BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
32
ん? 今の声は?
盛田守(男子19番)は潜んでいた小屋の中で眉を顰めた。
木々のざわめきにまぎれて、何か悲鳴のようなものが聞こえたような気がする。
守は両耳に神経を集中した。
再び悲鳴が聞こえた。先程よりも距離が近いようだ。
誰かが襲われている。助けてやらねば。だが、あの声は・・・
幼児期の守はとても病弱な子供だった。
頻繁に発熱などしては幼稚園を欠席する状態で、小学校に上がっても改善はしなかった。
心配した両親は守にスポーツを勧めた。もちろん、体を鍛えるのが目的だ。
水泳・陸上・庭球・柔道などいろいろ経験してみたが、どれもしっくりこなくて長続きしなかった。
だが、小学3年の時に始めた剣道だけは自分の波長にピタリと一致したようだった。
自ら熱心に道場通いをするようになり、寒稽古などにも積極的に参加した。
その結果、剣道の上達はもちろんのこと、見違えるような健康体となったのであった。
中学でも剣道部に入部し、常に団体戦の選手として活躍しており、高校にも剣道関係の推薦入学ができそうな状況になっていた。
しかし、小学生時代から放課後は剣道一色だったため友人は少なく、特に女子とはほとんど会話したことさえなかった。
女子に興味がない頃には、さほど困りはしなかったが、偶然グラビアアイドルの水着写真を見て目覚めてからは、たいそう女子が苦手だった。
女子が嫌いなのではない。信じられないほどに緊張するのだ。
女子と目が合うだけで強い動悸を感じ、激しく上気する始末だった。
会話しようとすれば声が震え、共同作業しなければならない時は前日から眠れないほど苦痛に感じた。
剣道の試合でも、女子に応援されるとなかなか実力を出せなかった。
そんな守にとって最も落ち着く場所は、女子のいない部室であった。
一日の授業が終わると、逃げるように教室を飛び出して部室に駆け込む毎日だった。
中3になった今年も女子の入部者が皆無だったことに、守はホッと胸を撫で下ろしていた。
他の部員は無論残念がっていたけれども。
プログラムが始まって校舎を出発した守は、全く戦う意志がなかった。
どこかに隠れて時を過ごし、時間切れになってしまったら仕方が無いと考えていた。
デイパックから出てきたものは比較的長めの鉄パイプで、剣道部員の自分には使いやすそうなアイテムだった。使う機会がないことを願いたかったが。
だが校門を出た守が見たものは、細久保理香(女子18番)を襲っている百地肇(男子18番)の姿だった。
無視して立ち去ることは十分可能だったのだが、思わず肇を殴りつけて気絶させ、理香を助けてしまった。
夢中だったので理香ともどうにか会話できたのだが、少し落ち着いてくると女子と見詰め合っている自分の存在を認識し、急に上気してきた。
しかも、理香は自分との行動を希望してきた。
冗談ではない。女子と2人で逃避行などしたら、自分の心臓は間違いなく爆発してしまうだろう。
おまけに理香は、守にとってかなり好みのタイプだ。とても耐えられそうにない。
さらに、そこへ水窪恵梨までが参加してきた。
加わったのが男子ならば多少の考慮の余地はあったのだが、女子が2人になったのではたまったものではない。
振り向くこともなく走り去る他はなかった。
そのままエリアF=3の林の中で見つけた小屋に転がり込んで、今まで時を過ごしていたのだった。
徐々に近づいてくる悲鳴。
自分が襲われているわけではないのだから無視してもかまわないはずなのだが、武道をたしなむ者としては襲われている者を見殺しにするわけにはいかなかった。
銃声は聞こえていないから、襲撃者の武器は刃物か鈍器だろう。自分ならば十分対処できるはずだ。
だが悲鳴の主は明らかに女子。
助けてしまえば、先刻の理香同様に同伴を希望される可能性が高い。
