BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
72
眩いばかりの陽光の下、細久保理香(女子18番)は海辺の大きな岩の上に腰掛けていた。
隣には憧れの大河内雅樹(男子5番)が坐っている。
プログラムという過酷極まりない状況の中でも、隣に雅樹がいると思うだけで気分が落ち着く。
しかも、雅樹は脱出の方法を編み出したという。
雅樹に期待しただけのことはある。これで仲良く生きて帰れる。
他の子にも声をかけて皆で脱出しよう。
帰ったら雅樹君に堂々と告白しよう。
理香の心は弾んでいた。
そこで、背後から声がした。
「あたしを置いていかないでよ、理香」
この声は速水麻衣(女子15番)だ。
「もちろんよ」
と答えながら理香は振り返った。
途端に理香は身震いとともに蒼ざめた。
なぜならそこに立っていた麻衣は死者のような青白い顔で、しかも全くの無表情だったからだ。
キャーッ!
と叫びそうになったところで理香はガバッと身を起こした。
思わず見回すと、自分は今までどおりの洞窟の中にいて側には誰もいない。
何だ夢か・・・
ふと見ると、手には草加せんべいを握ったままである。
菓子を食べながら休憩していて、不覚にも居眠りしてしまったらしい。
よく考えると、雅樹と出会った記憶がないのに雅樹と一緒にいるのは不自然だった。
その不自然さを感じることが出来ないところが、夢の夢たる所以(ゆえん)なのだけれど。
夢でも雅樹に会えたことは嬉しかったが、一方で麻衣の青白い顔が気になった。
先刻のショックな放送の影響だろうか。それとも一体・・・
そこで、理香は洞窟の外からの妙な物音を聞きつけて立ち上がった。
胸騒ぎとともに、理香は外へと急いだ・・・
正午の放送は、いつもどおり正確な時刻に始まった。
理香は見張りを麻衣に任せてメモに集中することにしていた。
“皆さん、こんにちは。担当官の鳥本美和です。正午の放送です。通算6回目になりますね。先程の雷雨には驚かれたことでしょうけど、風邪などひかないように気をつけてくださいね。それでは例によりまして、今までに亡くなられた方のお名前を亡くなった順番に申し上げます。今回は多いですよ。男子16番 藤内賢一君、女子9番 川崎来夢さん、女子8番 川崎愛夢さん、男子20番 矢島雄三君、女子6番 蒲田早紀さん、女子2番 伊奈あかねさん、女子3番 今山奈緒美さん、男子19番 盛田守君、以上8名の方々です。ご冥福をお祈りいたします。残りの11名の皆さん、頑張ってくださいね”
あかねの名前が出た段階で、奈緒美の名前が出る予感がして理香は身を震わせた。そして、その嫌な予感は現実となった。
まさに時間が止まって周辺の全てが凍りついたような感覚だった。
奈緒美が・・・ 奈緒美が・・・ 嘘でしょ・・・ あの子が簡単に逝くわけないわ・・・ でも・・・
ふと麻衣を見るとこちらも放心状態のようだ。
この状態で襲撃されたらひとたまりもなかっただろう。
その後は僅かに残った理性で禁止エリアを聞き取るのが精一杯だった。
“続いて今後の禁止エリアを発表いたします。まずは午後1時からI=2です”
会場南西のホテル付近だ。
“続いて午後3時からJ=10です”
会場の東南端で大勢に影響のない場所だ。
“最後に午後5時からG=7です。禁止エリアには充分注意してくださいね”
これは今いる洞窟の西だ。
ここで、いつもどおり印藤が放送に割り込んできたようだったが、最早理香には何も聞こえなかった。
“折角生還チャンスが増えたのに、それを生かさないとはお前たちはどうかしてるぞ。頑張って国分教諭を探し出して仕留めるのだ”
と言っていたのだが。
聞こえてくる銃声や爆発音から、死者が多いことはある程度覚悟していたが、女子で最も頼りになる奈緒美が含まれていたショックは計り知れなかった。
奈緒美に会えればどうにかなるという希望は、雅樹に対してと同じくらい大きかった。それが一気に砕かれてしまったのだ。
雅樹を想う身としては恋敵ではあるのだが、それでも大事な友だった。少なくともプログラムからの脱出に関しては無条件に信用できる盟友だった。それが失われてしまうとは・・・
