BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
67
昼間とは思えないほど暗くなった空に稲光が走り、雷鳴が轟き渡る。
先ほどまでの好天が嘘のような雷雨の中、エリアD=3の枝振りのよい大木の下で雨宿りをしていたのは三条桃香(女子11番)であった。
天候が急変する気配は察していたものの、不用意に建物に入る気にはなれず、ひとまずは木陰を頼ることにしていたのであった。
といっても、木陰では完全に雨を凌げるわけではない。場合によっては建物に移動せざるをえないかもしれない。
私物の中に折り畳み傘は入れてあるけれど、傘を開くのは目立つので、出来れば使いたくはない。
だが、女の子としてはビショ濡れになるのも避けたいところだ。特に夏服は濡れると・・・
桃香は目を細めながら空を見上げた。
上空の風は強いようで、真っ黒な積乱雲の流れはかなり速く見える。
風上に目をやると、既に明るくなりかけているのが判る。
この調子なら雷雨は長続きしないであろう。
少々安心した桃香は、このまま雨が止むまで大人しくしていようかと考えた。
その時、桃香は強烈な殺気を感じて振り返った。
このような強い雨と雷鳴の中では、流石の桃香も相手の接近を察知するのが遅れてしまったようだ。
一瞬で、桃香の表情が険しくなり全身に力が入って戦闘態勢になった。
それもそのはず、既に至近距離まで迫っていたのは桃香に宣戦布告している矢島雄三(男子20番)だったのだ。
自分のクラスがプログラムに選ばれたと知った時、桃香は思わず苦笑した。
大東亜国民の1人である以上、選ばれる可能性があることは理解しているのだが、それが現実になってみると流石に驚いた。
周囲のクラスメートは取り乱したり呆然としたりしているが、桃香はそこで気合を入れなおした。
自分が参加するとなれば、自分の行動は国民全体に注目されてしまうだろう。
優勝できようができまいが、総統の顔に泥を塗るようなことだけはできない。
言い換えれば、総統の権威を背負って参加しなければならないということだ。
クラスメートと戦うことなど本意ではないが、ここは私情よりも立場を優先する必要がある。
心に迷いを残さないために、桃香は堂々とやる気を表明することにした。
その後、印藤少佐が自分を助けようとしたことは非常に不快だった。
印藤の気持ちは理解できないこともないのだが、そんなことをすれば国の権威は大きく損なわれてしまうだろう。
誰に見られても、総統の姪として恥ずかしくない行動をしなければならない。それが自分の立場だ。
堂々と戦って敗れるならば、それは仕方のないことだ。その方が、逃げ回って僥倖で優勝するよりもずっと誇らしいはずだ。
船の中でも教室でも桃香はきっぱりとやる気を示した。
普通に考えれば、自分を不利にする行為だろう。実際、雄三に敵意をむき出しにされてしまったし。
それでも、自分の立場ではそれがベストだと考えた。
印藤がトトカルチョで自分に賭けているらしいことは大いに不満だったけれど。
それに、あの弱そうな担当官は何なのだろうという疑問もあった。
自信と不満を抱えながら出発した桃香は、早速支給品を確認した。
出てきたのは大きな容器に入った糊状の物質だった。
説明書には“超強力トリモチ”と記されている。
言うまでもなくハズレ支給品だが、桃香は満足だった。
初めからマシンガンなどを持っていたのでは、優勝しても世間の評価は低いと思われ、国と総統の権威を高めることはできない。
ハズレ支給品で奮闘してこそ価値があるのであり、強い武器は戦いの中で手に入れていけばよい。
そもそも、素手で戦っても矢島雄三以外には互角以上にやれる自信があったし。
ただ桃香の内心には、やる気でない者の命を奪うことに対して若干の躊躇いがあった。
それは桃香の立場では許されないことであり、桃香はやる気の者ばかりに出会うことを願いながら行動を開始した。
