BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
43
山がちのプログラム会場からは、西の水平線を見通すことは出来ない。
従って正確に日没を確認するのは困難だが、急激に空が暗くなってきているのは事実だった。
間もなく周囲は、月明かりだけが頼りの漆黒の闇に包まれることだろう。
森の中で息を潜めていた細久保理香は、周囲を油断なく見回していたが、まだ暗闇になれていない目では接近する人物を見落とす可能性がないとは言えない。ある意味では非常に危険な時間帯とも言えるだろう。
側で仮眠している速水麻衣は、少しうなされているようだ。うなされるのも無理もないことだとは思うが、全神経を感覚器官に集中させている理香には、麻衣の小さなうめき声でも集中力をそぐ原因になりかねなかった。
麻衣の命も預かっている状態なので、1人の時以上に気を遣わなければならないわけで、理香の精神疲労は限界に近づきつつあった。
あと1時間で仮眠を交代する約束なので、とにかくそれまで頑張ろうと気合を入れなおした時だった。
理香の耳は、草を踏みしめる僅かな音を捉えた。
幸いなことに、麻衣のうめき声は止まっている。理香はさらに耳を澄ました。
足音の主が犬や猫である可能性もあるし、生徒だとしてもこちらに向かってきているとは限らない。
だが足音は少しずつ大きくなってきた。こちらに近づきつつあることは確実なようだ。
全身が緊張し、脈が速くなるのを感じた。
肝心なのは出来るだけ早く相手を見極めることだ。危険人物ならば素早く逃げねばならないし、大河内雅樹などの会いたい人物ならば逃げてはならない。
当然ながら足音の方向に視線を走らせた。
だがその方向には、木が密に生えているため極めて見通しが悪い。
判断に迷う場面だった。判断ミスをすれば、自分だけでなく麻衣の命も失われる結果となる。
ここは一目散に逃走するべきなのだろうか。
だが、別の可能性もある。問題の人物がまだ自分たちを発見していないかもしれないという点だ。
自分は相手の足音で、相手の存在を察知している。物音を立てていない自分たちの方が発見されにくいはずだ。
その場合は、下手に逃げ出すことによって相手に発見されてしまう結果になるだろう。動かない方が正解ということになる。
仮眠中の麻衣には申し訳ないが、これは非常事態といえる。麻衣を起こして、相談しなければならない。
理香は、麻衣を軽く突っついて覚醒させた。と同時に耳元で声を出さないようにと囁いた。
素早くキリッとした表情になった麻衣に、理香は手短に状況を伝えた。
麻衣は早めの逃走を主張した。先刻、似たような状況で痛い目に遭っているので当然の選択ともいえた。
理香も麻衣の意見を尊重して同意し、音を立てないようにそっと立ち上がった。
が、それと同時に問題の足音は急速に接近しはじめ、木々の間に人影が見えた。
既に、かなり近いところまで迫っているようだ。
理香と麻衣は、一瞬顔を見合わせた後、全力で謎の人物とは反対方向へ走り始めた。
午後6時の放送を聞き終えた2人は、まずお互いの情報を交換し合った。
といっても、理香にとっては参考になる情報は乏しかった。
増沢聡史が催眠術を悪用する危険人物であることが判明したが、聡史の名前は既に死者として告げられている。
気になるのは、浦川美幸を正気に戻した石川綾(女子1番)が麻衣たちとの同行を拒んだこと程度だった。おそらく綾には何らかの方策があるのだろうと推察できたが、その内容は見当もつかなかった。
麻衣にとっては、古河千秋(女子17番)や百地肇(男子18番)が危険であることや、盛田守(男子19番)や吉崎摩耶(女子21番)がやる気でないことが参考になったはずだった。肇の場合は、女子なら誰でもある程度は危険視するだろうと思えたが。
それから2人は死者について考えた。
といっても、気になるのは鈴村剛程度である。美幸とやる気になっていた聡史以外は、単独行動しそうな人物だからだ。
剛の場合でも、彼女の神乃倉五十鈴(女子7番)とは番号が離れているので合流していたとは限らず、五十鈴の動向を判断する材料にはならない。五十鈴がやる気になるとは、到底思えなかったけれども。