そこで理香は思い切りかぶりを振った。
こんなことではいけない・・・ これで絶望して簡単に死んだら、あの世で奈緒美に絶交されちゃう・・・ 頑張らなきゃ・・・ 気力を出さなきゃ・・・
ようやくのことで、理香は奈緒美以外の死者にも思いを巡らすことが出来た。
自分たちを襲おうとした賢一と来夢の名がある。
少し脅威が減ったことを意味するのだろうが、とても喜ぶ気持ちにはなれない。
また愛夢と来夢の名前が連続しているのは、戦って相討ちにでもなったのだろうか・・・
そして矢島雄三。
やる気の者を倒すと息巻いていた雄三。
誰かを仕留めようとして返り討ちに遭ったのだろうけれど、雄三ならばマシンガン相手でも何とかしそうな感じがしていただけに意外だった。
蜂須賀篤(男子14番)を倒してくれることを内心で少しだけ期待していたのだが・・・
さらに、理香とは2回接触した盛田守。
理香が現在無事なのは守のおかげでもある。
助けてもらった礼を言うことだけは果たしているけれども、その死はとても残念だった。
守が探していた蒲田早紀と順番が離れているので、2人はおそらく会えなかったのだろう。
早紀に告白できなかった守の無念さがひしひしと感じられた。
目を開いたままで、皆の冥福を祈っていると麻衣が声をかけてきた。
「いつまでも落ち込んでいてもどうしようもないわ」
理香は顔を上げた。
麻衣も無理に笑顔を作って、立ち直ろうとしているようだった。
「諦めちゃ駄目でしょ。生きている限りチャンスはあるわ」
自分でも思っていることなのだが、言われてみればその通りだと思える。
本当に仲間はありがたい。1人で今の放送を聞いたらどうなったことだろうか。
雅樹以外の生存者の中で味方として頼れそうなのは石川綾(女子1番)程度しか残っていない。
それでも絶対に何とかできるはずだ。いや、何とかしなくちゃいけない。
自分が沈んでいたら、自分より気の弱い佐々木奈央(女子10番)などはどうなってしまうだろう。
そうだ。奈央は自分が守ってあげなきゃいけないんだ。
どこにいるんだろう、奈央・・・ 雅樹と一緒ならいいのだけれど・・・
理香は気合を入れなおして立ち上がった。
思わず口走っていた。
「頑張ろうね、麻衣」
麻衣は力強く頷いた。
そして、放送後の見張りは麻衣の番だったので、理香は洞窟の奥で休息していたのだった。
洞窟から駆け出した理香が見たものは、何者かに首を締め上げられている麻衣の姿だった。
何も考えないうちに叫んでいた。
「誰よ! 麻衣を放しなさい! 早く!」
この声を聞いて、麻衣の背後にいた人物がこちらに顔を向けた。
その瞬間、理香の全身は制御できない身震いに襲われた。二度三度と。
なぜならその人物は最も嫌悪すべき男である百地肇(男子18番)だったからだ。
肇が満面に不気味な笑みを浮かべて言った。
「やっと見つけたよ、理香。まさか速水さんと一緒にいるとはね。この俺を失望させた償いはしっかりとしてもらうからな」
本音を言えば尻尾をまいて逃げ出したい気分だった。
この男と同じ空間を共有すること自体が耐えられない。
しかし、麻衣を見捨てるわけにもいかない。
理香は視線を麻衣に移した。
麻衣の四肢は既に脱力しているようで、全く生気が感じられない。一刻も早く助けなければならない。
とてつもなく嫌だが、全力で肇と戦うしかなさそうだ。
懐の催涙スプレーをそっと握り締めながら力強く言った。
「用事があるのはあたしなんでしょ。とにかく早く麻衣を放しなさい」
肇はじめっとした視線で理香の全身を嘗めなわすように見詰めた。
再び身震いがして、全身の毛が逆立った。
それでも怯むわけにはいかない。もう一度、低く重い声で言った。
「放しなさいよ、麻衣を」
肇は落ち着いて答えた。声もねっとりとしている。
「悪いけど女の子全てに用事があるんだ。理香だけには飛び切りの用事があるんだけどね」
一秒でも早く立ち去りたい気持ちを抑えながら、どうにか答えた。
「話だけは聞いてあげるから、その前に麻衣を放してよ。お願い」
この男に頼みごとをするなどとんでもない屈辱だがどうしようもない。麻衣を人質にされているようなものだから。
肇はニヤリとして答えた。
