BATTLE ROYALE 2
The Final Game



       [ 第九部 / 終盤戦(中編) ] Now 15 students remaining...

          < 43 > ほんとうの気持ち


  奈緒美は、空を眺めている芳明から、ちらと自分の手の中にある刀に視線を落とした。
  それにはべったりと、どす黒い芳明の血液が付着していた。
  そのリアルな重量感に、奈緒美は思わず泣きたくなってきた。
  なんでこんなことをしているんだろう、私たちは?
  つい先日まで、ふつうに朝起きて、ふつうに家を出て、ふつうにつまらない授業を受け、ふつうに家に帰っていたのに。
  ふつうにクラスメイトと話し、ふつうに一緒にお弁当を食べ、ふつうに――ほんとうに普通に生活していたはずなのに。
  そう考えて、奈緒美はふと、こう思った。
  だったら、いま起こっていることもすべて、本当はなんでもないことなのではないのだろうか?
  こういうことも、別にふつうのことなのではないのだろうか?
  いや、本当は――本当のほんとうは、こういう状態こそ、本来のふつうと言うべきなのではないのだろうか?
  人はいつも、絶えずどこかで、誰かと戦っているのではないのだろうか?
  それは、中川典子が、坂待に言ったことによく似ていた、奈緒美が知るはずもないのだけれど。

 『世界は常に、特別なことでできているんだもの。人間は絶えず、“特別なこと”をしているんだもの』
 『“特別なことと似たようなこと”が毎日続くと、それを“普通”と勘違いしてしまう』
 『“特別なこと”を“普通”だと思っている人は、本当に“普通”なことを捉えることができないわ。この国は、そういう人が、とても、多い・・・・・・』

  クラスメイトが殺し合うことが“ふつう”だとは思わないけれど、しかし今の奈緒美だったら、典子の意見に大きく頷くに違いなかった。
  とにかく、もう奈緒美には、このプログラムが“特別なこと”だとは思えなくなっていた。
  ずっと昔――自分が保育園に通っていたころ、いやもっと前、自分が生まれたとき、いやいやほんとうは母親の胎内でこの世に生を受けたその瞬間から――奈緒美はこのゲームをしていたように思えてきた、実はまだ一日と少ししか経っていないのだけれど。

 「太田くん・・・・・・」
  奈緒美は、芳明に声をかけた。
  芳明はまだ空を見ていたが、「ん?」ととても小さく返事をしてくれた。
  奈緒美は言った。
 「とにかく、こうやってても仕方ないよ。私は、多分、一人で歩けるから」
  そう言って、刀の先端をアスファルトの地面に突き立て、それに寄りかかるようにして、奈緒美はなんとか立ち上がった。
  それで、芳明は、ようやく視線を奈緒美に戻した。
  芳明の頬に、微かに涙の流れた跡があったが、奈緒美は気が付かないふりをした。
  クラスの中でも明るい方だった芳明は、人前では決して涙を見せなかった。
  2年前、芳明の両親が離婚をしてしまったときも、芳明はクラスメイトに対してはいつも明るくふるまっていた。
  ただ、内村真由美――でも彼女は死んだ、このゲームが始まる前に。あるいは、それはそれで、しあわせだったのかもしれない、彼女にとっては――が、ポツリと奈津子にこぼしたことがあった。

 『太田くん、さっき音楽室で泣いてたわ。人前では明るくふるまいたいってのはわからないでもないけど、あたしの前でくらいはそういうの、ヌキで接して欲しいよね・・・・・・』

 「一応付き合ってんだしさ、あたしたち」――と、そう言って苦笑した真由美の表情が、奈津子の脳裏によみがえった。
  綺麗な笑顔だったと奈緒美はいまさらになって思う、あのときはそんなことは意識していなかったのだけれど。
  しかし、その笑顔は、もう見れない、永遠に。

  涙がこぼれそうになり、奈緒美がなんとなく顔を上げた、そのときだった。
  狭い路地に停まっていたバンの陰から、勢いよく誰かが飛び出してきた。
  ショートカットと言うには少し長めの髪、少し乱れてはいるけれどもきちんと整った制服。
  天道沙利美(女子十四番)だった。
  奈緒美は、思った。
  ああ、沙利美ちゃんか。驚かせないでよ、もう。私、昔からお化け屋敷とか、苦手なんだから。
  沙利美はふだん目立たない、どこにでもいる明るい女の子だった。
  特別クラスでグループを作っているわけでもないのに、ただなんとなくどこにいてもしっくり来るような、そういう中立的な雰囲気を持っていたのだ。
  だから、奈緒美は、沙利美がいきなり飛び出してきたときも、さほど危険だとは思わなかった。
  しかし沙利美の目を見たとき、いままで沙利美に対して作り上げていたイメージは、すぐにどこかに吹き飛んでしまっていた。
  まっすぐに、睨むような目で(実際、沙利美は奈緒美を睨みつけていた)一直線に奈緒美の方に向かってきた。
 「天道ッ!」
  芳明が叫んだ。
  それで、奈緒美は、沙利美の手に握られている包丁に、はじめて気が付いた。
  沙利美ちゃん? どうして、なにそれ?
  奈緒美がそれを言葉にする前に、包丁が奈緒美の右の胸に深々と突き刺さっていた。
  じゅくっという湿った音が、自分の骨の中を通って脳に響いてきた。
  もともと熱を帯びた奈緒美の身体に、さらに熱いなにかが駆け巡った。
  それはすぐに包丁の刺さった胸へと集まり――次いで痛みとなって、奈緒美を襲った。
 「沙利美・・・・・・ちゃん・・・・・・?」
  奈緒美は、びっくりしたように沙利美を見つめた。
  思った。
  なにかの間違いでしょう、これは?
  このコが――沙利美ちゃんがこんなことするわけないじゃない。冗談キツイよ、もう。
  しかし、沙利美がその包丁を引き抜くと、奈緒美の食道をなにかさらに熱いものが駆け上がってきた。
  ごほっと咳をした奈緒美の口から、大量の鮮血がぶちまけられた。
  それはぱあっと霧になって周囲に飛び散り、沙利美と、そして奈緒美自身のセーラー服を、赤く染め上げた。
  ぐらり、と世界が揺らいだ気がした。

