BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
70
あかね・・・ 生きていて・・・ お願い・・・
階段を駆け下りながら今山奈緒美(女子3番)は念じていた。
階下ではマシンガンと思われる連続した銃声が響いたばかりだ。
丸腰で運動神経もさほどではない伊奈あかねがマシンガンで狙われたらひとたまりもないだろうが、それでもあかねの無事を願わずにはいられなかった。
そして願いながらも奈緒美の頭脳は、自分の判断ミスに対する後悔の念と今後の方策のことで満たされていた。
雨が上がった時、奈緒美は予定通りにあかねと交替して屋上の見張りに立った。
屋上のコンクリートもすっかり濡れてしまっているが、水はけはよさそうで水溜りなどは殆ど見られない。
黒雲が去った青空もとても美しかったが、それには目もくれず四方に神経を巡らせた。
しばらくして、あかねと蒲田早紀が言い争うような声が聞こえてきた。
日常ならば仲裁に行くところだが、見張りを怠ることは出来ない。
あかねならばどうにか収めてくれるだろうと信じて成り行きを見守ることにした。
だが事態は収拾しなかったようで、階段を駆け下りる足音が耳に届いてきた。
駆けつけるべきかどうか逡巡していると、あかねが屋上に上がってきた。
あかねから事情を聞いた奈緒美は、早紀がその状況で飛び出したのなら無理に引き留めることは出来ないと考え、あえて追わないことにした。
間もなくホテルから北方に走り去る早紀の姿が確認できた。
その背中を見送っていた奈緒美はアッと思った。
早紀は当然バリケードを壊して出て行ったはずで、出て行く以上は自分で修復するのが礼儀ではあろうけれど、タイミングから考えて修復して出て行ったとは思えない。
あかねも思い至ったようで訊ねてきた。
「どうする? バリケード・・・」
奈緒美は考えた。
選択肢は2つ。
自分が見張りを続けてあかねに修復を任せるか、一旦見張りを放棄して2人で修復に専念するか。
後者の方が当然手早く修復できるが、その間に何者かが接近して来ても察知できない危険性が高い。
前者の方が安全そうだが、当然時間がかかる。
決断のしどころだったが、結局奈緒美は前者を選択した。その方がバランスが良いように感じたからだ。
了解したあかねが走り去り、奈緒美は再び見張りに戻った。
そして丁度西方を見ている時、さほど遠くないと思われる場所で単発の銃声がしたが方向を特定できなかった。
全身の緊張感を高めた奈緒美が南方、東方と屋上を巡って北方に目を移した時、1人の男子が急ぎ足で接近してくるのが目に付いた。
体型から見て、奈緒美の待ち人である大河内雅樹(男子5番)とは思えない。
直ちに双眼鏡で観察し、相手が蜂須賀篤(男子14番)であることと、マシンガンと思われる大きな銃を抱えていることが確認できた。
先ほどの銃声は単発だったからマシンガンのものとは思えない。
勿論篤が拳銃も併せ持っている可能性もあるのだろうけれど、マシンガンを持っていながらわざわざ拳銃を撃つ必要もないだろうから、撃ったのは篤ではないと考えた。
ただ篤の向かってくる方向が、早紀が走り去った方向と一致していることだけは気になった。
奈緒美は気合を入れなおしながら篤のことを考えた。
転校してきた時から何を考えているのか判らないタイプの男だと思っていた。
授業は真面目に受けているようであるし、頭脳的にも身体能力的にもかなりのレベルと思われた。
この人物はプログラムの下でどのような行動を選択するのだろうか。