というわけで、今回の放送や麻衣との合流はあまり有益な情報には繋がらなかった。
だが、麻衣を仲間にした事自体には大きな価値があった。
体力は別にして、麻衣の脚力や注意力は自分と大差がない。麻衣がいれば比較的安心して仮眠できると思われた。
また不良や古河千秋を除けば、クラスの殆どの女子が自分か麻衣の少なくともどちらかとある程度親しい。
だから、やる気でない女子に出会えれば、大抵は仲間に出来るはずである。これは、大きなメリットと言えるだろう。
この調子で、雅樹や佐々木奈央、あるいは今山奈緒美にも出会いたいものだと思った。
エリアE=6の山頂に近い森で、2人は腰を落ち着けた。
そこで理香は仮眠したいと申し出ようとしたのだが、どうみても麻衣の方が疲労が激しいようだった。美幸を失ったショックで疲労が倍化していることは想像に難くなかった。
調達品の毛布を広げながら、麻衣に仮眠を勧めた。
一度は遠慮した麻衣だったが、結局は2時間交代で仮眠する約束を交わした。
横臥した麻衣はすぐに寝息を立て始めた。理香は、麻衣にそっと自分のカーディガンをかけてから、注意を周囲に集中した。
それから、1時間は何事もなく無事に過ぎていたのだが・・・
理香は必死で走った。麻衣も同様だ。
デイパックを投げ出してしまえばもう少し早く走れるだろうが、荷物を失うわけにもいかない。落命すれば本末転倒だけれども、あっさり諦めることは出来ない。
だが、相手の足は恐ろしく速いようだ。背後の気配がどんどん大きくなるのを感じる。とても逃げ切れそうにない。
こんなに速いのは誰だろうと考えながら、腹をくくって戦うしかないと判断した。このまま背後から攻撃されたらひとたまりもないからだ。
横目で麻衣を見た。麻衣も同じことを考えていたようで、2人は無言で頷きあった。
2対1ならば、相手が強くても少しはチャンスがあるだろう。銃声が聞こえてこないから、相手は銃を持っていないはずだ。それならば、何とか・・・
理香は足を止めて向き直った。麻衣も同時に向き直った。即席コンビとしては、呼吸はピッタリだった。
さぁ、開き直った女の強さを見せてあげるからね。
だがその時、相手はもう目と鼻の先まで来ていた。
な、なんて速さなの。一体、この人は・・・
相手の顔を確認する間もなく、理香は腹部に衝撃を感じてその場に崩れ落ちてしまった。
痛む腹を押さえながら、麻衣の方を見ると、麻衣も自分と全く同じように腹を抱えて蹲っている。
おそるおそる目の前の人物を見上げようとすると、相手の方から声をかけてきた。
「君たちを殺す気はない。安心してくれ」
理香は全身が凍りつくのを感じた。
この声・・・ 顔を見なくても判る。目の前にいるのは矢島雄三(男子20番)に相違ない。
意識の全てが絶望に包まれた。雄三相手では万に一つの勝ち目もない。
終わった・・・ あたしの人生はこれで終わった・・・ 悔しい・・・
ん? 今、何て言ったっけ? 殺す気はないって言わなかったっけ・・・
まさか・・・ 信じられない・・・
麻衣の声が聞こえた。少し、苦しそうな声だ。
「いきなり殴っておいて、安心しろも何もないもんだわ。何のつもりなのよ」
雄三が答えた。案外、優しい声だ。
「俺は君たちと話がしたかっただけなんだ。やる気になってるようには見えなかったし。といっても、俺の顔を見れば君たちは逃げ出すだろうから、逃げられない距離まで近寄ってから話しかけるつもりだった。だが、君たちは早めに察知して逃げてしまった。そこで、追いかけて肩を掴んでから話しかけることにしたんだ。ところが、君たちは急に振り返った。君たちの武器を把握していないから、窮鼠の一撃を食らう危険性を否定は出来ない。だから、一時的に戦闘力を奪わせてもらうしかなかった」
口を開こうとしたが、麻衣の方が早かった。
「だからといって、か弱い乙女のおなかを殴ることはないでしょ。子供が産めない体になったらどうしてくれるのよ」
雄三は微笑を浮かべながら言った。
「生きて帰る意欲が充分なことは良いことだね。それに、それほどのダメージはないはずだから大丈夫だよ」
勝手なこと言わないでよと言いかけて考え直した。
雄三がその気ならば、自分たち2人を素手で殺してしまうことも可能なはずだ。