 「清水、おい清水ッ!」
  芳明の叫び声が、妙にくぐもって聞こえてきた。
  いつのまにか、奈緒美はまたアスファルトの道路にしりもちをついていた。
  あ〜あ、せっかく苦労して立ったのに、また座っちゃった。
  奈緒美はなんとなく、冷静にそんなことを考えていた。
  そのあいだも、身体からはどんどん熱が奪われているようだった。
  ふわふわとぼやけて見える視界に、血だらけの包丁を握ったまま突っ立っている、沙利美の姿が目に入った。
 「この・・・・・・この、人殺しっ!」
  沙利美が、震える唇で叫んだ言葉に奈緒美は、脳天にガーンと鉄球をぶつけられたような気が、した。
  ビルディングを壊すための、あの大きな鉄球が頭の上に落っこちたら、多分こんな感じだろうと思った。
  どういうわけか、自分のことを差し置いてなに言ってんのよ、などと言うことは考えもつかなかった。
 「あたし、見たんだから! あ、あんたがささ、さ佐々井くんを殺すところを! でも、太田くんだけは、彼だけは絶対に死なせないんだから!」
  沙利美の言葉に、奈緒美はああなるほど、と納得していた。
  思った。
  誤解したんだ、きっと沙利美は。
  橋の上で(殺すつもりはなかったんだけど)私が佐々井くんを殺してしまったのを見て、それで、今度は太田くんを殺すつもりだと思ったんだ。
  そして、彼女は、彼のことが、好きだったんだ――




       §

 「馬鹿やろうッ!」
  芳明が怒鳴った。
  そもそも芳明は学校でも温厚で、人を怒鳴るとか怒るとか、そういうことをすることは滅多になかった。
  はじめて聞くその怒りに満ちた声に、沙利美は思わずひっと首をすくませた。
  沙利美は思った。
  どうして――? どうして怒ってるの、太田くん?
  私はあなたを助けてあげたはずでしょう、命の恩人のはずでしょう?
  どうして怒鳴られなきゃならないの、この私が?
  沙利美は驚いて、芳明を見つめた。
  芳明は一瞬なにか――とんでもない悪党でも見るような目で沙利美を睨みつけた。
  高校生が小学校に通っている弟の勉強を見ているとき、算数の足算がどうしても理解できない弟に、どうしようもねぇなこの馬鹿は、と言っているような、そんな瞳だった。

  芳明は、なにか言いかけて口を開いたが、しかしそれは言葉にはならずに小さな溜息となって口の外に出た。
  今のほんのわずかな沙利美の言葉で、芳明には大方の予想がついていたので。
  おそらく、奈緒美が博文を誤って殺してしまう瞬間をどこかで見ていたのだ、沙利美は。
  それで、奈緒美はやる気になっているものだと勘違いをしたに違いない。
  今度は芳明が殺されるのではないかと思って、それでこんなことになってしまった、というところだろう。
  一度は怒鳴りつけた芳明だったが、自分を助けようとした沙利美の勘違いということから、それ以上沙利美を責めるようなことは言えなかった。
  それに、そんなことよりも――問題は、奈緒美だ。

