BATTLE
ROYALE
〜 荒波を越えて 〜
82
鳥本美和(プログラム担当官)は脇目もふらず洗面所に飛び込んだ。
気を強く持ちたかったが、どうしても涙があふれ出すのを制御することはできなかった。
あぁ、まだ見つからない。
一体、どこに落としたのかしら。
おそらくもう誰かの手に・・・
美和の頭脳は、ずっと紛失した担当官マニュアルのことで満たされていた。
思い当たるところは全て探したつもりだ。
それも二度三度と。
時の流れと共に、焦りはどんどん強くなっていった。
見つけないと自分の命が危ないのだから当然なのだけれども。
そこへ1人の兵士が来て、美和と印藤少佐(責任将校)に向かって報告した。
「国賊、国分美香教諭が死亡いたしました」
蒼ざめた美和の側で、素早く椅子から立ち上がった印藤が叫んだ。
「でかしたぞ。で、誰がやったのだ」
兵士が答えた。
「蜂須賀篤であります。会話から考えて100%確実であります」
印藤が微笑を浮べながら答えた。
「そうか。史上初のプログラム特別生還は奴になったか。直ちに人工衛星写真で確認を取るのだ」
だが、兵士は困惑した表情で言った。
「それが妙なのであります。蜂須賀は教諭の亡骸を海に投げ込んでしまったようであります。特別生還を拒否したと思われます」
「な、何だと・・・」
これには印藤も驚いたようだった。生還する権利を自ら放棄するなど普通では考えにくいからだ。
兵士が続けた。
「会話から推定して、蜂須賀には優勝しなければならない理由があると思われます。それ以上は確認できませんでした。なお、蜂須賀は引き続いて三条桃香(女子11番)様と対峙する模様であります。では、これで失礼致します」
印藤が眉を顰めた。
桃香が戦死すると自分の身が危ないと思っている印藤にとっては大きなピンチなのだから当然ではあるが。
一連の会話が終わり兵士が立ち去るまでの間、美和はずっと放心状態であった。
美香が最終的に助からないことは了解していたけれど、それでもそれが現実になるとショックは大きかった。
それも、美香が助けようとしていた教え子たちの1人の手にかかってしまうとは。
思わずうつろな目のままで呟いてしまった。
「先輩・・・」
この一言に印藤が反応した。
「今、何をおっしゃいましたか。まさか国分教諭の死を悼んでおられるのではないでしょうな」
ビクッとした美和は答えられなかった。
印藤が続けた。
「学生時代の先輩とのことですが、今は立派な国賊ですぞ。国賊の死を悼むとは何事ですか。このまま教諭にプログラムを荒らされたらご自分の身も危ないのですぞ。状況の理解は出来ておられるのですか」
一応敬語だが内容は厳しい。それに、担当官の立場を考えれば、印藤の言葉は正しいと言わざるをえない。
自分の保身のためには、ここで印藤と言い争いなどするべきではない。
無理に笑顔を作って答えた。暗い声の上に機械的な口調になってしまったが。
「そんなことはありません。国賊を仕留めたことを喜んでいます」
印藤は疑い深そうな表情で答えた。
「それならば、よろしいのですが」
だが、美和の心はとても平静ではいられなかった。
「お手洗いに行きます」
一言言い残し、美和は席を立った。
洗面所の個室に駆け込んだ美和は、腰を下ろすと同時に泣き崩れた。
ひとしきり泣いた後で、いろいろ考えた。
学生時代、美香には言い尽くせないほど世話になっている。
勉学の指導もしてもらったし、教師になる自信を喪失した時にも優しく励ましてくれた。
美香がいなければ自分は大学を中退して他の人生を歩んでいただろう。
勉学のみならず人間として生徒を指導することに強い希望を抱いていた美香を尊敬することで、今の自分があるのだ。
それなのに・・・
勿論、自分の身は大事だ。
不本意とはいえ担当官になった以上、美香は国賊と見なさなければならない。
今の自分の立場ではそれが正しい。印藤のように美香の死を喜ぶのが正しい。
プログラムに参加した時、自分は恋人の犠牲の下に生き残った(61話参照)。
自分は彼を背負って生きている。
そして子供たちを明るく教育するために自分は教師になったのだ。
それを考えると、簡単に自分の身を捨てることはできない。
担当官として職務を全うするべきだ。
しかし・・・
美香のしたことを考えた。
自分の教え子たちを1人でも多く生き残らせるために、自らの死を覚悟の上でわざわざ会場に乗り込んできた。
さらに、危険を冒して本部に侵入して自分を脅した。