もし脱出志向ならば有力な仲間に出来そうだが、この会場には何度もマシンガンらしき銃声が響いている。
マシンガン所持者が篤だけとは限らないわけではあるが、ここは疑ってかかるのが賢明だろう。
既に篤も屋上の奈緒美を発見しているようで、こちらに注意を払いながら接近してきているのが判る。
奈緒美はひとまず声をかけてみたが、篤は応答しなかった。
もう一声かけてみたのだが結果は同じで、篤がやる気である可能性は非常に高いと思われた。
とにかく足止めして会話したいと考えた奈緒美は1発だけ威嚇射撃をしてみたが、篤は怯むどころか全力疾走に切り替えてホテルの玄関に向かったようだった。
ここに至っては完全に敵と見なして戦うほかはない。
奈緒美は直線的に走る篤の速度を見極めながら連続して発砲した。
器用な奈緒美は射撃センスも悪くなかったようで、少なくとも1発は篤の体を掠めたはずだった。
それでも篤の足は全く止まることなく、ついに小屋根の下に駆け込まれてしまった。
こうなると、バリケードの修復が終わっているかどうかが問題となる。タイミング的には微妙だ。
もし終わっているならば、篤は簡単には侵入できない。自分が駆けつければ、バリケードの除去に苦労している篤を仕留めることも可能だろう。
だが終わっていなければ、あかねの身が危ない。
躊躇している暇はなく、奈緒美は階段に向かってダッシュした。
しかし、少し下りはじめたところで連続する銃声が響き渡ったのだった。
2人でバリケードを修復する方を選択するべきだったとほぞをかむ気持ちに満たされながらも、奈緒美は篤との戦い方を考えていた。当然、あかねの無事も祈り続けている。
相手はマシンガンを持っていて自分は拳銃。
屋上のような遮蔽物のないところで戦うのは愚の骨頂だ。
当然、こまごました屋内でチャンスを狙うしかないだろう。
地の利ならば自分にある。
このホテルの構造は全て自分の足で歩いて頭に叩き込んであるからだ。不案内な篤が戸惑ってくれれば勝機は充分ありそうだ。マスターキーも確保しているので変幻自在に動き回れる。
といっても3階は同じ構造の客室が整然と並んでいるだけなので、篤にとっても把握しやすいはずだ。それに客室に追い詰められたら逃げ場がない。
戦うならば宴会場とか厨房とか倉庫とかが複雑に配置されている2階がベストだろう。
1階でもかまわないが、相手は既にホテル内にいるのだから1階まで下りるのは難しそうである。
奈緒美が全力で2階まで辿りついた時には、早くも篤の姿が階段の踊り場に見えていた。躊躇なく階段を上がって来たようである。
バリケードを1人で修復していた状態から、篤はホテル内にいるのは奈緒美だけだと確信したのだろうと思われた。
素早く銃口を向けた篤を見て応戦は間に合わないと判断して、奈緒美はすぐ横の結婚式場に飛び込んで中から施錠した。
篤の声がする。
「今山さん、話を聞いて欲しい」
奈緒美は自分の位置をカムフラージュするために、声を篭らせながら答えた。位置がわかれば扉越しでも撃たれる危険がある。
「あたしの言葉に答えてくれなかったのだから、あたしも貴方には答えたくないわ」
篤が続けた。
「見ての通り、俺はマシンガンを持っている。気の毒だが君に勝ち目はない。俺としては君のような人徳のある子を葬ってしまうのはとても心苦しいが仕方がないんだ。せめて君を悶え苦しみながら死なせたくはない。大人しく投降してくれれば1発で息の根を止めてあげるから、観念して扉を開けて欲しい」
奈緒美は答えなかった。
それどころか、既に隣の宴会場に移動していた。
