BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
50
周囲は漆黒の闇に覆われているが、蒲田早紀(女子6番)の心は明るい希望に満ちていた。
なぜなら、目の前にいる大場康洋(男子6番)の作戦が成功すれば、自分たちはこのプログラムという名の地獄から脱出できるかもしれないからだ。
脱出すれば犯罪者になってしまって、自宅に帰れないことは理解できている。一生逃げ回る運命になることも了解している。
それにこの作戦が成功するとは限らず、その場合は落命する危険が高いことも承知している。
それでも、早紀はこの作戦に賭けることにしていた。
このままプログラムが進行した場合、自分が生き残る確率は限りなくゼロに近い。自分の生存のためにクラスメートを抹殺する気にはなれないし、そもそも自分の能力では不可能だ。けれども、自分は死にたくない。
だから、大博打と解っていても早紀は康洋を手伝った。充分頑張ったのならば、失敗して死んでも仕方が無いと思っていた。
早紀たちがいるのはエリアF=5の急坂の上だった。坂といっても崖に近い状態で転落したらとても這い上がれそうにない。
そして、その坂の下にはプログラム本部の学校が見えている。
早紀は拳を握り締めた。
政府の連中に煮え湯を飲ませて、あたしたちは脱出する。政府のおもちゃにされて、若い命を散らすなんて絶対我慢できない。
康洋に視線を送ると最後の仕上げをしていた。
あと少し、あと少しで・・・
早紀の胸は高鳴った。
その時、早紀は背後に人の気配を感じて振り返った。
盛田守(男子19番)に落とされていた早紀は、康洋によって介抱された。
覚醒した早紀は、一瞬敵が現れたと錯覚したものの、相手が比較的親しい康洋であると判ると胸を撫で下ろした。
康洋なら充分信頼できると思えたし、そもそも康洋がやる気ならばわざわざ自分を覚醒させる必要はないはずだから。
守に殴られた右脇腹の痛みはまだまだ強かった。
康洋に優しい声をかけられているうちに、ますます守に対する怒りが強くなってきた。
康洋は守に悪意があるはずは無いと否定していたが、こればかりは信じられなかった。
守を探し出して、怒鳴りつけなければ気がすまないと思っていたところで、康洋が脱出を考えていることを知った。
そうなると、もはや守のことなどはどうでもよく、康洋を手伝うことにして同行した。
康洋に連れて行かれた坂の上には、どこから調達してきたのか4輪の荷車が置かれていて、上には木の枝や干草が積まれていた。
坂の下が学校であることを認識した早紀は、説明を受けなくても康洋の意図が理解できた。
この荷車に火を放って坂の上から走らせ、学校に命中させて焼き払ってしまおうとしているのだ。
学校がボロい木造校舎であったことを思い出し、上手く火をつければ簡単に全焼させられるだろうと思えた。
学校が燃えてしまえば、忌々しい首輪の管理システムも崩壊するはずで、脱出が可能になるわけだ。
「よくこんな場所を見つけたわね」
早紀の問いに康洋は微笑みながら答えた。
「地図を見ているうちに閃いて、ためしに様子を見にきたらこの通りさ。ここが禁止エリアになったらアウトだから、急いで準備してたんだ」
感心しながらも疑問を発した。
「でも、この荷車が上手く命中するかしら。途中で転覆したりしないかしら」
康洋は即答してきた。
「この坂は比較的凹凸が少ないから、案外上手く行くと思う。もし転覆しても火のついた木や草が学校に殺到するはずだよ。それに政府の連中も俺たちを首輪で管理している以上、本部を直接襲撃される心配はないと考えて油断してるはずだからね。夜ならば見張りも手薄になるだろうし」
康洋が現実よりも楽観的に話していることは明らかだった。
成功する確率はそんなに高くはないだろうと思われた。
政府に対する反逆行為に該当するので、失敗すれば処刑されることになるだろう。
危険性はかなり高そうだったが、早紀は康洋に従うことにした。
その決断には、最終的な自分の生存率が多少高くなると思われることだけではなく、あのまま放置されていれば誰に始末されても不思議ではない状態だった自分を介抱してくれた康洋に対する感謝の思いも篭っていた。
康洋は更に、丸い木材や揮発油の類を集める必要があると告げ、早紀は康洋と共に灯油缶などを運んだ。
辛い作業だったが、脱出の希望に心を満たされていた早紀にとってはむしろ心地よい労働だった。
そして、いよいよ荷車を坂の頂上まで運び、後は油を撒いて、点火した新聞紙を投げ込んでから落とすだけの状態になっていた。
早紀の目の前には、まだ距離はあったものの1人の男子生徒の姿があった。
反射的に恐怖を感じた早紀は、素早く康洋の背後に身を隠した。
男子の声がした。
「やっと男を見つけたぞ。今まで女子ばかりだったからな」
声で判った。男子は蜂須賀篤(男子14番)に相違ない。
そして、言葉の意味も理解できた。今まで女子ばかりを殺しているのだろう。全身が震え始めた。
