んだ。
深呼吸をするように少し空を仰いでみると――そこには、やはりぼんやりとした星が見えていた。
それを眺めているうちに、奈緒美はふと、不思議な感覚に捕らわれた。
プログラムに参加していない普通の人たちの幾人かも、自分と同じようにこの星空を眺めているのだろうか?
その人たちは、知っているのだろうか、自分たちが眺めているのと同じこの星空を、たったいま必死に生きようとしている人も眺めていることを。
それともやはり、そうなのだろうか。
人間というやつは、結局、自分のことしか考えられない生物なのだろうか、最終的には。
それは――いままでの自分も、そうだったのかもしれないけれど。
いとこの同級生がプログラムで選ばれたときは、ああ可哀想だなとは思ったけれど、結局はそう思っただけだったのだから。
電話越しに、いとこの『仲のよかった友達がプログラムで・・・・・・』という涙声の言葉の向こうに、いま自分がしているような壮絶な命の戦いがあることに気づくことは、できなかったのだから。
そのとき奈緒美は『哀しんでいても、その子は帰って来ないよ。その子のぶんも、これからを一生懸命に生きようよ、ね?』などというもっともらしい言葉を返したが、そんな言葉は1ミリグラムの価値もなかったのだ、いま考えると。
そんなものは所詮、プログラムに選ばれなかったものの偽善に過ぎないので。
奈緒美は、思った。
ああ――ちくしょう、なんだか腹が立つなあ。
奈緒美は、大きく溜息をついて、視線を芳明に戻した。
どきっとした。
微かな光を帯びた芳明の瞳が、じっと奈緒美を見つめていたので。
瞬きをするわけでもなく、焦点の合わない瞳の奥に、なにかぞっとするものを感じたので。
それは、よく夏場に特集が組まれる、幽霊とかお化けとか、そういった類のイメージ映像のなかによく出てきそうな表情だった。
「あ・・・・・・き、気がついたのね?」
なんとなく慌てて、奈緒美が口を開いた。
「ああ・・・・・・」
芳明の口から、溜息のような、ちょっと気を抜くと聞き逃してしまいそうな小さな呟きが聞こえた。
奈緒美は少しほっとして、芳明の顔に自分の顔を近づけた。
言った。
「あの、ありがとう、助けてくれて」
芳明の目が、すっと細くなった。
それから、目をつむり、歯を食いしばると、おもむろに身体を起こした。
肩の傷口からは新たな血液が流れ出していたが、芳明はあまり気にとめたふうもなかった。
それでも痛みはあるらしく、ときおり口元を苦痛に歪ませていたが。
しかし、とにかく、芳明は立ち上がった、自分の力で。
どうやら肩の傷も腹の傷も、直接的な致命傷にはならなかったようだった。
「だ、大丈夫なの、そんな、すぐに――?」
奈緒美は座りこんだまま芳明を見上げて訊いた。
芳明はなにも言わず、ちらっと笑んで、頷いた。
だが実際のところ、今にもまた地面に倒れこみそうなくらいに体力を失っていたのだけれど。
そしてそれは、奈緒美にもわかった、はっきりと。
芳明の額からは奈緒美以上に大粒の冷汗が噴き出していて、肩の傷口のところが、どくんどくんと心臓の鼓動と同調するように脈打っていたので。
その傷は、確かに決して即死に値する傷ではなかったのだが――しかし、このまま放っておけば芳明の命を奪う原因になるということは確実だった。
「お、太田くん、でも、その、傷の手当てを――」
言ってから、しまった、と思った。
出発の日の直前、母親が持たせてくれた救急セットの入ったポーチは、自分のドラムバッグの中にあったことを思い出したので。
そして、それはこのゲームが始まって早々に、本部の中学校の近くにある合同庁舎の駐車場脇の植え込みの中に捨ててきてしまったので。
ああ――いま思うと、あれがあれば、ずぶ濡れになっても身体を拭くタオルはあったし、替えの洋服もあったのだから、こんな風邪になんかなることはなかったはずなのに――わたしってば、なんてバカなの!
