BATTLE ROYALE
〜 荒波を越えて 〜


46

 あの体型は多分・・・
 
古河千秋(女子17番)は、砂浜にたたずむ人影に背後からゆっくりと接近した。
 ここ、エリアI=7には広大な砂浜が広がっている。
 おそらく本来は海水浴場なのだろう。海の家らしき小屋もある。当然ながら人影はないのだが。
 砂浜には、歩いても足音がほとんどしないという特徴がある。忍び寄るには絶好の条件と言えるはずだ。
 しかし、実際歩いてみると砂丘のように砂が深く、かなり歩きにくい。靴の中にも遠慮なく砂が入り込んできて、とても煩わしい。昼間ならば美しい風紋を鑑賞できそうな状況だが、今はそれどころではない。
 砂浜に無防備に立っている人影を見た時、千秋は間抜けな子がいるものだと思った。
 丸見えだし隠れる場所もない。夜とはいえ月が明るい以上はかなり危険な場所のように思われる。
 きっと神が自分に授けてくださった生贄なのだろう。であれば、自分の勝利が定められているはずである。
 少しずつ接近するにつれて、相手の髪型などもハッキリ判る。
 間違いない。目の前の人物は
三条桃香(女子11番)だ。
 これ以上の獲物はないだろう。何しろ総統の姪なのだから。
 千秋は神に感謝し、勝利を確信して懐の匕首を力強く握り締めた。

 千秋は家族ぐるみで回天教という宗教の熱烈な信者だった。
 回天教は大東亜では極めて信者の少ない宗教であったが、全世界的には相当数の信者を抱えている。
 千秋の両親はこの回天教の香川県支部に勤めており、千秋は自然に回天教信者になってしまった。
 一日に数回、聖地の方向に礼拝しなければならないなどの面倒な掟もあるのだが、幼児期から親しんでいるから苦にはならなかった。
 問題は学校で不気味な生徒扱いをされてしまうことであったが、千秋は平気だった。
 千秋にとってのクラスメートは“回天教の唯一無二の神を信じず、異端の神をあがめる蒙昧な人々”に過ぎなかったからだ。
 蒙昧な人々に相手にしてもらえなくても、何らの痛痒を感じる必要はないわけだから。
 当然ながら学校に友人はおらず、回天教の集会で会う遠方の仲間だけが友人だった。
 それでも淋しいとは思わなかった。全世界の信者が“友”なのだから。
 ただ、友人の1人が学校で布教をしているという事実には驚かされた。
 しかも数人の信者を増やしてしまったと聞いたときには大変な衝撃を受けた。
 自分も布教をしてみたいと思い、誘う相手を考え始めた。
 まず回天教の魅力を考えてみた。
 その結果、“宗教上、正規の妻を4人まで持てる”というルールが男子を誘うのに有効ではないかと考えた。現実には大東亜の法律にも拘束されるから不可能なのではあるけれど。
 最初のターゲットとして女好きと思われる
百地肇(男子18番)を選んだ。
 頻繁に女子を盗み見している肇ならば、きっと乗ってくれると思い、放課後の校舎裏に呼び出した。
 のこのことやってきた肇を見て、千秋は満足だった。
 絶対に仲間を増やしてやるぞと気合を入れた。
 早速、回天教の魅力を語ろうと思ったところで、肇の方から声をかけてきた。
「この俺をわざわざ呼び出すということは、こんな用事だよな」
 何のリアクションをする間もなく、両肩を掴まれて唇を奪われてしまった。
 慌てた千秋は必死で暴れて、辛うじて肇の手を振り払った。
 肇が詰まらなさそうに言った。
「何だ、別の用事だったのか。それなら興味は無いな。バイバイ」
 立ち去る肇の背中を蹴飛ばしたかったが、実行すればもっと痛い目に遭わされそうな気がしたため思いとどまった。
 ショックを受けた千秋は布教を諦め、今までどおりの孤立した学校生活を続けることとなった。
 それでもさほど辛くはなかった。
 なぜなら回天教の考え方として、“定められたことは行われなければならない”というのがあり、孤立した学校生活は神によって定められたものと考えればよいのだから。孤立しているのは、決して自分の責任ではないと思うことが出来るのだから。
 そして、自分がプログラムに参加したのも、当然ながら“神によって定められたこと”であった。別に自分が不運なわけでも何でもない。
 もし、“自分がプログラムで死ぬことを神が定めている”のであれば、それは仕方のないことなので何も怖くはない。
 といっても、“神は蒙昧な者たちではなく、自分を優勝者に定めるだろう”という自信はあったけれど。
 支給品が匕首であっても、落胆はしなかった。これも神がお定めになったことなのだから。
 最初に発見したのが
細久保理香(女子18番)と水窪恵梨だった。
 人間として殺人に対する忌避感がないわけではない。
 だが、神がプログラムへの参加を定めた以上はやらねばならない。そして、自分と同じ回天教徒ならばともかく、“異教徒”に対して遠慮や情けは無用だった。宗教戦争とまでは言わないが、それに近い気持ちになっていた。
 だが現実は厳しく、理香にスプレーのようなものを吹き付けられてあえなく敗退してしまった。
 次に出会った阿知波幸太にも巻き添え効果のある武器を見せつけられて撤退するほかはなかった。
 なかなか自分の勝利は定められていないようであった。といっても、今の所は“死”が定められているわけでもないのだから、悲観することはない。神はまだまだ自分が生き続けることを定めているわけだ。
 そして、今度が3回目の“異教徒”との遭遇だった。