「速水さんと親しいという印象はなかったから、意外だねぇ。さぁ、どうしようかなぁ」
確かに元々は親しい仲ではない。でも、今はかけがえのない仲間だ。戦友とも言えようか。
肇が続けた。声のトーンを上げながら。
「そうだ、いいことを思いついた。理香、この場で服を脱ぐんだ。俺の目に理香の生まれたままの姿を焼き付けさせてくれよ。そうすれば、速水さんを解放してもいいよ」
理香は自分の耳を疑った。
な、何ですって・・・ 一体、何を言い出すのよ、この男・・・ ぬ、脱げですって? 裸体を曝せですって? 信じられない・・・
理香が呆然としていると、肇は嬉しそうに続けた。
「案外、俺も頭が良いな。こうすれば、武器を手放させることも出来るし、意識があるままで理香の裸を拝めるってわけだ。夢のようだぜ・・・ 本当に今まで生きていて良かった。さぁ、早く脱いでくれよ。一糸纏わぬ姿になってくれよ。さぁ、早く」
冗談じゃないわよ、この変態。でも・・・
理香の心は激しく揺れた。
無論、脱ぎたくはない。後で自殺しても拭えないほどの恥辱である。それに、肇ならば脱いだだけで満足するはずがない。次は触らせろと言ってくるに決まっている。そして、その次は・・・ 際限なくエスカレートして、最後には殺されてしまうことになるだろう。
といっても、麻衣を見殺しには出来ない。どうしたらよいのか・・・
そこで、麻衣の声が聞こえたような気がした。
“逃げて、理香。こんな奴に従っちゃ駄目。従ったところで、あたしを解放する約束なんか守ってくれないわよ”
確かにそうだ。肇が約束を守るかどうかは疑問だ。いや、守ることを期待する方が間違っているだろう。
でも、このまま逃げ出したら麻衣に申し訳が立たない・・・
理香は無意識のうちに脱ぎかけようとしていた。
肇の声がする。
「そうそう、その調子。本当に俺は幸せだぜ。憧れの理香が脱いでいくところを見られるなんて。あぁ、プログラムに感謝したいくらいだぜ。うぅ、最高・・・」
完全に陶酔しているようだ。
が、そこで1つのアイデアが浮かんだ。
肇の目的は自分だ。だから、ここは逃げるのが正解だ。
逃げれば肇は当然追いかけてくるだろうが、麻衣を締め上げたままでは不可能で、解放するしかなくなるはずだ。これで麻衣は助かる。
脚力が違うので追いつかれてしまうのは仕方ないが、追いつかれた瞬間に催涙スプレーを浴びせれば、にやけている肇に勝つチャンスもあるだろう。よし・・・
歯をしっかりと食いしばった理香は突如回れ右をして走り出した。
肇はすぐに麻衣を放り出して追ってきたようだ。ここまでは計算どおりだ。
森に駆け込んだところで追いつかれそうになり、足音でタイミングを計ってスプレー缶を取り出しながら振り返った。
だが、同時に理香は手首を肇の手刀で強打されていた。
あっという間もなく、缶は数メートル先に弾き飛ばされていた。
しまった・・・ どうしたらいいのよ、一体・・・
肇が言った。
「そんな手に引っかかるわけないだろ。さぁ、今度こそ逃げられないぜ。この手で脱がしてやる」
そこで理香は何者かが急速に近づいてくる気配を感じた。麻衣かと思ったが何となく違うようだ。麻衣よりもずっと迫力を感じるからだ。自分を助けようとしているのか、それとも新たな敵の出現か・・・
理香がそちらを見ようとすると、肇も同様にしていた。
と、近づいてきた影はいきなり肇に飛び蹴りを食らわせた。
肇はひとたまりもなく吹っ飛んで、大きな切り株に叩きつけられた。
影が叫んだ。
「呆れた男ね。この修羅場でもそんなことしてるなんて」
理香は影の正体を見極めて胸を撫で下ろした。影は雅樹の次に頼れると思っていた石川綾だったのだ。
肇は付着した泥を払いながら立ち上がって怒鳴り返した。
「石川! こんなところでまで俺の野望を妨げるのか」
綾は穏やかな口調に変えて答えた。
「まともな野望の邪魔をする気はないけど、百地君のは邪心の塊でしょ。協力できるわけないわ」
綾と一緒ならこの男にも勝てる・・・
理香は綾の隣に立って肇に向かって身構えた。
だが、綾は別のことを言った。視線は肇に向けたままだったが。
「ここは私にまかせて、理香は麻衣の手当てをしてあげて」