普段から女子に全く話しかけない自分は、女子には比較的安全な人物に思われやすいからだ。
そうすれば、またまた逃げ出す羽目になって折角の隠れ家も手放す結果となり、自分にとってはマイナスとさえ言えるだろう。
しかもこの声・・・
どうやら自分が最も気に入っている女子の声に酷似している。
もし彼女と目が合ってしまったら、自分は緊張のあまり硬直して動けなくなってしまうだろう。
おまけに、勝気な理香と違って彼女は小心者だ。
救助すれば、自分に抱きついてくる可能性も否定はできない。
そうなれば自分は失神してしまうかもしれない。とんでもないことだ。
さらに救助を躊躇わせるもう1つの大きな問題があった。
それは襲っている者が男子とは限らないということだ。
襲撃者が女子ならば、自分は女子と戦うことになってしまう。
たとえ襲撃者であっても、自分には女子を殴ることは出来そうにない。
襲われている子を逃がしながら、自分も逃げる他はない。ひとつ間違えば自分が討ち死にしかねない。
まさに墓穴を掘る結果となるだろう。
間違いなく無難なのは無視することだ。君子危うきに近寄らずだ。しかし・・・
いったい自分はどうすればよいのだろう。
守は、しばし目を閉じて心を落ち着けた。
大きく深呼吸をした。
そして、結論は出た。
襲われている子を助けよう。
自分は正しいことをしようとしているのだ。
だから、そこからどんな結末が導かれようとも悔いる必要はないんだ。
守は鉄パイプを握り締めると、静かに小屋を出て悲鳴のした方向に小走りに向かった。
間もなく激しい息遣いとバタバタする足音が聞こえ、1人の少女が林の中を走っているのが見えてきた。
声から予想したとおり、少女は蒲田早紀(女子6番)だった。守の前方を左から右へと通り過ぎようとしている。
守にとって、最も気に入っているイコール最も苦手な女子である。
ありがたいことに、逃げるのに必死な早紀は守に気付いていないようだった。
守は、木の陰に隠れながら早紀の後方に目をやった。追撃者が男子であることを願いながら。
追撃者はすぐに姿を現した。
守の願いが通じたのか、その人物は男子で棒のようなものを振りかざして走っている。
守は素早くその男子の前に走り出て、通せんぼをした。
男子が足を止めて、守を睨みつけながら言った。
「盛田、邪魔する気か」
守は、その男子、すなわち京極武和(男子10番)に向かって答えた。
「俺は弱いものいじめをする奴は嫌いなんだ」
武和はあざ笑うかのような表情で言った。
「お前は何をほざいているんだ。今はプログラム中だぞ。弱いものいじめなんかしてるわけじゃない。俺は、ただ死にたくないから戦っているだけだ。邪魔するならば、お前からぶっ殺してもいいんだぞ」
武和は棒のようなものを振り上げた。どう見ても金属バットだ。
守は鼻で笑った。
「剣道部員の俺にそんなもので立ち向かうつもりか。大人しく立ち去れば見逃してやる。怪我しないうちに消えな」
武和は一歩も引かなかった。
「剣道と殺し合いは異質のモノだぞ。今、思い知らせてやる」
身の程知らずな奴だ。仕方ない。痛い目にあわせてやるとするか。
が、その時守の背後で足音がした。
ん? 新たな敵か? 不覚だった。京極に意識を集中しすぎていた。
守は振り向こうとしたが、それより早く背後の人物は守の背中に抱きついていた。
と同時に声がした。
「盛田君、あたしを助けてくれるのね。有難う」
守は一瞬で血圧が上昇していくのを感じた。
間違いない、この声は蒲田さんだ。戻ってくるなんて・・・
どうやら武和が追ってこないのを感じた早紀は、様子を見に戻ってきて現実を知り、守に保護してもらおうと思っているらしい。
普通の男子ならば喜びそうな、そして勇気倍増しそうなシチュエーションだが、自分にとっては完全に逆効果だ。
それでも辛うじて言った。