  芳明は、歯を食いしばって奈緒美のところに歩み寄った。
  本当は駆け寄りたかったのだけれど、腹と肩の痛みが芳明の行動を大きく制限していたのである。
  歩くだけでも、腹からは血が溢れてきた。
  だが、出てくるのはもう最初のようなきれいな血ではなく、もっとどろどろとした黒い血になっていた。
  極度の貧血状態で、視界もぐるぐると歪んでいたが、そんなことはどうでもよかった。
  とにかく、奈緒美が最優先だった。
  奈緒美は壁に背をあずけ、ぼうっとした瞳を芳明の方に向けていた。
  胸の傷からは、じくじくと血が溢れていた。
  はっきり言って――軽傷ではなかった、おそらくは。
 「清水、しっかりしろ。いいか、寝かすぞ?」
  そう言って、奈緒美の身体を腕で支えながら傾けた。
  奈緒美はそれに逆らわず、人形のようにくたっと地面に仰向けに寝転んだ。
  芳明はちょっと戸惑ったが、しかしおもむろについさっきまで自分の肩に刺さっていた日本刀を拾い上げると、奈緒美のセーラー服を縦に切り裂いた。
  夏物の少し薄手のセーラー服は、まるでかまぼこでも切るかのように簡単に切れた。
  リボンのところでちょっと刃が止まったが、それもすぐに切れた。
 「ちょっと、ごめんな」
  芳明は、聞こえるか聞こえないかぐらいの声でそう呟き、びしょびしょに濡れているトレーナーと、そのしたの下着も切り開いた。
  奈緒美の白い肌が、外界の空気にさらされた。
  恥ずかしいとか、どんなことを言っている場合ではなかった。
  芳明は自分のワイシャツの袖を口で破り、それをガーゼがわりにして奈緒美の右の胸の傷口にあてがった。
  傷口に触れられた奈緒美は「うっ」と短い声を出した。
  あとからあとから流れ出てくる血に、ワイシャツのガーゼは見る見る赤く染まっていった。
 「くそ・・・・・・」
  もう一方の袖も破り、傷口にあてがえた。
  傷は思ったよりも深かった。
  もしこれが左胸だったら、ひょっとしたら刃先が心臓まで達していたかもしれない。
  しかしそれでも、弱っている奈緒美にとっては致命傷となるかもしれない傷だった。
  芳明には、もうわかっていた、このままでは奈緒美を助けることなどできないということが。
  道具もない、薬もない(もしあったとしても、それをまっとうに使える人間すらいない)こんなところでは、助けられるわけがない。
  おまけに芳明の方も、もう体力の限界が近づいていた。
  視界が定まらず、ぐにゃぐにゃとまるで水の中で目をあけているみたいだった。
  一瞬、ここで二人して死ぬのも悪くない、という思いが頭を掠めたが、芳明は慌ててそれを振り払った。
  頭の片隅で、黒い喪服を羽織った男が、笑顔で手招きしているのが見えた。
  すっかり準備は整っているんですから、早くしてくださいよ、もう。

  とにかく、真由美との約束は守らなければならなかった、絶対に。
  思った。
  ちくしょう、これで清水を助けられなかったりしたら、絶対に地獄まで追ってきてぶちぶち文句を言うに決まっている、真由美のやつは。
  真由美が地獄の門の前で腕組みをしてこちらを睨みつけている光景を想像して、芳明はちらっと笑いかけた。
  そのときだった。
 「太田くんッ!?」
  誰かが、芳明を呼んだ。
  その声を聞いて芳明は、しまった、と思った。
  なぜそう思ったのかはよく分からなかったが――とにかく、悪戯をしているところを運悪く見つかってしまったような、後味の悪い感じがした。
 「だっ、誰!?」
  少し離れたところで、奈緒美の血が滴っている包丁を手にした沙利美が声をあげた。
  芳明も、ゆっくりとうしろを振り返った。
  もう首を動かすことだけで全体力を使い切ってしまうかのような脱力感が襲ってきたが、どうでもよかった。
  芳明の瞳が、沙利美が飛び出してきたバンの横に立っている女生徒を捉えた。
  予想通りだった。
  そこには、身長の半分くらいもあるアサルトライフルを持った稲山奈津子が、いた。
  奈津子はちょっと離れたところで死んでいる倉沢圭吾を見て、はっと息を呑んだようだった。
  そして、血の付いた包丁を持ったまま呆然と立っている沙利美を見、反射的にアサルトライフルの銃口を向けかけた。
  沙利美が、びくっと身体を硬直させた。
 「やめろッ! 天道は関係ない!」
  芳明が怒鳴った。
  実のところ沙利美が関係ないわけはないのだけれど――とにかく、これ以上事態を深刻にさせたくなかった、芳明は。
  言った。
  今度はいくぶん、穏やかな声で。
 「それ、おろせ、稲山。今はそんなことをしている場合じゃない」
 「でも・・・・・・」
  奈津子はなにか言いかけたが、しかし思い直したように頷くと、銃口を下におろした。
  それから沙利美に向かって、言った。
 「沙利美ちゃんも、それ、捨てて。あたしもこれ、もう向けないから」
  それで、沙利美は、慌てて握っていた包丁を放した。
  アスファルトの地面に落ちた際、包丁の刃の部分が欠けた。
  それから奈津子は、奈緒美と芳明のほうに歩み寄った。
 「なんか、手当てできるもんとか、持ってないか?」
  芳明が訊いた。
 「あ、うん」
  奈緒美は小さく、顎をひいた。
 「ある」
 「よかった。早いとこ、手当てしてあげてくれないか。俺じゃどうしようもない」
  奈緒美の胸の傷をちょっと見て、奈津子はすぐに背負っていたディバッグを下ろした。
  その中から小さめのポーチを出してチャックを開け、携帯用の消毒液とガーゼを取り出した。
  それから、アサルトライフルを地面において奈緒美の傍らに膝を立てて座った。
  それで、奈緒美を挟んで、芳明と向かい合う格好になった。