ホテルというのは客が通る通路の他に従業員専用の裏通路があることが多く、全てを把握している奈緒美は自在に他の部屋に行けるのだ。
再び篤の声が聞こえた。
「もう一度だけ言わせてくれ。本当に君はここで死なせるには惜しい人材だと思っている。それでも俺は優勝しなくちゃいけない。君にも死んでもらわざるを得ないんだ。お願いだから投降して欲しい」
そんな勝手な理屈に対して、誰が投降なんかするものですか。ボロボロになってでも戦ってやるわよ。
と思いながら、奈緒美は音を立てないようにそっと宴会場の扉を開いた。篤はまだ結婚式場の扉の前から動いていない。
奈緒美はグロックの銃口を篤に向け、正確に狙いを付けた。
だが発砲する直前に、篤は殺気を感じたのか奈緒美の方に鋭い視線を向けてきた。
奈緒美は怯むことなく引き金をひいたのだが、その時には篤は床を転がってかわしていた。
銃口を床に向けなおすと、篤は飛び跳ねるように起き上がって、太い柱の陰に飛び込んでしまった。
またもや篤の声が聞こえた。先ほどまでとは口調も声色も変化している。
「それが君の返事なんだな。よく解った。それならば遠慮なく君を蜂の巣にさせてもらう。俺の温情を受け取らなかったことを悔いるがいい」
言い終えると同時に篤はマシンガンを撃ってきた。
だが奈緒美は既に扉を閉めて身を伏せていた。
銃弾のうち何発かは扉を貫き、奈緒美の背後の壁に弾痕を残している。
改めてマシンガンの威力を痛感しながら、奈緒美は素早く立ち上がると再び裏通路に入った。
施錠する余裕はなかったので、篤はすぐに後を追って宴会場に入ってきて、奈緒美の足音が聞こえたのか躊躇なく裏通路へ向かってきた。
奈緒美はそこにあった2台の台車を足止め用に並べると、素早く厨房に身を躍らせた。
そこで泡の出る消火器のピンを抜き、篤が飛び込んでくると同時に発射した。
泡を被ってマシンガンが使用不能になることを期待したのだが、篤は反射的にマシンガンごと身を投げ出してかわしてしまった。
その隙に奈緒美は厨房から食料倉庫を横切り、通路の反対側の更衣室に駆け込んで施錠した。
鍵穴から覗いてみると篤の姿はなく、その間に奈緒美は手早くグロックの弾を装填した。
その時、奈緒美の耳に今までとは異なる単発の銃声が飛び込んできた。しかも、篤が現れそうな方向ではない。
な、何なの?
奈緒美は慌てて鍵穴に目を移動させた。
目前の扉、すなわち自分が通過してきた食料倉庫の扉を少し開けて、篤が顔を出しながらあらぬ方向にマシンガンを構えようとしているのが見えた。
途端に再度銃声が響き、篤は頭を引っ込めた。
どうやら拳銃を持った誰かが現れて篤と戦い始めたらしい。
ただ、現れた人物がやる気なのかどうかは判断できない。
やる気でなければ自分の味方ということになり、合流して一緒に戦うべきだ。
しかし、やる気ならば顔をあわせないほうが良い。
といっても、たとえこの人物がやる気だとしてもドサクサに紛れて逃げ出す機会が得られそうで、奈緒美にとっては悪い展開ではないだろう。 とにかく、現れたのが誰なのかを見極めたいところではあるのだが。
問題の人物は階段から上がってきた場所付近にいるようだ。奈緒美は裏通路を使いながら階段の方に接近し、相手を確認できそうな位置の小部屋に入った。
その間も両者が1度ずつ発砲している。
鍵穴から覗いた奈緒美は一瞬にして頬が緩むのを感じた。
なぜなら、壁に隠れながら拳銃を構えていたのは紛れもなく大河内雅樹だったからだ。周囲に細久保理香(女子18番)の姿はない。雅樹は単独行動中なのだろう。無論、偶然でここに現れたわけではないはずだ。