 匕首を構えるのと、桃香が回れ右をするのが同時だった。
 微笑んだ桃香が口を開いた。
「死地へようこそ、古河さん。貴女の神様は“砂浜を深紅の血で染めて散ること”をお定めになっているようね」
 動揺する様子など微塵もない。桃香は自分の接近を知っていたのだろうか。
 桃香は落ち着いた口調で語った。
「ここにいれば目立つでしょ。だから、誰かが私の首を取りに来るだろうと思って待ってたの。海の方を見ているフリをして時々チラリと後方確認してたから、貴女の存在は早くから知ってたの。方向が判れば、後は神経を集中して貴女の気配を読むだけ。適当な距離、つまり最早逃げられない距離まで貴女が接近したところで振り向けばよいわけよ」
 一瞬理解できなかったが、周囲を見回して桃香の意図を察した。
 自分も桃香同様、隠れる場所のない砂浜の中にいるわけだ。つまり自分は危険地帯におびき出されてしまったことになる。
 カモをみつけたつもりが、自分の方が罠にかかっているわけだ。
 といっても、状況は五分五分。負けが決まったわけでもない。
 それに、桃香はとんでもない作戦ミスをしているように思えた。
 悔し紛れに言ってみた。
「なるほどね。私のほうがお嬢様の罠にかかったということね。でもね、もし私が銃を持っていたらどうだったかしら。その作戦は自滅だと思うけど」
 桃香は表情を変えずに答えた。
「銃を持っていれば、もっと離れたところで立ち止まって狙撃するはずよね。だから、遠方で気配が止まった時には不本意ながら逃げるつもりだったの。私の位置は波打際に近いでしょ。波打際の砂は湿って硬くなってるから走りやすいけど、相手は走れない場所にいることになるわね。そこで無理に銃を撃ちながら私を追いかけようとしたら、反動で転んでしまうでしょうね。ひょっとしたら銃に砂が詰まって使えなくなるかもね。そうなったら、反撃させてもらうつもりだったけど」
 何と桃香は全て計算済みだったのだ。
 こんな相手に勝てるのだろうかと思ったが、神は必ず自分の勝利を定めているはずだと思い直した。それだけが自分の支えなのだから。
 桃香の声がする。
「気の毒だけど、そろそろ貴女にも涅槃に旅立ってもらおうと思うの。覚悟はいいわね、異教徒さん」
 一瞬で頭に血が上った。
 異教徒ですって?
 そちらこそ異教徒の分際で、この敬虔な信徒に向かって何と言うことを・・・
 相手の冷静さを奪って自らの勝利を確実なものにしようとする桃香の策略だとは想像もつかず、激昂した千秋は匕首を腰に構えて突進した。
 しかし、相変わらず足場が悪く上手く進めない。その間に桃香は悠然とナイフのようなものを取り出して構えた。
 辛うじて匕首を突き出したものの、あっさりと桃香の刃物にはじかれてしまう。
 よろめいた千秋は体勢を立て直して再度突撃したが、結果は同じで今度は転倒してしまった。
 今さら逃げることは出来ない。刃物を背中に突き立てられてしまうことは火を見るよりも明らかだ。
 自分が生き延びるには、桃香を倒すしかないわけだ。
 それに、神が自分の勝利を定めている以上は決して負けることはないはずだ。
 気力を振り絞って何度も突撃した、幾度転んでも挫けなかった。
 少しずつ脈が速くなり呼吸が苦しくなってきて、千秋はふと違和感を感じた。
 よろめいたり転んだりしているのは自分だけで、桃香はまるで平気なのだ。
 桃香の体力や平衡感覚が優れているとしても、この悪い足場で少しもよろけないとは・・・
 周囲を見回した千秋は唖然とした。
 自分の乱れた足跡や転倒の跡が散乱しているが、桃香は向きを変えているだけで一歩たりとも動いてはいない。
 そして、桃香の足跡が妙に浅いのを見て全てを悟った。
 桃香は事前に周囲の砂を水で湿らせながら踏み固めて、自らの足下だけを良好な足場にしていたのだ。
 自分が思っていたよりも、桃香の策はずっと周到だったわけだ。
 荒い息遣いでさらに突進を繰り返したが、最早客観的に言っても勝ち目はなかった。
 またもや倒れたところで、桃香の声がした。
「そろそろ満足したかしら。それだけ戦えば、貴女の神様に恥じることもないでしょう。胸を張って逝けるよね」
 ひょっとすると、桃香は自分に納得できる敗北を与えるように配慮してくれたのだろうか・・・
 いや、例えそうであっても、神は自分の勝利を定めているはずだ。このまま死を受容することは出来ない。
 千秋は最後の力を振り絞って立ち上がったが、その途端に桃香が足を踏み出してきた。
 あっという間もなく、桃香の刃物は千秋の心臓の位置に深々と突き刺さっていた。
 次の瞬間、桃香が左手で千秋の右肩を強く押した。
 刃物は抜け、千秋の体は曲線状の赤い糸を引きながら後方に吹き飛んだ。
 仰向けの姿勢で半分砂に埋もれた千秋は、大量の血液が周囲を満たしていくのを自覚した。
 残念ながら、結局は桃香の予言どおりになってしまったのだった。
 霞みつつある目で月を見上げた。
 涙さえ出なかった。
 神様、私にはこのような運命をお定めになっていたのですね。
 了解いたしました。
 貴方の忠実な使徒、古河千秋はまもなく御傍へと参ります・・・
 力尽きた千秋を、美しい星空がいつまでも優しく見下ろしていた。

女子17番 古河千秋 
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