BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
44
日もすっかり暮れて、空には無数の星が瞬き始めた。
見上げるほどの大木の枝に腰掛けていた甲斐琴音(女子5番)はじっと夜空を見詰めた。
月の周囲を除けば、とても美しい星空だ。
一際明るく、そして赤く輝く火星が星空に彩を添えている。
ここがプログラム会場でなければ、一晩でも見上げていたいほどの美しさだった。
だが、現実は厳しい。
空ばかり見ていては、確実に屍を曝す結果となるだろう。
嘆息しながら木の根元に目をやった。
丁度琴音の真下では、幹にもたれた姿勢で佐々木奈央が眠っている。
どうやら奈央はかなり深い眠りに陥っているようだった。
奈央が覚醒したら、今度は自分が少しだけ眠ろうかなと思った矢先だった。
1つの影が近寄ってくるのを、琴音は素早く発見した。
シルエットを見た限りでは女子のようで、手には何も持っていないようだ。
影が月に照らされた場所まで来るのを待って、琴音は目を凝らして相手を見極めようとした。大き目の赤いリボンが目立っている。
転校してきてまだ数日の琴音は、クラスメートを正確に見分ける自信はない。
だが、あのリボンは自己紹介された時の印象が強かったので覚えている。
確か双子の姉の川崎愛夢(女子8番)だったはずだ。とても陽気で人懐っこい人物というのが第一印象だった。
であれば、さほどの危険人物とは思えない。無論、油断は出来ないが。
愛夢は周囲を警戒しながらゆっくりと近づいて来た。
闇に包まれた自分の姿は愛夢には見えないはずだが、奈央の姿は見えているだろう。
奈央を攻撃するようなそぶりがあればと、懐から小石を出して握り締めた。
琴音は曲馬団(サーカス)団長の一人娘だった。
団員が多いわけではなく、琴音自身も重要な戦力だった。
天才的な軽業師である父の影響か、空中ブランコでも玉乗りでも何でもこなしていて、観客には大人気であった。
さらに猛獣使いとしても一流であり、周囲からも次期団長と看做されていた。
本人もこの仕事が大好きで満足していたのだが、全国をテントで巡回する生活だったため、極めて頻繁に転校しなければならないのが悩みだった。
同じ場所での公演は長くても3ヶ月なので、その度に転校する羽目になり、今までに数え切れないほどの転校を重ねていた。
この状況では友人を作ることは困難で、団員にも同じ世代の者がいなかったため、基本的に琴音はずっと孤独だった。
今回も転校初日に一回りの自己紹介をしてもらい、委員長の今山奈緒美に校内を案内されたが、その後は公演の都合で早退する日もあり、なかなか新しいクラスメートを覚えられず、特に男子は副委員長の大場康洋(男子6番)等の数人程度しか覚えていなかった。
そのような状態でプログラムに投げ込まれたのは明らかに不利な条件だった。
自分はクラスメートの大半を把握していない。名前さえ判らない者も多いし、性格などはますます判らない。印象の強い一部の生徒を除いて。
だが、クラスメートは皆自分の名前は知っているはずだ。大多数の者には、得体の知れない転校生というイメージになっていることだろう。
これでは、誰も自分を信用しないであろうし、自分もクラスメートの誰を信用してよいか判らない。ただ1人、奈緒美だけは信用できそうだと思っていたが。
結局は単独行動を選択するほかはなかった。
身軽さと瞬発力には絶対の自信があり、普通の中学生が相手ならば自分が簡単に殺されることはないだろうと考えた。だが、殺人は避けたい。
従って、ひたすら隠れることを当面の方針とした。