どうしようもなく、奈緒美がおろおろしていると、芳明はまた微かに笑んだ。
言った。
「いいよ、俺は。まあ確かにちょっとばっか痛いけど、我慢できないほどじゃないから」
「で、でも・・・・・・」
「本当に大丈夫だって、俺なら、別に」
どうせもうすぐ死ぬだろうから、とは言わなかった、芳明は。
それは、言っても仕方のないことだった。
ええ、そうですよ、おにいちゃん。それは仕方のないことなんですよ、わかってるでしょ、もう?
「それよりも、清水は大丈夫なのか? まだ熱があるみたいだ、顔が赤い」
「そ、そう?」
芳明に言われた奈緒美は、雨に濡れた両手で自分の上気した頬を触ってみた。
よく分からなかった、それが、手先がかじかんでいるからなのか、それとも自分の手も熱くなっているためなのかすら。
しかし、とにかく、どうでもよかった、自分のことは。
奈緒美はちょっとした風邪に過ぎない(と思う)のだけれど、芳明は、このままではいけない、どう見ても。
このままこんな所にいては、誰かクラスメイトに殺されなかったとしても(ああ、いやな考え)芳明は死んでしまうかもしれなかった。
だが、移動するにしても、奈緒美はちょっと動けそうにないし、それは芳明にとっても同じだろう。
地面に座りこんだままの奈緒美は、遥か頭上にある芳明の顔を見上げながら、訊いた。
「ねえ、どうしよう、これから?」
「うん。そうだな。どうしようか・・・・・・?」
芳明は半ば独り言のように、そう呟いた。
その声は、本当に困惑したような感じは全然なく、どちらかというと軽い――そう、例えば、今日のお昼は何にする? と訊いたときに返ってきそうな――声だった。
実際、芳明は、あまり困惑してはいなかった。
当たり前じゃないか、これから死ぬってのがわかってるときに、いちいち困ってなんかいられるかよ。
だがしかし、ひとつだけ問題があるとすると――それは、奈緒美に他ならなかった。
自分は死ぬ。多分、助からない。
だがまあ、それは、いい。本当はあまりよくはないのだけれど、仕方がない。
しかし奈緒美は――奈緒美だけは、助けなければならない、なんとしても。
ちょっとぼやけた芳明の視界の奥――いやもっともっと遠く、遥か天井の方から、懐かしい声が、聞こえた。
女の子にしてはわずかに高めの、とても澄んだ、少し勝気な少女の声だ。
その少女は、こう言っていた。
『あんた、それでも男なの? 男だったら、女の子ひとりくらい、ちゃんと守ってあげなさいよね!』
芳明は、思った。
おいおい、無茶言ってくれるなよ、俺、いつ死んでもおかしくない状態なんだぜ?
だがしかし、こうも思った。
でも俺は、もう二度とあんな思いはしたくない、目の前で、自分のクラスメイトが死んでいくところを。
芳明は、その声の少女を助けることができなかったことをいまでも後悔しているのだけれど――しかしその彼女が、そう言うのならば、それに従うしか道はなかった。
それが芳明が彼女のためにできる、せめてもの償いだと思った。
そうだ、もう見たくない、あんな光景は。
ぱん・・・・・・!
乾いた、銃声。
血を噴きながら、くすんだ木の床に崩れ落ちる、彼女。
髪の毛がふわっと、まるでスローモーションのように広がり――そして、床の上に舞い降りたときの、彼女の空白の表情。
そして、その彼女が、最後に発した、言葉。
『このあたしが、死ぬわけ・・・・・・ない・・・・・・』
それだけを言い残し、焦点の合わなくなった目からこぼれた、一筋の、涙。
花瓶を落として割ってしまったときのように、周囲にどんどん広がっていく、彼女の血液・・・・・・。
「真由美・・・・・・」
芳明は、小さく、呟いた。
その微かな呟きは、風にのって、奈緒美の耳にも届いていた。
「えっ・・・・・・」
奈緒美は、なにか言おうと口を開いたのだけれど――結局、なにも言うことはできなかった。
芳明が自分の言葉など、必要としていないことがわかったので。
彼は、ぼんやりとした星を仰ぎながら、声を殺して、泣いていたので。
奈緒美は、どうすることもできず、ただ黙って俯いているしかなかった。
それが自分のできる、一番かしこいやり方だと思った。
芳明の涙は、しばらく止まることはなかった。
雲から出たり、隠れたりしている淡い星の光を凝視している芳明を見つめながら、奈緒美は思った。
彼はいま、あの雲の向こうに、誰かを見ているのだろうか・・・・・・?