 「ちょっと染みるけど、我慢して」
  奈津子はガーゼに消毒液を少し垂らし、ひとまず出てくる血をワイシャツの切れ端で拭いてから、傷口にあてがった。
 「・・・・・・ッ!」
  奈緒美は額にしわを寄せて、苦しそうにうめいた。
  傷口のまわりが、消毒液でじくじくと泡立っていた。
  奈津子はもう一度、ガーゼに消毒液を垂らして、傷口を消毒した。
  横から、芳明が口を挟んだ。
 「稲山。裁縫セットとか、持ってないか?」
 「あるにはあるけど・・・・・・。まさか、縫うの?」
  訊き返しながらも、奈津子はポーチの中から裁縫セットを取り出した。
  芳明は頷いた。
 「ああ、できるかどうかは分からないけど。なんなら稲山がやってくれないか?」
 「あたし? ダメよ」
 「どうして?」
  芳明がそれを受け取りながら訊くと、奈津子は肩をすくめて言った。
 「だって、あたし、小学校のとき家庭科の成績、2だったんだもの」
  それで芳明が、ちらっと笑んだ。
  少しだけ、今までどことなく重苦しかった雰囲気が、軽くなった。
  もちろん、ほんの少しだけではあったけれども。
 「俺は3だったな、たしか。じゃあ、俺がやるよ」
  芳明はそう言って、裁縫セットの一番小さい縫い針に、白い糸を通した。




       §

 「・・・・・・こんなもんか」
 「多分、これで傷口は開かないと思うけど・・・・・・」
  ちょっとした『手術』を終えて、芳明は裁縫セットに針を戻しながら、ふぅと大きなため息をついた。
  自分の学生服を奈緒美に着せてボタンを閉じた、奈緒美のセーラー服は切り裂いてしまったので。
  それから、奈緒美の傍らでじっと俯いて座っている沙利美に、視線を移した。
  言った。
 「あんまり気にしないほうがいい、誰にでも間違いはあるから」
  それは、優しい声だった。
  しかしその声すら、沙利美の心にずきんと鋭い痛みを走らせた。
  こんな馬鹿らしいゲームの最中とはいえ、勘違いで危うくクラスメイトを殺してしまうところだったのだから。
  自分のしたことがどれだけ恐ろしいことだったか、いまさらになって沙利美は気づいた。
  言った、呟くような小さな声で。
 「ごめんなさい・・・・・・。あたし、てっきり、太田くんが殺されてしまうんじゃないかって、思って――それで――」
  ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
  他の人の前で――しかも自分が想いを寄せている人の前で――泣くのは少し、いや実のところかなり恥ずかしかったのだけれど。
  そんな沙利美の肩を、芳明はぽんと叩いた。
 「だから、気にするなって言ったろ? さいわい、清水の傷もそんなに深くなかった。命に別状はないはずだ、出血多量でちょっと気を失ってるだけみたいだし」
  近くに落ちていたダンボールの上でかすかに寝息を立てている奈緒美をちらと見ながら、芳明は言った。
  多分、奈津子が持っていた痛み止めの薬が効いているのだろう。
  実のところ、奈緒美よりも芳明のほうが、ひどい状態にあったのだ。
  肩の傷口はまだしも、腹を貫かれたのは致命的と言ってよかった。
  今もなんとか笑顔を見せてはいるが、それもほとんどは精神力で保たせているだけだったし、逆に意識があるのが不思議なくらいだった。
  もう近くにいる沙利美や奈津子の顔すら、ぼやけてよく見えなくなってきていた。
  ああ――思った。
  これはもう助かりそうにないな、俺は。
  ええ、そうでしょう、おにいちゃん。早いとこ、楽になったらどうですか。ホント、しぶといんだから、もう。

 「太田くんは――」
  奈津子が、口を開いた。
 「大丈夫なの? その――肩とか、お腹の怪我は?」
  奈津子はまだ、話し方がぎこちなかった、どことなく。
  芳明のほうもやはり、あまり奈津子とは言葉を交わしたくなかった、できることならば。
  薬局での出来事が二人の間に大きな壁となって立ちはだかっていた。
  もちろん二人とも、一言「ごめん」と謝るチャンスを見計らっているのだけれど――なかなか言い出しにくかった、その一言が。
 「あ、ああ・・・・・・」
  芳明が、よそよそしく頷いた。
  その動作すら、芳明の全体力を使って行わなければならなかった。
  そして何より――寒かった。
  めちゃくちゃに寒かった。
  血液が大量に外に出たからなのか、それとも雨に濡れた制服を着ているからなのか――おそらくその両方が原因なのだろうが――芳明はかすかに震えていた。
  指先がかじかんで、全然感覚がなくなっていた。
  芳明は、悟っていた、そろそろ限界が近いということに。
  思った。
  そういえば、俺はどうしてこんなところにいるのだろう?
  そもそも、なんで俺がこんなことをしなくちゃならないんだ?
  何のためにこんなことをしているんだ、誰のために死にかかっているんだ、俺は?
  そう考え、芳明はそっと目を閉じた。
  なんだか異様に眠くなっていた。
  このまま死ぬ・・・・・・のか?
  それならそれでもいいと思った。
  なにも俺がやる必要もないじゃないか、こんなことは。
  こんなこと、というのがどんなことなのか、芳明自身よく分からなくなっていたのだけれど。
  とにかく、すべてがバカバカしく思えた。
  どこにでもある普通のクラスの、仲のいい連中と殺し合いをさせられる。
  正しいことを言ったはずの、強い勇気ある少女が犯されて、殺される。
  誰とも仲良くしていた優しい少女が、包丁でクラスメイトを殺そうとする。
  こんなバカバカしい世界があってたまるか?
  さっさと死んでしまったほうが利口じゃないか?
  そうだ、向こうの世界には真由美がいる、俺を待っているはずだ。
  早く死んで真由美に会いに行きたい、はやく真由美に――