デイパックから出てきたものは、紳士用の革ベルトだったが、通常のものより硬めだった。
最初は眉を顰めてしまったが、振ってみると猛獣を調教している時の鞭と同じように使えた。どうやら自分にだけは使えそうな武器だった。他の者には無用の長物になりそうだったが。
学校からある程度離れたところで、目に付いた大木に登った。
夜なので、樹上にいれば容易には発見されないはずだ。夜明けまでは動かないつもりでいたのだが、奈央が現れて木の根元に座り込んでしまった。
奈央のことは名前しか知らないレベルだったので、どう判断してよいか判らない。
しばらく奈央を見ていると、取り出した銃を怖がって投げ出したりしている。とてもやる気になりそうには見えないが、あえて接するつもりはなかった。
だが奈央が銃の試し撃ちをしようとしたことが原因で、図らずも結果として奈央を保護する立場となった。
その後は百地肇や那智ひとみと遭遇して追い払っただけで今に至っていた。
琴音は油断なく愛夢の一挙手一投足に注目した。
愛夢は真っ直ぐに奈央の近くまでやってきたが、突如樹上を見上げた。
しまったと思った。よく見ると、月明かりで地面に木の影が出来ていて、自分の影も映し出されているのだ。
愛夢は数歩後退しながら声をかけてきた。
「そこにいるのは誰?」
こうなっては仕方がない。このまま黙っていて、愛夢に大声を出されたら都合が悪いからだ。
琴音は軽やかに飛び降りて愛夢の前に立った。
目を丸くした愛夢が言った。
「甲斐さん・・・ 木の上にいるなんてびっくりしちゃった」
その言葉には反応せず、琴音はきつい口調で言った。
「愛夢さんだったよね。佐々木さんに何か用だったの?」
琴音の気迫に圧倒された感じの愛夢は、しどろもどろになりながらも答えた。
「えっと、あの、その・・・ 奈央が死んでいるんじゃないかと思って確認しようと・・・ あ、寝、寝てるだけみたいよね。よかった・・・ そ、そうだ。できれば、このままここにいてもいいかしら」
確かに闇の中で木にもたれて眠っている奈央の姿は、遠方から見れば死体と区別困難だろう。
だからと言って愛夢を信用できる根拠にはならないが。
琴音は冷たく答えた。
「話はわかったわ。見ての通り、佐々木さんは熟睡してるだけだから心配はいらないの。安心したでしょ。でも、あたしはあんたと一緒にいたいとは思わない。だから、もうどこかへ行って頂戴」
愛夢は懇願するように言った。
「甲斐さん、お願い。一緒にいさせて。あたし今までずっと1人だったの。とっても怖くて淋しかったの。甲斐さんなら頼りになるわ」
ますます信用できないと感じた琴音はこのように答えた。
「あんたはほとんど面識のないあたしをいきなり信用するわけなの? この命がけの現場で。あたしとしては、そういうあんたを信用するわけにはいかないね」
しかし、愛夢は引き下がろうとはしなかった。
「奈央がよく寝てるってことは、奈央は甲斐さんを全面的に信用してるわけだわ。だから、奈央が信用する甲斐さんをあたしも信用するわけよ。別に不自然じゃないでしょ」
なるほど、確かに理屈は通っている。
しかし、琴音は何となく胡散臭さを感じていた。
どう答えようか考えていると、愛夢が声をかけてきた。
「あ、甲斐さんの首輪に変な虫が止まってる。追い払ってあげるね」
もう一度愛夢の手を確認した。武器らしきものは見当たらない。ならば断る必要もなさそうだ。
琴音に近寄った愛夢は首輪の方に手を伸ばしてきた。
そのとき、一連の話し声で覚醒してしまったらしい奈央が声を出した。
「あら、来夢じゃない。何してるの?」
え? 来夢?