§
天道沙利美(女子十四番)は、小汚い商店街の裏の路地を曲がろうとし、慌ててそこに停めてあった白い小型のバンの陰に身を隠した。
いま曲がろうとした路地に、清水奈緒美の姿があったので。
沙利美のすぐ足元に、誰かは分からないが、とにかく二人、倒れていたので。
ディパックの中に入っていた何の変哲もない万能文化包丁――テレビの実演販売でよく見かけるやつだ。刃の部分に穴があいていて、キュウリを切ってもくっついてこないというスグレモノ。お値段は3500円、いまなら特別サービスでお手頃なフルーツナイフもプレゼント。ああ、そうなの――をしっかりと握り締めながら、沙利美はバンのガラスを通して、そっと様子を覗ってみた。
奈緒美が地面に伏している誰かの肩に突き刺さっている刀を、引き抜いたところだった。
血が飛び散り、赤く塗れた日本刀の刃が異様な光沢を放っているのを見たとき、沙利美は思わず眩暈がした。
思った。
ああ、まただ。また誰かを殺しやがったんだ、あのオンナは!
沙利美は、ぐっと持っている包丁の柄を握る手に力を込めた。
実のところ、このくそやくたいもないゲームが始まってから沙利美は一度、奈緒美と遭っていたのだ。
いや、遭ったという表現は、適切ではないかもしれない、この場合。
沙利美が一方的に、奈緒美を見かけただけだったので。
奈緒美の方は、沙利美には気づいてもいなかっただろう。
もし気づいていたとしても、沙利美は思いきり逃げるしかなかったので、幸運だったと言えないこともなかった。
なにしろ、奈緒美は『やる気』になっているのだ。
それは、間違いなかった。
沙利美は、奈緒美が委員長を――佐々井博文(男子十番)を撃ち殺すところを、見てしまったのだから。
しかも目の前で――映画館で言えば2階席の中央最前列、特等席だ、どうでもいいことなのだけれど。
しかし、とにかく、その特等席で見てしまった光景は、到底、頭から離れそうもなかった。
それは確か、一回目の放送がかかったすぐあと、朝焼けが美しい河川敷でのことだった・・・・・・。
沙利美は中学校を出るとすぐに、会場の西にある城跡の方に向かった。
地図によると、城跡の周辺は公園になっているようだった。
ひょっとしたら、こういう所のほうが街中よりはクラスメイトが集まっているのではないかと思ったのだ。
沙利美はとにかく、誰かと合流しようと思っていた、最初は。
女子というのは、とかく集団で行動したがる習性があるようなので(実際、沙利美もそうだった。トイレに行くときとか)きっともう何人かはグループを作っているだろうと思った。
沙利美は、クラスのなかでは目立つ方ではなく、特定のグループに所属しているというわけではなかったのだけれど、クラスメイトには比較的好かれていたほうなので、どのグループにも気軽に入れる(藤本華江とかのグループは、誘われてもちょっと遠慮するだろう、やっぱり)位置にいた。
それに沙利美は、本当にクラスメイト同士殺し合うなんてことができるはずがないと思っていたので、あまり恐怖は感じていなかった、実のところ。
とりあえず城跡の周辺をまわって見、しかし誰とも会うことができなかったので――沙利美は少し残念に思ったのだが、実際には幸運と言えた、もう少し城跡に向かうのが遅ければ、スクランブル交差点の中央をリングにした川村秀貴(男子五番)と元井和也(男子二十番)が繰り広げているデス・マッチを観戦することになったのだから――すぐにその辺りは諦めた。
惜しかったですね、おねえちゃん。もしかしたら、世にも珍しい『立てる首なし男』を見ることができたかもしれなかったのに。
――え? いいって? いやいや遠慮しないでくださいよ。是非とも今度、お見せしますよ、機会があればですけどね。
まあ、それはともかく、会場の西の方を諦めた沙利美は、今度は少し南におりてみた。
美しい朝焼けが燃える日の出のなか、川沿いを歩いていた沙利美は、ふと不思議なものをみつけた。
それは――土手の上から見た沙利美には何なのかすぐには判別できなかったのだけれど――真っ黒に焼け焦げた、バスの残骸だった。
微かに焦げ残った部分は、地下鉄のような光を反射する銀色に光っていて、昇ってくる直前の太陽の光を受けてぼんやりと赤く輝いていた。