美香の教師としての理想を考えれば不自然な行為ではない。いかにも美香らしい行動とも言える。
そして、その美香は自分の憧れの存在だ。
もし自分の教え子たちがプログラムに参加させられたら、自分は美香と同じことをしようとしたかもしれない。美香ほどの能力のない自分は犬死にする結果になるのだろうけれど、多分そうしたはずだ。教え子を見殺しになんてできない。
自分もそういう教師になりたかったはずだ。
だが、その美香はもういない。そして、自分は担当官などというとんでもない仕事をしている。
こんなことで良いのか・・・
ふと美和は立ち去る前に美香が言い残した言葉を思い出した。
何も出来ないはずはない・・・
美香が言いたかったことは解っている。
教師として本来すべきことは決まっている。
自分はそういう教師になりたかったのであるし。
だが新米担当官の自分に何が出来るのか。
自分にプログラムを中止させる権限などありはしない。
中止を命じても従ってはくれないだろう。担当官の乱心として政府に報告されてしまうだけのことだ。
美香が守りたかった生徒たちを助けるには強引に中止させるしかない。
強引というのは暴力的にという意味だ。
けれども自分は全くの無力。担当官として拳銃一丁を支給されてはいるけれど、使ったことも訓練したこともない。
一方の兵士たちはライフルを持っている上に訓練されたプロだ。
無理に行動を起こしても、みすみす自分の命を捨てるだけの事になるのが目に見えている。無論、生徒たちも助かりはしない。
そんなのは御免だ。命に未練がないとは言わないし、自分の幸せを願って死んだ彼のためにも無駄には死ねない。
美香には大変申し訳ないが、ここは担当官の職務を全うするのが無難であろう。
結論付けかけたところで、美和は再びマニュアルのことを思い出した。
プログラムを終了させて帰還した際に、マニュアルを回収されるのかどうかは知らされていない。
しかし、プログラムの機密性を考えれば一旦回収されると考えるのが自然だろう。次のときに再度支給すれば良いのだから。
そして回収されるのならば、紛失したことはすぐに露見してしまう。
それだけならば言い逃れは不可能ではない。
例えば船酔いを覚ますためにデッキに出ていて、うっかり海に落としたと言えば良いだろう。
嘘であることの証明は困難なはずで、軽い処罰ですむだろう。
しかし、印藤や兵士がマニュアルを拾っていて、それを政府に提出されてしまったらおしまいだ。
不用意な場所に放置または落としたことが明らかになり、機密保持の観点から考えて厳罰は確実だ。処刑の可能性も充分にある。
残念ながら今までの経過から考えて、マニュアルは既に誰かが拾って隠し持っていると考えるのが妥当だ。
このまま職務を全うしても結局自分は助からない公算が高い。
であれば、学生時代の高い理想に戻って一発勝負するべきではないのか。
マニュアル紛失の罪で投獄されたり処刑されたりするよりは、自分の理想のために思い切り暴れて散る方がまだスッキリしそうな気がする。
その死に方ならば、彼も赦してくれるのではないだろうか・・・
だが今の状態で自分が暴れても兵士1人倒すことも出来はしないだろう。
どうしたらいいのか・・・
そこで美和はあることを思い出した。
出発する前に生徒の一人が散っていることを。
つまり彼に支給されるはずだったデイパックはそのまま残っているはずである。
そしてその中には、何らかの武器が入っているはずなのだ。
もっとも何の役にも立たないズッコケアイテムである可能性もあるのだが、確認しなければ始まらない。
もしもマシンガンや手榴弾が入っているのなら、印藤たちを倒して生徒たちを逃がすことも不可能ではなくなるだろう。
たしか余ったデイパックは無造作に倉庫に投げ込まれていたはず・・・
よし、取りに行こう。
勢いよく洗面所を飛び出した美和は平静を装いながら倉庫に脚を運んだ。
周囲に兵士がいないことを確認してから、音を立てないようにそっと倉庫の扉を開いた。
息を潜めながら内部を見回すと、デイパックは造作もなく見つかった。
美和は震える指でデイパックを開き、祈るような思いで中を見た。
・・・
こ、これなの?
中から現れた“武器”は、美和を失望させるのに充分だった。
がっくりした美和だったが、それでも“武器”を懐に隠して何事もなかったかのように自席に戻った。
使う機会があるかどうかを窺いながら・・・
その側では、蜂須賀篤が三条桃香に倒された報告を受けたばかりの印藤が満面の笑みを浮かべていた。
<残り5人>