 『バカなこと言ってんじゃないわよ!』

  そんな、勝気で活発そうな声が芳明の耳に届いたのは、その時だった。
  一瞬、芳明は自分の耳を疑った。
  その声は、つい先日まで芳明のすぐ隣でいつも聞こえていた声だったので。
  ちょっと男勝りなところはあるけれども、誰にでも優しく、そしてとても強い少女――内村真由美の声だったので。
  それで、ぼんやりとした芳明の思考は、はるか昔に遡っていた。
  冷たい床、高い天井、広い空間・・・・・・。
  そこは、芳明と真由美がはじめて出逢った場所だった。
  そう、都立第壱中学校の入学式――まだ建てかえたばかりの大講堂である。




       §

  芳明は、『新入生席』と書かれた紙が貼ってある座席に座っていた。
  ステージでは、白いタキシードを着たオーケストラ合奏班の人たちが静かな曲を演奏していた。
  チェロ、コントラバス、そしてヴァイオリン・・・・・・。
  J.S.バッハ作曲の『Air/G線上のアリア』のアレンジバージョンだった。
  座席は、男女男女の順に1クラスずつ並んでいる。
  緊張した面持ちで、それでもみんな曲に聞き入っているようだった。
  もちろん、この時点では自分たちが3年になった時のことなど(そして運良くあの“プログラム”に選ばれることなど)考えてすらいなかった。
  そして芳明にとっては――退屈なことこの上ない、ただの伝統儀式だった、入学式などというものは。
 「ちぇっ、つまんねーなあ。早く終わらないかな・・・・・・」
  そうぼそりと呟いた、そのときだった。
  ぱこん、と何か柔らかいもので、いきなり後頭部を叩かれた。
  びっくりしてあたりを見回すと、隣の席に座っていた女生徒が怒ったように芳明を睨みつけていた。
  手には丸めた入学式の“プログラム”を握っていた。
  なぜ自分が叩かれたのか理解できず、目を見開いていた芳明にその女生徒が言った、小さな声で。
 「あんた、バカなこと言ってんじゃないわよ。せっかく演奏してくれてる先輩たちに失礼でしょ!」
  声量を抑えてはいたが、それは今聞いているどの楽器の音よりもはっきりと芳明の耳に届いた。
  近くに座っている同じ新入生の数人が、何事かとこちらに視線を向けたくらい、その声は透き通っていた。
  それが、内村真由美だった。
  なにしろそれが初対面だったので、最近のつまらないドラマでパターンになっているロマンチックな出逢いとか、運命的な遭遇とか、そういう言葉とはまったく無縁の出会いだった。
  そんな芳明と真由美がつきあい始めたのは、1年生の夏ごろのことである。