それで、沙利美は、その残骸から思わず一歩退いた。
朝の陽光を受けて、黒く煤けたその車体の側面に『DAITOUA Express』という文字を、はっきりと確認したので。
このバスこそ、まさに沙利美たち都立第壱中学校3年B組をこんなところに運んできた、あのバスだったので。
ちょっと周囲を見まわしてみると、土手のガードレールの一部分がひしゃげて千切れていて、そこの土手の斜面には二本のラインがくっきりと、焼きすぎて黒い炭になったトーストみたいなバスのところまで延びていた。
タイヤの跡だった。
どうやら、バスは猛スピードで土手からガード下に転落し、そして爆発炎上したらしかった。
「・・・・・・」
沙利美は無言のまま、ごくっと喉を鳴らした。
坂待とかいう、あのうざったい教師らしからぬ髪形をした奴の言葉を思い出したので。
そのクソ教師は、こう言っていた。
『あの先生はねー、うん。このプログラムに反対したんだー。だからちょっと――』
“あの先生”というのは、前任の溝口喜久雄(第三学年主任)先生を指す、この場合。(彼は生徒たちには慕われていて、『キクオさん』とファースト・ネームで呼ばれていた)
その続きは、もちろん、こうだ。
『――君達の乗っていたバスに残ってもらったよー。今ごろ、そうだなあ、河原かどこかで爆発炎上しているんじゃないかなあ』
ああ――沙利美は、思った。
冗談でしょう、そんなことは、だって、キクオさんは、だって、だって・・・・・・。
あれは、私たちを『本気』にさせるための嘘だとばかり思っていたのに――
なに言っているんですか、おねえちゃん。そんな嘘ついたってなんの意味もないですよ、実際。わかるでしょう、そんなことくらい?
沙利美は、それでも、震える身体を必死になだめながら、そのバス(と呼べるかどうかわからない、焼けた粗大ゴミ。それも超特大の)に近づいた。
あたりには、まだゴムの焼ける匂いが漂っていたのだけれど――それもすぐに、なんだか分からない、異様な臭気にとって変わられた。
そのとき、ガシャンと音を立てて、バスの左側面についている自動開閉扉が落ちた。
その隙間から、沙利美は、見た。
バス以上に真っ黒に焼け焦げた人の形をした物体が、金属のフレームだけになったシートに静かにたたずんでいるのを。
それはもちろん――元担任の、溝口教諭の死体に他ならなかった。
初老の、少し白髪が混じった頭髪を揺らして、目尻にシワをよせて優しそうに笑う担任の姿が、沙利美の脳裏に浮かんだ。
だが、それもほんの束の間――時間にしてコンマ05秒くらい――で、泡のようにはじけて消えた。
あとに残ったものは、恐ろしく空虚な気持ちと、巨大な恐怖でしかなかった。
「うっ・・・・・・!」
沙利美は口元を押さえ、全速力でその場を離れた。
石ころと砂利と砂ばかりの河原は、とても走りづらかった。
沙利美はすぐに、大きな丸い石につまづいて転んでしまった。
「うっ、うえっ。おえっ・・・・・・」
たまらずその場にうずくまって嘔吐した沙利美は、いつのまにか、顔を涙でぐしょぐしょに濡らしていた。
口の中が、苦くてすっぱい胃液でいっぱいになっていた。
もうめちゃくちゃだった。
とにかく、なにもかもが、最低だった。
「ちくしょう! くそったれ! ばかやろう! この、このこのこのこのこのクソ――・・・・・・!」
子供のように泣きながら、それでも沙利美は、わけの分からない“なにか”を必死に罵倒し続けた。
それが、この大東亜クレイジー共和国であるのか、それを管理している政府であるのか、はたまたバカみたいな長髪の坂待クソ教師であるのか、沙利美自身にも理解することはできなかったのだけれど。
ただ、なんとなく、ああもうキクオさんの笑顔は見ることができないんだな、と思った。
それが一番、悲しかった。
その後、少し冷静さを取り戻した沙利美の耳に、あの坂待の声がノイズ混じりに聞こえてきた。
『みなさーん、おはようございまーす! 夜が明けましたよー。みんな元気かぁ?』
沙利美は、思った。
ふざけんじゃねーわよ! 勝手にこんなところに連れてきて、元気もなにもあったもんじゃないわ!
