BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
76
木漏れ日の差す森の中を慎重に移動していた三条桃香(女子11番)は足を止めた。
全身の神経を集中して四方に注意を巡らす。
しかし、何者の気配も感じることは出来なかった。
桃香は首を傾げた。
自分が足を止めたのは間違いなく誰かの気配を感じたからだ。
決して錯覚ではなかったはずだ。
だが実際に足を止めてみると、そこには誰もいないようだ。
どう解釈すべきか。やはり錯覚したのだろうか。
桃香は油断なく気を配りながらも、先ほど感じた気配を思い出そうとした。
いや違う。絶対にアレは錯覚じゃない。確かに誰かがいたはず・・・
桃香は全身の緊張感を高め、いつでも戦闘に入れるように身構えた。
この矛盾を解決する解答はただ1つ。相手も自分を発見して気配を殺してしまっているということだ。
間違いない・・・ 誰かが息を潜めている・・・
一体、誰なのよ・・・
ここまで気配を消せるのは只者ではない。
生存者の顔を思い浮かべてみても、石川綾(女子1番)か大河内雅樹(男子5番)程度であろうか。
いずれにせよ容易な相手ではなく、僅かなミスが敗北に直結することだろう。
桃香は慌てずにじっくりと周囲を観察してみたが、相変わらず何の変化もない。
意を決した桃香は謎の相手に声をかけてみることにした。
今までの状況から見て、相手に積極的な戦意があるとは思えなかったから。
「隠れているのは誰なの? いるのは判ってるのよ。出てきて私と戦いなさいよ」
ワンテンポ遅れて返事があった。
「完璧に気配を消したつもりだったけど・・・ さすがは三条さんね」
こ、この声は・・・ せ、先生?
声の方向に視線を向けた桃香の前に木陰から現れたのは、紛れもなく担任教師の国分美香であった。
桃香の母は総統の妹である。
代々四国に地盤を持っていた貴族である三条家の御曹司と大東亜大学の同級生であった縁で結ばれ、香川に嫁ぐこととなった。
不妊に悩んだ夫婦だったが結婚後10年でようやく産まれたのが桃香だった。
国のしるしである桃の字を名前に頂いた桃香は、両親の手厚い保護と家庭教師たちの厳しい指導の下で順調に育ち、心身ともに磨かれていった。
中学進学時に、両親は桃香を首都にある貴族専門の女子校に入学させようと考えた。
しかし、桃香自身がこれを拒んだ。
寮生活が嫌だったわけではない。出来る限り一般市民として振舞いたいと考えたからだった。
大邸宅に住んでいて、幼稚園時代から反政府組織などに誘拐・暗殺されることを恐れて車で送迎されているのだから、全て庶民と同じというのは不可能である。
それでも、学校内くらいは他の生徒と同じように扱って欲しいと桃香は望んでいた。
両親もそれを承諾し、学校側に特別扱いしないことを要請し、学校側も送迎以外は同様に扱うことで同意した。
快活で気さくな面もあったので、桃香は何人かの友人を得ることもできたが、それでも何割かの生徒に無条件で敬遠されている感じは拭えず残念に思っていた。身分が違うのでやむをえないことも理解できてはいたのだけれど。
中3になった時、万一を恐れた両親は桃香に軍部から入手したプログラム資料を渡そうとした。
これがあれば、ほぼ確実に会場から脱出して生還することが可能である。
言うまでもないが、桃香の身分ならば脱出しても処刑されることはないはずである。
両親の気持ちは解る。一人っ子の自分を失いたくないのは当然だ。
だが、桃香は断固として受け取りを拒否した。
プログラムは公正でなければならないのに、自分だけがこんなものを持っているのは不公平である。
そのような方法で生還しても、総統に恥をかかせるだけの結果となり国の権威は失墜してしまう。
自分も国民の1人なのだから、プログラムに参加して死する運命ならばそれを受容しなければならない。
でも、自分は堂々と戦って必ず優勝してみせる。
といったことを、激しい口調でまくし立てた。
父はまだ納得できない様子だったが、母は涙ぐみながら小さく頷いた。
それでこそ総統の血を引く者だと母は言ったが、無理に言っているのは見え見えであった。
桃香自身もプログラムに選ばれない方が嬉しいのは本音だったけれど。
そして、桃香は今までに9人を葬っていた。
極力堂々と戦っているのは、自分の育ちのよさとプライドの高さに起因するものだった。
