BATTLE ROYALE
〜 荒波を越えて 〜


33

 誰かいないかな・・・
 誰でもいいんだけど、誰かいないかなぁ。
 とにかくあたしは誰か殺したくて仕方ないのよね。
 エリアC=8の小規模な集落の中を、果物ナイフを握った少女は獲物を探して彷徨っていた。
 思考の内容とはアンバランスな笑顔を浮かべながら。
 少女の足が止まった。路地の前方に人影を見つけたからだ。
 やった。見つけたわよ。
 嬉しそうな表情でその少女、すなわち
千代田昌子(女子12番)はナイフを懐に隠して人影の方に向かった。

 プログラムが始まった段階で、昌子は半ば困惑状態だった。
 自分の直前に出発した
芝池匠(男子12番)あたりが待っていてくれれば喜んで合流したのだが、校舎の外には全く人影がなかった。
 がっかりした昌子は誰かを待とうかとも考えたが、直後の
鈴村剛(男子13番)は自分勝手男で信用できそうにない。
 彼女の
神乃倉五十鈴(女子7番)以外には牙をむきそうな予感がした。
 結局、昌子は仲間つくりを断念して学校を後にした。
 単独行動を選んだ以上、スタンスはハッキリしている。
 自分は死にたくない。
 ならば皆を殺して優勝するだけのことだ。
 しかし、現実問題として自分に殺人という行為が出来るのだろうか。
 しかもクラスメートを相手に。
 これが最大の問題だった。
 頭では理解している。生き残るにはやるしかない。
 だが・・・
 会場内を徘徊する昌子の耳には何度か銃声も聞こえた。
 最初の放送では数人にものぼる死者の名前が告げられている。
 間違いなく何人かの者は、その気になってクラスメートを殺しているのだ。
 自分も乗り遅れてはいけない。
 他のやる気の者たちとも、戦って倒さねばならない。
 気持ちばかりが焦ってくる。
 だが、支給品は果物ナイフなので無茶なことは出来ない。
 森を歩きながら気持ちを落ち着かせようとしていた時に、昌子は切り株に坐って頭を垂れている1人の女子を見つけた。
 昌子はナイフを握り締めて、女子の背後に忍び寄った。
 顔は確認できないが、体型と髪型からみて、女子は間違いなく那智ひとみだった。
 先ほどの放送で、ひとみの彼氏である平松啓太の名前が呼ばれている。
 ひとみは彼氏を亡くして落ち込んでいるのだろうか。
 もっとも、ひとみが啓太を殺したのかもしれないが。
 しかし、そのへんの事情は自分にはどうでもいいことだ。
 ひとみは今から自分に殺されるのだから。
 昌子はナイフを構えた。まだ、ひとみは昌子に気付いていない。
 このまま突進すれば、ナイフはひとみの背中に深々と突き刺さることだろう。
 だが、そこで足が止まった。
 一歩も前へ進むことが出来なかった。
 ナイフを握った両手はガタガタと震え始めた。
 いけない、こんなことでは。
 皆を殺さなければ、あたしが死ななきゃいけないのよ。
 自分に気合を入れなおしてみたが、体は言うことを聞かなかった。
 このままでは、やがては気付かれて逃げられてしまうだろう。
 自分がやる気だという情報だけが広がるかもしれない。
 それはまずい・・・
 結局、昌子はひとみを襲うことを断念して静かにひとみから離れた。
 しばらく歩いた後、昌子は地面にガックリと膝をついた。
 ダメだ・・・ やっぱり、あたしには殺人はできない。
 襲って来る人となら戦えるかもしれないけど、無抵抗の子はどうしても殺せない。
 やらなきゃいけないのに・・・
 皆、殺さなきゃいけないのに・・・
 自然に涙が溢れ出す。
 その時、昌子の耳は迫り来る足音を聞きつけた。
 顔を上げてみると、笑顔で立っていたのは
増沢聡史(男子17番)だった。
「千代田さん、どうしたの?」
 優しく話しかけてきた聡史に、昌子は冷たく答えた。
「あっちいって。今は誰にも会いたくないの」
 だが聡史は落ち着いた口調で答えた。
「何か悩んでいるように見えたから声をかけたんだけど。僕でよければ相談に乗るけど」
 昌子は思い出した。
 聡史が全ての女子に優しいことを。
 いつもギャグや手品で女子を喜ばせていることを。
 特技の催眠術で精神的疲労やストレスをほぐしてくれることを。
 それに、無防備なあたしを殺そうとはしていない・・・
 増沢君に相談しよう。心が楽になるかもしれないから。
 昌子は涙顔のままで、正直な気持ちを打ち明けた。
 聡史は大きく頷いた後で、昌子の肩を優しく撫でながら言った。
「よく解ったよ。それは当然の悩みさ。他の子も悩んでるだろうし、僕もどうしていいかわからない」
 その言葉だけでも昌子の心は少し軽くなった。
 あぁ、増沢君に打ち明けてよかった。
 でも、まだ苦しい・・・
 聡史が続けた。
「少しは楽になったようだね。力になれて嬉しいよ。もしよかったら、催眠術でもっとほぐしてあげるけど」
 催眠術・・・
 芸の多い聡史だが、特に得意にしているのが催眠術だ。
 昌子も、家庭内のいざこざで悩んでいた時に、聡史の催眠術で楽にしてもらったことがある。
 そうだ。それで、もっと楽になれるかもしれない。
 昌子は微笑んで言った。
「お願いするわ」
 聡史も微笑み返してから、周囲を注意深く見回した後に言った。
「それでは、悩まなくてすむようにしてあげるからね。体の力を抜いて、ゆっくり呼吸していてね」
 聡史が暗示をかけ始めた。とても、心地よかった。
 ・・・
 やがて催眠から覚めた時、周囲に聡史の姿は見えなかった。
 そして、昌子の心には一点の迷いさえも残されてはいなかった。
 理性と感情の全てが、ただ殺意のみに支配されていた。