本気で怒った沙利美だったが、しかし坂待の癇に障る声が次々と聞き覚えのあるクラスメイトの名前を読み上げるうちに、沙利美の怒気はすっかり消沈してしまった。
本当に――本当に殺し合いなど、しているのだろうか、クラスメイトが?
そりゃあおねえちゃん、当たり前じゃあないですか。読み上げられた人の名前、聞いたでしょ、たったいま? もう忘れちゃったんですか、殺された人の名前ですよ、あれ。
それは――それは、わかっている。
でも、本当にそれは、クラスメイトが殺したのだろうか?
自分たちをその気にさせるために、政府が仕組んだ“サクラ”なのではないのだろうか?
沙利美の頭の中で、色々なものが混じり合っていた。
あの、体育祭のとき、バスケットボールがゴールに入るたびに、きゃあきゃあと叫びながらみんなで喜び合っていたのは、嘘だったのだろうか?
リレーのとき、バトンを受け渡し損ねて落ち込んでしまった瀬戸くんを、みんなそれぞれの言葉で励ましていた――あの言葉は、偽りだったのだろうか?
ほんとうに――ほんとうにこのゲームに“のった”人間が、いるのだろうか、クラスメイトのなかに?
沙利美は、混乱する頭を振り、必死に冷静になろうとした。
しかし、なれなかった、今度ばかりは。
クラスメイト同士が殺し合いをしているですって? はっ、バカ言ってるんじゃないわよ、冗談でしょ?
沙利美の心は、そう思っていた。
そう思い込もうとしていただけなのかも知れない、わからない。
だがとにかく、沙利美の頭は、めいっぱいの警報を発して身体に危機を伝えていた。
ちょっと、あなた。ここにいると危ないのよ、わかるでしょ?
クラスメイトが、どこから狙ってるかもしれないのよ? 死にたくなかったら、早く隠れた方がいいんじゃない?