だから、盛田守にトラップ戦術を使ったことは至極不本意だった。その前の矢島雄三に対する勝利も満足には程遠かった。
このまま優勝してもスッキリしないなと、少々落ち込んでいたところで百地肇の淫行を目撃した。
無視し続けていたけれど、肇のいやらしい視線をいつも不快に感じていた桃香は、肇を成敗したことで溜飲を下げることができた。
生存者が10人未満となり、いよいよ優勝が現実のものとなりつつあったが、当然ながら残りは強敵が多い。
桃香は気合を入れなおして会場を徘徊していたのであった。
思わず声をかけていた。
「先生、どうして・・・」
桃香にとっての美香は、両親や総統と同じくらい尊敬して止まない人物であった。
小学生の頃からいろいろな教師に巡りあっていたが、美香ほど優秀かつ生徒本位な教師はいなかった。
どんなことにも親身になって相談に乗ってくれたし、与えるアドバイスもとても的確だった。
その美香が会場に乱入してきたことには驚いたが、美香の性格ならありえないことでもないと思えた。
それだけに、政府が特別生還の条件に美香を用いたことには大変な憤りを感じていた。
自分が優勝した暁には、印藤少佐と陸軍大臣に厳罰を与える決意も出来ていた。
しかし、特別生還条件と関係なくとも、国家反逆罪に該当する行為をしてしまった美香は死罪を免れ得ない。
答えは予測できていたけれど、それでも訊かずにはいられなかった。
「教師として当然のことをしているだけよ。皆を助けるためならば、この命は惜しくはないわ」
想像通りの回答に、桃香はさらに疑問をぶつけた。
「先生ならば理解できないこともありません。でも、プログラムは先生1人の力でどうにかできるようなものじゃないですよ。それに、強引に助け出した生徒は、先生同様に国家反逆罪に問われて、結局は助からないですよ」
美香は微笑みながら答えた。
「それは承知の上よ。それでも何とかしなきゃ我慢できなかったの。一寸、考えが甘かったかもしれないけど。それに会場から脱出さえすれば、どこかに潜伏して生きていくことは決して不可能じゃないわ。1人でもたくさん生き残ってくれれば、私としては本望なのよ。まさか、政府が私を懸賞首にするとは思わなかったけどね」
桃香は即答した。
「それに関しては、私も非常に不快に感じています。私が優勝できれば、関係者を厳しく処罰することをお約束します」
美香はそれには答えず、別のことを言った。
「三条さんは、今までどうしていたの? 貴女のことだからやる気になっているのでしょうけど」
美香に隠す価値はなく、桃香は正直に答えた。
「もう9人殺しました。でも、国民として当然のことをしているだけですよ。それはご理解いただけますよね」
美香は一度頷いてから言った。
「国民としてはそうかもしれませんね。ここはそういう国ですから。でも、人間としてはどうなのかしら。クラスメートを殺すことは人間として正しい行為なのかしら」
流石に痛いところを突いてくるなと感じたが、屈服するわけにはいかない。
「1人の人間として考えれば、間違った行為かもしれません。しかし、私には立場があります。国の権威を汚すわけにはいきません」
美香は答えた。
「それは変ね。三条さんはいつも、自分を他の生徒と差別しないで普通に扱うことを望んでいたはずよね。それに関しては私も好感を持っていたの。それなのに、プログラムにおいてだけ立場を気にするなんて。いつもどおり、1人の女子生徒として振舞って欲しかった。それでもやる気になるというのなら仕方がないわ。大人しく死になさいとは言えないから。だけど、立場に縛られてやる気になるなんて間違ってる。それだけは納得できない。貴女の立場のために死んだ子が可哀想過ぎる。立場のために人命を犠牲にするなんて人間として許される行為じゃないわ。貴女の能力ならば、クラスメイトを先導して脱出を目指すことだって不可能じゃなかったはずよ。今からでも遅くはないわ。方針を変えなさい」
桃香は怯みそうな心に必死で鞭を打った。
先生の言ってることは正しい。流石に私が尊敬する先生だわ。でも、それじゃ国の権威が・・・
私にとっては、人間であることよりも立場の方が・・・
「先生、申し訳ありません。私には出来ません。私は国を背負って戦わなければいけません。わかって下さい」
美香は俯き加減に答えた。