 昌子の足音が聞こえたのか、目の前の人物が振り返った。
 
百地肇(男子18番)だった。右手には包丁のようなものが握られている。
 へぇ、女の敵じゃない。最初の獲物として、とってもふさわしいわね。
 昌子は笑顔のままで肇の前に進み出た。
 肇が眉を顰めながら言った。
「どういう風の吹き回しだ。千代田の方から俺に近寄ってくるなんて」
 本来の昌子ならば、肇を見ただけで逃げていたはずだが、殺意に支配された今は平気だった。
「百地君は強そうだから守ってもらおうと思って」
 平然と答えた昌子に、肇は首を傾げながら答えた。
「なんか胡散臭いな。だが、俺の女になる覚悟があるならば守ってやってもいいぜ」
 肇の瞳が怪しげに光り、視線は昌子の体を嘗め回しはじめた。
 ふふふ。けだものさん、今に後悔させてあげるからね。
 昌子はその視線に気付かぬ振りで答えた。
「守ってもらうんだから、その程度は当然ね。いいわよ」
 肇が口元に気味悪い笑みを浮かべながら言った。
「だったら、この場でセーラー服を脱ぎな。脱げたら信用してやる」
 昌子は大きく頷くと、肇に背中を向けて脱ぐ真似をしながら、懐のナイフに右手を伸ばした。
 そして、間髪をいれずに振り向きながらナイフを突き出した。
 だが、肇はそこにいなかった。
 え?
 見回す間もなく、横に回りこんでいた肇に右腕をつかまれていた。
 肇がにやけながら言った。
「こんなことだろうと思ったぜ。さぁ、体と命を頂くよ。自分から向かってきたんだから、悔いはないよな」
 冗談じゃないわよ。あたしはあんたを殺したいのよ。皆殺して優勝するのよ。
 必死で暴れようとしたが、いくら殺意が強くても、腕力が強化されているわけではない。
 抵抗もむなしく、ほどなく地面に組み伏せられてしまった。それでも、全力でもがいた。
 いやだ。絶対、いやだ。あたしはこいつを殺すんだ。
 しかし、気迫ばかりが空回りしてどうにもならない。
 肇の声がした。
「君も往生際が悪いね。生きたまま頂くのは難しそうだから、先に死んでもらうことにするよ」
 薄目を開けると、包丁らしきものが振り上げられているのが見えた。
 あれが、自分の首を貫くのだろう。
 普通の女子ならば観念しそうな状況だったが、昌子の心を支配している殺意は諦めることを許さなかった。
 最後の力を振り絞って首を持ち上げ、体を押さえている肇の左腕に思い切り噛み付いた。
 思わぬ反撃に肇は仰け反るように立ち上がった。
 昌子も素早く体を起こした。
 肇が怒鳴りつけた。
「てめぇ、よくもやってくれたな。もう、女とは思わねぇ。全力でぶっ殺してやる」
 だがそこで、自分の方に突進しようとしていた肇の足が止まった。表情が引き攣っている。
 と、肇は踵を返して一目散に走り去った。
 これには昌子も面食らった。肇が逃げ出す理由など全く思い当たらない。
 でも、奴が背中を見せているなら勝ち目があるかもね。
 気を取り直した昌子は、肇を追おうとして踏みとどまった。
 背後から接近してくる足音を聞きつけたからだ。