  そのころ芳明は、オーケストラ合奏班に所属していた。
  まあ入学式の一件がコンプレックスになったというわけではないのだけれど、音楽に興味がないわけではなかった芳明は、他の運動系の部活に入るよりはと思って文化部の中で一番大きな合奏班に入ったのである。
  そこに、何の因果か、内村真由美も入っていたのだ。
  一番最初のミーティングで顔合わせをしたとき、真由美の顔を見て芳明は、おいおい勘弁してくれと大きな溜息をついたものだった。
  案の定、真由美の方も入学早々失言をかましたクラスメイトを発見したようで、大股で芳明のほうに歩み寄ってきた。
 「あら、音楽にはまるっきり興味がないと思ってたのに、どうしてこんな所にいるのかしら?」
  真由美が挑発的な声で(『挑発的』じゃない、明らかな挑発だった、あれは)言った。
  いきなりこんなことを言われては、普段温厚な芳明でなくともムッとする。
 「そんなの俺の勝手じゃないか。余計なお世話だよ」
 「あらそう」
  真由美はふふんと鼻で笑って、すぐにその場を立ち去った。
  それ以来、芳明の頭の中に『こいつとは性格が合わないぞ』というステッカーがびっしりと貼られたのだった。
  そのステッカーが、いつのまにかまったく別のものに張り替えられたのは、いつのことだっただろう?
  そう・・・・・・あれはたしか、全国アンサンブルコンテストの出場するための地区予選か何かだったはずだ。
  パートは芳明がトロンボーン、真由美がフルートだった。
  演奏する曲名はなんだか忘れたが(パッヘルベルのカノンかなにか、とても忙しい曲だったような気がする)とにかく、その曲はトロンボーンのパートがめちゃくちゃに難しくて、芳明は放課後、よく一人で残って練習していた。
  もちろん、なんとか吹けるようになろうと懸命に練習をしてはいたのだけれど、どうしてもできない部分がひとつだけあった。
  しかもその部分は、ほとんどトロンボーンが主旋律を奏でるべき重要な部分だったのだ。
  芳明と同じトロンボーンを担当していたのは三人いたのだけれど、一人は二年生でまったくやる気がないのか、練習には一度も来たことのない幽霊部員だった。
  もう一人は三年生で、かなりの腕を持っているらしいのだけれど、体育の授業の時間にバスケットで腕を痛めてしまい、今回の出場は見合わせるという状態だった(その三年生は泣いて悔しがっていた。当然だ、引退を控えた最後の舞台なのだから)。
  それだから、その部分は事実上、芳明のソロということになってしまった。
  地区予選とはいっても、関東地区全域から各学校の部や班が参加するわけで、規模はかなり大きなものになるはずだった。
  最初は断固として断っていた芳明だったのだけれど、顧問の「もし無理だったらパート組替えてでもなんとかするから」という言葉に折れ、仕方なしに承諾した。
  それからというもの、芳明は毎日部活が終わった後も残って練習したのだけれど――ちっともできるようにはならなかった、どういうわけか。
  地区予選まであと一週間という状況になったとき、芳明は半ば諦めていた。
  ちっとも上手くならない、どんなに練習をしても全然できない。
  はっきり言って、時間の無駄だった。
  芳明は、はじめて放課後の部活動を休んだ。
  出入りが禁止されている屋上に出て、水道水浄化用の大きなタンクに寄りかかりながら、ぼんやりと西の方を眺めていた。
  大気のせいで赤く変色し、奇妙な楕円に変形した大きな太陽が、息苦しく立ち並ぶ高層ビルの彼方へ沈んでいくところだった。
  遠くから、カラスの声に混じってヴァイオリンやらサキソフォンやらの音が聞こえた。
  きっと、地区予選に向けて少し遅くまで練習をしているのだろう。
  向かい側の校舎が、真っ赤に染まっていた。
  いつもなら綺麗だな、とか感じるであろう夕焼けも、今の芳明にとっては目障りにちらつく光でしかなかった。
  表の道には、車のヘッドライトがすでに長い列を作っていた。
 「帰るか・・・・・・」
  そう一人呟いて立ち上がろうとした、その時だった。
 「こんな所で・・・・・・何やってんのよ?」
  いきなり後ろから声をかけられた。
  芳明は驚いて、声のした方向に顔を向けた。
  そこには、内村真由美が腕を組んで立っていた。
  手に持っている銀色のフルートが、夕陽を受けて赤く輝いていた。
 「なんだ、内村か・・・・・・」
  溜息が出た。
  一番会いたくないときに、一番会いたくないやつに会ってしまった。
 「ここは出入り禁止だぞ。とっとと帰れよ」
  芳明はそう言って、顔を背けた。
  しかし真由美はそれを無視し、また、言った。
 「こんな所で何やってんのって訊いてんのよ。もう一週間もないのよ? 地区予選・・・・・・」
 「関係ないだろ。俺、もう出る気ないし」
  芳明が言うと、真由美の片方の眉がぴくんと上がった。
  半ば睨むような目で、芳明を眺めていた。
  芳明のほうも勢いに任せて言ってしまった手前、引くわけにはいかなかった。
  真由美が言った。
 「ふぅん、逃げるんだ? 男のくせに、随分とだらしないわね」
 「なんとでも言えよ。できないものはできないんだ。仕方ないだろ」
 「ろくに練習もしないで『できない』なんて決めつけるんじゃないわよ」
  真由美の言葉に、芳明はカッとなった。
  ろくに練習もしてないでだって!? 人の苦労も知らないで・・・・・・!
 「ふざけるな! おまえに何がわかるってんだ!」
  頭に血が上り、つい芳明は怒鳴ってしまった。
  学校で――それもクラスメイトを怒鳴ったことは、これがはじめてだった。
  その言葉で、真由美の血相がさっと変わった。
 「わかるわけないじゃないの! あんたの考えてることなんて、何であたしがわかんなきゃなんないのよ!」
  真由美の声が、あたりに響いた。
  明らかに怒っているようだった、当然のことかもしれないけれど。
  その気迫に押されて芳明がなにも言えないでいると、真由美がすっと手に持ったフルートを上げた。
  言った。
 「よく聴いてなさいよね。あたしだって、別にちゃんとできるわけじゃないんだから」
  そして唇にフルートをあてがい――吹き始めた、芳明がソロをやるはずの、あのパートを。
  それは、もちろん少しぎこちないところはあったけれども、それでも真由美のフルートが奏でる音は、芳明の心を大きく揺さぶるには充分すぎた。
  澄んだフルートの音色が、夕陽がすっかり沈んだ薄い青と濃い紫のコントラストが美しい空に溶け込んでいくようだった・・・・・・。