耳元で康洋の声がした。
「ひとまず森の中に隠れるんだ」
小さく頷いた早紀は脱兎のごとく、後方の森に駆け込んだ。大木の陰に飛び込んで振り向いたが、康洋は荷車の横から動いていない。
篤が大きな銃のようなものを持ち上げるのが見えた。早紀は全身の血の気が引くのを感じた。そもそも、どうして康洋は逃げないのか。
戦うつもりだろうかと考えたが、康洋の支給品はナタである。荷車に積む材木を切断するのには役立ったけれど、銃を相手に戦えるとは思えない。
康洋が口を開いた。とても毅然とした態度だった。
「待て、蜂須賀。話を聞け」
篤は銃口を下げずに答えた。
「何だ。遺言か? それとも辞世の句か? 折角だから聞いてやるぞ」
康洋は落ち着いて答えた。背後から見ると、自信たっぷりの様子だった。
「俺たちは今からプログラムの破壊を試みる。成功すれば優勝しなくても生還できる。お前は優勝を狙っているのかもしれないが、優勝は簡単じゃないぞ。優勝を目指すよりも、俺の作戦に乗った方が生還率は高いはずだ。どうだ、協力しないか」
篤は周囲の地形を見回した後、荷車に目をやった。
銃口を少し下げながら、篤が言った。
「なるほどな。本部を焼き払おうってわけか。良く考えたものだ」
早紀は少しだけホッとした。康洋の説得は有効だったように思えたからだ。
だが、現実は甘くはなかった。
ゆっくりと康洋に近寄った篤が、再び銃を構えながら言ったのだ。
「悪いが何が何でもお前はこの場で仕留めなければならない。プログラムの破壊など絶対にさせるわけにはいかない」
早紀は蒼白になりながらも康洋の様子を見ようとしたが、もはやその時間はなかった。
というのは、篤の言葉が終わると同時にコンクリートを砕くような連続音が轟き、康洋の体が多数の血飛沫を上げながら吹っ飛んだからだ。
あれだけの弾丸を撃ち込まれては、生きていられるとは思えない。実際、康洋は少し痙攣していたがすぐに動かなくなった。
さらに篤は荷車の車輪に銃撃を加えて破壊した。これで、残念ながら脱出作戦は失敗だ。
いや、脱出失敗を嘆いている場合ではない。次は自分が蜂の巣にされる番だ。急いで全力で逃げなければならない。
しかし、それが解ってはいても体は硬直していて反応しない。
篤は、銃口をゆっくりと早紀の方に向けた。
命乞いしてみようかとも考えたが、この男に通用するとは思えない。
篤が何かを言おうと口を開きかけた時、あらぬ方向から大声がした。
「蜂須賀! 次の相手は俺だ」
篤が振り向き、早紀もつられたように声の方向に視線を送った。
闇の中に男子と思われるシルエットが浮かんでいる。
視覚的には同定できないが、声で判断できる。
男子は間違いなく盛田守だった。
守だと認識した途端に、忘れかけていた右脇腹の痛みが復活し、怒りが込み上げた。
ここで冷静に考えることができれば、守は自分を助けようとしているのだと理解できたことだろう。
だが、篤に対する恐怖と守に対する怒りに支配された状態の早紀にはそれだけの判断力がなかった。
守がこの場に突然現れたからには、守が自分と康洋をずっと尾行していたと推定できるわけで、それに対する不快感の方が先に立ってしまった。
気絶している自分をどこかからか密かに見詰めていた上に付きまとってくるなんて、最低だとしか思えなかった。
全てはこの不器用な男が自分を守りたいが故の行為であるということには、全く思い至らなかった。
篤が銃を構えなおし、守に銃口を向けるのが見えた。
と同時に、先程と同様の連続音が轟き、守の周囲が一瞬明るくなった。
守は咄嗟に大木の陰に飛び込んだようであった。
さらに銃声は続いていたが、挑発された篤は少々焦っているようで、なかなか守には命中しなかった。
そこで早紀は我に返った。恐怖で硬直していた体も動くようになってきた。
今なら逃げられる・・・ 2人の敵が戦っている今がチャンスだ・・・
それが守の望んでいることだとは露知らず、早紀はデイパックを抱えて逃げようとした。
本当は康洋を弔いたかったが、そんな余裕はない。
早紀は2人の男子に背を向けて、一目散に森の中を逃走し始めた。
どれほど走っただろうか、背後の銃声が遠く感じられたところで、早紀は足を止めて振り返った。もう大丈夫だろう。
脱出に失敗したのはとても残念だが、とにかく自分は生きている。
康洋にはとても申し訳ないが、ひとまず自分が生き延びたことだけは確かだ。そして、生きている限りはきっと何らかのチャンスがあるだろう。
無力な自分だが、必ず康洋の遺志を継がねばならないと考えた。
とくに当てがあるわけではないが、脱出への誓いを新たにした早紀は再び夜の森をゆっくりと歩き始めた。
遙か後方では、守に逃げ切られた篤が荷車を完膚なきまでに破壊して憂さ晴らしをしていたのだが、そのようなことは早紀には知るよしもなかった。
男子6番 大場康洋 没
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