そうだ、麻衣を助けなきゃいけない。綾なら1人でも何とか切り抜けることができるだろう。
頷いた理香はスプレー缶を拾ってから麻衣の元へと急いだ。肇が後を追おうとしたが、綾が通せんぼをしてくれているようだ。
うつ伏せに倒れていた麻衣を仰向けの姿勢に変えたところで理香は全身の血の気が引くのを感じた。
半開きの麻衣の目には全く力がなく、口唇は暗紫色に成り果てている。
慌てて首筋に触れてみたが、拍動は感じられない。
それから先は無我夢中だった。
膝を首の下に入れて気道を確保し、心臓マッサージをしながら、片手で鼻を塞いで麻衣の口に自分の吐息を吹き込んだ。
蘇生術の講習を受けたことはあるけれど、実行するのは勿論初めてだ。自信はないがやるしかない。
ここまで助け合ってきた麻衣を失うわけにはいかない。とにかく必死だった。麻衣が息を吹き返すことを信じて頑張った。
その時、背後に足音が接近してくるのを感じた。
肇が綾を倒して戻ってきたのだろうか。そうだったら、今度こそおしまいだ。肇に身をゆだねるくらいなら舌を噛み切った方が・・・
だが幸いにも聞こえてきたのは綾の声だった。
「百地君は追い払ったから大丈夫よ。麻衣の様子はどう?」
理香は答えずに首を左右に振った。当然、心臓マッサージは続けている。
綾は懐中電灯を取り出すと、麻衣の顔を自分の体で日陰にしながら、眼瞼(がんけん=まぶた)を広げて観察している。
左右の目をしばらく見ていた綾は、首筋の脈を確認しながら力なく言った。
「脈も全く触れないし、瞳孔(どうこう=ひとみ)が両方とも完全に散大してしまっているわ。残念だけど、もう・・・」
理香は言葉もなく麻衣の体に覆いかぶさってすすり泣きを始めた。泣いている場合ではないのだが泣かずにはいられなかった。
麻衣、ごめんね。助けてあげられなくて・・・ 本当に、ごめんね。
肇は恐らく、麻衣の生命が危険なのを知っていながら理香を脅すために首を絞め続けたのだろう。
本来の肇の目的は麻衣を気絶させて陵辱することだったと思われる。自分が顔を出したばかりに、こんなことになってしまったと考えられる。
麻衣を失った悲しみと、麻衣に対する申し訳なさと、肇に対する怒りなどが理香の脳内を渦巻いた。
もし綾がいなければ、理香は狂ったように走り出してしまったかもしれなかった。
だが、綾は理香が落ち着くまでそっと肩を抱いていてくれた。周囲への注意を怠ることもなく。
ようやく平常に呼吸が出来るようになった理香に、綾は静かに言った。
「後悔する気持ちは私も同じよ。もう少し早く来ていればって。でもね・・・」
理香は小さく頷いた。勿論、綾の責任ではない。
それを見透かしたような綾の言葉が続いた。
「仕方のないことってのはあるものなのよ。理香の責任じゃない。自分を責めないでね。憎むべきはプログラムなのよ」
そんなことは解っている。けれども・・・
綾は優しく理香の手を取ってくれた。
「理香は雅樹君に会いたいんでしょ。それまで頑張らなきゃ」
一瞬で赤面してしまった。
綾にまで見抜かれているなんて・・・ でも、おかげで生きようとする気力が湧いたわ。ありがとう、綾・・・
理香は麻衣の目をそっと閉じさせると涙を拭いながら立ち上がった。
綾は微笑みながら言った。
「もう大丈夫ね。じゃあ、私は行くからね」
理香は目をパチパチとさせた。
「え? 行っちゃうの? 一緒にいようよ」
綾は優しく答えた。
「悪いけど、今は1人でいたいの。いろいろ考えることがあってね。でも、必ずまた会いに来るから」
呆然としている理香を尻目に、綾は悠然と立ち去ろうとした。
ハッとして口を開いた。
「どういうこと? よく解らないわ」
綾は振り返ることもなく、足だけを止めて答えた。
「今は、まだ言えない。でも、必ず・・・」
そこで綾は突如振り向いて言った。
「言い忘れたけど、袋小路の洞窟に潜むのは感心できないわよ」
言い終えると、綾は小走りで姿を消した。
じりじりと照りつける陽射しの中、理香は黙って綾の背中を見送る他はなかった。
女子15番 速水麻衣 没
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