琴音は反射的に後方へ飛び退いた。
愛夢には川崎来夢(女子9番)という暗いイメージの妹がいたはずだ。
もし、愛夢が自分の正体を偽っているのなら、当然信用は出来ない。
だが目の前の愛夢は落ち着いている。
「ちょっと待ってよ、奈央。あたしは愛夢よ。よく見てよ」
眠そうな目をこすりながら立ち上がった奈央が答えた。
「あれ? 確かに愛夢のリボンね。変ね、さっきは来夢にしか見えなかったのに」
愛夢は微笑んで言った。
「ね、あたしは愛夢でしょ。奈央は寝ぼけてたんじゃないの?」
だが、奈央は再び首を傾げた。
「やっぱり、あたしには来夢に見える。愛夢とは何となくムードが違うもの」
そこで愛夢は琴音にすがりついた。
「甲斐さん。寝ぼけてる奈央を説得してよ。あたしが愛夢だって説明してよ」
そこで悟った。
2人をよく知らない自分が、そもそも2人を見分けられるはずがないのだ。
単にリボンの色で愛夢と判断したに過ぎない。その気になれば、リボンなどどうにでも誤魔化せる。
琴音は、さらに1歩後退しながら言った。
「悪いけど、それは出来ない。あんたが愛夢だという証拠を見せてくれるなら話は別だけど」
愛夢は困惑の表情で答えた。
「証拠といわれても・・・ リボンと、この短めのスカートしか・・・ でも、信じて。あたしは愛夢なの」
が、そこで愛夢はポンと手を叩いた。
「そうだ、これがあるじゃない。これが証拠よ」
言いながら、懐から生徒手帳を取り出して琴音に手渡した。
見てみると、確かに愛夢の手帳で偽造品とは思えない。だが・・・
「でも、手帳なら交換可能でしょ。それがあんたの手帳だという証拠がないわよ」
琴音の返事に、愛夢は心底困った表情になった。
「あぁ、どうしたら信じてもらえるのかしら。身体的な特徴にはほとんど差がないし」
黙っていた奈央が口を開いた。
「証明は可能よ。愛夢の大好きな“イブニング娘。のリブマシーン”をフルコーラス歌ってみてよ。愛夢なら歌えるはずだわ」
聞いていてなるほどと思った。愛夢しか知らないような知識を試せばいいわけだ。自分には真似の出来ない方法だけれども。
愛夢は頭を掻きながら答えた。
「ちょっと待ってよ。今はプログラム中よ。緊張して歌えないし、歌詞もど忘れしそうだわ」
確かにこの状況で歌えというのは酷かもしれない。
だが、奈央はたたみかけた。
「だったら、“イブニング娘。”のメンバーの名前を全員言ってみてよ。これなら緊張していても大丈夫でしょ」
それを聞いた途端に愛夢の表情が今までとは別人のように冷酷なものに変化した。そして、それは目の前の少女が愛夢でなく来夢であることを確信するのに充分だった。
愛夢に化けていた来夢は、懐から刃物を抜き出して奈央に向かって突進しながら叫んだ。
「最早これまで。奈央、覚悟!」
とても奈央には逃げられそうになかったが、琴音がベルトを振る方が早かった。
ベルトは見事に来夢の前腕に命中し、来夢は腕を押さえて蹲った。
琴音は来夢の前に仁王立ちして言った。
「早く失せな。さもないと、マジで命を貰うよ」
来夢は一度琴音を見上げて睨んだが、すぐに取り落とした刃物を拾いながら立ち上がると、無言で逃げ去った。
来夢の姿が見えなくなると、琴音は蒼ざめている奈央に向き直って言った。
「あんたのおかげで助かったよ。あたしだけだったら、騙されてやられたかもしれないわね」
少しホッとした表情になった奈央が答えた。
「寝ぼけていたのが幸いしたみたい。普通だったら、あたしもリボンに騙されたはずだわ。ボーッとしていてリボンが見えなかったから、本質が見えたのだと思う。でも、あたしでも役に立ててよかった」
琴音は軽く奈央を抱きしめた。
2人の間の信頼感が一段と高まった瞬間だった。
そんな2人を、星空が暖かく祝福しているようだった。
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