 誰か来たわね。あたしに接近してくるなんてバカな人ね。あんたから殺してあげるわ。
 昌子が振り返ると、そこには苦虫を噛み潰したような表情の
三条桃香(女子11番)が立っていた。
 桃香が呟くように言った。
「あのスケベ男、退治してやろうと思ったのに逃げ足が速いことね」
 どうやら肇は桃香を見て逃げたようだった。
 つまり、肇は桃香を強敵とみなしたというわけだから、昌子にとっても逃げるのが正解のはずだ。
 だが殺意に支配された昌子に、逃げるという選択は存在しなかった。
 桃香が哀れむような視線を昌子に向けながら言った。
「千代田さん、気の毒だけど私と向かい合った以上は死んでもらうわよ。本当は貴女のような普通の子は殺したくないんだけど、これは国の決めたこと。国民が従わなきゃいけない掟よ。だから、悪いけど見逃すことは出来ないの。百地君が逃げなければ、私と百地君が戦っている間に貴女は逃げられたんだけど運がなかったわね。抵抗しなければ一瞬で息の根を止めてあげるから・・・」
 昌子は怒鳴るように遮った。
「何を偉そうに言ってるのかしら。間違ってもお嬢様なんかに負けやしないわよ」
 果物ナイフを桃香に向けてピタリと構えた。
 桃香は一瞬驚いた様子だったが、すぐに厳しい表情になって言った。
「貴女、正気じゃないわね。何となくいつもの千代田さんじゃないとは思ってたけど、今のでハッキリ判った。誰かの道具にされているようね。日常なら覚醒させてあげるところだけど、今はプログラム。キツイ言い方だけど、正気を失くした時点で貴女は既に敗者だわ。遠慮なく涅槃に送ってあげるからね」
 何よ、このお嬢さん。あたしが敗者だって? ふざけないでよ。
 今すぐあんたを片付けて、敗者じゃないことを証明してあげるわよ。
 桃香が刃物を構えたのが見える。自分と同じ果物ナイフのようだ。
 そんなもので、あたしが怯むとでも思ってるの? 覚悟しなさい。
 昌子は桃香に突撃した。
 桃香が左側に逃げようとしているのが見えた。
 甘いわよ。逃がすもんですか。
 昌子は左に足を踏み出しながらナイフを突き出した。
 その時、桃香が素早く右へ飛んだのが見えた。
 方向修正がとても間に合わない。
 え? 何ていう素早さなの?
 振り向く間もなく、風を切るような音と共に昌子の右頚部を何かが掠めていった。
 何が起こったか判らなかったが、とにかく首の辺りが妙に熱い感じがした。
 そして次に自覚したことは、自分の首から噴水のように血液が飛び出しているということだった。
 短時間で虚血状態に陥った昌子の脳は偶然にも正気を取り戻していた。
 百地君が逃げたのは、このお嬢様が只者じゃないって見抜いていたからなのね。
 結局あたしは増沢君におもちゃにされたわけね。馬鹿みたい・・・
 今頃察しても遅いけど・・・
 ゆっくりと倒れ伏した昌子の目が最後に見たものは、あらぬ方向を睨みつけて立っている桃香の姿だった。

 

女子12番 千代田昌子 没
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