奈緒美は喜び勇んで、篤の銃声が途切れた瞬間に扉を開き、スライディングするように雅樹の足下に飛び込んだ。
雅樹は篤の方から視線を逸らさずに厳しい表情のままで言った。
「無事だったか、奈緒美」
奈緒美は顔だけを上げながら答えた。
「どうにか無事よ。助けに来てくれたの?」
雅樹は小声で答えた。
「屋上に奈緒美の姿が見えて、誰かに発砲している様子だったから慌てて走ってきた」
すなわち雅樹は奈緒美が篤を撃っているところを見ていたというわけだ。篤に注意を集中していた奈緒美が雅樹に気付かなかったのも無理はないだろう。
思わず呟いていた。
「有難う。雅樹・・・」
雅樹はそれには答えずに言った。
「このままでは不利だ。ひとまず逃げるぞ」
奈緒美は立ち上がりながら囁くように言った。
「まだ、あかねが・・・」
雅樹は黙って大きく首を左右に振った。
それで充分だった。ハッキリ言うのを躊躇っているだけで、雅樹はあかねの亡骸を見ているのだろう。
半分覚悟していたことだが、やはりショックは大きい。奈緒美は唇を噛み締めて俯いた。
雅樹は優しく奈緒美の肩に手を乗せた。
だがその一瞬に隙が出来たようで、篤がマシンガンを乱射しながら突っ込んできた。
雅樹がしまったという表情に変わったのが見て取れた。
本当は後方の階段から駆け下りて逃げたかったのだが、この状況では階段に行くと格好の的になってしまう。危険ではあるが奈緒美がいた小部屋に戻るしかない。それは篤にとっても予想外の行動になるはずで、すぐには対応できないと思われる。
奈緒美の手を引いた雅樹は一気に通路を横切って小部屋に向かった。だが、無情にも2発の銃弾が奈緒美の左太腿を貫いていた。
雅樹に引きずられるように小部屋に飛び込んだ奈緒美は、素早く部屋に施錠した。
しかし、篤は扉のノブ付近に乱射を加えてきた。突破されるのは時間の問題だ。
痛む足を庇いながら、奈緒美は雅樹と共にいくつかの部屋や通路を通過して厨房に移動し、大きな調理台の陰に隠れた。ここなら少しは時間が稼げるだろう。
雅樹が奈緒美の目を見た。
意図を理解した奈緒美は、頷きながらスカートを持ち上げて傷を見せた。恥ずかしいなどと言っている場合ではない。大腿部の傷は出血が酷く、止血しないと失血死しかねなかった。
それに、血痕を残しながら逃げ回るのも避けなければならない。
雅樹はどこで調達したのか細長いロープをデイパックから取り出して、奈緒美の太腿を手早く縛った。これでしっかりした治療を受けられれば問題ないのだろうが、ここでは止血が精一杯だ。
間もなく篤の足音が迫ってきた。顔を見合わせた2人は、交替で調理台の左右から顔を半分出しながら篤に向けて発砲した。
幼児期からいつも一緒にいた2人だ。声を掛け合わなくても呼吸はピッタリと合っている。
流石の篤も扉の陰に隠れたまま動けないようだ。
タイミングを見計らって、2人は裏通路に飛び込んだ。
そこで奈緒美はすぐ近くに非常用の外階段があることを思い出し、雅樹の手を引きながら駆け込んで素早く施錠してから下り始めた。内部の扉と違って頑丈なので、簡単には突破できないはずだ。
しかも幸運なことに篤は2人を見失っていたらしく、足音は別の方向に向かっている。
やがて首尾よくホテルの敷地を抜け出した2人は北に向かって走り始めた。はるか前方に見える林まで辿り着ければ、ほぼ確実に逃げ切れるだろう。
だが、しばらく走ったところで後方からマシンガンの音が響いた。
振り向いてみると、2階の1室から篤が顔を出して銃口を向けている。発見されてしまったのだ。
ありがたいことに弾は奈緒美たちのところまでは届かないようだったが。