「蒲田さん、離れてくれよ。しがみつかれてちゃ戦えないよ」
早紀の手がパッと離れるのを感じた。
「ご、ごめんなさい。邪魔になるよね」
少しホッとした。
が、武和はその一瞬の隙を見逃さずに突撃しながらバットを振り下ろしてきた。
ま、まずい。十分かわせるが、かわせば蒲田さんに当たるかも。
守は振り向きざまに早紀の体を抱え、思い切り側方に身を投げ出した。
目標を失ったバットが地面に当たる音がした。
守は急いで起き上がった。このまま早紀と抱き合っていては、本当に心臓が破裂しかねない。
だが、立ち上がった早紀は守の制服の背中の部分を少し掴んでいるようだ。
「は、放してくれよ」
言ってみたが、早紀は震えた声で答えた。
「怖いの。離れたくない」
早紀の気持ちは解る。自分を守ってくれそうな人にくっついていたいのは当然だ。
だが、それでは俺はまともに戦えない・・・
武和の声がする。
「お前が女を苦手にしているのはよく知ってるぞ。これなら、俺の方が有利かもな」
背後の早紀の気配がとても大きく感じられる。脈拍は速くなる一方だ。
このままでは、本当に武和の方に分があることになってしまう。
そして自分が倒されれば、早紀も間違いなく死ぬことになるだろう。
俺は蒲田さんを助けたかったはずだ。それなのに・・・
最早、目の前の武和よりも背後の早紀の方が大きな問題だった。
勿論、早紀の手を振り払うことは可能だが、それでも早紀はついてくるだろう。
どうしたら、どうしたらいいんだ、俺は。
だが追い詰められた守の精神は、何故か一瞬不思議な冷静さを取り戻した。
そうだ。この手があった。
蒲田さんの顔を見てしまったら出来なくなるから、この体勢のままで・・・
剣道で鍛えた勘を信じる。それだけだ。
神経を集中して背後の早紀の位置と姿勢と体格を確認する。
「ゴメン」
それだけ言い放つと、守は振り向くことなく早紀の右脇腹を狙って鉄パイプを振るった。
見えない標的に正確に当てることも難しいし、肋骨骨折や内臓破裂を起こさせずに意識だけを奪う力加減も難しい。
だが、心が澄み切った守には自信があった。
そしてそれが確信に変わる手ごたえと共に、早紀の体が声も上げずに崩れ落ちる気配がした。
すまない、蒲田さん。でも、これで間違いなく貴女を守れる。
完全に平常心に戻った守は、鉄パイプで正眼の構えをつくり、武和に相対した。
武和が顔を顰めながら言った。
「くそ、こっちの方が不利になったかもしれねぇ。だが、まだ負けたわけじゃないさ」
武和はバットを振り上げて突進してきた。
逃げることは出来ない。逃げれば、倒れている早紀を人質にされてしまう。
一発で決めねば・・・
気合を込めた守の鉄パイプは、バットを振り下ろす武和の右前腕に見事命中した。
武和はそのまま腕を押さえて蹲った。
守は厳しく言い放った。
「早く立ち去れ。さもないと、左の腕も使えなくさせてもらうぞ」
武和は憎らしげな表情で守を見上げた。
「チキショウ!」
叫び声を残して、武和はバットを小脇に抱えたまま一目散に逃げ去った。
それを見送った守は背後を振り向いて、完全に落ちている早紀を見下ろした。
そっと目を閉じている横顔がとても可愛らしい。
再び動悸が激しくなるのを感じた。
本来ならば早紀を覚醒させるべきなのだろうが、また抱きつかれて難儀をするのが目に見えている。
といって、意識のないまま放置するわけにもいかない。
結局、早紀が自然に覚醒するまで近い場所から見守ることにした。
起き上がった早紀が自分を認識しないうちに逃げ去る必要はあるわけだが。
俺って、損な性格だよな・・・
でも、とにかく俺は蒲田さんを助けることが出来たんだ。助けに来てよかった。
真っ青な空を見上げた守の表情はとても晴れ晴れとしていた。
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