沙利美も、考えた。
本当にやる気になっている人がいるかどうかはとにかく、こんな河原にいるのは、危険過ぎる。
ええ、そりゃ危険ですよ、奥様。どこから銃を持ったクラスメイトが飛び出してくるかわかりませんから。いやはや、近頃は物騒ですね。
沙利美は、とりあえず、どこか隠れられる場所はないかと思い、周囲を見渡して見た。
日が昇ろうとしている東の方に、大きな橋が掛かっているのが見えた、少し遠いのだけれど。
沙利美は歩き出した、包丁を手に持って。
思った。
あの橋の下にいれば、気付かれにくいかもしれない。
そこで少し、落ち着いて考えてみよう。
もしかしたらなにか、いい解決法が見つかるかもしれない――。
紙風船を叩き潰したような、あるいは膨らませたビニール袋を割ったような、ぱん、という乾いた音が響いたのは、そのときだった。
沙利美はびっくりして、一瞬、足を止めた。
打ち上げ花火か何かだろうか、と思ったが、こんなところで花火が上がる理由がない。
とにかく、花火なわけはない。
すると、もう一回、ぱん、という音が響いた。
沙利美は、戦慄に身を震わせた。
銃声だった。
さらにもう一回、今度は少し毛色の違った、バァンという音が、した。
沙利美にはその音がなんだか分からなかったのだけれど――それは、月下亮二(男子十四番)が佐々井博文(男子十番)に向けて撃った際、亮二の南部十四式拳銃が暴発した音だった――とにかく、沙利美は、その音がする方向に走った。
このとき沙利美には、逆方向に逃げる、などということは思いつきもしなかった。
沙利美にはまだ、クラスメイト同士が殺し合いをしているという実感が沸いていなかったので。
拳銃の音がしたのは、きっと、政府か軍の“サクラ”が、誰かを殺したのだと思ったので。
その場面を目撃できれば、沙利美は、クラスメイトを信じてみようという気持ちがあった。
土手をよじ登り、橋に向かって、全速力で走った。
しかし、沙利美は橋の手前で、足を止めざるを得なかった。
目の前に、信じられない光景が広がっていたので。
わずかに湾曲した橋の向こう側に、月岡亮二(あの茶色く染めた長い髪は、一目でわかる)が仰向けに倒れていたので。
その顔面は、髪の毛の色がなかったらもう誰だか分からないくらいに、ぐちゃぐちゃになっていた。
そのすぐそばで、学生服の男子に、セーラー服の女子が組み敷かれるような状態で地面に横になっていた。
沙利美は目を細めた。
ようやく、その学生服の男子が佐々井博文であることがわかった。
そして、下になっている女生徒が、清水奈緒美だということも。
一見、男子と女子のケンカのようにも見えた(実際、そんなようなものだったのかも知れない)。
しかし、次の瞬間、博文の胸のあたりでピカッと閃光が走ったかと思うと、それに続いて、ばん、と乾いた音が聞こえた。
「あっ」と沙利美が叫ぶ間もなく、博文は何かに吹っ飛ばされたように後ろに飛んでいた。
アスファルトの上に仰向けに倒れた博文の心臓のあたりから、大量の血が流れ出した。
奈緒美は起き上がると、ちょっとのあいだ博文を眺めていたが、とつぜん沙利美の方に向かって走り出した。
沙利美が慌てて橋の支柱の影に隠れると、そのすぐそばを奈緒美が短距離走でもしているかのような猛スピードで走り抜けていった。
手には、大きな黒い拳銃が握られているのを、沙利美は見逃さなかった。
奈緒美の後姿が見えなくなると(方向から考えて、駅の方へ行ったようだった)沙利美は慌てて博文のところへ走りよった。
博文は、心臓を見事に撃ち抜かれていた。
もちろん、生きているはずがなかった。
死んでいた。
「そ、そんな・・・・・・」
沙利美は、博文の死体から、よろけるように一歩退いた。
博文は――委員長は――死んでしまった、しかもクラスメイトの清水奈緒美が殺したのだ。
あの、責任感が強く、勉強もそこそこできて、クラスの中でもけっこう人気のある、奈緒美がだ。
そのとき沙利美は、実感した。
殺し合いをしているのだ、自分たちは、本当に。
疑いようがなかった、なにしろ博文は沙利美の目の前で殺されたのだから。
今までどこか遠いところにあった恐怖が、一気に目前にまで迫ってきた感じだった。
それから、沙利美は、すぐにその場を離れた。
とでもではないが、クラスメイトの死体がある橋の下なんかにいたくなかった。
沙利美はしばらく歩き回っていたが、いつまた奈緒美と遭遇するかと思うと、自然に震えだす身体をとめることはできなかった。
そして今――その清水奈緒美が、いるのだ、目の前に。
旧・米帝の壊れやすいビデオデッキのように、沙利美の頭の中では忘れたくても忘れられないあの光景が、延々と繰り返されていた。
奈緒美の手元で閃いた、一筋の閃光。
それを追うように、朝の陽光に照らされて赤く染まった河が流れる、その音に混じって響いた乾いた銃声。
心臓を撃ち抜かれて肉片を飛び散らせながら卒倒する際の、博文の空白の表情。
それは・・・・・・現実だった。
すべてが、沙利美の目の前で起こった出来事なのだから。
そしてまた、目の前に、到底この世のものとは思えない光景が、広がっていた。
奈緒美は、刀を持ったまま何故かその場に座りこんでいた。
実際は高熱のために立っているのもままならない状況だったからなのだが、そんなことを沙利美が知るはずもなかった、もちろんのことながら。
しかし、とにかく、沙利美は、思った。
やるなら今だ、今しかない!