その直後に篤の姿が見えなくなった。窓からの狙撃は諦めて、階段を下りて追ってくるつもりだろう。急がねばならない。
気持ちは焦るが、傷めた左脚は満足には動かない。痛みも酷い。本来ならば安静にしていなければならない状態なのだ。
それでも、奈緒美は歯を食いしばって駆け続けた。
無論いくら頑張っても篤よりも速く走れるはずはないわけで、とにかく林まで踏ん張り続けないと逃げ切れない公算が高いからだ。
けれども、そこで奈緒美に決定的な不運が訪れた。
雨で湿っていた苔の上で足を滑らせてしまったのだ。
本来の奈緒美ならば、よろける程度で転倒することさえなかっただろう。
しかし、銃創を負った脚は踏ん張りが利かない。
脆くも倒れた奈緒美の耳に何かが折れるような音が聞こえてきた。
奈緒美は素早く雅樹に助け起こされたのだが、左脚の痛みは倍化し全くと言っても良いほど動かなくなっていた。
銃撃で傷ついていた大腿骨が、転倒の拍子に折れてしまったと考えられた。最早走るのは不可能で、左脚を引きずりながら歩くのが精一杯だろう。
振り向いてみると、篤は既にホテルを飛び出していて、こちらに向かって駆け出している。まだ間合いは充分だが林まで逃げ込むのは絶望的となった。
奈緒美は覚悟を決めた。委員長としての責任感とクラスメートからの信頼に応じるため、今までは気丈に振舞ってきたけれど、本当はプログラムが始まった時点で8割方観念していた。早い段階で雅樹に会えない限りは。
最早これまで・・・ でも、雅樹にだけは絶対に逃げ切ってもらわないと・・・ 雅樹には死んで欲しくないし、他の子も助けてもらわないと・・・
雅樹が言った。無理に笑顔を作っている感じだ。
「背負って走るから大丈夫だよ。でも荷物は諦めてくれ」
奈緒美は大きく首を左右に振った。
雅樹の力なら自分を背負って走ることなど造作もないだろう。しかし、速度は当然落ちる。篤から逃げ切れるとは思えない。雅樹には1人で逃げてもらわなければならない。
「無理よ。あたしを背負ったら逃げ切れない。あたしはもう駄目。1人で逃げて・・・ お願いだから・・・」
今度は雅樹がかぶりを振った。
「何を言ってるんだ。奈緒美を見捨てて逃げられるわけがないだろう。何が何でも必ず逃げ切ってみせるから、俺を信じて背中に乗ってくれ」
これは当然予想できる言葉だった。
「いくら雅樹でも、それは無理よ。あたしは雅樹には生き延びて欲しいの。わかって・・・」
雅樹は承知しない。
「嫌だといっても、腕ずくで背負うぞ。奈緒美を見殺しになんて、俺には出来ないんだ。わかるだろ・・・」
奈緒美は雅樹の腕を振り払いながら言った。
「その気持ちはとても嬉しい。でもそれだけで充分よ。決して見殺しなんかじゃないわ。最後に雅樹に会えただけでも満足よ」
奈緒美は見た。雅樹の表情が一瞬険しくなったのを。雅樹の右拳が固く握られて腰の位置に構えられたのを。
長年の付き合いだ。雅樹の考えは手に取るように判る。
雅樹は奈緒美を当身で気絶させてから背負って逃げるつもりなのだ。
冗談ではない。意識のある状態で背負われても逃げ切れそうにないのに、気絶した状態で背負われたらますます逃げられない。今、気絶させられるわけにはいかない・・・
奈緒美は咄嗟に左手で自分の水月をガードした。雅樹の拳はその寸前でストップした。
雅樹が奈緒美の目を見詰めて呟いた。
「奈緒美・・・」
奈緒美は雅樹の拳が届かないように3歩ほど後に下がった。それだけでも大腿部から激痛が走る。
ちらりと背後を見ると、篤はかなり接近してきている。まだ大丈夫だが、これ以上議論している時間はなさそうだ。