そして今までに5人を涅槃に送り込んできた。機転を利かせた神乃倉五十鈴(女子7番)を見逃しているが、多少の人間らしさを見せておくのも悪くはないと思っていた。
しかし戦利品にはやや不満だった。手榴弾2個の他は匕首やナイフのような短い刃物ばかりだったからだ。
雄三と対峙するまでに、出来れば銃が欲しかったが上手く行かない時はこんなものだろう。
結局、銃を入手しないままで雄三との対決を迎える羽目になってしまったわけだ。
立場上、逃げるという選択は出来ない。雄三相手では所詮不可能ではあるのだが。
雨でぼやける視界の中、立ち止まった雄三が声をかけてきた。
「やっと見つけたぞ、三条! 俺の全プライドを賭けてお前だけは倒す」
桃香は素早く雄三の手に視線を走らせた。
握り締めているのはどうやら日本刀のようで、銃器は見当たらない。
雄三もプライドが高そうなので、銃を持っていない女子を銃殺するようなことはしないだろうけれど。
桃香は湧き上がってくる緊張感を押さえ込みながら答えた。
「プログラムは公平よ。私だけを特別扱いする意味はないわ」
雄三が答えた。雨のために表情が見難い。
「特別扱いじゃない。単にやる気になっている奴が許せないだけだ。自分が生き残るために、クラスメートを殺すなど人間として最低だ。それ以上に、皆の前であのような宣言をするなど言語道断だ」
桃香は必死で冷静さを装いながら答えた。
「悪いけど、私は自分が生き残るためにやる気になるわけじゃないの。国と総統陛下の名誉のために、やらないわけにはいかないの。これは、国民としての義務よ。私がその義務を怠ったら、国の秩序は保てないわ。皆には悪いと思ってるけどね」
雄三は声を荒げながら言った。
「ますます気に入らないな。自分の命のためではなく、国のためだと・・・ ふざけるな、てめぇ。世の中に生命より貴重なものがあるわけないだろ。立場とはいえ、お前は国の姿そのものだ。心底から腐ってやがる。それに、プログラムが公平だと言うならば、お前の立場なんか関係ないということだろ。こんな時ぐらい、立場を忘れて1人の人間として行動したらどうなんだ。今からでも改心すると言うならば、両腕を潰す程度で見逃してやるぞ」
これを聞いて桃香の闘志が激しく湧き上がった。
両腕を潰されて生き残るなど死ぬこと以上の屈辱である。冗談ではない。
それ以前に舌戦で負けることも耐えられない。雄三の言葉は正論であるので屁理屈をこねてでも論破する必要がある。頭脳ならば自分の方が上だ。どうにでもなるだろう。
桃香は静かに答えた。
「矢島君、3日前の晩に何を食べた?」
雄三が眉を顰めるのが確認できた。場違いな質問に困惑しているようだ。それだけでも、心理的ゆさぶりとしては成功だ。
「3日前だと? ここに来る前の晩ということか。確かトンカツを食べたはずだが、そんなことを聞いてどうするんだ。勝手に話題を変えるな」
桃香は雄三のペースを無視して自分のペースで落ち着いて答えた。
「さっき貴方は生命より貴重なものはないと言ったわよね。トンカツになってしまった豚の命についてはどう考えているのかしら。豚の命だって人間の命と同じくらいの価値があるべきじゃないのかしら。失われたら戻らないことに変わりはないのよ。そもそも、生命の世界は弱肉強食と食物連鎖の世界。人間は他の生物の命を奪わなければ生きられないでしょ。生命ってそんなものよ。殺しあうのが自然の摂理なの。もし、人間だけが特別な存在だと思っているのなら、それは貴方の驕りよ。地球が宇宙の中心にあって、太陽が地球の周りを回っていると思っているのと同じことよ。大事なのは1人1人の生命じゃないわ。一番大切なのは国と言う秩序なの。国がなければ世界は混乱して今以上の住みにくい状態になるわ。そして、私はその秩序を守るために戦っているわけよ。プログラムは国の秩序を保持するための必要悪ってことよ。どう? 貴方の言っていることがおかしいってわかるでしょ」