「可哀想に・・・ そんなにも立場が重荷になっているなんて・・・ 私は本気でこの国を恨みます。 ・・・仕方ありません。腕づくでも貴女を止めます。他の生徒を守るのが私の立場ですから」
言い終えたときの美香はとても厳しい表情に変わっていた。
桃香は驚いた。
美香には桃香が抱えているウージーが見えないはずはない。
一方の美香は何も持っていないように思える。
これじゃ、勝負になんかならないのに・・・ でも、これが先生の立場と覚悟なのね、きっと。
それならば受けて立たねば申し訳ない。
丸腰の相手にマシンガンを使うのは私のプライドが許さない。ここは素手で・・・
桃香はウージーを足元に置いて言い放った。
「全力で戦わせていただきます。お覚悟を」
美香は大きく頷いた。
身構えた桃香は素早く突きや蹴りを繰り出した。
武器の扱いにも長けている桃香だが、格闘技にも相当な自信がある。
本気を出せば、少なくとも女性に負ける気はしなかった。
しかし、美香は的確に桃香の攻撃を受け止め、鋭く逆襲してきた。
美香が只者でないことは判っていたつもりだが、その実力は想像以上だった。
桃香はさらに気合を入れて攻撃を続けたが、勝負は全くの互角だった。
少し息が切れてきた桃香は少し間合いを取りながら言った。
「失礼ながら驚きました。先生がこんなにお強いなんて。私も充分に鍛えているのに・・・ でも、負けるわけにはいきません」
まだ余力のありそうな美香が答えた。
「そんなことないわ。実力は貴女の方が上よ」
そのとおりだと思う。自分の方が強いはずだ。しかし・・・
桃香は再び攻撃を開始したが結果は同じだった。
「信じられない。どうして・・・ どうして、勝てないのよ・・・」
桃香の呟きに美香が答えた。
「もし、道場で試合したら間違いなく私が負けたはず。でも、こんな修羅場では経験の差が生きてくるのよ。この場に及んで伏せておく価値はないから言うけど、私はプログラムで優勝したことがあるの」
そんなことは見当がついていた。美香がプログラムだと看破した時に。
あの程度のことからプログラムだと察知できるのは、経験者だからにほかならないと。
美香が続けた。
「三条さんは訓練はしていても実戦経験はないでしょ。その差が大きいのよ。それに人生経験の差も絡んでくるの、こんな時にはね」
理解できないことではない。でも、それだけではないはずだ。それだけで、自分が勝てなくなることはないはずだ。
さらに、美香の言葉が続く。
「もっと決定的なのは、プログラムにおける今までの過程で貴女が随分消耗しているということよ。これも経験者だから言えるのだけれど、プログラムって想像以上に疲れるの。修羅場をくぐり抜けるのはそれだけ大変なことなの。今の三条さんは本来の実力の7割程度しか出ていないのじゃないかしら」
言われて見ればそのとおりだ。残念ながら疲労の色は隠せない。
美香のほうも修羅場にいることには相違ないのだが、自分たちとは状況が違う。
他の生徒とならば同じ条件なのだが、美香相手となると話が違ってくるわけだ。
でも、私は負けるわけにいかない。尊敬する先生だからこそ、全てをぶつけて戦わなきゃ。
桃香の立場では、美香を国賊と見なして戦っても不思議はない。だが、桃香はそのような気持ちにはなぜかなれなかった。
「ごたくはたくさんです。勝つのは私です」
言い切った桃香は再度攻撃を開始した。
知らず知らずのうちに生じた焦りが、攻撃の正確性を著しく低下させていたことを、桃香は自覚できていなかった。
何度目かの突きをかわした美香が、突如叱咤するように言った。
「しばらく頭を冷やしなさい!」
桃香はそれに答えることは出来なかった。
なぜなら言葉と同時に素早く足を踏み込んできた美香の右拳は、桃香の水月に鋭く突き刺さっていたのだから。
この私が当て落とされるなんて・・・ それも、女性に・・・ 信じられない・・・
腹筋は充分に鍛えてあった。だが、美香の当身は狙いと角度が絶妙でかつ力強かった。
それ以上考える間もなく、桃香は美香の右腕に身を預けるようにして意識を失った。
「ゴメンね。三条さん」
小さく呟いた美香は、完全に落ちている桃香を背負うと、ウージーを拾い上げてゆっくりと歩き始めた。
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