雅樹に1人で逃げる決意をさせるには・・・
奈緒美は無理に笑顔を作りながら言った。
「雅樹だけなら絶対に逃げ切れるわ。死んじゃ駄目よ、雅樹。あたしは死ぬけれど、あたしの心はいつまでも雅樹と一緒よ」
雅樹が呟いた。
「どうしても、奈緒美を見捨てろと言うのか・・・ 無理だ、俺には・・・」
急に声が大きくなった。
「どうしても逃げられないのなら潔く2人で蜂須賀と戦おう。一緒に死のう、奈緒美」
何の遮蔽物もないこんな場所でマシンガンと戦うなど確実に自殺行為だ。雅樹の気持ちも解るが、それでは困るのだ。雅樹には他のクラスメートを助けてもらわなければならないのだ。
口が勝手に動いていた。
「理香はどうなるの? 雅樹が死んだら、理香も死ぬことになるわ。それでもいいの?」
本当のところ、こんなことは口が裂けても言いたくなかった。認めたくないことを認めることになるからだ。
しかし、雅樹を1人で逃げる気にさせるには理香の名前を出すほかはなかった。
雅樹の表情が一瞬曇った。
「本当にそれでいいのか」
奈緒美は大きく頷きながら答えた。
「それでいいの。理香を守ってあげて・・・ 勿論他の子も・・・」
雅樹は目を血走らせながら唇を噛み締めている。奈緒美との永遠の別れを必死で受容しようとしているようだ。
突如、雅樹は目を大きく見開くと、拳銃を抜き放った。
その瞬間は驚いた奈緒美だが、すぐに雅樹の意図を了解できた。
雅樹が口を開いた。
「奈緒美の首を蜂須賀に渡す気にはなれない。奈緒美の人生の幕は俺の手で引かせてもらう」
奈緒美は微笑みながら頷いた。
「いいわよ。雅樹に葬ってもらえるなら幸せだわ。あ、そうだ・・・」
奈緒美は自分のグロックを雅樹のベルトに差し込み、続いていつも首にかけていたお守りを外して雅樹の左手に握らせた。
小学6年の時、雅樹と2人で金刀比羅宮に初詣に行って受けてきたお守りだ。袋には自分と雅樹の小さな写真を忍ばせてある。
さらに髪飾りを外して渡した。こちらは、昨年の誕生日に雅樹から贈られた品だ。
「これをあたしだと思って持っていて・・・」
雅樹は涙ぐみながら頷いた。
ふと見ると、篤との間合いは相当に詰まってきている。そろそろマシンガンの射程に入ってしまいそうだ。本当は髪も切って渡したかったのだが、残念ながらその時間はない。
涙を拭った雅樹が力強く言った。
「お別れだ、奈緒美。奈緒美のことは一生忘れない。俺は生きている限り奈緒美を背負い続けるつもりだ」
奈緒美は精一杯の笑顔で答えた。
「あたしもよ。たとえ将来何に生まれ変わっても雅樹のことだけは忘れない。雅樹のおかげで短いけど楽しい人生だった。今までたくさんの思い出と幸せを本当に有難う。心底感謝してるわ。そして、最後に・・・」
そこで、この世で最後の息を大きく吸い込むと力いっぱい言った。
「大好きよ、雅樹!」
雅樹の精神力を知っているからこそ言えた。軟弱な男なら、こんなのを言われたら撃てなくなってしまうだろう。これで、もう悔いはない。
言い終えて雅樹の笑顔を見たと同時に、奈緒美の心臓は雅樹の放った銃弾によって砕かれていた。
崩れ落ちた奈緒美の体を雅樹がそっと横たえて目を閉じさせたことも、雅樹を追うのを諦めた篤が奈緒美に向かって黙祷をささげていたことも、きっと天に還る奈緒美の魂は見詰めていたことだろう。
雲ひとつ無くなった空には、眩い太陽が燦然と輝き続けていた。
女子3番 今山奈緒美 没
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