自分の論理がメチャメチャなのはよく解っている。他人がこんなことを言っているのを聞いても、変な人だと思うだけのことだろう。でも、自分に敵意を燃やしてエキサイトしている雄三にならば・・・
血相を変えた雄三が叫んだ。
「やかましい! わけのわからんことを言うな! 今すぐ、二度と口を利けないようにしてやるからな」
桃香は自分の言葉の成果に満足だった。雄三はかなり興奮している。これなら、刀捌きなどにミスも出やすいだろう。それならば自分が勝つチャンスがありそうだ。
雄三は言い終えると、デイパックを足下に置き、雨水が滴る日本刀を振りかざして突進してきた。
桃香は冷静に太刀筋を見切ってかわした。
・・・と思ったが、左の前腕に僅かながら血が滲んでいる。かわしきれてはいなかったのだ。
滲んだ血は瞬く間に雨に洗い流されたが、桃香は焦った。
雄三の心は乱しても、太刀捌きには左程影響していないようだ。
ナイフや匕首では勝負にならないし、手榴弾を投げつける余裕も無い。
死という名の現実が、桃香の眼前に刻々と迫りつつあった。
雄三が何かを言ったが雷鳴に重なって聞き取れない。
再度、日本刀が振り下ろされ、桃香はかろうじてよけた。
しかし、今度はスカートに切れ目が入ったようだ。
残念ながら実力の差は歴然としていた。雄三の力は想像以上だった。
どうやら観念せざるをえないようだ。といっても、この相手に負けるのならば何ら恥じるところはない。総統の権威を傷つける心配はないだろう。
それでも、最後の最後まで全力を尽くすこととした。勝負というものは最後までわからないものだから。
何度か刃をかわしているうちに、強い雨に濡れた桃香は体のキレが悪くなってきた。
このままでは致命傷を受けるのは時間の問題と思われた。雄三の動きも少しずつ重くなってはいたけれど。
そして、運命の時は来た。
切っ先をかわした瞬間に地面から出ていた大木の根につまずいて転んでしまったのだ。
「もらったぁ!」
雄三の大声が木霊する。
桃香は必死で立ち上がろうとしたが地面が濡れていることもあって、とても間に合いそうにない。
これまでかと思ったとき、雄三の背後の大木に雷が落ち、轟音が響いた。
流石の雄三も一瞬気を取られたようで、振り下ろした刃は桃香のデイパックを切り裂いたのみだった。雨で手が滑ったのかもしれないけれど。
その隙に立ち上がった桃香はそのまま後方へ飛び退いて身構えた。まだ運が残っていたようだ。
だが、何故か雄三は追撃してこない。
驚いた桃香だがすぐに事情は把握できた。
切り裂かれたデイパックから大量のトリモチが流れ出して、雄三の足を地面に繋ぎとめてしまっているのだ。といっても、この雨ではトリモチの効果などごく短時間だろうけれど。
雄三が焦って足を持ち上げようとしているのが見えるが、まだ動けないようだ。
千載一遇のチャンスとはまさにこのことだろう。
ここからの桃香の判断と行動は早かった。
懐から手榴弾を取り出すと背走して間合いを取りながらピンを抜き、刀で弾き飛ばされないようにタイミングを計って投げつけ、同時に耳を塞ぎながら身を伏せた。
「クッソー!」
という雄三の咆哮の直後に爆発は起こった。
起き上がった桃香は砕け散った雄三を横目に見ながら、雄三のデイパックをそっと拾い上げた。
この勝負、完全に私の負け・・・
矢島君、本当に貴方は死なせるには惜しい人だったわ・・・
同じクラスじゃなければよかったのに・・・
桃香は相手が国に対して反感を持っていたことなど忘れたかのように淋しい表情をみせた。
無意識のうちに、強い男性に対する憧れを抱いていたのかもしれなかった。
桃香が立ち去った後には、いくつもの破片になった日本刀が雨に打たれながら怪しい光を放っていた。
男子20番 矢島雄三 没
<残り15人>