 「・・・・・・ふぅ」
  そのパートを吹き終わると、真由美は唇からフルートを離し、小さく息をついた。
 「思ったより吹けなかったな。やっぱり難しいわね、ここ」
  そう言って、真由美は小さく苦笑しだ。
  芳明は――呆然と真由美を見ていた。
 「お、おまえ、どうして・・・・・・?」
  芳明が言うと、真由美はふふんと鼻で笑った。
  それから、言った。
 「ね、太田くん。どのくらい練習してた? このパート」
 「毎日・・・・・・放課後、部活終わってから一時間くらい」
 「あたしね、ここ、部活終わって帰ってから、3時間練習してたんだ、実は」
  その割には全然上手くならないんだけどねー、と真由美は笑いながら言った。
  芳明は、思わず訊き返した。
 「3時間だって!? だっておまえ、そのパートは――」
 「うん、フルートの出番はないんだけどさ。あたし、知ってたんだ、みんなが帰ったあと太田くんが一人で練習してるの。だからなんかさ、心配になって、あたしも勝手に練習してたわけ」
 「・・・・・・」
  なにも言えなかった。
  毎日家に帰ってから3時間も、しかも自分とはまったく関係のないパートを練習してただって?
  どうしてそんな――
 「どうしてそんな無駄なことをするのか、って?」
  思考を先に読まれ、芳明はちょっとうろたえた。
  そんな芳明を見て真由美はちらっと笑んで、こう言った。
 「あのね、あたし、思うんだけど。この世界に“無駄なこと”なんてさ、本当はないんじゃないかな」
 「えっ・・・・・・?」
  芳明は訊き返した。
  もうすっかり暗くなっていて、ときおり高速道路を走る車のヘッドライトが、真由美の姿を浮かび上がらせていた。
  表情までは見えないが――多分、そのときの真由美は、今まで芳明が見たことのない、とても穏やかな顔をしていたんだと思う。
  学校の脇を通っている道を、大型のトラックが通り過ぎる音が響いた。
  真由美は、続けた。
 「できないものはできないって、確かにそういうこともあるかもしれない。でも、それまで努力してきたこととか、頑張ってきたことは、全部がぜんぶ無駄になるわけじゃないんじゃない? どんなにバカバカしく思えることでも、決して意味のないことじゃないと思う。あたしの言ってること、わかる?」
 「うん・・・・・・いや、なんとなく」
  芳明の答えに、真由美は小さく頷いた。
  言った。
 「それは、とっても苦しいことかもしれない。すっごく嫌なことかもしれない。でも、きっと、諦めなければ、それは“なにか”――なんなのはわかんないけど――とにかくなにか、意味のあることになるんじゃないかな。だから、その、ああっ! もう自分でも何言ってんのかわかんなくなってきたなあ」
  真由美は照れたように笑いながら、鼻の頭をかいた。
  とにかく、と真由美は続けた。
 「芳明くんも、諦めないで。あたしもまだ全然ヘタだけど、付き合ってあげるからさ、練習」
  このとき真由美は、自分がはじめて芳明のファーストネームを呼んだことに、気づいていただろうか?

  結果的に例の地区予選では、毎日の真由美との練習が功を奏してか、なんとか芳明はソロを吹き通すことができた、とてもぎこちなくではあったけれども。
  もちろん、全国大会に行くには遠く及ばない、地区予選第8位だったのだけれど。
  しかしとにかく、ベストエイト入りしたということは、大健闘といってよかった。
  そしてこのときから、芳明と真由美は付き合いはじめたのだった。




       §

 『バカなこと言ってんじゃないわよ!』

  真由美が芳明と交わした、それが一番最初の言葉だった。
  幻聴、と言うには、それはあまりにもはっきりと聞こえ過ぎていた。
  まるでいつものように、真由美が芳明の傍らでふざけあっているかのように。
  バカなこと言ってんじゃないわよ。
  あんた、せっかくここまで生き残ってきたのに、女の子を三人も残して自分は早々に退場するつもり?
  男のくせに、ちょっと情けないんじゃないの?
  この世にバカバカしいことなんてないわ、芳明くん。
  あんたいま、生きてるんでしょう!?
  だったら――やるべきことをやるのよ、どんなにつらくて、嫌なことでも。
  それは絶対に“意味のあること”だから。
  そして、あたしのぶんまで、ずっとずっと生き続けたら――。
  そうしたら、あとはとっとと死ねばいいのよ!
  しっかり生きなさいよね、あたしが惚れた男なんだから、あんたは!

 「ふ・・・・・・」
  芳明は微かに笑った。
  思った。
  むちゃくちゃ言うな、あいつは、いつも。
  それが、真由美らしいと言えば真由美らしいところなのだけれど。
  そして――思った。
  そうだ、俺は、生きなくちゃならないんだ。
  自分のやるべきことを済まさなければ、天国だろうが地獄だろうが、真由美に会わす顔がない。
  なんとかしなくてはならない、沙利美と、奈津子と、そして奈緒美を――助けなければならない。
  それが、今の俺の、やるべきことだ!