それに、何の造作もなく先ほどのパンチで自分たちを気絶させることも出来たはずだ。
だが実際には水窪恵梨に殴られた時よりもダメージは小さいくらいで、今すぐでも立ち上がれそうだった。
つまり、雄三はかなり手加減していると考えられるわけだ。
ということは、雄三の言っていることは信用してもいいのかもしれない。
理香はゆっくりと立ち上がりながら言った。
「わかったわ。とにかく話だけ聞かせてもらうわ」
遅れて立ち上がった麻衣が、理香の横にピタリと寄り添った。
雄三に視線をやった。腰に長い刀のようなものを下げている。雄三を怒らせると、頭と胴体が永遠のお別れをすることになると直感した。
おもむろに雄三が口を開いた。
「まずは、手荒な真似をした事を改めてお詫びしておく」
深々と頭を下げた雄三の姿に、理香はかえって戸惑ってしまった。
そこまでして、自分たちに話しかけたい理由が判らないからだ。
頭を上げた雄三が言った。
「早速用件だが、君たちの知っている範囲でやる気になっている奴を教えて欲しいんだ」
理香と麻衣は顔を見合わせた。
プログラムを生き抜くために必要な情報であることは確かだから、教えても問題はなかろう。自分たちに不利になるとも思えない。
理香は答えた。
「間違いないのは、蜂須賀君・百地君・古河さんの3人よ」
雄三は驚いた表情で言った。
「俺の見たところ、蜂須賀は只者ではない。相当に強いはずだ。奴に出会って生きている君たちはたいしたものだ」
麻衣の表情が険しくなるのを、理香は見逃さなかった。何かを言いかけた麻衣を、素早く目で制した。
美幸の犠牲の下に生き延びたことを雄三に話す必要はない。自分たちを高めに評価させておいた方が都合がよいからだ。
「褒めてもらえて光栄だわ。で、そちらの情報も聞かせてもらえるわよね」
理香の言葉に、雄三はすまなさそうに答えた。
「悪いが、情報はない。もう死んだ奴ばかりだ」
聞いた瞬間に違和感を感じた。
雄三が出会ったやる気の人間は既に死んでいる。ということは・・・ まさか・・・
思わず言葉が口から飛び出した。
「ひょっとして、矢島君はやる気の人を・・・」
雄三はニヤリとしながら答えた。
「お察しの通りだ。俺はやる気の奴を始末するつもりなんだ。後は卑怯者とかもね。特に堂々と宣言した三条と、美佐を殺した奴は絶対にこの手で葬るつもりだ」
宇佐美功や北浜達也の名前が出ないのは少々妙なのだが、確かに三条桃香(女子11番)は間違いなくやる気だろうし、仲間の坂東美佐の仇を討ちたいのも当然だろう。だが・・・
理香は尋ねた。
「やる気の人がいなくなったら、どうするの?」
その後は、やる気でない子も殺して優勝を目指すのではないかとの疑問がどうしても生じる。
だが雄三はあっさりと答えた。
「それで終わりだ。後は、脱出を目指してる連中に頑張ってもらうだけだ。俺には脱出策は浮かびそうにないからね。それでダメなら時間切れで全滅だが、それならば仕方が無いと思っている。とにかく、自分が生き残るためにクラスメートを平気で殺すような奴が絶対に赦せないだけなんだ」
やっと雄三の考えが理解できた。基本的には自分たちと同じ脱出志向なのだ。やる気の人間は脱出の妨げになるから排除しようとしているわけだ。理解は出来る。しかし・・・
麻衣の声がする。
「やる気の人だけを殺すのだとしても、それはやる気なのと大差ないような気がするんだけど」
そう、それだ。理香も同じようなことを考えていた。
やる気の人は説得して翻意させるか、あるいは放置したままで自分たちが脱出してしまってもかまわないのではないだろうか。
もっとも、篤や肇を説得できるとは到底思えないけれども。
だが、雄三はそれには答えなかった。
「さて用事は済んだからお別れだ。情報をくれたことには感謝しておくよ。君たちなら簡単には殺されないと思うけど、油断はするなよ」
それだけ言い終えると、理香たちに背を向けて走り去った。
雄三の姿はあっという間に木々の間に紛れて見えなくなった。
理香と麻衣は、しばらくの間呆然と雄三の消えた方向を見詰めていた。
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