奈緒美はきっと、一人(二人かもしれない)を殺し終えて、油断しているはずだ。
例え拳銃を持っていても、この距離なら、構える前にこの包丁(ああ、まさか本当にこんなものを使わせる気? あたし、家庭科の成績、2なんですけど。知ってました?)で突き刺せば、なんとかなるかもしれない。
「・・・・・・」
ごくっと喉を鳴らした沙利美は、包丁を再度しっかりと握り締めた。
そして、バンの陰から踊り出ようとしたそのとき、沙利美の足は思わず凍りついた。
さっき奈緒美が殺したはずの制服の男の子が、立ち上がっていたので。
暗くてあまりよくは見えないが、その男子が沙利美の片想いだった、太田芳明だとわかったので。
沙利美のなかで、芳明を殺そうとしていた奈緒美への憤激と、芳明が死んでいなかった一抹の安堵が、複雑に絡み合って微妙なミックス・ジュースになっていた。
不味いような、甘いような、とにかくなんとも形容しがたい不思議なブレンド。
まるでどこかの大手ドリンクメーカーが出している紅茶のような味だ(いや、あれはただまずいだけか)。
とにかく、それで沙利美は、飛び出すのは思いとどまった。
頭の中が混乱していた、まるで通学に使う山の手環状線内回りだ。
車内が大変混雑しております、ドア付近のお客様は御注意ください。
沙利美はしばらく、様子を見てみることにした。
芳明は二言三言、奈緒美となにか話していたが(さすがに沙利美には聞き取れなかった。しかし時々、芳明の苦しそうな吐息が聞こえてきた)芳明はすっと目を細め、奈緒美に背を向けて空を見上げた。
その瞳はなんだか――とても悲しそうだった。
肩の刺傷からは血が流れ出していたが、まったくそれを無視しているようだった。
沙利美は、思った。
ダメよ、太田くん! 奈緒美ちゃんに背中なんか向けたら、いつ殺されるかもしれないじゃない!
考えてみると、もし本当にそうだったのなら、殺そうとした人と殺されかかった人が、こんなふうにお互いに話していること自体が奇妙なのだが、奈緒美が博文を殺す場面が強烈に脳裏に染み付いていた沙利美には、そんなことには気が付かなかった。
ただ、いつ芳明が、うしろから奈緒美に刺されて殺されてしまうかと思うと、居ても立ってもいられなかった。
唇を強く噛んでいたせいで(これが悩み事をしているときの沙利美の癖だった)唇か切れ、口の中に微かに血の味が広がった。
芳明から、奈緒美にもう一度視線を移したとき、沙利美は思わず目を見開いた。
奈緒美が立ち上がろうとしていたので。
なぜか少し力無げではあったけれども、血に濡れた刀の先端をアスファルトに突き、それに支えられるかのようにして奈緒美が立ち上がった。
芳明は、まだ空を眺めていた。
もう限界だった。
このままでは、太田くんが殺されてしまう!
ぎゅっと包丁を順手に構えた沙利美は、両足にめいっぱいの力を込めて、バンの陰から飛び出した。
芳明と、そして奈緒美の瞳が、驚いたように自分に向けられた。
しかし沙利美には、そんなものは全然目に入っていなかった。
あるのは、血が着いた刀を持っている奈緒美、ただ一人だけだった。
「天道ッ!」
芳明の叫び声が、、沙利美の耳に微かに聞こえた。
【残り15人/モニター表示のみ復旧完了】