  芳明は、カッと目を見開いた。
  そこはもちろん、都立第壱中学校の大講堂でも、夕陽が沈み行く屋上でもなかった。
  街灯の光すらない、真っ暗な商店街の路地裏だった。
  冷たく湿ったワイシャツは、べったりと赤い血が染みこんでいた。
  しかし、まったく寒くなかった。
  いや、むしろその逆だった。
  身体が熱い。
  さっきまでの脱力感はなく、一気に力がみなぎってくる感じだった。
  もちろんそれは、ただの精神的な作用のせいであって、実際に芳明の体力はほとんど残っていなかったのだけれど。
  だが、そんなことはどうでもよかった、芳明にとっては。
  今、自分がやるべきことが――自分にしかできないことが、あるのだ、目の前に。
  芳明は四肢に力をこめ、一呼吸ついてから立ち上がった。
  腹と肩の傷口に鈍い痛みを覚えたが、刺された直後ほどではなかった。
 「行こう!」
  芳明は、言った。
 「行くって・・・・・・どこに?」
  奈津子が、急に立ち上がった芳明をびっくりしたように見つめながら、訊いた。
  沙利美も芳明の顔を、じっと見つめていた。
  奈緒美は――まだ意識が戻っていない。
  もしいま意識が戻ったとしても、極度の貧血状態で、歩けるはずはなかった。
  しかし、ここでこうして溜まっていても仕方がない。
  このままでは、いつか誰かに見つかってしまうだろうし、もし見つからなかったとしても24時間後には全員の首輪が爆発してジ・エンドだ(もちろん、芳明たちが首輪が無効になっていることは知るはずもない)。

  芳明は、言った。
 「薬局だ。あの薬局へ行けば、みんないるんだろ? それから三村さんを探して、合流すれば――。三村さんはまだ、名前呼ばれてないよな?」
  その言葉に、はっとして奈津子は顔を曇らせた。
  沙利美が言った。
 「それが、放送がかからないの、午後の6時のやつから。聞き逃したのかと思ったんだけど、違うみたいだし・・・・・・」
  それで芳明は、片方の眉を跳ね上げた。
  放送がかかってない、だって?
  そんなことがあるのか、この完璧な管理体勢下で行われるプログラムに?
 「じゃ、じゃあとりあえず薬局に――。稲山は、そこから来たんだろ? 場所とかわかるんじゃないのか?」
  芳明が奈津子に向かって言った。
  しかし奈津子は、俯きながら首を横に振った。
  あの薬局は、もうずいぶん前に、瓦礫と化していたので。
  そして、そこにいた貴志や由香里も、とうてい生きているとは思えなかったので。
  奈津子が震える唇を、ゆっくりと開いた。
  言わなければならなかった、もう望みがないことを。
  三村慶吾も、もうここまできたら、おそらく生きてはいないだろうと思った。
  黒澤健司にしても、ひょっとしたら生きているのかもしれないが、この広い会場内で偶然出会うことはかなり低い確率だ。
  絶望的だった。
  その絶望的な話を、これから言葉にして芳明に言わなければならないのだ。
  考えるだけで気が滅入った。
  しかし、話さなければならない、いや話す義務があるのだ、奈津子には。
 「あの、太田くん。実は――」
  奈津子が言葉を発した、その時だった。 

  ぱんっ、ぱんっ!

  風船を割ったような音が、芳明たちの耳に届いた。
  銃声だった、明らかな。
  思わず顔を見合わせた芳明と奈津子は――二人同時に頷いていた。
  ひょっとしたら、貴志や慶吾たちかもしれなかった。
  もちろんその他の――やる気になっている連中かもしれないが、とにかく、芳明が近くに落ちていた奈緒美のルガー・スーパーブラックホーク・357マグナムを拾い上げた。
  奈緒美のディバッグの中から、チョーク箱ほどの大きさの紙箱を取り出して蓋をあけた。
  なかには、真鍮色の357マグナム弾が、こちらに尻を向けで並んでいた。
  芳明はその箱の中の弾丸をつかみ出すと、スーパーブラックホークに五発詰め込み、あとはポケットの中に突っ込んだ。
 「行こう、そんなに遠くなかった。ひょっとしたら、三村さんたちかもしれない」
  奈津子が頷いた。
 「奈緒美ちゃんは?」
 「天道と稲山は、怪我してないんだな? 二人でなら、なんとか運べないか?」
  そう言われて、沙利美は慌てて立ち上がった。
 「や、やってみる」
 「じゃあ、これ持って」
  奈津子が芳明に、アサルトライフルを手渡した。
  それはずっしりと重く、肩と腹を刺されている芳明には結構つらかったのだけれど。
  芳明は銃床を地面につき、それを杖の代わりにして歩き出した。
  奈緒美の両肩を支えあった奈津子と沙利美が、そのあとを追うように歩き出した。
  その方向は――そう、500gのオクトーゲン火薬で負傷した旗山快と藤本華江、榊原郁美がいる方向だった。
  そしてもちろん、そこには、快たちの武器をすべて奪った沼田正樹がいるのだけれど。

  
  【残り15人/モニター表示のみ復旧完了】


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